最近のエントリー

ちょっとしたニュースから こんなことを…

朝のニュースを見るのが実は大好き(夜のもですが ニュースがすき)なれっかです。おはようさん!

ただ少し、とあるニュースを見ていて違和感を感じてしまったことがありました。非常に多様かつセンシティブな問題であることは承知のうえで書くのですが ふぅん、と思って読んでもらえればいいです。

ニュースでは、例えば交通事故を起こした容疑者について 年齢と名前を告げています。
その中で、被疑者が日本人としての通名を持つ在日朝鮮人だった場合 そこで日本人名と在日朝鮮人名の両方を告げたうえで、「○○県に住む在日朝鮮人の○○、本名○○、(○○才)が…」という言い方をします。

これは一概にひっくるめることも難しいことでもあるのですが、在日朝鮮人と呼ばれる中にも 日本国籍を取得すればコリアンジャパニーズもしくは朝鮮系日本人と呼ばれる人たちもいたり 在日韓国人と在日朝鮮人を区別したりすることもあるそうですが、そもそも日本社会で同じ社会の中に生きる者として仕事をしたり結婚をしたり、そして例外的に犯罪や事故を起こしてしまった人を「在日朝鮮人の」という冠詞で紹介することは必須なのだろうか?

日本人が事故を起こしてしまった場合は年齢と名前だけ。出自や血統などわかるはずもない報道をされますが 在日朝鮮人の場合は丁寧にその出自を明らかにされる、というのは 差別助長につながることではないかと私は思いました。そもそも在日朝鮮人の方で 周囲や家族すらもそのことを知らされていない場合というのもあるようです。日本で暮らすこととなった経緯はそれぞれの人/家族によって違うとは思いますが、暮らしていくなかで、就業や結婚においての困難が日本人よりも多くあるという事実があって そんな在日朝鮮人の人たち全てにさらに社会の歪んだ目が向けられるような報道のあり方は どうも健全なものであるとは思えない私です。

ちなみに日本に暮らす在日の方で、帰化しないまま生きる方も多くいます。それはどうやら「帰化=市民権の獲得」という近代的な制度がいまだに日本では達成されておらず、むしろ「帰化=民族性の統一」という意味合いを強く含む現行法たるゆえんだと言われることもあるようです。

昔 おなじバイト先の友達で、在日朝鮮人だという男の子がいました。私より1つか2つ年上で 周囲がやんややんやと騒いだりもめ事を起こしても、いつも比較的冷静なのですごく大人びて見えた。
そんな彼と あるとき二人で飲んでいて、彼は将来の夢を話してくれました。
「将来、裁判官になりたい。法学部だけの勉強ではなれないから いまスクールにも通ってる。 まだまだ自分でも勉強しないと。」
そこまで言ってから、ちょっとさみしそうな目をして ぽつりと、もう一言こう言いました。
「でも、実は今の日本の法律では それは無理なんだ。おれ 在日だから、選挙権もないんだ。」

私は当時大学1年だったのですが、同じ大学の同級生や先輩でも はたちになれば自然といただける「参政権」を 全く使うこともなく選挙に行かない人が多いなか、欲しくて欲しくてたまらない 関わりたいものにどうしても 手の届かない身近な友人の姿をみて、とてもやるせない気持ちになりました。日本で生まれて ずっと日本に住んでいる 自分となんら変わらない男の子。居酒屋で毎日のようにバカ騒ぎをする同世代の子達よりも ずっと政治や行政に興味を持って、毎日必死で勉強していた男の子。その彼が決定的に 周りとは違う扱いを社会そのもの、行政そのものからされている 重大な権利を奪われていることがどうしても納得できませんでした。

日本の制度は単一民族国家としてのそれであり、現代の多様な「人/情報/経済」の移動を包括する社会の一員としては 赤児のそれにひとしい未熟っぷりだと思います。ふるい。行政のみならず 報道を含む民間や 国民の意識もまた然り。民族的な同化をめざすのではなく、多様な民族性を介立させた現代国家として生まれ変わるには一人一人の意識の変革も必要だと思います。実はこの「マルチカルチュラリズム」…多民族国家とその制度や思想は私の大学時代の専門でもありました。この分野で最も尊敬されている前衛的な国家はズバリ、多民族国家 カナダです。…こっから話がまたそれてゆきそうなので、このへんで…。ああ まとまらなかった…。

検索