2016年9月、私が書いた記事に「アホ」「開発リソース無視かい」と喚いたあさひ(=id:tyoshiki)にその主張の理由を求めましたが、一切答えられない件がありました。
参照→@ddrdaisukiは自身の主張の理由も提示できない人でした。ダメだこりゃ
上を見てもらえれば分かる通り、反論の根拠を示すこともできないばかりか、度重なる新しい主張を試みるもののそれもまた立証することが出来ず、挙句「9/9ツイートで本当にイイたかったことは◯◯なんだ!」と元主張を全て無かったことにしようとするアクロバティックな行動には閉口してしまったものです。
またなぜか昔の争いを持ち出して私を批判するということをし始めたので、私も同じように彼が過去にネットストーカーをしてA氏やK氏に粘着していたことを晒し上げると「それは関係ない!あなたは作品を内在的読解をしているのだからボクのテキストも内在的に読むべきだ!」と意味不明なことを口走ったこともありましたね。
そもそも「議論とは関係ない過去を持ち出した」のはあなたであり、私ではない。そして私も同様の行為をしたらそれを批判するという頭の悪いダブスタを披露するのは勘弁して欲しいところです。
また「作品に内在的読解」をすることがどうして「対人に内在的読解」をする必要性がよくわからないので、誰もが納得いく説明を求めます。私がある作品読解スタイルを採択したことがどーして対話に適用できると思っているんでしょうねえ? 不思議です。
仮に私が過去にそういった振る舞いをしていたことが「対人に内在的読解をする必要性がある」と説くならば、あなたもまた過去にしてきた作品批評におけるスタイルを私に適用することになるんですけど、ちゃんとそこわかってるんですよね? 作家論という無意味な批評方法を行っているようですがそれを私の対話においてちゃんと適用するということなんですかね?
そんな主張の根拠もいえない、論点をずらし、詭弁を用いては自分に都合のいい恣意的な意見ばかりを押し付けるTM2502、よしき、あさひ――すべて同一人物――が私に向けた反論(とは到底呼べない)記事らを削除したのを1/12に確認。
- http://possession.hatenablog.com/entry/2016/09/14/115043
- http://possession.hatenablog.com/entry/2016/09/14/232106
- http://possession.hatenablog.com/entry/2016/09/14/232106
- http://possession.hatenablog.com/entry/2016/09/16/073000
- http://possession.hatenablog.com/entry/2016/09/17/072502
他にもありますが、暇な人は探してみてください。
(追記:結局ブログのドメインもhatenablogからhatenadiaryに変えて実質上述ブログを削除しているのは、本当呆れます)
またTwitterアカウント「@ddrdaisuki」も同様に削除したのを1/12に確認。しかし現時点(1/16)ではTwitterアカウントが元に戻っていることから、IDの文字列を弄ることで表面的に"@ddrdaisuki"を削除し、後にIDを元に戻して復帰したと考えられます。
このように、あさひ(=id:tyoshiki)は自分に都合が悪くなったら「全てを無かったことにしようとする」気質の持ち主なのは状況的に明らかでしょう。だからこそ"あの"増田に入り浸っているのでしょうし、日常的なツイ消し、記事消し、ハンドルネームの頻繁な変更、そして手に負えなくなったらトンズラしてしまう。
消せばどうとでもなる、消せば書いた責任が消える、消せば過去が消えるとでも思っているのかもしれませんが、もちろんそんなことはありえません。
この人の無根拠なヤジ、立証責任を追わず逃げ出した事実、読解力は皆無でまともに文章を読み込めないこと、ひいてはこちらを馬鹿にしていたにも関わらずそれら主張の全てを削除するみっともなさは依然として残ります。*1
あんなにも自信満々だった反論(?)の数々は何処に行ってしまったのでしょうか? あれは噓だったのでしょうか? 私にあれ程の啖呵を切ってオチがこれとか恥ずかしくないのかな。
あるいはようやく自身が行ってきたことに目を向けられるようになり、羞恥のあまり証拠隠滅を図ったのかもしれませんが、それならいっそのこと全てのIDもろとも消せば多くの人が喜びますよ。
結局、あさひ(=id:tyoshiki)はこういう人間なんだねってよく分かる事例だったと思います。やばくなったら消すし消せばなんとかなると思っているAnonymous Coward。どおりで増田がお似合いなわけです。
ほんと可哀想な人。
*追記
・べるんさん、本当に申し訳ありませんでした - あとのまつり
謝罪文が掲載されたので読でんみるものの、私に申し訳ないと思っているならばなぜ文章の合間合間にある「僕は悪くない」を匂わす言葉の数々は一体なんなんでしょうね。そもそもあなたが同種の体験をしてようやく私にしてきた卑劣な行動に気が付き反省をしたことを語るのが意味不明だし(そんな話をして同情でもして欲しいのかな?)、あなたが機能不全家族の元で暮らしてきたのかは知りませんがそれと当該漫画を1話から読みさえせず特定の話数だけ読んでしたり顔で語ればそりゃ「物語を読めてない」という批判はくるのは当たり前。内在的文脈を無視して自分が語りやすい文脈で話しているのだから「このビッグウエーブに乗ってみた的に書くのは失礼」と言われるのも別段おかしくはないし、タイトルにある「作者の願望」ってなんなんだろ自分の願望を作者の仮託しないと漫画を読めない人なんでしょーかね。そして同じ体験をしなければ5ヶ月も経て自分がしてきたことにも気づけないとは真っ当な人間関係を青春期に送れずそのまま年食ってしまったのかなと邪推しちゃうし、私が腹を立てた理由を想像した結果
「自分なりに頑張って書いた記事を頭ごなしに分かってない、とか簡単に切り捨てるなよ」「昔からランスやってれば偉いのかよ。そこまで言うならお前がランスについて俺より面白い記事書いてみろよ」って思ったでしょう。
としか図れない時点でこの人は他者読解力がまるでなく、私が今まで書いてきた応答記事も全く読めていないことが分かります。文字も読めないって相当だな。それに作品評価に開発リソースを勘定にいれる味噌汁屋にまともな作品評を求めるわけがないですし、あなたの擦り切れた感性に一体何を期待すればいいのかわかりません。*2私が怒っているポイントは「"あなた"という愚図で、愚劣で、卑怯で、付きまとい行為を悪びれず平然と行っている人間に接触される」ことであり「自分の発言にさえ碌な根拠も言えない」この2点に集約されるのをな・ぜ・かあなたが体験してきたものと【同じ】だと見做されるのはどういうことなのでしょうね。類推することが悪いわけではないけど、にしても焦点がズレててお話になりません。へたくそなにんげんごっこは勘弁してよ。さらにこの謝罪文の何が意地汚いかというとその実態は謝罪文を装った自己弁護の記事だということ。あのね、謝るなら素直に謝りなよ。なにが「今は、私が悪かったと素直に思います」だよ。「今は」ってなに?どこが素直なの? そして「気持ち悪い」と書くのが謝ってるとか冗談でしょ。
べるんさんごめんなさい。
私のランス03の記事に対する私のコメントがものすごいムカつくものだったってことが、同じ目にあって非常によくわかりました。
べるんさんも、私のコメントを読んで「自分なりに頑張って書いた記事を頭ごなしに分かってない、とか簡単に切り捨てるなよ」「昔からランスやってれば偉いのかよ。そこまで言うならお前がランスについて俺より面白い記事書いてみろよ」って思ったでしょう。
今更ですが、酷いコメントを書いてしまったなと思います。
今は、私が悪かったと素直に思います。
私は、あなたが私に対してそう思っているであろうように、あなたのことが嫌いだし、あなたが今回やってきたことやそのあまりの話の通じなさについては非常に気持ち悪いと思っています。
今まで取り上げたことだけでも、あなたが全く反省していないことが分かるし、例え反省していても数日後には綺麗さっぱり忘れるてまた同じことをヤラかすくらいのものでしかない。Aさんに金輪際関わらないと自己宣言してからその2週間後に手の平返して関わり続けたように。それも自分が文章を読めないこと・根拠が言えず挙句の果てには記事を消して無かったことにしたのを棚に上げて「話し合いの通じなさ」を私のせいにするのって本当に知性を疑います。大丈夫?一度誰かに相談したほうがいいよ?
あと私にしてきた嫌がらせ・迷惑行為も同時に棚に上げて「自分にされたことだけ」を取り上げてドン引きしたとか書かれても何言ってんだろこいつとしかならないわけ。お前がストーカー行為している方がよっぽど気持ち悪いし、そしてそんな自分自身のことを客観的に見つめられないあなたの人格が、性格が、行動が、全てが気持ち悪いことに早く気付ければいいね。(まあ無理だろうけど)
さらにさらに物語読みとしてつまらないと言っている人間が、どうして、私のブログを何年にも渡って読み続けているのだろう? つまらないと思う分にはそれでいいけどその気持ち悪い程の執着ぶりは異常でしょ。矛盾だらけだなー。それともこの人の中では妙ちくりんな理屈で誤魔化せてしまうのだろうか。
私は、あなたが以前私に対してそう一方的に告げたように、私もあなたとは二度と関わり合いになりたくないと告げます。
もし本当にそう思っているなら二度とこのブログは読まないだろうし、私に関わることはないと。覚えておきなよ。自分が言った言葉を。もしまた私に絡んできたらこの(疑似)謝罪文をあげつらってあなたが如何に嘘つきで、反省なんてしておらず、匿名日記で他者を攻撃する卑劣な人間かを再び晒し上げるので。
それでも、今回の騒動において、発端が私であること。そしてその私のコメントが言われた側として非常に腹が立つものであり、べるんさんが怒るのは無理もなかったこと。言い合いになった時も私はまず始めの発言を詫びてから冷静に話し合うこともできたのに喧嘩腰で接してしまったことは間違いありません。
心の底よりお詫びします。本当に申し訳ありませんでした。
貶し・自己弁護が紛れた上っ面な謝罪はうんざり。ていうかこれが40近いおっさんがしている事だと思うと悲しくもなったりする。(可哀想な人だなぁ……)
*追記
- tyoshiki謝罪文を掲載→私がその謝罪文を批判→tyoshiki自分の気持ちを受け入れて貰えないことに憤慨したのか追記にて攻撃しはじめる。
という流れでの今回の追記だが、どう考えてもこのtyoshikiの態度は謝っている人の態度ではないし、これを謝罪文だと思っているのならば頭がおかしいとしか言いようがない。おかしいのは前から知っていたのだが、それにしてもね。
よその増田の意見を持ってきて――自分の言葉では言えなかったのか?――話を蒸し返そうとするのもそうだが、自分の都合の良い部分だけを引用して下線を引いているのすごい笑えます。
一応言及しておくと
"気に入らない人間から悪口を言われて怒りにまかせて逆襲したものの、予想以上に手ごわくてたじたじとなる、だが負けず嫌いの性格で後には引けないぺ氏…という方が私の印象に近い。"
結局まともな反論することが出来ず全ての記事を削除した人がこれを引用するの?(笑)
"たじたじとなり" 尻尾巻いて逃げて謝罪記事を掲載したあなたが何を言っても負け犬の遠吠えでしかないんだけど……。それを「他の人もこう言っている!」と嬉々として取りあげるのめちゃくちゃダサいので勘弁してよw
なんだろ私もあなたをボロクソに言っている増田を持ってくればいいのかな。
そもそもこの増田は「D氏のこれは主張ではない。単につまんねー…という文字どおり便所の落書きレベルの悪口である。」と言い、つまり主張ではないのだからそれに理由を求めても仕方がないとしているが、私からすれば既にここからおかしい。
「アホ」「開発リソースは無視かい」という意見にも理由は求められるし、それを感情論や印象論ですまそうとするならばその意見が"通る"道理はない。その主張の妥当性を求めるのは議論のルールでしょ? 何勝手に「この意見は俺からすれば"主張"ではないのだから立証責任を求められる必要はない」なんて言ってるんだろ。
もし仮にあらゆる意見/主張に根拠の提示が求められないのならば、言ったもん勝ちであり、主張すればするだけそれは"通る"ということになる。しかしこれではその意見/主張が妥当か否かの是非はつかないし、結局その話し合いにに決着がつくことはない。
そしてそういった方法を執り行うのが『無敵くん』と呼ばれる存在であり、話し合いの場では最も忌避するべきものだと私は以前語った。
発端となったランス03の記事に関して、私は私自身が感じた「つまらない」という主張にだって根拠を示しているのに対し、しかし何故か、tyoshikiだけはそれから免れるという増田の不思議論法は一体全体どういうことなのか説明できるんだよね?
…あのねー、肩を持たないとか言いながら実際は肩を脱臼する入れ込んでるこの増田の筋違いの主張をって、これこそ明らかに"大きな矛盾"になっているんだわ。(増田とtyoshikiの主張が類似しているのは…もしやこれは……)
そして「主張と根拠」の関係について何度も指摘しているにも関わらず、tyoshikiは当該箇所を引用してくるあたり本当学習能力ないんだなあとしみじみしてしまう。いい加減覚えようよ。
"自分は他人の感想にどんどん攻撃を仕掛けていくのに、自分が他人から攻撃されると頭に血を上らせてしまう。これは少なくとも私から見れば、大いなる矛盾である。あまつさえ他人への悪口を裏ブログに堂々と書いて、悪びれもしない。"
tyoshikiは他人の記事にどんどん攻撃を仕掛けていくのに、いざ自分が他人から攻撃されると頭に血を上らせてしまう。これは少なくとも私から見れば大いなる矛盾である。あまつさえ他人への悪口を裏ブログ・はてなハイク・匿名日記・Twitterに堂々と書いて、悪びれもしない。
と言えば理解して頂けるのだろうか。増田は私に言っているようで、その実文章の原理的にはあなたも同様に批判されているのだけど……そこを無視して(もしかして気づいてない?)引用してはしゃいでいる所がすごい。流石。
そもそもレビューを批判(=根拠ある否定)することを私は咎めていないし、むしろ推奨し、当然だとさえ思っている。あらゆる作品が批判され賞賛されるように、あらゆるレビューもまた批判され賞賛されるのはそれが衆目に晒されたならば仕方のないことだと以前から語っている。増田は「bernは批判されて怒っている」と勘違いしているように思われるが、今回の件の最初から私が怒っているのは「tyoshikiの批判が批判足り得ない」ことを理解していない。つまり増田が言うように便所の落書きレベルの悪口にすぎないtyoshikiのツイートは、本当にクソみたいな代物だし、それを糾弾されない理由はないし、むしろあれ程の大言壮語をぶっ放しておいてよくよく聞いてみれば「根拠はないけどそう思ったんだー」なんて言われたら大抵の人はキレると思うがね。
そこに"悪びれ"る理由なんてこれぽっちもないし、そういった前提から勘違いをしている増田の意見を採用して、堂々と謝罪文に追記するtyoshikiは反省していないどころか精神に異常があるのか疑いたくもなる。
特に争点にはなっていないはずのD氏の外部情報を積極的に攻撃している現状を見るに、ぺ氏が普段声高に唱えている内在的読解の質についても疑問が生まれてしまう。(中略)ましてぺ氏にそれができるようには全く思えない
私は内在的読解を「作品」に適用することは語ってきたけど、一度も「対話/人」においてするべきだなんて言ったことがないんだけどねえ。
もしも「作品批評の方法論を「対話」においても適用されなくてはいけないのだとするならば、『マルクス主義批評』を主としているものは他者との対話時においても相手の発言に社会背景から物流、政治を鑑みなければいけないのか? 『脱構築批評』を主としているものは相手の発言すべてを脱構築しなければいけないのか?――なわけないでしょうが。そんなのしたらそもそも会話すら成り立たない。
増田とあんたはそれを「対話」においてもやれと言っているわけ。当然の疑問として、何故、私が内在的読解を対話に適用しなければいけないのか?と聞いているのにそれにも答えられない。ならばそれをやる道理はもちろんない。
もしかしてここまで言っても分からないのかな?
さらにあなた自身は自身の批評スタイルを対話において適用にしていないにも関わらず、何故か、私にだけそれを求めるのは公平ではないんだけどそこも無視してさも当然だと思っているところが阿呆すぎる。
味噌汁屋なんだから私の文章に開発リソースや舞台裏を見い出せばいいんじゃないの?私(=作者)の意図を読み取りなよ。出来ないの?なんでしないの?ん?
- 「何故批評方法論を『対話』においても適用しなければならないのか?」
- 「何故私だけは強いられ、あなたは批評方法論を『対話』に適用しないのか?」
ここに妥当性ある理由があるならば提示しなよ。出来ないんでしょ?わかってるわかってる。この人は「根拠は言えないけど、主張が通る」と思っている無敵くんだから仕方ないのだけど、いい加減、根拠がない主張は何の正当性をもたないことを理解できないのかなあ。
そもそも最初に「今回の件」を放り投げて「過去」を持ち出したのはtyoshikiだったのは、増田はどう見てるんでしょーねー。tyoshikiは私に対して「過去」を持ちだすのはアリだけど私がtyoshikiに対して「過去」を持ちだして批判するのはナシって論法がよく分からないので説明して。
ついでに「多数のランスレビューを取り上げたこと」について増田もあなたも理解できていないようなので言っておくと、
あなたという卑劣な人間が、今なお私に関わり続けようとしたことが今回の議論の引き金になっている。ランス03の稚拙な主張ももちろんあるが、あなたが何故私のランス03記事に言及したのか? その動機についてもまた争うべき点である。
↑は「何故他のランスレビューを批判はせず、私"のみ"を批判するのか」ということである。
一見すればこの論法はおかしいと思うかもしれないが、それは「他のを引き合いにして当該問題を有耶無耶にする」といった場合だけだ。おそらく増田とあなたは"そういうふう"に理解しているのだろうが、
私が問題にしているのは「他のを不問にし、特定のものだけを問題にする」ことについてであり、それについて説明する義務が生じていると言っているに他ならない。これを『正義原則』と呼ぶ。つまり同じ本質的範疇にさらされたものは同じ結果を生み出すべきという事で、そうでない場合、何故そうではないのかを問いただせるということでもある。
これは香西秀信氏の『レトリックと詭弁』について詳しいので、詳しくはそちらにゆずる。
もしそのアメリカ人が、本当に捕鯨は「悪」であると思い、それゆえに日本の捕鯨を批判するのであれば、彼には、なぜ自国の捕鯨は不問に付し、日本のそれだけを問題のするのかということについて説明する義務があるということです。
伝統的な論理学では《tu quoque》は第十二話でもとりあげた「論点の摩り替え」という詭弁(虚偽)に 分類されてきました。確かにこの場合も、論点は、日本の捕鯨ははたして是か非かということから、なぜ日本の捕鯨だけを問題にするのかということに「摩り替 え」られます。が、それは本来優先して検討すべき論点に「摩り替え」られたのです。あくまでもこの問題を持ち出してきたのはそのアメリカ人なのですから、 私達が日本の捕鯨について弁明するよりも先に、彼が自らの首尾一貫していない態度について弁明する責任を果たさなくてはなりません。これが正しい議論の順序です。
――レトリックと詭弁(p156)
今回の発端であり、また「開発リソースを無視かい(=無視してはらない)」と批判したあなたにはなぜ特定のレビューのみを批判するのかの説明する義務が生じるということ。
あなたというネットストーカーでありルサンチマンの塊でありナルシズムの檻に閉じ込められた醜悪な人間が、なぜ、絶縁状を叩きつけられた相手(つまり私に)今なおまとわりつくのか。接触するなと言っている相手に幾度も近づこうとするのか。派生的ではあるがそういった説明をも求めているということだ。
いい加減、ご自身がどれだけ気持ち悪いってことに気づいてほしいんだけどねー。
今までの流れをまとめると
- 私、ランス03レビュー投稿
- tyoshiki、Twitterで当該記事を批判する
- Twitterで行われた批判に根拠を求めるものの、tyoshikiは答えられず、あまつさえ「根拠などない」「本当に言いたかったことは」と場当たり的な態度を取りはじめる。
- 私は「自身が発言したことにさえ理由を提示できない」とtyoshikiを糾弾
- tyoshiki反論するものの、後に全ての反論記事を削除し、謝罪文を掲載
- その謝罪文には貶し/自己弁護が紛れたものだっため、批判する
- 後に、tyoshikiは追記として増田の意見を引用しはじめるが的はずれなものが多く用をなさないものを誇らしげに披露する。またこの事によって「謝罪」という気持ちがまるでなかったことを露呈してしまった←今ココ
Twitterを削除したり、名前を頻繁に変えたり、ブログ名を「歴史マンガはいい文明」(←なにこれ苦笑)に変えて、反論記事を全て削除するみっともなさを見せたと思ったら、
今度は自己弁護が見苦しいまでの謝罪文を掲載する。
挙句の果てに私に対する謝罪文のはずが匿名日記の意見を持ってきて自身の正当性を見せつけようとする――それは全く果たされていないのがとても残念である――それは、ホント小物臭がすごい。
さらに運営に侮蔑表現の削除依頼を要請しておきながら、自分自身はしれっと私に対して侮蔑表現を用いているところがマジで頭のおかしい人間だなあという評価しか下せないし、ああ、こういう無責任で一貫性の欠片もない人間っているよねと思っちゃう。
ああ、やっぱり、この人は卑怯なヤツだったか(tyoshiki=@ddrdaisuki)
ふと疑問に思ったことがある。
この増田は私とtyoshikiを「べるん」と「ddrdaisuki」と呼びならしているけど、通常ならば私を「べるん」というHNで呼びならすならば、片方もまた「ddrdaisuki」ではなく「tyoshiki」と呼称するほうが自然だろう。あるいは彼の数多あるHNの「02」や「よしき」等のいずれかを呼びならすと思いきや、HNでも何でもないTwitterのIDを名称として持ってきている。何故?
もしこの増田が"tyoshiki"のストーカー歴・過去を知らないならば、今回の件を読んで、今回の件しか知らないために、私が記事タイトルに掲げた"ddrdaisuki"を取ってそう呼称するのは納得はいく。
しかし増田は "D氏が他人に対して厳しい物言いを何度もしているのは再三目にしており" と言っているため、かなり前からtyoshikiのことを知っているということになる。それなのにTwitterのIDを持ちだしてくることに引っかかりを覚える。tyoshikiの名前を明示化したくない理由でもあるのだろうか。
例えば周囲の目を異常に気にし、周囲の自分への評価を異常に気にし、自身の醜態をあらわにすることを殊更に嫌うtyoshikiのために彼のHN「よしき」「あさひ」「TM2502」を使うのではなく「ddrdaisuki」と表記したとでも言うのだろうか。
増田はあくまでも「べるんのレビューは面白いけど言動がひどいし、ddrdaisukiの言い分は便所の落書きレベルで肩を持つ気はないけど」と言いつつも、その実、片方に批評スタイルで会話することを強いて、もう片方にはそれは課さないという意味不明な論法を取りはじめる。
これは一体何故なのか?
普通に考えれば対話に批評方法論を用いることがおかしいことに気づくし、仮に万歩譲って適用するとしてもそれは片方のみではなく両方に適用されるという考え方になるのではないか。
"D氏の肩を持つ気もあまりないのだが" と言っているならば尚更にこれがおかしなことくらい分かりそうなものだが……。
さらに言えば、
第三者から見て、D氏のこれは主張ではない。単につまんねー…という文字どおり便所の落書きレベルの悪口である。
と言っておきながら最後の方では
"ぺ氏ほどの理不尽さは感じないものの、D氏が他人に対して厳しい物言いを何度もしているのは再三目にしており、それ自体
第三者としてはなるほどと思わされる事もあるし面白いとは感じるものの、自分がその標的になったらと考えると辛い。
もし私が同様の絡まれ方をすれば、ぺ氏のようにまくしたてたりはしないだろうが、煙たがってブロックぐらいはするかもしれない。
厳しい読者、というのは欲しい人にとっては得がたいものではあるが、のん気にてきとーな事を書きたい者には歓迎されないだろう。"
と言っているのである。
"厳しい物言い"???
厳しい物言いというのは主張に棘があり、攻撃性が含んだものを指す。しかしその前提として「真っ当な主張」が「厳しい文調で語られている」を指し示したものに他ならない。
根拠ある意見、理由がある主張、理屈ある表明――こういったものがキツく語られた場合「厳しい物言い」と言うのだ。
しかしtyoshikiがしているのは当の増田が言うように "便所の落書きレベルの悪口" にすぎない。
つまり増田はtyoshikiを「便所の落書きレベルの発言をしている者」と見做しているにも関わらず、文章を下れば「厳しい物言い」と判断するor表現を柔らかくするのはとても不思議ではないか?
気に入らないレビューをクサし貶すものの理由を聞かれれば答えられない読者(=tyoshiki)なんてものが "得難いもの" だって? 勘弁してよ(笑) こんな読者誰も欲しがらないしむしろ産業廃棄物として処理したいレベル。
"厳しい物言い" とすら呼べない "便所の落書きレベルの悪口" に対して「厳しい読者、というのは欲しい人にとっては得難いものだ」とtyoshikiを持ち上げる増田は実に素晴らしい感性だと思う。
逆方向に。
さらに言えば、増田の私への批判は――言動の汚さ/批評方法を対話に取り入れなければならない/多数のランスレビューを取りあげる是非etc――以前にも同様の主張をtyoshikiが行っているところが興味深い。
内容も殆ど同じであり、そして何故か「ある種の論法が私には適用されるけどtyoshikiにだけは適用されない」ところも酷似している。tyoshikiもまた自分は適用されないルールを相手に押し付ける人間なのだが、この2者の奇妙な一致は何を意味しているのだろうか。
この増田は私のブログを定期的に読んでいる節も観られ、以前書いた「作品を語るときに何故あなた外在的文脈を使うんですか?」を持ちだして私が対話に内在的読解を適用しなければおかしい!と指摘する。
しかし私のブログを読んでいるならば同様に、私が批評文物への批判(=根拠ある否定)を肯定していること、また内在的読解を反解釈で否定していること、そして「内在的読解を人間の会話に適用するべきだ」なんて事を言ったことがないのも承知しているはずである。
つまり作品批評方法論を、対話に適用すべきだ、なんて意見は間違っても出ないはずなのだ。
けれどもしもそのような意見が出るのであれば、(今回の件に限れば)私が知る中で誰が言い出すかといえば一人しか該当しない。
それは作品と作者を切り分けられない人間であり、作品に対して未だに作者探し・作者の意図探しをしている人物である。「作者=人」という意識があるからこそ「作品=作者(=人)」になるし、作品を対象にする内在的読解の適用をニンゲンにしろと呼びかけるおバカさん。
私が書いたランス03レビューにはアリスソフトの過去作である『戦国ランス』『鬼畜王ランス』に触れて語った。私は内在的読解を優先しているし、そうするべきだとも思っているため、当該レビューは普段とは毛色が違っている。そういった流れの中でtyoshikiの9/9ツイートにはランス03とメーカーの過去作品を引き合いにすることに対して「開発リソースは無視かい」と当該レビューを批判したわけだけど(その主張に私は理由を求めたがtyoshikiは答えられなかったことは置いておくとしよう)
逆にいえば「内在的読解をべるんはしなければいけない」という思惑を持っていることが誰かなのも明白になっている。
つまり、こういうことだ。
今回の騒動を読んだ第三者が偶然にも "増田" と呼ばれる誰が書いたかは開示されない匿名的場所で意見を書き、tyoshikiの肩は持たないと言いつつも「tyoshikiは発言の根拠を示さなくてもよい」し「批評方法論を対話に適用するのはべるんだけであってtyoshikiはしなくてもよい」し「彼の発言は便所の落書きレベルの悪口だが、厳しい読者というのは欲しい人にとっては得難いものだ…」と語り、そして増田が語った内容のほとんどはtyoshikiが尽く消した、全て消した、自らの反論記事に近似したものであったのもたまたま偶然であり、その増田の奇妙な意見をtyoshikiがたまたま見つけ謝罪文に採用したのもこれまたたまたま偶然だったのだろう。(オッカムの剃刀)
いくらtyoshikiが『匿名日記』という場所が居心地がよくて文責を負わなくてもいいからこそ入り浸り続けては気に食わないことがあれば幼児が癇癪を起こすごとく地団駄を踏むようにしてA氏やK氏をねちねちと攻撃する粘着質で矮小なニンゲンだったとしても、流石に自ら書いたものを『第三者の意見』だと偽り、自らの正当性を確保するために、「ボクと同じようにあなたにドン引きする人が居ました」と黄ばんだ声で凱歌を上げるなんてことは、まさかしないだろう。まさかね。まさか。
きっと↑のような第三者が偶然にもどこかにいて、増田とtyoshikiが同じ箇所で、同じように理解が及ばず、同様の批判をするのは本当に興味深い所なんだけど、きっと私の説明が至らなかったせいで両者とも理解できなかったのだろうネ。