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HyogoKurumi.Scribble

私はこの社会が省略した事柄を言語化している人です。

自分がストーカーになりかけた話をする『全ての思考の出口にAさんがいる状態』

【エピソード】
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 女性アイドルがメッタ刺しになる事件が起きた。犯人は男性ファンの若者らしい。
 この類の事件の話を聞くと、過去に私自身がストーカーになりかけたあの頃の日々を思い出す。

 記事をいつも読んでくれている読者様向けに言うと、時系列としては『お家の自己破産→一人暮らし→ココ!発達障害診断→歩き旅→…』で、歩き旅前の一人暮らしをしていた時期である。今から8年ほど前のことだ。この〝ストーカーなりかけ事件〟は、自分が発達障害の診断を受けに行くきっかけにもなった事だ。

 家までストーキングしたり暴力をふるったりと、そういう具体的な事はしなかったが、夜中に何度も電話をかけたり、何もされていないのに相手の事を憎んだりと、行動面でも精神面でも普通は越えない一線を越えてしまっていたという自覚がある。あの頃の自分の思考回路はかなりぶっ壊れていた。でも当時は、自分の事を冷静元気だと思っていた。

 今回の記事では、当時の心境や自分の状態を余すことなく記そうと思う。これを読んで、『自分も危ないかも』と、そう思えた人は早めに何らかの対策をしたほうがいいだろう。まず食生活の見直しと、適度な運動を日常に取り入れよう。継続できないなら病院に行くとか、友達に相談するとかして、とにかく、自分がその相手のことを考えないように仕向けよう。


 私が23歳の時、家業経営の飲食店が経営破綻して自己破産した。数年前から自転車操業状態だったし、どうしようもない選択だった。店舗兼住宅だったので、住むところもなくなる。それを機会に私はM県から隣のA県で一人暮らしを始めた。

 実家がある内に仕事を見つけ、住むところもその職場から近い所にアパートを見つけた。季節は夏。9月か10月だったかな。
 見つけた仕事はデバッグと呼ばれる、デジタル製品の動作チェックを行う業務だった。未経験だったけど、私は大きな自信をもっていた。

 この頃、私はまだ発達障害に関しては未診断で、でも書籍などでその知識はある程度知っていたから、自分にも似た特徴が多くある事を自覚していた。いわゆる『グレーゾーン』状態である。私は31歳でアスペルガーの診断を受けるが、それはもっと先のことだ。
 この発達障害との関わりがあったから、私は仕事に対して大きな自信を持っていたのだ。なぜなら、私は中学の頃からこの特徴を自覚していたからだ。
 発達障害の事は成人後に知ったが、ネットや本に書かれている特徴のほとんどは実体験を通して知っている事だった。「医学の勉強もしていないのにそれ同等の知識を持っているんだ」という感想が、私の中では客観的な事実として思考回路に組み込まれていた。
 ……ちなみに「発達障害の本を読んだら自分の事が書いてあった。ずっと思っていた事が書いてあった」と主張する当事者は全く珍しくない。これまでの関わりから言わせてもらうと、かなり多いはず。自分は障害者なのかもしれないという可能性を得て落ち込む人もいれば、私のように自信に繋がったという人もいるのだ。

 「なぜなら」に値する説明になってないぞと言われそうなので、そろそろ話を戻そう。発達障害特徴との関わりを通して私はずっと人の事を考えてきた。何が普通で何が異常なのか、というテーマだ。対してデバッグは、仕様書を参考にして動作をテストし、仕様通りなのかを確認する業務だ。正常か異常かを見極めてそこからさらに考える事が求められると踏んだ。人と機械で対象は異なるが、そういう精神はデバッグも同じはず。この業務に求められる意識は、それまでの人生の中で私が日常的に向き合ってきた意識を、そのまま活用できると思ったのだ。


 そんなこんなで一人暮らしとデバッガーとしての日常が始まったのだが、仕事はぜんぜんできなかった。チェックした内容や結果をすぐに忘れてしまう、確認した動作の説明ができない、ミスをしないようにと確認ばかりでなんでも時間がかかる、映像記録用のカメラや機材のスイッチを押し忘れる、作業説明など人の言葉が頭に残らない、聞こえない音が聞こえてしまうなど、今ならどう考えても病院で然るべき検査をしたほうがいいと思える症状をいくつも抱えていたわけだが、これらは自分の経験不足で、仕事を覚えれば解消されると思っていた。

 業務内容自体は簡単な操作の繰り返しだ。テクニカルな操作や知識を要求されるものはベテランに任されていた。自分みたいな新米がやるチェックといえば、例えば、モンスターに魔法を撃った時のダメージをメモするとか、魔法のグラフィックがちゃんと表示されるかをみて○×をメモするとか、その程度のことばかりだ。その簡単な操作を毎回繰り返し成功させることがとても大変だったのだ。「今日も思い通りにできなかった。次は挽回しよう……」と思いながら帰る日々が続いた。

 仕事は夜勤の時間帯だった。少しでも収入を増やす為と、万一の時は日中に掛け持ちをする為だったが、デバッグの仕事ははっきり言ってかなり疲れる。接客業のように声は出さないし、肉体労働じゃないから体も使わない。席に座ってモニターと向き合いながらコントローラーやキーボードを操作をするだけ。時には見てるだけ。それを7時間くらい続ける。他の人と喋る機会も、仕事中は報告や相談の時くらいだった。
 この類の仕事をやった事があるならわかると思うけど、とにかく意識面の疲労感が大きい。ずっと体を動かさないから、仕事が終わった後も解放感は乏しく、体が酷く重い。この仕事のあと掛け持ちの仕事ができるなんて人は、相当奇特な体質の持ち主だろう。

 十二月。一人暮らしを始めて二ヵ月くらい経った頃から、生活に難易度を意識するようになった。一人暮らしはやっぱり大変だ。炊事洗濯の苦労やお金を稼ぐ事の大変さは想像していた以上だった。それでもなんとか年を越す事ができた。生活を始めたばかりの頃はお金がぜんぜんなかったけど、貯金もちょっとずつできてきた。仕事も凡ミスが多いだけで、できないわけじゃない。気持ちにも余裕ができてきた。

 そして年が明けた二年目、3月頃だったと思う。同じ時間帯に勤めている女性のスタッフと一緒に仕事をする事になった。その人は夜勤で唯一人の女性で、体格は小柄で顔立ちは二十代前半という印象。周りが男だらけなせいか、誰かと雑談してる場面を見た事はない。超絶おとなしそうな感じだけど、性格が暗い感じもない。たしか2~3年かそれ以上勤めていると聞いたことがある。具体的な勤続年数は知らなかったが、自分からみればベテランで先輩であることには違いない。

 夜勤のデバッガーと聞いて想像できるスタッフってどんな奴? コミュ障のゲームヲタクの集まり?w とにかくぜんぜん雰囲気とかオーラが違う人だよ。コミケにいくヲタク集団の中に一人だけ図書館の司書の文学系お姉さんが混ざってる感じ。うん、美人で可愛い人だった。

 好みのタイプだったかと聞かれればそういう感情を持った事はなく、というのも、身分が違うというか遠すぎる感じで、自分と接点を持つイメージなんて全く持てなかった。

 その日、一緒に仕事をするまでは。


 一緒に作業をしていれば、仕事中でもちょっとした雑談をする機会がある。好きなゲームとか住んでる地域とか、そんなよくある雑談をしたと思う。その雑談の中でいくつか気になる事があった。
 まだ家業に勤めていた頃、私はパソコン習得とコミュニケーションの練習も兼ねて夜な夜なオンラインゲームをやっていた。その時に仲間だったあるチームメイトとこの女性スタッフの話に、いくつかの接点があったのだ。好きなゲームのメーカーと住んでいる地域が同じだった。あとゲームキャラの髪型と喋り方が少し似ていた。女性であることも知っていた。

 たったそれだけだったが、その接点に気が付いた私は「もしかしてあの人なのかも……」と思ったのだ。だからそのオンラインゲームの名前を出して、プレイしていた事があるかどうかを尋ねた。
 返事は未プレイ、だった。そりゃそんな偶然があるわけがない。頭ではわかっていた。でもあの時のチームメイトたちとは一度リアルで会って、自分のわがままや伝え下手で何度も困らせてしまった事を謝りたいと思っていた。チームリーダーが私だったからだ。だから、聞かずにはいられなかった。そういう自分の都合で話をひっぱってしまった自覚はあったので、その雑談の中で「変なことを聞いてすみません」と謝った覚えがある。

 それから仕事を終えて帰宅し、夜になってシャワーを浴びて寝る。気が付けば、私はもう一日中、その人のことを考えてしまっていた。

 変な話をしてしまった事の恥ずかしさや、格好は大人びた印象なのに喋ってみるとすごく可愛い人だったというトキメキ、頭が熱くなるほどその人の笑みが私の頭を支配した。

 以降はその同僚の女性の事をAさんと呼ぶ。
 
 先に言っておくと、Aさんはこの年の夏に職場から去っていく。決定的な何かがあったわけではないが、時期とタイミングからみて、私が原因だったとしか、考えられない。


 翌日からもう、頭の中ではいつもAさんを探していた。出勤時はタイミングが同じにならないかなと意識して、仕事の部屋が同じだったりしないかなと期待して、帰りもタイミングが同じになればいいなぁ、と思った。

 一人暮らしの生活が一気に明るくて楽しい日々に変わった『人を好きになるってこんなにも素敵な事なんだ』と、人生の見方そのものが変わった。

 随分と大袈裟に書いたように思えるかもしれないが、私にとってこれは順当な事だったと言える。少し前に自身の発達障害特徴に関して中学の頃から自覚があったと書いたが、その自覚を得たきっかけがクラスメイトからのいじめだった。後にいじめというより自分の奇異な言動のせいで嫌われていただけだった事が判明するのだが、対立関係にあった相手には女子生徒もいた。だから、私はずっと、異性との恋愛なんてできないと思っていたのだ。人を好きになったり、デートをしたり結婚をしたりすることに、魅力なんてないとも思っていた。
 そのまま中学卒業、高校入学、高2で中退、家業就職、その後はずっと家族とだけの生活……と、他人の女性とほぼ関わりがない人生を送ってきたのだ。補足だが、高校は元男子高で自分の入学する年から共学になった。だから女子生徒はどのクラスも一人~二人しかいなかった。あと、家業は金がないのでバイトを雇えなかった。

 自分は一生、女性と縁がないのだろう――そんな人生観がここにきて一変したのである。大きく覆った。人生が薔薇色になったのだ!

 自分の感情が昂りだしているのは自覚できた。だからそれを言動には出さないようにしたが、気持ちばかりが膨らんでいった。家庭事情や障害特徴の事なども含め、自分のことをかなり知っている友人にも電話でこの幸せを伝えた。「一人暮らしをしてから明るくなったよな」と喜んでくれた。

 Aさんと一緒に仕事をしたあの日から約一ヶ月後、私はAさんの事をデートに誘う決意をした。デートそのものは目的ではなく、手段だった。デートそのものに魅力を感じている感情はあったとは思うが、あまり強くなかったのは確かである。
 Aさんに対する感情について、言動面は辛うじて抑えていたが、どうしても気持ちが収まらなかった。日に日に膨らんでいった。でも、これが「好き」という気持ちなのかどうかもはっきりしない、それは自分の中では課題だった。中学生の頃、クラスメイトとの人間関係が上手くいかなくて悩んでいた時、感情に名前を付けることでかなり落ち着けた経験があったから、正体不明の感情を抱えている事は、よくない事だと思っていた。それに、少し楽しくお喋りできただけで好意みたいな感情を持つ事は、今までにもなかったわけじゃない。はっきり分析できないのは、恐らくこれが人生初の恋愛感情なのだから、仕方ないと思えた。

 そういう、自分の思考回路だけでは整理できない感情をたくさん抱えてしまった。つくられてしまった。これらを解消するには何らかの答えが必要だった。だから、デートをしてもらえればはっきりするのでは、と考えた。

 デートでより感情が高まれば「好き。本気になってもよい」、そうでなければ「好きではない。一時の迷い」という判定をしようと思ったのである。


 いつもと変わらぬ日の仕事が終わった後、私は帰り道でAさんを待ち伏せた。私は歩いて家まで帰るが、Aさんは近くの駅から電車に乗る。調べたのではなく、その駅までの道中は道が同じだから、前から知っていたのである。だから待ち伏せる為に隠れる場所もすぐに目星がついていた。

 Aさんが通りすぎた後、後ろから駆け寄って声をかけた。「ゎ」とした様子でアームウォーマーをつけた手と指先が口を抑えた。私は、驚かしてすみませんと謝った後、異性として意識してしている事と、デートに誘いたいと思った事を正直に伝えた。正確になんと言ったかはもう覚えていないけどそんなに変な言い方ではなかったと思う。そして、ここで話していると他の同僚に見られてしまうかもしれない事を口実に、メールアドレスを教えてほしいと言った。「お願いします」と何度か言った記憶がある。

 Aさんは少し悩んだ後、「いいですよ」と言って携帯電話を出してくれた。自分が登録しますから、といってAさんの携帯を私は掴んだ。メールアドレスは初期のランダム英数字のままだった。そのやりとりの時、丁度脇に空き地のような空間があったので、その敷地内で足を止めてメールアドレスの登録作業をした。いま思えばAさんの携帯から自分のアドレスに空メールを送ればよかったのに、焦っていたのか、私はAさんの「lg4ihnd8f9lvuhfldn@xxx.xx.xx」という感じのぐちゃぐちゃなランダムアドレスを手打ちで自分の携帯に登録していた。

 この作業の時、Aさんがちょっと困った表情を浮かべていたのを覚えている。会社の方角を気にしていたから、誰かに見られてしまう事を不安がったのだと思う。私は「す、すぐですから!」と言い、全神経を目と指に総動員してアドレスをノーミスで登録した。この集中力を仕事でも活かせればよかったのにね。

 その後、携帯のメールで改めてデートに誘った。断られても仕方ないと思っていますからみたいな、そんな腰の低い一文も加えたと思う。で、たしか少し考えさせてほしいといった感じの返事の後で、OKがもらえたと記憶している。


 デートは話題のアクション映画を見た後、喫茶店でお茶をするというシンプルな流れだった。
 駅構内にある定番の待ち合わせスポットで合流し、それから歩いて劇場へ。道中は挨拶程度の会話だったけど、チケットを買って入場を待つまでの間、Aさんはそれまでに見せたことがないくらい元気よく喋った。誘われた事に驚いたという事や、仕事の事や日常の事。

 この時のAさんの明るい様子は本当に、今も鮮明に記憶の映像に残っているほど魅力的だったよ。自分はAさんを好きになったんだと自覚したのもこの時だ。

 映画を見終わった後、予定通り喫茶店に向かい、近くに雰囲気の良さそうな茶店を見つけたのでそこに入った。駅が近いこともあり、二人掛けテーブルが並ぶやや狭い店内だったが、白いテーブルや壁など、ホワイトをメインにした内装には清涼感があった。

 最初に映画の話をして、それが落ち着いた頃、いま付き合っている人はいるのか、今までの恋愛経験は、いまそういう事に興味はあるか……とか、そういうことを自分の場合の話をしながら聞いていた。けど、具体的にどういう会話をしたのかはほとんど覚えていない。8年前の事だからというより、この記事の話でよく覚えてないと書いた部分は最初から記憶に残っていないんだと思う。
 はっきりと覚えているのはこの喫茶店での会話で、私はAさんに「結婚しよう」「結婚したい」と何度もお願いしたことだ。10回くらいは言ったと思う。一時間ほどはお茶をしていた記憶があるので回数的にもそれくらいか。
 もちろん断られた。あと、付き合ってほしいともいったが、それも断られた。

 Aさんが困った様子をしていたのを覚えている。私はそれを、(恥ずかしがっている、かわいい)と、ただそう思っただけで、この甘い雰囲気の中でAさんを困らせる事がだんだん楽しくなってきた。ただ、今この場で返事がもらえるわけがないという事、そこは理解できていたので、「結婚したい」という気持ちを言う、それだけに留めることができた。

 店内はほぼ満席だった。大声をだしたわけではないが、隣のテーブルで本を読んでいた女性はぜんぶ聞いていただろう。もしtwitterがあったら晒されていたのは必至である。

 一時間くらいしてから喫茶店を出た。ドリンクもとっくに空だった。もっと一緒にいたいが、ずっとここにいても飽きさせてしまうだけだと思った。
 そして駅で別れた。今日のお礼と、振られてしまったけど職場ではまた友達としてよろしくみたいな事を言ったと思う。帰宅後もメールで「お疲れさま」みたいなことと、別れ際にも話したことと同じような内容を文章で送った記憶がある。

 このデートのAさんの感想、心境を語る言葉を私は持たない。少なくとも私の方は、最高にハッピーな気持ちだった。これが本当の人生だったんだ!と、心の中でハレルヤが流れてる感じだった。



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 このデートの日から私の行動はもっと極端になった。3日に一度はてきとうな理由でメールをしては雑談を誘った。休みの日の夜に電話をかけた。電話番号はたしかデートの日に教えてもらったと思う。お互い夜勤だから電話をかける時間が夜中になるのはまだわかるとして、通話時間が3時間4時間にも及ぶのは異常だと言わざるを得ない。それも二人で喋りっぱなしではなく、私が一方的に喋りまくっているだけで、疲れたら黙り込んで「少し喋りすぎちゃった」とか言って間を持たせていた。

 そしてこの電話でも「結婚したい」「好きだ」と何度も言った。話の出口がぜんぶ求婚だった。

 職場にいる時はずっとAさんの事が気になった。……今日は出勤しているのかな、帰りは一緒になれるかな、休憩室で一緒になったら何を話そうか……など、頭の中がぜんぶAさんの事である。Aさんがいるとわかった日は帰りに下駄箱をチラっと確認。Aさんがまだ残ってるとわかったら、会社の出入口の喫煙所で彼女が出てくるのを待っていた。駅までの道中を一緒に帰る為である。煙草を吸いながら偶然を装っていたが、待っている事はばればれだっただろう。

 駅まで一緒に帰っても楽しい会話ができた記憶はあまりない。何を言ったかは覚えてないがドン引きするような事を言ってしまい後悔した覚えがある。

 Aさんの家の場所が知りたかったが、その気持ちだけは全力で抑えた。だって後をつけたらそれはストーカー行為だから。これを書いていて思うが、今更なに言ってるんだという感じである。

 あと、家を知ってしまったら毎日尋ねに行って窓から「ハァイ!」とかやってしまう自信が本気であったので、これだけはダメだと言い聞かせていた。この願望がかなり強く、抑えるのが大変だった。だから電話とか帰りに待ち伏せなどの他の言動が我慢できなかったのかもしれない。

 この頃、こういう日常の事を友人にも話した記憶がある。どこまで具体的に話したのかは覚えていないが、「燃えてるねぇ」とかそんなことを言われただけだった。たぶん、印象の悪い部分は話さなかったんだと思う。実際、自分のしていることが異常だという認識はあまりなかった。少しはあったんだけど、『恋愛で燃えている時はこれくらいはするだろ』という感覚で、それよりも、振られたくせにまだ好きでいる自分を情けなく思ったり、いつも長電話で実は迷惑がっているかも……でもそれならとっくに嫌われてるはずだから大丈夫なはずとか何かと自分に都合よく考えるルートを探ったり、そんな妄想と向き合う事が多かった。

 あと、『この自分の恋愛感情をもっと育てたい、Aさんとの関係がどうなろうと、これからの人生でプラスになる』と思っていた。

 デートの日から一ヶ月間くらいはそういう行動をとっていた。情けなさや不安を抱えつつも、幸福感に満たされた日々だった。

 これがある出来事をきっかけに、一気に絶望へと堕ちたのだ。

 Aさんに対する気持ちをいい加減静めてなきゃいけない事はわかっていた。お喋りしたくなる気持ちは全く静まらなかったが、電話をかける頻度や通話時間を減らし、待ち伏せもしないよう意識した。我慢できない日もあったが、確実にAさんに対する恋愛感情は小さくなっていった。迷惑をかけているという冷静な気持ちも、少しずつだが意識できる時間が増えていった。
 その日、仕事が終わったあと、いつものように喫煙所で煙草を吸って他のスタッフと話していた。なるべく他の人と話す時間を増やすようにしていた。この日はAさんを待つつもりはなく、煙草を吸い終わったら帰ろうと思っていた。で、理由は忘れたが、用事を思い出して建物の中に戻ろうとドアの前に行った時だった。同じタイミングでドアが開いた。そこにいたのはAさんだった。
 この時のAさんの表情がいつもの〝困った様子〟ではなく〝うげっとした様子〟だった。実際どういう心境だったのかはわからないが、私にはそう感じられた。

 この後結局、一緒に帰ったのかどうかは覚えていない。咄嗟に「すみません」といって道を開けた気もするし、にへらと笑って、また一緒に帰ったような気もする。
 ただ、何かが終わった感覚を得たのを覚えている。

 その日の内だったと思うが、Aさんに対する気持ちを切り替えるなら今しかないと思い、別の事を考える事にした。
 テーマは未来の事で、『これから先、もし誰かと結婚したらどれくらいのお金が生活費として必要なのか』という点を調べる事にしたのだ。Aさんとの縁は残念な事になったが、人をまた好きになれたという気持ちだけはこれからも大切にするべきだと思った。

 google「夫婦 子供一人 生活費」などといったキーワードを打ち込んで検索をかけた。

 そして私は、出てきた情報に驚愕して、絶望してしまったのだ。

 20万、いや……30万? なんだこれは……。


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 この記事は私が過去にストーカーになりかけたエピソードを語っているわけだが、ここからが本番である。

 夜勤といっても所詮は登録制の仕事だ。社員でもなければアルバイトですらない。週5日出勤しても支払われる報酬は多くて14万円前後。自分が30万円なんて大金を稼ぐには、日中もフルで働かなきゃいけない。それでも届かないかもしれない。そんな事は到底できそうになかった。そんな事よりも、今の状態が深刻だった。私は今の日常を落ち着いてゆっくりと振り返った。

 ――朝起きる。何も食わずに顔だけを洗い、着替えて一服してからアパートを出る。会社まで徒歩一時間。「死ね、クズ、殺せ」などと、ボソボソと独り言を言いながら、夜道をひたすら歩く。イヤホンで音楽を聴きながらただ歩く。聴いてる曲は主に『DancemaniaSPEED 7』。中学生の頃から聴いている。会社近くのコンビニでチキンとコーヒーとまた煙草。職場に着いてからまた一服。眠い目をこすりながらチェック作業。作業時間の間に3~4回は煙草休憩。帰りも喫煙所で一服してから帰宅する。「死ね、クズ、殺せ」などと、ボソボソと独り言を言いながら、出勤するサラリーマンたちをかわしながらただ歩く。途中のコンビニで弁当を買う。支払いはカード。帰ったらまず弁当をチンして食いながらオンラインゲームにログイン。理由はコミュニケーションの修行。〝普通の人になる為にはどうすればいいのか〟と、自分なりに考えながらプレイする。眠くなるまでネトゲーとホームページ更新をして、カビだらけのユニットバスでシャワーを浴び、寝酒を飲みながら仕事の時間まで寝る。

 一ヶ月分の作業料は大体10万円前後だった。少ない時は10万を切るし、多い時でも12万程度だったと思う。毎月決まった日に振り込まれた。内訳は貯金が一万円で、残りは生活費だった。税金は、国民健康保険と市県民税は払っていたが、年金の支払い枠はなく、未払いの納付書が溜まっていた。

 年金について補足したい。私は実家を出るとき、年金が成人してからのほぼ4年分、未払い滞納状態であることを母から告げられた。家業就職だった事もあり、給与の含め税金関係の支払いもすべて母が管理していた。日常的に、年金は払う必要がない、払わなくてもいいと言われていた事もあるが、未払い滞納者が大勢いることや、年金システムには私自身も疑問があったので、何とも思わなかった。減額や免除の手続きもしていなかった。税知識は全くなかった。この時も滞納してる事自体はどうでもよく、ただ普通の人は払っているこれの、支払い能力がない自分の稼ぎの無さがショックでたまらなかった。

 パソコン画面をみながら、これまでの人生の記憶が頭の中でどす黒く変色していった。
 いじめの原因を突き止めて、自分の力でいじめを克服したこと。高校は人間関係をやり直す為に自分しか進学しない学校を選んだが、結局、地元の暴走族に失言をやらかして怒られてしまったこと。それがきっかけで高校を中退したこと。仕事の後、友達が遊びに誘ってくれることで元気になれたこと。また頑張ろうと思い、人間関係と向き合えるようになったこと。自分で調べまくってネット環境を家に導入したこと(ADSL初期時代)。オンラインゲームの世界でも結局人を怒らせまくったけど、少しずつ友達ができていったこと。人間関係が少しずつわかってきたこと。家が自転車操業で借金だらけだったこと。父がギャンブル中毒でレジから売り上げを持っていったこと。母が泣きながら電卓を叩いていたこと。狂って壁に借金残高を描いていた事。親の創価活動に悩まされたこと。発達障害の事を知って私の家族は全員怪しい事に気が付き、借金を引継ぐ話を断って自己破産を決定したこと。

 私は一人暮らしをしたことで、そんな人生のレールからやっと進路変更できたと思っていた。自分の非定型言動は、社会不適合者の親がつくった環境化にいることからくるストレスも原因の一つだと思っていたからだ。
 でもそれは違った。自分の頭がおかしいのだ。異常に知識が無さすぎる気がした。この生活費のことだって普通の人は知っていて当り前のように思えた。
 自分のダメさが発達障害の特徴で生まれつきのものなのか、それとも非定型環境の中で育ったことで狂ってしまったのか、それはもうわからないし、医者にだって特定できるとは思えなかった。

 唯一つ確かなのは、中学のいじめ体験の時に自分のおかしな人格を自覚できた事で、非定型を補正できたと思っていたのに、24にもなってまた同じことを繰り返していること。何も進歩していなかった。それだけが事実だった。

 仕事だって役立たず。ただのゴミクズだ。一生懸命やってるのは"つもり"だけで、実際には半分寝ながらやっている。もっていた自信もすべて打ち砕かれた。

 普通の人になる為に積み重ねてきたものが塵になった。費やした歳月の長さが絶望感を決定づけた。
 自分は一生、自分でぐちゃぐちゃにしちゃう人生から逃れられないんだ――

 そういえばこの間、冷蔵庫に卵が一個残っていた事に、喜んでいたっけ。
 そういえばこの間、子供を食ったら普通になれるとか考えていたっけ。
 そういえばこの間、貯金封筒に一万円を足して、貯金できてるから自分は十分に普通人だとか、思ってたっけ。

 なにがデートだよ

 なにが結婚だよ

 ごめんなさい

 ごめんなさい

 ごめんなさい

 ほんとうに、ごめんなさい


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 泣きたいのに涙は出なかった。だから顔にシャワーを当て続けて泣いたことにした。ちょっとだけすっきりできた気がした。

 生きていく希望が全く見いだせなくなってしまった。まず食事の味が全然しなくなった。軽い過呼吸みたいな息切れが止まらなくなった。タオルやマスクを口に当てて他の人に気づかれないようにした。もしばれて、何かの精神病だと思われたら仕事に呼ばれなくなってしまうかもしれないし、そうなったら生活費が減ってしまう。来月もカードの支払いがあるのだ。
 仕事中はとにかく仕事にだけ集中するようにした。ただただチェックと向き合うだけの7時間。絶望状態にあることを除けば、これが本来のあるべき感覚だったと言える。普段の自分がいかに集中できていなかったかを後で思い知った。
 「死ね、クズ、首を絞めろ」などの汚言は日に日に酷くなった。仕事中やお店の中にいる時もそんな言葉が小声ででるようになってしまった。

 通行人が視界に入った時なんかは、なぜか自分が惨殺してしまう光景が頭によく浮かんだ。もちろんそんな事をしたいとは思わない。でも私の頭に勝手にそういう光景が浮かぶのだ。私は子供の頃からよく友達に「あそこで突き刺さって死ぬか回転のこぎりでバラバラになって死ぬかどっちがいい」とか〝もしも死ぬとしたら〟の話をしていた。死に方について考えることをもともと楽しいと考えていたせいなのかもしれない。この妄想が時にわくわくとした気持ちにさせてくれた。人が死ぬ光景の映像と向き合う事に、安息を感じるようになっていった。

 そんな望まない感覚を意識するようになってから、私は自分の携帯電話からAさんのアドレス含め、職場の人たちの連絡先を削除した。自分が平常心を保ち続けられる自信が全くなかった。

 友人にも相談した。心配してくれて、好きな映画に連れてってくれた。『鉄コン筋クリート』だったかな。でも上映途中で限界が来た。周囲に人が大勢いる、ただそれだけの事で平常心が耐えきれなくなった。友人に「ごめん、無理。ここにこれ以上いられんわ」と言って二人で映画館を出た。その後、誰もいない公園で話を聞いてもらった。自衛隊に入りたいとかそんな話をしたのを覚えている。

 そんな友人が自分を監視していると強く思い込むようになった。友人が話すことはなんでも「どうして話したことないのに知ってるんだ?」と思えるようになってしまった。彼は顔に出さなかったけど、この頃に私がすごく嫌なことを言って機嫌を悪くさせた事も覚えている。

 天候が崩れただけで自分のせいだと思うようになった。赤外線センサーの水道から水がでなかったり、自動ドアが反応しなかったせいで自分の影響だと思うようになった。
 ある日、昔から付き合いのある友人たちが心配して遊びに来てくれた日、たまたま近所で立てこもり事件が起きて警察官の一人が犯人に撃ち殺された。せっかく遊びに来てくれたのに、私はその生放送ばかりみていて、自分が死ねばよかったと、そんなことばかり言っていた。

 Aさんどころではなかった。なのに、私の頭にの中にはいつもAさんがいた。


 今までの努力はぜんぶ無駄だったという、そんな絶望感がどうしても消えなかった。おまけに税金滞納、高校中退、無茶な一人暮らしと、ステータスも状況もかなり悪い。
 自分の場合、全ては自分の言動の結果が招いている事が絶望感を大きくしていた。なぜなら、テレビのドキュメンタリー番組などで見られる不幸なエピソードの性質は、自分の意志ではどうすることもできなかった外部の働きによる〝不運〟であって、自分たちの言動が及ぼしたものではないからだ。

 何をしていても意味を見いだせなくなってしまった。ただ、Aさんの姿やAさんに対する感情だけはいつでも新鮮で鮮明だった。もう電話もメールもかけてないし、帰りに待ち伏せもしていない。以前のデートの前のように、全く接点がない状態になっている。もう考えたくもない。それなのに、頭から消えてくれない。

 これが恋愛感情とかそういった正常な思考でないことは、誰に教わるわけでもなく理解できた。恐らく自分の頭の非定型回路の部分が悪さをしていると、そんな風にイメージした。今の自分の状況からみて、Aさんの事を考えている余裕などないはずなのに、自分の頭はどうしても、Aさんで妄想する事をやめてくれなかったのだ。

 この頃、休憩室でたまたまAさんと一緒になった時があった。私は耐えきれずに迷惑をかけた事を謝った。「巻き込んでしまった。ごめん」と何度もそんな言葉で謝ったと思う。Aさんはとても困った顔をしていた。返事もよく覚えていない。
 そんな事でまた接点を自分で作ってしまったものだから、私の感情は一層乱れてしまった。

 また、変な事で声をかけてしまった。
 また、失敗してしまった。
 ぜんぶ、なかったことにしたい。

 ――Aさんと楽しく話す自分、Aさんに会いに行く自分、Aさんとデートしている自分、宝くじを当ててまた求婚している自分……なんでも考えた。もちろんセックスをしている場面だって考えたし、襲っている様子だって考えた事がある。私はアスペルガー特徴故か、映像をイメージすることは得意だから、かなりリアルなイメージを持つことができた。そんな妄想に浸っている間は絶望感を忘れる事ができた。

 Aさんは私の恋人ではない。振られたこともわかっている。また感情が大きくならないようにと、その事実を何度も確認した。そうすると今度は、デートの時に何度か自分に向けてくれた笑みが頭をよぎる。

 ――でもあの笑みはもう見られない……
 ――私の頭の中だけのこと…
 ――現実ではない……
 ――違うもの……
 ――偽もの……
 ――笑みは嘘……
 ――嘘をつかれた……
 ――嘘をついたAさん……

 ここまできて、あ、やばいと思った。

 私はAさんのことを、恨みかけてる。

 絶望に堕ちてからここまで、一週間も経っていないと思う。


 Aさんに対する恨みの感情はこうしてつくられた。ある一つのイメージから、その類義語や類似イメージがくるくると入れ替わって浮かぶ感じだ。唐突に感じられたかもしれないがその通りで、日常の中でなんの前兆もなく、この意識の変形が起きた感覚を覚えている。狂気が忍び寄っていたのだ。

 現実にそれに値する出来事は起きていないが、私の頭はその妄想イメージを現実体験同等のものとして認識した。だから私の感情の中にも「人に嘘をつかれた不快感」が刻み込まれた。

 読んでいる人にもこの感覚を体験させるなら、例えば、最近食べた美味しい食べ物の味を想像してほしい。味の事だから言葉で説明する事は難しいと思う。でも食った事は事実であり、食って美味しいと感じた自分は本物だろう。それと同程度の鮮明度で「Aさんに嘘をつかれた感覚」が脳の中につくられたのだ。だから体感的には事実と変わらないのだ。

 今までの流れでいうと、このままAさんに対する恨みがどんどん膨らんでいって、不快感は怒りとなり、最終的には攻撃的な行動をとっていたかもしれない。本当にその可能性はあったと思う。これ以降、頭の中にAさんの姿が浮かんでも、「嘘をついた人」とか、「紛らわしいことをした人(相手が好意を持ってしまう的な意味)」というレッテルがつきまとったのだ。一番堕ちてはいけない状態まで堕ちてしまったのだ。

 でも私はここから再起する事ができた。この、実際に起きてない出来事を信じ込んでしまう経験を、過去にもした事があったのだ。そういう意味では、ここまで堕ちたから最後のチャンスを掴めたともいえる。

 それは中学生の頃のいじめ体験だった。あの頃は、自分が悪魔のようなクラスメイトにいじめ行為を受けていると思っていたが、小学生の頃からの友達にも距離を置かれた事で、その認識が間違っていたと理解できた。今回も同じで、非現実を現実と思い込もうとしている。だから、あのいじめ体験の時の経験を活用すれば、今の状態から再起できる、と考えた。

 そして自分が試した事は『何事もなかったかのように過ごす。そして何もしない、何も考えない』という方法だった。自分は『思い込み療法』と呼んでいる。
 朝起きる。食パンでもなんでもいいから胃に収める。味はしないけど気にしない。水で流し込む。職場までの道は歩く事だけを考える。仕事は指示だけに集中して他の事はしない。なるべく誰とも喋らない。息切れはマスクで隠す。帰ったらまたなんでもいいから胃に収めてすぐに寝る。眠れない時は疲れるまで布団を抱きしめる。寝る事だけに全神経を注ぐ。とにかく考える時間を減らす事に徹する

 中学生の頃、どんなに精神状態が荒れてパニックになっても、結局、数日経てば落ち着いていた事からヒントを得た。考えて解決しようとするのではなく、まずは頭を休める事にしたのだ。問題から目を背けているような、現実逃避をしているような感じがして、最初は気分的な抵抗感はあったが、自分の勘を信じる事にした。脳内に変な汁が溢れ出ている感覚もあったので、それを感じなくなるまで続けた。油断するとまたすぐ変な妄想を始めるので、そんな時は頭に「仕事」とか「寝ろ」とかなるべく大きな文字を浮かべて掻き消した。

 二週間程度して、テレビでお笑い番組を見ていたら自然と笑いが出ていた。味覚も復活してたし、息切れも収まっていた。

 「あぁやっと、終わったんだ」と思った。


 本編部分はここまでで、ここからはエピローグとなる。
 
 脳の状態が落ち着いたのか、その証にもうAさんに連絡を取ろといった気持ちや、いろいろな妄想、願望は全く浮かばなくなっていた。ただただ、申し訳ないという気持ちだけが残った。でも今更また謝ってもそれが何の意味になるのか、それが自分でもよくわからなかった。それが大事な時もあるだろうけど、今は違うと思った。

 ただ謝りたいだけで、それも、理想の自分に許されたいだけだと結論付けた。小物臭が漂う自分に心底苛々した。

 そして、これ以上自分の力だけで頑張るのはよくないと強く思った。中学のいじめ体験を通して、自分は自身の非定型特徴を自覚した。あの時、母に精神科に連れてってほしいとお願いしたのだが、断られてしまった。「あんた何いってんの?」と全く相手にしてもらえなかった。だから自分の力でなんとかするしかないんだと、自分に言い聞かせてきた。それがいつからか、精神科を頼るという選択肢を根っから排除していた。でも、それもここまでだ。

 私は近くの大学病院で一番怪しいと思えた発達障害の診察を受けることにしたのだ。それと同時進行で、車の免許を合宿で取りに行くことにした。診察を受けた後、診断結果が出るまで相当日があったので、その期間を利用したのだと思う、一旦、日常から離れて、新しい風の中で気持ちをリセットしようと考えたのだ。あと、絶対に免許を取得して、そのことを自信に繋げようと思った。

 教習と合宿はかなり大変だったが、なんとか一発合格で免許を取得できた。金がないから車は買えないけど、これでまた普通に一歩近づけた気がして、嬉しかった。
 
 久々に職場に行くと、彼女の名札が下駄箱から消えていた。
 さりげなく他のスタッフに聞くと、「急に辞めていったんだよ」と言われた。

 自分との出来事が原因だと、そう思った。そうとしか考えられなかった。自分のせいで職場に居づらくなってしまったに違いない。

 本当にそうだとしたら、私は謝る事しかできない。
 でも、今この瞬間、これからの人生は彼女の選択だ。私に関係ない。

 私はそう思いながら下駄箱を後にした。

 この後、わたしはまたいくつかのエピソードを経て、人生の再起をかけて放浪の歩き旅に出る。
 それがケアレスミスやコミュ障の克服法の話へと繋がっていく。


 さて、長々と話したが如何だったろう。この記事、軽く一万文字以上あるのでここまで読んでくれた貴方はそれだけですごい( ゚Д゚ノノ"☆パチパチ

 私が本当に、攻撃するタイプのストーカーになりかけたという事は伝わっただろうか。本物から言わせればまだまだ余裕だったのかもしれないし、こういう経験が全くない人からみれば、私はもう十分に、元ストーカーなのかもしれない。

 ストーカーにもいろいろタイプがいると思うが、どんな奴でも、ストーキング行為をしでかす感覚が、ある日急に脳に作られるとは到底思えない。人生を子供の頃から掘り返してようやく、あのよくわからない思考回路が築かれるメカニズムが見えてくると私は思う。

 私は本物のストーカーの片鱗しか理解していないかもしれないが、この記事のエピソードでも伝えた通り、話の出口が全て告白になってしまったり、何もされていないのに嘘をつかれたと認識できてしまったりと、ストーカーの精神状態では物事をまともに考える事が不可能である。そして私が正常に戻れた理由は、友人たちの存在と、過去のいじめ克服という成功体験が支えになってくれたこと、それがあったからで、これらがなかったらとてもじゃないけど再起できたとは思えない。

 なぜなら、全ての思考の出口に、Aさんがいる状態になってしまったから。

 これがまさにストーカー特有の精神状態なのでは、と私は思う。
 そしてこの精神状態は言葉で言うほど複雑なものではなく、条件さえ整えば誰にでも陥る可能性があると思っている。ネットの炎上やクソリプだってこれと大差ないと私は思う。

 いま自身のストーカー行為や言動に悩んでいる人は一刻も早くこの記事に書いた事を試してほしい。友人知人にやばそうな人がいるならこの記事のこと教えてあげてほしい。いま他者からのストーカー行為や言動に遭って困っているという人は、自分の言葉で解決しようと思わないで、他の人を頼ってほしい。ストーカーは何よりも他の人に知られる事を嫌うはず。そして他の人にばれたら終わりだと思っている。自分がそうだったらからそう思える。

 アスペっぽい人だったら全力で注意して。私もアスペルガーの診断を受けている。
 そいつはもしかしたら私のように、平均的ではない日常を送っているのかもしれない。

 ちなみに、私の頭にはまだ「Aさんに嘘をつかれた感覚」が残っている。恐らく死ぬまで消える事はないと思う。


 読了ありがとうございました。今回の私の話が、少しでもストーカー事件の抑制に繋がれば幸いです。





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