- 神様なのはお客様ではなく、店員様でございます
- 「ありがとうございます」を言えない舐め腐ったお客様
- 店員に「ありがとうございます」を伝えたら、税金を安くするべき
- 日本で横行している『状況差別』について
- 雑記・読んだ本
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神様なのはお客様ではなく、店員様でございます
僕の父が経営する会社では、『承認』をなにより大切にしています。
人間は、互いに認め合い、助け合い、許し合い、存在意義を確認しながら生きてゆく生命体なのです。
それゆえ、あらゆるお店の店員に、「ありがとうございます」と伝えます。
それはなぜか?
人間として必ず守るべき道だからです。
相互扶助が前提の共同社会は、『感謝』や『信頼』なくして成り立ちません。
何かを提供してくれる方々を心よりリスペクトし、たとえそこにお金が絡んでいようとも「ありがとうございます」を口にするべきなのです。
「ありがとうございます」を言えない舐め腐ったお客様
昨今の日本人は、人様に対する感謝の気持ちが薄らいでいます。
下記のように、悪逆非道の意識を持った方々がいらっしゃるのです。
店員さんに『ありがとう』っていう人、みすぼらしいと思いませんか?
「ありがとう」をやたらに使ってしまうと、「ありがとう」という言葉のインフレが発生してしまいます。「ありがとう」という言葉の価値が低くなっていってしまうのです。
店員は、客にしてみればサービスの付属品。サービスを提供する人間であるのです。主体はサービスなのですから、主体以外に感謝の気持ちを言うのは可笑しいと思います。
インフレ上等! 心からの言葉に価値の高低差なんてないでしょうにっっ!!
その通りよ。パパとママによる愛の累積がアタシらを生産したんだからっっ!!
対価さえ支払えば、「ありがとう不要」で高クオリティのサービスを受けられて当然という、その思い上がった態度。
読者の方々は、一度胸に手を置いて考えて見てください。
そこのあなた、無意識に他人を舐めていませんか?
コンビニ店員を物として扱い、クレーム対応者をサンドバッグとして扱い、掃除婦を奴隷として扱う。
鬼の心を持ったケダモノを、そこかしで見掛けるようになってしまいました。
人間ではなく、『無言のかたまり』として店員に接することが、どれほど悪徳な行為なのか、お分かりになりますか?
あなたたちの目前でレジを打っているのは、高知能ロボットではなく、血の通った人間なのです。
きちっと商品を販売して頂いたのであれば、「ありがとうございます」と頭を下げるのは、一社会人として当然の行いでしょう。
しかしながら、涼しい顔でマナー違反を犯す者だらけです。
悪質な事例だと、スマホに夢中、ため息を吐く、両耳にイヤホン、貧乏揺すり、冷酷な目つきなどがあります。
それらを実行する者たちは、『人間の尊厳』を平気で傷付けているのです。
労働者は人間ではないのでしょうか?
お金が絡むと、お礼は一切不要なのでしょうか?
なぜあなたたちは、「ありがとうございます」の一言すら口に出来ないのですか?
店員に「ありがとうございます」を伝えたら、税金を安くするべき
国家主導で、感謝の意を表明した者に対する税金の割引を、真剣に検討する必要があると思います。
このまま放置しておくと、「ありがとうございます」を廃棄した大人だらけになってしまうからです。
そして、店内での会話が活発化すれば、『万引き』『強盗』対策にもなるでしょう。
感謝なきところには損得勘定しかありません。
「ありがとうございます」を連呼する文化を作ることで、その優しい言葉に引っ張られて、嘘偽りではない感謝の心を持つ者も増えるはずです。
『悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい』という有名な考え方、ジェームズランゲ説があるように、僕たちは「ありがとうございます」を口にするから感謝し、優しくなれるのです。
感謝なきところには悪意しかありません。
日本で横行している『状況差別』について
「代金を支払っただろ?」「仕事なんだから頑張って当然でしょ?」
このような天狗発言を連発する者たちが、跳梁跋扈している時代です。
仕事中の者は人間にあらず、という論理がナチュラルに展開しています。
もはやこれは『無言の恐喝』ですし、もっと言うなれば『状況差別』とも言えるでしょう。
あまりにも労働者に冷たい、そう断言せざるを得ません。
要するにあなたたちは、お金を支払うことで、「ありがとうございます」を口にせず、ふんぞり返っていても許される権利を購入しているということです。
個別の蟹工船を作り出し、店員をそこで奴隷働きさせているも同じでございます。
小銭を支払って店員を奴隷にする遊び、楽しいですか?
「ありがとうございます」の一言もなく、お金の力で馬車馬のようにレジを打たせるのは、気持ちが良いですか?
今一度、聞かせて下さい。
そこのあなた、無意識に他人を舐めていませんか?
雑記・読んだ本
ある大学で教員が学生に、他人の自転車や傘を盗んだことがあるかを問うたところ、半数近くが何の抵抗もなく手を挙げたので驚いたという話を聞いたことがある
これは罪悪感の欠如がどうたらの話というよりも、僕たち人間は、自分に関係のない他人がどうなろうと知ったこっちゃないということの証明であろう。
少なくとも日本には排他主義者が溢れており、こうした自己本位の生き様ゆえに、お店の店員に「ありがとうございます」とお礼を伝えられないのだ。
チャリパクするように、傘を盗むように、無言で商品を受け取って去ってしまうということである。
見ず知らずの人の道具を盗むことと、「ありがとうございます」を口にしないことは、まったく別物のように見えて、心的な部分で共通しているのではないかと思う。
他人を排除して暮らす意識がまずあって、それが思いやりのなさに繋がっている。
道徳心は人間の利害を公平にするように人間の心の中に形成されていく
とも書いてあるように、そもそも僕たち人類は、利益を得るために道徳心を形成してきた訳だ。
冷酷な言い方をすれば、『利益なきところに道徳など存在しない』ということになる。
だからこそ、真剣にピッピッとレジを打つ店員に、「ありがとうございます」を口にしない人だらけなのだ。
なぜなれば、感謝したところで商品が割引されたりしないからである。