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戒壇様本懐論をどう思いますか?
1沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/07/31(木) 22:45:21
 私は、戒壇様はご本懐では無いと思っています。

 『されば三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給いしなり三世の諸仏の出世の本懐一切衆生皆成仏道の妙法と云うは是なり。是等の趣きを能く能く心得て仏になる道には我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり。』
 (法華初心成仏抄)

 漫荼羅が出世のご本懐だとは仰せでありませんね。
 もし戒壇様がご本懐というなら具体的な文証が必要でしょう。
 先日質問会でもでましたが、聖人御難事は文証にはなりえません。
 あの御書は2年10月1日。
 戒壇様は12日。
 時系列で文証にはなりません。
 その12日間で色々蓮祖がご準備をされた。との説は、単なる推測です。
 ご本仏さまのご本懐を推測で決めることは誤りだと思います。

 寛師は戒壇様本懐論です。
 私は何度も違うと書いております。
 戒壇様が数あるご本尊様の中の一つ。と証明出きるなら、寛師の正当性は崩れます。
 
 以下に理由を述べます

 先ず、宗門の言うように、戒壇の御本尊様が他の蓮祖御図顕の御本尊様と比べ、特別なお力を持つか?を考察をいたしましょう。
 御書には御本尊様について有名な記述があります。
 それを引用いたします。

 『夫について経王御前の事二六時中に日月天に祈り申し候、先日のまほり暫時も身をはなさずたもち給へ、其の本尊は正法像法二時には習へる人だにもなしましてかき顕し奉る事たえたり、師子王は前三後一と申してありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時もいきをひを出す事はただをなじき事なり、日蓮守護たる処の御本尊をしたため参らせ候事も師子王にをとるべからず、経に云く「師子奮迅之力」とは是なり、』(経王殿御返事)

 ここで蓮祖は、自ら御図顕の経王殿に御下付なされた御本尊様を顕すに当たり、渾身のお力を持ってなされた。と、御明言なされておられます。

 更にその下段では。

 『日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし、』

 と、この御本尊様はご自分の御魂そのものである。と御宣言です。

 ここで疑問があります。
 この御書をお書きになられたのは、文永十年八月であり五十二歳の御作です。
 竜の口法難、佐渡流罪の以後。と、なっており、蓮祖は既に発迹顕本をとげられ、末法の御本仏としてのお立場にあります。
 すなわち、この時点で経王殿に御下付をされた御本尊様は、末法の御本仏の御魂そのもののお力がある。と、考えねばなりません。
 戒壇の大御本尊様の御図顕は、これより七年以上の後、弘安二年十月十二日です。
 この間に御図顕の御本尊様は、現存するだけで数十帯を超えております。
 現実に御図顕なされた御本尊様は、これの何十倍もあると考える事が自然でしょう。
 当然それらの数多くの御本尊様も、それぞれ蓮祖の御魂と同様のお力を備えておられます。
 ご本仏自らの仰せですから、疑う必要もありません。
 戒壇の大御本尊様のみが、特別な御本尊。と、位置づけるのであるならば、戒壇様を御図顕なされる時、蓮祖の御境涯がそれまでと比較し特別に開かれた。と、言う事が必要となります。
 然しながら、蓮祖は竜の口にて発迹顕本をなされたのですから、ご本仏としての御境涯がその後変化をすると考える事には無理があります。
 これらを総合的に判断をすれば、戒壇の大御本尊様は他の御本尊様と同じお力をお持ちである、との結論が導かれます。
 決して特別なご本尊様では無いと思います。

2森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/01(金) 02:26:57
身延の地が謗法の地になったので、富士の地に移られたように、富士の地が謗法の地になったので、大聖人の心を知る日寛上人の書写された御本尊がご安置されていて、且つ創価の師弟不二の信心をされている人の処が本門の戒壇。

謗法の地にあっても大御本尊様とも信心によって境智冥合出来ると信じています。

3沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/01(金) 06:40:09
 森野さん、おはようございます。

 貴方は、戒壇様が蓮祖の出世の本懐と思われますか?
 思われませんか?

4森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/01(金) 10:40:00
>>3
沖浦さん、おはようございます。
私は、大石寺の大御本尊様は、信心のない日蓮正宗にとっては力を発揮されないものだと思っています。
『聖人御難事』の弘安二年の出世の本戒は、熱原の法難での信徒の側の難だけでなく、それを受けての大聖人の何らかの行動の事だと思っています。
日寛上人は、百六箇抄や日興上の遺状を上げられて、弘安二年に大聖人から日興上人に相承された御本尊を本門戒壇の御本尊と言われていますが、信心がなければ力のないものと思っています。

5森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/02(土) 14:30:36
>>4
訂正します。
下から三行目
本門戒壇の→本門の事の戒壇の

6沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/02(土) 19:34:27
 弘安2年の余は二十七年なり。
 は、法を説く事そのものが出世の御本懐であり、熱原法難での農民達の不退転の行動に見られる機根の熟成だと思います。
 特別な何かのご行動のことでは無いと思いますよ。

7沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/02(土) 19:35:15
 それと、寛師はこの件では全く信用が出来ません。

 森野さんへ。

8耕治:2008/08/02(土) 19:54:32
ご本尊とは、「根本として尊敬するべきもの」というのが元意です。
これに、異を唱える人は少ないと思います。

 根本として尊敬するべき当体とは何か?
 それは、命ではないですか。

 生命そのものが、尊い。その尊さを図顕したものが、曼荼羅の御本尊様だと思います。
大聖人様は、その尊き生命に「南無妙法蓮華経」という宝号を名づけられたのです。

 「一大秘法」とはなにか?
 それは、生命そのもの尊極なることを指して云っているんだと思います。これは私の己義です。
「一大秘法とは、「戒壇様」だという人もいます。それも、己義だと思います。

 さて、「一大秘法」を修行して成仏するわけですが、「戒壇様」が「一大秘法」なれば、「戒壇様」に対する信なき者は成仏ができません。
「戒壇様」がなくなっても成仏ができません。
 「戒壇様」が存在するから成仏が可能なのであって、

「一大秘法」の正体が生命そのものならば、私たちの生命そのものがもともと尊極だから、
成仏の因は、「戒壇様」ではなく、私たちの生命に存在していることになります。

9沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/02(土) 19:57:24
 私自身は25年前に結論が出ているのです。

 一大秘法とは、凡夫の己心に大宇宙と全く同様の妙法が備わっている。
 それこそが最も肝心な事で、一大秘法と呼びます。

 本尊でもあるし妙法としてのお題目でもある。
 
 この極意から考察すれば、漫荼羅は本尊ではあるが方便です。
 迹ですね。
 本は、本尊である私共の己心の妙法。
 漫荼羅はそれを顕現させるための道具。
 本門の本尊とは漫荼羅本尊その物を示さない。

 こう思っているのです。

10森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/03(日) 01:18:57
沖浦さん、こんばんは
>>6
法を説く事も行動だと思います。信徒の機根が醸熟したのに応じて大聖人が何らかの行動を起こされて本懐を遂げられたのだと認識しています。
>>7
なぜ、沖浦さんは、日寛上人を信じられないのでしょうか?
日寛上人が、今の大石寺をご覧なられたらどのような思いなされると思われますか。
耕治さん初めまして。
宜しくお願い致します。
>>8
耕治さんが言われる『本尊は生命』に同意いたします。私はその上で、色心不二の法門より、大聖人が御図顕された曼荼羅も生命であると認識しています。
私達の生命も色心不二であり、御本尊様も私達と同じ色心不二の生命なのだと認識しているのです。
大聖人が御書で言われている『妙法蓮華経の五字』とは、御本尊様の事を言われている場合があると認識しています。
私は、一大秘法は本門の本尊と認識しています。(続く)

11森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/03(日) 02:15:27
>>8(続き)
日寛上人は、『文底秘沈抄』で本門の本尊を示されているところで、[法本尊]と[人本尊]と[人法体一]を示されてはいても、『戒壇様』が一大秘法であるとは示されてはいません。
本門の戒壇を示されているところでは、本門の戒壇には事と義が有り、本門の本尊の所在の処を義の本門の戒壇と言われています。又、百六箇抄や日興上人の遺状を引かれ、大聖人から日興上人へ相承された御本尊様を大聖人の出世の本戒とされ、三大秘法随一の本門の戒壇本尊と言われています。そして、この戒壇本尊の在る処、当時の大石寺を事の本門の戒壇とされています。
私は、戒壇は、信心の血脈あることによって成り立つものだから、現在の謗法の地の大石寺にはないと認識しています。>>2のように認識しています。
日寛上人は『戒壇様』がなかったら成仏は出来ないとは言われていません。
御本尊様は紙(物体)だから、いつかは、無くなってしまうかもしれません。私達も同じ(物体)です。
紙の御本尊様にも心があって、私達生身の体にも心があって、一緒だと認識しています。
>>9沖浦さんへ。私も、『己心の妙法を本尊』に同意いたします。その上で、大聖人の曼荼羅も私達の己心の妙法と一緒と認識しています

12沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/03(日) 06:24:35
 森野一士さん、おはようございます

 寛師を信じる?
 だってあの方嘘ついてますよ。
 これです。
 それと信じるのは大聖人様だけですよ。
 後の法主は参考程度です。

 観心本尊抄文段に、

 弘安元年已後は、究竟の極説なり。就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり、況んや一閻浮提総体の本尊なる故なり

 馬鹿馬鹿しいですね。
 大聖人様の御本尊様に優劣があるものですか。
 私の主張をこのスレの最初に書いてあります。
 今一度お読みくださいませ。

13森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/03(日) 10:32:02
沖浦さん、おはようございます。
>>12
御本尊に優劣がないと断じる事は出来ないと認識しています。
日寛上人は嘘をついていないと信じています。
私は、日寛上人を、大聖人を御本仏だと信じている人だと思うので信じます。
>>1について私は、
日寛上人は、『戒壇様』の根拠として「文底秘沈抄」で『百六箇抄』と日興上人の遺状の文を挙げられています。「観心本尊抄文段」では『本尊問答抄』の[この御本尊は世尊説きおかせ給いて後二千二百三十余年、]と挙げられ、後二千二百三十余年は弘安元年以降だとされています。弘安元年以降の御本尊には二千二百三十余年と書かれて、文永建治の御本尊には、二千二百二十余年などと書かれていて違いがあります。
私は、信徒側の機根の変化に応じて、御本尊様にも違いがあったのだと認識しました。(熱原の法難)時に信徒の機根が醸熟してきて、大聖人がそれに応じて日興上人に相承されたのだと認識しました。沖浦さんが引かれた『法華初心成仏抄』『経王殿御返事』は、文永建治年間に書かれたもので弘安元年に書かれた『本尊問答抄』以前の書です。続く

14森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/03(日) 10:45:31
続き
>>1
『聖人御難事』の著作が10月1日だからと言って、この時期に大聖人が熱原の法難を受けられた信徒の機根に応じて、出世の本懐をされる決意をされていなかった、とは言い切れないと思います。「二十七年」は令法久住の為、出世の本懐を遂げられる確信をされた時だと認識しています。

15森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/03(日) 11:06:12
私は、大聖人が出世の本懐を遂げられてから以降の御本尊様には違いはない、と認識しています。

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17沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/03(日) 16:59:13
 言い切れないから信じろ。

 これは無理がありますよ。
 御書はね、大聖人様がわかりやすくわかりやすく、私共が理解できるようにできるように、お心を砕いて押したためです。
 末法万年の経典なんですよ、後世やそのときの信徒が理解できなければ伝わりません。
 なのに、戒壇様本懐論だけは、ここまで脆弱な根拠しかないのに信じろ。

 無理がありますよ。

 戒壇のご大御本尊様が宗門発表のように、蓮祖出世の御本懐であるか?について考察を致します。
 宗門が主張するように、戒壇の大御本尊様が蓮祖の出世の御本懐である。とするならば、たとえお力が他の御本尊様と同様としても、それはそれとしてやはり、特別な御本尊様。と、位置づける事が可能になります。

 宗門の主張は、以下の根拠に基づいおります。
 この根拠が崩れれば、戒壇の御本尊様は蓮祖出世の御本懐ではない。との結論になります。

 衣文は以下の御書です。

 『此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年弘安二年[太歳己卯]なり、仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり。』(聖人御難事)

 ここで蓮祖は釈迦、天台、伝教の出世の本懐に触れられ、ご自分は立宗より二十七年で出世の御本懐をおとげになられた。と、宣言をなされておられます。
 ところがこの御書の書かれたのは、弘安二年十月一日、五十八歳での御作です。
 戒壇の大御本尊様御図顕より十二日以前のものです。
 これでは時系列的に、戒壇の本尊が蓮祖の出世の御本懐である。と、判断をする事は不可能です。
 非常に簡潔な道理ですね。
 又宗門にはこの時系列を埋めるため、熱原の三烈士の斬首をお聞きになられた蓮祖が、それに応じて戒壇の大御本尊様を御図顕になられた。との、説があります。
 これも時系列を埋めることが出来ないのです。
 何故ならば三烈士の斬首は十月十五日、蓮祖がそれをお知りになられたのが十七日です。
 この事実は戒壇の大御本尊様御図顕が、三烈士の斬首と直接のかかわりを持たない事を物語っております。
 追記いたしますが近年研究により三烈士(二人との説もあり)の斬首は弘安二年ではなく弘安三年との説も出ております。

 蓮祖の御書を読む時、法門の大事に関して、ご自分の思想を後世に正確に伝えるかに重点を置かれている事がわかります。
 もし戒壇様が出世の御本懐であるならば、聖人御難事の記述は、いま少し具体的ではなかったかと拝察するわけです。
 また、第四世日道上人の、三師御伝土代にも、戒壇様の記載がありません。
 この文献は蓮祖興師の時代に近く、信用ができると思えます。
 戒壇様が蓮祖出世の御本懐であるならば、これは不自然です。

 「日興上人の御弟子駿河国富士の郡リ熱原より二十四人鎌倉え召れ参る。一々に搦め取て平左衛門の庭に引据たり、子息飯沼の判官馬と乗蟇目を以て一々に射けり、其庭にて平ノ左衛門入道父子打れり法華の罰なり、さて熱原の法華宗二人は頚を切れ畢ぬ、その時大聖人御感有て日興上人と御本尊遊ばすのみならず日興の弟子日秀日弁二人、上人号し給フ、大聖人の御弟子数百人僧俗斯の如く頚を切たるはなし、又上人号なし、是レ則日興上人の御信力の所以なり云云、日秀日弁は市庭滝泉寺を擯出せられ給フ。」
 (道師、三師御伝土代より)

 ここでは熱原の法難と関係のある御本尊様について、「さて熱原の法華宗二人は頚を切れ畢ぬ、その時大聖人御感有て日興上人と御本尊遊ばす」と、蓮祖と興師が農民が斬首された後に御本尊をお二人にて御図顕なされた。との、記述しかありません。
 三烈士(ここでは二人と記されています)の斬首は弘安二年十月十五日、蓮祖がご報告を受けられたのは二日後の十七日です。(近年弘安三年との説もあり)
 いずれにしても戒壇様の御図顕の弘安二年十月十二日とは無無関係に思われます。

 私は戒壇様を否定した事は一度もありませんし、お力を疑った事もありません。
 紛れも無く蓮祖御図顕の大御本尊様です。
 蓮祖の御真筆か、後世の書写か、書写であれば書写したのは在家か出家か、御真筆であるならば紙幅か最初から板曼荼羅か?
 これらの疑問は、戒壇様のお力とは無関係の事です。

 創価学会が公式見解で戒壇様を云々する事は、いまだに時期が早いと思います。
 あわてずゆっくり今後研究がなされるでしょう。
 いずれにしても、お力があるのですから、何の問題もありません。

18耕治:2008/08/03(日) 20:59:04
//御本尊に優劣がないと断じる事は出来ないと認識しています。//

ご本尊に優劣がある。こういう認識ですね。こう認識しませんと本懐論は、崩れてしまうでしょう。

//日寛上人は嘘をついていないと信じています。//
//私は、日寛上人を、大聖人を御本仏だと信じている人だと思うので信じます。//

 ここは、私は納得はできない部分です。寛師が大聖人を御本仏だと知っているここと、戒壇様が本懐であることは、関係がありません。
極端な話、私は大聖人様が御本仏であることを信じていますが、本懐論は信じていません。
 要するに、本懐論は「寛師が云ってるから、間違いなかろう」というお話です。

//信徒側の機根の変化に応じて、御本尊様にも違いがあったのだと認識しました。//

劣=弘安二年前の御本尊様
勝=弘安二年以降の戒壇様を含む御本尊様

こういうことですか?

19耕治:2008/08/03(日) 21:08:45
本懐というのは、もしそれをやらなっかたら生まれてきた意味が無かったとう事ですよね。

20森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/03(日) 22:43:54
沖浦さんへ
>>17
私は、『聖人御難事』が10月1日に書かれたものだからといって、大聖人から日興上人に相承された御本尊様が出世の本懐ではない、とは言い切れないので、沖浦さんの言われる事を信じられないのです。
道師の著作が信徒に与えられた御本尊様の事を示されているだけで、日興上人に相承された御本尊の事ではない事は分かりました。
沖浦さんは、御書は分かりやすく書かれていると言われていますが、御消息文などの武士階級の方へ宛てられたお手紙などは、私も分かりやすく書かれていると思います。一方、観心本尊抄や開目抄や御義口伝や百六箇抄・本因妙抄・三世諸仏総勘文教相廃立などは、当時の農民信徒には難しかったのではと思います。
大聖人は、『聖人御難事』を書かれた時には、熱原の法難の事をご存知であったという事だけでも、農民信徒が暫首された事とは関係なく、本懐を遂げる経緯に成り得たのだと思います。沖浦さんの言われる『戒壇様』には力がある、に私も同意します。その上で、信心がない大石寺では力は発揮されないと信じています。私は学会教学で、大聖人の出世の本懐は弘安二年十月十二日に建立された大御本尊と学びました。

21森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/03(日) 23:40:48
耕治さんへ
>>18
私は、日寛上人のことを、大聖人を御本仏と信じている人だから信じ、且つ、日寛上人の『文底秘沈抄』での、熱原の法難時に大聖人から日興上人へ相承された御本尊様があり、その御本尊様が大聖人の出世の本懐だとしている事を信じています。
御本尊様の優劣については、『本尊問答抄』での、「此の御本尊は世尊説きおかせ給いて後二千二百三十余年が間一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず、」とあり、これより以前の御本尊様と区別をつけられていることから、御本尊様に優劣があると認識しました。又、初期の御本尊様と弘安元年頃の御本尊様の相貌の違いから、優劣があると認識しています。繰り返しですが、私は、出世の本懐を遂げられてからの御本尊様には優劣はないと信じています。
>>19
仏の出世の本懐は法華経を説く事であり、釈尊は二十八品の法華経を、天台大師は摩訶止観を、大聖人は文底独一本門の大御本尊を建立される事。だと認識しています。

22名無しさん:2008/08/04(月) 08:27:10
「戒壇様」という言葉に慇懃無礼な感じをとってしまいます。

23一壮年:2008/08/04(月) 09:23:38
富士大石寺におわします
本門戒壇の大御本尊様と
私はお呼びしております。

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25耕治:2008/08/04(月) 09:27:44
//「戒壇様」という言葉に慇懃無礼な感じをとってしまいます。//

 これも、二つの捉え方が在るように思います。

「戒壇様」以外のご本尊に対して、不敬である。
「戒壇様」に不敬である。

そこで、>>22さんは、「戒壇様」のお話をするときには、どのようにされているんですか

26:2008/08/05(火) 12:29:03
私は単に「戒壇様」という言い方をしたことがありません。

私が学んだ表現では「本門戒壇の大御本尊」とか、
以前の御経本の観念文にもあった「一閻浮提総与の大御本尊」です。
同じことかもしれませんが、それらの肩書きは「特別な」大御本尊という意味で使っていました。

それで、むかし私が子どもの頃、正法・像法が千年で末法は万年と教わった時に、
いかに戒壇の大御本尊が板製であっても、物理的に万年ももつはずがないと思って、
どうするのかと子ども心にも心配したものでした。

ところがその後、この問題には絶妙というか奇妙というか解決策があることを知りました。

戸田先生と日淳師の会話で、「大御本尊が何らかの理由で滅失したらどうするか」という会長の問いに、
「私がまた認めます」と師は答えておられます。

この話しは私の蔵書のどこかにあるはずですが、今は探し出す意欲はありませんので、正確な描写ではありません。
しかし、お二人が笑い合ったというのがとても印象に残っています。
ただし、戒壇の大御本尊建立が大聖人の本懐であるとの前提になっていたかは記憶していません。

以前は戒壇の大御本尊のこと(真偽とか)についてはタブーのようでしたが(日顕さんも叩かれてましたね)、
現在は日蓮正宗とは別個になったのですから、学会にとってはもはやタブーではないのでは?
したがって、大御本尊本懐論を言う時にも、まず、大聖人直造の有無がまづ問われても良いのではないかと思っています。
大聖人直造でなければ、戒壇の大御本尊本懐論は成立しないはずです。
もし、まだタブーなら、本懐論も先送りだと思いますが・・・

2773:2008/08/06(水) 23:52:22 ID:qjiW.C7w0
>戒壇の大御本尊様は他の御本尊様と同じお力をお持ちである、との結論が導かれます。

当たり前ですね。優劣もあるわけありません。
御在世中の一機一縁の御本尊様か
滅不滅の御本体であられる、
末法の衆生のための全民衆が信受すべき一閻浮提総与の大御本尊様か、
の違いでしょう。

28沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/07(木) 06:51:05 ID:AJ3hr85o0
 私は、慇懃無礼に、戒壇様。とお呼び致していません。
 私の書き込みをごらんになられればおわかりでしょうが、御本尊様、戒壇様。とほとんどの場面で様をつけております。

 私は戒壇様も、御形木様も同じお力であり、迹、私共が本。と信じる人間です。
 御本尊様は手段です。
 この考えは、一歩間違うと本尊軽視に陥ります。
 これは絶対にいけません。
 ですから、御本尊様、戒壇様。とお呼びすることで自分の心に歯止めをかけております。
 また、私が本尊が迹と発言する事で、お読みの方々に本尊軽視の気持ちが生まれるのを防ぐ意味もございます。
 慇懃無礼でお呼びしてはおりません。

29沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/07(木) 06:55:21 ID:AJ3hr85o0
 少し考えて見ませんか?

 熱原法難のあった弘安2年10月以降、大聖人様は物凄い勢いで御本尊様をおしたためです。
 これはどうしてなんでしょう?

 既にご本仏でいらっしゃいますから、御図顕の御本尊様に優劣無いはずです。
 では、どうしてこの時期から御図顕が著しく増えたのか?

 この事実の中に、ご出世の御本懐があるような気が致します。
 ご意見をお寄せ下さいませ。

30沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/07(木) 07:32:21 ID:AJ3hr85o0
 大聖人様と寛師違いですが、簡潔に述べれば、
 蓮祖は信仰の対象。
 寛師は学問研究の対象、でしょう。

31:2008/08/07(木) 11:59:39 ID:DuVSbHic0
>では、どうしてこの時期から御図顕が著しく増えたのか?

私の考える単純理由です
? 身延での環境が以前とは格段の差がある
? 御本尊を頂ける強信者が増加した(御本尊授与は弟子であることの証明)
? (御入滅を予知し)出来るだけ多くの御本尊を後世に残そうとした

これらの理由からは、出世の本懐が何処にあるか不明ですね。
というか、出世の本懐と具体像の御本尊は切り離せないことなのですか?

32沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/07(木) 18:52:33 ID:AJ3hr85o0
 ?と?はその通りだと思います。
 ?は知識がありません。

 梅さんに。

33森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/15(金) 19:07:50 ID:ny2WHVj6O
釈尊は30才で菩提樹の下で悟りを開いた(法華経で久遠実成を明かされますが)とされていますが、衆生の機根を整えられてから42年後に出世の本懐の法華経を説かれます。
大聖人は、竜の口の法難で発迹顕本をなされますが、弘安2年に熱原の法難を契機に戒壇の御本尊様を建立なされました。
御本尊を確立なされたのだと思います。

34沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/17(日) 20:47:09 ID:AJ3hr85o0
 森野一士さん

 亀レスでごめんなさい。
 蓮祖の出世のご本懐は熱原の農民に不屈の信心に見られる、衆生の令法久住への機根の醸造だったでしょう。
 先日来、ここで数人の方々と論議致しましたが、あの方々は全員戒壇様本懐論者でした。

 ですから私とはどこまで行っても平行線です。
 私は昭和52年に演出家の田山先生とこの件を話し合い、54年には所属の組織に日蓮正宗を邪教とする根拠として文書で提出いたしております。
 私共の戒壇様本懐論否定は、私共のグループでは当時から常識として話あっていたものです。
 おそらく最も古い部類でしょうね。

35沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/17(日) 20:48:29 ID:AJ3hr85o0
 皆様方に、

 戒壇様本懐論についてどうぞご意見をお願い致します。

36耕治:2008/08/17(日) 21:47:01 ID:AJ3hr85o0
 戒壇様本懐論をたてていない、他の日蓮系はどうなんでしょう?
「余は27年なり」と熱原法難をリンクさせて考えているんだろうか。
 
 今、漸く議論が始まりましたけど、身延からみたら
「え?まだそんな話題やってたの?」とかって、思うんだろうか。

37沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/17(日) 23:14:15 ID:AJ3hr85o0
 収穫は、未だに、日蓮正宗創価学会員がいて、戒壇様本懐論なんだね。
 で、群れて付和雷同している。
 彼らは知らないんだ、戒壇様本懐論への疑義は徳川時代からある。

 で、誰一人御書に基づいて戒壇様本懐論の証明はしていない。
 凄く脆弱な思い込みなんだよ。

38森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/18(月) 02:21:21 ID:ny2WHVj6O
文証が日興上人の遺状と百六箇抄と聖人御難事だけだったとしても、大御本尊様が本懐ではない。ということにはならないですね。

39沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/18(月) 07:33:56 ID:AJ3hr85o0
 森野さん

 本懐で無いと言うことにはならないからご本懐だ。
 これでは衆生を説得できませんよ。
 
 衆生の納得が得られないものは教義ではありません。
 もし戒壇様本懐論を実証したければ、これでどうだ!文句あるまい!!
 と言う証拠を提示しないと駄目です。

40沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/18(月) 08:10:26 ID:AJ3hr85o0
 アリバイが無ければ犯人だ。

 これと同じなんですね、宗門の戒壇様本懐論は。

 戒壇様がご本懐で無いと証明できないからご本懐だ。

 と言うのが合理的なのか?
 あるいは、

 戒壇様がご本懐だと証明できなければご本懐とは言えない。

 が合理的なのか?

 少し考えればわかるじゃないですか。

41森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/18(月) 08:46:34 ID:ny2WHVj6O
沖浦さん
私は、脇書きが一閻浮提総与の意義が込められている、ということと、文証が凝縮されている。と捉えています。
学会の教学で大御本尊様が本懐でないというのであれば、そのように信心いたします。

42沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/18(月) 08:55:10 ID:AJ3hr85o0
 森野一士さん

 脇書きが蓮祖直筆との証拠が絶対に必要ですね。

 何処の誰が書いたかわからないものに人生をかけようとは思いません。

43沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/18(月) 08:56:18 ID:AJ3hr85o0
 学会の教学で云云ですか?

 貴方はご自分では思索なさいませんか?

 森野さん。

44森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/18(月) 09:06:05 ID:ny2WHVj6O
現時点での学会の指導教学は、池田先生の指導教学ととらえ信心いたします。

45沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/18(月) 12:00:40 ID:AJ3hr85o0
 現時点ですか?

 では変ればどうなさいます?
 森野さん。

46森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/18(月) 13:44:01 ID:ny2WHVj6O
>>45沖浦さん
その時点での、学会の指導、先生の指導を根本といたします。

47もくれん:2008/08/18(月) 23:42:04 ID:gO.Fk5NY0
>>15   森野さん

そうですね、譬えは不適切ですが、完成品 なんでしょうね

大白蓮華、2003年10月号 御書の世界で  明確に 出世の本懐を
先生が語られておりますね。オアシスのもくれんの部屋にも書いておきました。

48もくれん:2008/08/19(火) 11:21:57 ID:gO.Fk5NY0
>1 沖浦さん、こんにちは

私は独力では、この議論できませんが、
 
大白蓮華 2003年10月号 「御書の世界」で池田先生が大聖人の出世の本懐に
ついて語られております。
10月1日、10月12日の 日付についても語られております。

このお声かけしてから、書くのでは大変なので、あらかじめ、オアシスに
書いておきました。
沖浦さんが、2003年10月号の大白蓮華、もしくは単行本をお持ちでしたら
簡単なのですが、一応、お声かけする以上は 、責任がありますので
オアシスに書いておきましたので、御参照ください。

49沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/19(火) 11:26:27 ID:AJ3hr85o0
 もくれんさん

 私も知っていますし読みました。
 対機説法だと思います。

 仏の出世の本懐は経文に説かれています。
 一大事因縁。です。
 ですから、この目的に関連する行動は全て出世の本懐です。

 大聖人様は人生がそれ自体出世のご本懐です。
 その人生の何らかの行動や行為を一つだけ取り出して、これこそが蓮祖出世のご本懐。
 と唱える事は避けるべきだと思います。

50もくれん:2008/08/19(火) 13:21:03 ID:gO.Fk5NY0
>>49 沖浦さん、

確かに、釈尊にしても、法華経28品が出世の本懐でもあり、
「教主釈尊の出世の本懐は振るまいにて候・・・」でもあり
との表現もありますから、
 
出世の本懐の集大成としての、大御本尊の建立ではあるとは思います。
末法万年の一切衆生の成仏という目的では、一閻浮堤総与の大御本尊の建立
というのは、出世の本懐の最大一で妥当かと思います。

池田先生も随時、大聖人のお振る舞いについては、お振る舞いの故に
御本仏であるとの表現もされます。

ですから、>>49の >何らかの行動や行為を一つだけ取り出して、
これこそが蓮祖出世の御本懐と、唱える事はさけるべきだと思います。

なんとなく、説得力が出てしまうのですよね。
全てにおいて、決め付けるな、という意味では、賛成です。
あ〜沖浦さんて、そういうことを考えていたのですね。

発明家とか、ベンチャービジネスの先駆者とか、人が考えないことを
今まで、常識とされていることを、くつがえしていった という面も
ありますので、私なんて、とにかく、先生のスピーチ、御書講義
そのまま受け止めるだけでやっとですから。

よ〜くわかりました。沖浦さんのお相手を 真っ向から できるのは
池田先生くらいしかおられないのでは?

51沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/19(火) 13:22:51 ID:AJ3hr85o0
 もくれんさん

 私は池田先生とは一億分の一以下なんです。
 自分の駄目さ加減はよく知っていますから。

52もくれん:2008/08/19(火) 15:31:18 ID:gO.Fk5NY0
>>51  沖浦さん

>自分の駄目さ加減はよく知っていますから。

こういう発言を会員がすると、先輩もしくは幹部は
「あなたには無限の可能性があるのよ」
「胸中の仏界、本尊、宝塔、仏性・・開くのよ」
とこうなるのですが、
沖浦さんに、「駄目さ加減はよく知っていますから」
なんて言われると、調子狂いますよ。本心なんですか?と

いや〜私は元来、理屈ぽかったのですが、最近はめっきり、簡単明快が
好きになって、池田先生の、「言」 こそ、明快 で 普遍的で 
わかりやすくて、ますます、スピーチ、御書講義、世界の識者との対談
まさに、宝の宝庫ですね、

でも、それを他者のために役立てていかなければ、どんなに学習しても
無意味、価値を生まない ということも 承知しています。

これから、又、組織も忙しく(うるさく)なります。

現実とはかけ離れた、話題は このへんで終わりですね。
現場組織では、まず、こういう話題はありませんから。
また、おばさんの話題に、お付き合いですよ。
勿論私もおばさんですが、おばさん特有の話題というニュアンスですが。

53沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/19(火) 15:52:56 ID:AJ3hr85o0
 もくれんさん

 私はアルペンレーサですし、パワーリフターです。
 アルペンレースは数年前、日本で二位にまで行きました。
 パワーリフティングはマスターズですが、世界選手権で金を5個銀を3個取りました。
 コツがあるんですよ。

 練習の時、
 自分ほど遅いレーサはいない。
 弱いリフターはいない。
 こう思ってやるんです。

 大会では、
 俺ほど速い奴、ここにいるもんか!
 俺ほど強い奴いるわけない!

 こうですね。
 反対になると駄目なんです。
 信心は、どこまで行っても弱い自分との戦いです。
 だから、本気で自分は信心が弱いんだ。と、思っています。
 でも、世間で勝負をかける場面では、

 俺は祈ってるんだ、祈らない世間で勝てないわけない!!

 傲慢なぐらいそう思います。
 でもね、どっちの自分も本当の自分なんです。

54笑えるよw:2008/08/19(火) 20:14:44 ID:n0bDhrQU0
沖浦よ、ちゃんと「50代」「60代」の世界で日本二位とか金メダルとか書けよなw
それとだな、先生のその熱原の話でおまえの説のうち、「時系列でペケ」というのは、打ち破られているというのに、さっさと気付くべきやなw
所詮さ、お前のようなニセモノ信者に誰でも誤魔化されるとおもったら、大間違いなんだよなw
お前ほどの傲慢謗法の輩はいねえよ。
そしてお前に親近するやつは、全部与同の同罪だなw
簡単にいえば、大謗法だということだ。

55沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/19(火) 20:38:18 ID:AJ3hr85o0
 笑えるよさん

 ちゃんとマスターズって書いてますよ。
 それと、アルペンは何度もマスターズって言ってるでしょう。
 時系列で駄目。 
 先生と矛盾しませんよ。
 
 後は自分で勉強しましょうね。

56大勝利:2008/08/19(火) 20:47:39 ID:nzPVOGLk0
>>54
「正像二千年の国王大臣よりも末法の非人は尊貴なり」

貴方の命が謗法であることに気付くべきです。

57もくれん:2008/08/20(水) 14:09:15 ID:gO.Fk5NY0
>>47  譬えは不適切ですが、完成品なんでしょうね

浅はかな表現でしたので、訂正いたします。ないものとしてください。

弘安2年の大御本尊以前の御本尊と相貌が、違うのか、私ごときには
わからないのに、浅はかでした。

58森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/20(水) 14:37:58 ID:ny2WHVj6O
>>57
もくれんさんへ
私も、戒壇の御本尊様については浅はかな言動は慎みます。現時点での先生学会の指導を根本にし、更なる研鑽をしていきます。

59:2008/08/20(水) 15:16:10 ID:hsryjZ4U0
戒壇の大御本尊について、日顕さんが鑑定してたというメモがありますね。

私は、誰が誰の発言を書いたとかいうメモの信憑性ではなく、書かれた内容に興味があります。
今、それにあまり触れようとしないのはなぜでしょう?
浅はかな言動になるからですか?
日顕さんを謗法だとしてさんざん非難したのですから
それを検証する姿勢があってもよいと思います。

60森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/20(水) 16:58:04 ID:ny2WHVj6O
>>59
梅さんへ
>>58のは、私自身の中途半端な知識で迷惑が からないようにとの意味で、浅はかなことは慎む、と言いました。真実を追求するための検証は、大切な事だと思います。

61:2008/08/20(水) 18:00:08 ID:hsryjZ4U0
森野一士さん

お返事ありがとうございます。
今回の私の書き込みは、森野さんを特にお相手にしたというわけではありませんでした。
ですから、○○さんへと書きませんでした。
でも、貴方のお返事からは、誠実さが感じられ嬉しく思います。

これからも、大人の対話を楽しみにロムさせていただきます。

62もくれん:2008/08/21(木) 11:23:19 ID:gO.Fk5NY0
>>58  森野さん

レスありがとうございます。

それにしても、森野さんは、耕冶さんと、粘り強く、誠実な、対話を
続けられております。

後輩を自分以上の人材に成長させようと思っているのであれば、森野さんの
振る舞いに学ぶべきですね。いや〜頭が下がります。

それに、そろそろ、ほとんど一致点に達しそうですね。

63森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/21(木) 17:58:54 ID:ny2WHVj6O
>>62
もくれんさんへ
耕治さんの研鑽に、私の早合点で横槍を入れただけでした。私は、本当の事とは、という事にこだわって、追求したかっただけだと思います。推測ですが、沖浦さんの息子さんなら、耕治さんの方が、私より先輩だと思います。

64沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/28(木) 07:25:55 ID:AJ3hr85o0
 創価学会会則から、抜粋引用

教 義)
第2条 この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする。
 〜引用終わり〜

 ちなみに、東国人さんとそのお仲間は、戒壇様本懐論を否定した。と、私共を責めて浮かれ騒いでいましたね。
 この創価学会の根幹をなす会則の教義。
 どこに戒壇本尊の文字がありますか?
 以前、日蓮正宗創価学会の時には、明記されていましたんです。

 宗教法人「創価学会」規則より、抜粋引用
目的)

第3条 この法人は、日蓮大聖人御建立の本門戒壇の大御本尊を本尊とし、日蓮正宗の教義に基づき、弘教および儀式行事を行ない、会員の信心の深化、確立をはかり、もってこれを基調とする世界平和の実現と人類文化の向上に貫献することを目的とし、これに必要な公益事業、出版事業および教育文化活動等を行なうものとする。
 〜引用終わり〜

 この通りです。
 創価学会が日蓮正宗創価学会の時、戒壇様の記載が規則の根本に座っていたのです。
 ところが、めでたく独立を勝ち取った後、会則からは消えました。
 ですから、戒壇様が大事な方々は、日蓮正宗創価学会のままなんです。
 何故創価学会の会則から、戒壇様の名前がなくなったのか?
 創価学会員ならそろそろまじめに考えるべきだと思いますよ。

65森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/28(木) 08:24:33 ID:ny2WHVj6O
>>64
沖浦さんへ
私は、独立した後だから、今はまだ他宗の敷地に御安置されている「戒壇様」の表現を変えただけ、と認識しています。
平成13年第5刷の学会の辞典では、大聖人の出世の本懐は『一閻浮提総与の大御本尊の建立であり、弘安二年の十月十二日に成就された』とあります。
しかしながら、新しい会則は、平成14年に施行されているので、私の持ってる辞典のこの内容は変更されている可能性もある、と認識しています。

66沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/28(木) 08:54:37 ID:AJ3hr85o0
 森野さん

 では、どうして遥拝をしませんか?
 戒壇様がご本懐で唯一無二ならば、会員一同で朝な夕なに奉安堂に向かって遥拝すべきじゃないですか。
 事実他宗はやります。
 勤行を改める時にどこかで遥拝を何故入れない。

 おかしいですね。
 御本仏様の出世のご本懐が何処にあれ、拝むのが道理です。
 それを会員にやらせない。
 理由が何ですか?

67森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/28(木) 09:15:57 ID:ny2WHVj6O
>>66
沖浦さんへ
私は、独立前から私達は、私達の家庭に御安置されている御本尊様と「戒壇様」は『繋がっている』から、搖拝せずとも、各家庭の御本尊様に御祈念誓願帰命する事で、「戒壇様」に御祈念誓願帰命している事になっている、と認識しています。『繋がっている』という表現は適切ではないかもわかりませんが。

68もくれん:2008/08/28(木) 10:37:27 ID:gO.Fk5NY0
>>64  沖浦さん

創価学会が宗門から、独立後の
その、会則、教義に関する部分で、東国人さん達に、率直に

沖浦・・「私はこの第2条の通りと思いますが、そちら様はどうですか?」
   と聞けば、間違いなく「私達もその通りです」と答えますよ。

是非、試しに一度お聞きになってみて下さい。

三大秘法について考えません スレッドの  367 東国人さんレスも
ご参照ください

皆さん、なまじ御書を縦横無尽に引用できるので、どんどん、亀裂が
深まったのだと思います。
最初から、創価学会の、正式に掲げてある、文言から、入っていれば
混乱が少なかったのかと、思います。

69ひでき:2008/08/28(木) 11:35:06 ID:fjMOaIWM0
もくれんさん、はじめまして。

あなたの書き込みを読みますと、ホッとします。
一番落ち着いて、真摯に研鑽されているように見えます。

私の考えは、公の前では、公式見解にすべしでありますが、
研鑽においては自由であって然る可きと思っております。

>最初から、創価学会の、正式に掲げてある、文言から、入っていれば
>混乱が少なかったのかと、思います。

またその上で、道理をもって違うのではと、論ずれば意見の合意は無くとも
ここまでならなかったかもしれません。

これから、少し、沖浦さんが考えてきたと思われることを少し代弁しながら
述べて意見交換を交わしたいと思います。

70ひでき:2008/08/28(木) 11:38:33 ID:fjMOaIWM0
はじめてこのことに私なりに考えを述べます。

私は、特別な本尊があるとは、考えていない、少々アグレシップな考えの持ち主です。

池田先生は、『青春対話』5で、勤行・唱題とは(上・下)で、一閻浮提総与の大御本尊といった表現はなされていません。
また、トインビー博士などの世界の知性と語られる時は、何を根本としていますかとの質問に、御本尊と答えられずに、宇宙根本の法・生命根本の法と答えられます。
高校生や仏法についてあまり知らない方の為に先生がそう表現されたのであり、また切り文と言われましても、今の私には否定し得ません。

金原明彦著「日蓮と本尊伝承ー大石寺戒壇板本尊の真実」とこの本に触発を受けた方のサイトhttp://home2.netpalace.jp/kaze/room/room.cgi
を見ますと、文章で一『閻浮提総与・三大秘法の大御本尊』との言葉が出てくるのは、死後から250以上も経った江戸時代、更に言えば、本格的に使われ始めたのは近代に入ってから。
(また引用サイトの方がBBSで書き込みしていた頃に、御本尊偽作を叫んで退会した教学部長がいたことも知りました。丁度1年前の今頃から半年前でしたよね、沖浦さん?)
日蓮大聖人様の御内証ではありますが、形あるものいつかは必ず消えることもまた事実です。
宗門の方とこの議題になると、第三者から見て???にも関わらず、宗門側が狂喜したり、議論が噛み合わなくなったりしますね、今までの様子を見ますと。

今年の5月の大白蓮華に、日興上人の生涯と日蓮大聖人様の生涯について書かれていました。
その中に、二箇相承の言葉は無く、またさきほど挙げたサイトでは、二箇相承を考えれば矛盾するような、日興上人が身延に居られない空白期間が示唆されております。
またそういった点からも、消去法で日興上人は身延にいられなくなり、離山されたことにも同意です。

しかし、これは、公式の見解ではございません。
ただこれからも、少しずつ根本は変わらずに、宗門と同じだった頃の言葉は無くなって行く可能性はあるでしょう。
またそういったことを述べる場合、文証として用いる文の正当性は考える必要はあります。

続く。

71もくれん:2008/08/28(木) 12:06:35 ID:gO.Fk5NY0
>>70 ひできさん、レス、ありがとうございます

宇宙根本の法、生命根本の法、そうですよね

平成5年5月の先生のスピーチでも、ある宗教学者との対談で
「久遠元初の法」という表現をされています。

この件は、オアシス創価掲示板の「もくれんの木の下で思索を」
スレッドに書きました。よかったら、是非、ごらん下さい。
レスNo   62 と 63です
それから、レスNO 140 は今から、40年近く前の先生の
著書からの引用ですが、同じことを語っておられます。

もともと、小野さんの板で、沖浦さんたちが「三大秘法論」を
始めて、それに触発されて自分でも研鑽し始めたので、この流れが
なければ、無関心で過ごしていたのかもしれないです。

ほとんどの学会員はあらためて、三大秘法とは、とか、一大秘法とは
など、日常の活動では立ち止まって、思索しなおすことはないのかも
しれないです。
目前の活動に追われますから。
私だって、目前の活動は大切にしてます。
今は、とにかく、友人にビデオ、DVDを見せていくことでうから。

又、ひできさんの投稿を楽しみに、しています。

72ひでき:2008/08/28(木) 12:21:37 ID:fjMOaIWM0
また、『日蓮正宗の神話』を見ましても、唯授一人血脈相承のこと、富士戒壇のこと、御本尊のこと、これら全て、日興上人・日目上人の頃よりずっと後世の要法寺系の考えが流れて来て生まれたこと。
これらの中にはたくさんの相承書が入っていることも書かれていたと記憶しています。
お金を貯めたらこの本と買ってよりキチンと読んで日寛上人の著作については研鑽したいと思います。

沖浦さんはそういったことにも触れた結果、もちろん質問会のこともありますが、あの角度のある解釈の要因のように思えてなりません。

私自身教学に弱い、なにより御文を引けない人間ですので、そちらの言及をすること。
今はできません。

私は、宗門が腐敗・荒廃した理由は、御本尊・戒壇のことで自宗の正当さを証明しようとしました。
しかし、それによって、自分の考えにうぬぼれ、独善的・排他的になったのでないでしょうか?
顕正会に2度遭遇して、循環論法を受けた時、掲示板で学会を罵倒する法華講員を見ますと、私から言わせればどこかのカルト集団ですよ。

創価学会が破門を受けたのは、私が保育園の年少になったかならないかくらい。
それで、大学2年以降身内に内緒で数回行きました。
富士山は美しいのですが(アングル南西麓が一番好き、笑)。
建物や人、自然の寒々しさに呆れ返ったことを今でも覚えています。

余談ですがその時聞いていたBGMはクリスタルボウル奏者で有名なフランク・ローレンツェンでハーモニック・レゾナンスの3曲目。
寒々しさがあまりにも増幅されます。

沖浦さんと似た考えでそんな活気の無い所だからこそ、良いニュースで光を。
そして創価学会員として、正義を!破邪顕正を!実証を!と思いました。
ここで書いた夢にも影響を与えています。

話しは変わりまして、今私が暮らしている地域は、よそから来た人・自分と異なる考えの人を排斥した過去を持つ地域であります。
意見が異なるからこそ、じっくり読んで、考え抜いてから、感情的にならずに、落ち着いて書きませんか?
私は、以前メールで2人の女性を感情的になって傷つけた過去があります。
メールやBBSは相手が見えないデメリットもございますが、いつでも返せることがメリットでございます。
落ち着いて、感情的にならずに、道理を持って誠実にお答えする。
集まっている人達と必ず衝突して、対話にならなければ去ればいい。
仏法を根本としながらも、考えが違うならそこを汲み取った上で一緒に意見し、活動すれば良い。
私はそのように思います。
そうして、仏法を軸に、異なる個性を持った人が団結しなければ、今後の発展も無いでしょう。
長々とすみません。

73ひでき:2008/08/28(木) 12:37:12 ID:fjMOaIWM0
>>71 もくれんさん、レスがだぶってすまい、返事が遅れました。

オアシス板は、1ヶ月程前から大勝利さんの板からのリンクで見ております。
今オアシスのその書き込みを拝見しました。

私も、小野さんの板を初め三大秘法で沖浦さんが物議を起こしてから、三大秘法については公式の考えをベースに、今検証されているアバンギャルドなものまで再び学び始めています。
なお、一大秘法につきましては、言葉を目にしたのが始めてであったりします。

学生でいる間に、このことについては結論の方向性を見つけたいと考えています。

74森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/28(木) 12:45:02 ID:ny2WHVj6O
>>70
ひできさん、初めまして。横レスすみません。宜しくお願い致します。
私も、金原明彦氏の「日蓮と本尊伝承━」を少し読んだのですが、参考書としてしっかり読んで勉強し真実を探求していきたいと思っています。
以下認識不足であるかも分かりませんが、私は、大石寺に御安置されている大聖人の出世の本懐とされる、大御本尊様「戒壇様」と、私達の家庭の御本尊様とは、違いはないと認識しています。私達の家庭の御本尊様も大聖人の出世の本懐に通じていると認識しています。ただ今はまだ私は、「戒壇様」は、大聖人様の出世の本懐【自身の滅後の事も視野に入れられての、全ての人に既に予め与えられた】《広宣流布の時に事の戒壇に御安置する》の御本尊様であり、私達が受持している御本尊様は私達個人一人一人に与えられ家庭に御安置された御本尊様、の違いがあるだけだと認識しています。どちらも大聖人様の命、久遠元初の妙法、私達の己心の妙法には変わりないと認識しています。

75ひでき:2008/08/28(木) 13:03:45 ID:fjMOaIWM0
>「戒壇様」は、大聖人様の出世の本懐【自身の滅後の事も視野に入れられての、全ての人に既に予め与えられた】《広宣流布の時に事の戒壇に御安置する》の御本尊様であり、私達が受持している御本尊様は私達個人一人一人に与えられ家庭に御安置された御本尊様、の違いがあるだけだと認識しています。

「日蓮と本尊伝承━」の考えをそのまま解すと、特別な本尊は何も無いと考えることができます。
私も金原氏と同意見で出世の本懐との位置づけは後世にされたものと考えています。
その一点だけ森野さんとおそらく違います。

先生が森野さんがおっしゃった通りのスピーチをされたことがありましたね。
この辺りは少しずつ変わっていくと思います。
この辺りは、今公式見解が変わったら混乱すると思いますので、今も公式見解はあのようになっているのだと思います。
学会の公式見解は今、森野さんおっしゃった通りだと思います。

次にレスするのは早くて、夕方以降になると思います。

76もくれん:2008/08/28(木) 14:01:29 ID:gO.Fk5NY0
>>73 ひできさん、返信ありがとうございます

オアシス見てくださっているとのこと、ありがとうございます

ひできさんも、森野さんも、すごいですね、いろいろな書物で
研鑽されていて、私は先生のスピーチと先生の御書講義でやっとですが
むしろ、先生と世界の識者との対談に、力点をおいています

それはそうと、何年か前の本幹中継で、先生が御本尊について
「えっ!」と、一瞬わが耳を疑うことをつぶやいた、「気」が
しました。これは、「ああ〜」とうなずく方だけで、それ以上は
言及してはいけないことですが。
勿論、新聞で活字にはなりません

書かない方が良かったかな。でも、ひできさんも、森野さんも
ず〜と本幹中継、参加されてますよね。
でも、その頃、子供だったのかな?

参加されている方であれば、「ああ〜」という方もいるはずです
でも、私の「そらみみ」かな???
気にしないで下さい、書いておいてなんですが。

でも、公式見解は大切にして、それと同時に自由に議論できる
人間的環境は大切ですね。

77:2008/08/28(木) 14:02:10 ID:hsryjZ4U0
こんにちは ひできさん 
はじめまして、よろしくお願いします

NO70で
>御本尊偽作を叫んで退会した教学部長がいた

と書かれていますが、この御本尊とはいわゆる「戒壇様」でしょうか?
もうひとつ
退会の理由が「御本尊偽作」なんでしょうか?

教学部長までした方が、自らの意思で「退会」するなんて、
師弟の関係からみても、また、ふつう学会員(?)の感覚からも信じられません。
貴方の「書き込み方」が気になってしまったので、お聞きしました。
しかし、これを下司の好奇心の類だとご判断でしたら、スルーして下さってけっこうです。

追記
私自身は戒壇様本懐説は誤りだと考えています。
末法万年であるのに、有限である板本尊ではなんとも具合が悪いではないか!
というのが、私の発想の原点です。
そんなことから、日顕さんの偽造説(?)を支持しています。

貴方の視点のこれからの展開に大変興味があります。
投稿を楽しみにしています。

79森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/28(木) 14:54:27 ID:ny2WHVj6O
>>75
ひできさんへ
ひできさんのお考え了解いたしました。
>>77
梅さんへ
私は、御本尊様が、板や紙であることは、御本尊様の「久遠の法」の法の側面を含む一側面であると認識しています。全ての御本尊様は「物質」ですが、私達の生命も物質を離れてあるものは無いと認識しています。色心不ニ【物質と精神は、二つにして二つではない、二つが離れてあるものではない】からしても道理に叶っていると認識しています。たとえ、今、地震で大石寺が崩壊し「戒壇様」が壊れてしまった『宇宙の生命に溶け込んだ』としても《出世の本懐【全ての人にあらかじめ与えらる】の御本尊を建立された》ということを、万年に伝えていく事は出来ると認識しています。
法華経の円融の(空仮中)の三諦からも三学《戒定慧》からも、一見、物質面の戒壇(仮)《戒》が崩壊したとしても、久遠の法を含む法の側面の御本尊(中)《定》に(仮)《戒》はそなわっている、と認識しています。ちなみに、唱題行としてのお題目(空)《慧》も御本尊様にそなわっている「御本尊様を信じて唱える」、と認識しています。

80もくれん:2008/08/28(木) 14:57:30 ID:gO.Fk5NY0
>>70 >>77

>御本尊偽作を叫んで退会した教学部長・・・

原島は学会の重要機密文書持ち出しで除名・・もう昔の話だ・・
その後の教学部長は、たしか桐村さん、その後は斉藤さん・・・

桐村さん、どうかしたのかな?
別に知らなくてもいいのだけど・・・
大幹部は大変だ・・とにもかくにも・・
検索してみると、それらしきものもある・・ああ〜ため息

でも、誰が退転しても、紛動されずに、師匠と共に進もう

★ ★ ★
本当は違うことを書こうとして、開いたのだが、梅さんの指摘の
とおり、私も>>70で??とは思ったのだが、あまり、たくさん書けないので
そのことは触れないでいたが・・・

それはそうと、いつの時代でも、先進的な意見は「??」とされます。
54年の頃、宗門のことを、声高に言っていた青年部幹部は壮年部幹部に
注意され、おとなしくしましたが、今から、ふりかえれば、彼の言って
いたことは、もっともでしたが、
時に適っていないと問題発言になる
わけです。

第2次宗門問題のずっと前から、座談会等でポツリ・ポツリと今にして
思えば、なるほど ということを、静かに語っていた幹部もいました。
みんな、こころがやさしいから、特につっこみも入れず、聞いていたような
聞いていないような、今からみれば、もっともな話でしたが。

そういうわけで、自由に個人の責任で議論することは、いいことで
ただ、上手にやらないと、今回のように、尻尾をつかまれるわけです。

81:2008/08/28(木) 17:12:13 ID:hsryjZ4U0
森野さん
レスをありがとうございます。

このレスは私の投稿(No77)の追記の部分へのお答えかと思います。
スレの流れを変えないように注意しながら、森野さんに伺います。

色身不二論も私にはよく理解できないのですが
森野さんは「私達の生命も物質を離れてあるものは無いと認識しています」といわれます。
それならば、いわゆる「死」はそれまでの肉体という物質と離れた状態かと思いますが、
その時点で色身不二論は対象外になりますね。
だとすれば、戒壇様が崩壊した時点でこの論理は本来適用外となります。
ですから、この論をもとにしてする、戒壇の大御本尊との関連が理解できません。

いえ、もっと端的に申しあげるなら、
「遠の法を含む法の側面の御本尊」の建立は、戒壇様に限らないわけで、
ならば、特別の板御本尊を建立する必要があったのでしょうか?
私の疑問はこれに尽きています。
それと、円融とか三諦とか踏み込んだ仏教用語は良く分かりません。
ていうか、ほとんど理解不能なんです。
なんだか、観念論を引っ張りまわして(?)いるような感じなんです。
でも、こういう言葉に通暁しないと教学とかを語れないものでしょうか?

82:2008/08/28(木) 17:17:34 ID:hsryjZ4U0
>>81

「遠の法を」→「久遠の法」
最初の文字が切れてしまいました。

83:2008/08/28(木) 17:32:58 ID:hsryjZ4U0
>>80

もくれんさん こんにちは

>みんな、こころがやさしいから、特につっこみも入れず、聞いていたような
>聞いていないような、今からみれば、もっともな話でしたが。

そういうのってありますよね!
みんなの前で、突っ込むのは悪いし・・とか
現実では皆、信心して幸せになるかどうかが大・大・大事だと思っているんだし。

退転しないように教学を学ぶと聞いています。
でも、その前に体験なんでしょうね!
泣いて泣いて、ご本尊様に祈った事がないと、コロリと退転するかも〜

84森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/28(木) 17:56:41 ID:ny2WHVj6O
>>81
梅さんへ
私は、仏法では生命を、個々の命(色心不ニ)は、死『崩壊』(空=仮中を離れてはない)で肉体『物質の一側面としての御本尊様(戒壇)』(仮=空中を離れてはない)を離れたようになって、宇宙(物質を離れてはない)の生命『久遠元初の妙法』(色心不ニ)(中=仮空を離れてはない)に溶け込んむ状態になる、永遠である、と説いている、と認識しています。
法華経では、三諦は、空仮中がバラバラではない(永遠の生命)のことを説いている、と認識しています。私は、出世の本懐とは【あらかじめ全ての人に与えられた】ということであって、その事だけが私達が家庭で受持している御本尊様と違う、と認識しています。梅さんの御指摘で、私自身、戸田先生の「生命論」等勉強して、三諦論など、観念抽象論にならないよう、実践で実感で言えるよう、精進していかなければ、と感じました。勉強していきます。

85森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/28(木) 18:02:49 ID:ny2WHVj6O
>>84追記
出世の本懐【あらかじめ全ての人に与えられた】の御本尊様は【事の戒壇に御安置される】、事だけが私達が受持している御本尊様と違う、と認識しています。

86はぐれ雲 ◆HHaU7zEjNg:2008/08/28(木) 18:07:34 ID:SIPp2mfg0
梅さん

やはり確信のある方の書くことは違いますね。この文章を読んで「ドキッ」とした方、まだ間に合います。懺悔の唱題をいたしましょう。
そして、何も感じない方は、かなりの兵(つわもの)であるか信心が浅いかですね。御邪魔しました。

87ひでき:2008/08/28(木) 18:16:02 ID:fjMOaIWM0
さきほど書き込みした時に出した退転者とは松本勝弥氏ですね。
民音職員だったようです(検索したら本部職員とも出ていました。教学は教授であり、教学部長ではございません。訂正致します)。
退会した理由は、戒壇の御本尊は偽物だと意見したことが引き金のようです。
退会してから正本堂建立のことで裁判を起こしたようですね。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/4943/1187883051/l50
このスレッドに度々名前が出ており、そこで始めて知りました。
この件については、知らないことが多いので、調べてみます。

余談ですが、先ほどのレスであげたサイトの風人さんと今挙げたBBSと
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/4943/1195253947/
に出てくる風神さんは同一人物であることをあげます。
とてもこのことでとても真摯に研鑽されている方ですね。

梅さんへ
戒壇様本懐説については、私も否定派です。
そうしますと、日蓮大聖人様の行動・御内証、ひいては沖浦さんが物議を起こしたテーマにゴールがあるかもしれないと考えています。
>現実では皆、信心して幸せになるかどうかが大・大・大事だと思っているんだし。
そこさえブレなければ良いと考えている1人です。
金原さんの本自体が、公式見解から見たらイレギュラーですから。
しかし、それでも退会をならないとは時代が変わったのですね。
御本尊様が違うから力がないというのは、今の宗門と学会の隆盛の差、また学会員の方で現証が出なくなったでしょうか?
そんなことは、ありませんね。
その時点で、宗門の言い分は反故ですね。
文証より道理に過ぎず。道理より現証に勝るものはありません。

もくれんさんへ
>何年か前の本幹中継で、先生が御本尊について
>「えっ!」と、一瞬わが耳を疑うことをつぶやいた、「気」が
>しました。
小さい頃から本幹に行き、埼玉に移ってからも継続して見ておりますが、記憶にありませんでした。

88:2008/08/28(木) 18:24:04 ID:hsryjZ4U0
森野さん
レスありがとうございます。

戸田先生の悟達というのは、大聖人の仏法哲学を生命論哲学として
現代に蘇生(?言葉が不適切かもしれません)させたものと理解しようと思っています。

「理解しようと思う」というのは、考えれば考えるほど分からなくなっちゃうからです。
だから、途中で「いいじゃん、御本尊様に題目あげれば・・」ってなります。

沖浦さんもそういうふうなこと(↓)どこかで語っていますが、
唱題していて不思議の境地みたいな感じになった人、いますね。
そういうのは私にはありません。チョットうらやましいです。

89:2008/08/28(木) 18:36:27 ID:hsryjZ4U0
ひできさん こんばんは

教学部長などというからビックリしましたよ〜
本部職員の教授なら、退転してもちっともおかしくないですね!
(↑失礼)

でも、これからは気をつけて書き込み下さいませ。
言葉というのは、一人歩きしてしまうとやっかいですよ〜
私はここの板の投稿で、河内さんから睨まれてしまいました。
反省しています。

90ひでき:2008/08/28(木) 18:50:08 ID:fjMOaIWM0
そうですね。注意致します。
高校の頃から2chには、書き込みしていました。
言葉が災いし、アクセス禁止を悪戯なしに沢山受け、BBSに書き込みを再開したのは、1ヶ月前からです。
言葉の表現間違いからまたROMし、腹決めて書こうと周りの様子を見て決心したのが、2日前です。
罵詈雑言が飛び交うレス、先月創価王道で見た、仲直りして、有意義な意見交換できるBBSになることを信じ。

もう少し、丁寧に言えば、松本氏は、教学試験で教授になった人ですね。

91もくれん:2008/08/28(木) 20:33:33 ID:gO.Fk5NY0
>>83  梅さん

そうですね、まずは、自分が御本尊様に実際に題目を唱えて
どうなのか、実体験こそが意味のあることですよね。

退転しないための教学といえば、戸田先生が痛感されていて、
やはり、信心すると難があるということを、御書を通して
学ぶということが大事なんですね。
それが、戦前の投獄された、幹部達はわからなくて、退転して
しまったのですものね。

>>87 ひできさん

その、私の聞いたかもしれない話は、御本尊書写に関することで
ひできさんが本当に信頼できる、先輩で、破門から数年後ですから
その時、大人である方で、もし、ひできさんが、関心があれば
聞いてみてもいいですね。本当に信頼できる方に。

皆さんの熱い議論で、つい手がすべってしまって、でもウソは
書いていないですよ。絶対に「そらみみ」でもない・・・
でも、約100万人がその場にいたのですから、特定の一部の人だけが
聞いた話ではないですし。でも、言葉にはしない方がいいですので。
結果として、ゴメンナサイ。余計なことを書いてしまって。

92沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/28(木) 21:43:00 ID:AJ3hr85o0
 体験のない人が教学を語る資格はありません。

 信、行、学、です。

 信が行を生み、行は現実の証拠を出します。
 その上での学ですよ。

 この順番は不変です。

93水口 旭 ◆TE82oYFDFE:2008/08/28(木) 21:50:20 ID:b7mx9asE0
水口です。皆様こんばんわ。
 多忙ゆえ、頻繁にレスができないことと、私にレス頂きながら満足なお返事が疎かになっていることをお許しください。

さて、大石寺にあるご本尊様を蓮祖ご出世の本懐として、我々が大切に思っていたのは事実でございます。

ここで「本懐にあらず」と「本懐である」との意見が激突しているわけですが、
何れも“モノ”(=物体)として捉えるから二者択一の議論となるのでは?・・と思う次第です。

私がご本尊様に関しましてお話しする場合、ごくごく簡単に申し上げることがあります。
こと、ご本尊のことですから、不適切な表現があるかもしれませんが、比喩としてご理解ください。

“虚空会の儀式”をあらわしたものがご本尊です。
簡単に言えば、レイアウトのことと言いましょうか・・・。
そして、ご本尊の前において祈る私たち・・。
その私たちも、実は「地涌の菩薩」として、“虚空会の儀式”に連なっていたのです。
今、私たちがご本尊の前にて行う勤行唱題も、その虚空会の儀式の再現なのです。会合もまた然りです。

「出世の本懐」とはご本尊を創ってくださったこと・・・これは紛れもなく事実です。

(厳密にいうと、“思い出した”のです。しかも“今世”の本懐です。
 これは青年2級ぐらいをお持ちの方は理解できると思います。
 詳しくは書かず、分かり易い表現でとどめておきますね。)

但し、ご本尊という“物体”のみならず、そのスタイル、レイアウト、概念です。
ゆえに、仏壇の前で唱えられない時に、ご本尊を思い浮かべ唱える題目にも大功徳がある・・
と言えばご理解できるのではと思います。

また、ご本尊に差はありませんね。
ですから、皆さんのご本尊様は全て素晴らしい力を秘めているのです。
引き出すのは皆さん。
いわんや、学会活動も然り。

さ、勤行唱題しましょう。
虚空会の儀式に今夜も参加です。

94ひでき:2008/08/28(木) 22:04:42 ID:fjMOaIWM0
水口 旭さん、初めまして。

特別な御本尊様が無いと考えているだけであり、御本尊様は否定していません。
私自身、皆様の体験から見れば小さいものばかりではございますが、功徳を私も頂きました。

>虚空会の儀式”をあらわしたものがご本尊です。
私は教学2級まではとりました。
激論を交わした方々と違い、御文を縦横無尽に引けないことが弱点でございますが。
良い例えだとおもいます。

>ご本尊を思い浮かべ唱える題目にも大功徳がある・・
私も経験がございます。

良い勉強になりました。
ありがとうございました。

95沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/28(木) 23:18:40 ID:AJ3hr85o0
 おおきな疑問があります。
 以前漁船が難破し乗組員が救命ボートで数週間漂流後奇跡の生還を致しました。
 数人創価学会員がいて、助かりたかったら題目あげろ、と言って全員で題目をあげた結果です。

 ボートにはご本尊様はありませんし、学会員でない人が大半です。
 この学会員以外の方々はご本尊様を知りません。
 何故功徳があったんですか?

 考えるべき事実です。

96森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/28(木) 23:21:06 ID:ny2WHVj6O
>>92
沖浦さんへ
戸田先生が言われているとおり「信は理を求め、求めたる理は信を深める」と、信を深めるために仏法を学んで参ります。
信行学、信を根本に行学に励んでまいります。ありがとうございます。

97水口 旭 ◆TE82oYFDFE:2008/08/28(木) 23:57:41 ID:b7mx9asE0
>>94 ひでき様
こちらこそ、初めまして。水口でございます。
体験に“大・小”はございません。貴方様の大切な功徳・体験です。

さて、功徳には「顕益」と「妙益」がございます。
全てが妙益につながれば、その因は“大”と申せましょう。
学会とともに闘える・・師匠と共に戦える・・そのものが「妙益」です。
健康・・時間・・経済・・その為ですね。

師匠は「最後に勝てばいい」・・・よく耳にする指導ですね。
私も大切にしてきたご指導です。
また、「何か意味がある」「全て意味がある」・・・
困難もまた勝利の因となります。

逆に言えば、「顕益ごときで慢心することなかれ」です。
紙一重でどうにでも転がってゆくからですね。

98森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/29(金) 00:00:53 ID:ny2WHVj6O
>>93
水口旭さん、初めまして。宜しくお願い致します。
私は、法華経では、釈尊己心の妙法(生命・御本尊・久遠元初の妙法)を文上の虚空会の儀式(物体を離れてはない)を借りて現している、と認識しています。物体を離れて、生命(宇宙生命・御本尊・久遠の妙法)は無いと認識しています。飛躍した考え方かも分かりませんが、偶像崇拝を否定する文明、物体(環境)をないがしろにした文明の結果が、環境破壊へつながっていたのではないかと考えます。故に、現代は、草木成仏(国土世間成仏)可能の日蓮大聖人の仏法が必要だと認識しています。
御本尊は、物体ですが、大聖人の生命であると認識信心しています。
御本尊は崩壊したとしても、私達の命が死んで宇宙の生命(物体を離れてない)に溶け込むのと同じように溶け込むのだと認識しています。元々御本尊と宇宙の生命は一体ではある、と認識しています。

99森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/29(金) 00:14:01 ID:ny2WHVj6O
>>95
沖浦さんへ
信心されていなかった人、御本尊を知らなかった人でも、命には、元々己心の妙法(御本尊=円融三諦の曼荼羅)はそなわっているから、学会の方の言われる事を信じられて、妙法を唱えられて、自身の命の無明を打ち破り、自身の命に御本尊を涌現され、諸天が動き、その方たちを護った。と考えました。

100ひでき:2008/08/29(金) 00:21:43 ID:fjMOaIWM0
>>97
改めまして。

>逆に言えば、「顕益ごときで慢心することなかれ」です。
>紙一重でどうにでも転がってゆくからですね。
おっしゃる通りですね。心して注意して参りたいと思います。

>師匠は「最後に勝てばいい」・・・
そうですね。私はネガティブで衝動的になりやすい人間ではありますが、どんな困難にも意味をつけて戦って行きたいと思います。

沖浦さんへ

信行学の内、私は学ばかりが先行しがちです、学者タイプと申しますか。
唱題は今年からできるようになりました、御書を体験で読み、実践するだけですね。

>>95の話について思うこと

すりはんどくと同じ、疑いを持たず、信じ抜いたからだと思います。
今は、これしか言えません。

101:2008/08/29(金) 15:13:22 ID:VkhuJft20
水口さん
こんにちは

2点伺いたいことがあります。

>>93

>さて、大石寺にあるご本尊様を蓮祖ご出世の本懐として、
>我々が大切に思っていたのは事実でございます。

についてですが、私たちが朝晩勤行するときの観念文
「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」は具体的な御本尊(戒壇の大御本尊)
と、水口さんは思って(南無)らっしゃいますか?

ふたつめです
>>97

>師匠は「最後に勝てばいい」・・・よく耳にする指導ですね。
>私も大切にしてきたご指導です。

「最後」っていつですか?
「最期」ではないですよね?
言葉尻をとらえていると思わないで下さい。
貴方のおっしゃってる「顕益と妙益」の視点から
(「具体的に祈念」をするというと、フツウは顕益を願うじゃないですか?
 例えば、病気とか金銭的な問題とか人間関係とか)
妙益が「サイゴ」だとすると、いつであるかはとても大事なことだと思いますが・・・
また、成仏の「成」を「なる」ではなく「ひらく」ということからも「サイゴ」って
いつなんだろうと思いました。

102:2008/08/29(金) 16:40:17 ID:VkhuJft20
訂正

妙益→冥益

103森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/29(金) 19:44:04 ID:ny2WHVj6O
私は、東国人さんは、御書のなかでも、シンピツで無いものは、中古の天台宗の影響を受けたものがあるのでは、と言われている、と認識しています。
私は、東国人さんが、沖浦さんが学会員と称して、己心の妙法が本、曼荼羅本尊が迹と、大聖人の仏法・学会の教学と違う事を言われている、と疑問をもたれている、と認識しています。http://jbbs.livedoor.jp/bbs/i.cgi/study/9645/1217511403/174
私自身、上記を読んで勉強したいと思います。
私は、東国人さんは、学会の方と思います。

104森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/29(金) 19:53:42 ID:ny2WHVj6O
>>103追記
私は、東国人さんは、大聖人を末法の御本仏と信じてみえるので、日蓮宗ではない、と認識しています。

105沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/29(金) 20:47:13 ID:AJ3hr85o0
 大聖人様をご本仏だと信じる人は、謙虚です。

106:2008/08/29(金) 21:25:13 ID:wkIQLPI.0
>>105
沖浦さん こんばんは

>戒壇御本尊本懐論は邪義を他スレで数レス程度で済ましているけど、
>これも法華講員に好かれるレベルだね。

これは、東国人さんの「三大秘法について考えませんか」での発言です。
これを読むと、“彼が戒壇御本尊本懐論を採っている” とは直ちに結び付けられません。
むしろ逆に、本懐論否定論者のようにもみえます。
否定論を展開するには、突込みが足らんと言っていると読めるからです。
だからこの発言の後で、「法華講に好かれる」の発言につながっているのでは?
彼は正宗の教義とは違う志向性を持っっている学会員かも・・
この点は、注意深く抜刀板での彼の投稿を読めば検証できるかも知れません。
でもまぁ、パスワードをもらってまで入りたいとは思いませんが^^;
それに、彼が本当に学会員として対話を望んでいたなら、現実に会うのが一番でした。
面と向かって誠実に対話するときに、「つける薬がない」などという非難悪口なんぞ
そうやたらには出せなかったことでしょう。

107耕治:2008/08/29(金) 21:45:36 ID:AJ3hr85o0
 なんにせよ、自論を展開するために、身延の教学をもって、創価学会の教典の正当性を排撃
してはいけないでしょう。今、創価学会は、破門のショックがおさまって、漸く御書を根本とした教学の研鑽が
行えるようになってきました。そんな矢先に、身延が古来から使用してきた偽書説を振りかざして、
御書を、もてあそぶなど、破仏法の天魔の行いだと思います。

 そんなことを許せば、日蓮大聖人が御本仏であること、南無妙法蓮華経の意味、己心の妙法=九識心王、
などを創価学会の教義から捨て去ることに成ります。

108森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/29(金) 23:00:30 ID:ny2WHVj6O
私は、東国人さんは、偽書説で学会の教学を排撃しているのではなく逆に、沖浦さんが、大聖人の仏法、学会の教学と違う事を言われている、という事を示す為に言われている、と認識しています。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/i.cgi/study/9645/1217511403/174
特に私は、上記のレスNo41と47を読んで、東国人さんが、沖浦さんが、大聖人の仏法とは違う、曼荼羅本尊は『迹』『道具』と言われている事に対して、疑問を持たれている、ことを認識しました。

109沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/30(土) 06:21:24 ID:AJ3hr85o0
 森野さん、おはようございます

 彼は私に、戒壇様本懐論を否定するから己義だ。と非難しました。
 戒壇様本懐論は身延は絶対に受け入れません。
 ところが彼の論拠は身延です。
 このどうしようもない矛盾。
 ころりと騙される学会員。
 少し反省すべきですね。
 あの日蓮宗の寺は私がよく知っている寺です。
 そこのホームページから丸ごと貼り付けて、これは埼玉の青年部が研究したものだ。などとあたかも学会の公認のような印象付けで発表する。
 これね、創価学会の教学を思い切り馬鹿にしてます。

 その上誰か気づくかな?と、見ていてもシンパまでがあらわれる。
 最後には、彼の意見が創価学会を代表し、私達は邪義で除名が当然。

 ここまで付和雷同して、掲示板まで立てて、みんなでそこに行って悪口雑言。
 一体この方々、友情とか信義、どこにありますか?

 人間としての振る舞いの問題です。
 今回彼に乗せられた方々、サッサト創価学会やめて日蓮宗に行くべきです。
 
 それと、学会の教学って、具体的になんですか?

110沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/30(土) 06:27:48 ID:AJ3hr85o0
 『信仰実践者である衆生・凡夫こそ本仏であり、教えを説く仏は衆生の影(迹)の役割となる。』

 上の言葉の発言者が何方かご存知ですか?

111森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/30(土) 07:19:01 ID:ny2WHVj6O
身延の教義ではない、と認識しています。
文上のの釈迦仏、と認識しています。
御本仏日蓮大聖人は迹ではない、と認識しています。

112水口 旭 ◆TE82oYFDFE:2008/08/30(土) 07:22:08 ID:b7mx9asE0
(レスを頂いた方にはもっとお返事したいのですが・・・すいません)

>>101 梅様、はじめまして水口でございます。

(ひとつめ。)
ひとりのおじさんとして素直に答えさせて頂きますと・・・、

時代ごと解釈、秀師の解釈が幾重にも存在しようとも、真実は必ず存在する・・・。
我がご本尊は胸中にあり。

信行が曇ってしまえば本末転倒。されば、かのような議論は退避すべし。
ただただ、我が家のご本尊を通じて祈りを深くするのみでございます。

(ふたつめ。)
あくまで持論ですが、「最後・・・」と「最期・・・」は異なると私は思っています。
前者は“その後”が存在、希望を持っての挑戦。
後者は“終了間際”でしょうか。なんだか「有終の美」でしょうか?これじゃぁ・・・トホホです。

よって、「最後に勝てばいい」とは、「いろいろあってもきっと勝つからね」ですね。
勝ってそれを活かす人生があるのですね。

「粘り強く・・・、けっして諦めるな!」
師匠の慈愛がこもっていますね。感謝です。

113沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/30(土) 07:31:10 ID:AJ3hr85o0
 森野一士 さん
 貴方の認識が甘いだけです。

>大聖人の仏法とは違う、曼荼羅本尊は『迹』『道具』と言われている事に対して、疑問を持たれている、ことを認識しました。

 『但し御信心によるべし、つるぎなんどもすすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼にかなぼうたるべし、
 (経王殿御返事)

 剣も金棒も道具です。
 人と鬼が使います。
 使う人が進まないなら無用の長物です。
 ご本尊様は法華経の剣です。
 信心のない人には使えません。

 道具だと明確に仰せです。

114森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/30(土) 07:51:02 ID:ny2WHVj6O
沖浦さんへ
私は、この御文の剣と金棒の「道具」、あくまでも喩えであって、御本尊は「命」だと認識しています。
又、信心によるべく、ということからも、御本尊は、迹ではない、と認識しています。

115かぶと:2008/08/30(土) 13:26:51 ID:bmQa/5/I0
沖浦様、皆様、
初めてレスさせて頂きます。
以後、何卒、宜しくお願いいたします。

初回でやや長くなり、心苦しい次第ですが、わたしなりの考えを述べさせて頂きます。

東国人氏の主張の一部に、広済寺のホームページと同じものがある、というのは、氏が「学的成果」を踏まえて意見をされている証であり、現在の首都圏での、創価学会男子部、壮年部有志と法華講員、顕正会員の対論では、かような角度も考察しながら、現場対応を行なっていることによるもの、日常的な対応の一端であったのだろう、と認識しています。

では、立正大学の教授クラス(実質は日蓮宗の僧籍をお持ちの方ばかり)の御書に対する鑑識眼はどうなのか、といえば、「日蓮遺文の研究」という「文献学」の分野では、それを取り入れるのは、時代の要請でもあると考える次第であります。

以下、破邪抜刀掲示板での東国人氏のレスです。

>現状、創価学会には一点の「日蓮遺文」もありませんので、圧倒的に所有している宗派「日蓮宗等」の鑑定に頼るしかないと認識しています。
物が無ければ始まらない。始まらないから人(鑑定する人)はいない。人がいないから他を頼るしかない。他を頼るなら、頼るに足りる人なのか、考えなきゃいけない。でも、最後は頼るしかない、って感じですかね。
彼らの「御書」に対する鑑定、それに取り組む姿勢などを、先方の各種文献などから伺うことができ、特に恣意的なものというのは無いのではないか、と思います。

私・かぶとが、立正大学の教授クラスが書いた書物を読みましても、日蓮遺文の研究ということに関しては、学習すべきものが多くあります。信仰的観点、一創価学会員として読みましても、頭ごなしに「日蓮宗、身延の坊さんが書いたものだから」と否定すべきではない、それなりの捉え方もあり、参考になると考えております。

個人の信仰、宗教的信念による主義主張と、多くの専門家が関わる学問の各分野での研究成果を混同することなく、立て分け考えて、その上で学的成果を踏まえて、取り入れるべきものは取り入れての、信仰増進が必要と認識している次第であります。

信仰は大事ですが、だからといって、学的な角度を否定しますと、対外的には通用しない面も、特にこれからの時代におきましては、出てくるのではないか、と一人、憂えてもおります。これは決して、あちらの宗派を基準にする、という捉え方よりも、「学問、この場合文献学」としては、やはり、学者の鑑定眼を踏まえていくのがより確実であり、賢明であると考えます。

東洋哲学研究所の論文もご覧下さい。
http://www.totetu.org/h/h_01_3.html?key=12

小林氏の「日蓮文書の研究」では「文献学的にも書誌学的にもある程度一定の学問の水準を踏まえたとされる『昭和定本日蓮聖人遺文』の挙げる日蓮文書の数をあげて参考に資しておきたい」としています。

また「昭和定本日蓮聖人遺文」を「当時の日蓮文献の研究成果を踏まえ、学術的にも耐えられる水準を維持し、日蓮研究の基本的テキストとして定評がある」としています。

この小林氏の記述を指して「あなたは身延か!身延に依って立っている!身延に帰れ!」などの意見があるとしたら、それは大変な筋違いであると考えます。東国人氏に対しても同様であろうと思います。

立正大学、日蓮宗僧籍にある方達の学問的成果を踏まえなければ、「日蓮研究」というものは成り立たないのが現実なのであります。

故に、日蓮宗、立正大学の研究文書、各出版物、ネットで公開されているページを引用しての研究、考察、各種の論議というものは、その引用・展開の仕方によっては、「学的レベルを高める」ことであり、信仰の増進にも、更に益するものがあると思う次第であります。

ここは、沖浦様のおっしゃられるように、カウントの回転も早い、人気の掲示板でいらっしゃいます。是非共、ロムをされている方の「知的レベル、更には好奇心」も満たすような、更なる、質の高い議論をお願いするものであります。

以上、僭越ながら少々、申し述べさせて頂きました。

116森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/30(土) 13:55:16 ID:ny2WHVj6O
>>109
沖浦さんへ、こんにちは。私が言う学会の教学とは、日蓮大聖人の教義、先生の指導、学会の書籍などです。

私は、沖浦さんは、御本尊様を『迹』『道具』と言われているけど、《命》のように敬い大事にされている方だと思っています。
逆に、『命』と言って、『道具』のようにしかあつかっていない事もある、と自身の信心を戒めながら行学に励んでいきます。

117耕治:2008/08/30(土) 14:20:02 ID:AJ3hr85o0
信仰は大事ですが、だからといって、学的な角度を否定しますと、対外的には通用しない面も、特にこれからの時代におきましては、出てくるのではないか、と一人、憂えてもおります。これは決して、あちらの宗派を基準にする、という捉え方よりも、「学問、この場合文献学」としては、やはり、学者の鑑定眼を踏まえていくのがより確実であり、賢明であると考えます。

創価学会教学部<学者先生様のご意見=東国人氏

118耕治:2008/08/30(土) 14:22:05 ID:AJ3hr85o0
//は東国人氏の発言 原文ママ

//「日蓮大聖人の本尊」について論ずるのに、学界では「偽書扱い」のものをもとにして論じた所で、なんの意味もないものでしょう。//

 「学界では「偽書扱い」のものをもとにして論じた所で、なんの意味もないものでしょう」

 あなた方は、一体何教の信徒のかたでありますか?
「学会」では偽書扱いの「学会」は「日本宗教界」の事ですね、創価学会の正依をさしてそういっているのですが、その「学会」とは、正確には「身延」というのではないのですか?

 今、日蓮系の本尊は大きく分けると二つあります。
ひとつは本しゃくに迷う宗   即ち、釈尊を仏とします
ひとつは種脱に迷う宗     即ち、500塵点成道の教主釈尊です。

しかし、もうひとつ別の本尊を建てる宗派があります。
この宗派は、南無妙法蓮華経を本尊とし、日蓮大聖人様を根本仏とあがめています。(細かい相違はおく)
創価学会も、この系統です。
 これらは、その正依の経典として、「御義口伝」をたてます。「御義口伝」を偽書として、排斥する全ての宗派は、大聖人様を末法の御本仏とは思っていません。仏とは、釈尊だと思っています。また、お題目を唱えてはいますが、本尊は必ずしもお曼荼羅ではありません。

 あなたがたは、創価学会を二つに割って、第二の身延を作りたいのですか?

 日蓮系信徒が、学会に「マサヨシ氏、東国人氏」がごとき、質問をするのは分かります。将来、必要になって来ることでもあります。しかし、学会員が自らが拠るべきところを侮って、どうして立っていることができるのですか。

//この程度の御書を出してくる、「沖浦親子のレベルの問題」なのですよ//

 この程度とは、貴方がたが定義するところの「日本宗教学会」すなわち「身延」が認めていない御書をさして「こんも程度の御書」と云っているんですね。
 「この程度の御書を持ち出す」「沖浦親子」とは、正確には、全ての創価学会員に対して言っているのですね。

//耕治クンの「当体義抄」の「解釈論」は論外(笑)。//

 なぜ、論外なのかというと、それは偽書(日本宗教学会=せいかくには身延など日蓮宗が認めていない)だからですね。

//顕正会が「三大秘法抄」を読んで「国立戒壇だあー」と叫んでいるようなもの。御書の解釈は「いかようにもそれらしく」聞こえるものなのだよ。「解釈に」「解釈」を重ねて、しかも「真蹟」ではなく、「偽書」「真偽未決」をもととしたところで、「私はこう思うマース」を永遠に繰り返しているだけですよ。//

 つまり、あなた方は、創価学会の講義も指して「いかようにもそれらしく」聞こえるもの」なんですね。

 {「偽書」「真偽未決」をもととしたところで、「私はこう思うマース」を永遠に繰り返しているだけですよ。}

 創価学会の正依を偽書と扱い、その偽書の講義を創価学会教学部および池田先生がなさっておいでですが、それもさして、、「私はこう思うマース」を永遠に繰り返しているのにすぎないのですね。

119耕治:2008/08/30(土) 14:22:58 ID:AJ3hr85o0
創価学会が、御義口伝を信行には足りえても、教義の枢要足り得ないという主張を行っているとは、私は、信じておりません。

 御義口伝には、「種脱相対」がとかれており、この「種脱」を喪失する行いは、創価学会をして、日蓮系諸宗となんら変わらない教団とする行為であり、一部の理も認めることは出来ません。

 日蓮宗の教義を実践したければ、創価学会教学を排斥し、日蓮宗に帰依すればよいのです。
 問題は、創価学会員を自称するものが、身延となんら変わらない主張でもって、学会教学を攻撃することである。

 また、東国人氏たちの、「種脱」攻撃の元ネタは、法華講員によるサイト「創価教義検証館」を参考にされるとよい。同サイトは、池田先生の「種脱の立場」からの論釈を、(法華経の知恵)を攻撃しているが、東国人一派の主張と相似している。

120耕治:2008/08/30(土) 14:23:53 ID:AJ3hr85o0
広宣流布のために、「種脱」を他の御書やあるいは、法華経などからもひろえるか?という作業を一緒にしたいというのなら、協力はできます。しかし、「種脱」を否定し、創価学会の中での「異流儀の起こす運動」を、あなた方が目指しているのなら、協力することはできません。

 私は、法論を行ったり、妙観講の質問会を受けたり、日正寺に池田先生の誹謗をやめさせにいったり、まあ、いろいろとやってきました。それは、やっぱり「創価学会の血脈」を信じているから平気だったけど、そもそも、質問会や法論では、「種脱」の立場と「創価学会にしか血脈がない」との立場から受け答えをしておりました。

 しかし、あなた方の行いは、「創価学会の重要経典」を排除し、あなた方が選択した御書だけを用いての新教学の確立にあります。私は、その行為は、ネットを媒体とした「異流儀への分派」となる可能性がとても高いと危惧しております。はっきりいって、私には、東国人氏たちが言っていることが、恐ろしいのです。

 私がネットで申していることは、創価学会の過去の指導と相反するものや、現日蓮正宗教学と真っ向から対立する内容のことがあります。しかし、相反する内容は、御書に拠らない内容のものであり、創価学会も徐々に捨てつつある、もしくは既に捨てた内容のものです。

 まあ、私の挙げている文証は、全て現創価学会の正典によるものであり、捨てたものについては排斥しております。なぜならば、私は、学会員だからです。

 あなた方は、何をめざしているのですか?

121森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/30(土) 14:50:55 ID:ny2WHVj6O
私は、東国人さんは、『種脱』を否定されていない、と認識しています。

122森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/30(土) 14:53:40 ID:ny2WHVj6O
>>116
沖浦さんへ、中途半端な知識によらず、迷惑のかからないよう自戒していきます。

123 ◆dSuTMUL9hU:2008/08/30(土) 16:12:15 ID:7EPuqDd20
>>115 初めまして、恋といいます。 久しぶりにこのスレをのぞきました。
ご意見に、基本的に賛成です。
学問的な研究や研鑽がなければ、文(遺文)はあっても、その背景は見えてきません。
解釈は個人の自由ですが、そこに論拠と反証可能性がなければ、普遍性はありません。
定義や定説として、共通認識にまで高めるには、学問的な研究・研鑽の取り組みがなければ、ただの己義でしかありません。
まして、論拠の提示できないものは、己義どころかただの邪義でしかありません。説明不足も同じでしょう。
もちろん、当時は無視あるいは酷評されて、後世になって再評価される例もありますが、当然に上記の要件は必要です。

さて、正信会には「興風談所」があります。
ご存知でしょうが、正信会は第1次宗門事件の時に、先生を攻撃し会長辞任に追い込み、さらに日顕を攻撃して破門された教団です。
私の先輩や同志も、当時何人かが正信会に行きました。
しかし、若手僧侶が中心となって日興上人を研究している『興風談所』の成果は、現在では第1級のものとなっています。
もちろん、評価はそれぞれであり、是々非々です。
東哲研の研究者の方も、学問的な交流があるといわれています。

特定宗派の研究は、宗学と並んでどうしても自宗派の宣揚につながる危険性があり、問題視もされますが、信仰の正邪と、学問的研究・研鑽と学問的交流や文化交流を一緒には論じられません。
★そして、そうした研究成果の上で、私たちが教学を学べるのも事実です。
「法華経の智慧」や「御書に学ぶ」などの先生の著作群も、こうした『研究成果を踏まえて』と論じられています。

大聖人は、叡山にも登り、他の諸山をも遊学されています。立正安国論の執筆では岩本・実相寺で諸経を閲覧し思索されています。これが機縁になって日興上人が弟子になられたのは有名な史実です。

堀日亨上人も、研鑽においては他山を回って学問研究に努められました。
1954(昭和29)年身延と一緒に「昭和定本(日蓮御遺文集)」の編さんもされています。
これが、短時日で『御書全集』の発刊が可能であった要因の一つでもあります。
こうしたことは『御書全集』の凡例でも、うかがい知ることができます。
さらに、凡例には『新古各種の刊本中に真偽未決の問題となるものも信行に資するものは之を取る』とあります。
信行に資するという視点においては、真偽よりも、その内容を重視するということです。
しかし、学問研究においては、内容はもとより、真偽は非常に重要です。
これは、教義の骨格を論議するのであれば、論拠と同時に非常に重要な視点でもあります。
故に、軽々に論じるのではなく、慎重な配慮が絶対に欠かせません。

124:2008/08/30(土) 16:18:37 ID:wkIQLPI.0
>>112
水口さん こんにちは
レスをありがとうございます

>時代ごと解釈、秀師の解釈が幾重にも存在しようとも、真実は必ず存在する・・・。

永遠不滅の真実という意味ですね?
これは「信じる」という以外検証不能だろうと思います。
それとも、その時代その時代に相応しい真実があったということでしょうか?
貴方は私の一つ目の質問に、明確にはお答えになられませんでした。
しかし、これは私が貴方を知りたかっただけで、貴方が答える必要のないことだと思っています。
リアルでの対話の場であったなら、貴方もかなり本格的にお話しなされたことでしょう。

戒壇の御本尊本懐説は、江戸期前後に現れて正に時代の要請だったのだと思います。
それが当時の「真実」であっても、信仰の上で何ら問題はなかったはずです。
しかし、現在ではかなり問題を含んだ教義だと私は思っています。

>信行が曇ってしまえば本末転倒。されば、かのような議論は退避すべし。

言論封鎖にもつながりかねませんね。
でも、おっしゃりたいことは良く分かります。
私もそのように考えているからです。

三大秘法を一大秘法に閉じて(開くの反対の意味で)、
どのように考えるかがこの板で対立しています。
ですが、どのような立場でも、「御本尊根本」という点で全く異なっていませんね。
正宗だってそうじゃありませんか?
その上で、今までの教義を再検討してもよいのではないか、というのが
沖浦さんたちの思いだと、私は理解しています。

水口さんはお忙しいようですね。
この投稿はレスくださった貴方へのお礼を込めて書きました。
特にご返信を頂かなくても大丈夫です。

125 ◆dSuTMUL9hU:2008/08/30(土) 16:22:23 ID:7EPuqDd20
>>123
訂正です。
>1954(昭和29)年身延と一緒に「昭和定本(日蓮御遺文集)」の編さんもされています。

1954(昭和29)年という年号は間違いです。単に削除忘れです。
編さんされた時期の詳細までは、わかりません。

126かぶと:2008/08/30(土) 16:41:45 ID:bmQa/5/I0
耕治様
早速のコメントありがとうございます。

角度を変えさせて頂きます。

SOKAnetには、
法華経とは
釈尊の説いた仏教の教えは、さまざまな経典として残されていますが、「万人の成仏」を実現する完全な教えを説いた経典が「法華経」です。他の経典は部分的な教えにとどまっています。例えば、爾前経(=法華経以前のさまざまな経典)では、声聞・縁覚の二乗や、女人や悪人は成仏できないと説き、一切衆生の成仏を明かしていません。

とあります。

ところが文献学的には、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C

「法華経の成立は、釈尊滅後からほぼ500年以上のちのこととされ、現在の仏教学では主にBC50年からBC150年の間に成立したと推定されている。」
と「後代成立」が定着しております。

そのようなところから、「大乗非仏説論者」より「法華経は偽経」と攻撃もされております。また、同じ大乗仏教系でありながら、親鸞会などは「創価学会は偽経・法華経をもとにしている」との非難の声も聞こえてきております。

当然、これらに対する反駁、切り返しも行なわなければなりません。それらの内容は、ここでは本題からはずれますので、略させて頂きます。

さて、このような「学問的見地」「対する側からの攻撃」はそれとして、信仰上からは「釈尊の説かれた法華経=釈尊直説」という位置付けは、「法華経を奉ずる教団の自由」ですし、それを信じるのも、信じないのも、また、教団を選択する人達、既に会員となっている方達の自由であります。

これは決して、盲目的信仰というものではなく、「その経典の内容に価値を見出して、実践修行体得することにより、現証としての利益、功徳を現出せしめ、以て経典真実を証明する」というものであります。

「三三蔵祈雨事・日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」と、大聖人が御教示の通り、「現証で勝負」というものであります。

このように、学問・文献学というものは探究心旺盛に研究を重ねるほどに「進化、深化」していまして、一創価学会員の私・かぶととしても、それらに対する「対応」「踏まえたもの」を思考し、実際に現場で使う場面も多くあるわけであります。

さて、東国人氏は、同じ埼玉ということもあり、リアルでも存じ上げている方ですが、現在は活動のかたわら、「富士門流信徒の掲示板」参加の日蓮宗信者の方を折伏すべく、対話に通われているようです。

http://jbbs.livedoor.jp/study/364/

私・かぶとは、ほとんど読まない掲示板なのですが、ここには、創価学会→法華講→日蓮宗、という方が、ロム参加の方を含め相当数いらっしゃるようで、それらの方々は「創価学会を脱会して日蓮正宗法華講に入講した」「だが、戒壇御本尊は偽作だった」「騙された」「日蓮宗へ」そして、現在は団扇太鼓を叩いて読経しているようです。

創価学会では、昨年、金原明彦氏が「日蓮と本尊伝承」を出版され、戒壇御本尊は日蓮大聖人の「直造に非ず」を論証されましたが、これなども、学的な探究心に基づくものと思われ、故に、氏も、論証の結果と、会員各位の信仰の有り様に、苦心されながら記述されているような印象を受けました。上記、「偽作云々」などの安直な言葉は一切使われず、ひたすらに「真実」を求め抜くスタンスであった、と認識したものです。

しかしながら、この本は「学的な考察」であります。「戒壇の御本尊」を大聖人様の出世の本懐と、位置付けて、信じて、拝するというのは、信仰です。

何も、難しい、そのような「本」を読まずに、ただ、一途に信じるのも、それはそれで信仰としてなんの遜色もないものと思います。更に、そこに、学的な考察結果への認識が確立されていれば、信仰破壊などではなく、むしろ、より強固なる信仰が確立されていくと考える次第であります。

もちろん、一時的な動揺などはあるかもしれません。ですが、法華経に対する文献学的考察、それに基づく為にする疑難が起きてくるのも、時代の力みたいなものでもあるか、と認識します。

127かぶと:2008/08/30(土) 16:44:50 ID:bmQa/5/I0
その時代の力に鍛えられ、波に洗われてこそ、より、強固なる信仰というものが、確立されていくのではないでしょうか。

ですから、日蓮大聖人の真蹟御書、写本御書の存在につきましては、文献学的に考察を深めるべきだと思いますし、同時に創価学会員としての信仰もより強いものになっていくと認識する次第であります。

これからも、教学的次元で、様々なことが考察され、明らかとなってくることでありましょう。その時こそ、信仰を深め、強くするチャンスと捉えて、悩み、懊悩し、そして答えを出してスッキリとさせて、より成長を遂げてまいりたいと思っています。

以上、ここまでが「学的考察と信仰の関係」についての私見であります。


続きまして、私の立場を述べさせて頂きます。

「三大秘法について考えませんか」のスレッド、
NO150にて、もくれん様が引用されました

>2002年発行  書籍 「教学の基礎」 創価学会教学部編
に収録されていることを、そのまま抜粋いたします。

P55〜
★三大秘法の根本は一大秘法です。
★一大秘法とは、本門の本尊、
★すなわち、日蓮大聖人が胸中に所持されている、久遠元初の妙法たる
★南無妙法蓮華経であり、又、それを図顕された、曼荼羅本尊です。

私・かぶとは、一創価学会員として、この学会教学に信を取る次第であります。

そして、この学会教学を基準にしましたら、沖浦克治様が主張されていた、同スレッドの

NO16、NO23

は、学会教学とは異なっているように思われます。

ただ、このことにつきまして、私・かぶとは、沖浦様の一人、胸中に秘めた内証の悟りみたいなものではないか、と認識していますので、あまり云々するつもりはございません。
これまでも充分議論されていることでもありますし。

次に、私・かぶとの、創価学会員としての信仰、特に教学面ですが、学会活動の上では「御書の真蹟、写本」に関係なく、「日蓮大聖人の教え」と拝して、自身も学び、部員様方にも講義等をさせて頂いております。先生が写本のみの御書を講義されているものも、多数、所持、拝読して、信仰の糧にさせて頂いております。

学会活動で御書を開くときに、「真蹟所在地」をいうことはあっても、「真蹟」だから「写本」だからで、その御書の価値を云々したことも、一切、ありません。

その上で、対他の対論などの際は、文献考証を踏まえた上で、現場に臨みます。例えば、前記、「富士門流信徒の掲示板」メンバーなどと話す際は、「昭和定本日蓮聖人遺文」が基準となりますので、こちらのペースだけで行なおうとしても、話が噛み合わなくなります。
そこに、学的な考察も必要となってくるわけであります。

また、「史実」の探求、例えば金原氏が行なったような、本尊に関する研究、考察では、文献学的に確実な御書を用いなければ、せっかくの研究の精度も、落ちてしまいかねません。

ここらへんから、耕治様が書かれていました、東国人氏の当初の書き込み「本尊の大事である故、真蹟御書で」(趣意)というものもあったものだと思います。そこで、氏は観心本尊抄の解釈を展開したのでしょう。その後、沖浦様からは「当体義抄」の提示がありました。これは写本のみです。この時点で、東国人氏は、解釈を加え。。。。。。。煩雑になります。
以下、略させて頂きます。


>>120
耕治様の言われる

>あなた方は、何をめざしているのですか?

より、学問的見地も踏まえた上での、教学展開、を目指しております。

128かぶと:2008/08/30(土) 17:20:21 ID:bmQa/5/I0
>>123
恋様、
初めまして。
よろしくお願い致します。
御教示、感謝いたします。

>定義や定説として、共通認識にまで高めるには、学問的な研究・研鑽の取り組みがなければ、ただの己義でしかありません。

同意でございます。
その「学問的な研究・研鑽の取り組み」というのが、また、労力を要するものであると身に染みて感じている次第であります。
学問、研鑽自体も、難解なる書物との取り組みで、神経が擦り減る思いなのですが、ましてや、情報を収集し、各所へ出かけ、期待通りだったり、外されたりと、歩みを重ねれど得るものは少なくで、忍耐、努力、執念、そして孤独との戦いであったりもいたします。


>『興風談所』の成果は、現在では第1級のものとなっています

私・かぶとも、その成果である「興風」を読んで、研鑽の一助としているのですから、結局のところ、彼ら正信会の使命はここにあったようにも思えたりしてきます。それまでの経緯が、創価学会としては、いただけないものでしたが。

私・かぶとの居住地域にも、等身大の板本尊を、仏間に安置している草創期の学会幹部がおりまして、大変な教学通というよりも、学者みたいな方でありました。

昭和54年に、その方は正信会に行き、私も寺に連れて行かれ、住職の話を聞きましたが、「宗教分」「宗旨分」とか、理解しきれない難しい話ばかりだったのを記憶しています。


>先生の著作群も、こうした『研究成果を踏まえて』と論じられています。

そのとおりと認識しています。最近は、大白蓮華、創価新報等では、「近年の研究によると」という表現を見受けるようになりました。直接的に「立正大学のA教授の研究によると」と書くのは、公式機関誌では、やはり、憚るものがあるのも、理解しております。


>信行に資するという視点においては、真偽よりも、その内容を重視するということです。
しかし、学問研究においては、内容はもとより、真偽は非常に重要です。

同意でございます。


>>125
>編さんされた時期の詳細までは、わかりません。

これにつきましては、私も調べてみます。

130耕治:2008/08/30(土) 17:35:35 ID:AJ3hr85o0
まず、創価学会の正依を文証とする。これは、絶対に疑ってはならないことです。

東国人一派の主張は、真筆以外の御書を排斥し、残った御書をもって、新教学の確立を目座すものです。
その結果は、釈迦本仏の邪義となることは、ひを見ることよりも明らかなことです。

東国人一派の言
「この程度の御書を出してくる、(出した人間の)レベルの問題」
「顕正会が 三大秘法抄 を読んで 国立戒壇だあー と叫んでいるようなもの。御書の解釈は いかようにもそれらしく 聞こえるものなのだよ。
解釈に 解釈 を重ねて、しかも 真蹟 ではなく、 偽書  真偽未決 をもととしたところで、
私はこう思うマースを永遠に繰り返しているだけですよ」

 これは、謗法そのものです。そして、自らの論拠に法華講の対学会攻撃論文や、日蓮宗の論文をそのまま
創価学会の教義と偽って 引用元を隠して HNにかくれて貼り付ける

 この行いは、天魔の所業であり、一部の理も求めることはできません。

131耕治:2008/08/30(土) 17:47:37 ID:AJ3hr85o0
//学問的見地も踏まえた上での、教学展開、を目指しております//

はっきりいいましょう。時期尚早です!
「己心の妙法すら」という単語すら 知らないものが、ご本尊についてあれこれ議論をしている。

創価学会を二つに割ることを目的として、御書を切り売りするのなら、自分の立場を明確にしたうえで、
それをやりなさい。
 
いいですか!
あなた方がいってるのは、机上の空論なのです。「真筆だけを御書とせよ」
一見最もらしい言い分ですが、じゃあ、なぜ真筆なのか?
それは、大聖人を信じているからです。
では、どうして信じれるのか?それは、理屈じゃないでしょう。

真筆のみというのなら、釈迦の残した全ての経は、真筆がない。よって、そこからでた全ての論釈は、真筆のないものを基にして
展開されている。

例えば、お題目は南無妙法蓮華経といいます。
妙法蓮華経も南無もみな、真筆はありません!!

3000年前に釈尊が説いたほうは残っています。しかし、教典は滅後の作成です!

私たちには、二つの選択しかない。
ひとつは、正依を信じる
もうひとつは、排斥する

132耕治:2008/08/30(土) 18:07:50 ID:AJ3hr85o0
 御書は、「権実相対」「本しゃく相対」「種脱相対」の三つの立場から、かかれております。
東国人一派は、この建て訳が全くできていない。

創価学会では、「いろはの い」です。それが分かっていない。それは、身延だからです。

例えば、生死一大事血脈抄に
「久遠実成の釈尊と 皆成仏道の法華経と 我等衆生と 三つ全く差別なし」

という段があります。
この御文は、なに相対ですか?これは、樋田氏との質問会でも出てきました。

これは、「本しゃく相対」のお立場で書かれたものです。したがって、私どものは、種脱の立場でこの御文を読んでいます。

この御文は本しゃくで読むと、(文の意味するところのマンマで読む)

「500塵点成道のお釈迦さまと、法華経本門と、我等に差別なし」  となります。
そんなことを、創価学会は おしえていますか?ちがいますよね。

「日蓮大聖人と、南無妙法蓮華経(ご本尊さま)と私たちは 全く差別なし」


こう読んでいるはずです。では、なぜそう読めるのか。それは、御義口伝があるからdす。
それを、排斥するのなら、東国人さん一派は、身延でやりなさい。

133日々朗らか(決意):2008/08/30(土) 18:08:24 ID:8FNX.yWoO
>>126

さて、東国人氏は、同じ埼玉ということもあり、リアルでも存じ上げている方ですが、現在は活動のかたわら、「富士門流信徒の掲示板」参加の日蓮宗信者の方を折伏すべく、対話に通われているようです。
[JBBS板]


……………………

ご紹介のURL、覗いてきました。
なんていうHNで、投稿なされていますか??。
ヒガシコクジン(東国人=HN)さんは、見かけませんでした。見落としかもしれませんが……。

最近になってレスが動き出したように感じましたが、……どうなんでしょうか……。

134:2008/08/30(土) 20:36:42 ID:wkIQLPI.0
かぶとさん こんばんは
はじめまして、宜しくお願いします。

貴方は
>より、学問的見地も踏まえた上での、教学展開、を目指しております。

と書き込んでおられます。
そこで、2つの質問をさせて下さい。

このスレッドは
「戒壇様本懐論をどう思いますか」です。
貴方はどう思われていますか?

次に貴方は
>私・かぶとは、一創価学会員として、この学会教学に信を取る次第であります。

このように立場を明確にされています。
では、私たちが朝晩の勤行の際
「一閲浮提総与、三大秘法の大御本尊に南無し奉り、報恩感謝・・・」
と御観念文するとき、貴方は何を具体的にイメージされてますか?

貴方の投稿で、宗派を越えて学問的交流がけっこうなされているということを知り
は大変に参考になりました。ありがとうございました。

それにしても、身大の板御本尊が学会員である民間にあるなんて初めて聞きました。
しかも、そんな幹部が退転するんですねぇ^^;
どうしてなんでしょう?

135:2008/08/30(土) 20:40:38 ID:wkIQLPI.0
訂正

「は大変に」→「は」はとります。削除ミスです

136耕治:2008/08/30(土) 21:25:06 ID:AJ3hr85o0
//それらの方々は「創価学会を脱会して日蓮正宗法華講に入講した」「だが、戒壇御本尊は偽作だった」「騙された」「日蓮宗へ」そして、現在は団扇太鼓を叩いて読経しているようです。//

 かぶとさん、日蓮正宗に破門された、今の創価学会に血脈が有る理由は、御書のどこにありますか?
あなたがたは、種脱を放棄して、それを証明できますか?創価学会の正統なる文証はいずこにあるか?
それは、あなたがたが、「程度の低い御書」「この程度の御書を立てる人物(宗教)は程度が低い」
「この程度の御書を元にたてる教義、解釈は自分だけの世界」「創価学会の正依は偽書か真偽不明である」

上記は、あなたの言がただしければ、埼玉創学会青年部?の教義なんですね?
で、その流れをネットを媒体にして広げてゆこうと?

137もくれん:2008/08/30(土) 21:41:57 ID:gO.Fk5NY0
>>136 耕冶さん

創価学会は、日蓮大聖人の御精神の通り実践するが故に、日蓮大聖人直結
なのです。

>今の創価学会に血脈が有る理由が、御書のどこにありますか?

私は御書のどこにあるか、答えられません。
でも、現実に世界200カ国近くの国と地域に、広宣流布している事実
これで充分だと思います。
宗門には決して、できなかった。この現実こそが、証拠です。

勿論、三代の会長がおられればこその偉業です。

138那由他 楽人:2008/08/30(土) 22:55:26 ID:/P1KhNMc0
以下、私見です。
しかも何の議論にもならないかもしれません。

いわゆる「戒壇御本尊様」が出世の本懐なのかどうか。
私には判りません。
明確な文証もなく、解釈するしかないからです。

ただし。
「戒壇御本尊様が出世の本懐だから、『その御本尊様を拝まないと功徳はない!』」
「戒壇御本尊様が出世の本懐だから、『その御本尊様を奉侍している宗派でなければ成仏はない!』」
というのは、もはや違うと思います。

ちなみに創価学会の教学見解にも、幅が出てきています。
「戒壇御本尊様ご建立が大聖人様の出世の本懐である」とは言っていません。

といいつつ私のブログには、当時の状況から見て大石寺創建の頃には「戒壇御本尊様」はなかったのではないか、という見解を載せていますが。

139耕治:2008/08/30(土) 23:33:42 ID:AJ3hr85o0
>>137
こんばんわ。

//宗門には決して、できなかった。この現実こそが、証拠です。//

 同意です。現実の証拠が最大の証拠だと思います。

//日蓮大聖人の御精神の通り実践するが故に、日蓮大聖人直結
なのです。//

 私は、御義口伝や生死一大事血脈抄をよんで、創価学会こそが日蓮大聖人直結
なんだと思うようになりました。

140森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/30(土) 23:55:04 ID:ny2WHVj6O
>>138
那由他 楽人さん、初めまして、宜しくお願い致します。
2007年12月30第12刷
編者創価学会教学部の
『教学の基礎』には、
【農民信徒たちの不惜身命の姿に、大聖人は、大難に耐える強き信心が、民衆次元に定着したことを感じられて、10月1日に著された「聖人御難事」で「出世の本懐」を遂げる時がきたことを宣言されました。そして、その宣言通り、弘安二年十月十二日に一閻浮提総与(全世界の人々に授与するとの意)の大御本尊を建立されたのです】とあります。
私は、現時点での教義は、まだ上記のままだと思いますが、教義に変更があれば、そのように信心していきます。
先駆を切られている方がみえて、新しい教義を立てられていたとしても、現時点の学会の書籍(私は、学会の書籍・新聞などの内容は、池田先生が掌握されている、思っているのですが。もしも、先生の目の届かないところで発行されていたら、分からないのですが)を信じて活動していきたいと思っています。

141森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/31(日) 00:18:10 ID:ny2WHVj6O
>>139
耕治さんへ、こんばんは。横レスすみません。
私は、御義口伝は大聖人から日興上人への口伝であることを否定はしていないのですが、正筆とされる観心本尊抄P249にも『彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり』と、種脱相対は説かれています。

142森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/31(日) 00:35:03 ID:ny2WHVj6O
スレ違いかもわかりませんが。
『法華経の智慧』より
一部分ですが、【━難しいことはわからなくても、日夜、広宣流布のため、妙法のため、人のために奔走しておられる学会員は、理論を知ると知らざるとにかかわらず、生命の奥低から「無始の仏界」が涌現してくる。何ともいえない歓喜と生命力、勇気と智慧が、ぐーっとわいてくる。生命に染み通り、染みこんでくる。相の上でも、光を放ってくる。福徳に満ちてくる】と御指導がありました。私自身、全てを学会活動と捉え実証を示していきます。

143耕治:2008/08/31(日) 00:41:04 ID:AJ3hr85o0
こんばんわ、森野一士さん

『彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり』


これは、種脱相対のお立場です。この観心本尊抄の御文の意味がとっても重要です。
この御文を信じるものは、必然的に御義口伝も信じる必要があります。

にもかかわらず、御義口伝を偽書とよびそれを排斥しようとする者がおります。それは、彼等は残念なことに目があるのに、見えていないのです。この目は、信です。
あなたには、目があります。だからこの御文もきっと信じられる。

「相伝にあらざれば知りがたし」という言葉があります。この相伝の体は、種脱における「種」、つまり南無妙法蓮華経のことです。
でも、身延も中山も南無妙法蓮華経を唱えています。でも、「相伝にあらざれば知りがたし」で、あきらかに創価学会とは異なることをしています。
それは、なぜでしょうか?

それは、種脱の「種」が南無妙法蓮華経であることに迷っているからです。
この「種」とはなんでしょうか?
この「種」とは、お曼荼羅のご本尊様であり、南無妙法蓮華経のお題目であり、日蓮大聖人さまが久遠元初から所持されていた妙法なのです。

では、なぜそれが「種」なんですか?

それは、我等衆生の当体がもともと南無妙法蓮華経そのものだからです。

南無妙法蓮華経というのは、私たち一人ひとりの本名です。
南無妙法蓮華経というのは、私たちの当体そのものです。
南無妙法蓮華経というのは、この大宇宙そのものです。

これを悟るのを成仏というのです。
これを悟らせるために、お曼荼羅のご本尊様がいらっしゃるのです。

144那由他 楽人:2008/08/31(日) 01:03:49 ID:/P1KhNMc0
森野一士さん、初めまして。
>>140で御指摘の件ですが、もしお持ちでしたら昨年の大白蓮華10月号に掲載された「任用試験」の教材をご覧ください。
日蓮大聖人の御生涯を読んでいただければ、私の言っていることがお判りいただけると思います。

「教義の変更」ということではなく、解釈に幅が出てきたということではないかと思います。

145耕治:2008/08/31(日) 01:06:29 ID:AJ3hr85o0
>>142
//難しいことはわからなくても、日夜、広宣流布のため、妙法のため、人のために奔走しておられる学会員は、理論を知ると知らざるとにかかわらず、//

 はい、一番大切なのは、信じることです。はっきりいうと、別に戒壇様本懐論を信じてもよいのです。
本懐論をもって、ご本尊に不敬を働きさえしなければ。本懐論を信じていない私も、信じているあなたも、
ともに久遠からの契約で生まれてきているのですから、等しく功徳で身を飾ることができます。

//生命の奥低から「無始の仏界」が涌現してくる。何ともいえない歓喜と生命力、勇気と智慧が、ぐーっとわいてくる。//

 この「無始の仏界」ひとつとっても、とても深い意味が有ると思います。
これも、種脱の立場です。本しゃくの立場での指導もありますが、その場合、「己心の仏界が涌現してくる」となります。

{「無始の仏界」が涌現}

 「涌現」というのは、もともとあったものが顕れることです。井戸から水を汲むのは、もともと水があるからです。
ないものは「涌現」しません。
 「無始の仏界」とは、南無妙法蓮華経です。無始だからです。もともと有るから「無始」なのです。
これは、御義口伝を排斥している者は、目があっても読めません。

//生命に染み通り、染みこんでくる。相の上でも、光を放ってくる。福徳に満ちてくる//

「生命に染み通り、染みこんでくる。」
これも、明らかに種脱の立場から創価学会がしている指導です。
「本しゃく」「権実」の立場なら、「染み通り」という表現は変です。

{生命に染み通り}
この生命は、貴方や私の十界の生命全部が南無妙法蓮華経に照らされることを指すのです。
これを、「相の上でも、光を放ってくる」と表現しているのです。

ですから、勤行してるときだけ、「相の上でも、、「相の上でも、光を放ってくる」のでは無いのです。
悲しんでる時も、怒っている時も、考えているときも、笑っているときも、「光を放っている」のです。

これも、御義口伝を排斥すれば、目があっても見えなくなってしまうのです。

146森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/31(日) 01:26:42 ID:ny2WHVj6O
>>143
耕治さんへ
耕治さんのお考え了解致しました。ありがとうございます。
信心根本に活動していきます。

147森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/31(日) 01:48:19 ID:ny2WHVj6O
>>145
こちらも了解致しました。同じく法華経の智慧に、
『何億年、何百億年に一回しか、めぐり会えない御本尊だと思ったなら、一回一回の勤行がどれほど感激に満ち満ちてくることか』と御指導ありました。
私も、大歓喜で活動していきます。

148森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/31(日) 01:53:56 ID:ny2WHVj6O
>>144
那由他 楽人さんへ
昨年の大百蓮華の10月号読んでみます。
どのようになったとしても、池田先生の指導を間違えないように受け、信心活動をしていきたいと思っています。

149沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/31(日) 07:11:46 ID:AJ3hr85o0
 森野さん、おはようございます。

>私は、現時点での教義は、まだ上記のままだと思いますが、教義に変更があれば、そのように信心していきます。

 これね、ものすご〜〜く、無責任ですね。
 これで一生行くおつもりなら、論議を他人とすべきでないです。

 どれほどこの考えが広宣流布に弓を引くか。
 今それだけを思索すべきです。
 今の貴方には自分の思索がありません。
 マインドコントロールを望んでいるのです。

 外道ですね。

150森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/31(日) 08:17:00 ID:ny2WHVj6O
>>149
沖浦さんへ
私は、聖教新聞社から出されている本であるので学会の指導であると考え、であれば、この本の内容と違うことを唱えることの方が、沖浦さんが149で言われていることになる、と思索しました。

151沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/31(日) 08:26:32 ID:AJ3hr85o0
 あ〜〜そうですか。

 では創価学会が人を殺せと言えば殺すんですね。

 勝手にやってれば。
 森野さん。

152森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/31(日) 08:37:48 ID:ny2WHVj6O
>>150
沖浦さん、おはようございます。
私は、聖教新聞や、学会の書籍、の内容に沿った言動の方が、責任ある言動だと思いますが、私の場合は、論議というよりも、間違っていない情報のやりとりや、現状の教義はどうなっているのかを知るための他の方の認識の確認などの作業になっているので、沖浦さんとは、違うのだと思います。
沖浦さんは、学会の為にどうあればよいかと言うことを御自分で考えられて未来の為にお創りになられているのだ、と認識しています。
私は、教義については、現状に沿った行動の方が、異体同心につながる、と考えています。

153沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/31(日) 08:42:32 ID:AJ3hr85o0
 森野さん

 そうすると貴方は、破門以前は御法主上人猊下様に心服随従しておられた。
 で、あの貴方は正しかった??

 そうとう節操ありませんね〜〜。

 ハイ!

154耕治:2008/08/31(日) 09:05:38 ID:AJ3hr85o0
ひとつの信仰のありかたとして、そのときそのときの幹部の指導や、公式見解を盲目的に信じていくという
方法があります。

日顕は、いい人といわれれば、いい人!
仏敵に変更といわれれば、仏敵!


考えなくていいので、楽でいいです。こういう公式見解や、教学を起こしている側は、常に考えている側です。

//間違っていない情報のやりとりや、現状の教義はどうなっているのかを知るための他の方の認識の確認などの作業になっているので、//

 一番、よいのは、幹部の指導を受けることです。それに従う。
じぶんでは、考えない。悩まない。勉強は御書とりも、公式見解から入る。これも、上記目的達成の為に必要ですね。
功徳は有ると思います。

155もくれん:2008/08/31(日) 09:22:12 ID:gO.Fk5NY0
>>154

今は、時間の関係で、たくさん、詳しく書けないですが、
例えば、宗門のことでも、ぎりぎりまで、全同志を安全に
離陸させるために、どうすることが最善の道かということを
ハンドル操作しながら、先生は行動されていたはずと推測いたします。

156森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/31(日) 10:02:52 ID:ny2WHVj6O
私は、その指導が、御書や先生の指導を根本にしているのかどうかという、確認作業は必要だと思っています。
もし、私が、沖浦さんが言っている事(行動とは違い、この掲示板に書かれている事)を信じるとしても、御書を根本にして判断して、沖浦さんが、死ねと言っても死なないのと同じだと思います。
沖浦さんは、54年を経験されているからか、学会の指導に慎重になられている事は分かります。
法主については、日興上人の遺誡置文の事を知ってから、この御文を判断基準にしています。法主の言っている事が御書に合っているのか、いないのか、己義を構えていないかどうか、と正邪の判断をするようになりました。
沖浦さんが、「学会が死ねと言ったら死ぬのか」という事は、私にとっては「先生が死ねと言ったら死ぬのか」と言われているようにも聞こえました。ある意味、『不自惜身命』ではあるのですが。

157森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/31(日) 10:11:43 ID:ny2WHVj6O
私は、学会を破門にした法主は、大聖人を、学会を裏切ったのだ、と認識しています。

158ヅラ系。:2008/08/31(日) 12:31:28 ID:3SiI6MsAO
学会が死ねと言ったら死にますよ。

159かぶと:2008/08/31(日) 13:01:23 ID:Gl.b0w.M0
>>133
日々様、
東国人氏は、知人とはリアルの関係のようです。
掲示板は、日蓮宗教学論者の集いのような所ですので、参加はしていないと思います。


>>134
梅様、
はじめまして。
よろしくお願い致します。
また、考える機会を与えて頂けましたことに、感謝いたします。

>このスレッドは
「戒壇様本懐論をどう思いますか」です。
貴方はどう思われていますか?

私・かぶととしましては、宗教的信念、確信、情熱というものは、系統的・体系的知見の総体である学問的成果を上回る、ということがいえると考えております。

まず、昨日触れました法華経の後代成立という文献学的研究の成果につきましても、多くの会員の方々は、朝晩の勤行の際、「この経典は後代成立のものであるが、私は釈迦の直説と考えよう」などと、一々、思考することなく、更に言えばそのような角度は、一切何も考えずに読んでおります。

そして唱題を行い、日々の仕事に勤しみ、学会活動に励み、信仰の功徳の体験に潤っていくのであります。

よく、何もない、平々凡々たる毎日だ、などと聞きますが、あたかも天下泰平の連日があきたらないような言葉でもありますが、とんでもないことで、連日報道される、事件、事故、様々な社会事象を見るごとに、実は、その何もない平凡な毎日こそが、大きな功徳でもあると思うのであります。

聖教新聞を見ましても、人生の烈風に立ち向かい、そして勝利されている功徳の体験にどれだけの励ましを頂いたことかしれません。

そこに登場する方々も、法華経後代成立云々などは、おそらく夢にも思うことなく、純粋真っ直ぐに、御本尊様!という体当たりをするような強き唱題根本に、難を、壁を乗り越えてきたことと思うのであります。

こうなってきますと、学問的成果の意味するものは、あくまでその次元に留まるものであり、宗教的信念、確信、情熱に影響を及ぼすものは無い(冒頭を逆から表したようなものですが)ということも言えてまいります。

信仰体験、功徳という、宗教的利益という現証は、人間能力の総合的開花としての科学的知見、学問的成果では説明がつかないことが多々あります。

たまに、組織などでも聞きます。「余命一ヶ月といわれた。その瞬間、私は死んだ。死んだのなら、死んだ気になって、本気になってやろうと決意した。それから連日の必死の唱題、活動。二ヶ月、三ヶ月経っても生きているので詳しく調べたら、ガン細胞が消えている。医者は信じられない、といっていた。そしてもう10年」「ガン細胞を根絶した」「腫瘍が消えた」等。それら、奇跡的とも思える信仰体験を、会合などで聞く私・かぶとは、ただ、ただ、圧倒される思いでもあります。

同時に「三三蔵祈雨事・日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」との、大聖人の御教示通りの創価学会である、との確信も脈打って参ります。

ここまで、釈尊の説かれた法華経、学問的成果としての法華経成立の経緯、の違いを見てまいりましたが、戒壇の御本尊につきましても、同様のことがいえるのではないかと考えている次第であります。

金原氏の著作を読んで、戒壇の御本尊は大聖人の直造である、史実の上での日蓮大聖人の出世の本懐である、と論証、反証できる人は、まずはいらっしゃらないことでしょう。そうすると、現時点では、戒壇の御本尊は後代の造立である、戒壇の御本尊は日蓮大聖人の出世の本懐であるというのは後世の伝承である、という説が成立いたします。

もちろん私見ですが、私・かぶとも、本に書かれていましたように、1300年代後半、大石寺御影堂の御影像造立時に、やはり、熱原法難100年を期してでしょうか、その時に造立されたものと考えています。ここまでは、金原氏の学問的成果を肯定し、それによる個人としての見解であります。

160かぶと:2008/08/31(日) 13:05:08 ID:Gl.b0w.M0
そして、宗教的信念、確信、情熱では、「戒壇の御本尊は、日蓮大聖人御図顕の御本尊様であられ出世の本懐でもある」というものが、私・かぶとの体内に染み込んでおります。

矛盾しているようですが、法華経と同様であり、戒壇の御本尊の宗教的位置付けと学問的位置付けが異なるとしても、信仰に生きる者としては、その思考回路中に常時あるものは、前者の方であります。

創価学会は、創立以来、そのように信じ、そのように人にも説明し、そして功徳の体験に潤ってきたことからも、この現証を以て、冒頭のように「宗教的信念、確信、情熱は、系統的・体系的知見の総体である学問的成果を上回る」ものとなっているのであります。

また、実際のところ、戒壇の御本尊の首題は大聖人直筆の日禅授与本尊を模写(籠抜きか)して造立したものでありますし、戒壇の御本尊は考察により、その造立の経緯が詳らかにされても、立派な御本尊様であられることには変りありません。その功徳力は御本尊様そのものであります。

平成3年以降を振り返りますに、まずは、「大石寺に参詣し、戒壇の御本尊の御開扉を受け、お目通りしなければ、成仏は叶わない」との日蓮正宗の説は邪義である、ということが、平成3、4年の時点で、既に明白になりました。

続いて、創価学会の経本から「本門戒壇の大御本尊」が消え、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」となり、意識の中から「本門戒壇の大御本尊」というものが、時の経過と共に薄れ、また消えております。

更に、これはオアシスで一言、書きましたが、平成5年5月3日の本部幹部会で、先生は
ローマ法王庁の「信徒評議会」の評議員であった上智大学名誉教授・安斉伸氏との対談を紹介されました。

「私(安斉氏)は『究極に求められるものは何でしょうか』と質問しました。恐らく『板曼荼羅の御本尊』と答えられると思っておりましたが、しかし、名誉会長は『久遠元初の法です』と答えられたのです。
このことから、名誉会長が、永遠の根源を求めておられ、板曼荼羅に、偏狭にこだわっておられないことに、非常に感動し、創価学会の普遍性と、発展の因を見た思いでした。
以来、学会への協力を決意し、今日にいたっております。」
とされ、従来にはない、創価学会員の意識革命となる重要な御指導をされました。

そして、本年の大白蓮華で熱原法難を記されたところでは、以前ならばセットで述べられていた「大御本尊御建立」というものがありませんでした。

ここまでは、まずは、会内から戒壇の御本尊という呼称表現が消え、その概念が薄れ、消え、相貌・お姿も忘れられ、会員間で「戒壇の御本尊」という言葉が交わされることが無くなっていく段階です。

しかし、信仰的意味合いは、それまでの創価学会史を踏まえれば、当然、残っているわけでありまして、故に、行事予定表を見ましても、10月12日には「大御本尊建立の日」というのがありますし、その意義を刻む勤行会も行なわれていたりするわけであります。

私・かぶとは、人間の潜在意識にあるもの、命の奥底に刻まれたものを変える、転換するのには、自らを取り巻く世界が一変する突発的な出来事、革命などによるか、または長い時間をかけて緩やかに行なうかしかない、と考えています。

日蓮正宗問題勃発時は、まさに革命的転換でした。僧と俗の関係、教義の検証、布教の有り様、葬儀の有り方、御本尊下付等、日蓮仏法の内実の多くが「正道」へと回帰したものであったと認識しています。

しかしながら、大事の本尊のことについては、日々、それまで拝んできた対象である故、そうは簡単にはいかないのもまた、当然でもあります。日顕本尊を、創価学会授与の日寛上人書写の本尊に総取替えしただけでも、大変な革命であったと思います。

これ以上の転換、大御本尊の意義付け等の性急な変更、転換では、会員各位の意識が振り落とされたり、思考の切り替えができなかったり、路線についていけない人が出たりします。

創価学会は一人の犠牲も出さない、平和革命路線ですから、この角度については、まだまだ時間を要し、個人的には、私達の子供、孫の世代に至るまでの時間がかかるのではないか、と思っている次第であります。

梅様の質問
>私たちが朝晩の勤行の際
「一閲浮提総与、三大秘法の大御本尊に南無し奉り、報恩感謝・・・」
と御観念文するとき、貴方は何を具体的にイメージされてますか?

ですので、現在の私・かぶとは朝晩、御本尊を拝する際は、特に戒壇の御本尊を意識することもありませんし、ただ、真っ直ぐに創価学会授与の日寛上人書写の本尊を拝むのみであります。

161かぶと:2008/08/31(日) 13:06:38 ID:Gl.b0w.M0
>>136
>今の創価学会に血脈が有る理由は、御書のどこにありますか?

耕治様の言われる創価学会の血脈の文証につきましては、どうなのでしょうか。

私・かぶとが、法華講員の方々と対論などをした時によく言われるのは、「創価学会が御本尊下付をしてもいいという文証を示しなさい」というものがあります。

しかし、考えてみますと、そのような角度での直接的な文証などあるわけもなく、創価学会は日蓮大聖人を末法の御本仏と尊信し、広宣流布を目指す故に本尊下付をしているのです。と、ただ、それだけを答えています。

血脈につきましても、直接的な文証があるにせよ、無いにせよ、あまり、創価学会同士で公の場で論じても、それはどんなものであろうか、と考える次第であります。
どちらかといいますと、質問のような角度は、現場において、法華講員が創価学会員に対した時に言ってくるコメントですので、その場で、個々の信心の感得するところで、答えれば宜しいのではないか、と考えます。

164:2008/08/31(日) 14:13:18 ID:wkIQLPI.0
かぶとさん こんにちは

私は以前から同じような質問を重ねてきました。
そして、今回の貴方のレスはパソコンのモニターに向かう私の姿勢を正させました。
貴方の言葉のはしばしからうかがえる、誠実で真摯なお答えに感謝いたします。

私は貴方とほぼ同意見です。
ただ、私は少年の頃から、戒壇の大御本尊を信仰の究極の対象と教えられてきましたから
身体に染み付いたというか、血肉になってしまっているものは簡単になくせません。
それが、私の信仰上の『おそれ』となっていて、質問を重ねいたとご理解下さい。
今回の貴方の回答で、それはそれでもいいのだと納得しています。

教学(教義を含め)については、今後も(ネットでは)見解の相違みたいなものは
どんどん出てくると思っています。
その、さきがけみたいなものが、この板でのやり取りなのだと思います。
しかし、『自分の見解こそが正しい、それ以外は邪義、したがって、除名処分せよ』
というのは、あまりのも短絡的であり教学を学ぶうえで間違った姿勢だと思っています。
貴方は東国人さんとお知り合いとのこと、この点を正されてみたらいかがでしょうか。
もっとも、除名など騒いでいるのは、たぶん他のお方だと思いますが・・

165沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/31(日) 16:48:05 ID:AJ3hr85o0
 かぶとさん、始めまして

>東国人氏の主張の一部に、広済寺のホームページと同じものがある、というのは、氏が「学的成果」を踏まえて意見をされている証であり、現在の首都圏での、創価学会男子部、壮年部有志と法華講員、顕正会員の対論では、かような角度も考察しながら、現場対応を行なっていることによるもの、日常的な対応の一端であったのだろう、と認識しています。

 アレが破和合僧の大悪人だっただけのことです。
 他の理由なんかありませんよ。
 アレは謗法の徒。
 そこだけ認識すればいいんです。
 ですから、この件では貴方と会話はいたしません。
 一つだけ例外があります。
 貴方は同じ埼玉であり、リアルにあの謗法の徒をご存知だと言われています。
 HNでこの発言は無意味の骨頂です。
 こう言う話をされるのであるなら、先ずここでご自分がどこの何者か?
 明確にわかるようにしてもらいましょう。

 どは、どうぞ。

166かぶと:2008/08/31(日) 20:28:50 ID:pd6wrweg0
沖浦様

>こう言う話をされるのであるなら、先ずここでご自分がどこの何者か?
明確にわかるようにしてもらいましょう。

私・かぶとは自己紹介で書きましたように、埼玉の地区部長でございます。オアシスでも、「埼玉県は『埼京線』沿線に住んでいる学会二世の壮年部員です。婦人部に尻を叩かれながら地区部長をやっています。」と記しました。

ネット上ですので、実名、住所、連絡先等につきましては、遠慮をさせて頂きます。

167沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/31(日) 20:40:44 ID:AJ3hr85o0
 かぶとさん、それはそれでいいんですよ。
 でもね、もしネットで私はあの人を知っている。と言うなら、それは体験の部類なんです。
 体験はHNでは無理があります。

 ですから、そう言う部類の事をHNで言うべきではありません。
 HNが有効なのは主義主張の分野です。
 体験は自分の所在を明確にする必要があります。

 この点を今後よく考えて書き込んでくださいませ。

169もくれん:2008/08/31(日) 23:44:38 ID:gO.Fk5NY0
>>162
>>163
>>168

すいません、削除お願いします
どうして、メール表示になってしまったのか?

1702世:2008/08/31(日) 23:55:58 ID:c9K/ngMY0
2ちゃんで池田大作と検索するとすごい数のスレがでてくる。
その中でまじめに池田大作を批評しようというスレもあるが、中を見ると
すざましいばかりの、非難、悪口雑言、揶揄がほとんどです。おもしろ半分
もあるだろうけど、ここまで創価学会(池田大作)が日本中から嫌われて
いるという現実。この現実を学会員のみなさんは、どう感じているので
しょうか?
仏道を極めていく上でこれらは当然のことと解釈しているのでしょうか。
数ある学会員の不祥事や犯罪疑惑も自分達の信じるところが最優先のため
取るに足らない事、というのでしょうか。
学会員の真摯な意見を聞きたくて書き込みします。

1712世:2008/09/01(月) 00:03:55 ID:c9K/ngMY0
あなた達は、池田先生が100万貸してくださいといったら
貸しますか?

1722世:2008/09/01(月) 00:24:27 ID:c9K/ngMY0
あなた達は、池田先生が100万貸してくださいといったら
貸しますか?

173photochika:2008/09/01(月) 00:30:32 ID:nos4XpMo0
あなたは、池田先生が100万貸してくださいと、
誰彼かまわず言って歩くと、そんなバカな事を本気で考えているのですか?
もう少しまともな質問を考えなさいよ。

1742世:2008/09/01(月) 00:35:34 ID:c9K/ngMY0
>>173
じゃあなせ池田大作はチベット大虐殺の首謀者・胡錦涛を笑顔で抱擁するの?

キリスト教徒をはじめ他教徒と抱擁しつつも『折伏教典』で罵倒する池田大作って?

授与団体もその後の受賞者もわけわからん池田大作の「桂冠詩人」って?

オックスフォード大学の部外者図書館利用証「終身名誉館友」を学術顕彰と主張する池田大作って?

原爆は仏罰と主張する池田大作って?

175通りすがり:2008/09/01(月) 00:40:42 ID:bECwEw2s0
>>174
そんな事に捉われて足を止めてないで、自分の目標の為に生きろ
今年もあと4か月だぞ

176沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/09/01(月) 07:54:25 ID:AJ3hr85o0
 沖縄君よ、少し真面目な質問しなよ。

177もくれん:2008/09/01(月) 08:00:25 ID:gO.Fk5NY0
>>170,171,172,174

2世さん、お名前からして、創価学会2世さんなのでしょう。

まずは、ご自分で学習は必要ですね

本日の聖教新聞にも出ていますが、「トインビー対談」創価学会員であれば
必読の書です。あなたが、もし創価学会員であるなら、最低限
トインビー対談くらいは、読んでから、判断しましょうね。

178沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/09/01(月) 08:19:17 ID:AJ3hr85o0
 沖縄発偽者君よ。

 先ず、チベットのことよりっよ、自分の彼女作るのがさきじゃね〜か?
 大きな事言ってみてもアンタの生活は何も変わりゃしねーんだよ。
 俺の所に遊びに来い。
 色々おしえてやろう。

179沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/09/01(月) 08:24:18 ID:AJ3hr85o0
 沖縄偽よ〜

>25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/31(日) 21:59:36 ID:1aChizhh
http://jbbs.livedoor.jp/study/9645/
みんなもここのくそ学会員に一言書き込んでやれ、

 お前こんな気持ちで何書いても身ニャー付くめーよ。
 それとな、ここはスレチガイだ。
 スレ自分で立てろ。
 前より少しましな奴だぞ。
 なら、相手して遊んでやる。

 がんがれ!

180:2008/09/01(月) 13:30:43 ID:wkIQLPI.0
>>158

ヅラ系さん こんにちは〜
たまにはここに帰ってくるんですねぇ。
まるで、○○のトラさんのようにかなぁ・・
一言残して、また、出て行って・・

ところで、貴方はチョンガーですか?
家族でもいたら、なかなかあのような言葉出ませんよね〜
それとも、HNの世界だから、(無責任に)言ってみただけかな?(←失礼)

仮に本心だとしても、ここはネット、「学会は怖い」なんて誤解も生じかねないよ。
ホントの男なら、胸の奥、腹の奥深くしまいこんで・・・なんだと思います。


ヅラ系さん
私のこの投稿に、返信は不要です。
言いっぱなしはお許し下さい。

181二世:2008/09/01(月) 16:48:05 ID:3MVYUiwA0
結局質問には答えられてないじゃないか!
答えられないんだろ?
>>178
先ず、チベットのことよりっよ、自分の彼女作るのがさきじゃね〜か?
さすが、自分達の都合の悪いことは、無視か?

182二世:2008/09/01(月) 16:52:31 ID:3MVYUiwA0
やっぱり自称平和団体創価学会はチベット虐殺事件に対して無視を通すってコト?
それと沖浦克治さん、スレ立ててもすぐ削除するだけでしょww
相手の間違えや行動は叩きまくって、自分の都合悪いことは削除ですか?

183二世:2008/09/01(月) 17:09:27 ID:3MVYUiwA0
さっき学会員から池田犬作の本を渡されたのですが、どうすればいいでしょうか

廃棄したいのはやまやまなんですが、家族が学会員で周りの目も気になるのでどうしようもないのです

正直つらいです
学会員が来るたびに表向きは笑顔を取り繕う生活が嫌です

184はぐれ雲 ◆HHaU7zEjNg:2008/09/01(月) 17:31:55 ID:WEKSMWHU0
二世さん

初めまして、色々と書かれていることを拝見しますとご自身の意にそぐわない環境のようでとても辛いのが窺えるのですが、とてもコメント出来る内容ではないのでここでどうでしょう少し本音を語ってはみませんか?
それと沖浦氏とは顔見知りなのでしょうか?それともネットでのお知り合いでしょうか?

185森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/09/01(月) 18:17:19 ID:ny2WHVj6O
二世さんへ
平和友好の為
罵倒でなく折伏
知識が無いだけ
(1000)名誉市民・学術称号
罰でなく原爆自体魔
誤認識

187はぐれ雲 ◆HHaU7zEjNg:2008/09/01(月) 18:24:06 ID:WEKSMWHU0
名無し君

君ね、いつまでそんな古いコピペ貼ってんの?程度が知れるからやめなさい。

188:2008/09/01(月) 18:39:06 ID:wkIQLPI.0
2世さん こんばんは

>>183
私は根が正直なものですから、貴方も正直な気持ちを投稿されているとして・・
私の対応をお答えします。

>さっき学会員から池田犬作の本を渡されたのですが、どうすればいいでしょうか

その本は頂いたのですか?
もしそうで、読みたくなかったら
「積読」(ツンドク=読ますに机の上に積んで置く)されたらどうでしょう。

読んだ感想を聞かれるかもしれませんね。
「他に読む予定の本がたくさんあって、まだ順番がきていません」って言うのはどうでしょう?
貴方は周囲に気を使うようですから、ウソも方便と心得てみるのもよいかも。
もっとも、お相手はお見通しかもね。
それはそれで、よいじゃぁありませんか。
お互い様になりますから。
私だったら、「せっかくあげたのに〜」なんて言って怒りませんよ。

それから、ここでは「犬作」なんていわんほうが良いですよ。
まともに応える気がなくなりますからね。

189沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/09/01(月) 19:11:44 ID:AJ3hr85o0
 二世 よ〜

 テメ〜、さっさとオームにで行きやがれ。
 お前見たく根性座ってない奴が創価にいるとこっちゃ迷惑なんだよ!!

190沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/09/01(月) 19:44:46 ID:AJ3hr85o0
 オイ!2世!!
 
 それとな、お前ここはスレ違いだって言っただろう。
 ここでも一回無関係な話題書いたらあく禁だぞ。

 いいな、じぶんで少し考えて俺の気に入るスレ立ててみろ。

191一壮年:2008/09/01(月) 20:09:37 ID:WhMpG65Y0
二世とやら・・・貴公が学会に在会してる意味がわからん
嫌なら辞めたらいいだろう。

192もくれん:2008/09/01(月) 20:27:33 ID:gO.Fk5NY0
>>183   二世さん

>正直つらいです。
>学会員が来るたびに、表向きは笑顔を取り繕う生活が嫌です。

結構、素直でかわいいんですね。

家族が学会員での典型的な悩みですね。
皮肉でなく、同情しますよ。
何て声かけて、あげればいいのか、わかりません。

思い切り、反対して、「現証」を、体験するのが一番近道なんで
しょうが。笑顔で演じられるのだから、それも無さそうで、
真綿で首を絞められるような、感じなんでしょうね。

創価学会とか、池田先生は、別にして、二世さんなりに
世界平和について、研究してみたら、どうでしょうか?
絶対確実に世界平和が実現できる方法をです

創価学会のことも、少しはわかるかもしれないですよ。

今、人生の、きちんとした目的がありますか?
人生、いかに生きるべきかの、明確な価値観がありますか?

193沖浦克治 ◆jQuBr8ORkU:2008/10/24(金) 08:39:57 ID:AJ3hr85o0
 戒壇様本懐論は、曼荼羅絶対主義です。
 私は邪儀だと断定しています。
 絶対はお題目ですよ。
 大白蓮華11月号に、エルサルバドルの地涌の菩薩の誕生が書かれています。
 曼荼羅は迹、衆生己心の妙法が本。
 体験が物語っています。

 拉致されて暴力をふるわれ、生還の見込みがない土壇場でお題目のみを唱え、見事に宿命転換し生還。
 この方はお題目だけです。
 仏法の知識など何一つありません。
 その人が次々と折伏し、壁に向かって全員で唱題し、功徳の実証を見た。
 内戦中で、そこらじゅうに死が溢れています。
 その中での命をかけた唱題です。
 曼荼羅は誰一人見たことがない人たちです。
 熱原の農民の方々と同じお立場なんですよ。
 曼荼羅どころか、数珠も経本も見たこともありません。

 いい加減に、曼荼羅崇拝から抜け出すべきですよ。
 曼荼羅は信心の充分条件です。
 絶対条件じゃありません。

 同じく、大白の52ページからの先生の御書講義。

 『妙法を受持することによって、生死にわたって崩れることのない、常楽我浄の尊極の生命を我が胸中に確立することです。
 その生命の鍛錬にこそ仏法の真髄がある。』

 このように仰せです。
 元々胸中にないものを、鍛錬し確立できません。
 命は元々仏の当体だからこそ、常楽我浄と顕われるのです。

 いい加減に、宗門の呪縛から抜け出すべきですね。

 私はね、曼荼羅が迹で人の命が本だと言う私共を、学会の公式見解にないから謗法だ、破和合僧だ、と跳ね回るネットの愚か者達は、自分の宿命と四つに取り組んで、真っ向から勝負して祈った事がないんだと思います。

 祈ればわかります。
 命の中に力が湧き出してくることがね。
 曼荼羅からではないのです。
 自分の胸中から湧き出してくるんです。
 体験しなければ絶対にわかりません。

 どうしてお曼荼羅を安置しながら、自分の宿命と戦わないのでしょう。
 曼荼羅の性能を引き出せない信心のない人間が、曼荼羅崇拝を撒き散らしている。

 おかしな現象ですよ。

194沖浦克治 ◆jQuBr8ORkU:2008/10/24(金) 12:11:48 ID:AJ3hr85o0
 今Fボーイ覗いたら、愚壮さんと、江戸門さんが、無意味な書き込みをしていましたね。
 あの人たち慈悲と祈りが全く感じられません。

 他人の批判と、自分の知識の自慢だけですね。 
 修羅です。
 曼荼羅至上主義者の典型的な例です。

 紋さんがご身内の手術があるので真剣な祈りで応援していただきたい。と、祈りをお願いなさいました。
 誰一人反応していません。

 江戸門さんの私の批判や、愚壮さんの自分の知識自慢も結構ですよ。
 でもね、、先ず、同士の心配と激励でしょう。
 仏法者ならね。

 あの二人、信心してませんね。
 エセ会員です。

 Fボーイ、私がいたころ、あんなにひどいところじゃなかったですがね。

195沖浦克治 ◆jQuBr8ORkU:2008/10/25(土) 08:41:23 ID:AJ3hr85o0
 御書は末法の経典です。
 でも、解釈が多くあります。
 本当に読まれたお方は、戸田先生お一人です。
 創価の教学はその流れをくみます。
 現時点で最も正しい解釈です。
 でも、いえないこともたくさんあります。
 たとえば、創価学会が戒壇様を完全否定すれば、敵陣に走る創価学会員が何十万人と出るでしょう。

 ですが、御書を読めば戒壇様は嘘だとわかります。
 誰でもわかりますよ、先入感さえなければ。

 経王御前へのお手紙で、大聖人様は経王殿へのご本尊様を、魂で、全魂こめて顕した。と、明確に仰せです。
 でもね、戒壇様御図顕とされる日の、七年前なんです。
 戒壇様が特別ならありえません、このお手紙は。
 既に発迹顕本された後です。
 御本仏のお立場なんですよ。
 それ以上は無いのです。

 聖人御難事は10月1日、戒壇様は12日、出世の本懐じゃありえません。
 日道師の、三師御伝土代にも、熱原法難機縁のご本尊様を蓮祖と興師が共同でしたためられたことが書かれています。
 斬首は15日、蓮祖が報告を受けれたのは17日か18日でしょう。
 興師が身延にこられるのは早くて11月だと思います。

 無理なんですね、戒壇様本懐は。
 このようにまじめに考察するならわかります。

 それと、センスです、感覚ですね。
 つかみとも言います。
 御書の拝読で最も大切な要素です。
 これは、同苦の祈りの無い人には手に入りません。

196沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/12/01(月) 15:56:24 ID:AJ3hr85o0
 最近、戒壇様本懐論で私に反論する人いなくなりましたね。

 あきらめたかな??

197もくれん:2008/12/02(火) 15:28:03 ID:gO.Fk5NY0
>>195 沖浦さん

>聖人御難事は10月1日、戒壇様は12日、出世の本懐じゃありえません。

先生の「御書の世界」第22回 熱原の法難(下)より

10月1日は、出世の本懐を遂げられることを「宣言」した日・・・・
10月12日・・大御本尊を御図顕された日・・

★出世の本懐である、大御本尊の建立は、それを受持し奉る「不惜身命」の
★民衆の出現を待たれて実現されたのです。

★ 確かに近年の先生の指導からは「戒壇」は無いです。
 が、出世の本懐として「御本尊」を建立されたのは、先生の述べておられる
 とおりです。私は「先生の言葉」を勿論信じますが、沖浦さんはいかがですか?

弘安2年10月12日御建立の「大御本尊」は、いまどこに ??????

と、大聖人の出世の本懐が「御本尊建立」であるのを、否定するのは別次元のことでは?

日付のことは、先生の著書のとおりで、何も「ミステリー」は
ありません。

以前、ある学会員のブログで、沖浦さんと同じく「日付」がどうのこうので
大聖人の出世の本懐は題目ではと、「私見」ですと断って述べているのを
目にしたことがあります。
その方も「御本尊」建立は「本懐」ではないのではと・・
結構「沖浦さん説」に、共感して同意を示す方もいるようですね。
ただ、鶏が先か、卵が先かは、わかりませんが、たまたま、意見の一致する方も
いるようですね。

★★★  私は池田先生の言葉を信じます。★★★

私を説得しようなんて、思わないでくださいね。
一応「日付」のことで、「カン違い」されているようなので「親切心」
からレスしましたので、これ以上は「議論」はありませんので。

198沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/12/02(火) 16:09:46 ID:AJ3hr85o0
 もくれんさん

 邪儀ですね〜〜。
 先生はね、

 御法主上人猊下様に心服随従し。

 何百回も言われてます。
 貴方、サッサと如師に心服随従なさい。

 本当に、機根読めない人ですね〜〜。

199備前:2008/12/02(火) 17:35:49 ID:0WBxuRjE0
 >>196

 こんばんは

そらァ〜、誰かさんが大きな石を溜め池に1つならまだしも連チャンで

3つもほり込むから、それどころだはナイッショって

書き込もうとしてたら、もくれんさんに先を越されたか(^^;

200備前:2008/12/02(火) 17:36:37 ID:0WBxuRjE0
 ついでに ロン!

201はぐれ雲 ◆HHaU7zEjNg:2008/12/02(火) 18:26:40 ID:3iyAMuZk0
び・・、備前さん・・・、最近見ないと思ったらこんなとこでなにしてんですか!!!
皆さんすみません<m(__)m>、我が地域同志がとんでもない荒らし行為をしてしまいました・・・・。
私個人では、おおうけ・・・いや、顰蹙ものです。代わりにお詫び申し上げます<(_ _)>。

202沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/12/02(火) 21:06:36 ID:AJ3hr85o0
 あのね、もくれんさんや、他の方々、私が曼荼羅が迹、人が本と言うでしょう。
 そうすると、判で押したように、ご本尊様軽視だ。って、浮かれ騒ぐんですよ。

 馬鹿ですね〜〜、この手合い。
 じゃ、自分たちは人間軽視じゃないですか。
 この単純明快な道理を忘れ果てて浮かれてんです。

 迹が軽視ならね、アンタ方、この世で最も大切な人の命軽視してるんじゃないですか。
 
 私が19歳の時、近所で火事があったんです。
 創価学会員のお宅で、生まれて一月ほどの赤ちゃんが焼死されました。
 私と幹部が非難場所に激励にいきました。
 すると幹部が、ご本尊様はどうしました?って、聞いたんです。
 ご主人がキット顔を上げられて、子供も出せなかったんです。と、返事されました。
 数日後、妙本寺という寺で友人が出家してたので聞きました。

 この場合どっちが優先なんだ?
 すると、人です。って、即答されたのです。
 私は当時、人よりご本尊様が先だと教えらていたんです。
 
 以来、31歳まで、ズ〜〜〜〜〜ット考え続けていました。
 ご本尊様と人間、どっちかしか助けられない時、自分はどうするべきなんだろう?
 現場を見て、悩んだ人間の深刻な葛藤でした。
 31歳で耕治が3歳、と1歳、火事になって、子供見捨ててご本尊様助けて本当に正しいのか?
 子供見ながらいつも考えていたんです。
 その時、池田先生の観心の本尊抄のご指導を聞きました。

 『観心とは信心です。
 我が己心の仏界を信じる。
 これが観心です。
 私たち凡夫が信心するためには本尊が要る。
 そのための本尊だよ、本尊のための人間じゃないよ。
 その信心のための本尊を、五の五百歳に始めておいたよ。と、こう読むんです。
 本尊のための人間じゃないよ、人間のための本尊だよ。
 だから大聖人様はありがたいんです。』(趣意)

 その時、長年の疑問がパット解決しました。 

 人を先ず助けよう。

 それから、御書の読み方が変わりました。

 人が迹、曼荼羅本。
 絶対に邪儀ですよ。

 人の命より大切なもの、この世にあるはずないじゃないですか。
 それを、人が本で曼荼羅迹だとご本尊様軽視??
 アンタ方ね、命軽視の大謗法です。

 情けない!!

203備前:2008/12/02(火) 21:56:15 ID:WTb3c5Ig0
 >>201

おっ!はぐれ雲さん お久しゅう〜v(^^

えっ!なになに、ここって駄目だったの!?(^^;

はぐれ雲さんには、何ら落ち度はございません!私の思慮のなさで

ございます、皆様方には大変なご迷惑をおかけ致しましたm(__)m

・・・・って、m(・・)mありィ〜、なんかおかしいぞ!?

はぐれ雲さん!ひょっとしてキリ番狙っていたんじゃないでしょうな!(笑

最近、のべつまくなしキリ番狙いまくってるから、

最前の書き込み今一信用できないなぁ(^^;

204備前:2008/12/02(火) 22:18:40 ID:WTb3c5Ig0
 >>202

 こんばんは

それは仕方ないのではないですか

「本迹=本迹勝劣」と言う己義に固執している方々ですから

後輩に聞いたところ学会教学に「本迹勝劣」の義はないんですね。

まぁ、「本迹相対=本迹勝劣」で使われているのかな

それとも私の勘違いか・・・・(^^;

お互いに、寄って立つ基盤が違うのですから揉めて当たり前ですよ。

今、他板で梅氏がもくれん女史と「本迹」について対話されていますが

どういう運びになるか楽しみの一つです

205沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/12/02(火) 23:03:36 ID:AJ3hr85o0
 備前さん

 本迹は立場の差です。
 そのまま優劣じゃないんです。
 無論かぶるところはあります。
 仏本人迹論者は、これに迷いがある。
 だから、進歩しませんね。

206備前:2008/12/03(水) 15:53:55 ID:0WBxuRjE0
 >>250

 こんにちは

 >本迹は立場の差です。

この辺りは、概念の違いですが依正と被りますね

 >そのまま優劣じゃないんです。
 >無論かぶるところはあります。

此処の所は、後輩にも確認して原則同意です。

 >仏本人迹論者は、これに迷いがある。

迷いですか?優しいんですね(笑

方々に迷いは無いと思いますよ、単に「本迹=優劣(勝劣)」と言う一義にしか

思いが行ってないと言うか知らないのだと思います。

ですから「本迹は優劣(勝劣)だけではない」と言う意味合いの発言をすると

自身の考えを否定・信仰を否定されたと思い込み蜂の巣を突付いた騒ぎに

なって行ったのだと思います、未だ沈静化には到ってないですが(笑

以上、私見&我見です。(^^;

それと、時の長さも関係あったな。

 梅氏・もくれん女史との対話も、とりあえず第一幕(?)がそろそろ終盤に

さしかかっていますね

207しげきょん:2008/12/04(木) 17:10:16 ID:xYeoOB760
本門とは我(南無妙法蓮華教如来)として菩薩行(弘教)を現在も未来も行いて
の我々衆生の本懐の生命を説き開いたもので
シャク門では釈迦すら本地の南無妙法蓮華教如来の立場を明かしていない
つまり久遠実成が暗いとなります
暗いとは無明で どうすれば我々が久遠の如来と同じ境涯になれるかの根本が明確でないと言えます

208もくれん:2008/12/05(金) 12:03:55 ID:gO.Fk5NY0
>>202  沖浦さん

今、粛坊さんの掲示板で、梅さんと、沖浦さんご主張の論「衆生己心の妙法が本・曼荼羅が迹」
についての「意見交換対話」をしています。
そろそろ、終盤になります。
梅さんとの「対話」が終了すれば、掲示板への書き込みは一切終了します。
その後は、自分のブログを作る予定です。

本日の沖浦さん宛のレスは、事実上、最後のレスになります。
長くなりますので、2回くらいに分けます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>あのね、もくれんさんや、他の方々、私が曼荼羅が迹、人が本と言うでしょう。
>そうすると、判で押したように、ご本尊様軽視だ。って、浮かれ騒ぐんですよ。

> 馬鹿ですね〜〜、この手合い。
> じゃ、自分たちは人間軽視じゃないですか。
> この単純明快な道理を忘れ果てて浮かれてんです。

> 迹が軽視ならね、アンタ方、この世で最も大切な人の命軽視してるんじゃないですか

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

最初に、日々朗らか(決意)さんのことを話します。

沖浦さん自身が、ご存知のように、大多数の会員から、「沖浦説、つまり
衆生己心の妙法は本・曼荼羅は迹」は「間違い」である「邪義」であるとの
指摘を受けています。

しかし、日々さんは頑として「沖浦さんは間違えていない」と主張しています。

例えていえば、日々さんが息子、沖浦さんが父親
息子が学校で「お前の父ちゃん、おかしなことを言っている、アホだ」
と、毎日のように、いじめにあい、いたぶられても、それでも
「俺の父ちゃんは何ひとつ間違えていない!!!」と、健気に反論をします。

そして、梅さんは
「伝統的教学上の表現では、間違えているが、それでも、沖浦さんの「真意」を
信じたい・・との思いで、私との対話を続けています。

★ 今回のレスの目的は、日々さんや、梅さんの「沖浦さんを信じたい」
 との「思い」を踏みにじらないで、裏切らないで、との「お願い」の
 レスです。

・・・・御本尊さまを軽視していないのであれば・・
常識的な表現方法で、充分、可能です。
以下、先生の講義から、引用します。

▼ 自分が幸福になるための御本尊です
▼ 万人を幸福にするための御本尊です
                    いずれも「御書の世界」から

まだ続きます

209もくれん:2008/12/05(金) 12:38:23 ID:gO.Fk5NY0
>>208 の 続き

火事の際の、池田先生の指導を読んだ記憶があります。記憶ですが
内容的には正確に覚えています。

▼ 御本尊様は、又いただけるのであるから、御本尊様を持ち出そうとして
 自分の命を落とすようなことがあっては、いけない・・
 実際に、命を落とした方の例があっての、ご指導だったと記憶しています。

ただし、私は個人的には、我が家に、あっては、「絶対に火災は出さない」
との決意で日々祈っております。

現実問題として、同志の方の家屋が「スワ!、火事だ」ということで、駆けつけ
当然、その同志の方の救出を最優先しますが、その前に専門家である「消防隊」
が、その方を救出中であれば、防火服を着ている、専門家に依頼して
仏間の御本尊の「持ち出し」を依頼するかもしれないです。

素人が防火服なしで、火災のど真ん中へ飛び込むのは、危険です。

ただ、火災の例での比較は、現実面での「対応」の話です。

大多数の皆さんが、指摘しているのは、日蓮仏法の根幹の教義上のことです。

沖浦さんが、理解している「本迹」の使い方は、一旦、封印して、
先生の著書では、沖浦さんが「言いたいこと」を適切に表現していますので
それらの表現を使用すれば、何の問題も発生せず、
日々さんの「沖浦さんは、間違っていない!!」との「証明」になります。

以下、御書の世界より
▼ 全民衆を救済するためには、どうしても、人間自身の胸中にある本尊を
 涌現させていく以外にない。
 全人類が平等に胸中の本尊を涌現することができ、万人にその可能性が
 与えられる。
 「観心本尊」は、偉大なる本尊革命であり、人間の可能性を最大に尊重し
 現実に変革を可能にする「人間のための宗教」の精髄です。

ここだけでも、かねてから、沖浦さんが主張している「人間のための宗教」
が、しっかり表現されています。
曼荼羅が迹、などの表現を使用しなくても「人間のための宗教」は
表現できます。

とりあえず、ここまでで・・

210沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/12/05(金) 12:38:51 ID:AJ3hr85o0
 もくれんさん

 私が正しいのです。
 私を攻撃するものは、邪儀です。

 仏法は人のための教えなんです。
 人が仏法のためにいるのではありません。
 これが、大原則です。

 これに外れた考えは、邪儀です。

 他の人がなんと言おうと間違えは間違えです。
 貴方が邪儀を支持することはご自由です。
 ですが、間違っていますね。
 御書をお読みなさい。

211備前:2008/12/05(金) 13:18:06 ID:uhsRGauY0
 >>208

 こんにちは、もくれんさん

 >・・・・御本尊さまを軽視していないのであれば・・

う〜ん!まだ、こんな事を言われているのですか(^^;

これは、沖浦氏が「人が本・御本尊(曼荼羅)が迹」と言った事に対する

貴女の思い込み(イメ−ジ)ではないですか。

自身の思い込み(イメ−ジ)で、さも沖浦氏が御本尊(曼荼羅)を軽視した発言をしたように、

書き込むのはいかがなものでしょうか?

沖浦氏自身は、御本尊(曼荼羅)は必要と以前から書き込まれていますよ。

212もくれん:2008/12/05(金) 22:48:52 ID:gO.Fk5NY0
梅さんからの訂正要求です

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は沖浦さんの「真意」を信じたいから、貴女と対話してるわけではないですよ。
大変誤解を生む言葉です。

>>157
>>本迹の使い方が違うのではないかというご指摘は、確かに伝統的な教学では違うかもしれないですね。
>>このことは、沖浦板の「三大秘法について考えませんか?」No838での私の投稿の中で
>>投稿者の多くに見て取れる本迹の混乱について触れるコメントをしました。

>>しかし、原則的な本迹の理解ではなく使われてる用例もありはしませんか?
>>たとえば、「眠っている時は迹・起きている時は本」のような場合です。
>>私は、この用例があまりよく理解できないのです。
>>貴女は、どう思われますか?

>>もし、この用例が従来の本迹の用例として合理的説明ができるなら
>>そこで改めて沖浦さんの本迹の使い方を考察したいと思います。

私は、このように申し上げていて、「沖浦さんが間違っている」などとは一言も言っていないですよ。
本迹の検討が済んだら、沖浦さんの本迹を考察しましょう提案しています。
明白な誤りですから、沖浦版にもご訂正願います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

213沖浦克治 ◆tr.t4dJfuU:2008/12/05(金) 22:57:59 ID:AJ3hr85o0
 もくれんさん

 言い訳より行動なさい。

214沖浦克治 ◆tr.t4dJfuU:2008/12/06(土) 07:05:56 ID:AJ3hr85o0
 私は仏法は人間のため教えだと何千回も言ってます。

 人のためですから、人が本です。
 当然の帰結です。
 この考えに反対する人は邪儀です。
 この点に関しては私が正しい。
 反論が邪儀。
 当たり前です。

 先ほど、富士ボート、若鷹を覗きました。
 大騒ぎですね。
 あの人達仏法知りませんね。

 アレじゃ、功徳なんて出ませんよ。
 その証拠に、現実生活での勝利の体験が皆無です。
 祈りを知らない人ですね。

 お気の毒ですよね。

216沖浦克治:2009/05/15(金) 06:18:47 ID:AJ3hr85o0
 樋田さんの板で戒壇様が論じられています。
 宗門教学の要ですが、現在極めて根拠が薄弱化しています。
 樋田さんの板で論じ合うより、ここで論じたいと思います。
 ご意見をどうぞ。

217沖浦克治:2009/05/15(金) 06:30:05 ID:AJ3hr85o0
 私共、創価学会員は、自宅ご安置の御形木様は戒壇様を書写したものだ。と教えられて来ました。
 おそらく法華講の方々も同様でしょう。
 もし、戒壇様と家庭の御形木様に相貌の差があるなら、この話は大嘘だったことになります。
 ところが現実には双方の相貌には大きな隔たりがあります。

 最も大きな違いは二箇所です。
 一つは御形木様の、福過十号、頭破七分、が戒壇様にはありません。
 今一つは、御形木様の讃文は、仏滅後二千二百三十余年。戒壇様は、二千二百二十余年。
 その他、勧請の諸尊の相違もありますね。
 nたとえば、戒壇様では、釈提桓因大王。となっています。
 法主書写の御形木様では、帝釈天王。
 よく宗門の方が、創価学会は本尊をカイソした。と騒ぎます。
 それの何千倍もの異なりです。
 ですので、結論として言えば、私共の御形木様は戒壇様を書写したものではありません。
 すると、出世の御本懐の戒壇様とは違う御本尊様を書写した事になりますね。
 戒壇様と、私共の御本尊様は全く別の御本尊様なのです。
 ところが大功徳がでる。
 この場合、双方の異なる御本尊様が同じお力をおもちである。
 このように考える事が自然です。
 すると当然、身延にある御真筆も同じお力をお持ちである。
 結論が導き出されます。

218グラスルーツ:2009/05/15(金) 07:31:24 ID:90tQ7SrI0
沖浦さん、おはようございます。

蛇足になるかもしれませんが、
いま会員宅に下付されている日寛上人書写のご本尊さまには
地獄界の代表であるべき「ダイバダッタ」がありません。

以前学会本部にこの件で電話して聞いたことがあります。
職員「役職はなんですか?」
私「壮年部員です。」
職「・・・・・・・・」(しばし沈黙)

ダイバと役職に何の関係があるんだ、と思いつつも
説明を待ったが、その職員もたぶん知らなかったんですね。
釈然としない説明に終始していたので程々で切り上げました。

地元の別の方に聞いてみたら
「それは、書写した方の境涯なのかもしれないね。」
という返答。妙に納得した覚えがあります。

難しい論題ですから、なかなか意見も書けないのですが、、
この機会に私も、みなさまのご意見を覗いつつよく考えてみたいと思います。

219沖浦克治:2009/05/15(金) 07:51:45 ID:AJ3hr85o0
 グラスルーツさん、おはようございます

 ダイバダッタが無いですか?
 私の仏間の達師書写の特別御形木様には書かれてあります。
 耕治の部屋の御形木様は、創価学会下付、寛師書写の御形木様です。
 以前、女房が御安置したものです。
 私はこの御本尊様にお題目を唱え、宿命転換を致しました。
 後で見て見ます。
 もう直ぐ勤行唱題の時間ですので、その後書きこきます。

220グラスルーツ:2009/05/15(金) 07:54:24 ID:90tQ7SrI0
連投すみません。
自分の書き込みに自分でレスします。

>ダイバと役職に何の関係があるんだ、と思いつつも
>説明を待ったが、その職員もたぶん知らなかったんですね。

知っていたのかもしれません。
当時は日顕書写の本尊からの変更が行われて間もない頃。
時期的に語れなかったのかもしれません。

まぁ、いま思えば電話で聞くほうも聞くほうですね・・・・・・・・

高島政伸風に「まことに、申し訳ありません!」

221沖浦克治:2009/05/15(金) 08:57:24 ID:AJ3hr85o0
 勤行唱題終わりました。
 耕治の部屋で見ました。

 ダイバだけではなくて、舎利弗、普賢菩薩もその他にも、たくさんないですね。
 でも、功徳あるんだから、いいんじゃないですか。

222んっ?:2009/05/15(金) 10:22:11 ID:Ab7qOFNY0
>>218

>地獄界の代表であるべき「ダイバダッタ」がありません。

寛師書写の御本尊様は所謂「略式」です。
ただし,蓮祖図顕の御本尊様でさえ十界全て認めてあるものは
存在しません。独覚界の代表がないからです。

しかし,此れは問題になりません。
「法華経の題目をもって本尊とすべし」ですから
中央首題の「南無○○○○経 日蓮」さえ認めてあれば
御本尊様として成立します。

「その他の諸尊は飾りのようなもの」とは達師のお言葉です。
「妙は頭」ですから「妙」の御文字を見ながら唱題します。

くれぐれも「ダイバ君」に南無しないように(笑)

223備前:2009/05/15(金) 10:34:05 ID:CTtMwhXY0
 >>218 
 お早うございます

御本尊書写には、広・略・要の三種類があるそうです

広は十界勧請(常住御本尊)・略は二〜三界を略したもの(御形木御本尊)

要は主題・日蓮と四天か不動・愛染(すいません、よく憶えておりません)の

書かれたものだそうです。(受け売りです)

略の御形木御本尊において何を抜いて書写するかは書写する人の判断によると

ありました。

しかしながら、広であろうが略であろうが御本尊に違いはありません

気になさることは無いと思います。

沖浦さん曰く
>でも、功徳あるんだから、いいんじゃないですか。

で、よろしいのでは無いでしょうか?

224グラスルーツ:2009/05/15(金) 12:48:48 ID:90tQ7SrI0
すっきりしました!
皆様ありがとうございます。

「ダイバ」を書写されていないご本尊の事で冗談話がありました。
まだ宗門と離れてから間もない頃の事です。

ダイバがないのは、娑婆に今の時代の「ダイバダッタ」であるところの
日顕が実態のある姿で出てきたから、書写されている必要はないんだ。

あくまで冗談なんですが、日寛上人はそんな将来の宗派のあり様を
予測して、ご本尊にダイバを書写しなかった!

そのご本尊様をこのときに学会が下付できるのは歴史的必然である。
という意見まで飛び出して。大いに議論が盛り上がったことがあります。
今思えば、なんとものん気なことよ〜、って感じですが・・・・・・・・。

>でも、功徳あるんだから、いいんじゃないですか。
というご意見、私もそれでいいと思います。

225沖浦克治:2009/06/24(水) 06:42:01 ID:AJ3hr85o0
 学会の書物に戒壇様に対する記載がない。
 だから会員も触れる必要がない。
 眺め人教学は、要約そう言う意見ですね。
 物凄く卑怯です。
 触れるところがないのではなく、触れられないのです。
 戒壇様本懐論を肯定すれば、創価は宗門に頭を下げて破門を取り消してもらわなければ、大聖人様の血脈はない事になります。
 否定すれば、半世紀以上、戒壇様本懐論を教学の根底において行った布教を否定する事になります。
 困難で微妙な時期なんですよ。
 然しながら世界広布は急務です。
 創価の正当性を世間に主張するなら、戒壇様本懐論はつぶさねばなりません。
 理の当然です。

 学会が公式に否定していないから否定する必要がない。
 昭和54年に先生を活動停止処分にして、あくる日錆びたパイプ椅子を先生に出した連中が言いそうなことですね。

 私はね、昭和54年先生のご勇退から日蓮正宗は邪教だと組織に宣言いたしました。
 相当文句を言われましたよ。
 会合の連絡も来なくなりました。
 村八分にされたんです。
 でもね、今私が正し方事が事実で証明されました。
 村八分は私の誇りです。
 眺め人が私が54年から組織を辞めた。と浮かれますが、辞めていませんよ、あちらが私を遠ざけたんです。
 もし、同じ状況で現在なら、除名でしょう。
 当時は除名処分はほとんどありませんでした。
 だから除名されなかったんです。

 ダイバダッタが弟子を連れて教団を割った時の小説があります。
 弟子は、釈迦にダイバが教団を割ったことを報告します。
 釈迦は、そうか。と言うだけで具体的な支持を何ッ一つ言いません。
 弟子は悔しがります。

 何故、釈迦は行って取り返して来い!と一言言ってくれないのだろう?
 一言があるなら、自分達は命を捨てでも取り返しに行くのに。

 悶々とする数日が過ぎ、ある弟子がハット気付きます。

 師匠の指示が無いと行動できない自分達。
 では釈迦が亡くなれば仏法は滅びる。
 よし今からダイバのところに取り返しに行こう!

 これがエンディングです。
 題名も忘れたショートショートでした。
 でも、鮮明に覚えています。
 仏法者はかくあるべきですよ。

 戒壇様本懐論を潰すのは私共の仕事です。
 眺め人さん、貴方方ね、何時まで池田先生にご迷惑おかけしますか?

 日蓮大聖人様の仏法を広めなければ人類は救えない。
 その仏法の根幹の法が一大秘法である。
 一大秘法とは、日蓮正宗総本山におわす、本門戒壇の大御本尊様である。
 この戒壇様以外、人類を救う希望はない。
 これで、どうやって創価の正義を世間に示せますか?

 だから、戒壇様がご本懐で法華経そのもので、一大秘法だと信じる眺め人は、創価を辞めて宗門に行くべきですよ。
 創価にいる事自体、無意味だと思いませんか?

226沖浦克治:2009/06/24(水) 06:52:52 ID:AJ3hr85o0
 人が迹、曼荼羅本の未熟さは何処から来るか?
 宗門教学ですね。
 この邪義を作ったのは寛師です。
 観心本尊抄の文段に以下の愚論があります。

>就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり。

 戒壇様が一大秘法だぞ!
 寛師はこれを言うために手間隙かけてますね。
 理由です。
 同じく文段からですよ。

>答う、実に所問の如し。乃ちこれ終窮究竟の極説なり。当に知るべし、智者大師は隋の開皇十四年、御年五十七歳、四月二十六日より止観を始め、一夏にこれを説いて四年後、同十七年、御年六十歳の十一月に御入滅なり。
吾が大聖人は文永十年四月二十五日に当抄を終り、弘安二年、御年五十八歳の十月十二日に戒壇の本尊を顕して四年後の弘安五年、御年六十一歳十月の御入滅なり。
これに三事の不可思議あり。

一には天台大姉は五十七歳にして止観を説き、蓮祖大聖は五十八歳にして戒壇の本尊を顕す。また天台は六十歳御入滅、蓮祖は六十一歳御入滅なり。これ則ち像末の教主の序、豈不思議に非ずや。
 
 天台は57歳で本懐である摩訶止観を説いて、60歳で亡くなった。
 大聖人様は、58歳で戒壇様を顕され、61歳で御入滅なされた。
 であるから、戒壇様こそが一大秘法で出世の御本懐だ。
 一年大聖人様が歳を重ねられたのは、像法に対する末法の順番だからだ。
 これね、こじつけですよ。
 御書の何処にこんな文証ありますか〜?
 だから、人師論師はダメなんです。
 こじ付けで人を惑わす事を、紛然と言います。
 眺め人さんは覚えておきましょうね。

>二には天台は四月二十六日に止観を始め、蓮祖は四月二十五日に当抄を終る。天台は十一月御入滅なり。蓮祖は十月御入滅なり。蓮祖は後に生れたまうと雖も、下種の教主なり。故に義、前に在り。
この故に蓮祖は二十五日応当抄を終り、十月の入滅なり。天台は前に生れたまうと雖も、熟益の教主なり。故に義、後に在り。この故に二十六日に止観を始め、十一月の入滅なり。種熟の序、豈不思議に非ずや。

 これも説明する必要のないほど幼稚ですね。
 こう言う低レベルをさも仏法の大事みたいに囃し立ててきたのが宗門教学です。
 それに踊らされているのが眺め人の方々です。
 相当情けないですね。

>三には天台・蓮祖は同じく入滅四年已前に終窮竟の極説を顕す。寧ろ不思議に非ずや。

 天台は亡くなる4年前に本懐を遂げた。
 だから大聖人様の御本懐は御入滅4年前でしかない。
 これね、相当無理ですよ。
 こう言う場合、どうして弘安2年、10月12日か?
 明確にしないとダメなんです。
 証拠にはなりません。
 弘安2年はね、360日ほどあるんです。
 すると、戒壇様の本懐確立は360分の1ですよ。
 そう言う不確かなものに人生かけますか〜〜??
 ここに橋があって、360回に1回は無事に渡れる。
 下は千尋の谷底です。
 貴方ね〜〜、渡りますか〜?
 私?
 嫌に決まってますよ。

227沖浦克治:2010/07/06(火) 05:56:46 ID:AJ3hr85o0
 富士ボーで、赤胴さんに、マグマグさんと阿部日さんがやられています。
 応援でこれを上げます。

228沖浦克治:2010/07/06(火) 06:01:01 ID:AJ3hr85o0
 日蓮正宗の破折は極めて簡単ですね

 あの宗派は、戒壇本尊が本懐で無ければ成立致しません。
 でないと、身延に劣る弱小宗派なんです。
 ですので、戒壇本尊本懐論が邪義である事を証明すればいい。

 以下、戒壇本尊本懐論を簡単に破折致します。

 マグマグさん、阿部日さん、赤胴さん、

 貴方が未練たっぷりにすがりつく、私共創価学会の古い指導ですが、

>農民信徒たちの不惜身命の姿に、大聖人は、民衆が大難に耐える強き信心を確立したことを感じられて、10月1日に著された聖人御難事で「出世の本懐」を遂げる時がきたことを宣言されました。

 これが本当なら、何故、目師も興師もその点を記述なさいませんか?
 そして、決定打がこれです。

 さて熱原の法華宗二人は頚を切れ畢ぬ、その時大聖人御感有て日興上人と御本尊遊ばすのみならず日興の弟子日秀日弁二人、上人号し給フ、

 三師御伝土台から抜粋引用致しましたが、道師は、熱原の斬首を聞かれた大聖人が、思う所あって、興師と共同で御本尊を図顕されたのみならず、興師の弟子の日秀、日弁の2人に上人号を与えられた。

 戒壇様何処に書いてますか?
 ありません。
 興師と共同で図顕された熱原法難機縁の本尊がある。
 然しながら、斬首は15日、報告が入るのが2日後の17日。
 この御本尊が、戒壇本尊である道理がありません。
 12日に斬首の報告を身延で聞かれて、戒壇本尊を図顕する事は不可能なんです。

 貴方方が滑稽なのは、こう言う信頼すべき古文書が証明する事実から、目を背けている所です。
 少し常識を弁えましょうね。
 こう言う事実があるのですから、日蓮正宗は嘘の上に成り立つ宗派です。
 当然、法主に血脈なんかある道理がございません。

229備前 ◆TtzwqSGci2:2010/07/06(火) 12:59:17 ID:g2zr24dw0
  こんちわ〜、此スレは久しぶりですねェ〜 v(^^;

  >道師は、熱原の斬首を聞かれた大聖人が、思う所あって、興師と共同で御本尊を図顕されたのみならず

  今では、『興師と共同で御本尊を図顕された』と言う解釈の他、
  「御本尊に『日興上人』と授与書き」を入れられたという解釈が出てきております。

  現実的には、此解釈がピッタリとツボにはまると思いますが。
  片道、一日・二日掛けて身延に戻らねばならない事情ってあったのでしょうかね?
  しかも、熱原の出来事は、大詰めを迎えていた思われますが。

  「さて熱原の法華宗二人は頚を切れ畢ぬ」、たしか、斬首は三人のはずですよね。
  ってことになると、今の我々が思うほど、大石寺では熱原の出来事は、そんなに重要視されてなかったのかと
  疑念が生じますね。

230沖浦克治:2010/07/06(火) 14:25:51 ID:AJ3hr85o0
備前さん、今日は

 私は、熱原の資料はあまり正確に伝えられていない。と思うんです。
 いずれかの法主が、こう言う事を書いています。
 
 ヒキメの矢で射られた誰それが、何本目で息絶えた、云云。

 でも、ヒキメの矢は命は普通奪いません。
 法主の発言がこれですから、宗門は熱原法難は重要だと思っていなかったと思えます。
 信徒の安否より、自分達出家の生活。
 こっちが大事だったんでしょうね。

 熱原で信徒2名が斬首された。

 道師は書いています。
 伝説は3名。
 ですので、伝説が誤りだと思います。
 道師は大聖人の時代に近いですから、彼の文章に信頼性があります。
 大石寺では、熱原法難は重要でなかった。
 だから、語り伝えられる間に話しが膨らんだのでしょう。

 寛師が、戒壇本尊本懐論を思い付いて、熱原法難をその機縁にした事で、熱原法難が有名になった。

 これだけのお話しでしょうね。
 所詮、日蓮正宗の教学レベルなんて、そう言うものです。

 興師が熱原の報告のために身延に行かれたのは、法難が一段落してからでしょう。
 ですので、弘安2年中は無理ですね。
 すると、あの熱原機縁の御本尊は、弘安3年以降です。
 とてもの事、戒壇本尊は熱原と関係付けられません。

 こう言う道理をキチンと考えないのが、日蓮正宗です。
 あれじゃダメですね。

231日々前進(朗らか) ◆TczV8HkXH2:2010/07/06(火) 19:58:31 ID:8FNX.yWoO
今日の聖教に、「日興上人」の記事が掲載されております。

《師弟の絆(21)》聖教四面。


今回で【完】のようです。


私は沖浦さんや、備前さんのような知識はありません。


なので、それを調べようとは思いません。
これが私の感覚です。


私は、今から《日興上人の記事(今日付の四面》を読みたいと思います。

232備前 ◆TtzwqSGci2:2010/07/07(水) 12:59:35 ID:g2zr24dw0
   こんにちわ〜! 沖浦さん

  >>230

  >熱原で信徒2名が斬首された。

  >道師は書いています。
  >伝説は3名。
  >ですので、伝説が誤りだと思います。
  >道師は大聖人の時代に近いですから、彼の文章に信頼性があります。

  この件に関しては、沖浦さんの思い違いですよ

  日興上人の自筆とされている「弟子分与帳」には、三名の名前が記されてますし、
  「宗学要集」の、その部分の頭注で日亨上人は「二人は誤り」と記されておりますから。

  結局、道師の時代で既に熱原法難の意義なんて伝わってなかったのでしょうね。
  多分、日興上人の弟子が迫害にあったというだけの認識だったのではないかと思われます。
  「熱原法難の意義」って、大聖人・日興上人だけの、ものだったのでは?

   > 寛師が、戒壇本尊本懐論を思い付いて、熱原法難をその機縁にした事で、熱原法難が有名になった。

  そう言った意味では、寛師の存在は大きいですね。で、今一度「熱原法難」を引っ張り上げたのが、日亨上人ですか。

233備前 ◆TtzwqSGci2:2010/07/07(水) 13:07:21 ID:g2zr24dw0
  こんちゃ! 日々さん v(^^

  今、書き込んだような知識なんて、有っても無くてもどっちゃでも良いものですよ。
  知ってなけりゃにゃ、信心が深まらないと言うものでもなし。単に、σ(^^ は、この手の話が好きなだけ (笑

  日々さんが読もうとしているものの方が、よっぽど信心の深化には役立つのと違う?
  信心の深化に役立たない知識なんて、枝葉末節だよ。まァ、他人に丸め込まれないと言う役には立つかな (^^;

234沖浦克治:2010/07/07(水) 22:42:04 ID:AJ3hr85o0
 備前さん、今晩は

 そうですと、道師が本当に後継として指名されたかどうか?
 極めて怪しいですね。
 あの法難で事実と違う事を書いている。
 大聖人の真実を知りません。
 法主の資格はないでしょうね。
 日蓮正宗は、もう4代目からでたらめだったんですね。

235備前 ◆TtzwqSGci2:2010/07/08(木) 00:06:28 ID:dxFooWOQ0
  こんばんあh、沖浦さん

  > 日蓮正宗は、もう4代目からでたらめだったんですね。

  多分そうだと思いますよ。目師が亡くなった後の、日道上人・日郷上人の後継争い(?)。
  そして、間が空いているとはいえ、それに続いて七十年と言う長きにわたる不毛なる坊地騒動。

  出鱈目のなかにあって、日興上人の書写形式を護持してきたというのが、せめてもの救いだと思います。

236沖浦克治:2010/07/08(木) 05:35:59 ID:AJ3hr85o0
 70年も権力闘争やって他宗派が、嫡々一人とはおこがましいですね、備前さん。

 興師の書写形式を護ったのは、権力闘争で新しいこと考える余裕が無かったのでしょう。

237沖浦克治:2010/07/08(木) 06:05:04 ID:AJ3hr85o0
 2代目が、3人と書いて

 4代目が、2人と書いている。

 ここで嫡々一人は途切れていますね。 
 続いているなら同じ事書きますよ。
 道師は、熱原法難より、自分の領地が大事。
 三師御伝土台も、

 自分はこれほど三師を知ってるぞ。
 だから、正しい後継者だ!!

 これが動機ですよ。
 惨めな宗派だったんですね。

238備前 ◆TtzwqSGci2:2010/07/10(土) 10:25:47 ID:g2zr24dw0
  最近、切り文の内にも入らないが、『其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し』と在るので、ふと閃いたのだが
 うむ!それで、大聖人の頭の上が主題かと思った。 (^^; ふっかい意味は、無い、単なる思い付き (笑

239沖浦克治:2010/07/10(土) 18:10:48 ID:AJ3hr85o0
 備前さん、今晩は

 なるほど!

240沖浦克治:2010/07/11(日) 05:54:01 ID:AJ3hr85o0
 堀さんは法主でしたが、戒壇本尊と聖人御難事を無関係と証言しています。

>されば、常時何事か宗祖の本懐満足と云ふ史実があったろうかと考えてみると、先師がかつて直にこの文をもって戒壇本尊顕彰の依文とされたようだが、直接の文便はないようである。法難終結から本懐満足と運びて、そこに戒壇本尊がなかったということにならねばなるまいかと思う。

 弘安2年10月1日時点で、大聖人の本懐満足と言う事が何かあった。
 それは熱原法難に密接に関係があると思う。
 然し、この時点で戒壇本尊ではない。
 断言しています。
 更に、

>すなわち、弥四郎国重(やしろうくにしげ)が願い出しておいた将来広宣流布の時に戒壇堂に安置し奉るべき御本尊を、その月の十二日に成ぜられて、別して白蓮興師に密付せられたのが、宗祖御出世の本懐満足、すなわちこの時の御内意であったろうと、敢て拝察し奉るのである。

 戒壇本尊は本懐であったのではないか?とあえて諸般の事情から推測するのである。
 こう書いています。
 拝察〜推測ですね。
 ですので、堀さんの希望的観測です。
 内部規定の拠り所にしかなりません。
 ですので、この文章全体では、戒壇本尊本懐論を、聖人御難事から引用するのは無理ですね。

241高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/07/14(水) 03:10:38 ID:JThdDrQw0
みなさん、こんばんは!

備前さん
>>238 どの本を読んでいるのでしょうか? 先生の講義ですか?

242備前 ◆TtzwqSGci2:2010/07/14(水) 09:02:24 ID:g2zr24dw0
  おはようございます、高速太郎さん

  あははは (^0^;ゞ 単なる思い付きですよ、思いつき。
 最近、御書を眺めていて、その御文が目に入って・・・・・単にそれだけッス v(-_^;

243沖浦克治:2010/07/20(火) 06:21:19 ID:AJ3hr85o0
 戒壇本尊本懐から離れなさい、邪義です。
 ご本尊は私共衆生己心の妙法を写した鏡です。
 ですので、自分をだめな人間で、何かにすがって救われたい。と思うことは、大聖人を嘘つきだと蔑む行為です。

 『都て一代八万の聖教三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとはゆめゆめ思ふべからず、然れば仏教を習ふといへども心性を観ぜざれば全く生死を離るる事なきなり、』
 (一生成仏抄)

 すべての仏法の経も、あらゆる仏や菩薩も、すべて自分の心の中に備わっている。
 それを信じないでいくら信心をしても、功徳の生活はないんだよ。

 明快にに仰せです。
 ご本尊じゃないんですよ、自分自身の命がこの御書に書かれる通りの仏で、すばらしいんだ。
 これが信じられ人は、いくらご本尊を拝んでも、ご本尊が顕している自身の仏を軽蔑する怨嫉謗法なんです。
 軽善です。
 だから偽信心。
 池田先生が何度もご指導ですよ。

 眺め人たちには、それが信じられない。
 その時点で怨嫉謗法なんです。
 軽善ではだめです。
 この御書が信受できるなら、戒壇本尊本懐論は嘘だとすぐわかります。

 戒壇本尊が本懐だが、寛師の書写も本物なんだ

これね、千日手です。
 前に行きません。
 同じところぐるぐるグルグル堂々巡り。

 格好悪いったらありゃしない 。

 ご本尊はどれも一緒だ〜!!
 戒壇本尊本懐で一大秘法??
 そんな戯言言ってるから、お前たち駄目なんだよ!!!

 はっきり言ってやりなさいね。
 戒壇本尊にすがり付いて、ふがふが、もがもが。
 情けない、卑怯未練の輩。
 惰弱ですね〜〜。

 俺は創価だ!
 矢でも鉄砲でも、戒壇本尊本懐でも、何でも攻めて来い!
 木っ端微塵にしてやるぞ!!

 なぜこう言う腹のくくり方が出来ませんかね〜〜?

 ご本尊はどれも一緒だ〜!!
 戒壇本尊本懐で一大秘法??
 そんな戯言言ってるから、お前たち駄目なんだよ!!!

 はっきり言ってやりなさいね。
 戒壇本尊にすがり付いて、ふがふが、もがもが。
 情けない、卑怯未練の輩。
 惰弱ですね〜〜。

 俺は創価だ!
 矢でも鉄砲でも、戒壇本尊本懐でも、何でも攻めて来い!
 木っ端微塵にしてやるぞ!!

 なぜこう言う腹のくくり方が出来ませんかね〜〜?

244沖浦克治:2010/07/20(火) 16:32:50 ID:AJ3hr85o0
 今年の伊5月3日の聖教新聞に、先生の詩が掲載されています

 その中に

 自分自信の生命こそ
 宇宙の一切の宝を集めた
 功徳聚である。

 幸福の尊極の当体が
 我が生命なのだ。
 その宝蔵を開く秘術が妙法の信仰である。

 と、説かれてあります。
 創価そのものだと思います。
 御書には。

 『此の御本尊全く余所に求る事なかれ只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり、十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり。』
 (日女御前御返事)

 衆生が自行化他の唱題をする事が、功徳聚で本尊だ。と、御本仏様がおおせです。
 そして、記念すべき会長就任50周年の5月3日、池田先生が、

 『自分自信の生命こそ
 宇宙の一切の宝を集めた
 功徳聚である。』

 とご指導なされた。
 これでもまだ、戒壇様一大秘法論を唱える人がいるなら。
 その人は、創価の人でも、大聖人様門下でもありません。

245高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/07/21(水) 11:49:34 ID:JThdDrQw0
備前さんへ こんにちは!

>>242 了解です! 調べて欲しい事が有ったのですが・・・次の機会にします。

246沖浦克治:2010/07/22(木) 05:32:24 ID:AJ3hr85o0
>私どもが留意すべき点について申しあげます。それはまず第一に、戒壇の大御本尊根本の信心に立ち、総本山大石寺こそ、信仰の根本道場であることを、ふたたび原点に戻って確認したいのであります。
 戒壇の大御本尊を離れて、われわれの信仰はありません」

 〜特別学習会テキスト(昭和53年6月30日 )〜

 戒壇本尊本懐論お好きなら、日蓮正宗に入信して、戒壇本尊拝んで生きていくべきですね。
 それとも、知恵出して、戒壇本尊本懐と一大秘法、キチンと破析なさい。

 卑怯未練は駄目!

247備前 ◆TtzwqSGci2:2010/07/22(木) 10:18:12 ID:g2zr24dw0
  >>245
   おはようございます、高速さん v(^^

  数少ないですが、手持ちの資料で解かる事でしたら・・・・

248粛々坊:2010/07/22(木) 10:41:34 ID:VUuZ458.0
>>247
へえ〜。資料なんか持ってたのかい 笑

だったら、 「(^0^;ゞ 単なる思い付きですよ、思いつき」で教学を語るなかれ。

わからないなら素直に質問。資料からしっかり引用なさい。

どうせ大した資料もないだろうから私は期待していないです。

小心掲示板あたりからネタひっぱてきてくるのが関の山だとおもいますよ。

ね、備前公シャン 笑

※小枝田氏の意見、今回は深く同意。

249沖浦克治:2010/07/22(木) 11:05:26 ID:AJ3hr85o0
 粛々坊さん

 揶揄目的なら、そう言う修羅板がありますので、そちらに行っておやりなさい。

 揶揄のための揶揄は迷惑です。
 はぐれ雲さん同様、本日午後10時までアクセスをお断りいたします。
 少し頭を冷やしなさいね。

250備前 ◆TtzwqSGci2:2010/07/22(木) 12:55:21 ID:g2zr24dw0
  今日の夜十時までね、うんだば、レス付けておこう v(^0^ ♪

 >>248
   おや、まァ〜、法華講の粛々坊ちゃんも、豪い珍しい所へ出没するのねェ〜
   「味噌を食い荒らされている」といわれて、残り少ない味噌にも湧いたのか? (笑

  あれも、教学の内か?まさに驚愕って・・・・日々さんみたいに上手くはないか (^^;ゞ
  あんなん、σ(^^ ァ〜教学とは思ってねェ〜し (^0^ ♪
  
   >どうせ大した資料もないだろうから私は期待していないです。

  いや、誰も期待してくれと頼んでないし (笑 思い込みの激しい人だな。
  粛々坊 ちゃんの持ってるのと、ドッコイドッコイじゃないかな。

   > 小心掲示板あたりから
  
  ってェ〜、何処の板だ?教えろ!

251沖浦克治:2010/07/24(土) 08:28:33 ID:AJ3hr85o0
 戒壇本尊本懐論を、別の見地から破析致します

 『経に云く「法華経を説くこと有らん処は我が此の宝塔其の前に涌現す」とはこれなり、あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。』
 (阿仏房御書)

 あまりにありがたいので、虚空会で出現した宝塔を、ご本尊として書き顕した。
 出世の本懐とはこれである。

 このようにも読めます。
 この場合、阿仏房に与えられたご本尊を御図顕されたこと、即ち、本尊図顕と言う行為が出世の本懐だと取れます。
 ですので、戒壇本尊もその出世の本懐の中の一つである。
 このようになります。
 戒壇本尊だけが御本懐であると言うことに当然なりません。
 更に、

 自行化他に励む行者には、自身の命こそがこの宝塔の当体だと悟ることが出来る。
 これが、出世の本懐である。

 このように読むならば、本尊図顕は最初から御本懐ではありません。
 大聖人が直接的に、御自身の出世の御本懐を述べられた箇所がもう一つございます。

 『又云く一とは中諦大とは空諦事とは仮諦なり此の円融の三諦は何物ぞ所謂南無妙法蓮華経是なり、此の五字日蓮出世の本懐なり之を名けて事と為す、』
 (御義口伝巻上)

 以上のように、自行化他のお題目こそが出世の御本懐だと仰せです。
 本尊図顕ではございません。

 以上のようにどこをどう読んでも、戒壇本尊図顕は出世の本懐ではありません。

252高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/07/24(土) 14:37:29 ID:JThdDrQw0
備前さんへ こんにちは!

 それでは、お言葉に甘えまして、

>>238 より後ろに、次の御文があると思います。

漢文⇒『此時地涌千界出現本門釈尊為脇士一閻浮提第一本尊可立此国』

書き下し⇒『此の時、地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す、一閻浮提第一の本尊此の国に立つべし』

 お手元の資料で、上記以外の読み下しが書かれた資料は有りますか?
 同じく、通解で上記以外の解釈をしている資料が有りますか?

 お手数をお掛け致しますが宜しくお願いいたします。

253備前 ◆TtzwqSGci2:2010/07/24(土) 16:23:38 ID:g2zr24dw0
   こんにちは、高速太郎さん v(^^

  (゚0゚; ウワッ! また豪い事を・・・・・・・(^^;ゞ
  それって、我々の普通の読み方ですよね。
  資料と言っても私が持っているのは学会発行のものしかありません。

  『此時地涌千界出現本門釈尊為脇士一閻浮提第一本尊可立此国』で、
  ネット検索掛けられた方が色々と出てくると思います。
  大言ぶち上げた様で、お力になれなくて、すみません。 m(__)m

254粛々坊:2010/07/24(土) 23:09:46 ID:VUuZ458.0
>>253
書き下し文は、原文(漢文)と相違があるのは当然。元々が「漢詩」だからだ。

だから貴殿は思いつきや早計が多いと以前から諸氏が指摘して居る。


>大言ぶち上げた様で、お力になれなくて、すみません。 m(__)m

素直なときもあるんだね笑

255沖浦克治:2010/07/25(日) 06:33:07 ID:AJ3hr85o0
 以下、於保哲外さんのお話から抜粋引用します。

実は、朝晩勤行します。二座の御観念文は何でしたっけ?本尊供養ですね。「一閻浮提総与三大秘法の大御本尊に南無し奉り報恩感謝申し上げます」。本尊供養。この本尊供養。二座のときに、この本尊を自分のことと思ってやってます?みなさん「仏壇の中の御本尊」って思ってませんか?そういう人を指して大聖人は、「若し己心の外に法ありと思えば全く妙法にあらず」(御書P384)とおっしゃられている。 すなわち、法華経じゃないんです。また別の御書でも、「此の御本尊全く余所に求る事なかれ只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(御書P1244)胸中に、自分の生命に、「胸中の肉団におはしますなり」って勉強したでしょ?実際やっている時は外に置いていますね。不思議なんです。学んだこととやっていることが違うんです。どうしてか?実は、日本文化に、さっき言った「村の文化」に毒されているからなんです。「村の文化」というのは、実は,「念仏文化」なんです。「念仏文化」というのは、御本尊絶対なんです。大聖人絶対なんです。それで福運のない、境涯の低い、力のない私たちは、偉大な御本尊様におすがりし、その功徳を、その智慧を分けていただこうと。これを「念仏文化」というんですね。御本尊を阿弥陀仏に置き換えたらぴったりするでしょ。「情けない私たちは阿弥陀仏の慈悲におすがりしましょう」という構造です。

256沖浦克治:2010/07/25(日) 08:07:02 ID:AJ3hr85o0
 戒壇本尊本懐論、一大秘法論と言う竹槍で、

 創価思想と言う、近代兵器に立ち向かうことは無理なんですよ。

257備前 ◆TtzwqSGci2:2010/07/25(日) 14:15:57 ID:HFWGzBaY0
 >>254
   あれ、法華講の粛々坊ちゃん、相変わらず、蛆を湧かせっぱなしなのね (^^;
  ちったァ〜、湧いた蛆を栄養源に出来るようにならないと、パ−プリンを通り越してしまうよ。

  そっかァ〜!!「観心本尊抄」は、元々は「漢詩」則ち「詩」だったのかァ〜!
  入信以来、初めて知った。しかし、何処の、誰の講義録を読んでも、そんな事ァ〜言われてないね。
  「漢文」で書かれているとは聞くが (笑

  単に、揶揄中傷したいがために、出てくるから、反対に阿呆扱いされるの知ってた?
  高速さんの書き込み、しっかりと、よく読みなさい。高速さんが、何を知りたいのか。

258高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/07/25(日) 18:59:05 ID:JThdDrQw0
備前さんへ こんにちは!

>>253 ありがとう御座いました。

 ネットに書かれている事を、鵜呑みには出来ませんから・・・。
 お手数をお掛け致しました。

259:2010/07/25(日) 20:38:20 ID:VUuZ458.0
>>257
シャン備前(笑)
そんなに喜んでくれるなんてな。

ついでに雫ちゃんねるの馬鹿どもも大喜びだわさ。
だれだって打ち間違いぐらいあるわな。
ついでだから訂正しとくよ。

○漢文
×漢詩

揚げ足取りの備前よ、楠板の続きはどうした?

260粛々坊:2010/07/25(日) 21:10:02 ID:VUuZ458.0
備前君へ

対馬沖の半島の人とはどんな人の事ですか?

261沖浦克治:2010/07/28(水) 09:00:56 ID:AJ3hr85o0
 日蓮正宗って大嘘つきですよ。
 書写がその代表ですし、嫡々一人も同類です。
 先ず書写お教えしましょうね。

 ここに私どもが拝むご本尊がある。
 相貌を見るに、讃文に、

 若悩乱者頭破七分 有供養者福過十号

 と書いてある。
 滅度の後は

 佛滅後二千二百三十餘年之間一閻浮提之内未曾有大漫荼羅也

 と書かれてある。

 この書写の元とされる御真筆が二種類提示されている。
 一つは戒壇本尊で、
 讃文の

 若悩乱者頭破七分 有供養者福過十号
 
 は書かれていない。
 そして、滅度の後は

 佛滅後二千二百二十餘年之間一閻浮提之内未曾有大漫荼羅也

 となっている。

 もう一つは、玉沢妙法華寺に御安置で、

 佛滅度後二千二百三十余年之間一閻浮提之内未曾有大漫荼羅也
 若悩乱者頭破七分 有供養者福過十号

 このように書かれてある。

 問題です。
 戒壇本尊と玉沢妙法華寺の本尊、どちらが私どもの書写の元でしょうか?

 当然、常識から考えれば、玉沢妙法華寺ですね。
 所がここに、いいや戒壇本尊だ、と言う人がいる。
 これね、愚か者です。
 どう考えて、誰が見ても、これは玉沢妙法華寺の勝ちです。
 讃文に明らかでしょう。

 こう言うでたらめ信じているんですよ。
 おかしいですね〜〜。

262備前 ◆TtzwqSGci2:2010/07/28(水) 09:18:01 ID:g2zr24dw0
  >>260
   > 対馬沖の半島の人とはどんな人の事ですか?

  おっ!レスくれてたのね。
  で、どんな人? 我々と同じ人でしょう? 粛々坊ちゃんは、違うと思っているのか?

263コスモス:2010/08/01(日) 01:51:28 ID:GIYnX.OY0
シッツモーーン
ここの人たちバカかい
他人のっことなんかほっときゃいいじゃん
批判するがわもそれじゃ創価学会員と何ら変わりないじゃん

264沖浦克治:2010/08/01(日) 06:58:27 ID:AJ3hr85o0
 富士ボーで、阿部日さん、天城さん、マグマグさんが、法華講員の方に散々にやられていますね

 富士ボーで法華講員の方々に、散々じゃないですか。
 
 キチンと相手の教義の根幹を破析しなさい。って言ってるでしょう。
 戒壇本尊本懐論、一大秘法論を叩かないと駄目ですよ。
 あれはね、寛師の邪義なんです。
 御書に一言もありません。
 捏造なんですよ。

 戦後、戸田先生が広宣流布のために一時利用されたんです。

 君たちの宗教はこれほど凄いんだ、自信持って折伏しなさい。

 こうして、戒壇本尊本懐論でドンドン折伏して、学会員は功徳を受けたんです。
 幕末の攘夷と同じです。
 幕府を倒す根拠が、

 攘夷に弱腰であるから、革命して倒すべきだ。

 でした。
 でも、指導する側は、攘夷などが不可能であることを知り抜いていたんです。
 だから、。新政府が出来て、攘夷を叫び続けた人は、追い出されました。
 同じです。

 日蓮正宗を捨て去った今、戒壇本尊に執着する人は、創価学会には不必要なんです。
 こう言う道理をキチンと弁えないから、法華講員に木っ端微塵にされるんですよ。

265沖浦克治:2010/08/01(日) 07:52:40 ID:AJ3hr85o0
 寛師は戒壇本尊唯一論者ではありません。
 随一論者です。

 私共は、入会当時、戒壇本尊唯一論でドンドン折伏致しました。
 事実として残っています。

 日蓮宗、そんな宗教アカンアカン!
 身延の本尊は偽モンや。
 戒壇様だけが本物なんや。
 そんな本尊拝んでも罰出るだけや!!
 さっさとごみ箱に捨てて、戒壇様の分身の日蓮正宗のご本尊様拝みや!!

 こう言って日蓮宗破析して回ったんです。
 身延の久遠寺の前に男子部が大集合して、勝どきあげて、聖教新聞の身延破析特集号沢山持って、売店や一般家庭無差別訪問して、折伏したんです。
 それを、映画に撮って、後で会員に見せて。

 身延をこれだけやっつけました。

 って、意気あげたんです。
 本当ですよ。
 でもね、寛師はそう言うこと言いませんね。
 国家諌暁すら出来ない臆病者でした。
 では、

 誰が、戒壇本尊唯一論、唱えて、誰が流布したのか?

 考えて見ませんか?

266小枝田 ◆N.dsW2.6BQ:2010/08/03(火) 00:41:57 ID:l29zz2Go0
>>265
穿り出す必要ないと思います。
このスレの答えは

>沖浦克治 ◆V.rL30nGVA 投稿日: 2008/07/31(木) 22:45:21
>私は、戒壇様はご本懐では無いと思っています。

これでスレ終了ですよ。

267沖浦克治:2010/08/03(火) 04:52:56 ID:AJ3hr85o0
 小枝田さん、おはようございます

 私は絶対に必要だと思います。
 貴方は不要と考える。
 では、ここに書かないでください。
 本懐だと思うならその理由はどうぞお書きください。

268小枝田 ◆N.dsW2.6BQ:2010/08/03(火) 21:12:59 ID:l29zz2Go0
こんばんは。
議論が不要だと思ってます。
沖浦さんが確信を持って「ご本懐では無い」と>>1で宣言されています。
それでスレ終了ではないでしょうか。

269沖浦克治:2010/08/03(火) 22:16:12 ID:AJ3hr85o0
小枝田さん

 私は結論を出していますが、そうでない人もおられます。
 ですので、この件を皆様で論議することは必要ですね。
 然しながら、貴方が論議が不要と思うなら、それで結構です。
 人それぞれの考えですね。

270備前 ◆TtzwqSGci2:2010/08/05(木) 13:46:42 ID:g2zr24dw0
  今、富士ボ−で阿部日さんが、

  「類推するに『本門戒壇之大御本尊』について創価学会の公式見解がない事を
指して独学徒氏が批判をしているのですが
実のところ、すでに学会が大石寺の奉安堂安置の板曼荼羅に関して
「戒壇」としての本尊の意義を求めていないからこそ日蓮正宗や
独歩氏のような
「御本尊筆跡鑑定」のような軽賤の邪儀をする必要がないわけです。」

  と言っているが、元々、阿部日さんて「戒壇御本尊出世の本懐」説に否定派だったけ?
 「戒壇御本尊」を「戒壇」たらしめているのは「弘安二年十月十二日の出世の本懐の御本尊」と言う位置づけがあったればの事。
 してみると、「弘安二年十月十二日の出世の本懐の御本尊」も否定と言う事になりますね。

 じゃ、お互い学会の公式見解を否定しながら、なんで沖浦さんと噛合ってんだ?
 「衆生己心の妙法が本・御本尊が迹」、「自分が本・大聖人や先生が迹」といった随縁不変の事理の扱いの差だけで今まで、揉めてただけってか?
 よォ解からんな (^^;ゞ

 しかしな、阿部日さんよ、「戒壇御本尊」は、「弘安二年十月十二日の出世の本懐の御本尊」でなかろうと、「戒壇」であることは間違いないと思うよ。
 元々が、本堂安置を目的に造立されたものだろうから、「本門の戒壇」建立後に、そこに安置される御本尊は本堂に安置されていた御本尊であるべきだと私は思うな。
 「本門の戒壇」建立までの仮屋が本堂と言う認識だから。

271沖浦克治:2010/08/05(木) 17:19:24 ID:AJ3hr85o0
 備前さん、今日は

 阿部さんだけじゃなくてね、あの富士ボーのグループ、オニオニと言って、昔から幼い教学振り回して恥じ書いてきた連中なんですよ。
 創価学会がネットに用心していることを良い事にして、ネットで能書き言ってた連中なんです。
 今ね、私に大掃除されたんで、恨みがある。
 だから、

 沖浦が言う事は、何が何でも反対してやるぞ。

 これだけが動機で、生き甲斐の詰まらない寄せ集めが富士ボーですね。
 私が、人が迹で、漫荼羅が本だって言ってたら、

 いいや、人が本で漫荼羅迹だ!!

 て、浮かれ騒ぐ愚かの集まり。
 富士ボーですよ。
 そしてね、マグマグさんの教学は、シンカイ魚さんとそっくりですね。

 樋田さんに、漫荼羅コピーひらひらさせて恥じかいた人です。
 所詮、あのレベルが、御書引用してもね〜〜〜〜〜。

272沖浦克治:2010/08/06(金) 06:01:18 ID:AJ3hr85o0
富士ボーで、回りくどいことやっていますね

 戒壇本尊本懐をキチンと破析したら、ああいう無意味な堂々巡りの論議は不要です。
 ああ言う無駄は、愚かですね。

 戒壇本尊は御本尊の中の一つである。

 これで、全て日蓮正宗の教義は消し飛ぶんです。
 何故、そこに気づきませんかね〜〜?

273山芋:2010/08/06(金) 12:50:26 ID:qgSSAWQQ0
こんにちは。
富士ボーで富士ボーでってここで書き込みより
あちらで直接対話したらいかがですか?
こちらでお世話になっている全員で富士ボーに乗り込みますか?

274かわち:2010/08/06(金) 13:44:31 ID:bU62oRPQ0
山芋くん、ナイスなツッコミ。爆 投稿者:河内平野 投稿日:2010年 8月 6日(金)13時42分26秒
キミたち非公認板の連中は、本当に富士ボー好きやねぇ〜。笑

山芋くん、あのねッ! 沖くんは富士ボー アク禁なんよ。

キミも沖くんと友達なら、
「富士ボーの管理人様、アホな沖くんを許してやってアク禁を
解除してやってください。お願いします。」と、頼んであげたら?

***************************************************************
272 名前:沖浦克治 投稿日: 2010/08/06(金) 06:01:18 ID:AJ3hr85o0
富士ボーで、回りくどいことやっていますね

273 名前:山芋 投稿日: 2010/08/06(金) 12:50:26 ID:qgSSAWQQ0
こんにちは。
富士ボーで富士ボーでってここで書き込みより
あちらで直接対話したらいかがですか?
こちらでお世話になっている全員で富士ボーに乗り込みますか?
**************************************************************

275ガチニュート:2010/08/06(金) 14:35:02 ID:57PJEDu6O
俺も 富士ボーに遊びに行ってみようかなぁ〜(^^)

276沖浦克治:2010/08/06(金) 17:10:40 ID:AJ3hr85o0
 富士ボーね、山芋さん

 私アク禁なんですよ。
 あそこは、私をアク禁にしてから詰まらない板になりました。
 面白い現象があって、私が何処か他所に書き込むとその他の書き込みが急増するんです。
 私に粘着する連中が押しかけるんです。
 そして、私が書き込み止めると、潮の引くようにいなくなってしまいます。
 今、創価を名乗る板の、書き込みは、私を中心に動いていますね。
 面白い現象ですよ。

 私の板に粘着連中が来て、ルール守らないでアク禁になって、又一斉解除できて、ルール破ってアク禁の繰り返しですね。
 見てて面白いでしょう?
 ネットでしか主張の場が無い連中の悲劇ですね。

277沖浦克治:2010/08/06(金) 18:36:30 ID:AJ3hr85o0
 富士ボーの連中ですが

 今日追悼の辞一つ書けない。
 くだらない、本尊論議で浮かれ騒いでいる。
 あれね、仏法者じゃないですね。

278臥薪嘗胆:2010/08/06(金) 19:30:14 ID:8roELdrE0
どっちもどっちだよ。お互いが気になってしょうがない。
ケツの穴の小さい者同士の遠吠えだね。
アク禁になってる板を毎日毎日覗いて
ここでシコシコ文句たれてwwww
暇か?もっとカッコいい毎日過ごせよ。 暇か?
若鷹のやまいぬ。以下のカッコ悪さだぜ。
あいつも相当カッコ悪い僕ちゃんだけどねーーーー。

お〜〜〜い、日々ちゃん♪ お前も同意見だろぉ〜〜

279沖浦克治:2010/08/06(金) 21:03:47 ID:AJ3hr85o0
 臥薪嘗胆さん、

 私ね富士ボーの連中一人もアク禁にしてませんよ。
 あちらは私アク禁です。

 どっちもどっちじゃないですね。

 でね、最近、若い女の子によく言われます。

 沖浦さんって、どうしてそんなに格好良いんですか?

 で、貴方、言われてますか〜〜??

280沖浦克治:2010/08/06(金) 22:23:00 ID:AJ3hr85o0
かわちさん、自己紹介をどうぞ

 明日の朝10時までに無いと、アクセスをお断りいたしますよ。
 ご注意くださいね。

281粛々坊:2010/08/06(金) 23:07:38 ID:VUuZ458.0
ここでいくら吠えても、富士ボーで書き込みできないのなら意味なし。

まるで☆彡のしずくちゃんねるの「みかん」と境涯的には一緒。

282沖浦克治:2010/08/07(土) 05:19:31 ID:AJ3hr85o0
 粛々坊さん、おはようございます

 富士ボーの連中はね、日に何十回も、ここを、見てます。
 私がネットやめたら、消滅する連中ですからね。
 私が書いたら、必ず読みますよ。

 でも、私のアク禁は怖くて解けない。
 臆病なんですよ。
 貴方と同じですね。

283沖浦克治:2010/08/07(土) 05:44:23 ID:AJ3hr85o0
粛々坊さん

 証拠がありますね、ここ必死で見てますよ。

>No.30515 これも沖浦流演出なんですかね 投稿者:阿部日ケ〜ン(院政) 投稿日:2010-08-07 00:13:33 ID:59ed763c8

http://megalodon.jp/2010-0807-0011-05/jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/9645/1223005231/395http://megalodon.jp/2010-0806-2353-27/jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/9645/1277302673/125

>どんどん話がでかく都合よくなっていませんか?

 ネ、本当にお暇でしょう。
 功徳書ける信心どうしてやりませんかね〜〜?
 他人の功徳や、発言に執着して、功徳は書けない。
 これね、何のための信心ですか?
 自讃できない人はね、功徳無い人ですよ。

 『答えて曰く喜び身に余るが故に堪え難くして自讃するなり』
 (法華取要抄)

284沖浦克治:2010/08/08(日) 05:49:08 ID:AJ3hr85o0
 以下は妙観講のホームページにアップされている、池田先生の、戒壇本尊は物で道具だとのご指導です。
 先生が明快に仰せです。
 それを、マグマグさん、天城さん、阿部日さんは認めない。
 だから寛師派なんですよ。
 先生は、ここで寛師をもキチンと破析されておられます。
 寛師が、戒壇本尊一大秘法論の邪義を唱えている。
 その意味を込めて、

 『なんだ、寛尊』と言われています。

 今までこう言うご指導を隠蔽してきた組織に、一番問題があるでしょう。

 『宗祖日蓮大聖人がこの御本尊も、ただ信心の二字におさまれりと言われたのであります。信心の二字の中にしか本尊はないんです。本門戒壇の板御本尊、なんだ寛尊、信心の中にしか本尊はないんです、ただのモノです。一応の。機械です。幸福製造機だもの。大聖人の御書だ。』   (平成五年九月七日・本部幹部会)

 http://www.myokan-ko.net/menu/ikemon/mono.htm

 お疑いなら、ご自分でお聞きなさい。

285沖浦克治:2010/08/08(日) 05:59:06 ID:AJ3hr85o0
 http://www.youtube.com/watch?v=lRCsILuLzqU

 ここには、映像つきでアップされています。
 池田先生が本部幹部会と言う、創価学会における最も権威ある会合で、明確に発言をなされて、戒壇本尊は物で道具で機械だと言われた。
 私共は、弟子です。
 信受すればいい。
 ところが、眺め人たちは未だにこれを否定する。
 妙観講と全く同じ立場なんです。
 違うのは、

 それだから池田先生が謗法だ。と責めるか、
 先生のご指導を無視して我見を貫くか。

 この差だけです。
 師匠が、ここまで明確にご指南されておられる。
 
 『本尊じゃないよ、貴方方の信心の中に全て納まっているんだよ。』(趣意)

 それを我見で捻じ曲げて、戒壇本尊一大秘法で浮かれ騒ぐ、
 惨めで、見苦しくて、情け無い臆病者ですよ。

286沖浦克治:2010/08/09(月) 05:25:25 ID:AJ3hr85o0
 極めて興味深い事実なんですが

 この、樋田さんがアップした、池田先生のご指導と、それに対する彼の破析は、私がこれまで何百回と書いてきた、漫荼羅が迹、人が本に対する、マグマグさん、天城さん、阿部日さん、その他の眺め人たちの主張と全く同じなんです。
 ですのでね、眺め人は日蓮正宗寛師派をたてて、さっさと創価学会から出て行くべきなんですよ。

287沖浦克治:2010/08/10(火) 11:47:19 ID:AJ3hr85o0
 今ご本尊で理解すべき事実は、私どものお形木本尊が、戒壇本尊を書写した物では無いということです。

 ですので、戒壇本尊本懐は嘘なんです。

 戒壇本尊は、若悩乱者頭破七分 有供養者福過十号。がありませんし、

 佛滅度後二千二百三十余年之間一閻浮提之内未曾有大漫荼羅也

 ではないのです。
 完全に別物なんです。
 そう言う事実をキチンとすべき時なんです。

289沖浦克治:2010/09/02(木) 22:10:32 ID:AJ3hr85o0
 愚かが増上慢やってます
 偽配達員の板です。

>創価学会が10月12日の本尊に対する見解を、今、茲に至っても変えぬ事を深く思慮すべきである。
>もとより、大聖人御自身、出世の本懐を一閻浮提総与本尊の図顕にあることは
>諸御抄によって字面に明確に説いてはおらぬ。
>しかしながら、委細に精読するに、秘かに顕されておる御書が10月12日以降の御書にある。
>それは当然御消息文にはなく、後世の法主によって公開された相伝の書の中に微かに見える程度である。
>いや、更に詳細に精読すれば、実は御消息の御書の中にも数箇所見られるのであるが、
>双方の書とも、信心なき者の信にはかえって仇ともなろうから、それぞれの研鑽に任せる以外に無い。
>いずれにしても、聖人御難事を読めぬ者には、いかなる御文を提示しても詮無き事。

 この人、ダダのアホですわ・・・・・

290某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/09/24(土) 10:18:32 ID:4GAL7Lzc0
日蓮大聖人御本尊集を見ますと、
どうやら、次第に究境していったようなものではなく、
紙サイズに合わせて諸尊勧請を工夫した感が有ります

291沖浦克治:2011/09/24(土) 12:18:10 ID:AJ3hr85o0
 あの映像の後に、樋田さんと思える方の反論があります

 ネットで創価学会員を名乗りながら、私を攻撃する方々のご意見とうり二つです。
 ですから、あの方々は既にこの世から消滅した、日蓮正宗創価学会員なんです。
 過去の遺物なんですよ。

292某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/09/24(土) 20:14:30 ID:4GAL7Lzc0
沖浦克治さん、こんばんは

>>285の映像でしょうか

293沖浦克治:2011/09/25(日) 21:19:07 ID:AJ3hr85o0
 某男子部員さん、今晩は

 そうですよ。

294某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/09/25(日) 21:20:51 ID:4GAL7Lzc0
沖浦克治さん、こんばんは

素晴らしい先生の御指導ですね

295沖浦克治:2011/09/26(月) 08:10:35 ID:AJ3hr85o0
 某男子部員さん

 本当は先生は内々には言われていたんです。
 外部に出なかっただけです。
 戒壇本尊本懐論で創価学会はやって来たんです。
 機根が整うまでしかたありません。
 このご指導から18年経った今でさえ、ネットで本懐論者が手を変え品を変え騒ぎます。
 当時は押して知るべきです。

 教学の研鑽教材から、どうして六巻抄が除かれたたか?

 こう言うことをキチンと考えないと駄目です。
 漠然と御書読んで、漠然と先生のご指導聞いていて、何も理解できません。

296やさい:2011/09/26(月) 19:01:56 ID:2vo7UuyU0
某男部くんも沖克くんもジゴク行くんね 怖いおージゴク 池田くんと一緒だからいいのねん

297沖浦克治:2011/09/26(月) 19:13:37 ID:AJ3hr85o0
やさいさん、今晩は
 
 貴方の発言は怨嫉謗法です。
 もう一度やったらアクセスをお断りいたしますよ。
 注意してくださいね。

298沖浦克治:2011/09/26(月) 19:16:07 ID:AJ3hr85o0
 某男子部員さん、今晩は

 今日、大白蓮華10月号が来ました。
 池田先生の阿仏房御書の講義が載っています。
 2002年ネット参入以来、私が言い続けていた通りのことが書いてあります。

 嬉しいです。
 私は間違っていませんでした。

299某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/09/26(月) 20:35:05 ID:4GAL7Lzc0
沖浦克治さん、こんばんは

大白蓮華10月号 池田先生の阿仏房御書講義を拝見させていただきました
沖浦さんが言い続けてきた通りの内容です

講義の一節を書きます
「私自身が、本来、完全無欠の仏である」

この期におよんで沖浦さんを誹謗する自称学会員達は、
学会員では無いということになります。

300某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/09/26(月) 20:47:26 ID:4GAL7Lzc0
訂正
「私たち自身が、本来、完全無欠の仏である」

301沖浦克治:2011/09/26(月) 21:02:38 ID:AJ3hr85o0
 某男子部員さん、今晩は

 あの先生の講義読んで尚、戒壇本尊本懐論とか、漫荼羅本人間迹などと言う人は、創価ではなく宗門ですよ。

 『鏡がなければ、自分の顔を見ることができません、まして「己心の宝塔」は、それを見る明鏡がなければ誰も見ることができない。
 そこに、大聖人が御本尊を顕された理由もあります。
 日蓮大聖人は、御本仏としての御自身の生命を御本尊としてご図顕されました。
 私たちが、このご本尊を明鏡として、南無妙法蓮華経の題目を唱えた時に、自身に内在する仏の生命が力強く涌現します。
 私たち一人一人が胸中に宝塔を打ち立てる、まさに、そのための御本尊なのです。』

 先生のご講義に明らかです。
 御本尊は道具です。
 迹なんですよ。
 この講義読めば誰でも理解できますね。

302ロム郎:2011/09/26(月) 21:06:03 ID:zVIbGqh60
本来の意味を考えろ

303沖浦克治:2011/09/26(月) 21:11:24 ID:AJ3hr85o0
 ロム郎さん、これでアクセスをお断りいたします。

304沖浦克治:2011/09/26(月) 21:14:56 ID:AJ3hr85o0
 戒壇本尊本懐論の根拠だそうです。
 これで他宗を納得させられる道理がありません。
 日蓮正宗の教学は末期ですね。
 大月天さんです。

>御書に於いて、御図顕された御本尊の一々については示されていない、と。

しかし、其の示されていない御本尊は、厳然として在るのである。つまり其れこそが、日蓮大聖人の
御意志なのである。言っている意味、解かるか?

逆に言えば、何故、御書に載っていない事が、須らく「無い」という証拠となるのか。

お主は其の論拠を示しなさい。

よいか。この反詰は、万年救護御本尊が御書に示されていないにも拘わらず、厳然と存在していると
いう、其の現実についての論証である。よろしいか。お主は其れに答えなさい。

言って置くが、其れらの反証をする事なく、同じ疑難を鸚鵡(おうむ)の様に繰り返す事は許さんぞ。
お主の悪い処は、次から次へと論点を拡散する処にある。

見ればすでに、(御本尊の建立について)御書に載っていない事が、須らく『無い』という理屈の正拠
も示す事なく、いつの間にやら、
 〜以下省略〜

305某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/09/26(月) 21:18:26 ID:4GAL7Lzc0
沖浦克治さん

古くは、方便品は迹門だから読まないと曾谷教信が言って大聖人様にさとされましたが、
本が善で、迹は悪というようなイメージが刷り込まれているのでしょうか

306某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/09/26(月) 21:27:45 ID:4GAL7Lzc0
>>304 沖浦克治さん

典型的な論理のすりかえですね
『戒壇本尊』が『日蓮大聖人の出世の本懐』であるとの文言は御書には無いという話しであるにも関わらず、
『戒壇本尊』のフレーズだけをピックアップして、『万年救護本尊』は御書に出てくるのかとの稚拙な反論です

307やさい:2011/09/26(月) 21:58:56 ID:2vo7UuyU0
なして某男部くんの妄想が桶で 漏れがアク金予告なん?沖克くん(・・)?
ぐっさん 行け行けー
戒壇本尊は日蓮の本懐てガカ員言ってたお   むかし  いつかわったん?

308沖浦克治:2011/09/27(火) 06:49:02 ID:AJ3hr85o0
 やさいさん、おはようございます

 何故なのか?
 
 私が管理人だからですし、他の3人の管理人さん方も同じでしょう。

 戒壇本尊本懐論がいつ変わったか?
 まだ変わらない人もいて、騒いでいますよ。
 近いうちに、公式に否定するでしょう。
 少し時間がかかると思います。

 所で、馬鹿なこと言うと、アク禁にしてサラダにして食べますよ。

309沖浦克治:2011/09/27(火) 07:11:28 ID:AJ3hr85o0
 若鷹で、御意見番さんが書いています

>自分と御本尊に無理に本迹をつければ御本尊に題目を唱えて仏界が湧現し境智冥合することは「本迹一致」になってしまいますな(笑)

 無理につけないでいいのです、最初からあるんですよ。
 鏡は道具で迹、映してみている自分が本体で本。
 久遠からのきまりですよ。

>御本尊と自分に本迹はない。

 この人教学駄目ですね。

 『又立つ浪吹く風万物に就いて本迹を分け勝劣を弁ず可きなり』
 (百六箇抄)

>ましてや自分が本、大聖人が迹ならば、
大聖人が「迹仏」で自分が「本仏」ということにもなりかねません

 なりません、一切は自分なんです。
 御書にあるんですよ、自分が正報、その他は全て依報。
 仏法ではそうなっています。
 自分が正報として存在し、環境は全て依報です、

 『夫十方は依報なり衆生は正報なり譬へば依報は影のごとし正報は体のごとし身なくば影なし』
 (瑞相御書)

 私共が正報で、体、その他は依報で影。
 体が本、影が迹。
 明快です。
 大聖人ご本仏とは無関係の話ですよ。
 こう言う人のことが御書にあります。

 『釈教の中に小乗大乗権経実経雑乱して明珠と瓦礫と牛驢の二乳を弁へざる時は天台大師伝教大師等の如く大小権実顕密を強盛に分別すべし』
 (佐渡御書)

 750年前からこう言う人はいたんです。
 大聖人もご迷惑だったでしょうね。

310沖浦克治:2011/09/27(火) 07:27:01 ID:AJ3hr85o0
 某男子部員さん、おはようございます

 既に法華講の方々や、日蓮正宗の法主能化は、御書で戒壇本尊本懐論を論じることをあきらめたのです。
 ネットで私共にこれだけ理路整然と責められたら、仕方がないですよ。
 創価学会員を名乗る、戒壇本尊本懐論者も、同調し始めています。 
 若鷹での彼らの代表的な書き込みです。
 じりじりと、追いつめられる人の焦りです。

>学会は「(教 義)第2条 この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、」であって、今時「戒壇様本懐〜」などと叫んでるのは君だけ。「戒壇様」なんて今の若者知りません(笑)
ましてや「漫荼羅本人間迹」など聞いたことがない(笑)

 すり替えていますが、愚かなご意見ですね。
 大月天さんと同じレベルです。
 
 万年救護が御書にない。
 戒壇本尊もない。
 ですので、どっちが優れているかは御書に無い。

 こう言う判断しか無理です。
 すべてのご本尊は同じだと御書にあります。
 
 『あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。』
  (阿仏房御書)
 
 阿仏房へのご本尊ご図顕を、出世の本懐だと仰せです。
 ご図顕と言う行為そのものがご本懐なのか?
 図顕された本尊がご本懐か?
 一先ず置きますが、ご本懐に差がある道理がございません。

 文永九年三月十三日ご図顕は劣り、弘安二年十月十二日は勝る。

 こう言うことはありません。

311某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/09/27(火) 07:27:54 ID:4GAL7Lzc0
沖浦克治さん、おはようございます

池田先生はかつてこのような指導をしておられました
「学生は勉強をするのが本、勉強しないのは迹」(趣意)
自分の中にすら本迹がありますね

312沖浦克治:2011/09/27(火) 08:01:35 ID:AJ3hr85o0
そうですね、某男子部員さん

 その通りです。
 だから、人は堕落を阻止できるのです。
 本迹の判断が出来ないなら、価値観が揺れ動きます。
 人が人であるために、個々人が自分自身で本迹を判断できないといけないのですよ。

313沖浦克治:2011/09/27(火) 08:02:13 ID:AJ3hr85o0
 戒壇本尊が御書に無いから存在しない。

 これは明らかに間違いですね。
 すべてのご本尊がご図顕の度に御書に書かれていません。

 現存するだけで、大聖人ご図顕のご本尊が123帯ネットで見ることが出来ます。
 アップされていない御本尊もあるでしょうから、更に多くのご本尊が残っています。
 実際のご図顕はこの十倍はあるのでないでしょうか?
 ご図顕の度に御書に記されるなら、
 御書の残存確率が同じとして、
 御書10ページに1か所は、どれかのご本尊の記述が固有名詞的に登場することになります。

 そう言うことはないでしょう。
 御書に書かれてないご本尊が大多数です。

 私の指摘はそれとは異なるんです。
 少しだけ冷静に読めば理解できますよ。

 戒壇本尊が寛師の言うとおり、極めて特別なら、これは出世のご本懐で一生に一度のご図顕です。
 当然、後日の証拠として、多くの記載を残されます。
 仏法思想は、そう言う思想ですからね。

 『童子身にきたる鹿の皮をぬいで座にしき踞跪合掌して此の座につき給へと請す、大鬼神此の座について説て云く「生滅滅已寂滅為楽」等云云、此の偈を習ひ学して若しは木若しは石等に書き付けて身を大鬼神の口になげいれ給う、彼の童子は今の釈尊彼の鬼神は今の帝釈なり。』
 (日妙聖人御書)

 雪山童子は身を投げる直前、鬼神の説いた一偈を周りの石や木に書き残したのです。
 何故だかわかりますか?

 自分だけ法を聞いて死んでしまうなら、世間には伝わりません。
 命と引き換えに、一切衆生に届くよう書き残した。

 大乗仏法の精神です。

 戒壇本尊本懐論が御書に無いと言うことは、大聖人は戒壇本尊をご図顕されたとしても、本懐だと思っておられなかった。

 仏法の道理から見て当然の帰結です。
 御書に無いから戒壇本尊が無いとは言いません。
 御書の何処にも本懐だと書かれていないから、

 本懐ではない!!!!

 理解できましたか??

314沖浦克治:2011/09/27(火) 21:23:36 ID:AJ3hr85o0
 破折いたしました

>管理人さん、今晩は 投稿者:沖浦克治 投稿日:2011年 9月27日(火)21時06分53秒 softbank221104080129.bbtec.net 返信・引用
 大きな勘違いがおありですね

>>戒壇本尊が御書に無いから存在しない。
>これは明らかに間違いですね。
>すべてのご本尊がご図顕の度に御書に書かれていません。

よろしい。

お主は、本門戒壇の大御本尊の事は御書の何処にも記されてはいない、という事を此に認めた。
つまりは、御書に載っていない事が、須らく「無い」という証拠にはならない、という事を認めたと
いう事である。つまりは、御書には載っていなくとも、御建立された御本尊の存在は証明される、と
いう事を認めたという事である。

 御書に載っていないから存在しない証拠にはなりません。
 ですが、貴方の言うように、御書に載っていないことが存在の証明にはなりません。
 整理します。

 御書に戒壇本尊の記載がある〜確実に存在する。

 御書に記載がない〜存在したかどうか不確定である。

 御書に否定の文証がある〜確実に存在しない。

 以上3種類です。
 戒壇本尊は2番目ですから、存在の有無は不明です。
 そして、本懐と言う見地から見て、御書に無いと言うことは、本懐ではない。
 本懐ならば、雪山童子の故事が示唆するごとく、大聖人が書き残されない道理がありません。

 結論です。

 御書に記載がない戒壇本尊が、大聖人と同じ時代に存在したかどうかは不確定である。
 だが、御書に記載がない限り、戒壇本尊が仏法の定理から見て、本懐ではあり得ない。

 理解できますか?
 ですから、戒壇本尊本懐論は、寛師がねつ造した、邪義なんです。

315沖浦克治:2011/09/27(火) 21:24:10 ID:AJ3hr85o0
 続きです

>1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 | 《前のページ | 次のページ》

--------------------------------------------------------------------------------
管理人さん、これは更に低レベルですね 投稿者:沖浦克治 投稿日:2011年 9月27日(火)21時18分14秒 softbank221104080129.bbtec.net 返信・引用
>果たしてお主は嫌がらせをしておるのか、それとも単なる愉快犯なのか。
果たして、御図顕されし御本尊が御書に記されていないとなれば、応に正しい質問とは、
「日蓮大聖人の御本懐は、いつ遂げられたのか」の一点となる。

 戒壇本尊以外に本懐を示されないなら、戒壇本尊が本懐だ。

 日蓮正宗はだからダメ宗派なんです。
 こう言う教学だから、身延に遥かに及びません。

 犯人をつれれて来れないなら、お前が犯人だ。

 同じです。
 理屈も何もないですね。
 以前、
 本尊七箇相承に反するご本尊が、目師の書写にあって現存することを指摘し、

 目師が興師の指導に背く道理がない。
 だから、七箇相承は少なくとも目師の時代にはなかった。

 こう言う事実を書きました。
 それに対する法華講員の方々の反論は、

 では、七箇相承は何時誰が書いたかを証明せよ、それが出来ない限り、七箇相承は正しい。

 こう言う低劣なものでした。

 お前が犯人でないなら、真犯人を連れて来い。
 出来ないならお前が犯人だ。

 こう言う取り調べしたら、刑事は全員馘首です。
 そう言う道理弁えないのが、日蓮正宗教学です。
 情けないですね〜〜。

>そして、其の御本懐を遂げられし御時に、日蓮大聖人は御本尊を御顕発されたのか、もし、されたと
なれば、応に其の御本尊こそが、日蓮大聖人出世の御本懐たる、三大秘法の大御本尊ではないのか。

 こう言う低レベルな推測で、ご本仏のご本懐を論じること自体、謗法ですよ。

316沖浦克治:2011/09/28(水) 22:28:35 ID:AJ3hr85o0
 大月天さんをたしなめました

 無理ですよ、貴方方のレベルで戒壇本尊本懐論世間に広めるのは。

>>戒壇本尊が本懐であるなら、大聖人が明示なさいますよ。

>だから、御本尊の御顕発について、其の一切を日蓮大聖人は御書には記(しる)されていないのである。
其の事はお主自身が認めている事ではないか。だから、小生は、それら御顕発の詳細が諸御書に示さ
れていないのであるから、出世の御本懐を以って御顕発されたる御本尊とは、応に日蓮大聖人が其の
御本懐を宣示されし時を以って、其の御本尊としての大証が成ると申しているのである

 推測と願望で御書歪めたら駄目!!

 御書に、特別な本尊が記載されていない。

 と言う事実がある。
 すると、全てのご本尊は差別がない。
 当然、この場合、

 ?全てのご本尊がご本懐と言う理論もありうる。
 この場合は、ご本懐は図顕されたご本尊そのものでは無く、ご図顕と言う行為そのものである。

 ?全てのご本尊がご本懐でないと言う論も成り立つ。

 以上2種類の判断が成り立つ。
 いずれを採用しても、戒壇本尊本懐論は成り立たない。
 寛師の邪義である。

 管理人さん、御書に戒壇本尊の固有名詞が出ないと言うことはね、戒壇本尊本懐を否定しているのです。

 いい加減に夢からさめなさい。

317沖浦克治:2011/09/29(木) 06:45:00 ID:AJ3hr85o0
 73さんをたしなめました・・・・

 根本的に間違っています

 先ず、私を破折するのに、敵対する創価学会の見解出したらだめですね。
 正しいかどうか以前、人としての矜持の問題です。

 創価学会は顕師の書写本尊をボイコットしたでしょう。
 お力はあるんです、顕師書写でもね。
 他人としての矜持故のボイコットなんです。

 あれほど普段創価学会の悪口言っていて、都合が悪くなって困ると、創価学会の見解頼み。
 これは駄目!


 日蓮大聖人が大慈悲を起こされ、
南無妙法蓮華経の大御本尊を御図顕されて、末法の一切衆生に信受せしめることを明かされています。

 一言も、

 本門戒壇の大ご本尊。

 と書いてないですよ。
 以前、創価学会規則では

 第3条 この法人は、日蓮大聖人御建立の本門戒壇の大御本尊を本尊とし、日蓮正宗の教義に基づき、弘教および儀式行事を行ない、会員の信心の深化、確立をはかり、もってこれを基調とする世界平和の実現と人類文化の向上に貫献することを目的とし、これに必要な公益事業、出版事業および教育文化活動等を行なうものとする。

 こうなっています。
 この中から、日蓮正宗の名前と、本門戒壇の大御本尊は削られました。
 現行の会則では以下の通りです。

 第2条 この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする。

 戒壇本尊はもう消えたんですよ。

 日蓮正宗は、創価学会寄進の寺に居座って創価学会の悪口を言ってるでしょう。
 その体質が、73さんのご意見そのものです。

 こう言う卑劣な宗派は嫌われますよね。

 如何?

318沖浦克治:2011/10/05(水) 13:08:12 ID:54TpmnHwo
 ご本尊は道具で、仏法そのものではありません。
 大聖人が、墨で紙に書いたと仰せです。
 ですので、ご本尊は全てが大聖人の作品なのです。
 絵画や書の掛け軸と同じです。
 作者がいて、作品を創作する。
 同じなんです。
 著名な画家や、書家が作品を創作するでしょう。
 評論家は言いますね。

 この書には、あの絵には、作家の魂がこもっている。

 でも、それ表現方法であって、魂は絵や書の中に実在しませんね。
 そう言う表現は世間で沢山あって、常識として通用しています。
 仏法は世間を離れて存在できませんから、そう言う表現は御書に沢山あって、世間の常識に反さないのです。
 ゴルフでよく言いますね。

 バンカーにつかまった。
 カップに蹴られた。

 でも、バンカーはわざわざボールを捕まえに行きませんし、カップはボールを蹴りません。
 表現の方法なんですよ。

 これが一点。
 次です。

 『爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、』
 (日女御前御返事)

 『但し御信心によるべし、つるぎなんどもすすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼にかなぼうたるべし、』
 (経王殿御返事)

 旗印も、剣も道具ですよ。
 大聖人はご本尊を、法華弘通の道具、法華経の道具、明快に定義づけておられます。
 誰がどう読んでも、広宣流布のための道具です。
 これが違う読み方があるなら、文法上の説明をきちんとせねばなりません。

 六道輪廻の衆生が仏かどうか?

 『過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり、』
 (船守弥三郎許御書)

 われら衆生こそが仏だ!!

 と、明快に書いてあるでしょう。
 日蓮正宗がそうではないと言うなら、その宗派は大聖人敵対の邪宗です。

 以上、御書経文に基づき証明いたしました。

319X−PRO−Z:2011/10/12(水) 22:10:22 ID:paQdHeRs0
トヨダさんが がんばって 何かかいてますね
由来や 伝承を いろいろ あげてますけど
現代の 日蓮正宗とは あまり 関係ないように おもえる

320某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/10/13(木) 03:14:54 ID:NRKtx1Pw0
際限の無い「推測」よりも
弘安二年十月十二日御図顕の御本尊が出世の本懐だとの
日蓮大聖人の文証を一つ出せば済む話しですのにね

321沖浦克治:2011/10/13(木) 06:12:34 ID:AJ3hr85o0
寛師の一凶が、推測と願望を大聖人の教義にしてしまったことです。

 風が吹けば桶屋が儲かる。

 こう言う教義を根幹に据えて、万人が納得するものですか。

322沖浦克治:2011/10/13(木) 06:44:51 ID:AJ3hr85o0
 昨日の聖教新聞の社説に

>10月12日は、弘安2年(1279年)に日蓮大聖人が全世界の民衆のための
「一閻浮提総与の大御本尊」を建立された日であり、翌13日は弘安5年
(1282年)、 大聖人が死身弘法の生涯を閉じられた御入滅の日にあたる。

 こう言うダブルスタンダードがいけないのです。
 戒壇本尊が弘安2年10月12日に図顕された証拠は、どこにもありません。
 発行部数、500万部の新聞が、社説に載せる記事じゃないですね。

323某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/10/13(木) 08:58:25 ID:NRKtx1Pw0
沖浦克治さん、おはようございます

”一閻浮提総与の大御本尊”
謎の文字列ですね。一体何を指しているのでしょうか。
弘安2年10月12日の年月日を紙面からさっさと払拭してほしいものです

324ソメルゼ:2011/10/13(木) 12:58:45 ID:/ca2e17w0
みなさんに質問です。
よろしくご回答お願いします。
購入した書籍の1ページ目に
大聖人御図顕の御曼荼羅の写真が掲載されております。
このページの取り扱いをどうすればよいとお考えでしょうか?
粗末に扱うわけにもいかず、しかし安置するわけにもいかず。
読み終えた後、捨てることもできかねております・・・

325タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/10/13(木) 16:06:03 ID:WwDrUF2wO
>>324←読み終えて、綺麗なパッケージのままなら、都道府県立の図書館に寄付や、写真の御本尊さまが、粗末したらアカンとか、気になるならば、近くの創価学会の会館でどうしたら良いか確認してみてね。本が一般書籍とかで買って、創価学会系のでなければ、BOOK・OFFや神田の古本屋さんみたいなところの、取り扱いの本屋さんに綺麗なパッケージ状態で、持ち込み相談したら如何ですか?
もしくは、老人ホームに寄付等色々方法あると思います。
せっかく購入の本が、三千円以上の、高い本ならもったいないからね?

326ソメルゼ:2011/10/13(木) 17:00:38 ID:/ca2e17w0
タンポポさん、こんにちは。

おっしゃるとおりにさせて頂きます。
お答えありがとうございました。

327タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/10/13(木) 17:06:50 ID:WwDrUF2wO
>>326←ソメルゼさま。こんばんは。どういたしまして。本を購入の時には、なんでも、写真集でも、何でも、パッケージ綺麗なままにや日焼けしないように、管理を綺麗な状態になるべくしておくと、古本屋さんも価値判断が高くなると思います。

後々、もったいない事に何でもならない様に工夫下さいませ。

328日々朗らか(前進) ◆kzJPIT27Ks:2011/10/13(木) 17:53:11 ID:8FNX.yWoO
仕事終わりました。

>>325タンポポさん……

>近くの創価学会の会館でどうしたら良いか確認してみてね。



こういうのは、ホント困ります。
わたしは牙城会OBですから、敢えて申します。

こういうのは迷惑ですっ!。答えられる訳がないっ!!。

学会本部なら未だしも……
会館への問い合わせを促すような返答は控えてくださいっ!。

329日々朗らか(前進) ◆kzJPIT27Ks:2011/10/13(木) 17:54:36 ID:8FNX.yWoO
>>327
意味が全くわかりません。

330日々朗らか(前進) ◆kzJPIT27Ks:2011/10/13(木) 18:06:00 ID:8FNX.yWoO
>>324ソメルゼさん。はじめましてm(__)m。

>このページの取り扱いをどうすればよいとお考えでしょうか?
>粗末に扱うわけにもいかず、しかし安置するわけにもいかず。
>読み終えた後、捨てることもできかねております・・・



貴方のやりたいようにやればよいと思います。

捨てるのに抵抗があるならば、捨てなければよい。

粗末に扱いたくなければ、粗末に扱わなければよい。



「御信心に依り候べし」


ところで、ソメルゼさんは、学会員の方ですか?。
御自宅に、御本尊様は御安置してありますか?。


貴方をある程度知らないと、的確な返答は無いと思います。

会館に確認だなんてのは、止してくださいね。

その上で、貴方が学会員だと仮説して……質問します。

その書籍。


どんな内容の本(ほん)ですか?。

331タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/10/13(木) 18:24:28 ID:WwDrUF2wO
>>328←日々さん。今晩は。そうなんですか?。。会館に問い合わせは迷惑?
ソメルゼさんがしっかり、批判のためではなく、自分で確かめていく力をつけて欲しかったのですが。ダメなんですか?

じゃ、本部に問い合わせてもらったら答えて頂ける?ソメルゼさん、なんとか自分で、本部の住所調べて問い合わせて見てくださいね。何でも、創価学会を正しく知って実際の目で確かめて頂ける、縁の道筋のきっかけになれば幸いです。 又しっかり学会先輩方はどんな立場の人も、しっかり問い合わせて来た一般の方には一緒に勉強のつもりで、精一杯の努力振る舞い方で、真摯に、答えが難しくても誠意をもって対応願います。創価学会への誤解解消や、理解の深めのきっかけになると良いですね。
こちらには、イタズラ目的に創価学会本部問い合わせ等の予防の為、本部住所等は記載控えさせて頂きます。
予め了承願います。

332日々朗らか(前進) ◆kzJPIT27Ks:2011/10/13(木) 18:46:36 ID:8FNX.yWoO
>>331

>自分で確かめていく力をつけて欲しかったのですが。ダメなんですか?



タンポポさん………。
はい、ダメですね!!。

自分で確かめる力???。

あれで………、
あのような(タンポポさんの)返答で、彼にチカラが付きますか?。


わたしは、付くとは思えませんっ!!。


彼には、初レスで確認している事がございます。


それを待って、彼に返答したいと思います。




会館に聞けっ。とは言語道断ですっ!!!。

会館の電話回線は、信心指導する場ではありませんっ!!!。

333タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/10/13(木) 18:47:16 ID:WwDrUF2wO
>>327←こちらの説明はあくまでも、一般に売られている学会関係書籍ではない、普通書籍の場合です。誤解なきように。

しかし、BOOK・OFFには、学会関係書籍がたくさん売られているのを見たことがありますのでお売りになられた方に関しては、何とも申し上げて良いのやら。。
とにかく、ご本尊さま関係は、丁寧な扱いが大事ですね。

334日々朗らか(前進) ◆kzJPIT27Ks:2011/10/13(木) 18:49:04 ID:8FNX.yWoO
>>331

タンポポさん………。

返答が……


綺麗すぎます。

335タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/10/13(木) 18:57:12 ID:WwDrUF2wO
>>332←日々さん。それが言語道断ならば、身近な学会員に聞くのも身近な学会員の安全のためには、言語道断になりはしませんか?。一般の方の問い合わせ先はどこになりますか?
ソメルゼさんと似たような困っている一般の人はどこに問い合わせ可能ですか?
よく聖教新聞の問い合わせは身近な学会員にとあります。学会員の安全のためにも、真面目に問い合わせしたい人にとっては、問い合わせ不可能になりませんか?
そんなのでは困りますね。。。。

336日々朗らか(前進) ◆kzJPIT27Ks:2011/10/13(木) 19:05:30 ID:8FNX.yWoO
>>335

会館に問い合わせるのと、身近な人と対話するのとは違うと、わたしは言っています。


だから、わたしは彼に、最低限の情報の確認を問うています。

勘違いしないでください。

本に御本尊の写真があった。どうすればいいか?。

なんて質問を、会館に問い合わせする……。


そんなのは信心以前の問題です。

同時に、なんでもかんでも会館に質問。

タンポポさん……。


そんなのは、信心とは別です。


いい加減なアドバイスはしないでくださいっ!!

337日々朗らか(前進) ◆kzJPIT27Ks:2011/10/13(木) 19:11:10 ID:8FNX.yWoO
>>335

>ソメルゼさんと似たような困っている一般の人




本当に、困ってますかね(-.-;)。

わたしは彼の最小限の情報で、アドバイスしております。

捨てたくなければ、捨てなければよい。
罰が当たると思うなら、そうすればよい。

これが結論です。


会館は、御用聞きではないっ!!

会員を護る為の宝城です。

338タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/10/13(木) 19:19:33 ID:WwDrUF2wO
>>336←日々さん。いい加減なアドバイス。。。全然そんな気持ち毛頭ないですね。。うちの母がソメルゼさんだと、どんなところでも、納得いくまで日参りすして怒鳴りこむ位の勢いで、問い合わせしちゃうタイプなんで、そんなタイプの一般の人にも、きちんと誠実に、幹部であろうが、なかろうが、しっかり誠実に振る舞い方に注意して、どんな人にも、対応してほしいだけです。

少し熱くなりました。頭少し冷やしますが。。私はおお真面目でいい加減なアドバイスのつもりありません。世間一般にも、通じる意味の事を申しているつもりです。

339日々朗らか(前進) ◆kzJPIT27Ks:2011/10/13(木) 19:29:51 ID:8FNX.yWoO
>>338
>うちの母がソメルゼさんだと、どんなところでも、納得いくまで日参りすして怒鳴りこむ位の勢いで、問い合わせしちゃうタイプなんで、そんなタイプの一般の人にも、きちんと誠実に、幹部であろうが、なかろうが、しっかり誠実に振る舞い方に注意して、どんな人にも、対応してほしいだけです。

……それを会館に求めるな。と申しております。

安易に会館に問い合わせろ。っというのは止してください。と申しております。

>私はおお真面目でいい加減なアドバイスのつもりありません。世間一般にも、通じる意味の事を申しているつもりです。


いい加減。との表現は、言い過ぎましたm(__)m。
申し訳ございませんm(__)m。

しかしっ!!

それを、その「納得いく信心」を会館に求めるべきではない。と、

わたしは、そう思います。

タンポポさんは、ソメルゼさんをお母さんに例えましたね。

お母さんは、信心に限らず、あらゆる事情に納得したいという……。


こんな状況で会館に問い合わせされても、迷惑です。と、わたしは申しております。

ご理解くださいm(__)m。

340タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/10/13(木) 20:22:47 ID:WwDrUF2wO
日々さん。一応了解。納得しずらい部分は、又勉強して理解していくわな。一応スレ違い会話になりつつあるから、この話はオシマイ。ソメルゼさん、学会的には正しくない、アドバイスらしいので、役にたてずに、堪忍ね。。。

では、9時半からいつものお題目して、11時には寝ます。

勉強になり感謝。一応お休みなさいませ。

341日々朗らか(前進) ◆kzJPIT27Ks:2011/10/13(木) 20:42:05 ID:8FNX.yWoO
>>340

>学会的には正しくない、アドバイスらしいので、役にたてずに、堪忍ね。。。





タンポポさん………。

あなたのは、我見、強すぎやしませんか?。

展開が性急すぎます。


学会的には正しくない???。


誰が、そのような視点で、レスしましたか??。




オシマイとかなんとかでなく!!。
「会館に問い合わせしてみてネ」という安易なタンポポさんの返答に、一言申し上げただけですっ!!。


あなたのアドバイスで、
彼は、了解、ありがとう。と御礼を述べてるのですよ。

お役に立ってないどころか、タンポポさんの返答に、あの方は感謝しているのです。


わたしは、それについて、違うんじゃないの??って事でレスしてます。

この件について、学会の正しさなどという括りで、主張などしてませんよっ!。


勘違いしないでください。お願いします。

342タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/10/13(木) 21:39:18 ID:WwDrUF2wO
>>341←今晩は。日々さん。。しかし貴方は、ソメルゼさんが感謝していても、私の会館に問い合わせを!との仕方の判断は違うとしています。私は、半分学会の方針としてオカシイ判断なのか?混乱してます。ソメルゼさんが感謝している事に、日々さんは学会の方針的に違和感あるとの言い方なんですから、私は、困りますね。
問い合わせ先は明確にしてもらいたいってホントに感じます。一般の人はリアルどこに確認とればよろしいのか?困りますね。。何のために誰のために、会館は存在しているのか?学会員の為だけでなく、一般に開かれた会館であって欲しい気持ちは、わかって頂けるでしょうかね?とにかく会館にいる方は、変なお役所仕事感覚にならないで、しっかり、場違いな、問い合わせしてきても、問い合わせ者に納得がいくような答えがタトエ出なくても、真摯に対応してもらいたいです。
学会の仏法理解を広める大事な機会といつも捉えてね。違うでしょうか?

とにかく、学会誤解者を増やさない対応の仕方を願うばかりです。

タトエ答えが出なくても、会館に行ってみて、真摯に真剣に聞いてくれた、対応の振る舞い方ひとつに、理解者を増やす結果になるかもしれない。そういう期待感も、中には居るのを感じてもらいたいなぁと思います。
会館にじゃなくても横にあった、創価学会式の仏具屋さんに、訪問して色々、かつて、未入会の頃不躾な質問を何度もした体験ある私としては、不躾な質問の数々に、仏具屋さんのお姉さんは誠実に対応して聞いてくれた、嬉しい体験からもね。聞いてくれただけでも答えがなくても創価学会に対して、ずいぶん誤解が当時溶けて、印象がよくなりましたね。。そういう貴重な体験があるもんで。

はい。今からお題目に感謝と今回の件をもう少し、思索の時間にします。。

343瞬香 ◆3yDXCLu9uY:2011/10/13(木) 22:33:17 ID:tN7Xs26A0
タンポポさん。こんばんは。

>>342の内容は、ごもっとも! お気持ちもホントによくわかります。
>違うでしょうか。 ←いいえ、全然ちがいません。

ただ、日々さんがおっしゃっていることは、そういうことではないと思います・・・。

タンポポさんは、ソメルゼさんに対して、誠実に大真面目にレスをされたのだと思います。

ただ、よくご存知ないため(入会されて1年弱なので)「不的確な回答」になってしまったと思います。


日々さんが「ソメルゼさんが学会員なのかそうでないか」によって
的確な回答は違ってくるんだよとおっしゃっています。
この一言に集約されます。

どう違ってくるのかは、日々さんや他の皆様がお答え下さるかと。
(それか、今度お会いするときに私も真摯にお答えさせていただきます。)


それにしても、この掲示板にはいろいろな質問が来ますよね。

私は、折座に同席させて頂いている気持ちで、
まずは諸先輩方が「どう回答されるのかなー」とワクワク待っていたりします。
とても勉強になります♪
で、φ(..)メモメモみたいな・・・くすすっ♪

あと、いつもお題目ありがとうございます。
感謝の気持ちを込めて・・・。

横から口出ししてすみませんでした。
ごめんなさい。

344瞬香 ◆3yDXCLu9uY:2011/10/13(木) 22:44:31 ID:tN7Xs26A0
あと・・・日々さーん。
たんぽぽさんは、1年生だから優しくしてあげて・・・(笑)
きっともうすぐ、最強婦人部員になられるんで・・・。

345タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/10/13(木) 23:45:17 ID:WwDrUF2wO
カイダンさまホンカイ論のスレから、なんやズレズレになってスミマセン。。瞬香さん。フォローアップありがとうございます。日々さんの言わんとしてる意味一応理解してるよ。しかし、私は、ソメルゼさんは一般の真面目な問い合わせと扱いしたかったのもあるから、日々さんの言わんとしてる事にはスゴイ違和感感じるののです。。。私が入会したてであろうがなかろうが、ソメルゼさんみたいな質問してくるタイプも、会館全体では懐広く、受け入れ体制しっかり出来てなアカンと、感じてます。そんな質問に答えれる誠実な係りのセクションあれば良いと大真面目に考えています。間違っているでしょうか?
◎あるスーパーマーケットでは、問い合わせや半ば厳しいむちゃぶりなクレームを言ってくるお客様への対応係のセクションがあるお陰で、スーパーマーケットの改善対策になり売上伸ばしてる所が有ると聞きます。むちゃぶりクレームの人も店には大事な、大切なお客様なのです。
創価学会にも似たセクションが有れば、もっと良い成長に価値的に向上につなげられるのに!といつも感じています。ソメルゼさんみたいな方が事情により、今は、なにかと反創価の立場であっても、一般の方は何方も、どんな環境の方でもどんな考え方の方でも未来のいつか、なにかのきっかけで、入会可能な大事な未来会員なんです。
それに対応出来る様に願っているだけですが、考え方初心者ながら、オカシイですかね?

とにかく、創価学会に対して、誤解者が増えないように願うばかりです。。

それにしても、カイダンさまホンカイ論の話は、御書に無いなら、スッパリ公式に、切り替えできたら良いのにね?

346某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/10/14(金) 05:03:09 ID:jrIFwr2w0
御本尊の讃文は弘安期から仏滅後二千二百三十余年になったことについて日寛師は子供騙しのようなこじつけをしていますね
釈尊は八年の間に均等な時間割りで法華経二十八品を説いたなど到底信じられません。

347沖浦克治:2011/10/14(金) 06:41:07 ID:AJ3hr85o0
某男子部員さん、おはようございます

 釈迦の時代、文字がありません。
 ですので、口伝なんですよ。
 口伝をキチン二十八品均等に説いて、それを過たなず後世に伝えることなど不可能だと思います。
 寛師はね、習いそこないですね、この点をとってもわかります。

 仏法は悟りで広まるんです。
 ワープなんですよ。

 釈迦〜天台が1500年。
 間に誰もいないのです。
 釈迦が悟ったのと同じ悟りを、1500年後の天台が覚った。
 こう言うことなんです。

 天台〜伝教の間も伝えた方はいません。
 御書にあります。

 『伝教大師は日本国にして十五年が間天台真言等を自見せさせ給う生知の妙悟にて師なくしてさとらせ給いしかども、世間の不審をはらさんがために漢土に亘りて』
 (撰時抄)

 『仏滅後月氏漢土日本国に二人の聖人あり所謂天台伝教の二人なり、此の二人をば聖人とも云うべし又賢人とも云うべし、天台大師は南岳に伝えたり是は賢人なり、道場にして自解仏乗し給いぬ又聖人なり、伝教大師は道邃行満に止観と円頓の大戒を伝へたりこれは賢人なり、入唐已前に日本国にして真言止観の二宗を師なくしてさとり極め、天台宗の智慧を以て六宗七宗に勝れたりと心得給いしは是れ聖人なり、』
 (妙密上人御消息)

 天台は自解仏乗です、自ら仏乗を解す」と読みます。
 教えを受けることなく、自ら仏法を悟ることですね。

 伝教は『入唐已前に日本国にして真言止観の二宗を師なくしてさとり極め、』
 ですから、誰にも教わらないで仏法を悟ったのです。

 御書にキチンと書いてあるんですよ。

348ソメルゼ:2011/10/14(金) 12:20:40 ID:/ca2e17w0
日々さん、こんにちは。
タンポポさんは一年生だそうですが、一番正しいお答えをお持ちだと思いますよ。
ご質問にお答えします。
私は学会員です。どんな本かというと「図説あらすじでわかる!日蓮と法華経」です。
永田美穂先生の著作です。学会書籍は読みません。教学は日蓮宗系の書籍やHPで勉強します。

日々さんも多方面の著作に目を通されたほうがいいですよ。目が覚めますよ。

大きなお世話かもしれませんが、一年生のタンポポさんに対して思いやりがまったくないですね。
幹部なら新人さんには噛んで含めるように、親切丁寧に指導してあげなくてはいけませんね。
創価学会員は常日頃、寺の悪口ばかり言ってるから、丁寧な言葉忘れたのかな?
外の人には選挙票があるからペコペコしてばかりだけど、同志にはボロクソ。

タンポポさん、負けずに頑張ってくださいねーーーー

349ソメルゼ:2011/10/14(金) 12:23:58 ID:/ca2e17w0
ちなみに沖浦さんはコピーしてもお曼荼羅は本尊と
樋田さんとの討論で激怒なさっておられたから
写真印刷されたお曼荼羅も大事になさるのではありませんか?

350タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/10/14(金) 13:06:36 ID:WwDrUF2wO
>>348←ソメルゼさんは色々な書籍読んで居ても学会に所属者なのね。。ソメルゼさん。自身は獅子身中の虫になんない、様に勉強の仕方は気を付けてね。獅子身中の虫って、蟹の足が、漆に浸かったら、その漆は売り物になんない品物になるそうやから、お互いに信心の勉強の仕方には、他所の色々な本も大切やが、気をつけていきましょうね。

351タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/10/14(金) 13:29:57 ID:WwDrUF2wO
>>350←続き。漆に例えた、学会員の純粋な信心の在り方であるか?ちょっとでも、蟹の足が入った様な異物混入状態の信心の仕方であるか?で見る見方、考える規範が違って見え思う所が出てくるからね。私は学会に途中入社、転校生みたいな者やから、外の色々な本も知った上で入会はしているが、純粋に、これから師弟不二になって綺麗な漆塗りの品物の信心の在り方になれるか?気をつけて勉強していきますね〜!

ソメルゼさんも色々読んだり研究して知識いっぱいの様ですが、気をつけて勉強していって下さいね。

352某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/10/14(金) 14:41:13 ID:fhia3YI60
沖浦克治さん、こんにちは

そうですね。自解仏乗の御聖人によって広められてまいりました

353タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/10/14(金) 14:42:28 ID:WwDrUF2wO
ソメルゼさん。今日は。言い忘れ。。貴方が学会員と明かしたのならば、尚の事、漆に蟹の足が混ざった様に見える事の無いように、日々さんだけでなく、他の学会員のもっと、厳しい基準の信心の感覚で勉強出来てなさる学会員と自称する人から、ネットでは、同志批判される様な?在り方になんないように、、、信心の勉強の仕方はリアルでも、気をつけて下さいね。

はい。お題目約5分、中断しました。50分延長してお題目します。
失礼致しました。

354某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/10/14(金) 17:47:29 ID:dm8o3LiU0
それにしても、
法華経二十八品を八年で割ると三品半になり、一年で三品半説いたとして
普賢菩薩勧発品第二十八からさかのぼって如来寿量品第十六まで四年なので、
弘安元年=仏滅後二千二百二十七年に四年を足すことによって
弘安元年は仏滅後二千二百三十余年になるなどというのはとんだ御冗談ですね
一年で三品半説いたとどうやって証明したんですか

355日々朗らか(前進) ◆kzJPIT27Ks:2011/10/14(金) 18:24:16 ID:8FNX.yWoO
同志批判???。

わたしはしてませんよ。


基本的な事を申し上げました。

「会館に問い合わせる」。

こんな指導はありません。

356日々朗らか(前進) ◆kzJPIT27Ks:2011/10/14(金) 18:44:53 ID:8FNX.yWoO
>>348ソメルゼさんへ。
>日々さん、こんにちは。
タンポポさんは一年生だそうですが、一番正しいお答えをお持ちだと思いますよ。

……確認ですが、どこが正しいのでしょうか。

宗教関係の本に掲載されていた写真で写された曼陀羅をどう扱えばよいのか。というあなたの質問に対して、会館に聞け。というのが正しいというのでしょうか?。

>ご質問にお答えします。
>私は学会員です。

……そうでしたかm(__)m。失礼しました。っつうか、わたしがあなたにレスした内容……読んでいただけましたか?。

>どんな本かというと「図説あらすじでわかる!日蓮と法華経」です。
>永田美穂先生の著作です。学会書籍は読みません。教学は日蓮宗系の書籍やHPで勉強します。

………何故、学会の書籍を読まないのでしょうか?。


>日々さんも多方面の著作に目を通されたほうがいいですよ。目が覚めますよ。

………こう見えてf^_^;、結構、読むのが好きでして(^^)。学会の書籍以外にも、よく読んでますよ(^^)。

>大きなお世話かもしれませんが、一年生のタンポポさんに対して思いやりがまったくないですね。

………今回のやり取りに於ける「思いやり」とは???。ソメルゼさんの思いやりの基準はなんですか?。

>幹部なら新人さんには噛んで含めるように、親切丁寧に指導してあげなくてはいけませんね。

………幹部ではありませんよ。タンポポさんと同じです。

威勢のいい事を次々に申しておるようですが……。

あのような質問をこの掲示板で問い掛ける時点で、わたしはどうかと思っています。わたしは寺の悪口は言ってないですし、選挙の話しもしてません。ついでにこじつけるのは止めてくださいソメルゼさんf^_^;。

そして、わたしは同志に対して、ボロクソなんか言ってませんよ。



なんかソメルゼさんの話しは飛躍させすぎの感じがします。


以上。


わたしの質問に、お答えくださいm(__)m。

スレ違いの内容で、他の方々にも迷惑がかかるので、続きは、わたしのスレッドで。


ソメルゼさん。宜しくお願いいたしますm(__)m。

357タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/10/14(金) 18:50:06 ID:WwDrUF2wO
>>355←日々さん。今晩は。信心の浅い、私に、注意指摘ありがとう〜!感謝致します。

気をつけてリアルでも注意深くで居ますね。

ソメルゼさんは同志に批判したと受け取られたみたいやが、私には貴重な注意指摘と有難いですね〜!感謝なりよ〜!
「会館に問い合わせはダメ。」理解しました〜!

◎自分のご本尊さまに鏡に向くみたいに、向き合ってよくお題目して思索して行ったお陰みたいです〜感謝なり〜♪ 有り難う御座いました〜♪

とにかくこの
スレの場所はカイダンさまホンカイ論についてお話するスレやしね。。。。。

358沖浦克治:2011/10/14(金) 20:48:06 ID:AJ3hr85o0
 『宗祖日蓮大聖人がこの御本尊も、ただ信心の二字におさまれりと言われたのであります。信心の二字の中にしか本尊はないんです。本門戒壇の板御本尊、なんだ寛尊、信心の中にしか本尊はないんです、ただのモノです。一応の。機械です。幸福製造機だもの。 』
 (平成五年九月七日・本部幹部会)

 池田先生です。

 弟子なんだから、その通りだ。

 これでいいのです。

359備前 ◆TtzwqSGci2:2011/10/14(金) 21:30:41 ID:AQGTb3vc0
  こんばんは、沖浦さん

 その、本幹での先生の講演資料、一度精査された方が、よろしいのではと思います。
 他の掲示板でも、沖浦さんが掲示してある部分を載せている人がいたのですが、
 少し疑問が有り調べた所、ブログによっては

 【なんだ寛尊、信心の中にしか本尊はないんです】と、あるものと
 【なんだ寛尊は「信心の中にしか本尊はない」と】という二通りがあります。
 多分、どちらも講演テ−プからの物だと思います。

 どちらにしろ、平成五年の講演なら全集のスピ−チ編に掲載されていると思いますので
 調べられた方が、より正確に先生の講演の主旨が解ると思います。
 今のその部分だけでは・・・・・・(^^;

360沖浦克治:2011/10/14(金) 21:34:55 ID:AJ3hr85o0
 備前さん、今晩は

 法華講員がご丁寧に映像入りでアップしています。

 御本尊はもの。でググるとでます。

 上が正解でしょうが、どちらにしても大差はありません。
 要するにご本尊を偶像に祭り上げて、信徒支配をしていた、宗門の破折ですから。

 先生は明快に仰せです。

 御本尊は私どもの仏道修行のためのもので、御本尊のために私どもが存在するのではない。

361X−PRO−Z:2011/10/15(土) 00:08:29 ID:paQdHeRs0
信心あってこその 本尊様 
当たり前のことだと おもうのだが

362沖浦克治:2011/10/15(土) 08:05:20 ID:AJ3hr85o0
 表現がどうあろうとも御本尊は信じる人がいて、拝んでこそ力が出ます。

 ピアノは、弾く人がいないなら、邪魔者なだけです。
 
 同じですよ。
 御本尊を仏壇に安置して、拝みもしないで功徳を出した人はいません。
 拝むと言う人の行為にこそ、仏法があるんです。
 経と言うものは、声なんです。
 声は、人の意思が働いてなせる行動です。

 声を出す。

 最も本源的な高等生物の行動ですよ。
 自己主張なんです。
 その声が経だと、大聖人が仰せです。

 『経は又云く「声仏事を為す之を称して経と為す」文、』
 (一代聖教大意)

 この通り、声が経だと仰せです。
 戸田先生が言われました。

 『中国に仏教があるか!
 馬鹿なこと言っちゃいかん。
 経文ならある。
 陀¥が、経文はん仏教じゃないぞ!』(趣意)

 音源を持っていますから、来ればお聞かせ致します。
 法華経の文字は全てが仏だと書かれた御書もあります。
 ですが、それは人が読んでこそのこと。
 人が読むと言う行動がないならただの模様です。

 一切の仏法、一切の哲学、一切の宗教は、人間の信じると言う行動でしか顕れません。
 凄く単純なことですが、功徳に見放された漫荼羅至上主義者は否定します。

 これを肯定するなら、自身の信の無さが暴露されます。
 ですので、色々小理屈をつけて己義を構えます。

 お気の毒ですよ。
 そう言う愚かな行為でエネルギーを使わないで、御本尊キチンと拝んで、キチンと生きて行ったら、功徳が出るようになっているんです。
 戸田先生が仰せです。

 『この信心やったら、誰でも金持ちになって、元気になって幸せになるんだよ。
 元は、線香とろうそくだけだ。
 こんないい話あるかい。
 どうだ、やらないと損だろう。』(趣意)

 音源もってますよ、来たら聞けます。
 これが創価仏法の原点です。
 ご本尊至上主義者は、反創価ですね。

363某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/10/15(土) 12:12:40 ID:O0iHMRbc0
面白いことに、和算術が発展したのは江戸時代からですね

日寛師はさっそく割り算を、法華経が説かれた年月と二十八品に適用してみたんでしょうね
(檀家制度花盛りの)江戸時代の人はそれで騙せたのでしょう

364ソメルゼ:2011/10/15(土) 12:24:33 ID:/ca2e17w0
>>356
タンポポさんのどこが正しいって?
どこか間違ってますか?
学会の書籍はコロコロ主張が変わるから読みません。
著者も名前だけのゴーストライターの作品ですしね。
対談も書簡のやりとりなのに「対談」ですもんね。

読みませんよ。

365ソメルゼ:2011/10/15(土) 12:47:34 ID:/ca2e17w0
日々さん
スレ違いのようなので、日々さんの部屋に移動させて頂きます。

366沖浦克治:2011/11/05(土) 06:33:01 ID:AJ3hr85o0
 凄く単純で誰でも理解できることなんですが、発迹顕本を竜口で大聖人がなされた。
 本来の御本仏の境涯を開かれた、と言いますね。
 すると、その後は全てご本仏としての御存在です。
 釈迦は、菩提樹の下で悟りを開きました。
 同じです、以前と以後は、衆生と仏として立場の差があります。
 とうぜん、釈迦も大聖人も、人としては全く変わっていません。
 境涯が開いただけで、別人にはなりません。

 『日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ、此れは魂魄佐土の国にいたりて返年の二月雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくてをそろしからずみん人いかにをぢぬらむ、』
 (開目抄下)

 その後、御本尊を御図顕なさいます。
 当然ご本仏としてのお立場でです。
 その、御本尊が差があると思う方が異常なんですよ。

 末法の御本仏が、魂を墨に染め流してしたためられたご本尊。
 差があるもんですか。

 この点だけでも、戒壇本尊本懐は、邪義です。

 更には、私共のご本尊と、戒壇本尊は別です。
 書写の元ではありません。

 厳然たる事実です。
 頭破七分もありませんし、滅後も10年異なっています。
 ですから、私共のご本尊は、戒壇本尊本懐論が定着する以前に出来た、大石寺系の書写の形式に従っているのです。
 
 寛師は、他の日蓮系に対抗し、大石寺を大聖人の教義を受け継ぐ、唯一の正当派にしたかった。
 だから、知恵を絞って戒壇本尊本懐論をでっちあげました。

 然し、その目論見は成功しましたが、それまでの書写の元は戒壇本尊ではありません。
 その矛盾の解消は無理だったんです。

 それで、法主の権能、などと誰かが後付けの言い訳を考え、現在に至っています。

 少し考えればわかるじゃないですか。
 戒壇本尊が本当に究竟中の究竟で、本懐中の本懐で、三大秘法の唯一の当体なら、一字一句間違わないで書写します。

 当たり前です。 
 それが、現実には異なっている。

 ですので、戒壇本尊本懐論は、破綻しているのです。
 では、ご本懐はなんだったのか?
 ご本懐は、御書経文にあります

 開示悟入の四仏知見。

 これに尽きますので、関連することが全て含まれます。
 どこかの部分を抜き出して語ること自体が間違いを誘います。
 大聖人は、釈迦天台の本懐を述べられ、その後ご自分は27年だと仰せです。
 それが、27年間だと、私は思います。
 何故なら、釈迦も天台も最初から法華経や摩訶止観を説いたわけではございません。
 所が大聖人は、最初からお題目と言う最高の法華経を説かれ広められたのです。
 ですので、法や経を出世の本懐とする彼らと比較するなら、立宗宣言がそのまま、出世のご本懐です。

 ですので、私は開示悟入のために生きられた、その後の大聖人の人生が、そのままご本懐だと拝せます。

 戒壇本尊図顕など言う小さな出来事が、末法の御本仏の本懐などとは、とても信じられません。

367ソメルゼ:2011/11/05(土) 17:34:07 ID:/ca2e17w0
>立宗宣言がそのまま、出世のご本懐です。

まさしくそのとおりだと思います。
しかしながら戸田会長が戒壇本懐を訴えたのでそうなったのですよ。
戸田会長は戒壇の本尊こそ最高だと指導されました。
登山登山登山せよ。

結局いまの学会の主張はバラバラなんですよ。
個人個人好き勝手な解釈をして、それを口にしている。
貴方もそうだし、私もそう。
ネット会員全員そうです。

戒壇本尊本懐論者はすぐにでも「登山」すべきです。
そうでないと話の筋がとおらない。
全員チャック全開ですよ。

368タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/11/05(土) 18:10:34 ID:WwDrUF2wO
>>367←ソメルゼさん。お山がホントに浄らか姿なら戸田先生の言われる様に、登山も正しいけれど、

今の現状のお山の状況では、気持ち悪くて、登山は出来ないですね?
お山、ソメルゼさんには浄らかに映りますか???

369ソメルゼ:2011/11/05(土) 18:19:54 ID:/ca2e17w0
戒壇本懐というなら登山せよといっているのです。

もう少し文章をちゃんと読んでください。

補足しますと「戸田先生戸田先生」というなら「登山」せよ。
戸田先生を聖人と呼びながら戒壇本尊を否定するのは矛盾してますよ。

私は戸田先生先生と言いません。

370タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/11/05(土) 18:39:21 ID:WwDrUF2wO
>>369←私は熱原の民が在世の時代の時のこの本尊ホンカイ論が純粋で浄らかな状態だったと、私見ではあるが感じます。それ以後は、歴史的に何や糸がこんがらかって伝わって居るような気がします。

戸田先生が何とか整えた時代もあったが、再び、変にお山では、なってしまった感じが否めません。その状態のお山に登山は。。気持ち悪くてたまりません。。
学び中だから私見混ざって申し訳ありません。。。

371タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/11/05(土) 19:03:55 ID:WwDrUF2wO
>>370←続き。お山は、未入会の時代に、しかも、創価学会とお山が決別するかしたかの時に、興味があって見に行ってます。その時に、白亜の正本堂はあったが、中の出入り口の門にかんじがらめに鎖が巻き付けてあって、南京錠が何個も取り付けてありました。。案内のお坊さんが、この建物は今度、壊す事になったと、言ったので、当時、素人ながら仰天しました。
ちなみに、知り合いの牧師も、私が行った時より少し前に外見だけ見たら、黒い大蛇みたいなのが、霊的にいて気持ち悪いと言って居ました。他所の外道と言われてる牧師でさえ、お山の背後にあるモノが気持ち悪いと言ってます。

そんな状態のがどうして、カイダンホンカイ論の聖なるお山として登山をと言えるかしらね?

どこかの時代に、カイダンのホンカイのは汚されてしまっている状態ではないでしょうか?。私の携帯漢字がうまく出ないのでカタカナ混ざりで失礼致します。
しかし、それでも、御本尊様を正式に頂くまでは、東向いて、お題目しても、何らかでも今まで功徳がかんじられました。東のどこかには、カイダンのホンカイの聖なる場所が定められているのでしょう。。何らかの原因で、汚れた心のお坊さん等には、正しいカイダンのホンカイの姿感じえないのかもね?

372タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/11/05(土) 20:50:51 ID:WwDrUF2wO
私の場合、見に行った未入会の時代の見学体験と、知り合いの牧師から聞かされた話と、小さいときは日蓮宗で基礎は日蓮宗の知識と、今の習い中の創価学会での少しずつの勉強知識ですが、私見で感じている面も有りますが、失礼な未知識での感覚部分での批評の仕方は、予め、お詫び申し上げておきます。教学と歴史に詳しい知識のある先輩方、どうぞ、お許しくださいませ。m(__)m。。

373しげきょん:2011/11/08(火) 01:29:45 ID:N.eieDLI0
こんばんわ、堀にちこう上人も広宣流布観は大石寺中心でした
富士の仏都建設が願いであったしかし広布が創価学会によってなされた時
全国的な会館建設となったそこが大石寺との広布観の違いになった
特に学会は人材中心の牙城を作りあげた。それは今も続いてる
人材が富士の秀峰である建物はしゃくである本門は人材

374タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/11/08(火) 07:48:11 ID:WwDrUF2wO
>>373←しげきょんさん。お久しぶりです。おはようございます。へー?!大石寺って、天理の街のような?聖地とするような?仏教都を目指してたの??へ〜!驚き! 未入会時代に、興味で、観てきたが、あの時の時点で、大石寺は、お寺ばっかり建物や敷地が大きくて、周りに旅館もなんや?少なかったし。。土産品屋さん?も、奈良の大仏の山門周りの土産品屋さんに比べたら少なかった印象が強いので、その計画は無理やわって感想付きで、ビックリ!ですわ。

天理の街みたいなのに一極集中して聖地の様にしようと思ったら、相当、信徒さん方からや外部のお金持ちの企業さん方からも信頼作って、寄付をお願いにまわらな、無理だよ〜〜!?

375タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/11/08(火) 12:11:30 ID:WwDrUF2wO
続き。。だから創価学会は大石寺から別れてから、地元会員のお出向きしやすいように、地元地域密着型の広宣流布の拠点的な会館作りに私見ではあるが、シフトしていかれたんやろうね。。
お山の客殿で信徒のお客様がお賽銭を入れに、来てくれるのを、デーンと構えて待ってるよりも、地元にドンドン降りてきて法華経の大事を先ずもって、広めなきゃね?
その辺り履き違えたら、大聖人のみこころに外れちゃう様に感じられます。

376タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/11/08(火) 18:56:34 ID:WwDrUF2wO
>>375←続き。天理の天理教の街にもなり、駅も天理駅と宗教の名前を冠にしている所の神様は、内陣のカンロ台とか言う台に天理王の命(てんりおうのみこと)と言う神様が座しておられ、目には見えないが、四方から中心の台に向かって、天理教の手踊りと言う神様を讃える踊りをしてウヤウヤしく祈ります。ウヤウヤしく目に見えない祈りの雰囲気は、イスラム教信徒が大事な方角に祈るリズムとなんか似ている感じを見ている気分でした。学生の時天理方面の高校だったため、天理教の学校ではなかったが、同級生の信者さんに一度だけ、見学に連れて行かれた時の見学知識より。
靴を、反対側の靴箱に預けたはずが、出てきた時、靴は違う出口に出たのに、表にきちんと揃えて出してくれたのにはビックリしました。信者の何やら靴係の人?が、まるで秀吉が信長の草履を暖めて出した話の様に、出して来たので驚きました。
何々詰所と言う宿泊施設が何軒も立っていて、世界中から何日も何ヵ月も、長期に渡って奉仕や、お参りに泊まりに来ると同級生の信者は説明していました。 長期に滞在者に向けて、学校や幼稚園や、よろず病院も整備されていますとも言ってました。

大石寺のお山だと、多分。。それをしようとおもったら、莫大な寄付のお願いをお寺は信者にかなり負担のお願いをせんならんやろうね?現実的にね。。ホントに、お山にあるのが、カイダンのホンカイの正しいモノであるなら、その価値もあるだろうけど。。。疑問がいっぱいだね。。。???

377タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/11/08(火) 19:32:55 ID:WwDrUF2wO
>>376←続き。ちなみに、天理教の祭壇は、神社と似ています。天理教の祭司を司る神主は黒い神主服みたいな格好にて祭司をします。一般信徒の簡単な祈り方は幸せの意味のゴロ合わせで四回柏手して2礼します。 日本の古くからのいわれで嫌う四の数字の柏手が、天理教ではラッキー数字の扱いです。

神社系の別れた宗派でもあるので、天理教は、仏法的には、外道の扱いになるとは思いますが。。良い悪い別にして。。同級生の信者が、なんせ教えてくれた知識まで。

ちなみにPL教は、浄土宗から出来た新興宗教です。教祖の誕生日8月1日はPL教の建物がある富田林駅周辺は、教祖を讃える花火大会のため、混雑車の入る制限もされて、すごい人出です。
色んな聖地があるけど。。。。複雑ですね〜!

378タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/11/08(火) 19:43:25 ID:WwDrUF2wO
最近でこそ、高校の時よりは、天理の街には公明党のポスター張ってあるお家が増えたような気がするが、富田林方面はまだ少ないような気がするから、広宣流布のテーマとして開拓に良い街に思いますが。。。振る舞い方に気を付けて、仏法平和対話に、頑張りましょう!

とにかく、己心の妙法は他に求めて行かない事が基本的に大事ですからね。。。

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