カエルくん(以下カエル)
「それでは3月のライオンの後編の話だけど……なんだか興行は苦戦しているという話だよね?」
ブログ主(以下主)
「あんまり興行に興味ないからわからんけれど、ランキングにはあまり絡んでこないね」
カエル「う〜ん……やっぱり前後編の長尺とかが関係しているのかな?」
主「たぶんね。最近だと前後編の『サクラダリセット』は似たような層を対象とした映画(PとJK、ひるなかの流星)が並んだということもあるけれど、やっぱり興行的には苦しかったらしくて、後編の公開前に上映を終了した映画館もあったとか。
本作もコアな映画好きや3月のライオンファンは見に行くかもしれないけれど、フラリと映画館に入って、どれを選ぶかと決める際には前後編だと選びづらいというのもあるのかもしれないね」
カエル「気持ちはわからないでもないかも……進撃の巨人とかは評判はイマイチだけど、興行的にはある程度当たったみたいだけど」
主「原作人気が全然違うし、あの当時の巨人フィーバーってかなりのものがあったから。学生が友達を誘って行きやすいし……ライオンはみんなでみよう! という映画ではないじゃない?
この辺りは山師と一緒だよね。当たるか当たらないか、原作の人気と支持層を見極めて予算とかを決めていく感じとかさ」
カエル「あとは大友監督作品だと『るろうに剣心』は大当たりしたけれど、あれは1本完結を作った上で、さらに『前編、後編』とつけずに『京都大火編』とかつけたのもヒットに関係あるかもね」
主「あまり前後編という意識を持たずに行ったかもしれないなぁ……
さて、では3月のライオンの後編のお話に入りますか」
1 後編の感想
カエル「じゃあ、後編だけの感想だけど……」
主「素晴らしい作品でした!
漫画原作映画って結構ヘイトも多くて『漫画原作なだけで映画館に行かない!』って人もいるレベルだけどさ、今作はもう格が違う。
昨年でいうとちょうどこの時期に公開された『ちはやふる』も素晴らしかったけれど、本作はさらにその上をいったね!」
カエル「前編がいろいろと言われていたし、このブログでも少し苦言を呈した部分もあったけれど……」
主「ただ、今になって思うとやはり前編はあくまでも前編でしかなくて……作品全体の半分でしかなかった。スターウォーズのEP4でいうとレイア姫を助けに行く前とかぐらいでしかないんじゃない?」
カエル「それは話が全く進んでいないね……」
主「本作ってすごく難しい作品でもあるんだよ。なぜならば、桐山零という主人公の……少なくとも2つの面を描かなければいけない。
それは『家族』と『将棋』だ。
その2つの面の先に、彼がどのように生きればいいのか? という人生の問題が現れる。
そしてそれを描くためには『家族の象徴』である幸田家と川本家を描かなければいけないし、将棋を描くためには仲間やライバル、そして名人や倒すべき敵を描かなければいけない」
カエル「描き出す登場人物がすごく多いんだよね」
主「そう。その1つ1つが映画に欠かすことのできない、ピースとなって存在しているから、決して描かないわけにはいかないんだよ。
前後編、5時間かけて描いてきた多くの人間関係が結実した瞬間に訪れるもの……それこそがこの映画の最大の見せ場でもある」
走れ若者!
150分のクライマックス
カエル「まるで『マッドマックス』みたいなタイトルだね……」
主「でも、実際そんな気分でさ! 原作を読んでいると『あのエピソードあたりから始まるのかな?』と思っていたんだよ。
だけど、そうしたら開始5分くらいで原作から外れた展開になって、目がまん丸になってさ! そこから先はもうずっとクライマックス! 胸が締め付けられるような苦しみがこちらにも伝わってきた!」
カエル「原作と大きく改変してきたのも今作の特徴だよね」
主「……正直な話をすると、ここ最近の原作ってよく分からない流れがあって……具体的には言わないけれど、それまで登場していたある人物があまり出なくなったり、お話としての流れがおかしいかな? と思う部分も若干ある。
なんでこの子はこんな展開になってしまったのだろう?
この描写は必要なのだろうか? と思う部分もあったんだよね。
だけど……本来羽海野チカが落とし所にしようとしていたという今作の流れを見て全て納得した。
『あ、なるほど。これで全て繋がった!』って」
カエル「物語の点と点が線になった瞬間だね」
主「3月のライオンって先ほども言った通り、色々な要素が複雑に絡み合っている。そのどれも重要なんだけれど、それが1本の線となった時に見えてくる景色ってこれだったんだなぁ、と思わず納得してしまった」
大友監督の『3月のライオン』
カエル「今作は……顔出しはしていないけれど、ほぼ100パーセント女性と思われる羽海野チカの3月のライオンを、男性の大友監督が描いたということもテイストの違いに繋がっているかもね」
主「大友作品を全て見たわけではないけれど、その多くが『男の世界、男の意地』を描いてきた監督じゃない? 男と男がぶつかり合う瞬間というかさ。
その大友作品の味は全く失われていない。将棋での対局中、駒を刺す動作の1つ1つが相手を殴るように戦っているのがはっきりとわかる。だからこの映画はまさしく『男の3月のライオン』であるし『大友監督の3月のライオン』でもあると思う。
だけど、その精神性は原作と全く乖離していないんだよ! これは大友啓史の3月のライオンなんだけれど、同時に羽海野チカの3月のライオンでもあって……原作ファンとして納得せざるをえない1作となっている」
カエル「家族と将棋の2つの世界を描いてきたけれど、そのどちらも味がある作品に仕上がっているよね」
主「そして前後編にしたことによって色々な制約はあるけれど、それが見事に繋がって、前編の伏線が後編に生きていたりもちゃんとしている。
それは物語のことだけじゃないよ! 演出や音楽に至るまで、全てがクライマックスに向けてしっかりと計算されていて……その時のカタルシスはトンデモナイ領域に達する!
アニメを除いた邦画だけでも、昨年の邦画大豊作と比べても、今作は全く引けを取らない1作になっているし、5時間、3600円をかけてみる価値がある作品に仕上がっていると自分は断言するね!」
以下ネタバレあり
2 原作の違和感について
カエル「じゃあ、まずは先ほどもあげたように原作の違和感について説明しようかな?」
主「原作のネタバレになるので嫌な人は3まで飛ばしてください。
原作ってさ、ある瞬間から香子の出番が少なくなるんだよ。
そして歩の出番はほぼ一切ないし、幸田家もあまりお話に絡んでこない。後藤は出てくるけれど香子関連のライバルというよりは、あくまでも将棋の強い人、零のライバルであり目標というレベルでしかない描写が続いていた。
これって不思議だよね。前半であれだけ出番のあって、しかもラスボスのように描かれていた後藤の毒っ気がドンドンなくなっていって……なんでこんなことになったのか? と疑問に思っていた」
カエル「後藤さんのキャラクター設定をミスしているのではないだろうか? って何度か言っていたもんね」
主「そう。羽海野チカは明確な悪人が描けないタイプの作家だから、後藤はその『キャラクターの成長』によって性格が変化したキャラクターなのかな? と思っていたんだよ。いや、妻子捨男などは描いているけれど……後藤クラスの掘り下げをするキャラクターだと、情が湧いてしまうのではないかな? と思ってさ。
だけど、それは多分間違いで、方針を転換しただけということがわかった。
今回の脚本だと見事なまでに1本の線として繋がっている」
食事という日常の多い川本家の食卓
ひなたの問題について
カエル「その違和感ってあのいじめ問題も同じなんだよね」
主「まあねぇ……
本作って零ちゃんの将棋の葛藤と、自分の人生、家族を見つめ直す作品じゃない? この作品でもそうだけど、ひなのいじめ問題が始まるのが結構唐突で、しかもそれまでの物語とあんまり縁がないような気がしていて……
だってさ、リアルに考えてごらんよ? ひなたってそんなにいじめられやすいタイプだと思う?」
カエル「今のいじめは誰でも対象になる可能性は秘めているとはいえ、そこまで明らかにいじめられやすいタイプではないよね……」
主「あれだけ行動力もあるし、しかも明るくて負けん気も強いし……もっと単純にいじめやすいタイプを狙うじゃない?
確かに正義感ゆえの行動で色々と疎まれることはしたかもしれないけれど、本作で未登場だけど高橋君とかもいて、結構人望もありそうなんだよね。そんな女の子が果たしていじめられるだろうか? と考えると、結構な疑問があった」
カエル「だけど、この映画版を見たら全て繋がったんだ?」
主「つながったというか、この描写も単なる思い付きではなくて、線と線をつなぐ点だったんだよ。
3月のライオンの8巻が発売した時に、いろいろな作家がキャッチコピーというか、メッセージを寄せたんだよね。その時に直木賞作家の辻村深月(漫画好きで有名)が選んだのが
『人はこんなにも時が経った後で、嵐のように救われることがある。』
零ちゃんの言葉に、私の心も救われました。
あなたは私の恩人です。
と云う言葉を贈っているんだよ。
映画でもこのセリフは使われていたけれど、この言葉が3月のライオンという作品を全て象徴しているような気もしてくる。
そして、この言葉が生きるために……作品を生かすために、この描写は絶対に必要だったんだ」
カエル「じゃあ次はそこを説明していこうか」
3 複雑なストーリー展開
カエル「複雑と言ってはいるけれど、わかりにくいという意味で複雑なわけではないんだけど……やっぱり登場人物も多し、やりたいことも多いし、物語も主軸となるのがいくつもあって、あっちこっちの物語が移動しちゃうよね」
主「3月のライオンってジャンルでいうと何になるのか? というと難しくてさ。将棋を題材としたバトル漫画の要素は間違いなくあるし、恋愛、家族愛、人間ドラマも全て入っている。
だけど、じゃあバトル漫画ではないし、恋愛漫画ではないし、家族漫画というわけでもないし……という意味で、一言で説明するのが難しい作品でもある」
カエル「それだけ複雑なものを映像化していたんだね」
主「だけどそれってどれも絶対必要なもので……
じゃあ、まずはとっかかりとして『ひなたのいじめ問題』について考えてみると、これは零とひなたが同一の存在になるために……2人をつなぎ合わせるために、絶対必要な儀式でもあったんだよね」
カエル「……儀式?」
主「もちろん、零は学校で孤立しているけれど、そんな軽い理由でひなたを孤立させたわけじゃない。
零は人間関係だけでいうとすごく孤独な存在であるんだよ。
普通に生きたくても孤独になってしまう星の元に生まれたわけで、友人や支えてくれる人が今まであまりいなかった。
そして人間関係で悩んでしまった時……強烈な悪意を向けられた時、それでも諦めないで戦うことを決意するひなたと、幸田家のゴタゴタがあった時に逃げてしまい孤独なることを選択した零。
作中でも描写されていたけれど、あの場所でうずくまって丸くなって、防御の姿勢をとったり逃げてしまう零に対して、しっかりと戦うことを選択したひなたという対比ができている。もちろん、家族と学校の人間関係はまた違うものだけれど、状況とその選択肢は全く違う」
カエル「ふむふむ……」
主「そんな零と同じような状況下にひなたが置かれた時、ひなたは『その場所で戦う』ということを決意し、零は『学校をやり直す、また戦いに行く』という決意をして高校に来たわけだ。それもまた『新たなる戦い』であるわけ。2人は戦うことを選択している。
つまり学校における……人間関係における零の孤独=ひなたの孤独になるんだけど、その結末が全く違う。ここで印象的なのが、ひなたをいじめた高木がちょっとだけ香子を連想させるような風貌なことなんだよね」
カエル「零ちゃんに取って向き合わなければいけない相手は香子だもんね」
主「ここは映画的なうまさもあって、他の生徒と違って高木だけが灰色のカーディガンを羽織っている。彼女だけがこのイジメのメンバーの中で重要な存在であることを示唆しているわけだ。香子から逃げてしまい、そして縛られ続ける零と、高木に立ち向かい、そこから解放される……勝ち取るひなたという結末の違いをはっきりと描いている
そしてさっきあげた『嵐のように救われることがある』というセリフだけど、素晴らしいのはこの『嵐のように』の部分なんだよ。
普通だったら嵐ってもっと暴力な言葉のように思うじゃない? だけど、この作品では嵐のように、という形容詞を使っている」
カエル「でも、それってなんとなくわかるんだよね。救われる時って一気に救われることが多いような気がしてさ」
主「ここが本作のうまさだよね」
4 それぞれの大人達
カエル「それってどんな意味があるの?」
主「この作品って確かに零が主人公だけど、やっぱり群像劇でもあってさ……じゃあ、それぞれの役割について簡単に箇条書きにしていくとこうなる。
宗谷名人=将棋のみに邁進する将棋界の神。究極の孤独の人
島田=仲間を持って研究会に所属し、後進を育てながら邁進する人
後藤=奥さんを持ち、苛烈に戦うが本質的に孤独な人
林田=将棋以外の道を持ち、普通の生活を送る人
幸田父=家族との関係がうまくいかず、家庭を崩壊させてしまう人
妻子捨男=何があっても逃げるだけで、状況だけがどんどん悪化していく人
もちろん、他にも前編に出てきた人たちもいるけれど……この人たちは実は『零が歩むかもしれない未来』の姿なんだよね。その象徴でもある」
カエル「……? どういうこと?」
主「この人たちってそれぞれ色々な描かれ方をしているけれど、じゃあ幸せなのか? と問われると、決してそうではなくて、むしろ幸せそうな人はほとんどいない。みんなそれぞれに辛い思いをしている。
究極の孤独を選んで宗谷名人のようになっても、妻子や棋士仲間を得て将棋に邁進し後藤や島田のようになっても、将棋と家族の両立させようと幸田父のようになっても、将棋の道を諦めて林田のようになっても、すべてを諦めて逃げ出しても妻子捨男のようになっても……結局人生は苦しみがやってくるんだよ」
カエル「……え? じゃあ零ちゃんは幸せになる道がないの?」
主「そんなわけはない。だけど、幸せになる道がはっきりと示してくれていれば確かにわかりやすいし、誰もがその道を選ぶけれど、そんな道なんかないんだよ。
だから辛い、だから尊い。
その色々な人たちの姿を見た桐山零が、では自分はどんな人間になろうかな? と選択するまでの物語でもあるんだよね」
最悪な父親像の妻子捨男
宗谷という無の名人
カエル「じゃあ、まずは宗谷名人について語るけれど……」
主「宗谷ってとことん無や空の存在として描かれている。音も聞こえないし、家族もいない。何もない、あるのはただ将棋の強さのみ。
じゃあ、何でそんな描き方をしているのかというと、それは仏教で言うところの『無の境地』に達した人間だからだろうね」
カエル「座禅なんかでもよく『無心になれ』と言うけれど、そういうことなの?」
主「そうだね。無心になるというのはただ何も考えないということではない。それは自分という存在を自問自答し、そしてその答えを見つけるためのものでもあるんだ。
作中でも『宗谷と向き合うと自分をバラバラにしなければいけない』と語っていたけれど、それは仏教でいう無や空と向き合うからだ。そしてその存在は絶対的に孤独であり、寂しいものである」
カエル「あれ? じゃあ零ちゃんが宗谷名人と戦っていた時に回想していたのって前編を見ていない人への説明ではないの?」
主「それもあるけれど、宗谷に立ち向かった人は必ず自分を見つめ直すことになるということの演出的説明でもある。
そういう無の境地、空の存在……それこそが宗谷という人間が持つ将棋の強さの理由であり、そして孤独の強さでもある」
おそらく妻子捨男との対比になっている幸田父
どちらもどうしようもないが、家族は捨てていない
後藤について
カエル「そして今作において重要な立ち位置にいる後藤だけど……もしかしたら一番改変された人物かもしれないね」
主「ここで印象的だったのは、あの後藤の将棋の戦い方なんだよね。零との対局において、後藤は持ち味であったガチガチに硬い重厚な棋風を捨ててきたんだよ。その理由ってなんだと思う?」
カエル「零ちゃん対策だろうけれど……」
主「いや、今作がまさしく『将棋の映画』になっているのはこの描き方にもあって、それは後藤がその直前ですごく大きなものを亡くしているわけだ。
ガチガチに厚い、重厚な棋風というのは守りたいものを抱えていたからこそ選択していたものでもあって、その棋風を捨ててしまったということはつまり、もう守るものがなくなってしまったということを表している。
そしてあの対局中の2人というのは、実は同一の存在なんだよ。どちらも将棋しかない、将棋という特別な才能しか持たない者同士の対比なんだよ」
5 川本家について
カエル「そして川本家も大きな選択を強いられることになるけれど、でもまさかあんな改変をしてくるなんて!」
主「いや、ここはやっぱり映画の方がいいよ。
自分は原作を読んでいる時に違和感があったからさ。なんでここで桐山が話に絡んで来るんだ? って。
婚約云々はギャグ描写でも許されるとしても、1番シリアスでいなければいけないところに零ちゃんが絡んでくる必要性はない。だからこそ、あのような改変になったんだろうな」
カエル「ここの改変の意味ってなんなの?」
主「単純にいうと、川本家の面々が選ばなければいけないことだからだよ。あの場面で零がすごく頑張って支援するのもわかるんだけれど、だけど本来はそうではなくて、川本家の人たちが自分たちの力で選ばなければいけないことじゃない? そこに零があれだけ口を出すことの方がおかしいわけでさ」
カエル「その選択こそが『あかり、川本家の闘い』なんだね」
この2人の関係も大好き!
全てが繋がる時
カエル「そして物語は3つのカタルシスを持ったクライマックスを迎えるわけだ」
主「その3つとは
零の自分を見つめ直す選択
川本家の家族としての選択
幸田家の過去の選択
この3つが重要なクライマックスを迎える。この3つの物語が全てリンクしているんだよ! だからこそ、本作は5時間もかけて長い長い物語にしたわけだ!」
カエル「具体的にいうとどういうこと?」
主「零に与えられた闘いは『自らが獲得してきたもの、自分の選択と向き合うこと』
川本家は『自分たちの過去との決別』
幸田家もまた『過去との決別、真実の探求』の3つなわけ。
みんな、それぞれの人生で戦っているんだよ。自分の過去に、ライバルに、トラブルに向き合って戦っている。その1つ1つの問題に自分たちが自分で向き合って、そして決着をつけるしかない」
カエル「ああ、そうか!
零と後藤、川本家と妻子捨男、香子と幸田父って、それまで対立してきた仲だけど最後の最後でようやく向き合うことができたんだもんね!」
主「確かにそこまでの流れは非常にゆったりとして、成長しているんだか、していないんだかわからないような歩みだった。
だけど、その1歩ずつの歩みがと金になる瞬間! それこそが最高のカタルシスであり、この5時間の物語のクライマックスになる!
ちゃんと将棋ものとしてこの映画の最高潮を迎えるように出来ているんだよ! これは将棋でしかできない、将棋の映画に仕上がっている!
みんな戦っているんだよ! 人生、生きていたらいろいろあるよ!
だけど、みんなその生活を守るために、そして成長するために必死に闘っているの! それが群像劇として見事に現れていた!」
演出のうまさ
カエル「じゃあ、最後に演出のうまさについて語っていこうか」
主「まずは、前半では結構モノローグたっぷりでうるさい印象があった対局シーンだけど、後半はそのモノローグもそれなりに抑えられている。2人が対局して差し合う姿、その一手が言葉として、殴り合いとして機能していて、静かなんだけれど何よりの説得力があったね」
カエル「序盤の孤独に研究を続ける零ちゃんの姿、それから後藤の1手目の乱暴な指し方、先に言及した後藤の棋風の変化や歩からのと金……そういう1つ1つが登場人物や物語のメッセージとして機能していたね!」
主「そしてこれも言葉で説明していたけれど、宗谷名人との対局はキラキラと光が強く取り入れられて輝いていた。これもまた宗谷と向きあうことの特別な感じが出ていたね。
ラストの静かな対局もまた素晴らしくて、映画として涙が出たよ」
カエル「後藤さんが宗谷を仮想敵として連想することによって、自分と向き合っているという描写も良かったよね」
主「あれは……やっぱり現実からの逃げだったのかな? それとも立ち向かっていたのかな?
それから川本家に拒否された後、走り出す零の姿が前編と被るんだよ。
『じゃあどうすれば良かったんだよ!?』って叫びが聞こえてきそうで……涙が溢れそうだった」
カエル「色々なうまい演出がもっともっと散見されるかもね」
最後に
カエル「あんまり長くなりすぎてもあれなんで、ここで1回締めるとしようか」
主「つい先日鑑賞した映画で『真白の恋』という映画がある。単館系で、全国で数館しか上映されていないけれど、自分は今年最高の邦画だと思った。
もちろん、その評価は変わらないし、単館の映画と大規模公開だから一概には比べられないけれど、はっきり言うと、今年No1クラスの大傑作がまた誕生した気分だな」
カエル「真白と比べるとどんな印象なの?」
主「『真白の恋』って普通の、なんの変哲も無い普遍的な恋愛を描いた映画なんだよ。一方、3月のライオンは『普通になれない人たち』の映画でもあって……
普通であるって簡単なようで1番難しいことなのかもね」
カエル「そういう精神性もあったんだ」
主「まあ、ちょっと思うところはあるけれどね。二階堂のキャラクターは受け入れらなかったし、EDはファイターだったらもっとよかったけれど……
とにかく! この映画を観ないのは人生の損失だと思うし、3月のライオンという作品の精神性を見事に表現した作品です!
是非とも劇場で鑑賞して欲しいなぁ……」
カエル「長いけれど、是非とも応援したい作品です!」
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