当ブログは脱貧困をテーマにしています。
んで、私が脱貧困をテーマにして、ブログを書いている事を宣伝すると、それを聞いた人達はこんな質問をして来るんです。
「脱貧困するためには、何が必要だと思いますか?」
この質問の答えは、一つではありません。
もちろん、お金も必要ですし、お金を稼ぐためには当然、仕事も必要です。
また、良い条件の仕事をみつけるために、人脈もある程度、必要かもしれませんね。
人脈さえあれば、「こんな仕事あるけど、やってみる?」と、知り合いに紹介してもらえる可能性があるからです。
しかし、脱貧困するためには、お金、仕事、人脈よりも先に、まず、やらなければならない事がある、と思うんです。
冒頭の質問の答えを言いましょう。
「脱貧困するためには、いい加減な人になることです」
タイトルにもあるように、私なら、こんなふうに答えます。
「はぁ?、なんで?、いい加減な人になったら仕事を探さなくなっちゃうでしょ?、何考えてんの?」
こんなふうに、反論したくなった人がいるでしょ?
ところが、人が貧困から脱出しようとする時、その脱出する気持ちを邪魔してくるのが自分の中の真面目さや正義感、プライドだったりするんですよ。
だから、いい加減な人になる必要があるんです。
どういう事か?、ちょっと説明してみましょう。
自ら命を絶った72歳のお爺ちゃん
説明するために、藤田孝典さんが書いた「貧困クライシス」という本から引用させて頂きます。
藤田さんは、埼玉で生活困窮者を支援する「ほっとプラス」というNPO団体の代表を務めています。
この本には、生活保護受給後に命を絶った72歳の火田進一さんのエピソードが書かれていました。
火田さんは、若い頃から真面目に働いていましたが、年金は払っていない時期がありました。
そのため、72歳に近づくにつれて、働けない身体になり、貯金も底をついて、ついには生活保護に頼らざる得なくなってしまったのです。
しかし、ここからが問題です。
なぜでしょうか?
本文から引用してみましょう。
生活保護とは、住まいの地域によって定められた「生活保護基準」に満たない額しか収入がない場合、あるいはまったくの無収入の場合、足りない分が毎月受給できるセーフティネットである。
わたしたちは、こうしたことをほっとプラスに来た火田さんに再三説明した。
藤田「別に恥ずかしい制度ではないんですよ。火田さんは年金だけでは生活が困難なので。生活保護を受けてほしいんです」
火田「いや、恥ずかしい制度ですよ、生活保護を受けるぐらいだったら、死んだほうがマシですよ、人間終わりですよ」
藤田「ですから」
火田「生活保護以外にないでしょうか?、銀行とか貸してくれませんかね?」
藤田「収入のある方じゃないと難しいです、それは」
説得までには一週間かかった。
ちょうど芸能人の母親の生活保護バッシングがあった頃だった。
生活保護は自立していない人、怠けていた人、計画性がない人達が受けるものだと思っているようで、何とかして逃れようとしている事だけはうかがえた。
火田「申し訳ない。まさかこんなに働けなくなるなんて思わなかった。本当に自分の落ち度です」
どうでしょうか?、ここまで読んで皆さんはどんなふうに思いましたか?
本には、火田さんのこの先のエピソードも書かれています。
火田さんは、藤田さんの説得で生活保護を利用し始めました。しばらくは、順調に行っているように見えました。
しかし、その八か月後、火田さんは自殺をします。
入水自殺でした。遺書には、こんなふうに書かれていました。
「この年齢になって国の世話になるのは、本当に申し訳ない。私には、何もないので、代わりに命を絶ちます」
いい加減とは、自分を肯定すること
この火田さんのエピソードを知った時、私は大先輩の火田さんに失礼を承知で、こんなふうに思いました。
「もっといい加減な人になってほしかった!、正義感や真面目さ、プライドをすべて捨てて、ゆっくり老後を過ごしてほしかった!」
どうでしょうか?、私がなぜ、脱貧困するためには、いい加減な人になる必要がある、と断言したのか?、理由が解って頂けたのではないでしょうか?
当ブログで何度も何度もお伝えしているように、生活保護を利用する事は恥ではありません。
国民の権利です。
貧困になってしまうほど頑張って来たんだから、そろそろ休んでいい!
自分を許して、いい加減になって、堂々と生活保護を使えばいいんですよ
脱貧困をするためには、いい加減になって、ゆっくり休む。そのために、社会保障を使う。
そうでなければ、火田さんのように、自分を責めて、自ら命を絶ってしまう可能性があるんです。
仕事を探すのは、ゆっくり休んでからでいい。ぜひ、覚えておいてください。焦らないで。
共に、いい加減な奴になって行こうではないか?!