一年前の今頃、私は新卒エンジニアとしてリクルートに採用され、出向先のリクルートマーケティングパートナーズで実務をやっていた。 就活は自分にとってロシアンルーレットみたいなものだった。どんな会社でも入ってみないと善し悪しがわからない。だからここは運試しだろうと、内定した企業のうち一番提示年収が高くサービス内容が興味のあるジャンルである(いわゆる英語教育系のサービスであった)リクルートに入社した。 でも、2ヶ月後に休職し、気づけば入社半年後には退職していた。
リクルートでは、内定が出る時点でミッショングレードというものが提示される。平たく言うと、そのランクに応じて与えられる業務目標が設定され、年俸が変わるというものだ。 だいたいの新卒は同じミッショングレードを与えられる。私も標準的なグレードを与えられ、承諾した。ただし様々な理由で少し高いミッショングレードを与えられるやつもいた。
そして4月に入社、同期たちは各々の出向先で勤務を開始した。 そして上述したミッショングレードの高い新卒、そのうちの1人が同じ出向先で同じチームで開発することになった。 ここで、高いミッショングレードの彼に与えられたミッションが何だったかというと、「他の新卒同期たちのマネジメント」であった。 これは当の本人にしか知らされず、標準グレードの我々は知る由もなかった。 そして、この彼と私は完全に合わなかった。私は彼に関して何も認めることができなかった。 より正確に言うと、私が迎合しきれなかった。
おそらく彼は焦っていたのだろう、まず、遅刻する人間に注意する。それはいい。リモートワークを許可されるよう上司たちにアピールするように言う。ここで私は少し反論というか、提案をした。リモートワークはもともと契約上提示されていたものであり、それをする権利は本来そうやって手に入れるものではないではないかと。というか、同じ同期同士なのになんでそんな上から目線でものを言われなければならないのかと。上述のとおり、彼が新卒のマネジメントを任されていたことは、標準グレードの我々は知る由もなかった。
これがまずかったのだろう。自尊心の高く精神的に強いわけでない人間は自分の思い通りに動かない人間が許せなかったようだ。私はまくしたてるような口調で反論され、萎縮してその場をなあなあに済ませてしまった。 そこから、私を含めた彼に「許容されない」同期たちへの威圧的な態度が目立つようになった。 相互フォローしているTwitterで彼に嫌味を言われる。休日に突然グループチャットを立てる。そこで彼は他の同期に対して「人間性がクズでも技術力があればいいと思ってるんですか?」「心身の不調を言い訳にするな」などのことをまくしたてた。これは私に対してではなく、他の同期にたいする言葉であった。そうであっても私にはしんどかった。(ここは細部までは覚えていないのでちょっと言葉が違うかもしれない)
他にもいろいろあった(現場におけるサービスに対する教育事業としての意識の希薄さなど)が、もともと従順ではない上に気が弱く、威圧的な態度や嫌味などが得意でなかった私は、そこから2ヶ月もたたずにここで働くのは無理だ、このままでは自尊心をボロボロにされてしまう。
私は会社に行くのをやめた。
それから、彼は一ヶ月後に別会社に行くということ、なので彼にはもう接する必要がないということを上司から伝えられ、復帰した。 彼が怒りや不機嫌で同じチームの新卒に怒りをぶつける時点で彼に与えられたマネジメントのミッションは失敗したとは思うが、その後彼がどういう扱いになっていったのかは聞いていない。怒りや不機嫌で他人をコントロールしようとするのはマネジメント能力が足りないからだと私は思う。
しかしこれで復職、安心かと思っていたが、そうではなかった。 彼に対して従順でいられた人たちに、私が嫌われないはずがなかった。 嫌われるだけならまだいい。仕事にそれを持ち込まれ、あからさまに態度に出されるようになってきた。
有給を取った次の日にリリース日が変更されたことを私は知らされず、なんとなく気づいて聞いたときにはもう時間が遅すぎた。
そして、とにかく決まりが多い。マージまでのフローがとにかく多すぎる。 レビューが遅い上に自分の作業がある間はレビューをしない同期もいて、それを待たないとこっちのコードもレビューが通らず、スプリント内にチケットが1つも終わらないことは多々あった。もちろん自分の作業能力にも問題はあった。自分の能力のなさ、発揮できなさ、そしてこの何も進んでいるように感じられない状況に私は焦りがつのっていった。
また、相互フォローしているTwitterで同期に嫌味を言われる。前回の私の件で、チーム内にはその辺の注意が行ったらしいのだが。 別会社に行った彼はその嫌味に対して「ツイッターでそういうこと言っちゃいけないんだよ?w」(意訳)などとリプライを送っていた、会社の上司がそのリプライに混ざったり、ツイートをお気に入りに入れたりしていた。
辞める間際では、自分のレビューが無視されたり、自分のレビューだけレビューをされず何日も放置されたりもしていた。
そして、 疲れたので会社をやめた。こいつらの言いなりにはなるくらいなら辞める。 やめる際に人事の方に今後の体制について考えておきますとは言われたが、実際にどうなったかは、私の知る由もない。
会社をやめ、退職エントリ
を書き、ほしいものリストからプログラミングElixirを頂いた。ここで私は Elixir, Erlang に興味を持つことになる。趣味で小さいアプリケーションなんかを書いて遊んだりしていた。 そうしてすぐ、Elixir でゲーム開発の仕事をしませんかというお誘いが来た。これは好機だった。 好きな言語で、新しい環境で働ける。こんな状況にもかかわらず、尊敬している人に一緒に働いてほしいと言ってもらえることも嬉しかった。
そうして1月からその会社で(パートナー契約で)働き始めた。 設計を考えたり、通信プロトコルに関して勉強したり、動くものを作ったり、そういったことをとても速いサイクルで進めていけた。そして作ったものに対して、(ネガティブなものも含め)いろんな反応を貰えるのも楽しかった。好きなものを考える、作る、褒められる、楽しい。 チームの方々も私のような人間にでも寛容ないい人が多く、そこも楽で助かった。過去にUnityをちょっとやっていたことも思わぬ役に立った。
自分の中では、「何をやるか」も大事だが、「誰とやるか」が優先される事項であることもわかった。
時々体調を崩したりはしつつも、そして、今もその仕事を続けている。今の仕事がうまくいくと良い。そして、いい人でありたい。でも私はあまり(今は強いられてないが)従順ではない。苦手なことも多い。失敗することもあるだろう。 でも私は、次はよりよい失敗をするつもりだ。
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もちろん私の怒り補正と、主観に偏った見方によって、上述したことに時系列のズレや事実でないことも混じっているかもしれない。 ただ私は今でも怒っているのは事実だ。 見返してやることを原動力にして何かを頑張ることも未だにある。