岡潔聴雨録bot

@chouroku_bot

最晩年の岡潔先生(1901-1978)のボットです。出典は主に聴雨録と京都産業大学講義録。春雨の曲からは出しません。も参照。

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2015年4月に登録

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  1. 14 時間前

    【天上の歌139】一。人は自分の数学を一気に理想の姿にするのではなく、その時、その時で可能な限りの努力をして、一歩ずつ数学の姿を良くしてゆくのである。

  2. 4月22日

    【天上の歌138】一。観念的な問題を考えるな。何らかの尤もらしい理由によって、ある結論が予測される時、これを第一着手と云う。第一着手の無い問題が観念的なのである。

  3. 4月21日

    【天上の歌137】一。数学は心躍って語れ。当面立ち向かうべき問題の有無などに拘泥せず、自分の内心の声に耳を傾け、そこにおいて心惹かれる地へと向かえ。

  4. 4月21日

    【天上の歌136】一。自分の数学史を持て。遠景は簡潔に、近景になるに従って精緻に描け。

  5. 4月20日

    【天上の歌135】一。創作者は源頭の地に立ち還る。今、眼前にある数学の流れに目を奪われて、何ら自覚せず流れに従って下流へ行く様な安易な態度を以て数学をしてはならない。一つの数学の世界の姿は、発展され尽くした末ではなく初発の地点で捉えた時、より鮮明に生成の息吹を知ることが出来る。

  6. 4月20日

    【天上の歌134】一。自分の数学が数学全体に対してどう云う位置を占めているのか、そしてその数学は人の文化全体の中で、どの様な意味を持っているのかを明瞭に意識していなければならない。

  7. 4月19日

    【天上の歌133】勿論、僕が勝手に記憶して自分流に考えていることなので、間違って受け取っている可能性がある。また、僕の記憶違いで岡先生のではなく西野先生自身で考案されたものもあるかもしれない。

  8. 4月19日

    【天上の歌132】序に、ここで西野利雄先生を通じてお聴きした岡先生の言葉で数学の要諦となる様なことをいくつか書いてみる。

  9. 4月18日

    【天上の歌131】そして、岡先生が、この様な世界で味わう数学の醍醐味を、直趣無上菩提と云う言葉に託されていたと云うことも。

  10. 4月18日

    【天上の歌130】また、数学は向上心も真情も持って生きている。人は数学をする時、その数学の向上心と真情とに自分を投入するのであって、そこにおいては人の自由と云うものは無い、と云う意味のことも西野利雄先生を通じてお聴きした。

  11. 4月17日

    【天上の歌129】芭蕉は、蕉風以前の連歌の付句の作法(物付け)に対して、彼の匂い付きを以てその様式を決定付けた。匂い付きの数学をせよと先生は云っておられるのだと僕は考えている。

  12. 4月17日

    【天上の歌128】また、人の仕事を真似ると云うことがしばしばあるけれども、必ずその人の心の真似をするのであって決して技を真似てはならない、ともお聴きした。

  13. 4月16日

    【天上の歌127】論理だけで理解したものはすぐに忘れてしまうが、心の連鎖で捉えた発見者の魂は消えない。この様な理解の仕方が、連句一巻をその付味によって記憶しておくやり方とか、自分の打った一局の碁を並べ直すことが出来るとか云うことと繋がっていることが、朧げに僕には納得出来る。

  14. 4月16日

    【天上の歌126】そして遂にその世界が自分の掌に乗った如くに明らかになるのだと云う。

  15. 4月15日

    【天上の歌125】もう一つは、一つの新しい数学の世界を理解しようとする時、一つ一つの定理を論理的に追って教科書を読めば済むのではなく、それを創っていった人の工夫の跡を手繰って、その様を自分で再現し、どこまでが自明なことで、何が本質的な発見か知らねばならないと云う。

  16. 4月15日

    【天上の歌124】そこまではなかなか出来ないので、僕は上の様に考えることによって、少なくとも自分の数学が、数学の全体と関わる契機を失って閉ざされた世界に留まり、進むに従って貧しくなってゆくことの無い様心がけたいと思っている。

  17. 4月14日

    【天上の歌123】自分で数学を創ってゆく時、その数学の世界を心の連なりとして一つの連句の様に見做す。そして、次の自分の仕事を踏み出す展開の方向を一つの付句と考えて思案する。

  18. 4月14日

    【天上の歌122】かつて僕は、数学は芭蕉の連句の様な心の遊びでやるものである。と間接的にお聴きした。それは次の様な意味であったと思う。

  19. 4月13日

    【天上の歌121】今その話を思い出す。そして、三つの俳画を眺めて、蕪村と云う一人の詩人の心について、これだけのことが浮き上がってくる程になったなら、この詩人の魂をよく感知し得たと云うことが出来るだろう。僕の数学も何とかこの位に出来ないだろうかと思う。

  20. 4月13日

    【天上の歌120】先生は、あなたは初めに数学者としての第一歩の心構えをお尋ねになりましたが、数学をやるには心が大切です。数学を理解しようとするよりも、数学を創った人の心を理解する様にしなさい。それには芭蕉を読むのが良いのですと話して下さった。

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