大学スポーツの振興を図る取り組みが始まっている。だが打ち出された施策は性急に過ぎ、身の丈にあったものとも思えない。足元の課題を地道に解決していく姿勢が大切だ。

 この話は、安倍政権が掲げる経済政策「20年までにGDP600兆円」から始まった。乗り遅れまいと、スポーツ庁も「稼ぐ」ことを前面に押し出し、先月、報告書をまとめた。

 目玉は、全米大学体育協会(NCAA)の「日本版」の創設だ。しかし、実現可能性には大きな疑問符がつく。

 米国の大学スポーツを統括するNCAAは、アメリカンフットボールとバスケットボールの放映権料などで年間1千億円の収入がある。強豪校の監督ともなれば億単位の年俸を稼ぐ。

 収益構造、規模、歴史……。日本とは違いすぎる。ただマネをしても円滑に事が運ぶとは思えない。大学関係者からも戸惑いの声が上がっている。

 大学スポーツに改革が必要なことはかねて指摘されてきた。

 競技の指導者やクラブの運営は、一部の教職員を除けば、OBや学生らボランティアに頼っているのが現実だ。ハラスメントや会計の不備などの問題が表面化するのは珍しくない。

 大学が設けている特待生や奨学金制度の運営にも、不透明さがつきまとう。そして、少なくない学生が、スポーツ一辺倒の偏った生活を送る。

 こうした状況を改めるには、たしかに資金が必要だ。大学スポーツが産業として成り立つ素地も十分あるだろう。

 だが、まず取り組むべきは「稼ぐ」ことではなく、学業と競技を両立させるための身近な仕組みづくりではないか。

 プロや五輪を狙える選手は、ほんのひと握りだ。大多数の普通の学生抜きに、大学スポーツを語ることはできない。

 特待生制度などをゆきすぎたものにしないための統一基準の策定、選手の就職支援、チームを運営・管理するノウハウの指導などが不可欠だ。大学スポーツ界全体のコンプライアンス意識が低いままでは、企業・団体も投資や契約に二の足を踏む。

 個々の大学やクラブでは、いくつか挑戦が始まっている。例えば、京大のアメフト部は一般社団法人を設立し、スポンサーによる強化費調達を図る。競技指導だけでなく、ハラスメントやドーピング対策の研修、倫理教育などのため、外部から講師を招く費用にあてる考えだ。

 学生・競技者本位に徹し、目的とビジョンを明確にして、制度設計を進めたい。