
「日本人は、どうしてNoと言わないの?」 これは、昔からずっと言われ続けている外国人の疑問です。今回は、外国人がこのテーマで立てたスレッドを翻訳してみました。 ↓以下に海外からの書き込みを翻訳してお伝えします。 翻訳元: japan-guide.com
● スレ主 フランス 男性
このサイトで色々と教えてくれる日本の人たちには、一つの傾向がある。彼らは決して、こちらの主張に対してNoとは言わないんだ。あるいは、一見、賛成してくれてるように見えても、あとで反対の意見を言い出すケースも多い。また、率直に答えてくれるよりは、そのトピックに反応することそのものを止めて、その場を去ってしまうケースもあるようだ。
僕としては、こうした振る舞いの良し悪しを判定したいというわけじゃない。どんな振る舞いにだって、長所もあれば短所もあるわけだから。彼らは「率直にNoを口にし過ぎるのは失礼」と認識しているせいなのかもしれない。だが、僕としては、日本の人たちが何故こんな風に振る舞うのか、それをぜひ知りたいんだ。みんなの意見を聞かせてもらえないだろうか。 日本について書かれた文章で、ちょくちょく目にするのは、「日本は島国だから、人々は共に暮らす上で強い共同体を作る必要があり、そのため摩擦を避けようとする。」というようなことだ。ただ、実際のところ、世界には他にも島国はたくさんあるよね。でも、イギリスや台湾、ニュージーランドに関して、同じような話は聞いたことがない。だから、真相は、もっと複雑なんじゃなかろうかと思えるんだ。
あと、こんな話も読んだことがある。欧米の人間が日本に移り住むと、なかなか日本人の友だちができない。それは、新しい日本の友だちに出会えたように思えても、すぐ無視されるようになるからだそうだ。これも日本人と欧米人のやりとりで、Noを言わない事が原因になっているんじゃないかと思えるんだけど、間違っているかな? 僕自身、このサイトのおかげで日本人の友達が何人かできた。僕の母国で直接顔を合わせたこともある。メールだけのこともある。メールでやりとりした日本人の中には、こちらにコンタクトを取って来なくなる人がいた。メール本文はこちらに興味津々といった内容だったんだけどね。ただ、これは単に、あちらが沢山の人とメールでやりとりしていて、僕のことは退屈だから忘れられたというだけかもしれない。それに、他の国の人とメールしあってても同じことはあるから、これについては何とも言えないんだけどね。 読んでくれてありがとう。もし、僕の疑問の答えを説明できる人がいれば教えて欲しい。待ってるよ!
● 居住地不明 アフリカ系男性
オーマイガッ、君の投稿を見つけることが出来て、最高にラッキーだよ。実は僕も、去年似たような経験をしたので、ここ何ヶ月間か、このサイトを見ようという熱意を失っていたんだよね。だから、君の疑問は100%理解できる。
● アメリカ
そうしたフラストレーションについて理解はできるけどね。でも、「ローマではローマ人のするようにせよ」(郷に入っては郷に従え)という言葉が、ここでも当てはまるんじゃないだろうか。もちろん、僕も日本の人たちが、僕らの「正直さ」や「率直さ」をどう感じているのかは気になる。外国人の率直さを心地よく思ってはいないのかな、という気もする。彼らが、率直さはガイジンの特徴なんだと理解して認めてくれれば素晴らしいな、とも思う。
でも、いずれにせよ、君が不満だからというだけの理由で、日本人の振る舞いを変えるわけにはいかないよ。君がそうした振る舞いを気に入らないなら、日本に行かなければいいだけのことなんだから。
● アメリカ アフリカ系女性
誰も日本人が変わるべきだなんて言ってないと思いますよ。ただ、不満を感じているポイントを指摘しているだけですし、思ったことや感じたことを素直に書いているだけですから。ただ、私としては今のところ、日本人の受け答えについて何も言えないですね。彼らは正直に誠実に振る舞った結果、そうなっただけかもしれませんし、礼儀正しさの表れなのかもしれないとも思いますからね。
私としては、私たちがオープンで率直な外国人として振る舞ったとき、日本の人たちがどう感じるのかということに興味があるだけです。普通、私たちが何か言う時は、本音でしゃべりますよね。「遊びに行こう!友だちになろう!」と言ったとしたら、そこに他の意味を込めることは無いでしょう? 解釈の余地なんてどこにもないと思いますよ。でも、日本の人たちはそうじゃないんでしょうか?
● 居住地不明 アフリカ系男性
こういう議論はいいね。何かを学べそうな気がするよ。できれば、もっと沢山の人に参加してもらいたいところだな。
> 僕も日本の人たちが、僕らの「正直さ」や「率直さ」をどう感じているのかは気になる。 > 外国人の率直さを心地よく思わないのかな、という気もする。彼らが、率直さはガイジンの > 特徴なんだと理解して認めてくれれば素晴らしいな、とも思う。
ここは僕も同意する。そして、その答えがぜひ知りたいね。ただし、
> 君がそうした振る舞いを気に入らないなら、日本に行かなければいいだけのことなんだから。
ここには同意できないな。日本人を変えたいとか、気に入らないということではなくて、彼らがなぜ「ノー」と言わないのか、ただその理由が知りたいんだよ。彼らに、こちらの望む答えを強いたいわけじゃなくて、スレ主が書いたような「日本人がこちらにコンタクトを取ってこなくなる」ような状況になったとき、こちらに悪意はなくても、何か間違ったことをしてしまったのか、それが知りたいんだ。
日本人にとっては、「ノー」という言葉が怒りや悲しみなど、ネガティブな感情を呼び起こすらしい。ただ、「ノーサンキュー」と言ってくれたり、「申し訳ないけど、それはできない。なぜなら…。」と言ってくれたりすれば、丁寧な形で断ることはできるはずなんだけどね。日本人は「ノー」の代わりに「ソーリー」という言葉を多用しがちだけど、それは言葉の意味を誤解しているか、言葉の使い方を間違っているように思える。普通、僕らが「ソーリー」を使うのは自分が間違いを犯したときか、相手のオファーを断るときくらいだからね。 結局のところ、僕もスレ主の意見に同意せざるをえないな。分かりやすいシンプルな反応が得られないというのは、外国人にとってはフラストレーションがたまるものだから。ただ、日本の人たちも外国に行ってみれば、「ノー」と言われることはあるだろうし、なおかつ、それが失礼でも下品でもないということには、気づいてくれるだろうと思うけど。
● 日本 男性
皆さんこんにちは。私としては、誰の事も批判するつもりはありません。日本人は、他の国の人達とそれほど違いませんよ、という事を説明したいと思います。まず、「何も告げることなく去る」というのは、世界中どこでも起こり得ることだと思いますね。ですから、こうしたシチュエーションで、口ではイエスと言いながら、内心ではノーと考え、「彼(彼女)を怒らせてしまったかな?」と思いながら姿を消す日本人も、もちろん存在するでしょう。
また、私はあなたのことも、あなたの日本人のお友達のことも直接は知らないので、これは単なる推測ですが、ある種の言葉の壁が原因になっているのかもしれないとも思います。あなたと日本人とのやりとりにおいて、どの言語が使われていたのか分かりませんが、もし英語でのやりとりだったのだとすると、これは平均的な日本人にとって、かなりもどかしく感じられるはずです。英語は日本人にとって、非常に難しいものですからね。英語のヒアリングは特に苦痛です。大半の日本人にとっては、映画に出てくるような日常的な会話すら理解できません。会話の終わりに、あなたが「また会いましょうね!」と言えば、相手は、ほぼわけの分からないまま「もちろん!」と返す他にないのです。 日本の英語教育で習える日常会話の表現は、かなり限られたものです。だから、もし、「ハウアーユー?」と言われれば、仮に病気であっても、「アイムファイン!」と答えるしかないのです。これは半分ジョークですが、半分は本当です。私は学校で、これ以外の答えを習った覚えがありませんからね。
また、あなたと日本人との会話が日本語で行われたのだとすると、それはそれで、やっぱり苦痛です。私は外国人の話す日本語をたくさん聞いてきましたが、正直なところ、日本人の話す英語よりヒドい場合が多いのです。英語を母国語とする人から日本人と同レベルの日本語を聞いたことは、一度もありません。大半の日本人が少なくとも6年間は英語を勉強するのに対して、海外の人が日本語を学べる期間はそれほど長くないのが普通ですから、やむを得ないことではありますが。
では、どうすればいいのでしょうか?私としては、日本人と外国人が、もっと注意深くお互いを観察しあうべきだと思いますね。もし、あなたが英語を母国語とする国から来た人なら、日本語はさほど流暢ではないはずなので、英語を使ったほうがいいでしょう。ただ、ゆっくりと明確に話すようにして下さい。
● アメリカ アフリカ系女性
うーん、私の聞きたかった答えとは違いますね。私は英語が母国語じゃない人と英語で話す時はハッキリと、そして可能な限りゆっくり話すようにしていますよ。私は自分の母国語でないスペイン語で話す時もありますが、その時の経験から、ゆっくり話してもらう方がありがたいという事は理解できますからね。日本語で話すときも同じですよ。基本的にはハッキリゆっくり話すので、そこに関しては褒めてもらえる事が多いですね。日本語が私にとって母国語じゃない事、そして現在日本語を勉強中の立場であることは自覚してます。
あと、私の出身地はアメリカ南部ですが、ここでしつけられた影響も大きいかな。私の地元の人達は他の地域よりゆっくり話す人が多いんです(笑)。でも、良いポイントを指摘してくれたとは思います。誤解と言葉の聞き取りにくさですか。これが原因になっていることも有り得ますね。
● アメリカ 男性
言葉の壁は、確かに大きな問題だと思う。以前、日本のメール友達と映画について語り合おうとしたことがあるんだが、Google翻訳を使っても、なかなか難しいものだったよ。ただ、日本の人たちは英語があまり上手くないからといって、恥ずかしがるべきじゃないね。個人的に、日本の人たちは僕の近所に住んでいる南米やメキシコ出身の人達より英語でのコミュニケーションが上手いと思うよ。日本に旅行した時も、むしろ、彼らの英語が上手であることに驚いたほどだ。それに、ブロークンな英語であっても理解できたよ。
だから、これを読んでくれている日本の人に言いたいんだが、アメリカに住んでいる人であっても、誰もが完璧な英語を話せるわけじゃない。だから、心配したり恥ずかしがったりする必要はないよ。もし、理解できないことやメールを続けたくない理由があるなら、どうか、そのメール友達にそれを教えてあげて欲しい。新しいメール相手を見つけようとする前にね。
アメリカ人が単刀直入で直接的だということは認めざるをえない。僕らは本心を語るし、駆け引きは得意じゃない。日本文化を愛するアメリカ人である僕から見ると、日本の人たちはアメリカ人に対して、何やら企んでいるんじゃないかという風に映るんだよ。僕らが何か間違ったことをしでかしたのなら、僕らはそれを理解したい。だから、どうか、微笑みを浮かべて、ヘンにこちらを喜ばせようとするのはやめて欲しい。頭脳ゲームを仕掛けるのはやめて欲しい。ただ、「ノー」と言ってくれれば、それで良いんだよ。「ノー」はメールで打つのも口に出すのも、難しい言葉じゃないんだから。
● 日本 女性
ノーという言葉を「決して」使わないというのは大げさだと思いますね。別にノーを永遠に使わないわけじゃありませんし、100%の人が使わないわけでもありません。ノーが使われにくいのは、文化や社会が原因と言わざるをえないでしょうね。
まずは、日本人の事としてだけでなく、普遍的な事として考えてみましょうよ。どうか、ご自身にも問いかけて下さい。正直なところ、あなたは他人を拒絶したいですか? イエスと答える人は、恐らくいませんよね。もし、相手が正直で率直な人なのに、その人を拒絶したいと感じるなら、それは精神的に問題を抱えた人くらいです。また、私たちは小さな子供ではありませんから、その気もないのにノーと言ったりもしませんよね? そんなことをすれば、無意味に人の気持ちを傷つけてしまうだけだからです。だから、どうしても相手を傷つけてしまいかねない事を言わなければならない場合、少なくとも相手に与えるショックの度合いを下げようとしますよね?
さて、ここで本題に戻ります。なぜ最初は仲良しだった人が突然相手にしてくれなくなるんでしょうか? 確かにイライラしますよね。そんなことがあれば、私だって怒ってしまうだろうと思います。ただ、こういう状況を想像して下さい。あなたに新しい知り合いができました。そして、彼が「また会おうよ。」と言ってきましました。彼はフレンドリーだけど、あなたとしては断りたい、そういう状況です。さて、あなたはストレートにノーと言えますか? 大半の人は、とりあえずOKと返事をして、彼の気分を害さないようにするんじゃないでしょうか。あるいは、「また都合が合えば会おうね。」と言うかも知れません。恐らく、そんな感じのことだったのではないでしょうか。
友人が、ヨーロッパ旅行でこんな経験をしたそうです。あちらで、彼女はとてもたくさんの人と会いました。誰もがとてもフレンドリーで、彼らは、彼女を色んな所へ連れていく約束をしてくれました。でも、最終的には、どの約束も実現しませんでした。みんな空約束をしていただけたったのです。では、これはヨーロッパの文化が原因で起こったことなのでしょうか?文化的な要素が無関係とまでは言いませんが、私としては、彼らがどんな風に育てられたのかとか、どうやって成長してきたのかといった個人的な要素の方が、深く関係していると思います。 どこの国の人であれ、あまり深く考えずに知り合いを遠ざけてしまう人はいますし、逆に相手の気持を考えすぎて会わなくなる人もいます。あるいは、単に言葉と行動が一致しない人もいます。ですから、日本人を安易に分類しようとするのは止めませんか?
● アメリカ 日系アメリカ人男性
文化人類学では、低文脈文化、高文脈文化という用語があります。全てを解説するのは大変なので簡単に説明しますと、低文脈文化(アメリカやオーストラリアなど)では、話し手側が、伝えたい内容を直接的で明瞭に表現する責任を負うものと見なされています。そして、日本のような高文脈文化においては、聞き手側が、話し手の意図や期待などを推測しつつ、言いたいことを理解するべきものと見なされているのです。
高文脈文化では、話し手が、言いたいことをダイレクトにクリアーに表現することはありません。そうすることが、彼らにとっては不快だからです。ただし、話し手は、彼が出すヒントによって、聞き手が話を理解してくれるものと期待しています。したがって、ノーと言う必要性もほとんど無いのです。
私は低文脈文化の外国人から、彼らの日本人の恋人や配偶者が「愛してる」と言わないことについて、何度も不満を聞かされたことがあります。「愛してる」という言葉を発するのも、日本の人々にとっては極めて不快なのです。
● フィンランド 女性
私も、主にイギリス人に対してでですけれど、こうした問題で大変な思いをしてきましたよ。たとえば、イギリス人をパーティに招待するとしましょう。でも、彼らがパーティに出席してくれるのか、してくれないのか、さっぱり分からないんです。というのも、彼らは頭の中ではノーだと思っていても、口ではイエスと言うことがあるからです。
フィンランド人である私にとって、彼らの言葉の裏にある真意を読み取ることは、ひどく面倒でした。特に、ボーイフレンドに「一度何かに同意したら、その言葉を守ってほしい。」ということを理解してもらうのには、本当に苦労しました。イエスと言ったら、その言葉の意味するものはイエスしかないはずなのにね。
● アメリカ アフリカ系女性
私だったら、絶対「ノー」と言ってもらいたいと思いますよ。そうすれば、別の方法だって考えられるわけですからね。日本人は欧米人に対して、もっと正直に気持ちを伝えてもらいたいと強く願います。率直に言って、遠回しな表現をすることが友人との関係を快適にするとは思えません。結果的にウソをつかれたと感じることになるなら、その方がよっぽど傷つくし、不快な気持ちにもなりますよ。だったら、正直に「ノー」と言ってもらった方が、ずっとマシです。
日本の人たちは、本当の気持ちや考えを、自由にオープンに欧米人と共有すべきだと思いますね。その時に私たちがどう思うかなんて、心配しなくていいんです。私たちだって、自分の考えを、ああだこうだと、毎日わめき散らしているんですよ。つまり、慣れてるってことです。私たちは日々議論したり、自分の物の見方について話しあったりしているから、異なる意見について、どう対処すべきかは心得ているんです。仮に合意に達しなかったとしても、見解の相違を認めあえば良いわけですからね。 もちろん、そういった事が苦手な人もいますよ。意見が違う相手に怒り狂って、最後に侮辱的な事を言うような人たちですね。ただ、そういう人たちは、たいてい無視されることになっています。知性の欠けた人たちでしょうからね。恐らく、世界のどこでも、似たような感じじゃないでしょうか。
● 居住地不明 アジア系
↑僕の言いたいことを、うまく書いてくれた。全面的に同意するよ。
● スペイン
なんで日本人が、振る舞いを変えろとか話し方を変えろとか言われなきゃならないんだ?アメリカ人は全知全能だから、それに合わせろってことなのか?それに、「欧米人」とひとくくりにされても困るな。西洋の国がみんな同じというわけじゃないんだから。どんな国だって、それぞれの習慣ってものがあるんだよ。よその国からやってきて「君たちは我々欧米人に合わせて話し方を変えるべきだ。」なんて言うのは、控えめに表現しても、かなり傲慢だと思うね。
● 居住地不明 アジア系
なにも、日本人の個性を完全に変えてしまいたいと思っているわけじゃないんだよ。そんなことを言っている人は、誰もいないはずだ。ただ、コミュニケーションに関しては、双方が互いの表現したいことを理解しあうことが必要だと言いたいだけだ。日本人にもっと直接的な表現で語ってほしいというのは、あくまでコミュニケーションがうまくいくように、そうしてほしいというだけのことだ。欧米人に対してだけでなく、外国人全般に対してだよ。僕はアジアンだけど、日本人と話していて、困った事が何度もあるからね。
● アメリカ 日系アメリカ人男性
あなたの気持ちはよく分かります。なぜなら、私自身は西洋文化の中で長く生活してきた人間ですけれど、日本人である妻とのやりとりの中で、似たような不満を感じてきましたからね。妻は短期間の旅行を別にすれば、東京23区内から外に出たことがないような人です。
ここで、私が先ほど投稿した内容を思い出して下さい。HC(ハイ・コンテクスト=高文脈)文化とLC(ロー・コンテクスト=低文脈)文化の件です。欧米のようなLC文化においては、聞き手が内容を理解できるかどうかは、話し手次第です。しかし、日本のようなHC文化においては、聞き手の方に強い責任があります。話し手の表現したい内容が伝わるかどうかは、聞き手の理解力にかかっているのです。
そして、人類学の学説においては、HCの人とLCの人がやり取りする場合、HC側の方がLC側に合わせてコミュニケーションすべきだということになっています。しかしながら、聞き手が話し手の言いたいことや気持ちを汲み取ってくれるスタイルのコミュニケーションに慣れたHCの人にとっては、LC文化で育った人が、非常に煩わしく感じる可能性があります。それは、自分の気持ちを分かってもらうために、一から十まで何もかもを説明しなければならないように思えるからです。例えるなら、ソフトウェアには、キーボードで文字を数個打てば、予測してその続きを提示してくれる機能を持つものがありますが、そうした機能に慣れた人が、それをOFFにして文字を打つようなものなのです。
「日本人はもっと直接的な表現で語ってほしい」という意見は、間違っていないとは思います。言いたいことを理解してもらうためには、HCである日本の人々が、LCスタイルのコミュニケーションに合わせなければなりません。ただし、そうすることがHCの人々にとっては相当な負担になることも、LC側は分かってあげなければいけません。HCの人が海外に出たり、LC文化の会社で勤務するのであれば、かなりの努力が必要になります。また、ビジターとして、そうした努力をするのは正しい姿勢でもあります。
ただし、外国から日本にやってきて、日本の集団におけるメンバーとして受け入れられたいのであれば、HCの人に対してLCスタイルに合わせるように要求するのは、傲慢であると見なされるでしょう。外からやってきた人の方が、HCコミュニケーションを学ぶよう努力すべきです。私はHCに適応した欧米人を、実際にたくさん見てきました。だから、決して不可能ではありません。
そんなわけですので、日本で外国人が「面倒くさい」と見なされることがあるのは、「日本人は、聞き手側が持っている高い理解力を頼ることに慣れているから」というのが、その理由だと考えますね。
● 居住地不明 アジア系
HCとLCのお互いが、相手のやり方に適応する必要が有ることは理解できたよ。ただ、僕にとってHC式のコミュニケーションは、いつも本当に分かりづらく不明瞭なものに感じられるんだよね。HCの人たち同士では問題が起こらないんだろうか? 常にお互い誤解しあう可能性があるように思うんだけどね。
(翻訳終わり)
管理人より:「LCに合わせることが、HCの人々にとっては相当な負担になる」という書き込みがありましたね。さらに、HC、LCを定義した文化人類学者エドワード・ホールによると、「最もHC寄りの言語は日本語である」とのことです。ということは、LCの欧米社会に適応するうえで、最も苦労するのは日本人である、とも言えるわけですね。海外で頑張っていらっしゃる日本人の方々は、我々が想像する以上に、色々なご苦労を乗り越えてこられたのかもしれません。なお、最もLC寄りの言語はドイツ語だそうです。
http://chouyakuc.blog134.fc2.com/blog-entry-181.html外国人の疑問 「日本人は、なぜNoと言わないの?」 海外の反応
Twitterで更新情報をお届けしています。
|