「ここは楽園か!」と叫び出したくなるほどの絶景が広がっていた。標高3,000メートルに位置する、マウイ島ハレアカラ火山のキャンプサイトにテント道具を借りて向かう。結論から言うと最高で、静かな森の中にテントを張って横になるだけで「包まれている…」という多幸感を覚える。ごちゃまぜの家が実現をした暁には、希望者の方々にテント道具を無料で(願わくば車もセットで!)貸し出すことができたらいいなと思う。自分のこころが「いいな」と感じるひとやものやことを、自分ひとりだけで所有をするのではなくみんなで共有していけたらいいなと感じる気持ちは、多分、自分だけではないように思う。
【クラウドファンディングを公開しました!】
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2017年4月3日
昔から「家族とはなんぞ??」という思いがありました。多分、私は『ごちゃまぜの家族』をつくりたいのだと思います。
ごちゃまぜの家をつくりたい! - CAMPFIRE(キャンプファイヤー) https://t.co/Syybr2HkPA
わたしは『SAMO【サモ】』という素人集団を主宰している。SAMO【サモ】とは「まったくの初心者であるにも関わらず、さも、その道の達人のように振る舞う」ひとたちのことを意味する。今回、わたしはマウイ島で車を借りて運転をしまくっているのだけれど、実は、海外で車を運転するのは生まれてはじめての体験になる。しかし、ここでビビってしまっては男が廃るということで、さも、海外の運転は過去に何度もやり慣れていますよという体(てい)で、左ハンドルを陽気にぶいぶい言わせていた。ら、レンタル2日目にしてタイヤが派手にパンクをした。これには困った、が、トラブルは男を鍛える。近隣住民の助けを徹底的に借りまくりながら、どうにかこうにか、無料で代車を手配していただける形になってホッと胸をなでおろしている【おかげさまで異国における緊急事態対処法にも強くなりました!!】。
野営@Hosmer Glove
テント道具を車に積んで、数百回のカーブを曲がってキャンプサイトに突撃する。標高3,000メートルともなると、南国ではなかなか見ることのできない植物が群生をしている。「ここはマウイ島の北軽井沢か!」みたいな感じで、非常に心地よい風が吹く空きスペースにテントを張る。テントを張る時間、バーナーでお湯を沸かす時間、簡単な料理を作る時間は、なぜ、こんなにも素晴らしい充実感を与えてくれるのだろうか。日本に戻ったらキャンプをしまくりたいと思う。そして、キャンプの素晴らしさを勝手に普及させるために「坂爪圭吾が持ち得る限りのキャンプ道具をオールセットで無料で貸し出す」的なサービス(?)を開始したいなあと思う【あと、熱海の家に誰も使っていないロードバイク(なんとツールドフランスの優勝者が使っていたもの!)が置かれているので、こちらの自転車もシェアをしていきたいと思います!!】。
木陰にテントを張る。
いい感じの木が密集している。
木漏れ日が素晴らしい。
眺めは爽快で、非常に静かである。
昔、まだ新潟市内の海沿いの街で暮らしていた頃、日本海沿いの松林(防砂林)にテントを張って数日間暮らしていたことがある。森の中で眠ると、森林浴の効果があるのだろうか、寝て起きた時のスッキリ具合が半端ない。これは素晴らしい効果だと機嫌をよくしたわたしは、実家には食事をとるためだけに戻り、食べ終わると同時に「おやすみ!」と言って自宅の玄関を飛び出し、バイクで松林に向かう生活を続けていた。当時のわたしにとって、家とは「ごはんを食べるためだけの場所」に過ぎなかった。もっと言えば、「地球全体が自分の家である【今夜、テントを張る場所が自分の家になるのだ!】」と思っていた。キャンプ生活の日々を過ごすと、当時の感覚が鮮明に蘇る。家とはなんだろうか。それは、個別の建物を指すのではなく『地球全体』を指すのではないだろうか。普段、自分たちが「家」と呼んでいるものは、実は『寝床【あるいは、ただ、ごはんを食べるためだけの場所】』に過ぎないのかもしれない、なんていうことを思う。
【過去記事】 仕事なんてしている場合じゃない、遊べ! - いばや通信
朝日@Haleakala Summit
早朝5時にテントを飛び出し、ハレアカラ火山の山頂を目指す。闇夜を突き抜け雲海を超えて山頂間際に辿り着く頃、明るみはじめた空から黄金色の光が差し込んでくる。本当に美しいものを目の前にした時、ああ、写真でも、言葉でも、いま目の前に広がっている素晴らしさを説明することはできないのだというある種の無力感にとらわれれる。それでも「これでもか!これでもか!」とシャッターを切り続けようとする手をどうにか止めて、ただ、自分の眼球に目の前の広大な風景を焼き付けようとする。
朝がはじまる。
光が差し込む。
世界が目覚める。
カラフルでご機嫌な世界を生きるために。
マウイ島は自然も街並みも非常にカラフルで、散歩をするだけで楽しくなる。建物の屋根もトタン一枚だけだったりするのに、カラフルな色々で彩られている。日本の場合、ペンキの色もそのままではダサいものが多い。自分好みの色を出すために、複数色を混ぜ合わせる必要があるのに対して、マウイ島などの海外諸国では「あらかじめお洒落な色が何種類も用意されている」ことが多い(気がする)。オーガニック専門のスーパーマーケットに陳列されている商品群のデザインセンスも抜群で、どれをとっても「おみやげに最高!」だと思えてテンションがあがる。カラフルであること、同時にセンスがあること【見るもののテンションをあげること】、これはとても大事なことであるような気がしていて、自分の正直な気持ちを恐れずに言うと「俺は、簡素【スタイリッシュ】は好きだけど、ダサいもの【アンスタイリッシュ】は嫌いだ!」ということを思う。
あらゆる人間関係は「いかに諦めてもらうか」が肝心だと思っていて、良い子を演じて好かれ続けるよりも「ダメな部分を早目に晒して、そこを愛してくれるひとと相互補完的に付き合う」方がストレスレスだと思う。自分のダメな部分を見せる瞬間は恐いけど、許された瞬間の爽快感はたまらないものがある。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年11月18日
マウイ島では「オーガズミックバース【自然分娩】」というものがある。乱暴にまとめると「海の中で出産をする【痛みや苦しみを通して出産をするのではなく、歓びのエネルギーを通して出産をする】」というものになる。わたしは男性だから詳しいことはわからないけれど、病院の分娩台は「(医者にとっては都合がいいけれど)妊婦的には一番しんどいポジショニングを余儀なくされる」ものになるのだと聞いたことがある。これが絶対だというものはわからないけれど、出産方法ひとつとっても、これからは「多種多様!カラフルな時代!」になるのだと思う。様々な選択肢がある中で、自分好みの生き方をカスタマイズしていく。このような生き方が主流になる世の中では、他のひとがどのように思うかではなく「自分自身がどのように思うか」が、非常に重要になるのだということを思う【逆に言えば、自分の好みがいままで以上にすんなりと(それはもうビックリしちゃうくらいにすんなりと!)実現できちゃう時代にあるのだと思う】。
好きなように生きても周囲に迷惑をかけることは意外と少なく、逆に、自分の感覚を押し殺してまで自己犠牲的になっている時ほど、周囲を負のスパイラルに巻き込むことが多い。帰りたい時は帰る、嫌なものは嫌だと言う、自分の欲求は勇気を出してはっきりと口にするなど、潔い我儘は最高の美徳だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年11月27日
すべてのひとを好きになれなくてもいい。すべてのやり方を受け入れることはできなくてもいい。すべてのひとを肯定することはできなくてもいいし、すべてのひとに好かれる必要もない。いろいろなひとがいろいろなことを言うけれど、究極、まずは自分なのだと思う。カラフルな世の中をご機嫌に渡っていくためには、他人の好みを満たすように生きることよりも、自分自身の好みを明確にしていくこと、好きなものには好きだということと同じくらい、嫌いなものには「嫌いだ!」って言えちゃう勇気も、とっても大切なことになるのだと思う。自分の意思を明確にすることによって、世界の彩度もより鮮明なものになる(逆に言えば、自分のこころが「イヤだな」と思うものを受け入れてしまうと、精神が濁る)。みんなが同じ色になることで半ば強制的に調和が保たれる予定調和的な世界よりも、わたしは、それぞれの色をそれぞれのスタイルで生きながら、それでいて「空間全体の調和が保たれている」ような、そういうカラフルでご機嫌な世界を生きていきたいと思う。
すべてのひとを好きになれなくていい。すべてのひとを肯定できなくてもいい。苦手なひと、嫌いなひとがいる自分を認めると、好きなもの、好きなひとの輪郭はもっとはっきり見えてくる。嫌いなひとを好きになるための努力より、好きなひとに好きだと言うための勇気を、覚悟を、躍動感を護りたいと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2017年4月20日
人生は続く。
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坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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