政界がざわついている。発端は石破茂・前地方創生相の新刊「日本列島創生論」(新潮社)の出版である。
「これが石破さんの政権構想なんだ」「安倍晋三首相への対抗じゃないか」——。
そんな声も聞こえてくる。本人はなにを思うのか。
BuzzFeed Newsのインタビューに応じた。
石破さんはなにを語るのか?
「アベノミクスへの対抗だとか、安倍対石破だとか言われるんですけど、そういう話は興味ねぇんだなぁ。そう書かないと新聞が売れないからじゃないですかねぇ」
石破さんは、少しばかり冷めた口調でこう語る。
石破茂・衆院議員(自民)、60歳。鳥取県知事や自治相を務めた父の死を受けて、政界入り。
1986年に当時の鳥取選挙区から出馬し、29歳で初当選を果たす。防衛相、農水相などを歴任したーー。
防衛問題に強い議員として、テレビでもおなじみだ。
石破さんが一躍注目を集めたのは、野党時代の2012年総裁選だろう。
最終的に、国会議員票を集めた安倍氏に逆転を許したが、地方の党員・党友票では圧勝した。
地方人気の高さを見せつけたといえる。そして、安倍内閣では地方創生担当相を務めた。
石破さんのアベノミクス評価
政界をざわつかせているのは、著作の中で安倍晋三首相が進めるアベノミクスへの評価をはっきりと書き込んだためだ。
それも、処方箋付きで。
「アベノミクスとは何か。一つは大胆な金融緩和であり、もう一つは機動的な財政出動でした。その結果(中略)デフレ脱却に大きく貢献しました。しかしながら、この二つだけでは限界があることもまた、正視する必要があります」
「生活が上向いた」という実感がもてない人に、アベノミクスの効果が波及するかどうか。
「今のままでは、その保証はない」と断じた。
そして自身の強みであり、担当してきた「地方創生を中心とした成長戦略」を「日本復活の処方箋なのです」と主張する。
アベノミクス、その先へ
ここまで書けば、いくら本人が「興味はない」と言ったところで「地方」を軸にした政権構想と捉えられるのではないだろうか。
私が育った鳥取はね、昭和40年代〜50年代(=1960年代半ば〜80年代半ば)は活気があったね。
国会議員になったあと、どんどん過疎化する地方をみてきた。
だからね、私の地方活性化はライフワークなんだ。
防衛のイメージばかりが強くなったけど。
この本は、アベノミクスへの対抗ではない。その先を示すものなんだ。
アベノミクスの金融緩和で円安、株高になった。財政出動もあった。
マクロ経済的には正しいですよね。
でも、それだけでは限界があるから、その先が必要なんです。
東京と地方は運命共同体
2016年の参院選、自民党は秋田を除く東北で、そして新潟などでも野党に敗れて議席を落とした。
地方に強いはずの自民党が、である。
「私も(議席を落とした選挙区で)演説をしたが、『株価があがって嬉しい人』って聞いても手が上がらないんですよ」
「その先」のためにこそ、地方の力を引き出すような政策が必要なのであると口調は熱を帯びる。
地方に機能を移転させた大企業、A級グルメを目指し田んぼの中に建つ一軒家のレストラン、JR九州が投入した豪華列車「ななつ星 in 九州」ーー。
地方の生産性はまだまだ上がること、つまり「伸び代」があること——。
ガラス製の大きめの灰皿を手元にぐっと引き寄せ、タバコに火をつける。ふぅっと一息ついた。
そして、石破さんは「富める東京」対「置き去りにされた地方」という構図を作りたくないのだ、と続ける。
東京と地方は、運命共同体ですよ。
東京がこれから直面するのは、大規模災害であり、超少子高齢化です。
東京の負荷を減らさないと、東京はその力を発揮することはできない。
地方が発展し、雇用と所得を生み出さないと、東京の一極集中はとまらない。
(この本で書いたのは)東京の富と人をばらまくのではなく、東京の負荷を減らすプロジェクトである。
地方対都市という構図は作らない。
地方には伸び代がある。政治家として取り組めることは多いんです。
地方に帰りたくても、地方に仕事がない。ならば、帰りたいという思いを実現できるような政策に取り組むべきなんです。
地方対東京という構図そのものを変えたい。
だから書名を「地方創生」ではなく「日本列島創生論」としたんです。
<田中角栄>に学んだこと
書名は政治の師と仰ぐ、田中角栄元首相が総理大臣になる直前、1972年に発表したベストセラー「日本列島改造論」になぞらえている。
高等教育を受けずに、総理大臣にまで上り詰めた昭和を代表する政治家の一人だ。
なにを思い出すのだろうか。
田中先生は神みたいな人だから……。
私のような凡人にはおよそ近づけないような、空前絶後のキャラクターに人々は酔ったんです。
でも、受け継いでいるものもあります。
それは、東京の一極集中を打破して、地方を発展させないといけないという思いです。
田中先生は新潟選出で、私は鳥取。同じ日本海側ですからね。
選挙に出たときに「いいか、歩いた分しか票はでないんだ」と叩き込まれましたねぇ。
だから初めての選挙は、県境から歩きましたよ。1日200軒、300軒と歩いてね。
はじめは「お前何しにきた」だけど、当選を重ねて、何回も通っていると「よく来たね」となっていく。
そうすると、やっぱり票が伸びるんです。
田中先生は選挙のときに大集会をやるな、とも言ってましたね。
労力がかかるし、成功したら選挙が終わった気分になる。
そのあとの選挙運動がおろそかになるという教えだわね。
だから、いまでも2000人、3000人規模の大演説会より、ちっちゃな集落や町内会でお話しするのが好きなんだよね、私は。
選挙区をしっかり回ることの意味は、政治家がちゃんと政策を語ることで政府・与党への共感をもたらすことにあるんです。
地方の人たちが、俺たちのことをわかってくれてると思うことが大事なんですよ。
やっぱり総理になりたいですか?
石破さんはいまも、各地方を精力的にまわっている。もちろん自身の政策を語るためだ。
インタビューをした日の前日は水戸にいた、おとといは地元に、その前は宇都宮——といった調子で、訪れた地名がぽんぽんとでてくる。
「まだ面にはなっていないが、点はどんどん密になっている」と自身の活動を語る。
ここまで話を聞いて、ある一文を思い出した。
田中角栄政権の一面を描いた、ルポライター・児玉隆也が「淋しき越山会の女王」で記した言葉である。
田中角栄は児玉のインタビューにこう話している。
「大臣なんて、なろうと思えば誰にでもなれる。だが、総理総裁は、なろうと思ってなれるものではない。天の運というものがある。すべての準備をととのえて、公選の前日に車に撥ねられる、ということもある」。彼は、その総理の座を”天の運”と“すべての準備”の上で掌中にした。(「淋しき越山会の女王」より)
天の運と、すべての準備ーー。
点を密にすることを一つの準備だとするならば、それが面となった先になにがみえるのか。質問はこうだ。
ーー人口減や東京一極集中をあげて、日本は「有事」であるとまで書いています。有事を乗り切るために必要な政策を総理大臣として実現したい、という思いはありますか?
間髪入れずに石破さんは答える。
総理大臣は自分の命を削る仕事ですよね。ならないで済むならこんな幸せなことはない、と本心から言える。
しかし、誰かがやらないといけないときに自分の幸せが大事だから、私はやりませんということを、政治家なら言ってはいけない。
選挙区の声
予定の時間を少し過ぎたころだ。
秘書が入ってきて、石破さんに青いポストイットを差し出した。
さっと目を通し、くるくると丸めて、吸殻がたまった灰皿の中にそっと置いた。
次の約束が控えているんだ、といいながら、こんな話をしてくれた。
やっぱり、もう一度、選挙区を歩きたいなぁ。いまは帰る時間がないんだわ。
たまに帰っても「あんたいいの?こんなところいて。かえってこないでいいから」だよ。悲しいよね。
「まぁそれでも」、と続ける。「1回目の選挙に比べたら夢のような話ですよ」。
悲しい、と言いつつ表情はどこか柔かい。
かえってこないでほしい、は次を目指してほしいという激励でしょう。
そう質問すると、石破さんは「そうかもしれないですね」と軽い笑みを浮かべ、そっと席を立つのだった。
バズフィード・ジャパン ニュース記者
Satoru Ishidoに連絡する メールアドレス:Satoru.Ishido@buzzfeed.com.
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