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ニート気質な僕の生きる道

仕事を辞めて無職でニートになった僕がどう生きていくのかを綴った日記です。またニートやひきこもりなどなかなかうまくいかない人が一歩踏み出せるような、後押しができるような記事も書いていきたいと考えています。

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生きるのに資格っているのだろうか?

雑記、ゆる記事

どうも、ラッキーマンです。

 

先日こんなツイートをしました。

 

 

何でこんなツイートをしたのかというと、ちょっと前に僕の知人が実の父親から働いてないことやそれまでの過去数年のことを含めて「生きてる資格がない」みたいなことを言われたらしいんですよね。そのことにショックをうけちゃったみたいで気持ちがめちゃめちゃ落ち込んでいるようなんです。

 

それをきいて僕はなんかゾッとしたし、憤りみたいなものも感じました。「人が生きているのに資格なんているのかな?」って思ったんです。僕は別に資格なんていらんだろうって思うタイプ。

 

だから知人からその話を聞いたときに「えっ?なんで生きるのに資格なんてものを持ち出すんだろうか?」って疑問に思ってしまって、それで思わず冒頭のようなつぶやきをしてしまったというわけです。

 

どうなんだろう?やっぱ、人って働いたりして社会や他者に貢献したりと「目に見える成果」みたいなのものがないと生きてちゃいけないものなのだろうか?僕の知人の父親のようにそう思う人がいるのも自然なのことなのかなぁ‥‥‥。

 

個人的にはですけど他人が「お前なんもしてねぇな。生きてる資格なんてないよ。」って言ってしまっていいものなのかなと。なんかそれはすごく傲慢な気がするし、じゃあなんもしてない人間は生きてる資格ないんだからいなくてもいいじゃん、みたいな考えに繋がりそうでそれって危険じゃないかな?

 

あとはそもそも「生きてる資格がないよ。」って言ってる側がどれだけご立派なのよ?ってことも考えてしまいますね。それこそ「あんたに生きていいかどうかを決める資格なんてあるの?」って突っ込みたくなります。

 

それにしてもなんか息苦しいなぁ。ちゃんとしてなきゃ生きてちゃダメなんてさ。そのちゃんとだって定義はよくわからんし。

 

まぁ知人の父親の定義からすると僕も多分生きてる資格はない側の人間なんだろうけど、僕は粛々と生きていきます。生きてる資格がないと言われようと、人か病気に殺されない限りは生きていくつもり。

 

でも知人は父親から「生きてる資格なんてない」っていう言葉を投げかけれてガッツリへこんで悲観的になってるんだけどどうしたものか‥‥‥‥。他人の家族には首つっこめないけどもうちょい子供が前向きになれる言葉とかかけてやればいいのになぁ。

 

それでは今回はこの辺で。

最後までご覧いただきありがとうございました。

次回もよろしくお願いいたします。