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もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋- 1 :副管理人Z:2008/11/08(土) 05:34:56
- とっくりさんのご要望によりスレッドを作りました。思う存分、
語り合ってください。
- 2 :もくれん:2008/11/08(土) 09:59:00
- とっくりさん
とっくりさんのお考えの一端を知ることができ「対話」の醍醐味を
感じております。
本当に相手の「考え」「価値観」を、まずは知ることは大切ですね。
例のドブ板は、「真の正義の人」と「便乗組のふざけ半分、面白半分の人」
が混在していて、管理人も、全く管理していないのですね。
「正攻法」については、管理人である片山・昭氏と以前、私も話したことが
あります。ズバリ、自分は「正攻法」ができない・・と言っていました。
ただ、本当の真の正義の人は、まぎれもなく存在していて、
彼らは、「沖浦氏に悪影響を受けることを、徹底的に阻止する」が
最大の目的のようです。
関西勢の、それなりの「言い分」は、ひとまず置くとして、
その点、小野氏板は、「道理」のみで、一切の偏見無く、最後まで
「対話」を継続しました。「道理」と「教学上の正確さ」です。
私は、勿論「小野板」を、評価しています。
ドブ板に関しては、評価は、プラス・マイナスありますね。
関西勢は、沖浦氏の過去の行状も含めて、「獅子身中の虫」であるとの
断定を前提にして、掲示板を運営しています。
何も知らない会員は、唯一「教学上の誤り」しか、明確に「断定調」な
ことは言えません。そのへんの「温度差」もありそうです。
とっくりさんも、超多忙でしょうから、ゆっくり、とっくりさんペースで
思うこと、感ずることを、書いて下さればと思います。
この板は、まずはその人の「価値観」「考え」を、尊重した上で
対話をするスタンスで、貴重な板だと思います。
ですから、とっくりさんが、正々堂々と、自分の意見を述べたのは
良いことだと思います。それに対して「対話力」で、応じられない
彼らの限界ですね。説明能力の欠如ですね。
正義を貫くのに、相手を納得させてあげられなくては、本末転倒です。
罵詈雑言という手段しか、使えないのは「暴力」ですね。
「うそ」は「暴力」の、スタートです(師匠の指導より)
沖浦氏の「うそ」が、暴かれています(若鷹掲示板)
ドブ板の人たちの「根っこ」は、沖浦氏と共通する要素があります。
最も、悪を「叩いて」いると自惚れている人たちこそ、
一歩間違えると、同根であるということだと思います。
現役創価学会員ですから、「教義上」のことは、私も徹底的に「対話」
しました。結果、創価学会公式出版物の記述を「邪義」と断定するに
至り、その点は「会内・反逆者」であると思いますよ。
ただし、それ以上の罵詈雑言をする、権利はありませんよね。
- 3 :もくれん:2008/11/08(土) 10:04:15
- わ〜〜びっくり、>>2
後半の ですからとっくりさんが・・・以下は、一度書いて
過激すぎると、消したつもりが、消してなかった・・
でも、いいです、このまま掲載しておいて・・
- 4 :風凛 ◆IuSmpGjaC6:2008/11/08(土) 10:14:44
- もくれんさんへ。
オヤジさんとの話に、ログをお借りします。m(__)m
- 5 :もくれん:2008/11/08(土) 15:55:10
- とっくりさん
若鷹掲示板で、やまいぬさんとの「対論」で
沖氏自説「衆生己心の妙法は本・曼荼羅は迹」は「完全決着」する
はずですから、沖浦氏が帰宅してからの、若鷹掲示板は
注目ですね。
今度こそ、やまいぬさんですから、「完全決着」間違いないですよ。
どのような「結果」にしても、決着はつきますね。
- 6 :とっくり:2008/11/08(土) 22:52:10
- 大変遅くなりました。
申し訳ございません。
管理人Z様、誠にありがとうございます。
もくれんさん、繰り返しになりますが、長文のレス本当にありがとうございます。
さて、本来ならばあれだけの長文のレスを頂いた訳であり、一つ一つ検証しながら論を進めて行くのが道理であり、礼儀というものですが、如何せん私に時間が御座いません。
大変失礼ながら、私の疑問点を最初に披露させて頂きます。
なお、現在オヤジさんに教えて頂いている身ですので明日には考えが変わっておるやも知れません。そこの所御了承戴きたいと存じます。
……堅すぎるな…。
性に合わないので、ダラダラと書き付けてよごさんすか(笑)。
- 7 :もくれん:2008/11/08(土) 23:55:26
- >>6 とっくりさん
>大変失礼ながら、私の疑問点を最初に披露させて頂きます。
どうぞ、どうぞ、やりやすい方法でどうぞ・・
とっくりさんは、ご存知かどうか知りませんが、私は沖浦氏が「何が言いたいのか」
とことん「対話」しました。勿論、私以外の方も同時進行で「対話」してましたが。
その沖浦さんとの「対話のプロセス」は、対話の回路を閉じないためには
譲歩しながら、友好的に進めたのですが、例のドブ板に私自身が「悪の仲間」
として、罵詈雑言されました。そのことは、全く何とも思ってもいませんが。
ですので、沖浦氏に関しては「何が言いたかったのか」とか沖浦氏の自説の
つまずきとか、すでにレスした通り、「探求」し尽くした感があります。
とっくりさんの「疑問点」に、完全に答えきれるかどうか自信ありませんが
まずは「疑問点」を書いてみてください。
>性に合わないので、ダラダラと書き付けてよごさんすか(笑)。
いいですとも、ダラダラでいいですよ。
本日はこれで、就寝します。おやすみなさい。
- 8 :とっくり:2008/11/09(日) 11:14:12
- 本当にごめんなさい(謝ってばっかりだな)10分位しか時間が取れない(泣)。
え〜。
沖浦さんは、そんなに悪いことしたの?と、言うことです。
あの人は、本気でネットで広布をしようとしています。
どこかの板で「腹くくってる」なぞと抜かすステハンがおりましたが、何一つ傷付く事の無いこの匿名社会で、すぐにポイポイ捨てられる名前を使って「覚悟」なぞ表せられるはずが無い。
だから「私と勝負するのなら同じ土俵に上がって来い」って言ってるんじゃ無いかなと…。
教学、体験、信心、沖浦さんより凄い人はゴロゴロいると思いますし、私も実際お会いしてそう思いました。
沖浦さんの「捨て石」はそう言う意味があると捉えています。
本物のネットの闘志、出でよと。
俺より力があるのなら、同じ土俵に上がって来いと。
つまり、あの人にとって「教義の間違い」はどうでも良いんじゃ無いかな、それならそれでそれを質すだけの「説得力」を持った人の到来を待っているんじゃないのかなと私自身は思っております。
あわわ15分経過!!
行ってきます!!
あ、オヤジさん!!すみません!!また後で!!
- 9 :もくれん:2008/11/09(日) 13:58:01
- >>8 とっくりさん
>沖浦さんは、そんなに悪いことしたの?と、言うことです。
そこですね、とっくりさんは、何もその点を納得してないのに
あのドブ板で「とっくり」さんが、「ののしり」の形で話題にもされ、
「君が誰かわかっているよ・・」なんて、ちょっと「脅しっぽい」ことも
言われていましたっけ? 私はもう見てないので確認もしませんが。
でも、とっくりさんは、自分の意見を「その場」まで入って述べたのは
立派だと思います。
>あの人は、本気でネットで広布をしようとしています。
そうですね、本尊流布がいくつかできたと、書いてありましたね。
私も以前はそれを「額面どおり」受け止めていました。
実名でネットをやる本当の理由は「熱原公演」だと、今は
確信もって、そう思います。
布教も目的の一部とは、思いますが、「熱原公演」こそ、実名でなくては
できませんから、「熱原公演」こそ、ネットの目的の大部分だと思います。
その根拠は、沖浦氏自身のレスにあるように、例の演出家を「人生の師匠」
としております。詳細は、すでに書いた私のレスにも入れてありますが。
>どこかの板で「腹くくってる」なぞと抜かすステハンがおりましたが、何一つ傷付く事
>の無いこの匿名社会で、すぐにポイポイ捨てられる名前を使って「覚悟」なぞ表せら
>れるはずが無い。
そうですね、例の板の人たちは、直接「対話」しない主義ですね。
沖浦氏とも、彼らが勝手に呼称する「沖浦シンパ」ともです。
彼ら関西勢は、沖浦氏の過去の行状まで、さかのぼって「悪」
「獅子身中の虫」との断定です。
教学上のことがなくても、「悪」「獅子身中の虫」と断定していたと
思います。
続きます
- 10 :もくれん:2008/11/09(日) 15:16:44
- >>9 の続き とっくりさん
>本物のネットの闘志、出でよと。
>俺より力があるのなら、同じ土俵に上がって来いと。
>つまり、あの人にとって「教義の間違い」はどうでも良いんじゃ無いかな、それなら
>それでそれを質すだけの「説得力」を持った人の到来を待っているんじゃないのかなと
>私自身は思っております。
ある掲示板で、昨年、既に氏の「教学上の誤り」を指摘していた、HNの方がいまして、
来年は「俺が実名で、お前の間違いを正してやる・・」と発言していましたが
ついに、実名で、現れた形跡はありません。
(今回のことで、過去のレス等を検証していて、見つけたのですが)
沖浦氏の「いのちの叫び」として、「本当に自分(沖浦氏)を救いたいのであれば
顔を出せ・・と・聞こえてきそうですね。
そんな風に、受け取れなくもないですね。
ただね、現場でもありがちですね、「自分の気持ち・思いを理解してくれない」と
言葉は悪いですが「ダダをこねる」ということ。
信心って、最終的には「自己責任」ですね。
幹部は「激励」はしなくてはいけませんが、最後は本人の「自得」ですね。
そういう意味では、氏は、例の不祥事を機に、真剣な題目をあげて
体験はつかんでいるはずです。レスに書いてありましたね。
・・日達上人御書写の特別御形木御本尊様に真剣な題目を唱え・・
境智冥合して、仏界の生命を涌現して・・・
この書き込みは、事実として、あります。
一切は自分である・・このことも、良く認識しているはずです。
決して、何かを「誰かのせいにする」とか「誰かに理解して欲しい」とかは
信仰の本義でないことは、良く、わかっているはずです。
あえて言えば、「自分のように、実名でやれる者はいるはずがない」との
自負心では、ないでしょうか。
どうせ、自分以外には、実名者が出現するはずは、無いとの「確信」「驕り」
そのことで、他の学会員と自分を「差別化」できる。
「自分は特別だ」「これだけのリスクを背負ってネット活動をしているので
あるから、「文句」あるなら、同じ土俵に上がれ」と、一種の権威ですね。
権力の手段としての「実名」でもあるのかなとも、思いましたが。
それと、前レスでも書きましたが、実名は「熱原公演」で、どうしても
必要だったという、氏自身の都合でも、あると思います。
最初に「勇気」ありきというより、結果的に実名が必須であったと、推測します。
単なる、根拠なき「中傷」、限度を越えた「罵詈雑言」・・法律的にも
人権侵害に抵触しそうなことは、相手が実名であれば、当然、法的措置も
ありえることですね。
有名人などがそれに、該当しますよね。芸名であろうと、本人が特定できますから。
この夏も、一触即発の事件がありましたが、とっくりさんは、ご存知でしたか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ただ、ここで、ポイントですが、沖浦氏の教学上の間違いについては
もはや、御本人そのものを、「何とか矯正しよう」との意思は、
ほとんどの方は、無いはずです。
最初は、ありましたよ、でも、そのプロセスを丹念に、とっくりさんも
たどれば、うなずけると思いますが。99.99999% 無理であると
皆さん、痛感しています。
あとは、沖浦説に対して「否定しきれない」と思う同志を、救っていく
その必要はあります。日顕宗に匹敵する「邪義」ですから。
勿論これから、友人でもある「やまいぬ」さんは、誠心誠意「対話」を
重ね、できれば、ご本人に誤りに気づいてもらうべく、努力なさるはずです。
やまいぬさんの、境涯・慈悲・教学力・その他洞察力・・総合すれば
僅かの可能性として、氏が教学上の誤りを訂正できるかもしれないです。
期待したいですね。やまいぬさんに。
- 11 :もくれん:2008/11/09(日) 16:13:52
- 付録
最初に、とっくりさんへ、書いたレスの中で、関西勢について触れています。
相当長文ですし、いくつかに分けて書いてもいます。
読んだ方の中で、すみから、すみまで、丹念に精密に読まずして
勝手にレスの内容を、「曲解」「歪曲」した方がいます。
レスに対する批判・意見はよろしいのですが、必ず、全部をきちんと
読んでからにして下さい。一部分で、判断しないで下さい。
全体観で、判断してください。
とりわけ、現時点での「とっくり」さんの心情に寄り添った形も取っています。
それらを含めて、総合的に全体観で、眺めてください。
アプローチの方法としては、全学会員に普遍的な「課題」である「教学的」
なことの方法が、効果的であり、説得力はあります。
一人の学会員の過去の行状など、現場でも知らないケースは多々あります。
一般論として、過去に過ちがあるからこそ、反省し、人間革命に励んで
いるはずです。その部分のみでは、批判・中傷は論外です。
又、ネット上の教学論以外の発言は、相当、緻密に積み上げなくては
マイナス評価は、断定しずらいものがあります。
A対Bの対話は、第3者が、どちらが善で、どちらが悪であるとか
簡単に判断できないことです。いろいろな「いきさつ」もあるでしょうし。
又、判定もする必要は無いでしょう。
★ただし、沖浦氏とやまいぬ氏の対話は、教学論、信心の実践論、いずれも
やまいぬ氏の総合的な高い能力により、ほとんどすべてのロム者に
深い納得を与えるものと、私は評価しています。
それは、ひとえに、やまいぬ氏のどこまでいっても、一人の人間として
一人の現役創価学会員としての、沖浦氏の「善性」を、ひたぶるに
信じ抜こうとの、やまいぬ氏の誠実な真摯な人間性の発露であります。
これを、「無駄なこと」と、一笑する者がいるのも知っています。
でも、今は、やまいぬ氏の、努力・熱意 に 期待するべきです。
教学上の問題・・正・誤
明らかな、うその発言・・ウソであることが立証できた場合・・
これ以外は、ネット上で文字だけで、判定は下せないでしょう。
教学論は、正か誤か、文字表現のみで、判定できます。
学会活動に対するスタンスのみでは、個人差があり、それのみを
「批判」の対象にするのは、やはり、無理があります。
あくまで、誤教学論への付随的な要素になります。
★ 教学上のこと
★ 熱原公演は組織利用・信心利用
この二点のみが、明確に「悪」に傾いていると「断定」してもいいと思います。
念のため「悪に傾いている」との表現は、これから「やまいぬ」さんとの
対話の結果、良き方向への可能性はあるからです。
「悪そのもの」「獅子身中の虫」との断定で、ある掲示板は運営されています。
又、「獅子身中の虫」から、会員を護るとの趣旨も存じています。
護るべくたたかいをしている「真の正義の人」も確実におります。
やや、方向性が違う方も混在しています。世間の縮図です。
これが、話題の渦中の掲示板への「評価」です。
- 12 :もくれん:2008/11/09(日) 17:47:20
- とっくりさん
とっくりさんが、一番「わからない?」「何なんだ?」というのは、
例の掲示板で、何で「まな板の鯉」のような扱いを、本人の知らない所で
勝手に、されなくてはならないのだ? ですね。
既に何度も書きましたが、ドブ板は、沖浦氏が「完全に悪」であるとの
断定で運営されています。これは、事実上「戦争」です。
敵の総大将を討つには、まず手下から・・
とっくりさんは、沖浦さんの「手下」の扱いになっているのです。
日々さんと、ゴンちゃんは、「専用スレッド」まで、ありますでしょ。
でも、できれば、手下は「捕虜」、あるいは、白旗を掲げれば
自軍に取り込んでもいい、そういうイメージですね。
以上は「比ゆ的」に書きましたが、
★真の目的は「悪である沖浦氏に騙されている、愚かな民を救う・・」
★しかし、彼らは「説明能力」がありません。
ただ、「コラー」「バカヤロー」と怒鳴るしか方法を知りません。
親子関係でもありそうですね。子を心配する親が、ただ怒鳴るしかしない。
親子関係であれば、結果的には問題無いケースがほとんどですね。
それで、とっくりさんが、初めて「理路整然」と、人権問題として
正式に「抗議」しました。あの「抗議」は、人間の尊厳性から当然です。
彼らは、勝手に「ゴシップ雑誌」のようなことをしたのですから、
本来なら「謝罪」が必要かもしれません。
面倒くさいから、誰もそんなことは言いませんが。
私も、そんな気もありません。
でも、謝罪要求をする権利はあります。世法的にはです。
★ ここで、「騙されている」・・基準ですが、
その一点目は 例の邪義です・・・(熱原公演は後ほど)
日々さんは、「自分は、かまわない、こだわらない」判断する気もない・・
これが、現時点での態度です。沖浦氏に「騙されている」のでなく
日々さん自身が、教学のことは、「あいまいでいい」との考えです。
確かに、沖浦氏自身は、私との対話で「教義なんて、めんどうくさいものは
不必要・・」なる発言があります。
現場でも、おりますよね、「理屈はいいよ、題目だよ」
一面、大事なことですね。
理屈が「いらない」のであれば「変な珍奇な理屈」を、表明しなければ
今回の騒動にならなかたのです。
★いえいえ、沖浦氏には「理屈」は、必要なんです。
以前にも書きましたが、宗門との、大御本尊様問題です・・・戒壇様です。
これは、今回は、細かくは書きません。
必要だから、言うのですが、黙っていられない「性格」なんですね。
語ることで「賛同者」も、得たい・・その思いもあったと推測します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★ 今回のレスの目的は
★ とっくりさんは、「教学」は、正しくあるべきですか?
これが、このレスの「目的」です。
合計4本のレスを書きましたが、
質問はこの一つだけです。
ゆっくりで、結構ですので、
- 13 :とっくり:2008/11/10(月) 05:24:25
- もくれんさん。
「教学」は正しくあるべきですか?
の問いにお答えします。
正しく無ければ「教学」とは呼びますまい(笑)。
私は「教学は信を深める為にある」と思っております。
人の信心の浅深を計る、批評する為の教学では無いはずです。
コメントは避けて来ましたが、小野さんの掲示板も同様です。
勿論誤用は指摘して当然ですし、その指摘に対しての誠意無き回答、又は罵詈雑言など持っての他です。
学会の公式見解に対して邪義と言うのはフォローも出来ません。
でも、それを持って仏敵だ、師敵対だ、同志ではない、身中の虫だ、日顕同等の邪義だは如何せん納得が行きません。
私にはそこまで思い切った、恐ろしい事は言えませんし、判断出来る立場でもありません。
また、過去の行状を貼り付け皆で批判する(内ゲバだなこりゃ)。
大悪の前には小悪はゆるされると公言する(オウムだなこりゃ)。
私の現時点のネット社会に対する憂慮はここにあります。
さてさて、私が沖浦さんとお会いした理由はたしなめる為です。
但し、人間関係を構築してからの話ですから、何年掛かるかは分かりません。
只、真剣に祈りました。
そしたら、明後日静岡に来ますとの事。
時間ありますか?と、沖浦さんの知り合いの方から連絡がありました(笑)。
熱原の公演も見に行きます。沖浦さんの広布への熱情、田山さんと言う方にも興味があります。
組織利用云々、広宣流布より熱原云々に関しては、その後に分かるでしょう。
「何の為、君よそれを忘るるな」
大聖人は民衆救済の為にまさしく命を懸けてこの法を遺されました。
この世から悲惨の二字を無くしたい。
この思いさえあれば、ゴールは一緒ですので、公式が間違ってても良いのでは無いでしょうか。
さあ、この思いはあるのか無いのか…。
楽しみです。
- 14 :もくれん:2008/11/10(月) 07:14:56
- >>13 とっくりさん
本当に対話は素晴らしいと、感動しております。
池田先生と、世界の有識者の対話も、こうして「書簡」形式も
あるらしいですね。
とっくりさんの「お考え」「お気持ち」、更に知ることができ、
ややもすれば「おせっかい」で、始めたことですが、ひとりの方の
「胸中」を知るということは、あたかも「宝」を掘り出すような作業
なのだと少し感動しています。
>さてさて、私が沖浦さんとお会いした理由はたしなめる為です。
>但し、人間関係を構築してからの話ですから、何年掛かるかは分かりません。
>只、真剣に祈りました。
たしなめる為・・そうでしたか・・他人の行動をどう調べるのか
探偵でも雇っているのか「行動を知られているような」書き込みも
ドブ板にありましたね。
>「何の為、君よそれを忘るるな」
>大聖人は民衆救済の為にまさしく命を懸けてこの法を遺されました。
>この世から悲惨の二字を無くしたい。
>この思いさえあれば、ゴールは一緒ですので、
>公式が間違ってても良いのでは無いでしょうか。
この件に関しては、「師弟不二」とは何ぞや?? の 次元の 話に
なりますので、いよいよ「オヤジ」さんにバトンタッチするべきかなとも
思っています。
今は、この段階までしか書けません。
とりあえず、又・・・
さあ、この思いはあるのか無いのか…。
- 15 :もくれん:2008/11/10(月) 08:55:35
- >>14 とっくりさん
・・前レスの最後の一行は、ミス入力です。
さて、いよいよ「師弟不二論」に入りそうです。
あまりにも重要な大きなテーマ故、先ほどは、弱気になりましたが
もう少し頑張ってみます。
★ 最初に「爆弾発言」します。
★ 沖浦氏は「池田先生が師匠です、先生が好きなんです・・」
等の発言がレスの中にあります。
★ しかし、先生の著書の引用は「間違い」レベルでなく「捏造」「歪曲」です。
とっくりさんは、超多忙なので若鷹掲示板等もゆっくり見る時間も無いと
思います。
ここ数日間で、繰り広げられたのは、昭和52年頃、先生が御書講義された
中から、とんでもない記述を「先生がこう仰っています」と、
何年か前に書き込み、お若い青年らしき方が、多いに悩みました。
私はその書籍を持っていますので、具体的にどこを、どのように「歪曲」
してあるのか、「一目瞭然」で、ああ〜〜氏は記憶だけで、自分の価値観に
先生の指導を「都合よく当てはめ」ネット上に書き込んだと、原因は究明
できました。
しかし、その抗議している方の・・・
「デタラメなことを書かないで下さい・・」には、勿論、回答はありません。
ここ何日か、不在中ということも、ありますが。
その他にも、まだまだ、ありますが・・・
少なくとも、先生の著書を「正確に引用しない」沖浦氏について、どう評価
されますか?
沖浦氏に会って「たしなめる」とのこと・・
とっくりさんが、仰っているように、「たしなめる行為」は、直接会って
人間関係・信頼関係を築いてから・・全くその通りだと同感です。
先ほどの「先生の著書の引用のデタラメさ」・・・について
是非、たしなめて、いただきたいです。
もっとも、これから、いよいよ、やまいぬ氏との「教学対論」が
始まりますので、やまいぬ氏も「たしなめる」わけですが。
たしなめた結果、改めなければ、沖浦氏の「師弟観」に疑問を持たざる
を得ません。現時点では、「断定」は避けなくてはいけませんが。
★「熱原公演」は、まさに「師弟観」と無関係でないと思います。
何故 無関係でないのかは、僅かの文章では表現し切れません。
ひとまず、しばらくは、やまいぬさんとの「教学対論」に注目したいと
思います。
- 18 :もくれん:2008/11/10(月) 16:05:43
- >>13 とっくりさん
少し、細かく検証していきます。
>また、過去の行状を貼り付け皆で批判する(内ゲバだなこりゃ)。
多分、あのことと、推測できます。斧板ですね・・・
そうであるとすると・・・・・・・勘違いでしたらごめんなさい。
以前から、斧氏は、沖氏に「実名は危険だから、実名を停止するように」と
注意していたそうです。にも関わらず、実名で突っ走り、結果、本人も
そうですが、学会総体に迷惑をかけ、「世間様」の評価も下げることを
してしまった。
「教義逸脱」「熱原公演・組織利用」が、勃発しなければ
過去の行状など、斧氏は問題にしないはずです。誰だって
過去の行為等を反省するからこそ、人間革命に励んでいるはずだからです。
現にネット上の不祥事があったらしく、一度ネットを撤退して、再度
ネットに登場した際、斧氏が暖かく歓迎してくれたことに対する沖氏の
感謝の言葉がレスにありました。基本的には「偏見」は斧氏は持たない
はずです。そこは「関西勢」とは異なると思います。
関西は、今書き込みしている「ステハン」等も、実際に直接、沖氏を
知っていたり、友人が直接知っていたりと、それがあるんだと思います。
それだけに、沖氏がネット活動しているだけで、過去の行状に
対する「許せない」感情が、噴出するのかと推測します。
ただ、いかに「関西」といえど、過去の行状だけで、まるで犯人扱いは
無謀すぎます。6月頃からの「F板」での一件、が影響していると思います。
「F板」の詳細は、ご存知なければ、又、ご説明します。
それから、熱原公演も「公演」そのものが組織利用なのではなく、
学会員が集まる場所・掲示板で「金」の話が出る、そのことが組織利用
信心利用と斧氏は指摘しているわけです。
「公演」をやるのなら、「金」は一切関係なく、沖氏が全部負担して
言ってみれば「大金のかかる趣味」であれば、誰も文句は言いようが無いと。
更に言えば「協力メンバー」の中にも自己負担をかなりしているらしい
メンバーもいるらしく、ある意味「熱原公演」が本来の地道な組織活動より
優先度が高いメンバーもいるらしいと。
正直言って、沖氏の尊敬する戸田先生だって「仏法者であるならば、
政治に無関心であっては、いけない」と仰っているのに、戸田先生の指導を
護らず、演出家を師匠としているような、感じがします。支援はNO.
一度鑑賞に行き、それだけで、「終わり」の方も多いと思います。
昨年は、300名位、観客動員できたとのレスを読んだことがあります。
ほとんどの方は、「一度きり」で、つまらなければ、次は勿論行かないし
一度鑑賞したから、即、危険というのも、大げさでもありますが、
問題は、一鑑賞者から「協力者」「応援者」へのアプローチを沖氏から
された時「断れるか」だと思います。金が、からみます。
人間関係は親しくなると、頼まれ事に対して「断りづらく」なります。
斧氏は実はそこを、危惧しているのです。
断りづらくなり、そこから、本来の組織活動に影響が出て来ると・・・
実は、私は「見てます」「読んでます」・・・何をかですが
私は斧板の数年来の愛読者です。
昨年でしたか、こんなレスがありました。
沖氏「斧さん、熱原 応援してもらえませんか?」
斧氏「あ〜、またあとでね・・・」お茶を濁していましたが・・
既に昨年から「危うい」ことは、察知していたと思います。
しかし、時のタイミングは、肝心ですから、タイミングとしては「今」
と判断したのだと思います。
こんなことを書くのは「ヒヤヒヤ」ですが、
つまり、斧氏は会員を、「後々」苦しめたくないとの「思い」です。
言葉がきつい時もあるので、誤解されるのもわかっています。
- 19 :もくれん:2008/11/10(月) 16:28:19
- >>13 とっくりさん
更に細かく検証します
>日顕同等の邪義だは如何せん納得が行きません。
日顕宗の「悪」に関する先生のスピーチは、平成3年から、平成5年頃までに
膨大な量の指導があります。
小冊子・創価のルネサンスを、当時、活動会員は購入して
しっかり、読みました。それは、先生の全集にも収録されています。
もし、必要であれば、少しずつ、先生のスピーチも掲載します。
そこで、日顕宗・・法主絶対論 顕本蓮迹論
沖氏己義 人本仏迹論 天城氏より
これから、「やまいぬ」さんとの対論が開始されますが、沖氏が己義を
改めなければ、恐ろしいと思います。
文字にしてしまえば、ちょっとした「違い」ですが、その内実は
このまま、沖氏父子が「人本仏迹論」を、信じきっていくなら
あたかも、例えは悪いですが
「キツネ」を拝めば、畜生界のいのちになっていく・・これと同じです。
偽札も本物に、似ているほど「罪が重い」
宗教も本物に、似ているほど「罪が重い」
キツネ信仰より、「人本仏迹論」信仰の方が、恐ろしいと思います。
先生の日顕宗に対する「悪」の恐ろしさの、指導は 少しずつ
書いていきます。
なお、天城氏は「日顕宗」と、真剣にたたかった実績のある「本物の闘志」
だそうです。理論・教学は本物の方だそうです。
- 20 :とっくり:2008/11/12(水) 07:19:07
- もくれんさん。
返レスしようとしたら、文が長すぎて消えた(T_T)。
簡単に書くね。
●沖浦さんの「師弟観」に余り興味はありません。
人各々の原点がありますから。「池田大作」をどの様に自身の糧に、力に、広布の原動力に変えて行くか、そこに意義と報恩があると思います。
●先生の著書の引用の「間違い」「捏造」「歪曲」については、私自身力不足で、断定出来ません。
正確な引用はネットである以上必要でしょう。
覚えて無いのなら、引用を止めるか、自身の言葉で書くべきですね。
●あと、沖浦さんを評価する気はありません。
他の同志の方々のレスから、如何に自身の糧に、力に、広布の原動力に変えて行くか、そこに意義があると思います。
●やまいぬ氏との対論について。
互いに歓喜し、激励し合うのが創価のネット社会だと思います。
そうなれば良いのですが…。
●過去の行状について、小野板です。
人間の信義の問題です。
何があろうが、過去の行状を云々するのは仏法者のする事では無いと強く思います。
●「関西勢」について。
ず〜っと遠くでキャンキャン泣いてろ(笑)。匿名で、コソコソと、本人に直接問い質す勇気も慈悲も無い…。恥さらしとは正しく彼等の事を言うのでしょうね(笑)。●F板は2〜3年ロムしております。
●チケットは有料であるべきと考えます。
プロのやる事ですから、お金出して貰ってタダで見に行く方が信心利用な気がします。
●自己負担…。これは問題だと率直に思います。
が、具体的な負担額や本人が嫌々なのか、嬉々としてなのか、分かりません。
怨執の温床になりやすいですからね。
まあ、人様のお金について云々出来ませんから…。
そこら辺は、主催者側に聞いてみますね。
また、報告します。
●私も小野板は愛読板ですよ(笑)。2年位ですか…。言葉の裏の優しさ、祈りも読んでます(つもり)。
最近の小野さんの苦しさも悲しみも含めて…。
●まず、「人本仏迹論」なる言葉は止めた方がよろしいかと…。
沖浦さんが言いたい事と論点がズレます。
まあ、見守りたいとは思いますが…。本迹を勝劣と受け止めた事からの発端だとは思います。
ここは、今御書読んでますんでまたオヤジさんから学びます。
●何か沖浦さん贔屓になっちゃってゴメンナサイ(笑)。
昨今の学会系ネットに言いたい事は、「自分の信心と向き合う事を忘れた言葉なんて何の魅力も感じないよ。」と言うこと…。
人様がドウコウである前に自分がどうであるか発信する事が大事なんでは無いでしょうか。
このネタはこのネタで良いのでしょうが…。最近ロムする板が減っちゃいました(泣)。
- 21 :もくれん:2008/11/12(水) 09:24:43
- >>20 とっくりさん
>人様がドウコウである前に自分がどうであるか発信する事が大事なんでは無いでしょうか。
本当にそうだなと、痛感しています。
関わりあった全ての人が、そう感じ始めていると思います。
沖浦さんの己義も「悪意」からでなく、「仏法は人間のためにある」を
宗門との、絡みの結果、沖浦さん流の考えで、教義を作ってしまった・・・
悪意ではないが、作った・・これって「捏造」ですね・・ああ〜〜〜
ただここからが大事なんですが、
★ 沖浦さんの間違った教義を、本当に正してあげたいとの「慈悲」で
あれば、直接、本人に会うべきです。
私は、そこまでの気は無いので、失格です。
ほとんどの方が失格です。
あとは、教義論で関わりあったことで、それを自分の成長の栄養にしていく
ことが、大事かなと思っています。
あの板(ドブ板)で、とっくりさんに「おせっかい」をしました。
制止したのが、良かったのか、良くなかったのか、わかりませんが、
ほぼ、語りつくしたかなと感じます。
とっくりさんが、ご意見等ありましたら、書いてくだされば、
私も、意見発信することがあれば、又書かせていただきます。
- 22 :とっくり:2008/11/13(木) 03:30:23
- >>21
全く持って暖かい言葉、本当にありがとうごさいます。m(__)m
私の気持ちが少しでも分かって戴けたならこれ程有難い事はありません。
本来、私にとって掲示板は、休憩の合間にチョコチョコっと携帯いじって、笑ったり、学んだりするもので、こうなる事とは思いもしませんでした(全てはあの管理人のせいだ(ニヤリ))。
貴重な体験をさせて頂いております。
…そろそろ大事な戦いも近づいて来る頃(のはず…ですが…)、お身体大切に、そして「まさかが実現!!」目指してガンバンベ〜(笑)。
こちらも笑顔を忘れず頑張ります。
たまには絡んで下さいね。
…。
という訳で、対話終了〜!!
で、良かったかな…。
- 23 :もくれん:2008/11/13(木) 09:30:50
- とっくりさん
対話終了、了解です。
オアシスはいつも、見てますよ。
- 24 :もくれん:2008/11/13(木) 12:54:54
- とっくりさんとの「直接対話」は、完全終了です。
ここからは、「もくれん」個人の今までの沖浦氏との「対話・対論」の
集大成として、数回にわたり書きます。
新しくスレッドを建てずとも、すぐ終わりますので、管理人さん、よろしく
お願い申し上げます。
以前から、気になっていたことがあります。
多分、沖浦氏は「カン違い」の原因に「法華経の智慧」の内容もその一つ
と思っていました。
でも、本人が持ち出さない以上、先回りして「このこと誤解してませんか?」
と言うのは「やぶへび」であると、思い保留しておきました。
しかし、遂に出ました。出してきました。
沖浦説の「つまずき」「カン違い」は
結論を言えば「日顕宗の悪の本質的問題」と「御本尊様」そのものを
「混同」している、この一言ですが、せっかくですから
先生のスピーチを、いくつか紹介して、日顕宗の悪の本質的問題と
御本尊様そのものが、日顕宗の問題では、無いことを明確にします。
沖浦氏の掲示板に「法華経の智慧」の引用が掲載されてますが
ひとさまのレスを勝手に転載は、いかがなものかと思いますので
転載はいたしません。
続く
- 25 :もくれん:2008/11/13(木) 14:18:36
- >>24 の 続き
沖浦氏が自板で引用しているのは
書籍「法華経の智慧」第5巻 P171〜P174 3行目まで
その中に
「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり・・」
「本仏と云うは凡夫なり迹仏というは仏なり」
これをもって天城氏の「人本・仏迹」論であるとの指摘に対しての
「反論」と推測する。
まあ〜〜確かに「仏が迹仏であると」と、額面どおりにとれば
そういっている。
しかし、同じく書籍「法華経の智慧」第4巻 P76
「諸法実相抄」には、「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして
迹仏なり」と仰せです。
この深義については、更に論じていくことになるが・・・とある。
次のレスで★「深義」について書き、沖浦氏の「カン違い」を明確にする。
確かに、かねてから、氏が主張しているのは
「人間のための宗教」・・同書で先生も仰っています。
そのとおりです、だからこそ、正しい仏法を正しく実践し
広めていく必要があります。
続く
- 26 :もくれん:2008/11/13(木) 14:53:51
- それにしても、書籍「法華経の智慧」の内容が、現役創価学会員に、このように
「カン違い」されるとは、先生も驚天動地の思いでありましょう。
人間こそが最高に尊貴なのだ・・(同書より)
凡夫こそが仏なのだ・・・・・・(同書より)
このことを、ていねいにわかりやすく説明して下さったものを
あろうことか「衆生己心の妙法が本・曼荼羅が迹」に「スリ変わる」とは
先生も「ビックリ仰天」でありましょう。
衆生が本来、仏である・・これは正しい
曼荼羅が迹、なる「珍説」は、どうも宗門(日顕宗)側からも、
あきれられているらしい。
しかし、氏のレスによれば、日顕宗が「御本尊」を信徒支配の道具に
していることへの「破折」という目的でもあるらしい・・
日顕宗が、御本尊を信徒支配の道具にしているのは、その通りである。
又、一部法華講の「法華経の智慧」の内容への「難癖」に対する「反論」
でもあるとのこと・・・
それにしても、「反論」とはいえ、「ピントずれまくり」である。
★凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり・・
この深義について・・・
先生の「諸法実相抄講義」より 池田大作全集24 P45〜
凡夫があくまで「本仏」である。これに対して、釈迦仏をはじめ、
経文に説かれるあらゆる仏は、妙法蓮華教の働きとしての「迹仏」に
すぎない、ということであります。
法華経の道理から言えば当然のことでありますが、それをこのように
明確に言い切り、凡夫こそ本仏なりと断ぜられたところに、日蓮大聖人の
教えが、末法万年の未来に投じた、不滅の力用と光明があるのであります。
★ ここに、凡夫と仰せられたのは、別して日蓮大聖人の御事であり、
日蓮大聖人が御本仏であられることを示されております。
「御義口伝」に「末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり・・・仏とも云われ
又凡夫僧とも云わるるなり」とあるとおりであります。
ともに、総じて私どもは、当然凡夫であります。その凡夫が最も、尊く、
偉大であることを、日蓮大聖人が、自ら凡夫の姿を示してお説きくださって
いるのです。
あくまでも、日蓮大聖人の仏法は、人間が中心であります。
この後も「普通」の人間・凡夫がいかに、偉大であり、尊貴であるかとの
先生の講義は続きます、
つまり、我々普通の凡夫が偉大であるといっても、御本仏日蓮大聖人の
「おいのち」を離れてありえないことである。・・カン違いの原因
続く
- 27 :もくれん:2008/11/13(木) 15:24:12
- 総じての凡夫である私達も、皆、本来、南無妙法蓮華経の当体であるが
御本仏日蓮大聖人が所持されている南無妙法蓮華経があってこそである
ということくらいは、さしもの、法華講の面々もわかっている。
(法華講主催の掲示板によれば)
さて、沖浦氏が「カン違い」している日顕宗の「根本的な間違い・悪」とは
一言でいえば、日蓮大聖人直結の広宣流布への信仰実践が皆無である、という
ことに尽きる。
「御本尊様」なかんずく「戒壇様」が、どうこうという話ではない。
このことが理解できないのは、長年の「空白」
本当の意味での「師弟」の欠如・・
に集約されるのであるが、
これからは、先生の「日顕宗」についてのスピーチを掲載していく。
膨大なスピーチから、ほんの一部の抜粋引用である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下は、池田大作全集 82 より
創価学会が、なぜこれほどまでに発展したのか、それは、この大聖人の御心のままに、
仏子である一人一人の会員を、心から大切にしてきたからである。
★その反対が、日顕宗である。
信徒を自分達の金もうけの手段にしか見てない。
そうしておいて、常に威張っている。
大聖人への恐るべき「師敵対」である。・・・・・・P65
仏子を尊敬せよ。「正法広宣流布の実践者」を仏のごとく敬い、大切にせよ、
これが釈尊の最後の言葉であり、遺言であった。
そして、大聖人が「最上第一の相伝」と言われた、法華経の根本精神なの
である。
この教えを、誰よりも実践してこそ、真の「相伝者」である。
現代における「広布の行者」SGIを、誰よりも尊敬し、大切にしてこそ
「最上第一の相伝」を知っていることになる。
★この、一点だけでも、日顕は大聖人からの正しい相伝を受けているとは
いえない。
彼らの振る舞いは、法華経と御書の、まさに正反対である。・・・P86〜87
続く
- 28 :もくれん:2008/11/13(木) 16:04:16
- 同じく、全集82より
悪との戦いに妥協はない。 P268〜
途中略
悪の根とは、一切衆生に不幸をもたらす「不幸の根」である。
大聖人は「謗法の僧」こそ、大悪であり、「悪の根」であるとされている。
この悪の根を絶つことが、人々の「不幸の根」を断つことになる。
何より、自分自身の生命から、「不幸の根」を断つことになる。
ゆえに、絶対に最後の最後まで、妥協してはならない。
「悪の根」「一凶」を残しておけば、必ずまた悪の枝を伸ばしてくる。
決して油断してはならない。
★ 日顕宗を「根絶」する戦いが、法華経の「本末究竟等」の法理に
のっとった実践である。
大聖人の御精神にかなった闘争である。
悪とは、断じて戦いぬく学会精神をいちだんと燃やしていきたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
同じく全集 83 より
★ 総本山へ行かなければ成仏しないとか、僧侶による儀式がなければ功徳が
ないとか、それらは仏法の根本精神から、まったく逸脱した邪義である。
自分自身の中に仏界はある。その仏界を引き出すのも、自分自身の「信心」
なのである。・・・・・・P114
★ 日顕宗は「最も信心強き人」・・すなわち創価学会を破門したという一点
だけでも、じつは「不相伝の輩」なのである。
「観心の本尊」すなわち「信心の本尊」の深義を否定したことになるからである。
まさに日顕宗は★「三大秘法否定」の邪教である。
天台大師の深意に背き、釈尊の慈悲に背き、大聖人に背いた仏敵である。
大聖人否定、日興上人否定、そして日寛上人否定なのである。
この「大悪」を根絶してこそ、「大善」となる。 P163
★「三大秘法否定」を「カン違い」している方が以前おられた。
三大秘法が、日顕により「破壊」されてしまったと、云っていたらしい。
破壊されたといえば、破壊されたのであろう、日顕宗では、破壊してしまった。
が、大聖人直結の創価学会には、三大秘法は厳然とある。
日蓮大聖人の仏法の根幹である、三大秘法は、創価学会にのみある。
続く
続く
- 29 :もくれん:2008/11/13(木) 18:47:56
- 日顕宗は三大秘法否定の邪教である・・・先生のスピーチより 前レスで紹介
その理由は、「観心の本尊」すなわち「信心の本尊」の「深義」を否定したことに
なるからである。
日寛上人は「信心」にこそ「本尊」は具することを知っているかどうかに
「御相伝の家」か「不相伝の輩」かを、分ける基準を置いておられる。
全集 83 P163
そこで、前レスで、会員から、「沖浦氏の主張も、やや、うなずける」と
意見表明した人の発言として、
「三大秘法は、あの日顕宗が破壊してしまって、もう 一大秘法しかない。
一大秘法は題目=本尊=南無妙法蓮華経だから、沖浦氏の主張は
その通りではないか・・・・と・・
その意見を聞いた時は、「言語道断」との衝撃で、返す言葉も
無かったのであるが、良く、みてみると、矛盾だらけである。
一大秘法しかない・・・というが
三大秘法の根本は「一大秘法」なのであるから、三大秘法なくして
一大秘法はありえない・・・・矛盾その1
一大秘法は題目・・これは、沖浦氏の主張でもあるが、かなり良心的そうな
掲示板で、やはり、実直そうな方が、前述のような、ことを教えていた。
沖浦氏の己義を受け入れる「下地」が、あったからこそ、「そうでしょう」
となったという現実も見逃せない。
又、日寛上人の「偽三大秘法論」なる、意見を書いていた方もいた。
沖浦説を「受け入れる」土壌が、確かに密やかにではあるが、存在する。
沖浦説を「否定しきれない」「それもそうだな」と、思う方は、受け入れる
それなりの下地がある。必ずしも、無条件に「うのみ」にしているからではない。
してみると、沖浦氏の「衆生己心の妙法は本・曼荼羅は迹」説は
やはり、諸法実相抄の「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身
にして迹仏なり・・」を、そっくり「そのまんま東」ならぬ
「そのまんま・沖浦説」として、字面どおり、解釈してしまったのだろう。
私達は、「本・迹」の使い方が違う・・
御本尊(曼荼羅)と衆生の、関係は「帰命の対境」・・・
あるいは、御本尊を「明鏡」として・・・
等々、語りかけたが、どうしても「通じない」・・・
それもそのはず、最初から、先ほどの御文を「字面」どおり解釈していた
からであろう。その詳細は前レスで書いたとおりである。
あと、見逃せないのは、御本仏とは「どのような使命の方」かを
氏が、まったく理解していなかったということである。
そのことは、次のレスで詳しく書くことにする。
- 30 :もくれん:2008/11/13(木) 23:10:00
- >曼荼羅本のもくれんさん、天城さん方。
> いい加減に日蓮正宗辞めたら如何?
>天城さん、もくれんさんなどは、明確に先生のご指導と正反対の御主張ですね。
>一度、真面目に本部に行って指導受けたらいいでしょう。
> あそこまで狂っちゃうと、大変ですよ。
かって、宗門が学会を「外道」などと批判したことがありました。
ベートーベンの第九のことなども、槍玉にあげられたのですが、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先生のスピーチより、 全集 83 P153〜
日興上人が、長年住まわれていた寺院を追放される事件があった。
有名な「四十九院法難」である。
日興上人の「法華経第一」の主張をも、住職である悪僧は「外道大邪教」
と非難した。
天台宗が法華経を第一とするのは当然である。
しかしその当然の主張を「外道だ」と決めつけるほど、濁っていた。
「根本が何か」が、わからなくなっていた。
学会も日蓮大聖人直結という当然の正義を貫いた。
そのために宗門から「外道」と言われ、破門された。
悪侶の本質・手口はいつの世も変わらない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
御本仏の件は次回に・・
- 31 :もくれん:2008/11/14(金) 09:42:36
- 本日付、11月14日(金)、聖教新聞、5面 「庶民の王者」コーナー
この笑顔の素晴らしいご婦人は、日顕宗から10所帯の法華講員を救ったと・・
このような方こそ、極悪日顕宗との「真のたたかい」の勇者だ。
- 32 :もくれん:2008/11/14(金) 10:55:01
- > 講義終了間際、松本さんが一言言われたのです。
> ご本尊様が迹、私たちが本。
> 何百人の担当者の前での発言です。
> 一斉に、え〜〜??と言う声が上がったことを覚えています。
> 祈って喜ぶのは私たちだよ、ご本尊様じゃない。
> だから本が人間なんだ。
> これでこの会合は終了したのです。
> 私はすぐに松本さんに聞きに行きました。
> 彼は、当時伸一会のメンバーで、しばしば池田先生の直接の御書講義を受ける立場だったんです。
> 先生が教えてくださった。
> お答えがあったんですよ
★ きわどい「デタラメ」又も出現・・
しかし、松本氏なる人物もともかく、沖浦氏が「そういう風に聞こえた
聞こえた、聞こえた、空耳、そらみみ、・・であるとしても、
先生の講義は厳然と「活字」としてある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
池田先生の「観心本尊抄」講義より、 全集24 P225〜
三大秘法の南無妙法蓮華経こそ仏法の究極であり、日蓮大聖人は末法一切衆生の
成仏のために「観心の本尊」としてこれを建立くださり、遺されました。
ゆえに、この「観心の本尊」にこそ、私どもの仏道修行の極理、信心究極の原点
があり、末法万年にわたって、真実の仏法実践の正しき軌道は、これ以外に
ありえないことを、この時にあたり、大聖人の仰せを拝しつつ、はっきりと
確認しておきたいからであります。
言うまでもなく、本尊とは根本として尊敬する当体を言います。
根本として尊敬するとは「帰命」ということであり、帰命する「対境」を
本尊と言うのであります。
さて、この帰命の対象について、大聖人は「御義口伝」に、次のように
教示されております。
「御義口伝に云く南無とは梵語なり此には帰命と云う、人法此れ有り人とは
釈尊に帰命し奉るなり法とは法華経に帰命し奉るなり」御書708P
ここに仰せの「釈尊」とは、「文底独一本門」の教主としての釈尊であり
久遠元初自受用報身、末法御本仏日蓮大聖人御自身であられます。
続く
それにしても「帰命」「対境」が、どこで、「本・迹」に「スリカエ」が
「捏造」されたのか、もし無邪気な気持ちであるとしても、「悪」である
ことは、間違いない。
仏の経文を「捏造」した、かっての歴史上の僧たちのことも、ちょっと
調べてみよう。
- 33 :もくれん:2008/11/14(金) 16:31:24
- >同じように、仏の本分は衆生の救済ですから、曼荼羅が本で威張っちゃうと迹なんですよ。
> 日蓮正宗がそうなんですね。
> 曼荼羅本でお前たち迹。
> でもって、本の曼荼羅取り仕切る俺たち出家、お前より偉いぞ〜〜!
威張っているのは、日顕はじめ、坊主連中
御本尊様そのものが、威張っているのではない
御本尊様を、信徒支配の「道具」に利用しているだけ
御本尊様には、何の責任もない
御本尊様に対する「姿勢」に問題があるのだ、日顕宗は
「聖職者」が介在する宗教の悲劇を、人類は繰り返してきた
御本尊様と衆生との間には、「介在物」は何もない
御本尊様対自分、創価学会員の常識
日顕宗は「法主」を「介在」させないとだめという、
確かに日顕宗は人間のための宗教ではなくなっている
もともと、そうであったが創価学会と一緒だったから、日蓮正宗だった
坊主のための宗教だ、御本尊様が利用されているので、御本尊様そのものは
なんら変わらない、が、日顕宗の題目では功徳はない
たとえ、御真筆の御本尊様があっても
日蓮大聖人のご精神が皆無であるから
日蓮大聖人の血脈が途絶えているから
創価学会だって、「会長が上」「会員が下」「幹部が上」「会員が下」
のような風潮になれば、悲劇の歴史を繰り返す
そのために、常に「幹部革命」がいわれている、実践されている
本日の先生のスピーチも、まさにその通りだ
人間のため・・という着眼点はその通りだが、どうして、変な方向へ
ズレまくるのか、「目的」と「手段・経緯」が異なると、悲劇である
- 34 :もくれん:2008/11/14(金) 16:43:36
- どうして、ズレまくるのか????
師弟がありそうで、ニセモノの師弟
ニセモノの師弟とは、「師匠」の「思い」を、知ろうとしない
自分に都合の良い指導だけ「利用」する
師匠の思いを知れば「支援」に無関心でいられない
師匠の思いを知れば「民音」の、果たす役割を認識できる、
師匠の思いを知れば「役職」を断ることなんてしない・・責任職であるから
名誉職ではない
師匠の思いを知れば「陰の任務」を引き受ける
人間のための宗教・・それを言うのであれば、今からでも遅くない
師匠の思いを知るべく、小説・人間革命・新人間革命を熟読すれば
まだ,軌道修正も不可能ではないだろう
- 35 :もくれん:2008/11/14(金) 23:27:08
- 時乃旅人さんは、M氏の名誉のためにも、タイムリーな書き込みだ
真の正義の方だ、
沖板へ直接行って抗議してこそ、真の正義の人だ
陰で、ゴソゴソ、ウジウジは、正義ではない
やはり、abeさんの忠告はそうなのだろうか?
- 36 :もくれん:2008/11/14(金) 23:42:02
- 本・迹 論 終焉
戒壇様本懐論・破伏のために、哀れなほどの論理組み立て、
法華講からも、あきれられて、底なし沼へ沈みゆく親子
無知ゆえに、毒入り饅頭を勧められて、おいしいと食べる近隣者
- 37 :粛坊:2008/11/14(金) 23:59:49
- >>36
横レスすいませんが。
>無知ゆえに、毒入り饅頭を勧められて、おいしいと食べる近隣者
尾崎紅葉の「紅白毒饅頭」思い出しました。国策の邪教ネガティブキャンペーンに
一役買った事件でしたね。連載新聞小説でした。
- 38 :もくれん:2008/11/15(土) 00:11:54
- >>37 粛坊さん
尾崎紅葉の小説、知りませんでした(恥)
今、時乃旅人さんが、photoさんに「本・迹」論をアプローチしていて
私は、掲示板に飛び入りしたい心境ですが、すでに、やりつくして
終焉宣言しているので、行きませんが、photoさんにも、教義上の
誤りは、誤りとしっかり認識はしていただきたいです。
毒饅頭の毒を、抜かないと・・
- 39 :もくれん:2008/11/15(土) 08:30:30
- 時乃旅人さんに、期待できそう。
バランスが取れていて、久々に次なる展開が待ち遠しい。
- 40 :もくれん:2008/11/15(土) 10:52:50
- いやはや、おかしかった
沖浦さんの板を、さかのぼって点検
ホセ・ラサールさんの改名前の投稿が、興味深い
わりと、伝えたいことを、簡単に明確に書いている
つまるところ
「但し妙法蓮華教と唱え持つと云うとも若し己心の外に法ありと思わば
全く妙法にあらず(そ)法なり」 P383
*鹿が3つの「そ」の字、出せない
一切、自己責任であることを自覚している自分を「本」と、位置づけ
本来・仏である自分を「本」と、位置づけ
そして、他者に同苦し、幸福を祈り・願う自分を「迹」と、位置づけ
でも、仏法用語の、正しい使い方は、頑として拒む
せっかく、その精神は、正しいのであるから、皆に共通の言語を用いれば
賢明であるのだが、
あたかも、犬を猫と言い張るが如きに
ただ、正しい、言語・仏法用語を使えないということそのものが、
生命の濁りでもあるのだが
地動説の人間と、天動説の人間が、お互いの考えをわからず議論している
ようなものである
が、無知とはいえ、作為が無いとは言え「邪義」は「邪義」である
根本は「元品の無明」そのものであるが、師弟の狂い、いや最初から無い故
あたかも、様々な宗教
たとえば「もろみの塔」「幸福のサイエンス」等々
世界平和を言い、人類の幸福を言い、釈迦やキリストの、それらしき
言葉を用い、
かの左翼系政党ですら、世界平和を言い、生命の尊厳を言い、人類の幸福を言う
目的が正しくても、「手段」が正しくなくては、幸福にはならない、人も
幸福にはできない
この場合の「手段」とは、正しい「法」と、正しい「師弟」である
ああ〜〜もう終わり・・あとは時の旅人さんの健闘に期待しよう
- 41 :もくれん:2008/11/15(土) 15:30:40
- 沖浦さんと時乃旅人さんとの「本・迹」対論・・決裂で終わる・・残念
結構いいところまで行ったのだが、沖浦さんの方から、謙虚とはいえないが
「違う理由を書いてもいいですよ」と、非常にめずらしいケースだ
その理由は、後からうなずける
>宗祖日蓮大聖人をも迹仏として貶めています。これでは御本仏日蓮大聖人を”大菩薩”と呼称する身延等と同類であり、
>『種種御振舞御書』(平新P1066)の 『かゝる日蓮を用ひぬるともあしくうやまはゞ国亡ぶべし。』 との誡めに背く謀反者の戯言、亡国の一凶であります。
>(更に言及すれば、創価学会は釈迦仏をも侮蔑していますから身延以上の大謗法とも言えます。)
>〜引用終わり〜
宗門(日顕宗)の批判攻撃に対して、何らかのヒントを得たいと考えたのだろう。
私は「法華経の智慧」や先生の御書講義を読んでも、日蓮大聖人を「蔑ろ」に
しているなんて全く思わないし、宗門が難癖をつけるのは、先生の著書そのもの
だからでもあるだろうし、その他のことでも先生には難癖をつけるのだし
宗門側の難癖に、書籍の内容で反論しても意味のないことだ。
説明したところで、絶対に理解するつもりは最初から無い
説明したところで、絶対に理解するつもりは最初かな無いのは、沖浦氏とて同じ
でも、かろうじて「何とかヒントを得たい」と思ったのはそうなんだろう
それに、時乃旅人さんは「M氏」を直接知っているとのこと・・
うやむやに対処すれば、ぼろがはっきりと出る
ここは、しっかり、多少は「対論」をしないと、と思ったのだろう
それに、photoさんの「心」も、時乃旅人さんは、少し「キャッチ」した
礼節は、バランス感覚でわきまえることができる方だから、
その意味では、photoさんとの対話の回路も事実上絶たれてしまった。
沖浦氏の板であるから・・・残念・・
- 42 :もくれん:2008/11/16(日) 08:55:10
- >大聖人様だけはその原則に従わなくていいんだ。
大聖人様は御本仏ですよ
南無妙法蓮華経は日蓮大聖人様が所持されてい法ですよ
これが、わからないで、教学部教授ですか?
GONさんなる方も同じようなことを言っていたけど
基礎教学の欠如というより「生命の濁り」ですよ
真剣に化他行をやって、生命の浄化に努める以外にないですね
- 43 :もくれん:2008/11/16(日) 08:57:51
- 所持されてい法・・・×
所持されている法・・○
- 44 :とっくり:2008/11/16(日) 10:37:50
- >>42
おはようございます!!
もくれんさん!!
突然の横レス失礼\(__)。
それ、どこのコメント?
- 45 :とっくり:2008/11/16(日) 13:35:24
- >>44
見ましたコメント…。
う〜ん…。ゴンちゃん先走りアタック炸裂…。
余り感心出来ませんなぁ。
説教だな、こりゃ(笑)。
- 46 :とっくり:2008/11/16(日) 13:40:50
- ありゃりゃ。
あの人はゴンさんでゴンちゃんさんでは無いのか…文体も似てるんでつい…。
先走りは俺でした。
話ちょん切っちゃってごめんなさいm(__)m。
- 47 :ぜんまい忍者:2008/11/16(日) 13:52:38
- >>46
とっくりさん、こんにちは。
「ゴンさん」と「ゴンちゃんさん」は同じ人でしょう。私もそのつもりでカキコしましたが・・・・。
- 48 :とっくり:2008/11/16(日) 13:58:31
- ガガーン(゜ロ゜;
聞いてみよ!ε=ε=ε=ε=ε=( ゜∀゜)
- 49 :もくれん:2008/11/16(日) 14:38:37
- >>45 とっくりさん
>余り感心出来ませんなぁ。
>説教だな、こりゃ(笑)。
そうですね、友人と同一人物であれば、親しい友人からの
ご注意が一番いいですね。
- 51 :日々朗らか(決意):2008/11/16(日) 15:01:10
- 横から失礼致しマス♪。
単なるゴンちゃんの勘違いだと思いますよ。
注意(助言)受けてましたでしょ。
彼には、あれで充分伝わってると思いますよ。恐らく……。
因みに、
ほんわかな雰囲気の板では《ゴンちゃん》さん。
真面目な板では《ゴン》さん。
そんな使い分けをしていると認識しております。
彼から直接聞いたわけではありませんがf^_^;。
彼とも長いんです。
ネット掲示板でのお付き合いは(笑)♪。
ゴンちゃんは、大丈夫ですよ。
心配いりません。
- 52 :日々朗らか(決意):2008/11/16(日) 15:09:49
- って……今ソノ板を覗いたら(@_@)、
ハンネの件も、御本仏の件も、
ゴンちゃん一人で解決してるし………。
こういう展開……に、
オラ、またまたドッキリンコしました(>_<)。
ほらね!
大丈夫なんですよ!ゴンちゃんはo(^-^)o!!
遠く離れた地で、先駆長で頑張っておられる尊い方ですからm(__)m。
ゴンちゃんの弱点は、嘘をつけない所ですね。
オレと同じでf^_^;。アハハ♪。
- 53 :もくれん:2008/11/16(日) 15:44:42
- >>51 >>52 日々朗らか(決意)さん
>大聖人は御自身を凡夫と明言されています。又上行菩薩だと。。。
>それなのに、後の宗門は信徒支配の為に利用した。
>大聖人は仏だと。。。<<
>こう申したんです。。。
上4行はゴンちゃんの発言です、貼り付けました、あそこから。
宗門(日顕宗)が信徒支配で利用・悪用していいるのは「御本尊様」です
ですから、悪坊主にだまされている、法華講を救うための脱講活動です。
それが、日顕宗の悪とたたかう、具体的なことですね。
そのほか、破門前も「葬式が困るだろう」の脅しとか、学会に対して
「御本尊様に法主の開眼がなくてはニセ本尊だ」との脅しとか、学会員に対して
「総本山へ来なければ成仏できないという」邪論だとか、学会員に対して
★極め付きは、法主絶対論です・・・
全部、先生のスピーチにあります。私もオアシスや、ここでも少し
書いてあります。
ですから、
★ ★ ゴンちゃんの発言は「ピントはずれ」「カン違い」「間違い」
悪意でないのは、わかっていますが、間違い・間違い・間違い・・です
>ゴンちゃんの弱点は、嘘をつけない所ですね。
>オレと同じでf^_^;。アハハ♪。
そうですね、ずるい人間なら「心でそう思っていても、発言しませんね」
馬鹿正直に書いたことによって、与同罪を免れそうですね。
おめでとうございます。♪ ♪
- 54 :もくれん:2008/11/16(日) 15:48:42
- >>53
悪用していいるのは「御本尊様です」・・・・・・×
悪用しているのは 「御本尊様です」・・・・・・○
- 55 :もくれん:2008/11/16(日) 16:04:49
- >73さん!
>キミね、どーしてそんなにバカになったんだ。
>キミ、創価学会は今でも大聖人様を御本仏として
>奉ってるんだよ。<<
>これって今の宗門の事では、ありませんか。。。
>ほぼ、日蓮宗に近づいている宗門ですよ!
>今に寺内の中、仏像が建立されたりするかも?ですよ。。。
下3行が、ゴンちゃんですね
ゴンちゃんの「カン違い」の原因が、見えてきましたね。
「仏像」なんて、発想、驚きですね。
とにかく、ものすごい、前代未聞の「カン違い」ですね
現役地域幹部としては、見過ごすことのできない「カン違い」ですね
一会員でも、問題多すぎですが、責任職ですから、重大ですね。
家庭訪問しても、今のところは、教学は地区員から質問されても
自分では、答えないで、必ず保留にしておかないといけませんね。
あらためて、信頼できる幹部に、コンタクトを取るべきですね。
- 56 :日々朗らか(決意):2008/11/16(日) 16:05:48
- >>54
【馬鹿】正直っ( ̄▽ ̄;)。タハハ(笑)。
シドイ(>_<)。もくれんさんは、シドイ(-.-;)。あはは(笑)♪。
正直者が馬鹿を見るよな、そんな社会をなくしましょう\^o^/!。
ガンバレ!公明!
ガンバレ!創価学会!
さあ!みんなでエイエイピー(^O^)/!エイエイピー(^0^)/!
あっ……ピーじゃない。オーだった(-.-;)。
因みにこの場合、
ホンが創価学会で、シャクが公明です。
お間違えなくm(__)m。
- 57 :もくれん:2008/11/16(日) 16:25:06
-
115 名前:★ホセ・ラサール★ ◆4cVqan2W.. 投稿日: 2008/11/16(日) 16:03:50 ID:hihFB6a2O
人類が始まって以来ず〜と、本迹を誤ってきたから、真理を掴めなかったからこそ、悲惨の二字から逃れられなかったことを、21世紀こそ自覚しなければならない時期に来ているのです。
支配者が本、民衆が迹、政府が本、国民が迹、官僚が本、庶民が迹、と言ったふうに全ての歯車が連動してしまいます。
根本を変えなければ、悲惨のない平和は、絶対に訪れません。
それは、正しい本迹の解釈こそが、平和への絶対的条件であり、仏法の極意だからなのです。
オバマ氏も正しい変革を訴えています。
116 名前:沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2 投稿日: 2008/11/16(日) 16:16:28 ID:AJ3hr85o0
私はね、私の人生において本は私一人、他は全て迹だと言っています。
この中には御本仏である大聖人様も当然含まれます。
ただね、他の方と大聖人様を比べれば大聖人様は私にとって一億倍以上本です。
信仰の対象ですからね、当然です。
これは他の方も同じですよ。
御本人さんが本。
この点は微動だにしません。
ところが、私が自分が本仏だと言ってる。って、嘘言う人がたくさんいます。
御本仏様は大聖人様ただお一人。
その上で、私の人生では大聖人様も含めて迹、私が本。
だってね、この人生私にとって私のものなんですよ。
これを間違えるとファシズムなんです。
仏法と正反対の側ですね。
すいません、無断転用
じっくり、次レスから、検証いたします
- 58 :日々朗らか(決意):2008/11/16(日) 17:00:51
- >>57
【仏法と正反対の側ですね。
すいません、無断転用
じっくり、次レスから、検証いたします】
◎同志を検証してどおすんの?。
【仏法とは正反対】なんて( ̄▽ ̄;)。
もくれんさんも【勝劣派】ですか?。
と、馬鹿正直なオレが聞いてみたりして(#^.^#)。
- 59 :日々朗らか(決意):2008/11/16(日) 17:24:55
- では、私ももくれんさんに習って、他板より引用。
『おきうらよ。
てめえの息子あれだな。
病院に早く連れてってやんなよ。
手遅れになっちまうぜ。
てめえもいい年ぶっこいてんだから引き際くれえきれいにしとけよ。
馬齢を重ねるだけ重ねただけの洟垂れ小僧が。
Mさんにもきちんとわびをいれとけよ。
逃げ回るしか能のない惨めったらしい親子よ。』
この言葉づかいのほうが、よっぽど問題だと思うんだが(-.-;)。
因みに、もくれんさんが期待していた【時乃旅人】さんの発言です。
- 60 :もくれん:2008/11/16(日) 19:00:18
- >>58 日々朗らか(決意)さん
>【仏法と正反対の側ですね。
>すいません、無断転用
>じっくり、次レスから、検証いたします】
>◎同志を検証してどおすんの?。
>【仏法とは正反対】なんて( ̄▽ ̄;)。
>もくれんさんも【勝劣派】ですか?。
>と、馬鹿正直なオレが聞いてみたりして(#^.^#)。
ちょっと、日々さん、カン違い、ですよ。
最後の2行だけが、私の書き込みですよ
沖浦さんのレスを、板で確認してみてよ
★すいません、無断転用
★じっくり、次レスから、検証いたします
この★マークだけが、私の書き込みですよ、確かに「わかりずらく」書いた
ですが。境界線も入れずに。
>◎同志を検証してどおすんの?。・・これ、日々さんの「言葉」ですね
日々さん、沖浦さんの「衆生己心の妙法が本・曼荼羅が迹」がどうでもいいのであれば
日々さん、「爆弾発言」しますよ、こわいよ・・・・
日々さん「創価学会員として、異常です、異常です、正常ではないです」
日々さん「創価学会員として、クレージーです」
おかしいと判断できなければ、信頼できる先輩幹部に指導を受けて
下さいと前にも、言いましたよね。
判断できないのであれば、沖浦さんとは「付き合う」べきではありません。
判断できるのであれば「沖浦さん、間違っています」と言うべきです。
>と、馬鹿正直なオレが聞いてみたりして(#^.^#)。
確かに「馬鹿正直」の言葉は、使いましたが、ゴンちゃんが
沖浦さんの旧板で、書いたことですね・・・「ビックリするような
とんでもない教義」を書いたんですよ。判断できませんか?????????
でも、ずる賢い人は、人からの批判を恐れて「公」の場では「意見表明」
しません。現場でも、その傾向はあります。
そういう意味で、よくぞ、正直に書いたなあと・・との 感想が
「馬鹿正直」になりました。だって、書いてある内容は、「間違いそのもの」
ですからね。
時乃旅人さんの件は次のレスで・・・・・
- 61 :もくれん:2008/11/16(日) 19:08:35
- 日々さん
時乃旅人さんについて
確かに、その言葉だけ「独立」して、取り上げればかなり「過激」で
問題発言です。
日々さん、沖浦さんのレス・・・良〜〜〜く読んでください
M氏なる「実名」と「具体的職業」を、書いて、
M氏が「教学上」の「捏造」をしたと書いているんですよ。
M氏から「名誉毀損」で、訴えられても当然のことです。
その「犯罪的行為」に対して、「怒り」としては、この場合は
時乃旅人さんの「過激発言」も、限界ぎりぎりではあるが
理解はしています。
「名誉毀損」で訴えられない代わりのようなものですね。
その代わりの「罪状」みたいなものですよ。
時乃旅人さんも、梅さんと、photoさんには「普通」に礼をもって
接しているでしょう。
- 62 :日々朗らか(決意):2008/11/16(日) 19:37:11
- とっくり君。スレッドに関係ない私がしゃしゃり出てゴメンなさいねm(__)m。
もくれんさん。
シャクに障ったらゴメンなさいm(__)m。謝ります。
では、
コチラのスレッドをアトに致しますネ。
お二方に悪いし、私も忙しい(*´ο`*)=3し……。
- 63 :日々朗らか(決意):2008/11/16(日) 19:45:05
- もくれんさん。最後になりますが。
57での
『だってね、この人生私にとって私のものなんですよ。
これを間違えるとファシズムなんです。
仏法と正反対の側ですね。』
これは、沖浦さんの発言でしたね。
納得です。
では、改めてまして、もくれんさん。
コチラはスレッド的に、合いませんので、
私の四畳半か。沖板ツーの私のスレにお越しください。
強制ではありませんし、
別に来なくても結構な事ですがf^_^;。
大変に、お二方には失礼致しましたm(__)m。
スレを汚してゴメンなさいm(__)m。
- 64 :とっくり:2008/11/16(日) 21:42:36
- いや、おら全然構わないっすよ(笑)。
つーか、消化不良だから徹底的にやってくれた方がもくれんさんも良いと思う(勝手に)。
オアシスでも中途半端だったじゃん(笑)。
ね、もくれんさん(* ̄∇ ̄*)。
- 65 :もくれん:2008/11/16(日) 21:48:51
- な〜〜〜に、結局、日々さんは
沖浦氏の「邪義」は、ノーコメントで、立ち去ったわけ??
聞かれもしないことは、どこへでも出没して、口を挟んでいるけれど
肝心なことは、何も答えないの????
さすが、沖浦さんの「直弟子」・・良く訓練がされている
日々さんは、池田先生を「師匠」としてないのは、明白・・
池田先生の「弟子」であるなら「教義」を「アイマイ」には
絶対できない。日々さんは池田先生の「ニセモノの弟子」ですね
文句あるなら、沖浦邪義について、きちんと意見を言う事!!
- 66 :日々朗らか(決意):2008/11/16(日) 21:59:42
- ジャギじゃねえって言ってんだよ(○`ε´○)=3!!
この〜〜〜くそバ〜、
失礼m(__)m。
もくれんさん。
- 67 :とっくり:2008/11/16(日) 22:05:10
- あ、やっぱ止めましょ<(_ _*)>。
- 68 :もくれん:2008/11/16(日) 22:09:29
- 日々さん、もういいよ くそババア・・日々さんの代わり書いたよ
でもね、4+3=7 ですね
これを 4+3=77 と 誰かが勝手に「捏造」したら、世の中
メチャクチャですね
比較は適正でないけど、日蓮仏法の教義を捏造した沖浦さんを
「正しい」と信じている日々さんは、どんなに題目をあげても功徳は
ありません。
日顕宗の題目に功徳が無いのと同じ原理です。
だか〜〜〜ら 地元組織の先輩に「謙虚に」指導を受けたら・・
- 69 :ひでき:2008/11/16(日) 22:22:12
- >>63
いきなり、よこやりを入れる形となりますが、失礼致します。
>コチラはスレッド的に、合いませんので、
>私の四畳半か。沖板ツーの私のスレにお越しください。
いいえ、それをされても、何も変わりません。
沖板であれば、速攻でアク禁になることが、目に見えております。
>>64
>つーか、消化不良だから徹底的にやってくれた方がもくれんさんも良いと思う(勝手に)。
>オアシスでも中途半端だったじゃん(笑)。
この点は、私も同意見です。
ただ、今までの姿勢を考えますと、今のままでは無理かも知れませんね。
富士宮への日帰り旅の感想は、昨日、マイブログに書いた通りです。
- 70 :日々朗らか(決意):2008/11/16(日) 22:37:08
- >>68
くそ馬鹿真面目。って言いたかったのに……f^_^;。
もくれんさん。お休みなさいm(__)m。
とっくり君も、お休みなさいm(__)m。
ひできさんも、お休みなさいm(__)m。
管理人さまも、副管理人さまも、常連の皆さまも、
お休みなさいm(__)m。
- 71 :もくれん:2008/11/16(日) 23:40:47
- >>70 日々さん
私も、もう寝ますけど
日々さん、かわい〜い、憎めな〜い
でもね、根本の教義は、地獄行きも、大げさでないですよ
例えば、大聖人様の時代、念仏とか真言とか「法華経」の
取り扱い方で、大聖人から「地獄行き」と「ぼろくそ」に
破伏されたわけですよね。
ちょっとした「言葉」の使い方とか、「法華経」の取り扱い方
〃 〃 「曼荼羅御本尊」の取り扱い方
ね、共通でしょ。
かなり、真面目に真剣に「取り扱う」べき「事柄」ですよ。
- 72 :ひでき:2008/11/17(月) 00:02:47
- >>71 もくれんさん、お疲れ様です。
私も、こちらの創価系BBSの今後を考えるスレで、BBSに書き込みをする際に注意していることを書き込みました。
雑談であれば、悪ふざけやジョークは認められるべきではあります。
やはり、議論する際に、人から誤解を招く表現をすること、人から好き勝手に解釈される表現をされたり、確実に言えないことであるならば発言をしてはなりませんね。
最近の、議論の成立しないことにそういったことを感じてしまいますね。
これからは、今まで以上に、気をつけたいと思います。
- 73 :もくれん:2008/11/17(月) 08:35:08
- >>72 ひできさん、おはようございます
>確実に言えないことであるならば発言をしてはなりませんね。
そうですね、特に教学上のこと、人権問題に抵触しそうなこと、等々
とりわけそうですね。
ところで、オアシスの、takaさん、光線さん、は、教学的にも
しっかりしていると、思いました、簡単に目を通しただけなのですが・・
普段から友好を深めている友達から、沖浦さんの己義を説明して
もらえれば、日々さんもゴンちゃんも、聞く耳を持ちそうですね。
- 74 :ひでき:2008/11/17(月) 09:19:51
- >>73 もくれんさん、おはようございます。
>オアシスの、takaさん、光線さん、は、教学的にも
>しっかりしていると、思いました
少なくとも正確な引用は、信頼できますね。
>普段から友好を深めている友達から、沖浦さんの己義を説明して
>もらえれば、日々さんもゴンちゃんも、聞く耳を持ちそうですね。
ネットでここまで議論して、平行線でしたので、それ以外道はなさそうですね。
昨晩、オアシスで、那由他 楽人さんが、釘をさしておられましたね。
>そういう「事実を無視した主張」はしてはならないと思います。
那由他 楽人さん・やまいぬ。さんの誠実に対話される姿勢を見習いたいと思いました。
そこで、数日前から、言葉づかいを、より柔らかく・丁寧に変えてみました。
やはり、「文は体」をなしますね。
- 75 :もくれん:2008/11/17(月) 12:04:08
- >>74 ひできさん
>そこで、数日前から、言葉づかいを、より柔らかく・丁寧に変えてみました。
>やはり、「文は体」をなしますね。
そうですね、ネット上とはいえ、ある程度、意思の疎通ができてくれば
「さじ加減」が掴めてきますものね。
誠意には誠意でという、ごく普通の感覚であれば、臨機応変に言葉を
使えますね。
私、さきほど、若鷹で、かなり「キツイ」ことを、ある方に書きました。
無視したいと最初思いましたが、無視するより、はっきり書いた方が
誠実かと思って書きましたが、ご本人にとって、良い方向へ回転して
下さればと念じています。
言葉使いのことを指摘したのですが、本当はその先の「根っこ」が
核心なんですが。でも、言葉使いにその方の「姿」が出ますからね。
真剣な人が、あのような言葉使いをするはずがないですもの。
彼の本質的問題は、所詮「評論家」「批評家」だけで、参加していること
なんです。名無しさんですが。
斧さんが、「自分の意見を発信できない人間は来るな!」との意味の
ことを、以前書いてましたね。
人のレスを評論しているだけの人間は、自分が相手にされていないとの
孤立感、疎外感を、時に感ずるのだと思います。例の若鷹の方、(名無しの方)
私も前に、名無しさんに「ひがみっぽい」ことを言われて、当惑しました。
彼のように「自分を卑下する命の傾向性」は自分の尊厳性を確信できて
いないからなんですね。
一度その「一凶」を切ってあげないと、対話は成立しません、そう思って
書きましたが、とりあえず、恨まれるのは覚悟の上ですが。
- 76 :粛坊:2008/11/17(月) 13:58:49
- 横レス失礼いたします。
ここ数日、私も「御本尊様」に対する学会員としての姿勢について種々思索を重ねてきました。
その思索の中で読んだ本の中に池田先生が簡潔に述べられている書籍がありましたので、紹介いたします。学会員の基本はこうでなければいけないと思います。
沖氏はどう思われるか…。
●若き日の日記より「昭和24年6月1日」
「室(へや)が狭く、御本尊様をお粗末にしているような気がしてならぬ。誠に申し訳ない。御本尊を、粗末にすることは、自己の生命を、粗末にすることと同じだ。一日もはやく、厳(おごそ)かな所に、御安置したい」
- 77 :もくれん:2008/11/17(月) 16:06:54
- >>76 粛坊さん
その「若き日の日記」は、私も読んだことがあります。
これから、日々さんへ、「びっしりと」レスします。
その中で、沖氏の「曼荼羅御本尊」観も記述いたします。
- 78 :粛坊:2008/11/17(月) 16:25:52
- >>77
了解いたしました。
- 79 :もくれん:2008/11/17(月) 16:46:30
- >>66 日々朗らか(決意)さん
★ >ジャギじゃねえって言ってんだよ(○`ε´○)=3!! ★
この日々さんの「魂の叫び」に答えるべくのレスです。
必ず、すみから、すみまで、一文字も読み飛ばすことなく、じっくり
お読み下さい。できれば、2〜3回、繰り返し読んでください。
まず最初に「説教オヤジ・大いに語る」スレッドの 348と350 を
お読み下さい。
★ 単なる勘違いが、ここまでになるのじゃからな。
そうなんです、「カン違い」が出発です。
何か、邪義を「作ろうと」したのではないのは確かです。
カン違い・・「本・迹」の仏法用語の使い方間違い・・これは決定的です。
カン違い・・日蓮大聖人が御本尊を御図顕する「資格」のある御方で
あることを、驚くべきことに、認識がなかった。
御本仏の「名称」は、知っているが。
「オアシスでの、ヒューレボさんとの「対論」で判明」
三大秘法の根本である一大秘法は、「本門の本尊」
これは、日蓮仏法の根幹ですから、当然宗門の人も承知してます。
沖浦さんの板の「73」さんは、ちゃんとわかっています。
この「本門の本尊」の「本尊」の、正確な意味を沖浦さんは、理解できて
いなかった。・・・カン違い
その結果、創価学会教学部編 書籍「教学の基礎」聖教新聞社発行
で、記述されている
★本門の本尊とは、日蓮大聖人が胸中に所持されている、久遠元初の妙法たる
★南無妙法蓮華経であり、またそれを図顕された曼荼羅本尊・・
★ この教学定義を、沖浦氏は「邪義」で、あると言い切りました。
★ そして「邪義」を掲げる創価学会に、退会しないで、会員を続けるそうです。
さて、日々さんが
★ >ジャギじゃねえって言ってんだよ(○`ε´○)=3!! ★
これを主張するのであれば、沖浦さんに、私が書いた「カン違い」を
「進言」しなくては、邪義でないよ の 証明になりません。
続く
- 80 :もくれん:2008/11/17(月) 17:18:35
- >>79 の続き
雛形をつくりました。
沖浦さんが、皆さんに「お詫び」するセリフの見本です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
皆様、この度は私の「カン違い」で、皆様に多大な混乱とご迷惑をおかけいたしました。
その「カン違い」の第一は、仏法用語「本・迹」を自己流で使ってしまいました。
そして、「本門の本尊」の本尊という語彙を「カン違い」してました。
曼荼羅御本尊様との関連で、私の理解が錯綜していました。
その結果、創価学会公式出版物の「本門の本尊」の記述を「邪義」なる
決めつけをしてしまい、一学会員として何とお詫びしてよいか
言葉がありません。
私が自己流で唱えた「衆生己心の妙法が本・曼荼羅が迹」は、全く
私の基礎教学の無知故でして、なんらそれ以上の目的はありません。
私自身は我が家の御本尊様には、朝な夕な、日々真剣に勤行・唱題し、
御本尊様を大切にしております。
又、私の自己流教義を主張するあまり、先生の著書の改ざん、恩ある先輩が
あたかも「捏造」したかのような記述、等々
重ねてお詫び申し上げます。
決して、御本仏日蓮大聖人様を、軽んずるとか の 意図は 全く
ありません。が、天城さまに指摘されたとおり
私の自己流教義は、「人本・仏迹」論と、表現されれば、あたかも
日顕が「顕本・蓮迹」論、すなわち「法主絶対論」を唱えた如く
それに准ずる「邪義」と、云われても返す言葉はありません。
まことに、まことに、不徳のいたすところであります。
重ねて、今回の自己流教義の件では、多くの皆様にご迷惑・混乱を招き
ましたこと、深く、深くお詫び申し上げます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つまりですね、日々さん、このくらいの謝罪をしないと日々さんが
★ >ジャギじゃねえって言ってんだよ(○`ε´○)=3!! ★
と言っても「証明」にならないのです。
邪義でない「証明」は、誤りを認めることなんですよ、日々さん・・
日々さん、沖浦さんに、「誤り・間違い・カン違い」を認め、皆さんに
謝罪するように、日々さんが「進言」するべきですよ。
それで、初めて「邪義じゃないよ」と言えるのです。
御本尊様そのものを「軽視」する、「つもり」はなくても
誤りを認めないと、結果的に、大聖人そして御本尊様を「軽視」する
事実は厳然とあるのですよ、日々さん、
★ 人間誰でも、間違い・カン違い はあります。
それを「指摘」された時に、どのような「態度」「姿勢」であるかが
「生命」が浄化されているか、濁っているかの、違いとして顕れます
功徳とは六根清浄なり・・ですよね
あとは、日々さん次第ですよ・・・・・♪♪♪
- 81 :もくれん:2008/11/17(月) 17:36:56
- >>78 粛坊さん
>私自身は我が家の御本尊様には、朝な夕な、日々真剣に勤行・唱題し、
>御本尊様を大切にしております。
これは、私が書いた文ですが、
このような内容の沖浦氏のレスは、現実にあります。
沖浦さんの、新板の「三大秘法関連」スレッド、あるいは「戒壇様関連」
あるいは、オアシスでの私との対話等々
概ね、以下の内容です
日達上人御書写の特別御形木御本尊様に真剣な唱題をして、仏界の生命を
涌現させる自分・・・・・
ですから、御本尊様対自分では、普通らしいです。
御本尊様を軽視してないと、何度も主張してましたが、それはそうなんだと
思います。現実の生活ではですね。
が、例の「人本・仏迹」論を、訂正しなくては、結果として
御本仏そして御本尊様を「軽視」しているのと同じになるわけです。
そのへんの、錯綜が、混乱の原因なんでしょうね。
- 82 :日々朗らか(決意):2008/11/17(月) 20:16:54
- おい!もくれんのくそバ………(糞馬鹿真面目なの意)さん。
こんばんハー(^0^)/!。
ところで、ホン(本)シャク(迹)って、仏法用語なの??。
肩に力(馬鹿の(か)ではないチカラと読む)入りすぎですたいo(^-^)o。
本迹の使い方なんでしょ。
そんなの、ずぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜と、前からわかってたんだじょ(^0^)/!。
沖浦さんも、わかってたんだじょ。
知らなかったのか?。
だったら、『カン違い』が生まれるワナ(-.-;)。
アハハ♪。
もくれんの馬鹿真面目おばちゃんさあ……。
馬鹿正直なオレが言うのもなんだけど………(-.-;)。
『ぶつかり稽古しなさい。』って言ったでしょf^_^;。
しなかった、もくれんさんが悪いのヨンo(^-^)o。
あっ………
調度時間となりました。
今度、漢和辞典で『迹』の漢字を調べてみるね。
そんじゃあ、またm(__)m。
おっとf^_^;!。
41サイのオラを、かわいいなんて言うな(-.-;)!!
照れる(〃д〃)ジャン♪。
- 83 :ひでき:2008/11/17(月) 21:30:21
- >>75 もくれんさん、こんばんは。
>斧さんが、「自分の意見を発信できない人間は来るな!」との意味の
>ことを、以前書いてましたね。
BBS上で議論をしていると痛感致します。
>一度その「一凶」を切ってあげないと、対話は成立しません、そう思って
>書きましたが、とりあえず、恨まれるのは覚悟の上ですが。
貴方らしい書き込みでした。今まで沢山憎まれ役をされてきましたからね。
>>82 日々さん、こんばんは。
オアシスでの那由他 楽人との対話、拝見致しました。
私からも、那由他 楽人さんと同じ事を申し上げます。
「事実を無視した主張」は決してしてはなりません。
そして、議論をする際に、不誠実な発言は慎まれた方が、身のためですよ。
またこの事につきまして、私自身、今まで以上に気をつけて参りたいと存じます。
- 84 :日々朗らか(決意):2008/11/17(月) 21:37:28
- ひできさん。
忠告ありがとうございますm(__)m。
しかし、私は、この私のスタンスは崩しません。
断じて!絶対に!崩しませんよ。
これが信念です。
- 85 :日々朗らか(決意):2008/11/17(月) 21:42:37
- オレほど、誠実な人。
見たことない。
なんてね♪。
ひできさん。
私は、
馬鹿の人には、馬鹿らしく。
慢心の人にも、馬鹿らしく。
誠実な人には、誠実に。
これが、ネット初参加以来、一貫した私の信念です。
悪しからずm(__)m。
- 86 :粛坊:2008/11/17(月) 22:04:33
- >>78
もくれんさん、こんばんは。
私が感じた「沖さんの御本尊観」は以下の通りに分析してみました。
?まず、ここ最近話題になっている「大石寺戒壇本尊」非本懐説を理解した。
?よって沖氏は三大秘法を解釈すると「本門戒壇の本尊」が邪魔になる。(二大秘法?)
?一大秘法が「本門」の題目であり、その論を追及するとどうしても「寛師」の存在が邪魔。(寛師教学排除説)
?歴代書写御本尊はあくまで「曼荼羅」であり「御本尊」ではない。(曼荼羅非御本尊説)
?そこで一旦、「曼荼羅は迹、御本尊は本」と立て分けた。しかし御本尊=曼荼羅本尊であるので
人の仏性こそ本であり、仏性が湧現したら曼荼羅は迹になり得る。(種脱ではなく衆脱相対?)
?よって御本尊根本・御書中心という「学会永遠の指針」は沖氏の論からすると、今後は大きく
飛躍し、「人の仏性こそが本・末法の御本仏蓮祖大聖人は迹」となり今後は民衆仏としての「創価学会仏」
こそが末法の御本仏であると本当は言いたいがまだ「時期尚早」なので取り敢えず現段階としては「曼荼羅だけは
迹」としておこう。
以上、自分で分析して「非常に無理がある論」だと思いました。(笑)
- 87 :ひでき:2008/11/17(月) 22:08:33
- >>85
これで、掲示板に向き合う時の姿勢を貴方に語ることは、最後に致しましょう。
『人から誤解を招く表現をすること、人から好き勝手に解釈される表現をされたり、確実に言えないことであるならば発言をしてはなりません。』
(ここ、本当は、発言をするな、と言いたくなることですが、丁寧に丁寧に。)
その点から見て、最近の真剣に議論されている方に対する貴方の姿勢は、不誠実であると言わざるを得ません。
もちろん雑談の場であれば、悪ふざけやジョークは大いにして下さい。
しかし、議論の場であれば、礼節を弁えることの大切さは、リアルでも、ネットでも、変わりありません。
ですから、もくれんさん、那由他 楽人さんとは誠実な対話をお願い致します。
お2人とも、学会系BBSの世界で私が見た中で、誠実に対話された方TOP3に入れたい方です。
1番されていて素晴らしいと感じたのは、やまいぬ。さんです。
もし、誠実に対話されなければ、議論しても何も意味がございません。
そしてただの時間の無駄です。
つまり書き込む意味すらございません。
他のことに時間をお使い下さい。
その分、雑談で盛り上がっていた方が、様々な意味で得ですよ。
- 88 :日々朗らか(決意):2008/11/17(月) 22:29:19
- >>87
外野が騒ぎすぎです。
ひできさん。
貴方は、那由他さんと私の関係において、外野です。
ガタガタ騒ぐんじゃねえ!!。
ってな感じです(笑)。
いちいち私に、忠告しても、貴方の意見は聞きません。
貴方との関係が浅すぎます。
那由他さんとも、長いんですよ、比較的。
貴方がどうこう言うのは自由です。
仮に、那由他さんが、貴方と同じような事を私に言ったら、
聞く耳を持つでしょう。
何度も申し上げます。
ひできさんからの助言は、
私には、なんの効力もありません。
それは何故か………。
貴方は、【二乗根性丸だし】だからです。
最後に言います。
私と那由他さんとの関係に、
割って入って、邪魔しないでくださいね。
これは、私からのお願いですm(__)m。
では、お休みなさいm(__)m。
- 89 :粛坊:2008/11/17(月) 22:50:06
- >>86の粛坊流分析はかなり「端折った」論ですので取扱いにはご注意ください(笑)
というか、もう「パロディ」の世界ですので。「正確な論」はもくれんさんに乞うご期待!
>>79
正直、笑いましたよ。もくれんさんはさすがですね。ユーモアの素質も兼ね備えた立派な闘士です。
- 90 :ひでき:2008/11/17(月) 23:02:23
- >>88
はじめに、申し上げたはずです。
>最後に致しましょう。
と。
>貴方との関係が浅すぎます。
貴方から見れば、所詮学会系BBSに書き込みはじめてたかだか4ヶ月の何も知らない人間がとなるでしょう。
>那由他さんが、貴方と同じような事を私に言ったら、聞く耳を持つでしょう。
言葉の表現は違えど、すでに仰っております。
>貴方は、【二乗根性丸だし】だからです。
なぜ、そう仰るのでしょうか?
私には、そのおっしゃるわけがわかりません。
>割って入って、邪魔しないでくださいね。
するつもりは、ございません。
ただ、もくれんさんに対する態度が、不誠実過ぎましたので、もともとは、述べました。
もくれんさんは、貴方に誠実に返されているからこそ、あえて申し上げました。
>お休みなさい
お休みなさい。
そして、明日も、日々さんと共々に一歩前進。
- 91 :もくれん:2008/11/18(火) 11:55:34
- >>86 粛坊さん
>「端折った」論ですので・・
いやいや、よくぞ分析なさいました。
確かに、沖氏の板には「創価学会仏の時代」とかのスローガンが
ありましたね。
先生のスピーチにも「創価学会仏」の言葉がありますが、その正確な
意義は、今手元に資料を揃えてないので、自己流では書きませんが、
確かに「民衆こそ主役」「凡夫こそ偉大」と言いたいのですね。
本家本元の創価学会は、もともと「民衆こそ偉大であり皆本来尊い仏」
ということで、前進してきたわけでし、破門前からも、創価学会自体は
そうでしたね。
宗門との関係で、やむを得ず、妥協していた点もあるのですが、
もともと、創価学会自体は「凡夫こそ本来偉大な仏」との価値観ですし
別に、沖氏の主張が「目新しい」「革命的」な沖氏の「発見」では
ないのですが、親子で「我々だけが悟っている」と妄想しているのですね。
この件は、私も、ある一時期、「斧板」で、皆さんと議論しました。
概ね、意見が一致しました。
それで、沖氏に反論すると「凡夫こそ本来偉大な仏」を否定したとみなし
「お前らは、宗門派」と、こうなるのです、そして本気で思い込んで
いるのです。本気だから、どうにもならないのです。
斧氏は「サイコパス」と表現していましたが、私は専門的知識はないので
断言はできませんが「妄想」「迷妄」は確かですね。
- 92 :もくれん:2008/11/18(火) 12:09:59
- >>91の続き
「民衆・凡夫・普通の人間こそが、本来、偉大な仏である」
これを言うために
「衆生己心の妙法が本・曼荼羅が迹」論を、氏は「創った」のですが
「悪意」「作為」が無くても、結果的には、御本仏日蓮大聖人軽視
「御本尊様」軽視、の「大謗法」「大邪義」であることは間違いないです。
無知な人が「毒饅頭」を、毒入りと知らずに食べて、毒にやられるような
ものですね。
毒饅頭を、
製造販売しているのが、沖浦氏です。
製造・販売している本人も、毒入りであることを知りません。
せっかく、おいしい饅頭をどうして食べないのかと、皆を責めます。
どうしても、食べないので、「元祖毒饅頭本舗」の名前を出してきます。
- 93 :粛坊:2008/11/18(火) 14:27:36
- >>91
もくれんさん、たしかに以前「創価学会仏」の話はありました。ただ新聞には掲載
されなかったような気がします。(先師・戸田先生の話の中でのことだった)
また、日淳上人の話の中からの引用ではなかったかと。(牧口先生・戸田先生は元来仏であった云々)
確認してみます。
>本家本元の創価学会は、もともと「民衆こそ偉大であり皆本来尊い仏」
>ということで、前進してきたわけでし、破門前からも、創価学会自体は
>そうでしたね。
はい、その通りです。これはオアシス板にも書き込みしたのですが、歴代会長
の指導で明確なのです。神話的な仏ではなく、ある種の人格的存在者として仏を定義
している。それが遠くは釈尊であり、また、久遠元初自受用報身如来即日蓮大聖人が御本仏
として明確です。そのような「人格的存在者」への努力が可能になり、人格形成運動としての
新しい運動形態が展開したのが牧口先生・戸田先生であり、そして「人間革命」を提唱し更に
大きく展開、発展させたのが池田先生であります。
- 94 :もくれん:2008/11/18(火) 14:32:37
- ゴンさん 投稿者:沖浦克治 投稿日:2008年11月16日(日)14時59分27秒
そのと通りですよ、大聖人様はご自分が御本仏だ何て言われてません。
御書を読むのに難しいところがこれですよ。
あくまでも釈迦本仏のお立場です。
それを、御本仏だと決めたのは後世の弟子なんですよ。
仏法はね民衆が決めるんです。
だからね、仏は迹なんです。
人が本です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★ 末法の御本仏を宣言
池田先生の「諸法実相抄講義」より、 全集24 P32〜〜
「かくの如き等の法門・日蓮を除きては申し出だす人一人もあるべからず
天台・妙楽・伝教等は心には知り給えども言に出し給ふまではなし、
胸の中にしてくらし給えり、其れも道理なり、付属なきが故なり
時のいまだ・いたらざる故に・仏の久遠の弟子にあらざる故に、
地涌の菩薩の中の上首唱導・上行・無辺行等の菩薩より外は、
末法の始の五百年に出現して法体の妙法蓮華教の五字を弘め給うのみ
ならず、宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕すべき人なし、
是れ即本門寿量品の事の一念三千の法門なるが故なり」
先生の講義は、次のレスで書きます。
- 95 :日々朗らか(決意):2008/11/18(火) 20:02:19
- 87:ひでき
08/11/17(月) 22:08:33
>>85
これで、掲示板に向き合う時の姿勢を貴方に語ることは、最後に致しましょう。
……………………………………………
そういたしましょう。
もう、ひできさんに絡む事はないでしょう。
さようならm(__)m。
頑張ってくださいねo(^-^)o。
- 96 :ひでき:2008/11/18(火) 20:18:59
- >>95
共々に、頑張りましょう。
- 97 :もくれん:2008/11/19(水) 09:48:01
- 日々朗らか(決意)さ〜〜〜ん まだ見てますか??
ドブ板の「イカコ」殿は、京阪電車さんではないかな??
ヒロさんとの、会話で、ピーンときました。
あと、文体も、さもありなんという雰囲気ですが
心配しているみたいですよ、日々さんのこと、沖浦シンパと呼んでいたけど・・
心配しているようですよ、日々さんたちのこと、具体的には誰が
「沖浦シンパ」かは、はっきり書いてはないですが、
日々さん、イカコ殿は、間違いなく「京阪電車でGO!」さんですよ
知らない仲では、ないでしょう
昔の友人でしょう
なんとか、コメント、返してあげてください、
- 98 :もくれん:2008/11/19(水) 10:08:22
- >>93 粛坊さん
「創価学会仏」のことは、2007年3月号 池田先生の「生死一大事血脈抄」
講義でも、語られておりますね。
・・・ゆえに戸田先生は「未来の経典には【創価学会仏】の名が記される」
と予見なされました。
大聖人に直結した広宣流布遂行の和合僧団である創価学会は、それ自体が
仏そのものなのである。これが戸田先生の大確信であられた」
戸田先生は幾度も「戸田の命よりも大切な学会の組織」と語られました。・・・
沖浦氏の板のスローガンに「創価学会仏の時代」と、掲げてあるのは
ご本人の好きで自由ですが
「戸田の命よりも大切な学会の組織」これを、本当に実践するのが
条件ですね。創価学会仏の名を標榜するには。
やはり、沖氏は創価学会仏の「真の意味・意義」を、カン違いしているのかと
思いました。
- 99 :もくれん:2008/11/19(水) 10:32:26
- >>94 関連 御文自体が御本仏の宣言ですので、先生の講義は省きます
さて私は沖氏と「対論」を積み重ねてきた人間の一人であるが、
何故「衆生己心の妙法が本・曼荼羅が迹」を主張するのかの探求・リサーチで
あった。
ほぼ解明し尽くしたのであるが、終盤に判明した「御本仏とはどのような
存在の御方かが、わかっていなかった」これは衝撃であったが、
これで「沖氏自説」のバックボーンとして、条件がそろったことになる。
同時進行でウオッチングしていた方は、わかるのであるが「月の砂漠」さんが
「南無妙法蓮華経といっても御本仏のおいのちを離れてありえません」と
どんなに力説しても、相手に通じなかったのは、今にしてみれば、そういうこと
だったのかということである。
とんだ、珍説・邪義・ではあるが、「故意による悪だくみ」「学会の錯乱」
とかの作為は、ないのであろうが「悪」を生じさせる「邪義」であるのは
確かである。根底は「いのちの濁り・元品の無明そのもの」であろう。
一般論的な、精神に関する「病」の名称は、つかみどころのない面もある。
世間の医者でどうなることでもない。
自分の「わがまま」との、たたかいをやるしか「生命の浄化」は不可能だ。
生命が浄化されれば、当たり前のこととして、創価学会公式出版物の記述も
素直に受け入れることができるはずである。
- 100 :もくれん:2008/11/19(水) 11:05:39
- 生死一大事血脈抄より
然れば久遠実成の釈尊と・・・・・・久遠元初の自受用報身如来即日蓮大聖人
皆成仏道の法華経と・・・・・・・・・・文底独一本門の大御本尊
我等衆生との・・・・・・・・・・・・・・私ども
三つ差別無しと・・・・差別があると思うのは真実の仏法ではない
解りて・・・・しかし、事実の上で「解かる」には、深く信心をとって
「以信得入」 「以信代慧」
妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり・・・
・・・・・・・・・・更にわかりやすく書くと・・・・・・・・・・
御本仏日蓮大聖人の御生命も南無妙法蓮華経であり、
その大聖人の御生命をそのまま「すみにそめながして・かきて候」と
仰せられている御本尊も南無妙法蓮華経である。
そして、もったいないことでありますが、わたしども一人一人の生命もまた
同じ南無妙法蓮華経であると、こう信じて、南無妙法蓮華経と唱える時
私どもの生命に生死一大事の血脈、すなわち南無妙法蓮華経の大生命が
脈々と涌現してくるのであります。
先生の講義 全集24より
♪♪♪♪♪ 今回の「珍奇な邪義」騒動であったが、結論は
上記の生死一大事血脈抄を「身で読める」ことが
最終的に大事なことと思う。 ♪♪♪♪♪
- 101 :もくれん:2008/11/19(水) 11:33:49
-
沖氏発言
教義を自由に語れる時代がようやく幕開き致しました。
喜ばしい限りですね。
創価学会員はまだ教義を語り合う事に不慣れです。
宗門別離してまだ20年、無理ないですね。
私は30年以上以前から友人たちと自由に語り合っておりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>宗門別離してまだ20年、無理ないですね
宗門別離と「日蓮仏法の根幹」は、無関係ですよ。
創価学会は何も変わっていませんよ。
もともと、信心の無い宗門が、自分から別れてくれただけですよ。
でも「教義」を自由に語る根拠が「宗門との別離」というのは
さほど「大それた、作為とかではなく、基本的な無知・認識不足」で
自分が「新説派」を立ち上げようとかの、計画性などとは無縁。
本当の本当の下心のある人間は、自分の悪しきたくらみを、ぺらぺら
しゃべらないのでは?
単なる、おっちょこちょい、
説教オヤジさんが言うように、みんなが相手にしなければ、自然消滅?
- 102 :日々朗らか(決意):2008/11/19(水) 16:22:25
- >>97
>ドブ板の「イカコ」殿は、京阪電車さんではないかな??
ヒロさんとの、会話で、ピーンときました。
§§§
えっ………?。
そうなの?。ナラ、なんで【タハン】なの(^o^)?。
っていうか、もくれんさんo(^-^)o!
それ『イカコ』さんじゃなくて『イコカ』さんです(・_・)。恐らく(-.-;)。
>知らない仲では、ないでしょう
昔の友人でしょう
なんとか、コメント、返してあげてください、
§§§
コメントしようにも、【強制アク禁(理由もなく突然にバージョン)】で書き込みできないのデース(^0^)/!。
オアシス板かコチラ板に、
【タハン】の理由を書いた上で『イコカ』さんが来てくれるなら歓迎してカンゲキ♪しますが(-_-)。
あっ………『イカコ』で思い出したんだけど(-.-;)、
『抜きカタナ板』で、オレ、『シオカラ(塩辛)』みたいのに、絡まれたんだけど………(・_・)。
もしや、それは、『イカコの女性バージョン』だったりして(-_-)。
『塩なんとか辛子』っていうハンドルネームなんだけどねf^_^;。
- 103 :もくれん:2008/11/19(水) 21:53:39
- >>102 日々さん
余計なことを言って、煩わせてごめんなさい。
ヒロさんとの「会話」で、何となくピーンときましたが、気にしないで
下さい。
- 104 :日々朗らか(決意):2008/11/19(水) 22:04:07
- >>103
いえいえ(笑)、もくれんさん。
気にします。
彼が、何気なーく、ヒロしゃんに言ったコトバ、忘れましぇん。
- 105 :もくれん:2008/11/20(木) 23:11:48
- 夜桜河童 さん おはようございます 投稿者:沖浦克治 投稿日:2008年11月20日(木)06時59分25秒
人が本、仏は迹。
は、大聖人様の教えです。
私のものではありません。
戒壇様本懐論は、仏(曼荼羅)が本。
信徒(人)が迹。
の代表です。
でも、嘘ですね。
大聖人様の御本懐はそうじゃないでしょう。
金原さんが本までお書きです。
一歩進めただけなんです。
単純明快なんですよ。
仏法は人のための教え。
そうなれば、人の幸福が目的。
法は全てそのための手段。
AのためのBならば、Aが目的でBが手段です。
家を建てるための足場なら、
本が家。
迹が足場。
でも、足場と家とどちらが正しいんだ??!!
なんて、浮かれ騒ぐ人見た事ないでしょう。
何故こんな単純明快な文法が理解できませんかね〜〜??
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>戒壇様本懐論は、仏(曼荼羅)が本。
>信徒(人)が迹。
>の代表です。
大聖人の出世の本懐については、「御書の世界」(熱原法難)で、きちんと
先生の言葉で語られている。沖浦さんとの、対話の際もそれを引用したが全く
聞く耳は持たなかったが、改めて、執着の根強さを痛感する。
「おっちょこちょい」程度では、すまない。
大聖人不在のまま、御本尊を拝する人の祈りは、どうなっているのか?
>法は全てそのための手段。
帰命の対境・・・・手段と帰命では、天と地がひっくり返るようだ。
己義を地元組織でも主張したら、ある意味「アッパレ」
本当に確信あるのであれば、是非「地元で主張したら」
地元で主張すれば「ヤバイ」ことは、承知しているようだ。
「除名」の言葉に怯える。
- 106 :粛坊:2008/11/20(木) 23:31:27
- また無茶な例えを・・・・。
>家を建てるための足場なら、本が家。迹が足場。
沖さん、御本尊は足場ですか・・・困ったな。
- 107 :もくれん:2008/11/20(木) 23:43:16
- >>82 日々朗らか(決意)さん
>『ぶつかり稽古しなさい。』って言ったでしょf^_^;。
>しなかった、もくれんさんが悪いのヨンo(^-^)o。
書籍「教学の基礎」創価学会教学部編
一大秘法は「本門の本尊」
本門の本尊とは、日蓮大聖人が胸中に所持されている久遠元初の妙法たる
南無妙法蓮華経であり、またそれを図顕された曼荼羅本尊
日々さん、沖浦さんは、上記の創価学会公式出版物の記述を「邪義」と
言い切った人ですよ。
「ぶつかり稽古」どころの話ではないですよ。
>>105 も 日々さんからみると「ヒドイ」ことを書いているようですが、
せっかく、池田先生が大聖人の出世の本懐について、懇切丁寧に書いて
下さっていても「無視」する、沖浦さんて「異常」だと思いませんか?
異常だと思わなければ、日々さんは、やはり「異常」ですよ。
それで、平気で「池田先生が師匠です」なんて言える神経がね。
私は、とことん、沖浦さんと「教学対論」してきましたよ。
先生の著書は捏造するし、「ぶつかり稽古」は「反則」だらけでしたよ。
もう書くのやめようと思ったけれど、>>105の「戒壇様本懐論」云々は
さんざ、私とも「ぶつかり稽古」しましたからね、ついに本人が
白状しているから、もはや「対論」ではないけれど、一応、反論はして
おかないとね。
- 108 :日々朗らか(決意):2008/11/21(金) 06:17:19
- >>107
もくれんさん。おはようございますm(__)m。
相手の命を変える事ができなかった………。
だから、貴方の負けなんです。
分かりやすく言えば、
とことんぶつからなかたからこそ、
相手が変わらず、貴方が変わった………。
そういう事です、私が言いたいのは……。
他スレで、ダイ〇年氏の事で色々とありますよね。
斧板絡みで。
彼もそうです。
彼の場合は、顕著ですが。
最近、気づき始めている人たちがおりますね。
ホンシャク論は、教学論で論じるべきではないのではと………。
もう一度、深く思索致しましょう。お互いに。
では!今日も価値的に無事故徹底で。
もくれんさんも、明るく朗らかに元気いっぱいで♪(笑)
頑張ってくださいねo(^-^)o!
- 109 :日々朗らか(決意):2008/11/21(金) 06:44:25
- 【某板より転載】
143:イコカ
08/11/19(水) 21:07:07
めったに見ない板で「イコカ」が話題に出ているなw
先ず言っておくと、抜刀板には行ったことはない。
ましてや塩辛?女性バージョン?・・・何それ?w
「イコカ」=「ICOCA」だよ。“イコカで行こか”だ。
知っている人は知っているさw
………………………………………………
あれれ(@_@)。
ここ、読んでるじゃんo(^-^)o。
来ればいいのにね、イカコさん。
《GO!》とか《行こうか》とか、共通する所があるね。
やっぱし、イカコは、ドブ板専用の名前かな(笑)。
- 110 :もくれん:2008/11/21(金) 12:51:48
- >>108 日々朗らか(決意)さん
>相手の命を変える事ができなかった………。
>だから、貴方の負けなんです。
>分かりやすく言えば、
>とことんぶつからなかたからこそ、
>相手が変わらず、貴方が変わった………。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私、もくれんは「教学上」のことだけ「とことん」ぶつかったのですよ。
私のオアシスのレスなんて、日々さん、まるで読んでいないですね。
教学上の「間違い」は、明確に間違いなんですよ、それでもね
御本尊様に真剣に題目を唱えて、それなりの体験はあるらしいので
1パーセントの可能性を、(教学上の誤りに気づく)求めて、
ギリギリまで、対話しましたよ。
日々さんが「相手の生命を変えられるのなら」
沖浦氏の教学上の「間違い」を撤回させれるのですか?
すぐに、実行してください。
全然「次元」の違う話なんですよ。
オメデタイから、日々さん「しあわせ者」
皆は、日々さんから見ると「難しい話」をしていて、日々さんは
皆の話している「内容」が、全く理解できていない。
オメデタイ、オメデタイ、
- 111 :日々朗らか(決意):2008/11/21(金) 13:20:43
- もくれんさん。
メデタイ事は善い事ですo(^-^)o!
ところで、何故学会員同士で教学論ソウする必要があるのでしょうか。
価値創造しましょうよ。
同じ学会員なんですから。
《味方》、居なくなりますよ。
と、私の《見方》で失礼しますm(__)m。
味のある方は、大事にしましょう。
鋭い視点を持ってるかもしれません(^o^)。
それは、オレだとは言いませんf^_^;。
言ったら慢心になります。
でも言います(笑)。
それは、オレです♪。
アハハ♪!
どぉ?メデタイ?。
- 112 :もくれん:2008/11/21(金) 13:23:05
- >>105
>戒壇様本懐論は、仏(曼荼羅)が本。
> 信徒(人)が迹。
> の代表です。
> でも、嘘ですね。
> 大聖人様の御本懐はそうじゃないでしょう。
> 金原さんが本までお書きです。
> 一歩進めただけなんです
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これが、今回の一連の騒動の「クライマックス」
沖浦説を否定すると「あんたは、戒壇様本懐論者で宗門派」となる。
大聖人の出世の本懐については、近年では、「御書の世界」熱原の法難下
において、先生自身がきちんと語られている。
大御本尊という表現で、さすがに「戒壇」の文字は無いが。
破門前の先生の講義、例えば、観心本尊抄では
「この三大秘法総在の御本尊こそ、弘安二年十月十二日御図顕の
本門戒壇の大御本尊であることは、言うまでもありません。
「聖人御難事」に明らかなように、日蓮大聖人の出世の御本懐はここに
尽きるのであります。末法万年の人類救済のために、完璧に法体は
確立せられたのであります」全集24 P238
「戒壇」の文字の有無はあるが、内容的には、この二つは全く同じである。
ちなみに、「仏教哲学大辞典」2000年発行の巻末の年表には
弘安2年10月12日のところで
一閻浮堤総与の本門戒壇の大御本尊を建立される(曼荼羅脇書)・・とある
続く
- 113 :もくれん:2008/11/21(金) 13:52:01
- >>112の続き
「戒壇様本懐論」・・
私はいわゆる正本堂へ何回か行っている。
あの、中央の大きな大御本尊様が、まぎれもなく大聖人の出世の本懐の
御本尊様と思って参拝していたわけだ。
「金原明彦」氏の本は、その出世の本懐とされる「大御本尊様」が
本当はどうなのか?・・という本らしい・・
弘安2年10月12日に、大聖人が出世の本懐である、「一閻浮堤総与の大御本尊」
を建立されたのは、その通りだ。先述の「御書の世界」
その時の「正真正銘」の「そのもの」かどうかということは
立証するのは、不可能ではないのかもしれないが、果たしてそれを
立証する意味があるのだろうか。
そこで、沖浦氏は、大聖人の出世の本懐は「題目」と、言ってみたりした。
あるいは、振る舞いであると言ってみたりもした。
それも、広い意味では、出世の本懐の中に含まれるであろう。
民衆の幸福の実現が、出世の本懐との、先生の表現もある。
民衆の幸福実現を現実のものにするための「大御本尊建立」である。
出世の本懐として、「大御本尊建立」を、はずしてしまえば完全に間違いである。
戒壇様本懐論・・坊主は、「お山に来て、戒壇様を拝さないと功徳は無い」
と、当然言うであろう。
信徒支配のための、戒壇様利用である。
>>112の内容の続きであるが、
その弘安2年10月12日、御建立の「そのもの」が、今は本当はどうなのか?
どうでもよくは、ないが、知ったところで、仕方ない。
もし、やはり、大石寺の大御本尊様がそうであっても、今は「邪宗」「謗法」の
寺にあるのであれば、どうしようもないし、
破門直後こそ、私の友人でも「又、お山の大御本尊様にお会いしたい」と
言っていた人もいたが、
そこは、ゆるやかなハンドルさばきが、事実あった。
続く
- 114 :もくれん:2008/11/21(金) 14:21:51
- >>113の続き
★ 唱題するその場所が霊山浄土
大聖人の出世の本懐である一閻浮堤総与の大御本尊が信心の根本で
あることは、これからも少しも変わらない。
日達上人は述べられている。
「大聖人はもう亡くなられております。その魂、その大聖人の御魂が、
この戒壇の大御本尊様である。(中略)あなた方の各仏壇に安置する
ところの御本尊様が、大聖人の御精魂である。
大聖人様即、法身報身応身の三身相即したところの御本尊様でございます。」
(1962年 昭和37年 9月7日 小田原教会での説法 日達上人全集)
各家庭の仏壇に御安置した御本尊は、「大聖人の御魂であり、御本仏の当体である」
と拝すべきなのである。そう信じて唱題するとき、そのまま、その場所で
大御本尊を拝していることになる。
日達上人は「御本尊安置の場所がどこであれ、いちおう義の戒壇と申して
その御本尊に向かって一心に余念無く唱うるところのお題目は即座に
本門戒壇の大御本尊に納まり、南無妙法蓮華経と唱えるその場所即霊山浄土
であり、即身成仏のところであります。1977年11月23日 同前)
と述べられている。
世界のいずこの場所であれ、御本尊を信じて、純真な「信心」の一念で
唱えた題目は、即座に大御本尊に通じていく。
「登山しなければ功徳なない」などというのは、先師の指南に背いた
大邪義である。
★★ コメント
ここで、戒壇の大御本尊様という表現は、日達上人から出てますが、
先生は「大聖人の出世の本懐である一閻浮堤総与の大御本尊・・・
という表現をされています。 平成5年9月16日の先生のスピーチ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは、私がオアシスで書いたレスである・・
当時は、まだ、心がゆらぐ会員がいても不思議ではない、配慮を感ずる。
2008年9月29日付けの聖教新聞「秋季彼岸勤行法要での名誉会長のスピーチ」
師弟会館の 「創価学会常住御本尊」
関西の池田記念講堂の「関西常住御本尊」
「法華弘通のはたじるし」1243P
との指導を引かれて、詳しく語られている。
このスピーチから、何を読み取るかは個人差があっても仕方ないが、
沖浦氏の主張の「戒壇様本懐論」は、邪義で、だから一大秘法は題目
これは、飛躍しすぎである。
大聖人の御本懐は、御本懐として、厳然たる事実である。
戒壇様を信徒支配の道具に利用したのは「坊主」であり、
戒壇様といわれる、大御本尊様そのものは、そのままで
しいて言えば、「謗法」の寺にあるのであるから、大聖人御真筆といえど
功徳はない・・これくらいであろう。
沖浦説の「つまずき」は、戒壇様そのものが、何か信徒支配の「悪事」を
なしたかのようなニュアンスで語られてきた。
続く
- 115 :もくれん:2008/11/21(金) 15:09:28
- >>114の続き
ざっくり言えば、大石寺の「戒壇様」に、関心のある学会員は、まだ
いるのかもしれないが、創価学会という仏意仏勅の教団の中での
異体同心の広宣流布への信仰実践がポイントで、御本尊の授与の資格も
この教団にある。それ故、日寛上人御書写の御本尊様を会員に授与して
いるわけである。
宗門(日顕宗)問題を「戒壇様」に帰属させる議論そのものが
ポイントはずれで、宗門は大聖人の御精神・実践が無いのが本質的問題である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
沖氏発言
> 教義を自由に語れる時代がようやく幕開き致しました。
> 喜ばしい限りですね。
> 創価学会員はまだ教義を語り合う事に不慣れです。
> 宗門別離してまだ20年、無理ないですね。
> 私は30年以上以前から友人たちと自由に語り合っておりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
葬儀のこととか、塔婆のこととか、その他、少しずつ変遷を経たが、
あと、昔は地涌の菩薩の眷属と言わなくては、ならなかった時代とか・・
であるが、
教義の根幹の三大秘法は、不変である。
★末法万年にわたって、真実の仏法実践の正しき軌道はこれ以外にありえないことを・・・・
★ このスレッドの >>32 を参照してください
又、本年2008年10月号、大白蓮華 先生の「報恩抄」講義
P58〜
大聖人の弘教の帰結は、広宣流布の法体である三大秘法の南無妙法蓮華経です。
万人の生命に本来、具わる尊極の生命を一人一人に自覚させるために
大聖人己証の尊極の生命をあらわされた「本門の本尊」
南無妙法蓮華経という尊極の生命の名を自行化他にわたって唱えていく「本門の題目」
そして、南無妙法蓮華経への不信を互いい戒め、大法の弘通と立正安国の実現を
誓い合う和合僧を築きゆく「本門の戒壇」
★教義を自由に語り合うといっても、三大秘法を勝手に捏造してはいけない。
いや、捏造しようとしても、「宇宙の法」であるから、絶対に変えられない。
人間の作る「律」は、時代・社会の状況に依って、変わることもある。
「法」と「律」の、区別がつかないのが、沖浦説のつまずきの因の一つでも
あろう。
まことにお粗末な「教義を自由に語り合える」と、さも自分が革命的な
先鋭的な、捨石になるなどと犠牲的精神で語っていたが、
捨石になっていただかなくても、三大秘法は不変ですから。
ノーサンキューですので、
やれやれ、これ以上は、もう無いでしょう。
あとは、池田先生の「御書の世界」の御本尊の項目を良く読むことと
なにしろ、創価学会の中で地道な組織活動、化他の行、陰の任務等々
全て、自得していくものだから。
- 116 :備前:2008/11/21(金) 15:41:57
- >>106 粛坊さん
こんにちは
>また無茶な例えを・・・・。
「>家を建てるための足場なら、本が家。迹が足場。」
>沖さん、御本尊は足場ですか・・・困ったな。
ははは、さすがの粛坊さんも、参りましたか?
私も最初、読んだときは(・o・;アガァ〜ってなりましたが
今日日、喩えとしてもOKでは?
いかな高層ビル建築で、タワ−クレ−ンが有ると言っても足場は必要だと
思いますが、建築関係の方どうなのでしょう?
御本尊様も、私たちが仏界の定業化に成功すれば
必要ではないのではないでしょうか?
如何せん、九界所具の十界をうろついている限りは必要ですね。
なんせ、建設途中で、足場を取っ払う訳にはいきませんから(笑
ただ、こう言う事を書き込むと「新入会員を惑わす論である」とか
「御本尊軽視につながる」とかの意見が出てきますが、
結局の所は、上手く説明出来ない担当者の責任だと思いますし
相談すらしてもらえないのならば、信頼関係を築けていない事を
自身、告白しているようなものだと思います。
やっぱし、うまく説明できないな(^^;
- 117 :もくれん:2008/11/21(金) 15:46:45
- もくれん:2008/11/21(金) 15:39:10 ID:gO.Fk5NY0
>>3 photochika さんだけに
日々さんとは、さんざ、やり取りしてますので、日々さんには「お手上げ」ですので
★2002年発行、書籍「教学の基礎」創価学会教学部編 聖教新聞社発行
★三大秘法の根本は一大秘法、一大秘法とは本門の本尊
★本門の本尊とは、日蓮大聖人が胸中に所持されている久遠元初の妙法たる
★南無妙法蓮華経であり、またそれを図顕された曼荼羅本尊
この創価学会公式出版物の記述を、沖浦さんは、「邪義」と断定発言しています。
この現実は、深刻です。
具体的には、日蓮大聖人否定の暴言です。
創価学会員として、日蓮仏法者として、看過できない発言です。
沖浦さんから
>「私の主張に賛同しなさい」と強制された事もありません。
とのことですが、明確に「沖浦さんは間違っている」と意思表明しなくては
与同罪は免れません。そして、沖浦さんの「間違い」を正してあげなくては
真の友人ではありません。偽りの友人でしょう。
>「自分が本、蓮祖は迹。」という、御書のどこにもない・・・
やまいぬさんが、お聞きしていることも、私が引用したことも
内容的には同じです。
創価学会公式出版物の内容を「邪義」と、断言する沖浦さんです。
もし、ご自分で「判断」が、できないようでしたら
信頼できる組織の先輩幹部に是非、指導を受けるべきです。
このまま、何も言わずに友人の付き合いをするのは、あたかも
日顕宗の邪義を破伏しないで、法華講と節度の無い付き合いをするのも
同然です。日顕宗にも、匹敵するほどの「邪義」ですので。
本来、日顕宗との「たたかい」とは、日顕宗の邪義に騙されている
人たちを、そこから抜け出させてあげて、救うことですが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
沖浦さんの板で、書いたことです。
削除予防で、こちらへも転載しておきます。
- 118 :もくれん:2008/11/21(金) 15:54:48
- >>116 備前さん
>結局の所は、上手く説明出来ない担当者の責任だと思いますし
>相談すらしてもらえないのならば、信頼関係を築けていない事を
>自身、告白しているようなものだと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記3行は、具体的にどういう事か、お時間のある時で結構ですので
詳しく、具体的によろしくお願いします。
更に
>御本尊様も、私たちが仏界の定業化に成功すれば
>必要ではないのではないでしょうか?
私達は、常に自分の生命を、御本尊を「明鏡」にして磨いていないと
すぐに悪縁に染まります。
- 119 :備前:2008/11/21(金) 17:18:25
- こんばんは もくれんさん
>>結局の所は、上手く説明出来ない担当者の責任だと思いますし
>>相談すらしてもらえないのならば、信頼関係を築けていない事を
>>自身、告白しているようなものだと思います。
>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>上記3行は、具体的にどういう事か、お時間のある時で結構ですので
>詳しく、具体的によろしくお願いします。
え〜と、含みはありません。字面そのまんまんですので
分解の仕様がありません
>>御本尊様も、私たちが仏界の定業化に成功すれば
>>必要ではないのではないでしょうか?
>私達は、常に自分の生命を、御本尊を「明鏡」にして
>磨いていないとすぐに悪縁に染まります。
はい!その通りです。
「仏界の定業化に成功すれば」・・・誰が決めるのでしょうね?
自分?なら救いようがないですねv(^^
先生以外、誰も判らないでしょう。
私たちは定業化を目指して、がんばっていく以外ないでしょう?
念のためですが、「足場」と言ったから「御本尊不用」とか
「御本尊を粗末にする」とかは思われないように、お願いいたしますね
- 120 :ひでき:2008/11/21(金) 17:34:30
- >>117
もくれんさん、お疲れ様です。
案の定削除されましたね。
正直なところ、死ぬまで、後付けバイアスによる思いこみは消えないでしょうね。
本当に、徹底的に無視した方が良いかも知れませんね。
自分に好意的なこと以外は、聞きませんからね。
無視するかどうかは、現在考え中です。
- 121 :日々朗らか(決意):2008/11/21(金) 17:53:36
- もくれんさんへ。
沖板ツーの削除理由。
なんだかわかります?。
簡単な事です(^o^)。単に【スレタイに合わない】からです。
管理人の姿勢もあるかもしれませんがf^_^;。
生姜ないんです(-.-;)。
例えば、このスレは、【とっくり君】と【もくれんさん】の対話の部屋です。
でも、コチラの管理人さまが寛大(笑)だから、私たちは、このスレで書き込みできます。
これは管理人さまが存在する掲示板では当たり前なんですo(^-^)o。
もくれんさんが沖板ツーで主張したければ、
それに合ったスレを立てる事をオススメしますo(^-^)o。
- 122 :やまいぬ。:2008/11/21(金) 19:53:56
- もくれんさん。
沖浦さんはOKされました。ご自由にどうぞ。(^^)
- 123 :粛坊:2008/11/21(金) 20:52:47
- 備前さん、こんばんは。
足場の譬えは、更にこの本迹論争を複雑にしましたね。この私ですら飛び付いたのですから(笑)
仏界さえ定まってしまえば御本尊は不要ということになってしまいませんか。
ならば蓮祖はどうだったかといいますと、御自分で認められた曼荼羅本尊に朝夕御祈念申し上げて
おられたという記述が御書にも沢山見受けられます。蓮祖ご自身が御本仏ですから曼荼羅本尊に祈る
必要は無くなります。やはり人法一箇の大御本尊なのですよ。
- 124 :ひでき:2008/11/21(金) 21:53:49
- >>109
ICOCAについて、一言解説を加えます。
首都圏在住者と仙台暮らしている方であれば、SUICAは聞いたことがあると思います。
イオンのWAON,セブンイレブン系のnanacoと同じ、プリペイド式の電子マネー兼乗車カードです。
プリペイド式の電子マネーは、前払い式であらかじめお金を入れて使用します。
で、ICOCAはJR西日本エリアで使われているSUICAと思って頂ければ構いません。
当然、お金が入っていればこのカードが使えるお店と、対応している電車の路線では使えます。
オアシス、去年小野板に書き込んでおられた時のHNは京阪電車でGOでしたね。
関西尾電車つながりという点、フランクで気さくなノリは似ているでしょうか。
オアシスで見たレスでは。
説教オヤジさんが、京阪さんと呼びかけた場面がありましたが、今となっては見ていることをわかっていたのでしょう。
説教オヤジさんの、人を見る時の判断の正しさが、また一つ証明されました。
私が、楠板でのやりとりは、「リアルで揉まれろや!」「長文ダラダラ書いているのは精神病の兆しだぞ」
「だらだら、同意とかしか書かねーから、読み飛ばしてるぞ」意図的に言葉を荒くしましたが、ガンガン叱咤を入れられた記憶がありますね。
他には、田山氏の話に飛んだ時に、私がイコカ氏に質問して、田山氏について確認しあったこともありましたね。
良い思い出です。
論拠ある指摘は素直に受け入れますので。
逆は、一切受け入れませんが。
- 125 :もくれん:2008/11/22(土) 09:23:35
- 日蓮正宗から抜ける事が出来ない、創価学会員のみなさま 投稿者:あ 投稿日:2008年11月22日(土)04時51分29秒
日蓮正宗から抜ける事が出来ない、創価学会員のみなさま
誰の為の信心でしょうか?一緒に考えてみましょう
あなたですか?、それとも日蓮大聖人様ですか
Q1 お題目をあげて、折伏して、幸せに、なる人は、
あなたですか?、それとも日蓮大聖人様ですか
Q2 誰の為に、お題目をあげて、折伏するのですか?
あなたですか?、それとも日蓮大聖人様ですか?
Q3 あなたの心のなかで、本当に、幸せにしたい人は、
あなたですか?、それとも日蓮大聖人様ですか?
Q4 この人生の中の主役は
あなたですか?、それとも日蓮大聖人様ですか?
Q5 あなたの仏の生命 (仏界) は、
あなたの仏界ですか?、それとも日蓮大聖人様の仏界ですか?
QQ あなたの仏界は、日蓮大聖人様の仏界と どちらが素晴らしいのでしょうか
あなたの仏界ですか?、それとも日蓮大聖人様の仏界ですか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>Q5 あなたの仏の生命 (仏界) は、
>あなたの仏界ですか?、それとも日蓮大聖人様の仏界ですか?
>QQ あなたの仏界は、日蓮大聖人様の仏界と どちらが素晴らしいのでしょうか
>あなたの仏界ですか?、それとも日蓮大聖人様の仏界ですか?
★ 仏界の生命といっても、御本仏日蓮大聖人の「おいのち」を離れて
ありえない。
御本仏の「おいのち」と、それをそのまま図顕した「御本尊」と我等の「いのち」と
この三つ、全く差別なしと「解りて」・・・題目を唱える・・
この場合の「解りて」とは、「信」の一字・・・
「あ」さんて、学会員なのかな?
こういう「誤解」というか、基本的には、化他行の実践がなくて
「自得」できてないと、トンチンカンなことを言い出すのかな。
- 126 :もくれん:2008/11/22(土) 09:33:26
- >>119 備前さん
了解しました。
少しですが、備前さんの、表現の手法が、わかりかけてきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>>120 ひできさん
photochikaさんへの、声かけを、再々度トライしてみました、でも
少しづつ、何かを感じて下さると思います。
激励、ありがとうございます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>>122 やまいぬさん
お心遣い、ありがとうございます。
「梅」さんと、何か、話すタイミングがあれば、又参加させていただく
かもしれません。
梅さんとは、真面目な真摯な対話のプロセスが、以前にもありましたので。
- 127 :ひでき:2008/11/22(土) 11:47:30
- >>113
>「金原明彦」氏の本は、その出世の本懐とされる「大御本尊様」が
>本当はどうなのか?・・という本らしい・・
一応、立ち読みながら、熟読した者としてコメントを書きましょう。
写真を重ね合わせるという検証によって、弘安2年に創られた代物ではないという結論を出されております。
ただし、それは、特別な御本尊様があるわけではありません、そこから、御本尊様の存在理由を問う本だと思います。
要するに、特別な御本尊様があるわけではございませんが、御本尊様を軽視しているものではありません、ということです。
- 128 :もくれん:2008/11/22(土) 13:55:58
- >>127 ひできさん
>写真を重ね合わせるという検証によって、弘安2年に創られた代物ではないという結論を出されております。
そうですか、情報ありがとうございます。
考古学等でも、鑑定が難しいことは、あるそうですからね。
弘安2年10月12日の「その実物」は、必ずどこかにあるのでしょうね。
何らかの事故等で紛失・消失無ければですが、
ただ、私たち創価学会員は既に、そういうレベルで、右往左往しませんしね。
- 129 :もくれん:2008/11/22(土) 14:14:27
- >>119 備前さん
>「仏界の定業化に成功すれば」・・・誰が決めるのでしょうね?
>自分?なら救いようがないですねv(^^
時間が経過してから、備前さんの「言いたい」ことがわかりました。
仏界の定業化・・・これは、これで、先生の指導はありますが、
ただ、終着点は無いということなんですよね。三世永遠の生命ですから、
永遠に「たたかい続ける」
永遠に仏と魔との、たたかい
永遠に自身の元品の無明と元品の法性との、たたかい
「たたかい続ける人(凡夫)を仏という」
その代表が、日蓮大聖人であり、遠くは釈尊であり、天台であり
創価の三代の会長であり、
具体的に、何とたたかうかといえば、民衆を苦しめる全ての悪とのたたかい
生命が強靭に、鍛え上げられれば、死に臨んで、スウーと、又、すぐに
「たたかうべく」地涌の戦列に生まれてきて、縦横無尽の活躍ができる・・
あえて言えば、「仏界が定業化している」生命状態ではないかな・・・・
地獄界の苦しみで、死んでいった人は、そのまま、来世も地獄の苦しみが
続く・・必ずしも人間に生まれるとは限らないし・・
先生の膨大な著書に、全て書いてありますが・・・
いずれにしても、先生のスピーチに、たくさん書いてあります。
今は何も正確な資料無しで書いていますので、ご参考までに・・・
- 130 :備前:2008/11/22(土) 18:31:21
- >>123
こんばんは
本当は昼ごろレスする予定だったのですが、思い出せない漢字がありまして
今頃になりました(^^;ゞポリポリ
>仏界さえ定まってしまえば御本尊は不要ということに
>なってしまいませんか。
はい、その通りです。大聖人様と同じ命になるのですから
不要と思います、が、これはあくまで理想であり極端な話です。
過去世・現世・来世、どこを切っても「仏界所具の十界」、
そう簡単にはいかないでしょう。
「仏界の定業化」なんて、私は歴劫修行と思っております。
五百塵点劫か三千塵点劫かはたまた元初までの時を要すのか不明ですけどね
>ならば蓮祖はどうだったかといいますと、御自分で認められた
>曼荼羅本尊に朝夕御祈念申し上げておられたという記述が御書にも
>沢山見受けられます。蓮祖ご自身が御本仏ですから曼荼羅本尊に
>祈る必要は無くなります。やはり人法一箇の大御本尊なのですよ。
すいませんが御書名かペ−ジ数を、教えて頂けますか?
拝読いたしますので
自分の言葉を紡げないもので、以下の所へ逃げ込みます(^^;
http://situmon30.blog122.fc2.com/blog-entry-74.html
今、小野氏の板も役立たずになってしまった(笑
昨日までは飛べていたのに、おかげで苦労しました(笑
- 131 :備前:2008/11/22(土) 18:55:18
- >>126
こんばんは
>了解しました。
>少しですが、備前さんの、表現の手法が、わかりかけてきました。
良きに付け悪しきに付け御理解いただきありがとうございますm(__)m
>>129
>ただ、終着点は無いということなんですよね。
一応、粛坊さんには、時間の長短を書かせてもらいましたが
そのように思います。
>三世永遠の生命ですから、
>永遠に「たたかい続ける」
>永遠に仏と魔との、たたかい
>永遠に自身の元品の無明と元品の法性との、たたかい
>「たたかい続ける人(凡夫)を仏という」
>その代表が、日蓮大聖人であり、遠くは釈尊であり、天台であり
>創価の三代の会長であり、
>具体的に、何とたたかうかといえば、民衆を苦しめる全ての悪とのたたかい
>生命が強靭に、鍛え上げられれば、死に臨んで、スウーと、又、すぐに
>「たたかうべく」地涌の戦列に生まれてきて、縦横無尽の活躍ができる・・
>あえて言えば、「仏界が定業化している」生命状態ではないかな・・・・
上記、思考回路から、ものの見事にゴッソリと抜け落ちておりました(^^;
補強、感謝いたしますm(__)m
- 132 :もくれん:2008/11/22(土) 22:33:41
- 35 :★ホセ・ラサール★ ◆4cVqan2W..:2008/11/21(金) 18:00:17 ID:hihFB6a2O
フォトチカさんと日々さんのスレは使えませんので、こちらから、文章読解力を養うことを、お勧め致します。
「であり」と、断言されておりますね。「またそれを」の「また」という言葉を理解してください。
2002年発行は、もう古いですね。
創価ネットの教学研さん室では、既に一大秘法は封印されております。
当然、私たちも胸中に久遠元初の妙法たる、南無妙法蓮華経を所持しております。
ですから一大秘法は、本門の題目で、間違いないのです。
本迹も一大秘法も、優劣を示すものではありません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この人も、迷妄の一言・・・放って置けばいいことだが、あまりの迷妄ぶりに
ため息が出る、あの板で反論するのも、空しいし、
南無妙法蓮華経といっても、御本仏日蓮大聖人の「おいのち」と無関係に
あるのではないという、基本的なことが欠如しているのは、ホセさんの
「いのちの濁り」以外にない。
無意識にせよ、日々、罪障を重ねていってしまっている、
それでも、生死に関わる一大事が発生して、「何も考えずに」無我夢中で
ただひたすら、題目を唱えれば、いつの間にか、「一大秘法が題目」だなんて
トンチンカンなことが、脳裏から消えているだろうに。
何かあるのは、むしろ「福運」と、捉えるべきだろう。
- 133 :もくれん:2008/11/23(日) 13:44:38
- >>76 梅さん
お久しぶりです。
梅さんは、この掲示板以外は、ほとんどロムしないのですか?
若鷹掲示板で、「天城さん」が、感情論抜きで、理論だけで「理路整然」と
沖浦さんの己義「衆生己心の妙法が本・曼荼羅が迹」
短く表現すれば「人本・仏迹」論ですが、
完膚なきまでに、破折されています。
本当にこの方(天城氏)は、教義上のことのみで、かっての「罵詈雑言」派の
方々とは、一線を画す、お方です。
一読の価値はあります。
まずは、そのへんを、ご参考にされてはいかがですか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
沖浦さんの板へ投稿したものです。
こちらへ、コピーしておきます。
- 135 :ひでき:2008/11/24(月) 01:30:14
- >>133
深夜の書き込みとなります。
沖浦板でのご活躍拝見致しました。
お疲れ様でした。
- 136 :ひでき:2008/11/25(火) 14:16:47
- >>88
>【二乗根性丸だし】
に対する私のアンサーを書きましょう。
例え、二乗の命が強い方であったとしても、仏界の涌現さえあれば、知識から人を照らし行く英知に必ず変わります。
よって二乗根性丸出しそのものが悪いのではなく、そうしたその人の癖を消化していけるかが大事ではないでしょうか?
そうして、実際に変化していることを否定することは、その方自身が、怨嫉に汚れている、魔に負けていると言わざるを得ないのではないでしょうか。
更に言えば、生命が汚れている、師弟の原点が無いとも言えることと思います。
なお、私の十界の状態は、十界を楽しく学ぼう!あなたの生命状態チェック!! によれば、
畜生:2 菩薩:2 縁覚:4 餓鬼:3 声聞:5 天:1 修羅:3 人:4 地獄:4 仏:3、でした。
信心の世界で、年長者だから正しい、たくさんお世話になったそれだけの理由で、相手をただ信じてならないように。
私は、文証・理証の揃った言葉であれば、例え初めての方であっても、箴言は受け入れます、そう心に決めております。
どれだけ、お世話になりましても、それらがない方の御言葉は、お気持ちは頂くことに留めることも、心に決めております。
>>108
>貴方の負けなんです。
何をもって負けとするか、その理由は何か、そして対するあなたが買っているとする理由、何を持って勝ちとするかが大事です。
何も考えずに、そういう考えもありと思い、結果として加担することは、結局のところ人に振り回されていると見ることが大いにできるのではないかと考えます。
- 137 :もくれん:2008/11/25(火) 14:58:45
- >>108 ついでに私も
>最近、気づき始めている人たちがおりますね。
>ホンシャク論は、教学論で論じるべきではないのではと………。
★ 言語道断・・創価学会員で教学部員であるならば「失格」
★ 「本・迹」すら、正しく使えなくて、他者に「二乗根性」などと
説教すること自体、「愚か者」を自称しているも同然。
まずは、最低限、仏法用語くらい、正確に使え!!!!!
- 138 :とっくり:2008/11/26(水) 16:54:03
- >>137
げっ…(汗)。
も、もくれんしゃん。
き、厳しいな…。
基本的スタンスが違うんすよ(ヾ(´・ω・`)。
日々さんのは『会話』なんすよ。信心で論争する事の愚かさを心の髄まで感じてらっしゃる方だから…(多分)。
- 139 :とっくり:2008/11/26(水) 17:00:11
- ついでに…。
日々しゃん!!
ひでき君に対しての『二乗根性丸出し』は訂正しなしゃい!!
謝りなしゃい!!
これは、ダメダメ(`×´)。
- 140 :日々朗らか(決意):2008/11/26(水) 17:15:17
- >>139
やだ(-.-;)。
ヤダヤダヤダ{{(>_<;)}}!!。
絶対にヤダo(^-^)o!!
- 141 :とっくり:2008/11/26(水) 17:17:46
- 人の信心を云々する生命は『二乗』ですよ(-.-)。
- 142 :もくれん:2008/11/26(水) 21:50:15
- もくれん:2008/11/26(水) 20:55:03 ID:gO.Fk5NY0
>>95 梅さん
>『しかるに、沖浦氏は何故「人本仏迹論」を主張したのか?その真意は分かりかねるが」
>と、彼自身が述べられていますね。
>しかし、この検証なしに沖浦説への批判は正確にはありえないと思いませんか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天城氏のように、一切の「感情」抜きであるから「価値」が、あるといえます。
その「感情」抜きで、論理性のみの論を読んで、梅さんとしては「理論的」には
否定はできないと、それでよろしいですか?
まさに、何故、沖浦さんはあのような説を主張するに至ったか、実は
私や、その他の方々で、その検証は、し尽くしました。
ただ、「検証」なるレスを、ここで沖浦さんが板主であるのに、図々しく
展開はできませんよね。エチケットとしても、それで、「けんちゃん・ぎかんちゃん」
にお誘いしたのです。
ヒントの一つとしては、沖浦さんは、「一大秘法」を「お題目」と主張してます。
正確には、一大秘法は「本門の本尊」です、このあたりからも
沖浦説の「ねじれ・混乱」の因はあります。
これ以上は、ご本人の目の前で、書きなぐれませんから。
「けんちゃん・ぎかんちゃん」の「もくれんコーナー」では
かなり、「つまずき・迷妄」の「因」は解析しています。
ロムして、いただくだけでも、参考にしていただけると思います。
>しかし、このような反応は余りにも短絡的思考か、沖浦さんを最初から偏見や色眼鏡で見すぎているように思います。
ここは、私が一番、徹底的にアプローチした部分です。
つまり、沖浦さんは、「凡夫の己心の妙法」 を 「強調したい」わけですね。
しかし、結果として、「表現方法」は「間違い」であり、その間違いを
連続して、継続して、主張すれば「邪義」との、判断をしなくてはならないのです。
誰でも「間違い」「カン違い」は、あります。
誤りを指摘されて、その誤りに気づくか?どうなのかが、分岐点だと
思います。
--------------------------------------------------------------------------------
沖浦さんの板での「梅」さんへの返信レス・・・
相当、沖浦さんに遠慮して書いたけど(他人の家で、図々しくはできないし)
一往、削除される危険を感じそう・・・・なので・・・
- 143 :もくれん:2008/11/26(水) 22:00:38
- ★ これから、先生の「報恩抄」講義を書きます、その前に
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
:★ホセ・ラサール★ ◆4cVqan2W..:2008/11/21(金) 18:00:17
フォトチカさんと日々さんのスレは使えませんので、こちらから、文章読解力を養うことを、お勧め致します。
「であり」と、断言されておりますね。「またそれを」の「また」という言葉を理解してください。
2002年発行は、もう古いですね。
創価ネットの教学研さん室では、既に一大秘法は封印されております。
当然、私たちも胸中に久遠元初の妙法たる、南無妙法蓮華経を所持しております。
ですから一大秘法は、本門の題目で、間違いないのです。
本迹も一大秘法も、優劣を示すものではありません。
沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/23(日) 22:34:31
ホセ・ラサールさんのご引用のご文を、少し詳しく説明致しましょう。
『爾の時に大覚世尊寿量品を演説し然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属したもう、其の所属の法は何物ぞや、法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄なり、例せば九苞淵が相馬の法には玄黄を略して駿逸を取り史陶林が講経の法には細科を捨て元意を取るが如し等、此の四大菩薩は釈尊成道の始、寂滅道場の砌にも来らず如来入滅の終りに抜提河の辺にも至らずしかのみならず霊山八年の間に進んでは迹門序正の儀式に文殊弥勒等の発起影向の諸聖衆にも列ならず、退いては本門流通の座席に観音妙音等の発誓弘経の諸大士にも交わらず、但此の一大秘法を持して本処に隠居するの後仏の滅後正像二千年の間に於て未だ一度も出現せず、』
(曾谷入道殿許御書)
一大秘法とは、〜法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄なり、と仰せですね。
これはねお題目なんですよ。
『日蓮は広略を捨てて肝要を好む所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり、』
(法華取要抄)
お題目だと仰せでしょう。
どう読んだら曼荼羅と読めますか?
生半可な勉強するから仏本人迹論の日蓮正宗に惑わされるのです。
真面目に祈らないからですよ。
一大秘法はお題目。
よく覚えておきましょうね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
続く
- 144 :日々朗らか(決意):2008/11/26(水) 22:02:10
- >>141
とっくりさんのおっしゃる通りです。
何も文句は言えません。
しかし、私は謝りません。
- 145 :とっくり:2008/11/26(水) 22:21:41
- (; ̄Д ̄)?何故『さん』呼び???
- 146 :もくれん:2008/11/26(水) 23:15:01
- >>143の続き 池田大作全集28 「報恩抄」講義 P483〜
御文・・・・
問うて云わく天台伝教の弘通し給わざる正法ありや、
答えて云わく有り求めて云わく何物ぞや、答えて云わく三あり、
末法のために仏留め置き給う迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・天台・伝教等の
弘通せさえ給はざる正法なり、求めて云わく其の形貌如何、答えて云わく
一には日本・乃至一閻浮堤・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし・・・・・
先生の講義 P496〜
本門の教主釈尊を本尊とすべし
そもそも日蓮大聖人の教義の大綱は、宗教の五箇と三箇の秘法である。
宗教の五箇とは、教、機、時、国、教法流布の前後であり、
三箇の秘法とは本門の三大秘法である。
本門の三大秘法というのは、本門寿量品文底秘沈の大法のことである。
この三箇の秘法に開合があり、合すれば唯一大秘法である。
一大秘法とはすなわち本門の本尊である。・・・・・・・・・・★★★
「曾谷入道殿許御書」には、
「大覚世尊仏眼を以って末法を鑒知し此の逆・謗の二罪を対治せしめんが為に
一大秘法を留め置きたもう(中略)爾の時に大覚世尊寿量品を演説し然して
後に十神力を示現して四大菩薩に付属したもう、其の所属の法は何物ぞや(中略)
所謂妙法蓮華教の五字・名・体・宗・用・教の五重玄なり(御書1030P)
と仰せである。
妙法五字とは本門の本尊である。
本尊の所住の処は本門の戒壇であり、本尊を信行することが本門の題目である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ホセ・ラサール氏、沖浦氏が、根拠として用いた御書は、いみじくも
先生も「報恩抄」講義で引用されている。
ただ、「一大秘法」を引用した、箇所は違うが・・
講義に明らかなように、先生は「一大秘法は本門の本尊」と明確に
述べている。
それでも、「一大秘法は本門の題目」・・・ホセ氏
「一大秘法はお題目」・・・・沖浦氏
自説を両氏は、主張するのであろうか?
本門の本尊を「信じて」が前提での「題目」である・・・
何を迷妄しているのか・・・
- 147 :もくれん:2008/11/27(木) 14:32:15
- これからは、「梅」さんへの「専用レス」です。
梅さん、この夏、沖浦さんの、旧板で沖浦さんが「本尊は衆生己心の妙法で、曼荼羅が迹」
が、掲げられ、東国人さんが、乗り込み、「罵詈雑言掲示板」が生まれ、すぐ消え
とりあえず、その後、旧板のスローガンは、降ろされたのですね。
てっきり、沖浦さんも「その気」は、無くなったと解釈していました。
9月中旬頃、突然、又、「一大秘法はお題目」「衆生己心の妙法は本・曼荼羅は迹」
を主張し始め、その勢いは止まることはありませんでした。
10月中旬まで「対話」を続けましたが、氏の「カン違い」の一番の原因は
「本門の本尊」の「本尊」の意味を、完全に「カン違い」しているのです。
もう何度も書きましたが、書籍「教学の基礎」より
三大秘法の根本である一大秘法は「本門の本尊」
「本門の本尊」とは、
日蓮大聖人が胸中に所持されている、久遠元初の妙法たる南無妙法蓮華経であり、
またそれを(そっくりそのまま)図顕された曼荼羅本尊です・・・
ですから「本門の本尊」の本尊とは「法」そのものですし
曼荼羅本尊も「法」そのものです
ただ、曼荼羅本尊は物質という面から、寿命はある・・・
しかし、そこに顕された「法」そのものは永遠である・・
ですから、沖浦氏の「カン違い」は「本尊」の言葉の意味が、正しく理解
できてないことに尽きます。
そして、宗門(日顕宗)との、氏なりの「たたかい」で、味わったこと・・
つまり、宗門は「坊主が御本尊、なかんずく戒壇様を信徒支配のために
道具として利用している・・これはその通りですね」
この、体験が、曼荼羅本尊を、更に「物」として見る傾向に拍車が
かかってしまった・・と、私は推測していますし・・
梅さんは、有名な「創価仏法研鑽掲示板」、ご存知でしょうか?
その板の常連さんとも、何度か意見を交換しましたが、概ね、意見は一致
しております。
その板の常連さんは、ここ数年間、沖浦氏とは「教学談義」をしてきた
方々です。
沖浦氏の思考の傾向性は、もう見抜ききっていますから。
私なんか、この夏からですから、最初は「ビックリ仰天」でしたが。
続く
- 148 :もくれん:2008/11/27(木) 14:52:17
- >>147の続き 梅さん
原点に戻り
「衆生己心の妙法は本・曼荼羅は迹」・・これは、入り口で「アウト」です
曼荼羅御本尊と私達の関係を「本・迹」で、表現すること自体、間違いですね。
御本尊様は、私達にとって「帰命の対境」であり・・
御本尊を「明鏡」として、己心の仏界の生命を涌現する・・・との表現はしますよね。
以下は、オアシスで書いたものを「貼り付け」ましたが
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
同じく全集から、生死一大事血脈抄から 142P〜
したがって、この「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との
三つと言う表現は、一応、・・・・途中略・・・
再応、元意の辺は、
久遠元初の自受用報身如来 即 日蓮大聖人 と
文底独一本門の大御本尊と
そして、私どもの生命がともに 南無妙法蓮華経であり、
この三つは「まったく差別はないと、解りて、と拝すべきであります。
★これを、差別があると思っていくのは、真実の仏法ではありません。
仏は、素晴らしい特別な存在であるとし、我々衆生は、卑しく
醜い存在であって、とうてい仏になどなれるはずがないと考えるのは
大なる誤りであります。
★ しかしながら、「この三つ全く差別無しと解りて」といっても、
それを、事実のうえで、「解る」・・理解するというところまで
達していないのが、凡夫であります。
★ その場合「解りて」とはどういうことかといえば、
「以信得入」「以信代慧」と示されるごとく「深く信心をとって」
ということになるのであります。
★ともかく、御本仏日蓮大聖人の御生命も南無妙法蓮華経であり、
その大聖人の御生命をそのまま、「すみにそめながして、かきて候」
と仰せられている御本尊も、南無妙法蓮華経である。
★ そして、もったいないことでありますが、
私ども、一人一人の生命もまた、同じ南無妙法蓮華経であると
「こう信じて」、南無妙法蓮華経と唱える時、私どもの生命に
生死一大事の血脈、すなわち、南無妙法蓮華経の大生命が
脈々と湧現してくるのであります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しいていえば、曼荼羅本尊も「本」私達も「本」ですね・・
差別はないのですから、しかし「信」が条件ですよと・・
ですから、「本・迹」の表現は、完全に間違いなんです。
まず、これが第一段階ですが・・
続く・・
御本尊様は、私達にとって「帰命の対境」であり・・
御本尊を「明鏡」として、己心の仏界の生命を涌現する・・・との表現はしますよね。
- 149 :もくれん:2008/11/27(木) 15:12:27
- >>148の続き 梅さん
梅さんの今の心情としては、沖浦さんが「本当は何を言いたいのか」
ここですよね。
沖浦さんは、仏法は人間のためにあるのだ・・人間主義の宗教・・
これを「言いたい」のですが、
確かに宗門は、信徒支配で「御本尊利用」・・
その他「聖職者」を「仲介」させないと、ダメ・・という宗教は人間主義では
ないですね。
日蓮仏法こそ、凡夫が本来、偉大な仏である・・人間主義の最高峰ですよね。
しかし、「間違った、教学表現」の故に、結果としては「邪義」に堕します。
天城氏は、日顕宗と「たたかい抜かれた」お方だそうです。
一切の妥協を許さず「衆生己心の妙法が本・曼荼羅が迹」の表現を見て
これは、日顕宗の「人本・仏迹」論に匹敵する邪義であると断定しました。
天城氏の主張は、全く正論です。
沖浦氏が、自説を「間違いでした、カン違いでした」と撤回しない限り
邪義は邪義のままです。
さて、何故、沖浦氏はここまで自説に執着するのか・・
その原因の一は、前レスでの「本門の本尊」の「本尊」の意味の「カン違い」
これが、ほとんど全てではないでしょうか。
沖浦さんの板の、ホセ・ラサールさんも、同様です。
ホセさんは、オアシスで、良い発言をしています・・
「御本尊を拝する人間の「信力」「行力」こそが、大切であると」
全くその通りなんですが、やはり「本尊」という言葉に「迷妄」が
あります。
沖浦さんの板で、ホセさんと、若干「やり取り」がありますので
ご参照下さい。
続く
- 150 :もくれん:2008/11/27(木) 15:32:22
- >>149の続き 梅さん
沖浦さんの「恥さらし」をするようですが、
オアシスの
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7888/1164545168/
の57です。
> 大聖人様も曼荼羅なしでのお悟りです。
このレスは「衝撃」でした。
御本仏とは、どのような「資格」のお方かの「認識ゼロ」の事実を
知ってしまいました、このことが、自説の「迷妄」を、気づけない
理由のまた一つでもあると、推測いたします。
それから、金原氏の本ですが、
この件については、まずは梅さんの「考え」を先に聞かせていただいた
方が、ベターかと判断します。
とりあえず、簡単ですが、書き連ねてみました。
疑問点等は、できればこの板のこのスレッドに、書いていただくと
ありがたいです。
続く
- 151 :もくれん:2008/11/27(木) 15:35:15
- >>150
最後の
続くは、入力ミス・・
- 152 :風凛 ◆IuSmpGjaC6:2008/11/27(木) 16:07:19
- >>147
>「罵詈雑言掲示板」が生まれ、すぐ消え
もくれんさん。
貴女が上記のように書いた掲示板「破邪抜刀掲示板」は、まだネット上にございます。
貴女が「罵詈雑言掲示板」と感じるのは自由ですが、そこの管理人さんが来られない・見られない「だろう」こちらで第三者に対して「罵詈雑言掲示板」と書いてゆくのはあまり良い事だと感じません。
貴女の個人感想によるものだし、当時のログの有無関係無く、同じURLに該当掲示板がある訳ですから。
言葉の表現は個人の自由でありスルーされるだろうかもしれませんが、見てる方もいますので書きました。
- 153 :もくれん:2008/11/27(木) 16:32:45
- >>152
>「罵詈雑言掲示板」が生まれ、すぐ消え
罵詈雑言であったのは「事実」です。
事実と真実は違う場合があります。
今回のレスは「梅」さん宛で、梅さんの心情に沿った配慮はあります。
罵詈雑言としての掲示板は、一旦消滅したのは事実ですね。
その後のことは、私は知りません。
事実をそのまま、書いただけで、その当時の掲示板の管理人さん、並びに
レス者に見られても、なんら問題はありません。
罵詈雑言は事実です、良否は又別です。
- 154 :もくれん:2008/11/27(木) 16:47:04
- 風凛さん
これから、梅さんとの「対話」が始まりますので
できれば、「雑音」はご遠慮下さい。
念のため、余計な「口出し」は、絶対に謹んで下さい。
梅さんの現在の「心情」に配慮しながらの「対話」であることを
ご理解下さい。
- 155 :風凛 ◆IuSmpGjaC6:2008/11/27(木) 16:47:39
- >>153
>事実と真実は違う場合があります。
上記がお分かりなら結構です。
そうですね、真実が事実と見える事と違う事がございます。私は全てのログが罵倒だと周りの印象つける可能性ありと感じてレスしたまでですので。
もくれんさんが、ご自分の個人の感じ方を「何が何でもどんな場合でも」曲げない方なのだろうと再確認出来たので、十分です。
どういう意味でなのかは、控えます。
レスありがとうございました。
邪魔し失礼致しました。
梅さんとお続け下さい。
- 156 :もくれん:2008/11/27(木) 18:45:44
- 風凛さん
>梅さんの現在の「心情」に配慮しながらの「対話」であることを
>ご理解下さい。
これが、一番、今は肝心なんです。
- 157 :梅:2008/11/27(木) 19:16:19
- もくれんさん
こんばんは
>これからは、「梅」さんへの「専用レス」です。
しかも、私の心情にまで配慮して書かれているとのこと
とても嬉しく、また、ありがたく思います。
私はあまり他の板は見ません。
ですから、前にオアシスで、もくれんさん宛てに書いた以外は、他には投稿していません。
相手が信にたるかどうかは(教義なんかではありませんよ)、私にはとても大切な要素だからです。
貴女はご存知なかったかも知れませんが、この板の主催者である粛坊さんとは
沖浦板で若干のやり取りをしています。
残念ながら、彼とは良い対話にはなりませんでした。
というよりも、マズイ雰囲気で終わっています。
ですから、正直に言えば、この板での書き込みも逡巡するものがあるのです。
さて、ぐたぐた余計なことは置いていて
>原点に戻り
>「衆生己心の妙法は本・曼荼羅は迹」・・これは、入り口で「アウト」です
>曼荼羅御本尊と私達の関係を「本・迹」で、表現すること自体、間違いですね。
本迹の使い方が違うのではないかというご指摘は、確かに伝統的な教学では違うかもしれないですね。
このことは、沖浦板の「三大秘法について考えませんか?」No838での私の投稿の中で
投稿者の多くに見て取れる本迹の混乱について触れるコメントをしました。
しかし、原則的な本迹の理解ではなく使われてる用例もありはしませんか?
たとえば、「眠っている時は迹・起きている時は本」のような場合です。
私は、この用例があまりよく理解できないのです。
貴女は、どう思われますか?
もし、この用例が従来の本迹の用例として合理的説明ができるなら
そこで改めて沖浦さんの本迹の使い方を考察したいと思います。
それから、私は仕事をしながらの投稿ですので、レスが遅れることがあります。
ゆっくりモードでよければと思うのですが、宜しくお願いします。
- 158 :もくれん:2008/11/27(木) 19:25:37
- 梅さん 又続けます
「戒壇様本懐論」これも、相当影響がありますね、沖浦説の成立に。
この戒壇様本懐論は、まさに、沖浦さんの「新板」で、森野さん達と
語り合った、それなりに思い出ですね。
沖浦さんが、大聖人の出世の本懐は、弘安2年10月12日の御建立の
一閻浮堤総与の大御本尊・・は「違う」と主張していました。
その故に、日寛上人の否定・・
一大秘法がお題目との主張は、誰か学会員のブログの影響があると
指摘していた方がいます。
大聖人の出世の本懐はお題目では?と、私見を書いていた「ブログ」の
存在は私も知っています。
案外、沖浦さんも、自説と言っても、他人の書いたものに影響を受けている可能性は
あります。「創価仏法研鑽掲示板」でも話題になりましたが。
ですから、強固に自説を主張するようで、以外と他人に影響を受けています。
オモシロイことがありました。
私との「対話」で沖浦氏が
「宇宙には始まりがある」と、
私「それは違います。仏法の宇宙観では、宇宙は無始無終です、先生も著書で書いています」
沖浦氏「先生と私は考えが違います」
2〜3日後、法華講系の掲示板で、沖氏「宇宙は無始無終です・・」と
白々しく書いていました。早速、「新ネタ」を取り入れていました。
戒壇様本懐論にまつわることも、
全部、「本門の本尊」の「本尊」の「真の意味」の「カン違い」です。
一番、大切なことですが、南無妙法蓮華経といっても、御本仏日蓮大聖人の
「おいのち」を離れては存在しないということなんです。
それが、沖氏には、正しく認識できていません。
己心の妙法といっても、御本仏の「いのち」から離れては、ありえません。
それから、天城氏の破折論文があれほど膨大なのは、次から次へと
自説の根拠として、いろいろ、出してきて、それを一つ一つ破折したからです。
若鷹掲示板では、私も「ひどい目」にあいました。
沖浦父への、対話で使用した先生の文章と
息子への対話で使用した先生の文章が 「合成捏造」されました。
管理人に「削除要請」をしまして、削除してもらいましたが、
とんでもない「捏造教義」を、でっち上げられました。
それから、沖氏の掲示板で「時乃旅人」さんが、怒っていましたが
「M氏」の実名と具体的職業を書いて、彼が先生の講義を結果的に「捏造」
したかのような「発言」がありました。
梅さんも、時乃旅人さんと、あの時、やり取りがありましたね。
自説の「こじつけ」のためには、先生の著書さえ「捏造」の事実・・
ここまでくると「沖浦さんが何を言いたいのか」を理解してあげようと
しても、限界があります。
「ウソ」「捏造」の大量生産のオンパレードでした。
- 159 :もくれん:2008/11/27(木) 19:59:05
- >>157 梅さん
さっそく、この板へお越しいただきありがとうございます。
>貴女はご存知なかったかも知れませんが、この板の主催者である粛坊さんとは
>沖浦板で若干のやり取りをしています。
>残念ながら、彼とは良い対話にはなりませんでした。
>というよりも、マズイ雰囲気で終わっています。
>ですから、正直に言えば、この板での書き込みも逡巡するものがあるのです。
全く、気づいていなくはないですが、粛坊さんは「教学対話」は自由に
広い心で、見てくださっています。
それに、沖浦氏の板では、もはや不可能です、
それに、ここは「説教オヤジ」さんという、頼もしいオヤジさんもおられます。
粛坊さんには、私から「あいさつ」をしておきますから、ご心配なさらないで
下さい。
>本迹の使い方が違うのではないかというご指摘は、確かに伝統的な教学では違うかもしれないですね。
>このことは、沖浦板の「三大秘法について考えませんか?」No838での私の投稿の中で
>投稿者の多くに見て取れる本迹の混乱について触れるコメントをしました。
>しかし、原則的な本迹の理解ではなく使われてる用例もありはしませんか?
>たとえば、「眠っている時は迹・起きている時は本」のような場合です。
>私は、この用例があまりよく理解できないのです。
>貴女は、どう思われますか?
>もし、この用例が従来の本迹の用例として合理的説明ができるなら
>そこで改めて沖浦さんの本迹の使い方を考察したいと思います。
「本・迹」の教学上の使用例は、法華経28品の前半14品が迹門、
後半14品が本門、しかし、日蓮大聖人の文底独一本門から比べると
法華経本門も「迹門」になると・・・
あとは、「発迹顕本」ですね、
他板で恐縮ですが、創価仏法研鑽掲示板
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3764/1223375717/
ここは私も何度かレスさせていただいています。
そのなかで「恋」さんのレスは、私も勉強させていただきました。
教学の論客がそろっています。勿論「うのみ」にはせず、常に先生の著書と
照らし合わせますが、それにしても「正確な論客揃い」です。
「本・迹」関連は 113・136・154
その他、三大秘法関連 71・74・75 大変参考になります。いずれも恋さんですが
まずは、この掲示板を参照していただくと、話がし易いです。
そもそも、この「創価仏法研鑽掲示板」での「三大秘法について考えませんか」
スレッドは、沖浦さんが立てたものです。8月初旬です。
ここを、暇なとき「じっくり」読んでいただくと、沖浦さんの「つまずき」
が一目瞭然です。
>それから、私は仕事をしながらの投稿ですので、レスが遅れることがあります。
>ゆっくりモードでよければと思うのですが、宜しくお願いします。
梅さんのペースで、どうぞ、どうぞ・・
私とて、都合でレスが遅れることもありますでしょうから。
- 160 :風凛 ◆IuSmpGjaC6:2008/11/27(木) 20:37:38
- >>156
もくれんさんへ。
156の件は元より理解しています。
「梅さんへの心情の配慮と抜刀板の件は別個で混ぜるものでは無い」ものですが、貴女の対話の邪魔をするつもりはありません。
掲示板のやりとりで私は、なるべく感情抜きで・意見の内容で見たいと思っていますので。
- 161 :あ:2008/11/27(木) 21:01:31
- >★ 仏界の生命といっても、御本仏日蓮大聖人の「おいのち」を離れて
> ありえない。
>御本仏の「おいのち」と、それをそのまま図顕した「御本尊」と我等の「いのち」と
>この三つ、全く差別なしと「解りて」・・・題目を唱える・・
>この場合の「解りて」とは、「信」の一字・・・
もくれんさん はじめまして、創価公認にいますので
**********************************************
日女御前御返事
此の御本尊全く余所に求むる事なかれ・只我れ等衆生の法華経をたもちて
南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、
一生成仏抄
但し 妙法蓮華経と唱えた持つと云うとも 若し己心の外に法ありと思わば
全く妙法にあらず そ法なり そ法は今経にあらず 今経にあらざれば
方便なり権門なり
故に 妙法と唱え蓮華と読まん時は 我が一念をさして 妙法蓮華経と
名くるぞと 深く信心を発すべきなり
*************************************************:
この 御文を何回も何回も よくよく読んでください。素直にそのまま読んでください。
とにかく、文をそのままよんでみてください。
日女御前御返事
此の御本尊全く余所に求むる事なかれ・只我れ等衆生の法華経をたもちて
南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、
Q◎御本尊は、どこに、おはします、のか?
−−> 御本尊とは、だれの 胸中 を指すのか?
一生成仏抄
但し 妙法蓮華経と唱えた持つと云うとも 若し己心の外に法ありと思わば
全く妙法にあらず そ法なり そ法は今経にあらず 今経にあらざれば
方便なり権門なり
Q◎ 妙法蓮華経と唱えた持つと云うとも どこに 法ありおもうと そ法になってしまうのか?
ーーー> 御本尊のある場所?
一生成仏抄
故に 妙法と唱え蓮華と読まん時は 我が一念をさして 妙法蓮華経と
名くるぞと 深く信心を発すべきなり
Q◎ 何を指して 妙法蓮華経と名くるぞと 深く信心を発すのか?
ーーー> 御本尊の名前は、なに(どの様な行動を)をした人の 一念をさして 妙法蓮華経と言うのか?
よくよく考えてください。
答えは、この御文に、きちんと書かれています。
では、とりあえず
それが、よくわかれば、沖浦親父の言う事が少しは、わかりますよ。
では、さようなら
- 162 :梅:2008/11/27(木) 22:07:40
- もくれんさん
貴女の言われたところに目を通しましたよ。
次の文は、恋さんが154で書かれているものです。
>私は、通底する概念が、勝劣や優劣であるとしたものであって、本と迹に立て分けたものすべてに勝劣があるわけではありません。
>そうした、立て分ける基準に勝劣や優劣の概念を用いると考えるのが妥当だろうと思います。
2行目は何を言われているのか、私には分かりません。
しかし、1行目は「本迹は優劣や勝劣とイコールではない」という沖浦さんの考えに一致していますね。
貴女はどう考えているのですか?
私は恋さんや沖浦さんが言われている考えに立てば
私の前回の投稿で、貴女にどう考えますかと疑問にした
「眠っている時は迹、起きている時は本」という考えも説明できるかと思います。
もちろん、このようにわざわざ本迹を立て分けた意味・意義はあるはずですね。
- 163 :もくれん:2008/11/28(金) 00:06:42
- >>162 梅さん
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そもそも、本迹は、基本的に一つのものに立て分けが行われ、その役割を明確にするためのものでしょう。
法華経であったり、仏であったり、菩薩であったり、一人の人間であったりです。
あなたと私、あれとこれ、などに本迹があるわけでも、本迹の関係にあるわけでもありません。
つまり、『ある一つの事象に対して、その本質を探るために、本と迹に立て分けて、明確化する。』
大聖人の発迹顕本とは、本地垂迹という概念を、大聖人の竜の口の法難に当てはめて捉えた。
そして、それを定義したのは、後世の弟子でしょう。 日寛上人が最初か。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記は、恋さんの154から貼り付けました。
>一つのものに立て分けが行われ、その役割を明確にするためのものでしょう
>あなたと私、あれとこれ、などに本迹があるわけでも、本迹の関係にあるわけでもありません。
>ある一つの事象に対して、その本質を探るために、本と迹に立て分けて、明確化する
★ 結局、同一の体の「立て分け」がポイントですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
タンポポ:2008/11/25(火) 23:43:25 ID:WwDrUF2wO
今日帰りしな国会議事堂を見ていてちょっぴりわかった事。国会議事堂へ選挙で上がれた国会議員は迹。市町村議員や市町村長も迹。国民が本。国民のために働ける国会議員や市町村長や市町村議員は本。国会のためや市町村長利益のために動く国会議員や市町村長や官僚らは迹。国民のために働けている国会議事堂議会が本。市町村民のために働けてる市町村議会が本。と悟り理解できました。国会議事堂議会議員や市町村長や市町村議会議員は本として国民の幸せのために一生懸命本分を尽くして欲しいと願います。チョイ悟りまで。宗教の中でも同じですね。民衆のため人間のための宗教であることが本だね。宗教のために人間では迹だね。
昨夜、タンポポさんの書き込みが「発端」で「もやし夫婦」と論議に
なりましたね、タンポポさんの言うように、「議員たるもの、民のために
尽くせ」それを言うために、上記ように「本・迹」を使用したら「トンチンカン」ですね
ある議員がいて、「民に奉仕の精神で尽くせば、議員として「本」
その同じ議員が、初心の決意を忘却していつしか「宴会に明け暮れ、
賄賂をもらい・・」堕落してしまったら「迹」でしょう。
このように「同じ固体」間での「立て分け」ですね。
仏教哲学大辞典では、恋さんが解説してくださったようには、書いてありませんから
恋さんの解説は貴重でした。
>本と迹に立て分けたものすべてに勝劣があるわけではありません
これは、日蓮大聖人の発迹顕本を言っていると思います。
明日、もう少し準備してから、又書きます。
>本迹は優劣や勝劣とイコールではない」という沖浦さんの考えに一致していますね。
貴女はどう考えているのですか?
ただ、沖浦さんは「違うものどうし」に適用してしまっていますね。
例えば、曼荼羅と衆生・・
曼荼羅御本尊の「本・迹」は、ありますよ。
これは明日書きます。
それから、以前は「友に同苦する自分は迹」「同苦される友は本」などと・・
かなり、沖浦氏自身が使い方が、ころころ変わってはいますが、
又、明日以降、整理してみます。
- 164 :ひでき:2008/11/28(金) 00:12:10
- >>163
こんばんは、もくれんさん、お疲れ様です。
もうF板を御覧になっているかも知れませんが、月の砂漠さんが久々に書き込まれておりましたね。
良かったです、お元気そうで。
彼は、じっくりと物事を考えて、頭を切りかえて行動できる方だなと、改めて思いました。
復帰されて、とても嬉しいです。
- 165 :もくれん:2008/11/28(金) 10:37:37
- >>163 梅さん
>曼荼羅御本尊の「本・迹」は、ありますよ。
これは、誤解されやすいので、いの一番に「正確」に書いておかないと・・・
「御書の世界」単行本は持ってないので、大白蓮華の年月で記します
2003年1月号 御書の世界 第13回 御本尊(下)
★ 32p 名誉会長発言
大聖人は、御自身の己心に根源の妙法を感じ取り、御自身の生命のコスモスを
虚空会を用いて御図顕された。それが、「十界具足」の「曼荼羅御本尊」です。
★ 23p 名誉会長
大聖人は、付嘱を受けた地涌の菩薩の導師である上行菩薩の再誕のお立場から
寿量文底の根源の法である南無妙法蓮華経を直ちに示し、私たちが信受すべき
明鏡として御本尊を顕してくださった。
その際、ただ南無妙法蓮華経だけを示しても、その深い意義は分かりにくい。
そこで、既に広く知られていた虚空会の意義を用いながら、南無妙法蓮華経の
深義を明らかにされたのです。
★ 「本・迹」に立て分ければ、根源の法である南無妙法蓮華経が「本」で
虚空会は「迹」です。
「迹」をもって、「本」を顕すのです。
以上、すべて書いてあるとおりに転載しましたので、又、ご確認いただければ
更に、はっきりします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記は、私が沖裏さんと、まだ好意的に「何とか沖浦さんの言いたいことを
理解しようと、対話していた際に、ねじまげて、捏造されて、更には
耕冶さんとの「対話」で使用した、先生の「引用」と、ドッキングさせ
「合成捏造」して、若鷹掲示板に、書き込まれました。
速やかに、「削除依頼」をして、今は勿論残っていませんが。
その時から、つまり、明確に「捏造」された時点で、私の沖浦さんに
対する「スタンス」が180度変わりました。
ちなみに過去の反逆者の常套手段は、「ウソ」「妄言」
先生のスピーチにも、明確にあります。
日顕も「ウソ」の塊でした。
続く
- 166 :もくれん:2008/11/28(金) 11:09:39
- >>165の続き 梅さん
>>162
>私の前回の投稿で、貴女にどう考えますかと疑問にした
>「眠っている時は迹、起きている時は本」という考えも説明できるかと思います。
眠っている時は迹、起きている時は本・・・
これは、新・人間革命 18巻 148pに記述されている文ですね。
眠っている状態の自分と、起きている状態の自分の「勝劣」は
ちょっとわかりずらいですね。
ただ、明確なのは、「同一人物」の「本・迹」ですね。
沖浦さんは、自分と他者の関係で「本・迹」を使います。
その実例を貼り付けます。沖浦さんの旧板からです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やまいぬさん 投稿者:沖浦克治 投稿日:2008年11月 4日(火)08時29分59秒
少しだけ本迹に関する私の考えを書いておきます。
今日の聖教新聞3面に足立区のことが載っています。
創大での足立区総会、先生がお見えになられ指導をなさいました。
『創価学会の信念とは、代々の会長が犠牲になっても、会員は絶対に犠牲にしないことである。』
先生は、会員が本、ご自分が迹だと仰せなんですよ。
もったいないでしょう。
だから、先生が創価学会をここまでになされたんだと思います。
これが心の底から分かれば、自分はあらゆる事で自分の人生では本。
これがわかります。
そうすると、他のあらゆる方々にとって自分は迹なんだ。
これが分かるんですよ。
どんなに自分が幹部になろうと、どんなに社会で成功しようと、そんなものは他の方々にとっては迹に過ぎない。
これが分かるんです。
これを分かった人は絶対に威張らないし、傲慢にはならないのです。
自分の人生で自分は本だ、だから、苦悩する友人の人生では自分は迹なんだ。
中心はその方なんだ。
自分は意見を絶対に押し付けない。
その人のために祈ろう。
同苦とはね、そう言う行為なんです。
本迹はそのように立て分けるのです。
それが生きた教学です。
私は本迹をそうとらえています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
コメントは次のレスで
- 167 :もくれん:2008/11/28(金) 11:37:58
- >>166の続き
やまいぬさん宛ての沖浦さんのレスですが、この時点では、まだ、やまいぬさんに
沖浦さんも、「自分の思い」を素直に語っています。
関係は、まだ悪化してませんでしたからね。
このレスでの、氏の「言いたい内容」そのものは、間違ってはいないですね。
確かに「会員」を自分の名誉のために「利用」する幹部もいる・・・
一会員でも「成果」のために、友人を「利用」する人もいる・・
つまり、「他者」を自分の「手段」にしてはいけない・・・
あくまで「他者」の真の幸福のための「行動」でなくてはいけない・・
概ね、そのような「意味」で、言っていると解釈します。
その時も、私も「若鷹掲示板」に投稿して、「せっかく、良いことを
言っているのだからこそ、本・迹を正しく使わないと、沖浦さんが「損」
ですよと、かなり好意的に進言しました。
勿論、はぐらかされましたが。
若鷹は、あまり過去ログは大量にありませんので、もう私のレスは
消えていますが。
★ 他者と自分の関係で「本・迹」を使うのは、絶対に間違いです。
伝統的教学としても、やはり、一般論としての「迹」も
影とか跡とかの意味ですから、「本体」があってのことですし
言葉の意味が、時代と、ともに変わる例はありますが、
漢字で表現される「迹」そして同じ「跡」は「表意文字」
ですから、「意」が変化してしまったら、「表意文字」の意味がなくなります。
そのことを「無視」して、大多数の学会員の理解は得られないです。
非常に「損」なことを、わざわざしているのです。
この「損」なことについては、以前から私も進言しました。
他者と自分の関係といえば、タンポポさんが「うのみ」にして
議員と民の関係で「本・迹」を使いました。
日々朗らか(決意)さんも、調子に乗って「創価学会が本・公明党が迹」
なんて、ほざいていましたが、レスは探しませんが・・・
創価学会の「本・迹」といえば、破門前後で、そういえるのかもしれませんが・・
続く
- 168 :もくれん:2008/11/28(金) 12:05:35
- >>167の続き
本題に入らないとですね
>>162
>私は恋さんや沖浦さんが言われている考えに立てば
>私の前回の投稿で、貴女にどう考えますかと疑問にした
>「眠っている時は迹、起きている時は本」という考えも説明できるかと思います。
>もちろん、このようにわざわざ本迹を立て分けた意味・意義はあるはずですね。
極端な例をいえば、正確には「布団」に入っていても、昔の武士など
いつ敵に襲撃されても、反撃できるように、完全には眠ってしまわないで
「緊張状態」でいる場合もありますね。
この状態は「眠っている時」には、該当しませんね。
会社にいて、デスクで仕事をしていると、周囲から見えても、心は「上の空」・・
起きていても、「本」ではありませんね。
新・人間革命の記述の
「眠っている時」は、基本的に「生命活動」がストップしている状態ですね。
夢はどうなのだと言われると、又複雑になるので、ここでは触れませんが・・
今世が終わり、来世が始まり、生命活動が始まる・・
死から次の世への、「中有」の状態が、「眠っている時」に例えられますね。
★ 眠っている時は迹、起きている時は本
については、現時点では「保留」にさせてください。
勿論、先生の著書の一節ですから、「そのとおり」に受け止めていますが
現時点では「合理的」な説明が、できません。
同一人物が「眠っている時」と「起きている時」での「勝・劣」は
あえていえば、生命活動をして「価値を生む」か、生命活動がストップして
いて「何も価値を生み出さないか」くらいしか、考えつきません。
睡眠は、生物にとって生命維持のために絶対必要ですから、その意味でいえば
「価値」そのものですが、・・・ここは、ちょっと難しいですね・・・
続く
- 169 :もくれん:2008/11/28(金) 12:23:00
- >>168の続き 梅さん
新・人間革命 18巻 148p
「百六箇抄」の最後の付文である「立つ浪・吹く風・万物に就いて本・迹
を分け、勝劣を弁ず可きなり」御書 869p
の箇所で、伸一はこう語った。
「立つ浪、吹く風、いっさいの現象について、本迹、勝劣を立て分けて
いきなさいという御文です。つまり、私たちの人生にも、生活にも全部
「本・迹」がある。それを、きちっと見極め、立て分けていかねばならない。
たとえば、眠っている時は「迹」、起きている時は「本」
勉学が本分である学生が、遊びにふけっているのは「迹」
勉学に打ち込んでいるのは「本」といえる。
また、勉強しているといっても、立身出世のための勉強であれば「迹」・・・
少しとばして
ゆえに、広宣流布に生き抜く人生こそが「本」となる。
新・人間革命は「広宣流布」が根本で書かれていますから、一般論としての
「睡眠」が「迹」だけでは、説明できず、
「睡眠状態」は、「広宣流布」の「一念」の意義でいえば、熟睡状態は
「一念」も休止状態ですね。
とりあえず、現時点では、このくらいしか、説明できません。
続く
- 170 :梅:2008/11/28(金) 14:11:31
- もくれんさん
「眠っている時は迹・起きている時は本」のテーマは難しいですね。
ただ言えることは、従来の「月は本・池に映る陰は迹」からでは十分な説明はおそらく不可能でしょうね。
それをあえて説明したりすると、どこかにぎこちなさがでてくると思います。
それでは、正しい解釈になりませんね。
では、どういうアプローチが相応しいか考えましょうよ。
私は、恋さんの「本迹」から貴女が出しておられる次の結論の検証が必要と思います。
>★ 結局、同一の体の「立て分け」がポイントですね。
貴女が「同一の体」という言葉の定義が必要かと思いますが
とりあえず「同一のモノ」として考えて差し支えないとして考察を進めます。
結論から先に言うと、本迹は必ずも同一の体とはいえないようですよ。
「月と池の影は同一の体ではないでしょう」などという屁理屈を言うつもりはありません。
百六箇抄にざっと目を通してくださいませんか。
今日は仕事場に御書を持ってきていないので、正確にあげられませんが、貴女がお読みになれば直ぐわかります。
「天台は迹・日蓮は本」とか「男は本・女は迹」とか体が違うものの間で本迹を論じていますよ。
そういう事例は106の中にいくつでも出てきます。
そもそも、法華経でいえば、前14品と後14品で本迹を言いますね。
本門迹門の立て分けを踏まえるうえで大切なところです。本来の本迹はここにありました。
そして、各品はそれぞれ別の体です。
しかも、大聖人の文底独立本門からは、法華経28品すべてが迹門になってしまいますね。
さて、以上から分かることを簡単にまとめると
?本迹は必ずしも同一の体で論じるものと限らないこと
?本迹は相対的であること
?本迹は流動的であること
?本迹は優劣・勝劣を論じるものとは限らないこと
さらに考察を進めれば、本迹を論じる視点がまだまだ出てくるでしょうね。
ここまでの私の論で異議がありますか?
ネットの対話とかを見ていると、特に教義論が絡む場合、皆さん大変にヘタクソです。
それは、たくさん論点があるものですから、これもあれも言いたくなってしまうからでしょうね。
相手を破折しようとしている時は、特にその傾向が顕著ですね。
東国人さんが沖浦板を訪れた時が典型的な例です。
何ページにもわたるような論文をいっぺんに突きつけられましたね。
あれでは、掲示板のような限定された場所では対話に全くなりません。
私も読むのが嫌になったくらいです。
ですから、もくれんさんとのこの対話では一つ一つテーマを論じるようにしませんか?
現在は、私たちは本迹論の入口にいますよね。
これは、教義を検証する上で、とても重要な出発点だと認識しています。
しかし、この本迹でさえ論点はいくらでも出てきてしまいます。
そこで、まずは上記の?についてのみ論点を絞ってみませんか。
それが解決できたら、あるいは一定の方向がみえたら次に進みましょうよ。
それと、「続く」もよいのですが、あまり長くなると論点がボケてしまう恐れがなきにしもですね。
以上、私の提案を含めて書き込みます。
- 171 :もくれん:2008/11/28(金) 14:22:57
- >>169の続き 梅さん
>>162
>2行目は何を言われているのか、私には分かりません。
>しかし、1行目は「本迹は優劣や勝劣とイコールではない」という沖浦さんの考えに一致していますね。
>貴女はどう考えているのですか?
恋さん、すみません、対話をやりやすくするために「154」全文、転載させて
いただきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3764/1223375717/154
恋:2008/10/12(日) 17:53:15
本迹を勝劣の概念と書いたら、
『大聖人の発迹顕本はどうなのか』と、質問されました。
>>152の先生の指導で、スッキリしますね。
以下、質問への補足です。
本迹も、基本的には【二元論】であって、
本とは、本体・本質・根本という概念に相当し、
迹とは、仮・影・跡(あと)という概念に相当するでしょう。
私は、通底する概念が、勝劣や優劣であるとしたものであって、本と迹に立て分けたものすべてに勝劣があるわけではありません。
そうした、立て分ける基準に勝劣や優劣の概念を用いると考えるのが妥当だろうと思います。
★これらは、善悪などの二元論を考察するときにも、その立て分ける基準を考えるのと同じでしょう。
そもそも、本迹は、基本的に一つのものに立て分けが行われ、その役割を明確にするためのものでしょう。
法華経であったり、仏であったり、菩薩であったり、一人の人間であったりです。
あなたと私、あれとこれ、などに本迹があるわけでも、本迹の関係にあるわけでもありません。
つまり、『ある一つの事象に対して、その本質を探るために、本と迹に立て分けて、明確化する。』
大聖人の発迹顕本とは、本地垂迹という概念を、大聖人の竜の口の法難に当てはめて捉えた。
そして、それを定義したのは、後世の弟子でしょう。 日寛上人が最初か。
私たち凡夫も、仏の生命を開けば、仏の境涯を開けば、発迹顕本したといえるでしょう。
昭和52年当時は、発迹顕本は大聖人に限るのであって、私たち凡夫の発迹顕本を語るのは謗法だと、宗門に叱られましたね(爆)
しかし、定業化できなければ、すぐに別の境涯(命)に移ってしまいますので、その定業化の修行が一生成仏でしょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
梅さん、私も改めて「恋」さんの解説を何度も読んで、「スー」と解かり
かけてきました。が、
最初に読んだ時は、梅さんのように、細かく精緻に読んでいなかったのは確かです。
>1行目は「本迹は優劣や勝劣とイコールではない」という沖浦さんの考えに一致していますね。・・梅さん
>立て分ける基準に勝劣や優劣の概念を用いると考えるのが・・恋さ
★ 結果的に恋さんは「勝劣」が存在すると言っていませんか?
大聖人は「発迹顕本」されて「御本仏」の御立場になりました。
この立て分け自体、当時の普通の門下は、解からなかったかもしれません。
日興上人、日目上人は、勿論「理解」できていたでしょうが、
「御内証」については、先生の「観心本尊抄」講義 全集24 231p
★ 大聖人の御内証においては、久遠の仏としての御境地は、すでに
赫々としてあられたと拝察します。
恩師戸田城聖先生は「清澄寺大衆中」の御文を講義された際、大聖人は
虚空蔵菩薩に、日本第一の智者となし給えと祈願された清澄寺在住の時
すでに御本仏と覚られたと拝せると言われておりました。
事実、もし、末法御本仏としての御境涯を得ておられなかったならば、
32歳の立宗宣言もなかったはずであります。
時すでに釈尊の白法は陰没した末法であることは明々であり、したがって
釈尊の仏法をもって立てられる道理がありません。
釈尊の仏法ではない新たなる仏法を立てられたことは、御自身が末法救済の
御本仏であるとの御確信があったればこそであります。
しかも、大聖人は20余年間、釈尊の法華経を身をもって読みきられ、
大聖人の出現によって釈尊の法華経は虚妄でなくなったといえるまで実践
しぬいて、いよいよ、御自身が御本仏としてのお振る舞いに移られたわけで
あります。・・・講義抜粋はここまで・・・
続く
- 172 :もくれん:2008/11/28(金) 16:09:18
- >>170 梅さん
170と171は、かぶりましたが、
>さて、以上から分かることを簡単にまとめると
>?本迹は必ずしも同一の体で論じるものと限らないこと
そうですね、先生の「いっさいの現象」の表現が正しいと思います。
私の表現は浅はかでした。
>?本迹は相対的であること
これは、OKですね。 五重の相対でも「本迹相対」ですからね
本迹一致派は、間違いですからね。
しかし、ちなみに、相対とは、
a 他との勝劣浅深を比較すること
b 相互に向き合っていること
c 相互に関係を持っていること
d 哲学上「絶対」に対する語で、他との関係において存在すること、あるいは
一定の条件のもとで妥当することをいう
(仏教哲学大辞典より)
aは該当しますが、b c d は 微妙ですね、というより、該当しませんね
「本迹相対」は「a」の意味で使われていて、他の3つは使えませんので
本迹は相対的である・・との表現は、厳密には「正しくない」のでは
本迹は勝劣の概念である・・がやはり「正しい」と思います。
>?本迹は流動的であること
これは、ちょっとまだ、わかりません。
流動的とは具体的に、よくわかりません。
>?本迹は優劣・勝劣を論じるものとは限らないこと
これは、先生が、新人間革命で、明確に
「いっさいの現象について、本迹、勝劣を立て分けていきなさいという御文です」
とありますので、やはり「勝劣」は立て分けるが正解と思います。
論じるというより「立て分ける」が正解と思います。
勝劣の概念は、不可欠ということになりますね。
>さらに考察を進めれば、本迹を論じる視点がまだまだ出てくるでしょうね。
これは、出てくる可能性は否定できないです。
>ここまでの私の論で異議がありますか?
個別に返答したとおりです。
>「天台は迹・日蓮は本」とか「男は本・女は迹」とか体が違うものの間で本迹を論じていますよ
恋さん論の引用です
>そもそも、本迹は、基本的に一つのものに立て分けが行われ、その役割を明確にするためのものでしょう。
>法華経であったり、仏であったり、菩薩であったり、一人の人間であったりです。
>あなたと私、あれとこれ、などに本迹があるわけでも、本迹の関係にあるわけでもありません。
>つまり、『ある一つの事象に対して、その本質を探るために、本と迹に立て分けて、明確化する。
>天台は迹・日蓮は本・・・・「仏」という事象・現象の立て分けですね
>男は本・女は迹・・・人間という事象・現象の立て分けですね
?でのコメントの、通りです。
>まずは上記の?についてのみ論点を絞ってみませんか。
そうですね、?については、納得です。
いや〜〜梅さん、さすがに鋭い(汗)
オアシスでのことを思い出します(喜)
私は?から?まで、簡単に答えてしまったので、梅さんの「考え」を
お待ちします。
- 173 :あ:2008/11/28(金) 16:15:44
- もくれんさん
唐突の投稿申し訳ありません。
もくれんさん 是非、是非、素直に、読んでみてください。
**********************************************
日女御前御返事
此の御本尊全く余所に求むる事なかれ・只我れ等衆生の法華経をたもちて
南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、
一生成仏抄
但し 妙法蓮華経と唱えた持つと云うとも 若し己心の外に法ありと思わば
全く妙法にあらず そ法なり そ法は今経にあらず 今経にあらざれば
方便なり権門なり
故に 妙法と唱え蓮華と読まん時は 我が一念をさして 妙法蓮華経と
名くるぞと 深く信心を発すべきなり
*************************************************:
- 174 :あ:2008/11/28(金) 16:17:44
- この 上記の 御文を何回も何回も よくよく読んでください。素直にそのまま読んでください。
とにかく、文をそのままよんでみてください。
日女御前御返事
此の御本尊全く余所に求むる事なかれ・只我れ等衆生の法華経をたもちて
南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、
Q◎御本尊は、どこに、おはします、のか?
−−> 御本尊とは、だれの 胸中 を指すのか?
A◎我れ等衆生の法華経をたもちて
南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはします
我れ等 = 日蓮大聖人様 と 弟子のわれわれ が
南無妙法蓮華経と唱える時、 胸中の肉団にいます。
御本尊は、日蓮大聖人様と弟子のわれわれなんです。
我れ等 とは、複数をあらわします。
複数の胸中の肉団なんです。
条件は、
此の御本尊全く余所に求めないで、南無妙法蓮華経と唱える事です。
「余所に求むる事なかれ」とは、
只我れ等衆生の胸中の肉団以外にもとめるなという事です。
一生成仏抄
但し 妙法蓮華経と唱えた持つと云うとも 若し己心の外に法ありと思わば
全く妙法にあらず そ法なり そ法は今経にあらず 今経にあらざれば
方便なり権門なり
Q◎ 妙法蓮華経と唱えた持つと云うとも どこに?法ありおもうと
そ法になってしまうのか?
ーーー> 御本尊のある場所?
A◎ 「若し己心の外に法ありと思わば全く妙法にあらず」
「我れ等衆生の法華経をたもちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団」以外の場所
すなわち、南無妙法蓮華経と唱えるわれわれ弟子の胸中の肉団以外にもとめるなと
言う事です。
一生成仏抄
故に 妙法と唱え蓮華と読まん時は 我が一念をさして
妙法蓮華経と名くるぞと 深く信心を発すべきなり
Q◎ 何を指して 妙法蓮華経と名くるぞと 深く信心を発すのか?
ーーー> 御本尊の名前は、なに(どの様な行動を)をした人の
一念をさして 妙法蓮華経と言うのか?
A◎ 「我が一念をさして 妙法蓮華経と名くるぞと」
南無妙法蓮華経と唱える日蓮大聖人様の一念、
また南無妙法蓮華経と唱える弟子のわれわれの一念を
指して、「妙法蓮華経と名くるぞと」
すなわち南無妙法蓮華経は、凡夫の一念の事なんです。。
南無妙法蓮華経と唱える時のわれわれ凡夫の一念が
南無妙法蓮華経なんだと、信じる事なんです。
曼荼羅御本尊を信じる事では、ないのです。
南無妙法蓮華経と唱える時のわれわれ凡夫の一念を信じるのです。
***********************************************
なんの為の信心か?
凡夫の自分が幸せになる為の信心です。
ならば、主人公は、凡夫のわれら、日蓮大聖人様の弟子です。
すなわち、わたしたちです。
日蓮大聖人様のための人生では、ない事がわかると思います。
紙の曼荼羅御本尊を信じるのではなく
わが胸中の宝塔を建てて、我が人生を描いていきましょう。
わが胸中の宝塔、すなわち 南無妙法蓮華経と唱えるわれわれ弟子の胸中の
肉団の南無妙法蓮華経(本当の御本尊)を信じて
紙の曼荼羅御本尊は、
南無妙法蓮華経と唱えるわれわれ弟子の胸中の肉団の南無妙法蓮華経
写した。レントゲン写真だと思ってください。
骨 と レントゲン写真の関係が
↓ ↓ ↓
南無妙法蓮華経と唱えるわれわれ弟子の胸中の肉団の南無妙法蓮華経
と 曼荼羅御本尊の 関係なんです。
説明不足でしょうが、今一度 良く考えて見てください。
では、さようなら
- 175 :もくれん:2008/11/28(金) 16:30:40
- >>174 あ さん
>紙の曼荼羅御本尊を信じるのではなく
>わが胸中の宝塔を建てて、我が人生を描いていきましょう。
>わが胸中の宝塔、すなわち 南無妙法蓮華経と唱えるわれわれ弟子の胸中の
>肉団の南無妙法蓮華経(本当の御本尊)を信じて
後ろの3行は賛成ですが、最初の一行は「問題有り」ですよ。
確かに、御本尊様を「粗末」に扱い、あるいは「御安置」していても
「己心の妙法・つまり胸中の本尊」を、ひらけない方もいます。
「信」の無い方もいます。
しかし、「曼荼羅御本尊」に関しては、先生の講義を「よくよく」熟読
してください。
しかし、三大秘法の根本、一大秘法は「本門の本尊」です。
最近の先生の御書講義、2008年10月号「報恩抄」講義を確認下さい。
「あ」さんの「言いたい」ことは、わかりましたから、もう書かなくても
結構ですよ。
- 176 :もくれん:2008/11/28(金) 16:42:13
- >>175 あ さん
>肉団の南無妙法蓮華経(本当の御本尊)を信じて
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
同じく池田大作全集24から、生死一大事血脈抄から 142P〜
したがって、この「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との
三つと言う表現は、一応、・・・・途中略・・・
再応、元意の辺は、
久遠元初の自受用報身如来 即 日蓮大聖人 と
文底独一本門の大御本尊と
そして、私どもの生命がともに 南無妙法蓮華経であり、
この三つは「まったく差別はないと、解りて、と拝すべきであります。
★これを、差別があると思っていくのは、真実の仏法ではありません。
仏は、素晴らしい特別な存在であるとし、我々衆生は、卑しく
醜い存在であって、とうてい仏になどなれるはずがないと考えるのは
大なる誤りであります。
★ しかしながら、「この三つ全く差別無しと解りて」といっても、
それを、事実のうえで、「解る」・・理解するというところまで
達していないのが、凡夫であります。
★ その場合「解りて」とはどういうことかといえば、
「以信得入」「以信代慧」と示されるごとく「深く信心をとって」
ということになるのであります。
★ともかく、御本仏日蓮大聖人の御生命も南無妙法蓮華経であり、
その大聖人の御生命をそのまま、「すみにそめながして、かきて候」
と仰せられている御本尊も、南無妙法蓮華経である。
★ そして、もったいないことでありますが、
私ども、一人一人の生命もまた、同じ南無妙法蓮華経であると
「こう信じて」、南無妙法蓮華経と唱える時、私どもの生命に
生死一大事の血脈、すなわち、南無妙法蓮華経の大生命が
脈々と湧現してくるのであります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あさん、日蓮大聖人の「御生命」に境地冥合しないと、我等の胸中の「本尊」
も「南無妙法蓮華経の生命」には、なりませんよ・・・・・・理即
「信」の一字が「キーポイント」ですね、常識ですね。
- 177 :梅:2008/11/28(金) 17:03:48
- もくれんさん
?については、お互いに合意できたようですから、次の?を対話しましょう。
一つずつやりましょうね(*^_^*)
恋さんは、本迹を二元論から論じたものとしていますね。
私はそのアプローチが正しいとか間違っているとかは申せません。
しかし、恋さんは西洋的な二元論と東洋的な二元論を一緒くたにしているように思われます。
当然のことながら、このところは厳密に検証される必要がありそうです。
今、仮に「立て分ける」ことを、恋さんや貴女の言う「優劣・勝劣」の基準としましょう。
A>天台は迹・日蓮は本・・・・「仏」という事象・現象の立て分けですね
B>男は本・女は迹・・・人間という事象・現象の立て分けですね
すると、Aは貴女も私も納得できるかも知れません。
しかし、Bは少なくとも「女」である貴女も、あるいは現代のジェンダーの考え方からも
「男が優れ、女が劣るとは、オイオイなんてこと言うの」ってなりませんか?
それは、「解釈の誤解です」なんて言ったって、手遅れになるかも知れないですよね!
そこで、本迹には、貴女があげたa・b・c・dでaの勝劣深浅だけでなく、b・c・dも含むのではないか?
そう考えを進めるのが合理的思考ではありませんか?
つまり、ここでは西洋的な善悪の二元論では行き詰ってしまうと思いませんか?
そこで、上記の問題を解決するには
?相対的とか?流動的の視点での考察が必要かと思います。
それをしないと「眠っている時は迹・起きている時は迹」はいつまでも行き詰ったままです。
結論:本迹は優劣・勝劣・深浅だけではなさそうだ
貴女はどう思いますか?
長くなると論点がボケますから、ここまでで投稿します。
- 178 :あ:2008/11/28(金) 17:15:19
- もくれんさん
残念です。では
- 179 :梅:2008/11/28(金) 17:15:40
- 訂正
起きている時は迹→本 でした
でも、流動的を考察すると、もしかして、逆も真?
- 180 :梅:2008/11/28(金) 17:37:56
- もくれんさん
書き忘れました。
>>?本迹は優劣・勝劣を論じるものとは限らないこと
>これは、先生が、新人間革命で、明確に
>「いっさいの現象について、本迹、勝劣を立て分けていきなさいという御文です」
>とありますので、やはり「勝劣」は立て分けるが正解と思います。
>論じるというより「立て分ける」が正解と思います。
この人間革命の部分はしっかり読まないと、すっと過ぎてしまいます。
それは、私たちは「本迹は勝劣」と最初から思い込んでいるからです。
この文では「本迹、勝劣を分け・・」と書かれていますが
本迹と勝劣の間を「、」で区切り
「本迹の勝劣」とは書かれていませんね。
これは本迹=勝劣だけではないことを前提にしているとも読めます。
ですから、一部の検証だけで、本迹全体を見てしまうわけには行かないと思いませんか?
私が?〜?とあげてみたのも、いろんな観点があるからだと考えてみてください。
ですから、貴女の「正解」の結論も、まだお預けにしておきませんか?
- 181 :もくれん:2008/11/28(金) 18:05:44
- >>177 梅さん
私は御書で「百六箇抄」を、確認しませんで、レスを書くだけで一杯だったのですが
自分として「悔い」が残るので、>>172の補足です。
これは、私の納得のために書くので「気にしないで」ください。
私は、百六箇抄は、目を通したことは勿論ありますが、内容を理解できるように
読んだことはありません・・正直な告白
そこで、今回の「本・迹」論議で、なかんずく「梅」さんの「問題提起」で
向き合ったのが真実です。
信心の古い方は、以前、大白蓮華に先生の「百六箇抄講義」が掲載された
そうで、「本」としては、発刊されていないのかな? 残念ですが、仕方ないです。
2002年発行 仏教哲学大辞典の「百六箇抄」の項目の抜粋
百六箇条からなり、脱に50、種に56箇の本迹を立て分けている。
本抄は大聖人の最要深秘の法門である種脱相対が明らかにされ
大聖人の文底下種仏法を勝、
釈尊・天台の文上脱益を劣とすることを前提に
脱の50箇条では、脱益仏法における本迹・勝劣が示され、
種の56箇条では下種仏法における本迹・勝劣が明かされている
つまり、あくまで「法門」のことであるから・・・・・・それで・・と
確認しなかったのは、私のミスですが、
>「天台は迹・日蓮は本」とか「男は本・女は迹」とか体が違うものの間で本迹を論じていますよ
天台・日蓮 関連では、
本果の妙法蓮華経の本迹・・・・の中で
日蓮は一向本、天台は一向迹
在世観心法華経の本迹・・・の中で
一品二品は在世一段の観心なり天台の本門なり
日蓮が為には教相の迹門なり
脱益像法時剋弘教の本迹・・・では
天台の本迹は倶に日蓮が迹門なり・・・
男女関連では
久遠自受用報身の本迹・・・で
男は本・女は迹・知り難き勝劣なり・・・
私の納得のためなので、転記ミスはご容赦下さい・・・と 見直しはしないので
>天台は迹・日蓮は本・・・・「仏」という事象・現象の立て分けですね
>男は本・女は迹・・・人間という事象・現象の立て分けですね
結果的に「浅はかな」ことを、書きました(汗)右側の私の書いた箇所です。
つまり、あくまで「法門」の勝劣ですから、(ヒヤ汗)
勝手に我流で「解釈」することの、愚かさ痛感・・・
男は本・女は迹 については、私の手持ちの先生の著書に書いてあったのは
記憶してますので、すぐ探すのは大変ですが、機会があれば、読めるでしょう。
いずれにしても、「法門」の勝劣だということで・・・・
でも?は、納得ですから「同一の体」は、完全に「カン違い」ですので・・
- 182 :もくれん:2008/11/28(金) 18:23:18
- 梅さん
これも、私の納得ですから、気にしないで下さい、正規の応答ではないですので。
私にもわかりそうな、御文があります、その一つが、(他にもありそうですが)
とりあえず、ひとつだけ
下種証明・多宝仏塔の本迹
久遠実成・無始無終・本法の妙法蓮華教是真実は本なり
久遠の本師は妙法なり、本有実成釈迦多宝は迹なり
これなんて、もろに 勝劣 そのものと 言えるのでは ?
誰か(例えば恋さんとか、指導役で参加していただきたいですね(ヒヤ汗)
- 183 :梅:2008/11/28(金) 19:15:29
- もくれんさん
>誰か(例えば恋さんとか、指導役で参加していただきたいですね(ヒヤ汗)
ネットには優れている人たちがたくさんいますね。
しかし、私たちの対話ですから、他人に頼る前に自分たちの全知全霊を傾けませんか?
私は貴女の知性に学ぶところが大きいと思ったからこそ、この板に来たのです。
私と粛坊さんは、肌が合わないのですよ(笑)
ですから、このスレ以外に見ていません。
もちろん、貴女が個人的に指導を受けられることは、それがネットであっても全くご自由です。
ただし、対話ではご自分の言葉で語ってくださいね。
私も、出来るだけそうするように努力します。
それと、唱題する時に雑念があってはいけないのかも知れませんが
私は折に触れて、唱題中で考えます。
気がついたとき、直ぐにメモを取ってしまうこともあります。
この対話でも、そのようにして得たことを書き込んでいます。
百六箇抄は私たちのレベルでは、分かったら奇跡ですよね!
先生は戸田先生から最初の1箇条を数日もかけて講義を受けていましたね。
そういう御書ですからねぇ、私にはチンプンカンプンです(^_^;)
私は、本迹にはいろいろあるんだなぁくらいで取り上げたに過ぎません。
それと、偽書説もあることはご存知ですよね。
他宗の血脈書だそうですから、私たちが学ぶのは「コア」の部分で十分ではないでしょうか。
- 184 :もくれん:2008/11/28(金) 22:29:30
- >>177 梅さん
>結論:本迹は優劣・勝劣・深浅だけではなさそうだ
>貴女はどう思いますか?
>長くなると論点がボケますから、ここまでで投稿します。
先生の新・人間革命の「記述」ですが、まぎらわしいのはそうですね。
でも、御書の御文は
「・・万物に就いて本迹を分け、勝劣を弁ず可きなり・・」とあります。
これは、分けて、そして、勝劣を弁ぜよ・・と読めます。
ただ、浪とか風の、本迹は、ピーンときませんね。
ですから、?の結論は
私は、やはり、勝劣だと思います。優劣という言葉も似ていますが、
勝劣とは、若干違うような気がします。仏法は勝負といいますし。
あれから、いろいろ点検しましたが、
そもそも「迹」は影とか、跡とか、仮にとか、やはり、劣ります。
大聖人の発迹顕本については、結果として「御本仏」は勿論「勝」ですが、
御本仏の宣言以前の御内証は「劣」とはいえませんが、お立場という立て分けでは
勝劣があると思います。ちょっと、表現しずらくて、
本迹一致派があるそうですが、彼らは「一致」が正しいと信じていますが
仏法の正邪を本当に判断できる者からすれば、「間違い」で
本迹一致は、真実には存在しないのだと思います。
では、あとは、何があるかといえば、まさか逆の「本が劣り、迹が優れ勝り」
なんて、ありえないはずです。
ちょっと、パソコンの具合が悪くて、レスが遅れました。
それから、誰か・・なんて弱気になって申し訳ないです。
そうですね、自立してやらないと意味ないですから。
浅深の概念は、いまひとつピーンときません。
広い意味では、勝劣の中に含まれると思います。
内容が深いからこそ「勝」であると、
内容が浅いからこそ「劣」であると
?の結論は、本迹は勝劣だ・・で決めました。
- 185 :もくれん:2008/11/28(金) 22:35:31
- >>184 訂正
?と?を、単純に間違えました。
- 186 :梅:2008/11/29(土) 12:50:27
- もくれんさん
参考資料を送ります。
一読して貴女の感想をレス下さい。
【一大秘法】
『唯一無二の秘密の法体の義で、南無妙法蓮華経の一法をさすともに、それを顕現された本門の本尊、三大秘法総在の本門戒壇の大御本尊をいう。
本門の本尊は開けば三大秘法となり、更に六大秘法、八万法蔵となるが、合すれば一大秘法となる。』
【本門の本尊】
『本門の本尊とは、弘安二年(1279年)十月十二日に御図顕された未曾有の大曼荼羅のことであり、本門戒壇の大御本尊のことである。
この本尊こそ、日蓮大聖人の出世の本懐であり、末法の全世界の民衆を即身成仏させうる大御本尊である。
また本門の本尊に法の本尊と人の本尊がある。法の本尊とは、文底独一本門・事の一念三千・無作本有の南妙法蓮華経である。
人の本尊とは、久遠元初の自受用報身の再誕・末法下種の主師親・本因妙の教主・日蓮大聖人である。
この人法の本尊はその名が異なるけれども、その体は一であり、人即法、自受用身即一念三千である。
これすなわち正中の正、妙中の妙なのであり、本門の本尊こそ行人所修の明鏡である。
観心本尊抄に「観心の本尊」が明かされているが、これは「本門の本尊」と同義である。
「本門の本尊」「観心の本尊」の実体は、日蓮大聖人が出世の本懐として建立された本門戒壇の大御本尊である』
- 187 :梅:2008/11/29(土) 13:42:57
- もくれんさん
>>184
>私は、やはり、勝劣だと思います。優劣という言葉も似ていますが、
>勝劣とは、若干違うような気がします。仏法は勝負といいますし。
この辺はそれほどこだわることはないと思います。
「勝」という漢字は、確かに「勝ち負け」で使いますね。
しかし、「勝劣」でいえば「まさる」とか「すぐれる」の意味だと思います。
景勝とか名勝などという使い方にも似ていますね。
>そもそも「迹」は影とか、跡とか、仮にとか、やはり、劣ります。
>大聖人の発迹顕本については、結果として「御本仏」は勿論「勝」ですが、
>御本仏の宣言以前の御内証は「劣」とはいえませんが、お立場という立て分けでは
>勝劣があると思います。
大聖人の「発迹顕本」を軽々に言うと突っ込みどころになります。
貴女のお考えでは、もともと御本仏にもかかわらず、本地垂迹で勝劣を問うことになってしまいますよ。
この辺は、先になって対話になるかもしれませんが、今は結論を出さずに置いた方がよさそうに思いませんか?
>本迹一致派があるそうですが、彼らは「一致」が正しいと信じていますが
>仏法の正邪を本当に判断できる者からすれば、「間違い」で
>本迹一致は、真実には存在しないのだと思います。
もしかしたら、誤解してらっしゃるかも知れません。
「本迹一致」というのは「本迹勝劣」に対する考え方です。
本迹勝劣が法華経28品を迹門14品と本門14品とで法門上の勝劣があるというのにたいし
本迹に分けないという説を立てる宗派を本迹一致派といいます。
>?の結論は、本迹は勝劣だ・・で決めました。
?の結論は「勝劣に限らない」ではなく「勝劣が必ずある」ということですか?
- 188 :梅:2008/11/29(土) 14:12:33
- 訂正
>>184
本迹を分けない→勝劣を分けない
- 189 :梅:2008/11/29(土) 14:16:32
- 再訂正 m(__)m
>>184→187
- 190 :もくれん:2008/11/30(日) 09:35:36
- >>186 梅さん
>「本門の本尊」「観心の本尊」の実体は、日蓮大聖人が出世の本懐として建立された本門戒壇の大御本尊である』
近年の学会出版物からは「戒壇」の文字は無くなっています。
近年の先生の著書の「本門の本尊」関連も同様です。
結論からいえば「妥当」だと思います。
そして「納得」しています。
「本門の本尊」の一番、適切な表現は
書籍「教学の基礎」の
本門の本尊とは、日蓮大聖人が胸中に所持されている久遠元初の妙法たる
南無妙法蓮華経であり、またそれを図顕された曼荼羅本尊です
大聖人の出世の本懐についても、弘安2年10月12日は、そのとおりですが
「戒壇」の文字は無いです。 「御書の世界」より
私は、近年の学会出版物の記述に「納得」しています。
- 191 :もくれん:2008/11/30(日) 09:47:09
- >>187 梅さん
>「勝」という漢字は、確かに「勝ち負け」で使いますね。
>しかし、「勝劣」でいえば「まさる」とか「すぐれる」の意味だと思います。
そうですね、勝れていて、が、妥当だと思います。
勝れ、勝つ が 同時に 含まれると思います。
- 192 :もくれん:2008/11/30(日) 10:21:15
- >>187 梅さん
>大聖人の「発迹顕本」を軽々に言うと突っ込みどころになります。
>貴女のお考えでは、もともと御本仏にもかかわらず、本地垂迹で勝劣を問うことになってしまいますよ。
>この辺は、先になって対話になるかもしれませんが、今は結論を出さずに置いた方がよさそうに思いませんか?
もちろん、結論は急ぎませんし、本当は考えてもいなかったのですが、
>>162
>私は、通底する概念が、勝劣や優劣であるとしたものであって、本と迹に立て分けたものすべてに勝劣があるわけではありません。
>そうした、立て分ける基準に勝劣や優劣の概念を用いると考えるのが妥当だろうと思います。
>2行目は何を言われているのか、私には分かりません。
>しかし、1行目は「本迹は優劣や勝劣とイコールではない」という沖浦さんの考えに一致していますね。
>貴女はどう考えているのですか?
それを受けて、「恋」さんの論を又、引用しました。
>>171
>本迹を勝劣の概念と書いたら、
>『大聖人の発迹顕本はどうなのか』と、質問されました。
>>>152の先生の指導で、スッキリしますね。
>大聖人の発迹顕本とは、本地垂迹という概念を、大聖人の竜の口の法難に当てはめて捉えた。
>そして、それを定義したのは、後世の弟子でしょう。 日寛上人が最初か。
>私たち凡夫も、仏の生命を開けば、仏の境涯を開けば、発迹顕本したといえるでしょう。
恋さんの論は、勝手に引用しておいて、講評するつもりもありませんし
たまたま、先生の講義がありましたので、参考程度には書いておきましたが、
>>171 ・・先生の講義から・・・・
>★ 大聖人の御内証においては、久遠の仏としての御境地は、すでに
>赫々としてあられたと拝察します。
>恩師戸田城聖先生は「清澄寺大衆中」の御文を講義された際、大聖人は
>虚空蔵菩薩に、日本第一の智者となし給えと祈願された清澄寺在住の時
>すでに御本仏と覚られたと拝せると言われておりました。
>事実、もし、末法御本仏としての御境涯を得ておられなかったならば、
>32歳の立宗宣言もなかったはずであります。
これは、梅さんの発言です
>しかし、1行目は「本迹は優劣や勝劣とイコールではない」という沖浦さんの考えに一致していますね。
沖浦さんの考えに一致していますね?という梅さんの、「問いかけ」に
なんとか、考察しなくてはというのが、スターでで、
大聖人の発迹顕本を、「論ずる」ほどの気持ちはありません。
ただ、引用した先生の講義内容は、深く受け止めています。
- 193 :もくれん:2008/11/30(日) 10:54:33
- >>187 梅さん
>もしかしたら、誤解してらっしゃるかも知れません。
>「本迹一致」というのは「本迹勝劣」に対する考え方です。
>本迹勝劣が法華経28品を迹門14品と本門14品とで法門上の勝劣があるというのにたいし
>本迹に分けないという説を立てる宗派を本迹一致派といいます。
★>本迹に分けないという説を立てる宗派を本迹一致派といいます。
これについては、仏教哲学大辞典より
▼法華経前半14品迹門と、後半14品本門は、法門上の勝劣はなく、
▼本来「一致」であるとする説のこと。本迹勝劣に対する語。
このことは、承知はしていましたが、
しかし、結果的に「余計」なことを書いたわけです。
>>172
>さて、以上から分かることを簡単にまとめると
>?本迹は必ずしも同一の体で論じるものと限らないこと
>?本迹は相対的であること
>?本迹は流動的であること
>?本さらに迹は優劣・勝劣を論じるものとは限らないこと
>考察を進めれば、本迹を論じる視点がまだまだ出てくるでしょうね。
★>考察を進めれば、本迹を論じる視点がまだまだ出てくるでしょうね。
私が先回りをして「余計」なことを、書いてしまったわけです。
★>?本迹は必ずしも同一の体で論じるものと限らないこと
については、その後、考察を加えたことを、次のレスで書きます。
このことが念頭にあったので、先回りして書いた結果になりました。
- 194 :もくれん:2008/11/30(日) 13:57:20
- >>193 これは、私の納得のためですので、梅さんとの「正規の質疑応答」
とは、無関係なので、気にしないで下さい。
>★>?本迹は必ずしも同一の体で論じるものと限らないこと
>については、その後、考察を加えたことを、次のレスで書きます。
再度、恋さんの論を使わせていただきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>>171
以下、質問への補足です。
本迹も、基本的には【二元論】であって、
本とは、本体・本質・根本という概念に相当し、
迹とは、仮・影・跡(あと)という概念に相当するでしょう。
私は、通底する概念が、勝劣や優劣であるとしたものであって、本と迹に立て分けたものすべてに勝劣があるわけではありません。
そうした、立て分ける基準に勝劣や優劣の概念を用いると考えるのが妥当だろうと思います。
★これらは、善悪などの二元論を考察するときにも、その立て分ける基準を考えるのと同じでしょう。
そもそも、本迹は、基本的に一つのものに立て分けが行われ、その役割を明確にするためのものでしょう。
法華経であったり、仏であったり、菩薩であったり、一人の人間であったりです。
あなたと私、あれとこれ、などに本迹があるわけでも、本迹の関係にあるわけでもありません。
つまり、『ある一つの事象に対して、その本質を探るために、本と迹に立て分けて、明確化する。』
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
人類の発迹顕本・・・この言葉は「御書の世界」第10回 「法難下」で
先生が実際に使用されています。
普通の学会員であれば、これが何を意味するか、特に説明の
必要はないでしょう。
創価学会の発迹顕本・・人間革命で「戸田先生」と「山本伸一」の会話の中で
言われていた「記憶」があります。今は、調べませんが。
又、宗門からの破門により、「創価学会は発迹顕本した」
このような表現も、記憶にあるような「気」もします。
書籍「法華経の智慧」第4巻 75P〜
毎朝・毎夕に「顕本」・・
これも、普通の学会員には、特に説明は不要でしょう。
そこで
>本迹は必ずしも同一の体で論じるものと限らないこと
同一のカテゴリーは、正解だと思います。人類とか団体とか
(広い意味では、団体などは、「同一の体」と表現できるのでは?)
では、人間の個人の「本迹」は文字通り「同一の体」での「立て分け」です。
余談ですが、興味深いレスを他板でみました。
バナナの中身が「本」皮が「迹」・・・同一の体の説明としてです・・
それを読んだ時は、特になんとも思いませんでしたが、
「リンゴ」は、私は基本的に「皮のまま」食べます。実も皮も「本」で
種だけが「迹」でしょうか?これは冗談ですので、スルーしてください。
梅さんとの「双方向思索」のおかげで、ものすごく重要なことを
認識しました。
「現象・・・先生の表現
「事象・・・恋さんの表現
このように、何らかの、アクション・行為・現象・事象が「本迹」の判断対象で
もちろん、「一念」などの「こころの作用・はたらき」もふくまれるはずです
というより、目に見える現象・行動は「一念」の結果ですから。
誤解を招かないよう先生の言葉を添えておきます。
さきほどの「御書の世界」第10巻より
「捨てるべき「迹」とは「弱気」です。臆病の心です。大聖人は「勇気」の
本地のお姿を示すことで、発迹顕本を万人に示された。
この大聖人の「勇気」のお心を、自身の決意として、あらゆる困難に莞爾として
立ち向かっていくことが、今度は私たちの発迹顕本につながる。
続く
- 195 :もくれん:2008/11/30(日) 14:03:55
- >>194 正誤
さきほどの「御書の世界」第10巻より 第10回の「誤り」でした
- 196 :もくれん:2008/11/30(日) 14:23:59
- >>194の続き
>>166 沖浦さんの「本迹」の価値観を再掲します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先生は、会員が本、ご自分が迹だと仰せなんですよ。
もったいないでしょう。
だから、先生が創価学会をここまでになされたんだと思います。
これが心の底から分かれば、自分はあらゆる事で自分の人生では本。
これがわかります。
そうすると、他のあらゆる方々にとって自分は迹なんだ。
これが分かるんですよ。
どんなに自分が幹部になろうと、どんなに社会で成功しようと、そんなものは他の方々にとっては迹に過ぎない。
これが分かるんです。
これを分かった人は絶対に威張らないし、傲慢にはならないのです。
自分の人生で自分は本だ、だから、苦悩する友人の人生では自分は迹なんだ。
中心はその方なんだ。
自分は意見を絶対に押し付けない。
その人のために祈ろう。
同苦とはね、そう言う行為なんです。
本迹はそのように立て分けるのです。
それが生きた教学です。
私は本迹をそうとらえています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「我流」の「本迹観」では、あるけれど、「内容的」には「正しい」ので
惜しいわけです。
★「自他」「依正」で、立て分けてもらえれば、皆さんから「共感」を
得られたのです。これに関してはですが。
★ ただもうひとつの、沖浦さんの「本迹」論のクライマックスである
「衆生己心の妙法は本・曼荼羅は迹」は、「御本仏」を「すっ飛ばす」暴挙です。
氏が、衆生の己心の妙法を強調したいのは、理解できますが、
そして、衆生の胸中の「本尊」を強調する御書の御文はたくさんありますが、
★「本迹」論の単なる「使い方間違い」以前の問題をはらんでいるわけですが
しかし、「本迹」の正しい使い方を、わきまえていれば、ほとんど犯さない
過ちでもあります。
★ そういう意味で「入り口でアウト」は、そのとおりだと再認識しています。
続く
- 197 :もくれん:2008/11/30(日) 14:56:38
- ?本迹は必ずしも同一の体で論じるものと限らないこと
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これについて、結論をまとめないといけませんね。
一度は「同意」しましたが、
絶対に「他」と「自」の間で、立て分けは、無いです。再確認です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そもそも、本迹は、基本的に一つのものに立て分けが行われ、その役割を明確にするためのものでしょう。
法華経であったり、仏であったり、菩薩であったり、一人の人間であったりです。
あなたと私、あれとこれ、などに本迹があるわけでも、本迹の関係にあるわけでもありません。
つまり、『ある一つの事象に対して、その本質を探るために、本と迹に立て分けて、明確化する。』
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
やはり、恋さんの「説明」に尽きるのではないでしょうか。
「ある一つの、あるいは、同一種類の、事象・現象・・・」これが
結論です。
百六箇抄の、「天台」とか「日蓮」・・・「男」とか「女」
これは「体」の違いというより「法門」を語る上での表現で
あくまで「法門の勝劣」を立て分けていると解釈するべきと思います。
ちなみに、「男は本・女は迹」について、私の手持ちの本にあるはずですが
すぐ探せないので、記憶でですが、
先生の著書でしたが
「御本仏も男、創価学会の会長も男・・・意味のあることだ・・・」というような
記憶があります。
だからといって、差別ではなく、「堤婆達多品の竜女成仏」でOKですし、
法華経の智慧 第3巻 146P
「永遠の生命から見れば、男といっても、女といっても
ある人生では、男性となり、ある時は女性と生まれ、固定的なものでは
ありません。その意味でも、あらゆる人の中に「男性的なるもの」と
「女性的なるもの」が両方あると考えられます。」
先ほどの「法門」の「男は本・女は迹」は、よくわかりませんが、・・・・・
続く
- 198 :もくれん:2008/11/30(日) 15:12:36
- >>184 これは、「付録」のようなもので・・・
>でも、御書の御文は
>「・・万物に就いて本迹を分け、勝劣を弁ず可きなり・・」とあります。
>これは、分けて、そして、勝劣を弁ぜよ・・と読めます。
>ただ、浪とか風の、本迹は、ピーンときませんね。
★>ただ、浪とか風の、本迹は、ピーンときませんね。
これについて思索しましたが、「依正不二」に尽きるのではないかと
今は思っています。
「万民一同に南無妙法蓮華経と唱うれば、吹く風枝をならさず・・」
ちょっと正確に全部出てきませんが、
「正報」たる人間生命が「本」を顕していくとき、風や浪も「本」の
現象として、顕れる・・・今はまだ浅はかな考えかもしれませんが
梅さんの「問題提起」により、茶碗を洗いながらも、真剣に考え続けて
いましたので・・一応書いておきます。
- 199 :梅:2008/11/30(日) 15:19:06
- もくれんさん
>>190
>私は、近年の学会出版物の記述に「納得」しています。
私が資料として書き込んだ記載は、「新版・仏教哲学大辞典」昭和61年版です。
したがって、この当時の創価学会には「本門戒壇の大御本尊」は、何ら問題のない宗門の教義でした。
問題がないというより、「戒壇の大御本尊」は根本崇拝としての本尊であり
「一大秘法である本門の本尊」とする宗門・創価学会の根本教義でした。
ですから、信仰する学会員にとっても、極めて常識的で何ら疑う余地のないものだったのです。
それゆえ、正本堂建立の意義もまさにあったのですね!
「戒壇の」は、単なる修飾語句などではありませんでした。
したがって、単に表現をかえたで済むような問題ではないし
学会員として、本当は、簡単に納得するような問題でもないはずです。
にもかかわらず、現在でははずされていて、しかも、あまり問題としていないようにもみえる。
それはどうしてでしょうね。
単に、『宗門と別れたという事情変更により、従来の解釈を改めた』では
世間一般では通用しないように思います。
それに、もっと根本的に言えば、自分自身の信仰の教義ですから
「戒壇の」が外されたことに、真摯に向き合うことが必要ではありませんか?
特に、宗門・法華講の人たちから見れば、それが学会批判にもなるし、それで脱会した人たちもいるわけです。
沖浦批判者は、この点にはあまり触れないようにしていますね。
しかし、それでは沖浦さんが「何をいいたいのか」という理解を踏まえての批判にはならず
当然ながら、正攻法の論議として成り立ちようがありません。
ですから、関係ない悪口を声高に叫ぶような非難投稿に陥るのが多いのだと思います。
貴女は、変更された学会の出版物の記述を、何故・どのようにして納得したのでしょう?
もっとも、貴女が宗門と別れて後の入信者なら、この問題はスルーされてけっこうです。
わざわざ信心のいらぬ葛藤をする前提に欠けますからね。
- 200 :梅:2008/11/30(日) 19:18:21
- もくれんさん
>>197
>そもそも、本迹は、基本的に一つのものに立て分けが行われ、その役割を明確にするためのものでしょう。
>法華経であったり、仏であったり、菩薩であったり、一人の人間であったりです。
>あなたと私、あれとこれ、などに本迹があるわけでも、本迹の関係にあるわけでもありません。
>つまり、『ある一つの事象に対して、その本質を探るために、本と迹に立て分けて、明確化する。』
以上は、貴女が恋さんの解釈を引用をし、「その説明に尽きる」とされたのですね。
私は前にも触れましたが、ご自分で咀嚼して対話を進めた方がベターだと思います。
もう少しはっきり言えば、恋さんのお考えは恋さん自身のものです。
その上で、貴女は「・・同一種類・・」という言葉を加えて入れています。
そこで、対話の内容に取り上げて、私が批判的に論じれば、それは彼に向けたものにもなりかねませんよ。
これでは、対話の当事者でない恋さんに失礼ですね。
引用はお互いに注意深くしましょう。私もそのように努力します。
それはともかくとして
恋さんは「基本的に」と前提を置いています。
「基本的に」は「原則的」より広く応用を認める考え方ですね。
たとえば、『細部はともかく大筋においては基本的に賛成する」とか「○○党が与党に入ることは
基本的施策を果たす為には・・」なんていう使い方をします。
したがって、原則に対する例外よりも、より多くの事例を受け入れる姿勢があるといえましょう。
そして、「あらゆる事象・現象について本迹を立て分け論じる」とすれば
「基本的」には、広がりを持った考察が出来るということではないでしょうか?
まず、眠っている時と起きている時の本迹は、それをどう解釈するかはともかく
同一個体ですから問題ないでしょうね。
では、次の本迹はどうですか?
「法華経の智慧」第5巻216ページに
親から一千万円うけついだとして、一千万円それ自体を「本」その「証文書」を「迹」だとしています。
これを、相続した家屋と権利証に応用して喩えてもいいですよね。
家屋と権利証はまさに別のモノです。
また、同書173ページでは
『凡夫が「本仏」、仏はその“影”である「迹仏」にすぎない
・・・絶対者と思われている神仏は、じつは凡夫=人間の「影」であり
「用(働き)」であり、「人間のための手段」にすぎない・・・』
とあります。
これは神仏の役割を「用(働き)」で考察したものですよね。
とすれば、私たちがよく言葉にする「諸天善神」について
「・・Aさんの真剣な祈りにより、Bさんが諸天善神になってくれた・・」なんてよく言いますよね。
働きの面に着目して言えばAの「本」に対し、Bは「迹」の働きをしたと言えませんか?
これは、貴女が否定する「自他」への応用を試みたものですから
直ちに、貴女の賛否を問うているわけではありません。
こんな思考方法もあるのではと提示してみただけです。
しかし、本迹を「限定的」に使うのは
「立つ波・吹く風・万物に就いて本迹を分け勝劣を弁ず可きなり」(869)
の立場とは明らかに違いますよね。
私たちは、現在の思想背景も踏まえ、もう少し柔軟に本迹を考えてもよいように思います。
- 201 :梅:2008/11/30(日) 22:01:52
- もくれんさん
>>197
>百六箇抄の、「天台」とか「日蓮」・・・「男」とか「女」
>これは「体」の違いというより「法門」を語る上での表現で
>あくまで「法門の勝劣」を立て分けていると解釈するべきと思います。
「法門の勝劣」であることは、百六箇抄に書かれているのですから、おっしゃる通りですね。
問題は、『どうして「男と女」を出したか?』です。
しかも、これは唯受一人の口伝ですから、何でがはっきりしないというジレンマがありますね。
ただし、勝劣の立て分けですから、男女の差別を前提にしていることは間違いないでしょう。
大聖人とジェンダーについては、いろいろ考察がなされているようです。
その一端は、「かぐら文庫」にもありますから、ご参考にどうぞ。
さて、男女の性差別は当時としては、むしろ「当たり前」ですね。
しかし、だからと言って、性差別を前提に本迹を論じたものとして済まし顔でいては
時代遅れのそしりを免れません。
私は、新しい基本的人権が時代の要請する中で、憲法解釈で補われてきたように
大聖人の御書についても、現代の新しい知見を取り入れて解釈されてよいと考えています。
もちろん、戸田先生が生命論で日蓮仏法を現代に蘇らしたとか、そういうことではありません。
そこで、百六箇抄には多々「後加」があったとされているのは
日亨師の研究はじめ、一般に了解のところです。
それで、偽書説も出てくるわけですね。
しかし、先に憲法の例をあげたように、時代の変遷によって
その当時おける知見からの、新しい解釈や書き加えがあってもおかしくはありませんね。
口伝ということからも、そのようなことを全く否定する方が、むしろ不自然かも知れません。
つまり、基本的な本迹の勝劣は天地の違いで当然ですが
時代時代の解釈で、わずかな違いのものや、ほとんど違わないものや、あるいはイコールになったものや
相対されるものが、流動化したり融合化したり、そんな使われ方などがないだろうかという疑問です。
本迹勝劣派や本迹一致派の対立が出るというのも、教義解釈の研究が盛んに行われた結果ですね。
そして、「男と女」ですぐ思い浮かぶのは、陰陽道の思想です。
ご存知のように、男は陽、女は陰とするものですね。
「陽と陰」というフツウの語感だと、陽が善で陰は悪みたいに思えませんか?
しかし、陰陽の考えでは必ずしも勝劣や優劣をいうのではないようです。
昼と夜・光と影・柔と剛などは対立するものではなく、むしろ調和すべきものととらえるようですね。
陰陽思想は大聖人当時よりはるか以前に日本に入って来ているわけですから
仏教の教義や解釈に当然影響を与えていると考えるべきでしょうね。
そういう視点で見れば、色と身・依と正なども対立概念ではありませんよね。
しかし、それでも本迹はいえるかも知れません。
前回、柔軟な思考について述べました。
「自他の本迹」が書かれていないからといって、それだけの理由で完全否定するとすれば
教義解釈の余地をも否定し、現在の創価学会の教義も否定しなければならないでしょう。
バカなことを言えば、「人間革命」なんて言葉は御書にないわけですからね。
沖浦版で、私を「ガチ」だとか「融通がきかない」と非難したものがいます。
しかし、そう非難した当人たちが、悪口・雑言し今や境涯の低さをさらけ出しています。
なぜでしょうか?
私には、真剣に御本尊に向かったことがないと思えてなりません。
私たちは今、真摯に対話をしようとしています。
その前提には、御本尊様への信や祈りがあるからですよね!
これを忘れないでやりましょう。
今夜はここまでで、帰宅します。
- 202 :梅:2008/12/01(月) 15:50:08
- もくれんさん
前回の続きです
>>196
>「我流」の「本迹観」では、あるけれど、「内容的」には「正しい」ので惜しいわけです。
さて、貴女は沖浦さんの投稿を「我流の本迹観」と批判し
にもかかわらず「内容的に正しい」というわけですね。
しかし、これは論理が破綻しています。
その内容が正しいとするなら
その本迹観が誤っていないことを前提にしないと成り立たないからです。
沖浦さんは、貴女が引用された部分に限れば
『先生は、会員が本、ご自分が迹だと仰せなんですよ』
と述べ、最後を次のよう結んでいます。
『本迹はそのように立て分けるのです。それが生きた教学です。
私は本迹をそうとらえています』
とされているのですから、その投稿内容は先生のお考えを踏まえた上で
現実場面での本迹を述べたわけです。
ですから、この本迹の前提が間違いなら
○○が「本」とか「迹」とかいう内容部分も全て誤りであって
単なる、言葉の問題ではないのです。
「我流」と批判するからには、何故そういえるのか検証してなくては言えないはずですね。
それがなければ、「我流」と批判した方がまさに「我流」なわけです。
私があなたとの対話を「本迹」を出発点に考えたのも
沖浦さんの本迹観が間違いだという非難が多いからです。
検証もなく間違いだというのは、批判ではなく、単なる非難であって対話になりませんね。
ここで、非難者のHNを言って特定すると、この対話の妨害がなされるかも知れません。
ですから、その愚は避けますが、批判の多くは非難に終始しています。
悪口雑言を言い始めたら、その類であることは間違いありませんね。
- 203 :梅:2008/12/01(月) 21:52:24
- もくれんさん
>>197
>絶対に「他」と「自」の間で、立て分けは、無いです。再確認です。
「絶対に」と言い切ってしまうと、苦しくなりませんか?
貴女が、このように考えたのは
「勝劣」を勝ち負けのように思われたことに起因するのではないですか?
字面(じづら)だけみれば、確かにそのように思えますが
必ずしもそうではないことは、>>187で少し触れました。
さて、本と迹については
今手元にある「法華経の智慧」第4巻から、言葉の意味の使われ方を引いてみます。
【本】
本地・本源・本体・真実の姿
【迹】
本体に対する影・用(働き)・仮の姿
探せばもっとあるかも知れませんが、差し当たりこれくらいで十分です。
これを勝劣で判定するわけですが、天地雲泥の差もあれば、そうでないものもあると思います。
姿や用(働き)に着目した場合なども、むしろ勝劣を問うのがおかしくなるかも知れません。
たとえば、沖浦版の「三大秘法について考えませんか?」のNo25で
ホセ・ラサールさんが教学師範の方に指導を受けたとしての投稿があります。
詳しくはご覧いただければよいですが、勝劣を優劣と表現しています。
また、『自分にとって大事なもの、大切なものは、嫁さん、彼女、友人、皆、本と言ってあげてくださいとの事です』
と言われたようです。
この師範とされる方の発言は、自他のあることを前提にされたうえで、優劣では相手を尊重するようにということでしょうね。
ところで、本体と影でいえば、先生は影を「スクリーンの映像」と表現していました。
このスクリーンの映像ということなら、写真や画像と言っても同様ですね。
さらに言えば、写生画家が描いた作品の絵でもかまわないでしょう。
しかも、優れた芸術作品は本体より優れているという視点もあってよいかも知れません。
このようにあらゆる場面で本迹をいうなら、勝劣を厳格に言う必要はなさそうです。
場面場面で使い分ければよいと言うことになります。
この点について、貴女はどう考えますか?
貴女はバナナの話で、とりわけ疑問を持つまでもなく、本迹を受け入れていたようですね。
この辺も含めて考えてみてください。
- 204 :もくれん:2008/12/01(月) 23:52:02
- >>199 梅さん
レス遅くなって申し訳ないです。
>にもかかわらず、現在でははずされていて、しかも、あまり問題としていないようにもみえる。
>それはどうしてでしょうね。
結論から、書きます。私の考えですが。
破門によって、創価学会はまぎれもなく「発迹顕本」したと思います。
宗門と一緒の時代は、創価学会にとっては「迹」の状態だったと思います。
逆に言えば、創価学会と一緒だったから、宗門はかろうじて「日蓮正宗」
たりえたわけです。(先生のスピーチより)
広宣流布の教団である、創価学会を破門したことで、完全に「邪教団」
に成り下がったわけです。
パソコンの調子が悪いので一旦、送信します。
- 205 :もくれん:2008/12/02(火) 00:18:35
- >>199 梅さん
平成5年のスピーチでは、先生も「戒壇」の言葉は使っていました。
http://jbbs.livedoor.jp/study/7888/storage/1215745197.html 124 です
会員に対する、緩やかな「舵取り」であったと思います。
>貴女は、変更された学会の出版物の記述を、何故・どのようにして納得したのでしょう?
意識して納得したというより、師匠を信じているからとしか表現できません。
師匠の人類に対する思い、そして未来への責任感・・
あまり、頭が回転しなくて、語彙が貧弱ですが、
>沖浦批判者は、この点にはあまり触れないようにしていますね。
>しかし、それでは沖浦さんが「何をいいたいのか」という理解を踏まえての批判にはならず
「理解を踏まえた」批判者は、少しですがいることはいます。
http://jbbs.livedoor.jp/study/3764/
こちらの論客は「理論派」です
沖浦さんの板で、沖浦さん自身が「戒壇様本懐論」のスレッドを立てましたね
沖浦さんが、こだわっているのは「大聖人の御本懐」の点なんですね、
ただ、関西方面の批判者は「教義上」のことより、過去の行状などに
重点をおいているようです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1224136224/
「説教オヤジおおいに語る」の 281からの私のレスもご参照ください
一旦送信します
- 206 :もくれん:2008/12/02(火) 08:56:22
- >>199 梅さん
>それに、もっと根本的に言えば、自分自身の信仰の教義ですから
>「戒壇の」が外されたことに、真摯に向き合うことが必要ではありませんか?
>特に、宗門・法華講の人たちから見れば、それが学会批判にもなるし、それで脱会した人たちもいるわけです。
私自身は、破門後、特に考えたことがない・・というより、他の個人的な
悩み等で忙殺されて、「そのこと」が、頭に入り込む余地が無かったというのが
正直なところでした。
この夏、今回の流れで、先生のスピーチも、再確認いたしました。
私も何度か、正本堂で御会扉を受けています。
当然、弘安2年10月12日御建立の「出世の本懐」の御本尊さまと信じていました。
例の金原氏の本は「弘安2年10月12日御建立の《真偽》や如何に」という本らしい
ですね。
「ほんもの」であったとしても、今は「他宗・他教団」にあります。
先生のスピーチにより、はっきりと認識できたことですが、
例えば、身延にも大聖人の御真筆の曼荼羅御本尊はあります。
その他の日連宗(いわゆる五老僧の流れですね)にも、大聖人の御真筆が
あるそうですね。
謗法の寺にある御本尊にどんなに題目を唱えても功徳は無い・・先生の指導より
(それに、身延などは、釈迦像を本尊にしているらしいですが)
それでも、題目は唱えているらしいですね。
日顕宗の題目には、絶対に功徳は無い・・先生の指導より
大聖人の真筆であろが、法主の書写であろうが、謗法の「寺・教団」
では、功徳に絶対に無い。
現実問題として、「戒壇さま」は、私たちの手の届かないところです。
もし「戒壇様」恋しさに、大石寺に行くようであれば、行くこと自体が
謗法である・・・先生のスピーチより
それでも、割り切れない人はいると思います。
そのような「気持ちの揺れ」に、宗門からの学会員に対しての「ゆさぶり」も
繰り返し、あるのだと思います。
続く
- 207 :もくれん:2008/12/02(火) 09:32:43
- >>206の続き 梅さん
>それでも、割り切れない人はいると思います。
>そのような「気持ちの揺れ」に、宗門からの学会員に対しての「ゆさぶり」も
>繰り返し、あるのだと思います。
割り切れない・スッキリしない・釈然としない・・・・・それでも、創価学会員で
いたい・・宗門には行きたくない・・・だけど納得できない・・・
人知れず、そのような「複雑な思い」を抱えて、学会に在籍している方が
いることを否定はできません。
以前、耕冶さんから「学会が正統である証拠を、御書から見出したい」との
発言がありました。この正統とは、日蓮大正人直結という意味です。
私は「世界200余の国・地域に現実として、広げた・・この事実こそ
何よりの証拠ではないかと・・答えました。
耕冶さんも、うなずいていました。
池田先生の指揮・指導のもと、この世界広布の現実・・
創価学会の広宣流布への行動・実践の現実を直視すれば・・
更に、「師弟」が無ければ、絶対に不可能なことです。
創価学会という団体だけでは、不可能でした。
究極的には「師弟」しかありません。
★さて、現実問題として「気持ちの揺れ」を抱えている方への「対処」ですが
結論から言えば、その時、その時の「打ち出し」といわれる「たたかい」に
全力で挑戦し続けることしか「自得」の道は無いと確信しています。
この「自得」というのは、深いことだと思います。
教学・理論・理屈・だけでは、不可能で、化他行のなかでしか「自得」できない
と思います。
個人的には「支援のたたかい」は、不軽菩薩の行の最たるものと認識していますし
その他の、「打ち出し」といわれるすべての「たたかい」が、自分の仏界の生命を
強固にしていくと思います。
ですから、「とにかく、実践しましょう」と返答し、実践しながら師の指導を
学んでいきましょう、と答えます。
御書そのものを直接、拝読するのは大切なことですが、ホセ・ラサールさんも
沖浦さんも、「報恩抄」の一節すら、先生と違うことを主張しいます。
我流の御書の読み方は、恐ろしいと思います。
次のレスで書きます。
続く
続く
いったん送信します
- 208 :もくれん:2008/12/02(火) 09:52:33
- >>207の続き
このスレッドの >>143 >>146 ですが
かねてから、沖浦氏は「一大秘法は、本門の題目」と主張しています。
最近、参入した、ホセ・ラサール氏も、同様の主張です。
一大秘法は「本門の本尊」ですから、両氏の主張は、明確に「間違い」ですが
両氏が根拠として、あげている御書が、いみじくも先生が「報恩抄講義」で
三大秘法なかんずく一大秘法について、講義に使用している御書と同じです。
しかし、それでも両氏は、先生と異なる主張をします。
御書の「我流」の拝し方の「おそろしさ」を痛感します。
ひとまず、送信します
- 209 :もくれん:2008/12/02(火) 10:27:10
- >>202 梅さん
順不同になりますが、返答しやすいことからレスします。
>私があなたとの対話を「本迹」を出発点に考えたのも
>沖浦さんの本迹観が間違いだという非難が多いからです。
>検証もなく間違いだというのは、批判ではなく、単なる非難であって対話になりませんね。
確かに、曼荼羅本尊と、私たちの関係を「本・迹」で表現したのは「前代未聞」で
当然「本・迹」に注目が集まりました。
本迹の原点に戻り「勝劣」の概念であるからこそ、
曼荼羅と衆生は、「勝劣」の関係でなく、「本来は差別がなく、信の一字で
境地冥合できる・・言い換えれば、どちらも、本来は「本」である
★ 曼荼羅本尊自体の「本迹」
★ 衆生自身の「本迹」
元品の無明・・迷うを凡夫・・・迹
元品の法性・・悟るを仏・・・・・本
★でも、私はまだまだ、梅さんと一緒に検証しますよ。
>検証もなく間違いだというのは、批判ではなく、単なる非難であって対話になりませんね。
>ここで、非難者のHNを言って特定すると、この対話の妨害がなされるかも知れません。
あまり、他の方のことを「検証能力」が無いなどと表現すると、問題にも
なりますし、「検証する必要が無い」との判断の方が大半だと思います。
★今回、沖浦氏に批判が集中したのが「熱原公演」が、一番大きいウエイトを
占めると思います。このことは、又別に書きますが。
実は、沖浦氏は、何年も前から、現在の己義を主張していたようです。
さして問題にもならなかったのは、役職の無い一会員で比較的、未活動の方という
認識でみられていたようです。
現場でもおります。自己流のことを主張する方は。
責任職の方でしたら、大変な問題発言になっても、一会員の立場で
影響力のあまり無い方でしたら、タイミングをみて「適切な指導」で
簡単に収束するケースが多いと思います。
とりあえずここまでで・・・
- 210 :もくれん:2008/12/02(火) 12:42:40
- >>202 梅さん
>さて、貴女は沖浦さんの投稿を「我流の本迹観」と批判し
>にもかかわらず「内容的に正しい」というわけですね。
>しかし、これは論理が破綻しています。
>その内容が正しいとするなら
>その本迹観が誤っていないことを前提にしないと成り立たないからです。
沖浦さんの「言いたいこと、つまり他者に尽くす・・」これは正しい
という意味で書いたのですが、梅さんに誤解させてしまったのは
お詫びします。
>>203
>貴女はバナナの話で、とりわけ疑問を持つまでもなく、本迹を受け入れていたようですね。
>この辺も含めて考えてみてください。
あのバナナの「例え話」は明確に間違いです。
しかし、ひとさまのレスの引用ですので、あからさまに批判するのは
まずいとの判断の含みはありました。あいまいにしたのは確かです。
この点も、梅さんに誤解させてしまいました。
バナナにしろ、リンゴにしろ、その「物」自体の「本迹」は無理です。
あくまでも「現象・事象」についての「本迹」ですから。
彼は、「同一の体」ということで彼なりに思考したことでしょうが
引用して、結果的に梅さんに混乱を与えてしまいました。
お詫びします。
>>200
>「法華経の智慧」第5巻216ページに
>親から一千万円うけついだとして、一千万円それ自体を「本」その「証文書」を「迹」だとしています。
>これを、相続した家屋と権利証に応用して喩えてもいいですよね。
>家屋と権利証はまさに別のモノです。
今、法華経の智慧で確認しました。
一千万円が「本」、借用書が「迹」ですね。
一千万円という「実体」があって、借用書が発生しますね。
ひとつの現象ですね。
一千万円という実体・実物が無い「借用書」は偽造しても、無意味ですね。
詐欺師はその限りでは、ないでしょうが。
>家屋と権利証はまさに別のモノです。
家屋という「実体」が存在しているからこそ「権利証」が発生します。
これも「ひとつの現象・事象」だと思います。
実体が無いのに「権利証」を、偽造して詐欺をする人もいますが。
家屋といえば、法華経28品は「家の設計図」に例えられますね
「家」そのものは「南無妙法蓮華経」すなわち「御本尊」であると
この場合、設計図は「迹」で、家そのものは「本」ですね
体そのものが同じことも、「本迹」の一つの要件の場合もありますね。
「梅」さんの「本迹」
「もくれん」の「本迹」
しかし、梅さんが「本」で「もくれん」が「迹」これは明確に間違いですね。
ある団体の「本迹」
いずれも、その「固体」の「現象・事象・行為」等に「本迹」があるので
バナナの例のように、「もくれん」の頭が「本」とか「尻」が「迹」は
論外ですね。
ある「現象・事象」の「本迹」・・いかがでしょうか
先ほどの「一千万円」と「借用書」「家」と「権利証」
勿論、家と権利証は、物体としては「別物」です、しかし
無関係な「体」どうしでは「本迹」は、発生しませんね。
一千万円と「家の権利証」とか、「家」と「一千万円の借用証書」とか
★しかし、梅さんの「言いたいこと」が少し、わかってきました。
★「体」は必ずしも「同一」とは限らないが、無関係な「体」どうしでは
★本迹は発生しない。
★梅さんの「問題提起」が無ければ、ここまでは考えませんでした。
- 211 :もくれん:2008/12/02(火) 13:30:18
- >>203 梅さん
>>絶対に「他」と「自」の間で、立て分けは、無いです。再確認です。
>「絶対に」と言い切ってしまうと、苦しくなりませんか?
>貴女が、このように考えたのは
>「勝劣」を勝ち負けのように思われたことに起因するのではないですか?
>字面(じづら)だけみれば、確かにそのように思えますが
>必ずしもそうではないことは、>>187で少し触れました。
これは>>210で書いたように「関連の無い固体(自他)どうしはありえない」に
訂正します。
>たとえば、沖浦版の「三大秘法について考えませんか?」のNo25で
>ホセ・ラサールさんが教学師範の方に指導を受けたとしての投稿があります。
>詳しくはご覧いただければよいですが、勝劣を優劣と表現しています。
>また、『自分にとって大事なもの、大切なものは、嫁さん、彼女、友人、皆、本と言ってあげてくださいとの事です』
>と言われたようです。
>この師範とされる方の発言は、自他のあることを前提にされたうえで、優劣では相手を尊重するようにということでしょうね。
「自他不二」といいますね。
先生の指導に、この地球上で、たった一人でも不幸な人が残っていれば、自分の幸福も
ありえない・・とあります。
他者と自分は、優劣というより「自他共の幸福」という観点から、両方「本」で
なくてはいけないと思います。
ただ、御本仏とか創価の三代の師匠などは、自分の幸福など眼中にも無く
民衆の幸福のためだけの人生であるわけですが。
究極的には、私たちも「自分」のことは、さしおいて「他者」のために
尽くせるのが目指すところではありますが。
それでも「自他」が優劣の関係は、無理があります。
「梅」さんも「本来・尊い仏」
「もくれんも本来・尊い仏」
これ以外には、ないと思います。
>ところで、本体と影でいえば、先生は影を「スクリーンの映像」と表現していました。
>このスクリーンの映像ということなら、写真や画像と言っても同様ですね。
>さらに言えば、写生画家が描いた作品の絵でもかまわないでしょう。
>しかも、優れた芸術作品は本体より優れているという視点もあってよいかも知れません。
元々は「天台」の言った、「月」と「池に映った月」が淵源ですね。
本物の月は実在します。池に映ったり、同時に河に映りますし、更に同時に
湖にも映ります、又、家のたらいの水面にも映るかもしれません。
あくまで、「実在」に対しての「本迹」で、この場合は「影」に該当しますね。
だからといって、人間の影がただちに「本迹」の概念に相当するとは考えられず
人間などの意思を持つ「固体」では、あくまで「行為・ふるまい」などに適用されるとは
思いますが。それでも、人間とか犬とかの「影」については「保留」に
しておきます。
>優れた芸術作品は本体より優れているという視点もあってよいかも知れません。
「オリジナルの作品」には作者の「魂」があるから貴重だと思います。
どんなに「精巧」に作られていても「模造」は「模造」だと思います。
ただ単に「上手い」「下手」とは別の話ではないでしょうか。
>自他のあることを前提にされたうえで、優劣では相手を尊重するようにということでしょうね。
これは非常に重要な観点で、他者を手段にしてはいけないといことだと思います。
前にも書きましたが、卑近な例でいえば、幹部が「成果」のために「会員」を
手段として「利用」する・・言語道断ですね
あくまで「会員」の「絶対的幸福確立」のために「奉仕」するべきであって・・
ただ、それを「幹部」と「会員」の優劣の概念に適用するのは無理が
あると思います。
生命の尊厳に序列はつけられないとの観点から、自他ともに「尊貴」これが
正しいと思います。
順不動になりがちですが、反応しやすい箇所からしか、応答できなくて
申し訳ありません。
--------------------------------------------------------------------------------
- 212 :もくれん:2008/12/02(火) 13:52:46
- >>209 梅さん
>元品の無明・・迷うを凡夫・・・迹
>元品の法性・・悟るを仏・・・・・本
仏界の生命(法性)で地涌の菩薩として「行動する・振舞う」が「本」ですから
又、誤解させかねないことを書いてしまいました、反省します。
普通は、御本尊への「信」により、無明即法性 この表現が正確です。
法性・無明だけでは、明らかに「本迹」の概念とは違いますから。
- 213 :もくれん:2008/12/02(火) 14:37:26
- >>200 梅さん
>以上は、貴女が恋さんの解釈を引用をし、「その説明に尽きる」とされたのですね。
>私は前にも触れましたが、ご自分で咀嚼して対話を進めた方がベターだと思います。
>もう少しはっきり言えば、恋さんのお考えは恋さん自身のものです。
>その上で、貴女は「・・同一種類・・」という言葉を加えて入れています。
>そこで、対話の内容に取り上げて、私が批判的に論じれば、それは彼に向けたものにもなりかねませんよ。
>これでは、対話の当事者でない恋さんに失礼ですね。
>引用はお互いに注意深くしましょう。私もそのように努力します。
確かに、私は「沖浦説」に対しては「結論」は出ていて、あらためて「本迹」を
考える意思は、梅さんから「問題提起」されるまでは、ありませんでした。
細かく点検したことによって、私も「おおざっぱ」にしか理解していなかった
そのことは、確認できました。
考えていなかったから、「恋」さん説に頼った面もありました。
それは、反省します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>>156 風凛さん
>梅さんの現在の「心情」に配慮しながらの「対話」であることを
>ご理解下さい。
>これが、一番、今は肝心なんです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これは、かっての「罵詈雑言」のことでの風凛さんとの「やり取り」です。
梅さんとの「対話」をするにあたって、かっての「罵詈雑言」をただちに
正当化されてしまっては、「対話」が成立しない故の、私の風凛さんへの
「事前警告」であったわけです。
そのような「意味」での、配慮です。
しかし「教義」に関しては、「心情的配慮」は不要です。
梅さんが、沖浦説を否定したくないのであれば、今度は逆に
「沖浦説が正しい」証明が必要になります。
そろそろ、対話の方向性をそちらに向けませんか?
本迹はどんなに、いじくっても「沖浦説が正しい」根拠は出せないはずです。
>>157
>本迹の使い方が違うのではないかというご指摘は、確かに伝統的な教学では違うかもしれないですね。
>このことは、沖浦板の「三大秘法について考えませんか?」No838での私の投稿の中で
>投稿者の多くに見て取れる本迹の混乱について触れるコメントをしました。
>しかし、原則的な本迹の理解ではなく使われてる用例もありはしませんか?
>たとえば、「眠っている時は迹・起きている時は本」のような場合です。
>私は、この用例があまりよく理解できないのです。
>貴女は、どう思われますか?
>もし、この用例が従来の本迹の用例として合理的説明ができるなら
>そこで改めて沖浦さんの本迹の使い方を考察したいと思います。
>>確かに伝統的な教学では違うかもしれないですね。
伝統的な教学に、則るべきだと思います。
まして、沖浦氏は「曼荼羅」に「本迹」を使ったのです。
眠っている私と、起きている私の、「本迹」の合理的説明はまだ不完全ですが、
梅さんも「伝統的」な教学では「違う」とまで「判断」できているなら
充分だと思います。
その伝統的な教学云々すら「理解」できていないで、沖浦説の判断が
できないネット上の、沖浦氏と親しい方がまだ何人かいます。
この板にもいます、有名な日々朗らか(決意)さんです。
「邪義」を唱える沖浦氏と「親しく」するのは「間違えた宗教の開祖」と
親しくするのも同然だ・・だから、つきあうのであれば、「破折」せよ
と皆さんが言っているわけです。
「間違えた宗教」のおそろしさは、梅さんでしたら説明不要ですね。
- 214 :風凛 ◆IuSmpGjaC6:2008/12/02(火) 15:21:13
- >>213
もくれんさんへ。
お手すきの時に、下記に「目を通してだけおいて下さい。」
レスは不要です。
ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1228183664/34
失礼します。
- 215 :もくれん:2008/12/02(火) 15:29:59
- もくれん:2008/12/02(火) 15:28:03 ID:gO.Fk5NY0
>>195 沖浦さん
>聖人御難事は10月1日、戒壇様は12日、出世の本懐じゃありえません。
先生の「御書の世界」第22回 熱原の法難(下)より
10月1日は、出世の本懐を遂げられることを「宣言」した日・・・・
10月12日・・大御本尊を御図顕された日・・
★出世の本懐である、大御本尊の建立は、それを受持し奉る「不惜身命」の
★民衆の出現を待たれて実現されたのです。
★ 確かに近年の先生の指導からは「戒壇」は無いです。
が、出世の本懐として「御本尊」を建立されたのは、先生の述べておられる
とおりです。私は「先生の言葉」を勿論信じますが、沖浦さんはいかがですか?
弘安2年10月12日御建立の「大御本尊」は、いまどこに ??????
と、大聖人の出世の本懐が「御本尊建立」であるのを、否定するのは別次元のことでは?
日付のことは、先生の著書のとおりで、何も「ミステリー」は
ありません。
以前、ある学会員のブログで、沖浦さんと同じく「日付」がどうのこうので
大聖人の出世の本懐は題目ではと、「私見」ですと断って述べているのを
目にしたことがあります。
その方も「御本尊」建立は「本懐」ではないのではと・・
結構「沖浦さん説」に、共感して同意を示す方もいるようですね。
ただ、鶏が先か、卵が先かは、わかりませんが、たまたま、意見の一致する方も
いるようですね。
★★★ 私は池田先生の言葉を信じます。★★★
私を説得しようなんて、思わないでくださいね。
一応「日付」のことで、「カン違い」されているようなので「親切心」
からレスしましたので、これ以上は「議論」はありませんので。
- 216 :梅:2008/12/02(火) 15:45:51
- もくれんさん
ざっとレスを読みました。
その中で
>>210
に書かれている
>一千万円が「本」、借用書が「迹」ですね。
>一千万円という「実体」があって、借用書が発生しますね。
>ひとつの現象ですね。
は間違えています。
「借用書」ではないのです。
もう一度確認下さい。
借用書としては、もしかして、この本迹は違ってくるかも知れませんし
私があげた権利書の本迹との関連した理解も疑わしくなりそうです。
>>209
>あまり、他の方のことを「検証能力」が無いなどと表現すると、問題にも
>なりますし、「検証する必要が無い」との判断の方が大半だと思います。
私は「検証能力」がないなどという発言はしていません。
しかし、何故「検証する必要がない」と判断するのか、そういう態度には問題があるだろうとは思います。
>実は、沖浦氏は、何年も前から、現在の己義を主張していたようです。
>さして問題にもならなかったのは、役職の無い一会員で比較的、未活動の方という
>認識でみられていたようです。
貴女は「己義」という言葉を、「邪義」と同様に使われていますか?
私は検証もなしに、そう決め付ける姿勢を疑問に思います。
たとえば、本迹を「本迹相対」で「勝劣」としか考えない思考方法は正しいのでしょうか?
現に、そうではない使われ方もしているではないか、そういう指摘を言ってます。
ですから、そうした本迹論をめぐる再検証が必要かと思っています。
それがなければ、沖浦批判は出来なかったはずです。
さて、レスがなかったので少し先に論を進めたのですが
沖浦批判が入ってきて論点がぼやけたように思います。
「自他について本迹はない」というのが貴女のお立場ですね。
しかも自他とも「本」だとも言われています。
これは本迹論の一方を言うのみで、本迹論にはなりません。
論点を絞り、この辺のところを考えてみましょう。
そこで、私が喩えとしてあげた「諸天善神」の用について、貴女はどう思われますか?
本題とは関係ないのですが、ちょっと紛らわしい点を確認します。
私の投稿の引用は>でされているようですが
>>207の最初にある>はご自分の投稿です。もし必要なら>>にしてください。
また★は何を意味しますか?
私は貴女の結論を言うところかと思いましたが、そうでもない使われ方もしているようなので・・
- 217 :梅:2008/12/02(火) 15:52:21
- もくれんさん
私の投稿は、>>213を読む前に書いたものです。
したがって、少し齟齬があるかも知れません。
これから出かけますので、レスはその後になります。
- 218 :梅:2008/12/02(火) 16:16:57
- もくれんさん
>>211
>>優れた芸術作品は本体より優れているという視点もあってよいかも知れません。
>「オリジナルの作品」には作者の「魂」があるから貴重だと思います。
>どんなに「精巧」に作られていても「模造」は「模造」だと思います。
>ただ単に「上手い」「下手」とは別の話ではないでしょうか。
このところは、誤解されています。
スクリーンの映像(迹)が、写真や画像と同じく、優れた芸術家の作品だった場合です。
本体と言っているのは、たとえば静物画なら、その「画題」となった静物です。
この場合「本」が静物で、それを写した作品は「迹」になるだろうが、価値は作品にあるというです。
ここで本当に言いたかったことは、「本迹は優劣に限らない」なのです。
この辺は、また後にします。
ちょっと気になったものですから・・
それでは出かけます。
- 219 :もくれん:2008/12/02(火) 17:32:33
- >>216 梅さん
>親から一千万円うけついだとして、一千万円それ自体を「本」その「証文書」を「迹」だとしています。
>これを、相続した家屋と権利証に応用して喩えてもいいですよね。
>家屋と権利証はまさに別のモノです。
>は間違えています。
>「借用書」ではないのです。
>もう一度確認下さい。
>借用書としては、もしかして、この本迹は違ってくるかも知れませんし
>私があげた権利書の本迹との関連した理解も疑わしくなりそうです。
「借用書」は単純に「証文書」のミスです。
申し訳ありません。
>何故「検証する必要がない」と判断するのか、そういう態度には問題があるだろうとは思います。
そもそも「曼荼羅御本尊」と私たちの関係は「本迹関係」は絶対にありえないと
ほとんどの皆さんが、承知しているからです。
検証といえば、天城氏は沖浦氏に「自説が正しいことを証明せよ」と
アプローチしたわけです。
沖浦氏の側に「証明責任」があると思います。
沖浦氏が「自説」を「正しい」と、証明できればいい話です。
分けて送信します。
- 220 :もくれん:2008/12/02(火) 18:35:01
- >>203 梅さん
>ところで、本体と影でいえば、先生は影を「スクリーンの映像」と表現していました。
>このスクリーンの映像ということなら、写真や画像と言っても同様ですね。
>さらに言えば、写生画家が描いた作品の絵でもかまわないでしょう。
>しかも、優れた芸術作品は本体より優れているという視点もあってよいかも知れません。
法華経の智慧 第5巻 217P
「南無妙法蓮華経如来」が、法華経28品というスクリーンに「影」を映した結果、
久遠実成の釈尊(仏界)や上行菩薩(九界)の姿になったのです。
だから、どこまでも「妙法」が「本」上行菩薩は「迹」です。
法華経28品・・・・・・・・・・・・・・・・スクリーン
久遠実成の釈尊や上行菩薩・・・・・・・影 迹 (映像)といってもいいでしょう
南無妙法蓮華経如来・・・・・・・・・・・・本
★ この場合の「本迹」は明確に勝劣ですね。
・・・・・・・・・・・ 映画館のスクリーン
映画「ライオン物語」の映像・・・・・・・・・・・・・・・・・迹
被写体になった生きている本物のライオン・・・・・・・・・・・本
と、建前上、分けてみましたが、これは、本当は「本迹」でないと思います。
では、何だと言われれば、単に「映像作品」であると思います。
神力品の文・・・「証文書」・・・・・・迹
妙法そのもの・・・・・・・・・・・・・本
神力品の文も「文底」で正しく捉えれば「妙法」という「価値」を手に入れられる。
明確に「勝劣」ですね。
「証文書」・・・・・・・・・・・・・・迹
一千万円そのもの・・・・・・・・・・・本
「証文書」も、紛失しなければ、いずれ「本体一千万円」の価値を手に入れられる。
明確に「勝劣」ですね。
>この場合「本」が静物で、それを写した作品は「迹」になるだろうが、価値は作品にあるというです。
>ここで本当に言いたかったことは、「本迹は優劣に限らない」なのです。
★ 価値は作品にある・・・・・・
次のレスで・・
- 221 :梅:2008/12/02(火) 19:14:52
- もくれんさん
>>204
>結論から、書きます。私の考えですが。
>破門によって、創価学会はまぎれもなく「発迹顕本」したと思います。
>宗門と一緒の時代は、創価学会にとっては「迹」の状態だったと思います。
貴女のお考えでよいのです。それだからと言って、それを己義だなんて申しません。
それでは、対話になりませんからね。
しかし、おかしいとおもえば反論します。
創価学会の発迹顕本ということは、「迹を発いて本を顕す」という事ですから
破門以前は貴女の言う「迹」なんでしょうね。
ですが、貴女は本迹を相対し「勝劣」で論じるとされていました。
戒壇の大御本尊にも関係することですが、本門の本尊=戒壇の大御本尊=出世の本懐とされていましたね。
「迹」の時代には、学会にとっても、これは動かせない根本教義でした。
しかし、「迹」であったとするなら、これらの教義も見直されてしかるべきだと思いませんか?
創価学会は貴女のおっしゃるように発迹顕本したとしても
巨大教団ですから、あたかも大客船であって、小舟のように小回りなんて出来ません。
したがって、教義関係も少しずつ変化するより方法はないと思います。
したがって、先生の講義等を引くにしても、出来るだけ最新のものを用いるべきですね。
この対話を行うきっかけとなった天城さんの沖浦批判論は、会長講義を引かれていますが
昭和52年「諸法実相抄」及び昭和53年「観心本尊抄」です。
先に私が昭和61年版「仏教大辞典」の記述を参考に出しましたが
今では考えられないほどの記述が多々あるのですよ。
たとえば、日顕さんの項目などは読んでいて恥ずかしく、こちらの顔が赤くなるほどです。
どなたかがお持ちでしたら、借りて読んでみると私の言うことがよく分かるはずです。
したがって、そういう時代背景を踏まえて引かれるのはけっこうですが
そうでない場合には注意しなければなりません。
ですから、私は「法華経の智慧」を参考として引いているのです。
これとて、もしかして「古い」かもしれないのです。
>>211
>それでも「自他」が優劣の関係は、無理があります。
>「梅」さんも「本来・尊い仏」
>「もくれんも本来・尊い仏」
これ以外には、ないと思います。
「もくれんさん」と「梅」はそもそも自他の関係にないのです。
したがって、お互いに本迹も優劣も考える必要はありません。
本迹を論じるのは、あくまでも貴女が言われてる事象とかの関係性においてではないでしょうか。
また、この場合はいわゆる「優劣」で考えるのでもないのだろうと思います。
ホセさんの投稿に出てくる教学師範さんは、この辺りのことを言われてるのかも知れません。
- 222 :梅:2008/12/02(火) 19:33:13
- もくれんさん
>>210
>★「体」は必ずしも「同一」とは限らないが、無関係な「体」どうしでは
>★本迹は発生しない。
上記はその通りだと思いますが、貴女の結論ではないのですね?
- 223 :もくれん:2008/12/02(火) 19:34:30
- >>220の続き
>この場合「本」が静物で、それを写した作品は「迹」になるだろうが、価値は作品にあるというです。
>ここで本当に言いたかったことは、「本迹は優劣に限らない」なのです
風景画、静物・例えば「リンゴ」などでは、作品そのものが、文句なしに
価値があるといっても過言ではないでしょう。
題材にした現地の風景とかリンゴとか、価値の上下・優劣を「絵画」と比較すること自体が
通常は、ないはずです。評価されるのは絵画からの「感動」であり画家の
力量であり、
価値が作品にあるということは「貨幣的価値」「鑑賞して感動する価値」
が思いつきます。
「貨幣的価値」といえば、ジョン・レノンの「スケッチ画」がオークションで
ものすごい「高値」がつく・・などニュースで聞くこともあります。
すでに「評価」の定まっている画家、例えば「ゴッホ」の絵などは無条件で
億単位の値段がつくわけです。
しかし、どんなにお金がある人でも、その「ゴッホ」の絵に億単位のお金を
出す意思の無い人も、当然おります。
美術館で「入場料1000円」で、「こころゆくまで」鑑賞する人もいます。
小学生が描いた「お母さんの絵」は、絵画コンクールで、入賞しなくても
その絵を描いた子供の母親には「世界一の宝物」であることでしょう。
でも、現実に生きて生命活動をしているこの母親、つまり、生身の人間と
紙の上の「お母さんの絵」は、比較するべきものでないし、
優劣というより、いざとなれば、どちらが大切かは、勿論、本物の母親でしょう。
万が一、その大切な「母の絵」を紛失しても、それでは「又描こう」で
すみませんか。作品に価値はあるが、臨機応変に対処もできる。
絵画にしても、映像作品にしても、果たして「本迹」で立て分けるべき
ことでしょうか。被写体と作品をです。
本迹で立てわけるには原点に戻り、「あらゆる現象」ですね。動的ですね。
確かに、「法華経の智慧」で、法華経28品を「スクリーン」と先生は表現しま
したが、やはり何かが違うと思います。
その「何か」は、まだ説明できません。
法華経28品そのものが、「迹」ですね。大聖人の文底独一本門を「本」とすれば
法華経も「スクリーン」にもなれば「迹」そのものにもなります。
法華経28品にしても、大聖人の南無妙法蓮華経にしても、「法」そのものですね。
片や、まわりくどく、ばかていねいに、「法」を説明し・・・
片や、単刀直入に「南無妙法蓮華経」のひとことで「法」を顕し・・・
「仏」の「説法」という現象・事象での「本迹」ですね。
この場合、修行が簡単なほど、「法門」の価値は高いですね。
釈迦・天台の仏法と比較して、大聖人の仏法が「勝れている」のは
修行が、万人に可能であるという点が大きいですね。
芸術作品ではと・・・作家が作品を創造する「行為」「作業」「作品への一念」
などは、同一作家での「本迹」は当然あるはずですね、
命を削る思いで、魂を打ち込んで作品を創る・・その作家としての「本」
結果、すばらしい作品ができても、被写体との「本迹」は無理なのでは?
売れればいいと、惰性での創作活動であれば・・・その作家としての「迹」
私たちが「地涌の菩薩」の自覚での行動であれば「本」
惰性で、表面的には広布の行動をしているようでも、心が堕ちれいれば「迹」
いや〜〜わかりませんですね。
芸術作品は、評価する人によって、評価が変わります。
たまたま「絵画」を例にしましたが、「映像作品」でも同様かと思います。
絵画にしても、映像作品にしても、「被写体」と「作品」は「本迹関係」かは
いまだ疑問があります。
先ほどの法華経28品が、スクリーンの例とは、何かが違う・・
でも、それが何かは、今はまだ明確に説明できません。
- 224 :もくれん:2008/12/02(火) 19:46:03
- 今、ちょっと思いつきましたが、
先ほどの一千万円と証文書ですが、結果的に「同じ価値」があるのだが
一時的に違う形態であると・・・当然「本物・本体」のほうが確かですから
「本」ですし、「迹」の方は、一歩間違えると「パー」になってします危険もある。
紛失とか、
法華経28品と大聖人の「南無妙法蓮華経」は、結果的に正しく「対処」つまり
「文底」で読めば、同じ価値を生む・・・しかし、一歩間違えると、つまり
文底での読み方ができないと、価値を生まないばかりか「損」をする・・
本迹には、このような「意味合い」がありますね。
私の「本迹」でも、「迹」のまま、一生を過ごせば「本来の価値」を
出すことができずに、「損」な人生になってしまう・・
ちょっと頭が疲れました・・
- 225 :もくれん:2008/12/02(火) 19:57:11
- >>222 梅さん
>★しかし、梅さんの「言いたいこと」が少し、わかってきました。
>★「体」は必ずしも「同一」とは限らないが、無関係な「体」どうしでは
>★本迹は発生しない。
>★梅さんの「問題提起」が無ければ、ここまでは考えませんでした。
>>222
>上記はその通りだと思いますが、貴女の結論ではないのですね?
私の「オリジナルの結論」ではないのは「確か」ですね。
梅さんの「問題提起」があって、思索したことですから。
>★「体」は必ずしも「同一」とは限らないが、無関係な「体」どうしでは
>★本迹は発生しない。
この2行については、納得していますよ、現時点では、
- 226 :梅:2008/12/02(火) 20:00:09
- もくれんさん
>>210
>「証文書」も、紛失しなければ、いずれ「本体一千万円」の価値を手に入れられる。
>明確に「勝劣」です。
これから書くことは細かすぎて、上記はスルーしちゃおうと思いましたが
後で後悔しないために書き込みます。
まず、一千万円(本)ですが、すでに親から譲り受けているのです。
ですから、その「迹=影」としての「証文書」があります。
実体を証明するものですから、それなりに価値はあるでしょうね。
しかし、「証文書」を紛失しても、その一千万円の所有権そのものには影響は全くありません。
そして、そのような本迹を「勝劣」のみでとらえるのは、ほんのちょっと?です。
- 227 :梅:2008/12/02(火) 20:17:15
- もくれんさん
>>224
>先ほどの一千万円と証文書ですが、結果的に「同じ価値」があるのだが
>一時的に違う形態であると・・・当然「本物・本体」のほうが確かですから
>「本」ですし、「迹」の方は、一歩間違えると「パー」になってします危険もある。
>紛失とか
>>226は上記を読む前に投稿準備したものです。
ちょっと行き違いましたが、証文書なんてなくてもよいのは、ご理解いただけたでしょうか?
>法華経28品と大聖人の「南無妙法蓮華経」は、結果的に正しく「対処」つまり
>「文底」で読めば、同じ価値を生む・・・しかし、一歩間違えると、つまり
>文底での読み方ができないと、価値を生まないばかりか「損」をする・・
>本迹には、このような「意味合い」がありますね。
これは、かなり問題発言かも知れませんよ(笑)
それは、この文の1と2行目です。
3、4行は同意です。
- 228 :もくれん:2008/12/02(火) 20:31:27
- >>221 梅さん
>したがって、先生の講義等を引くにしても、出来るだけ最新のものを用いるべきですね。
>この対話を行うきっかけとなった天城さんの沖浦批判論は、会長講義を引かれていますが
>昭和52年「諸法実相抄」及び昭和53年「観心本尊抄」です。
三大秘法の根本教義そのものは、「変質」はしていないと私も確信しています。
「法」そのものですから、変質させようがありません。
「律」は人間が、作り、時代とともに変えることも多々あります。
むしろ、宗門は「三大秘法」を「否定」しました。(先生のスピーチより)
その詳細は、後ほど書きますが。
当然「戒壇さま」は、我が教団にはありませんから、「戒壇」の文字は使わないですが
「戒壇さま」の真偽はともかくとして、我が教団には無いのですから、
三大秘法、なかんずく一大秘法の「本門の本尊」は
2008年 10月号 大白蓮華 「報恩抄」講義より
★万人の生命に本来、具わる尊極の生命を一人一人に自覚させるために、
★大聖人己証の尊極の生命をあらわされた「本門の本尊」とあります。
ちなみに、書籍「教学の基礎」ならびに「仏教哲学大辞典」は
「本門の本尊」とは、日連大聖人が胸中に所持されている久遠元初の妙法たる
南無妙法蓮華経であり、またそれを図顕された曼荼羅本尊・・とあります
いずれも、御本仏の「御生命」が「本尊」です
かって「戒壇の大御本尊」が「本門の本尊」であったことと、内実は
全く同じことです。
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候・・」
本質的には、何も矛盾はありません。
勿論、細かいこと
地涌の菩薩・・・けしからん・・・地涌の菩薩の眷属と言え・・
今は堂々と「地涌の菩薩」と言えます・
「導師」・・けしからん信徒の分際で・・今は「導師」普通に使えます
葬儀は「僧侶」がいなくてはだめだ・・今は、仏法の本義にのっとり、自由です
「僧侶」が必要な方は「改革同盟」の御僧侶がおられますし・・
勿論、その他、ありますが、きちんと資料に基ずいて書かないとまずいので
今は思いつくことだけ書きましたが。
「根本の教義」「三大秘法」は、創価学会だけが、大聖人直結で実践している
わけです。先ほども書きましたが、宗門は「三大秘法否定」です。
又、あとで、詳細は書きます・・
- 229 :もくれん:2008/12/02(火) 20:36:04
- >>227 梅さん
>これは、かなり問題発言かも知れませんよ(笑)
そうですね。
同じ価値は「時代」が釈尊の時代ですね・・・
末法では、「同じ価値」は、無いですね、だから「本迹」でありましょうし・・
- 230 :もくれん:2008/12/02(火) 20:44:44
- >>226 梅さん
もくれんさん
>>210
>「証文書」も、紛失しなければ、いずれ「本体一千万円」の価値を手に入れられる。
>明確に「勝劣」です。
>これから書くことは細かすぎて、上記はスルーしちゃおうと思いましたが
>後で後悔しないために書き込みます。
>まず、一千万円(本)ですが、すでに親から譲り受けているのです。
>ですから、その「迹=影」としての「証文書」があります。
>実体を証明するものですから、それなりに価値はあるでしょうね。
>しかし、「証文書」を紛失しても、その一千万円の所有権そのものには影響は全くありません。
>そして、そのような本迹を「勝劣」のみでとらえるのは、ほんのちょっと?です。
ごめんなさい、「遺言状」のようなものと勘違いしてました。
「証拠」ですね。法華経の智慧で再確認。
あまり、私が先に書くと、落とし穴だらけになりそうですね。
しばらくは「本迹」に関しては「聞き役」に徹します。
- 231 :梅:2008/12/02(火) 20:51:14
- もくれんさん
>>223
「芸術作品」の例にはあまりこだわらないで下さい。
先生が「池に映った月の影」を現代的に「スクリーン」に置き換え
面白い喩えでユーモアをされていた(学生の卒業)ので、触発されて考えただけです。
ただ、先生は勝劣・優劣にこだわっておっしゃっていないように思いました。
>釈迦・天台の仏法と比較して、大聖人の仏法が「勝れている」のは
>修行が、万人に可能であるという点が大きいですね。
同感です。
しかし、貴女がおっしゃる万人に可能な修行って何のことですか?
実は、ここに「一大秘法」云々のカギがあると私は思います。
- 232 :梅:2008/12/02(火) 22:13:43
- もくれんさん
>>228
>三大秘法の根本教義そのものは、「変質」はしていないと私も確信しています。
解釈というよりか「表現」に変化があるのだと思います。
>むしろ、宗門は「三大秘法」を「否定」しました。(先生のスピーチより)
>その詳細は、後ほど書きますが。
そうなんですか!
詳しく教えて下さい。
>かって「戒壇の大御本尊」が「本門の本尊」であったことと、内実は
>全く同じことです。
>「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候・・」
>本質的には、何も矛盾はありません。
この点が一番の問題なのです!
「内実」という意味をはっきりさせねばなりませんが
内実が全く同じなら、沖浦さんは間違いになる余地があると思います。
逆に内実が違うなら、沖浦さんの言われることを直ちに非難せず、検証しようという姿勢が必要かと思います。
私は、創価学会が「戒壇の」を外したことは
貴女が内実と言われている以上の、とても重要な意味をもっていると考えます。
でなければ、貴女の言われた「発迹顕本」の意味がありません(そのくらい重要)
ただし、この問題はネットで軽々しく言うようなことではありませんので
この問題については、ここまでにしたいと思います。
天城さんの沖浦批判が、中途半端な感を免れないのもそのためだろうと思います。
これが、ネットの限界です。
ですから、沖浦さんもリアルでの対話を望んだのだと思いますよ。
それでよく、沖浦さんが逃げていると言われてますが、非難のための非難が多いようです。
- 233 :梅:2008/12/02(火) 23:28:24
- もくれんさん
これが本日最後の投稿になると思います。
沖浦版の「戒壇様本懐論につてどう思いますか」に投稿されていましたね。
これは単に日付の問題ではなく、そんなものをはるかに越える本質的な問題があります。
沖浦さんは、それを踏まえて言われているのだと思います。
そして、それは貴女がおっしゃってる論理が、あたかも空を切りむなしく思えるような、沖浦さんの投稿を先ほど読みました。
>>202です。
>ご本尊様と人間、どっちかしか助けられない時、自分はどうするべきなんだろう?
>現場を見て、悩んだ人間の深刻な葛藤でした。
このような葛藤がなければ、今日の沖浦さんの結論はあり得ないと思います。
貴女は、この火事の状況でどのように判断しますか?
私も自分の命に代えても、御本尊様を持ち出せと教えられた世代でしたので
その葛藤を少しは理解できます。
今時、人間のほうを捨てよなんて学会員が言うでしょうか?
色々な学会員がいるのですから、いたらいたでかまないのですが・・
さて、沖浦さんの投稿に少しでも同感するところがあったら
「法華経の智慧」第5巻173ページをお読みになってくださいませんか。
そこでは『人間のための手段にすぎない』と明確な表現で書かれています。
論理なんかでなく、ピーンと来るものがあるかも知れませんよ!
- 234 :エステラ:2008/12/03(水) 11:21:19
- 昨日届いた「新・人間革命19巻」宝塔の章の冒頭部分。
昭和47年「北陸の記念総会」での会長講演の部分。この日は立宗宣言の日でした。
◎彼は大聖人門下として最も重要な、このテーマに言及していったのである。(略)
「では、その本尊とはなにか」「(略)あえて誤解を恐れずに申し上げれば、
総じては『人間の生命をもって本尊とせよ』ということであります」
伸一は、日蓮仏法の本尊とは、決して神秘や幻想の象徴ではなく、人間自身の生命であり
ことを明らかにしたのである(略)
自身の生命こそ、根本尊敬、すなわち本尊となるのである。そしてその自身の南無妙法蓮華経の生命を
映し出し、涌現させるための「明鏡」こそが大聖人が曼荼羅として顕された御本尊なのである。
信仰者としては十分納得いく論ではないでしょうか。この講演を当時、宗門はどう受けとめたのか
明解すぎてなにも意見が出せなかったということでしょう。(表面的には)
- 235 :梅:2008/12/03(水) 13:39:10
- >>230
>あまり、私が先に書くと、落とし穴だらけになりそうですね。
>しばらくは「本迹」に関しては「聞き役」に徹します。
そうですか。
では、まとめてみましょう。
釈迦の法華経を本門迹門に分け本迹相対で、明確に勝劣を判定しました。
しかし、日蓮独一本門により釈迦の法華経は全て迹門になりました。
これが、本迹の基本的な用法です。
その応用例として、本迹の言葉が様々な場面で使われます。
たとえば、本=本当の姿、迹=仮の姿という表現自体が応用になりますが
そこから、現象として外的に認知できる場面だけでなく
「一念」という内面に踏み込んだ使い方もなされました。
さらに、その一念のあり方などから、自他を本迹で言う場合なども出てきます。
そして、このような応用では、本迹は勝劣・優劣に拘るのではなく
むしろ、「本」とされた対象を大切にするという視点が重要視されます。
そして、そのための「迹」となりますから「手段」という表現もなされます。
以上です。
沖浦さんが「曼荼羅は迹」という表現をしたとき
「本迹をそのようには使わない」と批判した人が多くいます。
しかし、その批判は上記したことを理解すれば、正当な批判になっていません。
むしろ、批判者が言いたかったことは
「曼荼羅は迹」という本質的な考え方だったはずです。
だとすれば、「曼荼羅は手段」であるか否かを正攻法から論ずるべきなのです。
それを、言葉に拘るから単なる非難に終始してしまう。
これでは最初から対話になんかなりませんね。
貴女が真摯に批判的態度を保とうとされるなら
「彼は何がいいたいのだろう?」という、私が最初にあげたテーマにぶつかるはずです。
その検証なくしては、「己義だ邪義だ」というばかりであって
誠意を尽くした対話にはならないと思います。
- 236 :龍破:2008/12/03(水) 19:07:38
- 横レス失礼致します。
皆様はじめまして。
こちらへは初めての投稿となります。
議論が進む中、申し訳ありません。
梅様の
>本迹は勝劣・優劣に拘るのではなく
むしろ、「本」とされた対象を大切にするという視点が重要視されます。
そして、そのための「迹」となりますから「手段」という表現もなされます。
梅様。
「曼荼羅が迹、人が本。」の曼荼羅の場合ならば、そのご主張も理解できなくもないと思います。
しかしながら「蓮祖が迹、私が本。」の場合は、多くの同志が理解に苦しむところです。
まずはこの「蓮祖が迹、私が本。」という考えを、梅様はいかが思いますでしょうか?
また「本迹は勝劣・優劣に拘るのではなく」とのことですが、
氏は「私も以前から、人勝法劣だと言ってますよ。」との発言もあり、
明確に「勝劣」の定義の上で「人勝法劣」と言われています。
無論この「法」とは「至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時因果倶時不思議の一法之れ有り
之を名けて妙法蓮華と為す」「聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば妙因妙果倶時に感得し給うが故に
妙覚果満の如来と成り給いしなり」「釈尊五百塵点劫の当初此の妙法の当体蓮華を証得して」という
御書を提示した上での上記コメントでありますので、
この「法」とは「南無妙法蓮華経」以外のなにものでもないと思われます。
梅様はこの「人勝法劣」論につきましてもいかがお考えでしょうか?
上記二点につきお考えをお聞かせくださいませ。
宜しくお願いいたします。
- 237 :粛坊:2008/12/03(水) 20:31:42
- >>234
>>236
こちらのスレッドはもくれんさんがスレ主であり、現在使用中でございます。
龍破さん。別スレ立てて戴いても結構ですよ。
- 238 :もくれん:2008/12/03(水) 22:30:23
- >>234 エステラさん
はじめまして、
ご意見、読ませていただきました。
今回は、簡単ですが、2008年10月号 大白蓮華の「報恩抄」講義よりの
先生の指導を掲載しておきます。
勿論、お手元の大白蓮華で確認されれば、なお結構だと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
三大秘法、なかんずく一大秘法の「本門の本尊」は
2008年 10月号 大白蓮華 「報恩抄」講義より
★万人の生命に本来、具わる尊極の生命を一人一人に自覚させるために、
★大聖人己証の尊極の生命をあらわされた「本門の本尊」とあります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
エステラさんへのコメントは、あえて控えておきます。
- 239 :もくれん:2008/12/03(水) 22:41:13
- >>233 梅さん
>ご本尊様と人間、どっちかしか助けられない時、自分はどうするべきなんだろう?
>現場を見て、悩んだ人間の深刻な葛藤でした。
このような葛藤がなければ、今日の沖浦さんの結論はあり得ないと思います。
貴女は、この火事の状況でどのように判断しますか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
池田先生の指導で、「御本尊さまは、又、いただけるのだから、絶対に無理を
して、自分の命を落とすようなことがあってはいけない」という指導を
読んだ記憶があります。ただ、出典は記憶にありませんので、出せません。
私の判断はというと、基本的には、両方、助けたいと思います。
あらかじめ「if」は、持ちたくないと思います。
御本尊さまをお巻きするのに、30秒くらいでしょうか。
シュミレーションは、必要だと認識しています。
- 240 :もくれん:2008/12/03(水) 23:24:06
- >>232 梅さん
>三大秘法の根本教義そのものは、「変質」はしていないと私も確信しています。
解釈というよりか「表現」に変化があるのだと思います。
>むしろ、宗門は「三大秘法」を「否定」しました。(先生のスピーチより)
>その詳細は、後ほど書きますが。
そうなんですか!
詳しく教えて下さい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
http://jbbs.livedoor.jp/study/7888/storage/1215745197.html 57
池田大作全集83(スピーチ集) 1999年発行 から 抜粋
161〜163ページ 抜粋
御本尊といっても、大切なのは、「信心」である。
日寛上人は、「観心本尊抄文段」で、述べられている。
「もし、刹那も信心あらば即ち、一念三千の本尊を具す。
故に、『介爾も心あれば即ち三千を具す』というなり。
譬えば水ある池には月便ち移るが如し。
宗祖の所謂『此の御本尊も只信心の二字にをさまれり』とはこれなり。
(文段集 466P)
大聖人は『此の御本尊も只信心の二字にをさまれり』 御書 1224 P
と仰せである。
『信心の二字』の中にこそ、御本尊はまします、と。
戸田先生は、御本尊を幸福製造機に譬えられたが、強情な信心に
よってのみ、御本尊の広大無辺の大功力も現れるのである。
この一点に、大聖人の仏法の真髄がある。
そして、日寛上人は「こういう法門は前代未聞であり、誰が
信じられようか」と問を設けられたあと、大聖人の血脈抄である
「本因妙抄」の次の一節を引かれ、答えとされている。
すなわち『観行理観の一念三千を開して名字事行の一念三千を顕す、
大師の深意・釈尊の慈悲・上行秘伝の秘曲・是なり』
御書 872 P
観心の本尊の深義もここにある。
さらに、日寛上人は、このこと、すなわち、
信心にこそ、本尊は具することを、知っているかどうかに
『御相伝の家』 か 『不相伝の輩』 かを分ける基準を置いておられる。
この観心の本義からいえば、信心強き人ほど、尊き人はいない。
その人の胸中には御本尊がましますからである。
そして、日顕宗は、「最も信心強き人」すなわち、創価学会を
破門したという一点だけでも、じつは『不相伝の輩』なのである。
★ まさに、日顕宗は三大秘法否定の邪教である。
★ この、大悪を根絶してこそ大善になる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
先生のスピーチを記載したものです。
★印は、私が強調したい目的で、つけたものです。
宗門は「広宣流布」への信心が無いに、尽きるわけです。
御本尊と戒壇だけあって、「御本尊を信じての自行化他の題目が無いですね」
三大秘法にならないのですね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
- 241 :風凛 ◆IuSmpGjaC6:2008/12/03(水) 23:41:31
- >>215
>以前、ある学会員のブログで、沖浦さんと同じく「日付」がどうのこうので
大聖人の出世の本懐は題目ではと、「私見」ですと断って述べているのを
目にしたことがあります。
その方も「御本尊」建立は「本懐」ではないのではと・・
結構「沖浦さん説」に、共感して同意を示す方もいるようですね。
ただ、鶏が先か、卵が先かは、わかりませんが、たまたま、意見の一致する方も
いるようですね。
● もくれんさん、こんばんは。
上記は、非公認でも書き込みされたものですね。
(ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/9645/1217511921/197)
「ある学会員のブログ」とは、市丸さんのブログでしょうか。
それを確認させて下さい。
もくれんさんのお返事無い場合は、市丸さんのブログという事でよろしいでしょうかね。
(もしも違うならいいのですが、もくれんさんが書かれた内容拝見した所、
市丸さんのブログと思うロム者いるかもしれません。)
とても大事な事なのはもくれんさんならお分かりと思います。
もくれんさんご自身も下記のようにおっしゃっているように、です。
(>>213
>しかし「教義」に関しては、「心情的配慮」は不要です。)
感じた事は、私のスレッドに書いておきます。
この質問も、梅さんともくれんさんのやりとりの邪魔する気は無い為、私のスレッドに書こうと思いましたが、
もくれんさんが見落とす可能性あるので、こちらに書きました。
- 242 :もくれん:2008/12/03(水) 23:52:19
- >>235 梅さん
>貴女が真摯に批判的態度を保とうとされるなら
>「彼は何がいいたいのだろう?」という、私が最初にあげたテーマにぶつかるはずです。
>その検証なくしては、「己義だ邪義だ」というばかりであって
>誠意を尽くした対話にはならないと思います。
オアシスを丹念に見ていただければ、わかりますが、
沖浦さんが「何を言いたいのか」の探求でした。
同時進行で、「対話」をしていた方も、何人かおりますが、
彼らは「破折」が目的だったと思います。
私は「とことん」「何が言いたいのか」の探求でした。
そのプロセスで、例のドブ板からも、非難の連続でした。
何故ならば、ドブ板は、沖浦氏は「統監上は名簿はあるが、学会員ではない」
が前提で「最初に悪人ありき、一切問答無用」のスタンスですから
理解してあげようなんて人間は、イコール敵ですから。
しかし、私のレスを「合成捏造」され、それを「池田先生が仰っています、
もくれんさんのレスからです」と若鷹掲示板で、掲載され、
「もはや、ここまで」となったわけです。
http://jbbs.livedoor.jp/study/7888/storage/1214133728.html
524〜550 までは、多いに参考にしていただきたいです。
http://jbbs.livedoor.jp/study/7888/storage/1215745197.html
321・322・323・329・330・331・332・333・337・369・374・376・385・388
440・450・451・452・453・454・462・470・476・・・・
参考にしていただければと思います。
- 243 :もくれん:2008/12/04(木) 00:31:37
- >>235 梅さん
>だとすれば、「曼荼羅は手段」であるか否かを正攻法から論ずるべきなのです。
これは、勿論、少なくとも、私は言いましたよ。
「帰命の対境」であると。
ただね、沖浦さんの「新板」「天城氏の邪義を笑うスレッド」で
唯一、沖浦氏が自説の根拠として「提出したもの」ですが、
このスレッドの >>26 >>27 を参照していただきたいですが
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
★凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり・・
この深義について・・・
先生の「諸法実相抄講義」より 池田大作全集24 P45〜
凡夫があくまで「本仏」である。これに対して、釈迦仏をはじめ、
経文に説かれるあらゆる仏は、妙法蓮華教の働きとしての「迹仏」に
すぎない、ということであります。
法華経の道理から言えば当然のことでありますが、それをこのように
明確に言い切り、凡夫こそ本仏なりと断ぜられたところに、日蓮大聖人の
教えが、末法万年の未来に投じた、不滅の力用と光明があるのであります。
★ ここに、凡夫と仰せられたのは、別して日蓮大聖人の御事であり、
日蓮大聖人が御本仏であられることを示されております。
「御義口伝」に「末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり・・・仏とも云われ
又凡夫僧とも云わるるなり」とあるとおりであります。
ともに、総じて私どもは、当然凡夫であります。その凡夫が最も、尊く、
偉大であることを、日蓮大聖人が、自ら凡夫の姿を示してお説きくださって
いるのです。
あくまでも、日蓮大聖人の仏法は、人間が中心であります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このことに関連して、沖浦氏の掲示板に「時乃旅人」さんが来てました。
「M」なる実名と、具体的職業名、完全に本人を特定できます。
「M」氏なる人物が先生の言葉を結果として「捏造」したかの沖浦氏の
発言に、直接「M]氏を知る「時乃旅人」さんが厳重抗議したわけです。
梅さんとも「やり取り」してましたね。
ですから、「曼荼羅」は「帰命の対境」です・・と言っても、沖浦氏の耳には
届かなかったのです。「手段」は言語道断ですね。
>だとすれば、「曼荼羅は手段」であるか否かを正攻法から論ずるべきなのです。
私は、やり尽くしました、次は梅さんに期待します。
更には このスレッドの >>176 ですね。
生死一大事血脈抄ですね。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3764/1216869448/l50
小野さんは、偏見なく、誠実に、教学対話をされたと思います。
又、過去レスでも、誠実に正確に「偏見」無く「対話」されたと思います。
ややもすると、関西系は「教学上」以前に「過去の行状そのもの」が
許せないというのがスタートらしいです。
その点、小野板では、偏見無く、対話を重ねていたと思います。
- 244 :龍破:2008/12/04(木) 02:04:16
- 粛坊様
>こちらのスレッドはもくれんさんがスレ主であり、現在使用中でございます。
まずかったでしょうか?
どうしても梅さんの見解を知りたかったもので・・・。(^^;
申し訳ありません。
>龍破さん。別スレ立てて戴いても結構ですよ。
新参者の私に有難うございます。m(_ _)m
取り急ぎ、先の二点だけ梅様のお考えをお伺いさせていただき、
その後さらなる進展がありそう又は長期化しそうで、
こちらのスレで邪魔になりそうでしたらそうさせて下さいませんでしょうか?
私自身スレ主になれるほどの投稿の時間も捻出できそうになく、
又、いまこちらで議論されてることにも関連していることですので・・・。
スレ主のもくれん様
議論中、横レスなどして誠に申し訳ありませんでした。
いまこちらで議論されてることにも関連していることですので
とりあえず上記(№236の)二点だけ、こちらのスレをお借りして
梅様にご質問しても宜しいでしょうか?
ご検討の程、よろしくお願いします。
- 245 :粛坊:2008/12/04(木) 10:00:59
- >>244
龍破さん
もくれんさんが了承であれば、構いません。
- 246 :風凛 ◆IuSmpGjaC6:2008/12/04(木) 12:28:54
- もくれんさん、こんにちは。
私のスレッドにお返事書きました。
その中で特に、下記の件への返信については、よろしくお願い致します。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1228183664/63
- 247 :もくれん:2008/12/04(木) 13:39:57
- >>232 梅さん
>かって「戒壇の大御本尊」が「本門の本尊」であったことと、内実は
>全く同じことです。
>「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候・・」
>本質的には、何も矛盾はありません。
この点が一番の問題なのです!
「内実」という意味をはっきりさせねばなりませんが
内実が全く同じなら、沖浦さんは間違いになる余地があると思います。
逆に内実が違うなら、沖浦さんの言われることを直ちに非難せず、検証しようという姿勢が必要かと思います。
私は、創価学会が「戒壇の」を外したことは
貴女が内実と言われている以上の、とても重要な意味をもっていると考えます。
でなければ、貴女の言われた「発迹顕本」の意味がありません(そのくらい重要)
ただし、この問題はネットで軽々しく言うようなことではありませんので
この問題については、ここまでにしたいと思います。
天城さんの沖浦批判が、中途半端な感を免れないのもそのためだろうと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「戒壇」については、特に資料を持ち出さずとも、正本堂が完成して
それまでの場所から、正本堂へ大御本尊さまを「移動」・・正式な言い方は
今資料が無くて・・御遷座でしたっけ・・
当時の日達上人が、正本堂の完成で「御遷座」により「本門の戒壇」と
認めた・・これでよろしいでしょうか?
又、すぐに、書籍で見つけますが、
「内実」とは、「曼荼羅御本尊」は「御本仏の御生命を図顕したもの」であるから
「戒壇」の言葉が付こうが、付くまいが、「御本仏の御生命」という内実は
同じですという意味です。
現在、最新の「本門の戒壇」の定義は、2008年10月号大白蓮華「報恩抄」講義
南無妙法蓮華経への不信を互いに戒め、大法の弘通と立正安国の実現を誓い合う
和合僧を築くゆく「本門の戒壇」・・とあります。
私は、納得しています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1226090096/114
2008年9月29日付けの聖教新聞「秋季彼岸勤行法要での名誉会長のスピーチ」
師弟会館の 「創価学会常住御本尊」
関西の池田記念講堂の「関西常住御本尊」
「法華弘通のはたじるし」1243P
との指導を引かれて、詳しく語られている。
このスピーチから、何を読み取るかは個人差があっても仕方ないが、
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「戒壇の大御本尊」に「対応」すべく、「法華弘通のはたじるし」を
どう、読み取るかは、現時点では、個人差があって当然だと思います。
創価学会の発迹顕本とは、あらゆる点で、本来の仏法の本義に則り
人間主義の日蓮大聖人直結の教団になれた・・という意味で使いました。
それまでは、宗門からの「縛り」が多々あったのは事実ですから。
「御本尊」は「法」そのもの、「大聖人の御生命」そのものですから、破門によって
変質すべき「性質」のものではありません。
むしろ「御本尊」を全く信じていなかったのが、現宗門であり、
まともな御僧侶は「離脱」したわけです。
- 248 :風凛 ◆IuSmpGjaC6:2008/12/04(木) 13:56:46
- もくれんさん、私のスレッドへのレスありがとうございました。
あちらに返信しました。
私からは、下記の件のみ少しお手すきの時にお願いしたい事です。
よろしくお願い致します。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1228183664/66
- 249 :梅:2008/12/04(木) 15:06:22
- もくれんさん
>>247
>「内実」とは、「曼荼羅御本尊」は「御本仏の御生命を図顕したもの」であるから
>「戒壇」の言葉が付こうが、付くまいが、「御本仏の御生命」という内実は
>同じですという意味です。
論点の理解について、お互いの間にズレが見られるようです。
私は「戒壇の大御本尊」は大聖人の「出世の本懐」を顕した「特別の大御本尊」だという伝統的教義
の視点から
ています。そのことには現在では「内実」に変化があると思います。
それに対し、貴女は「戒壇の大御本尊」とその他の「曼荼羅御本尊」とを区別しない観点から
「内実」は変わらないと言われているようですね。
ズレがあると申し上げた点はご了解いただけますか?
私の視点に立てば、これは先にも言いましたように、単に「戒壇の」を外したでは
という問題を越えているという表現もご理解いただけると思うのですが・・
しかし、今これを論じるのは置いておきます。
それに、私たちの対話では論点として取り上げる必要もありません。
私がこの問題に触れたのは、教義の「解釈・表現」は、伝統的解釈であっても
時代の変化に応じて変わりうるのだということを言いたいがため過ぎません。
『本門の戒壇』でも、かつては『国立戒壇』だったのです。
そういう事のご理解のために、私の手元にある昭和61年版「仏教哲学大辞典」の記載を参考資料に出したのでした。
これは、もくれんさんにもご理解していただけたものと思っていました。
さて、沖浦さんを他人がどう評価しているかは、私たちの対話では本質的なことではありません。
ですから、私たちの対話を進めるために
私の>>235の本題である本迹の「まとめ」についてレスを下さい。
そこに齟齬があるようでしたら、そのことこそ真摯に対話する内容なのですから・・
- 250 :もくれん:2008/12/04(木) 15:11:53
- 風凛さん、ご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。
ただ、梅さんとの対話が続いていますので、今しばらくここには
いさせていただきます。
それが、完全に終了しだい、私は撤退いたしますので、それで
ご了解いただきたく思います。
風凛さんも私に対して釈然としないことが残り、ご不満なのは承知して
いますが、梅さんが、沖浦説の正しくないことが理解できれば
私の目的は終了しますので、今しばらくご猶予をお願い申し上げます。
そのブログの方にも、私が謝罪していましたとお伝えください。
それでご納得いただけなくても、私としては、ネットから去るという
方法しかできませんので、申し訳ないですが、その旨よろしくお願い
申し上げます。
- 251 :梅:2008/12/04(木) 15:16:25
- >>249
不具合かどうか、投稿の一部が欠けました。
「伝統的教義の視点から」の後に→「内実」を見
- 252 :もくれん:2008/12/04(木) 16:00:47
- >>249 梅さん
>私は「戒壇の大御本尊」は大聖人の「出世の本懐」を顕した「特別の大御本尊」だという伝統的教義
>の視点から
>ています。そのことには現在では「内実」に変化があると思います。
そうですね、「特別の御本尊」であって、例の金原氏の本でしょうか
「真偽はいかに」と、仮に「真」であったとしても、つまり公安2年10月12日のですね
今は、他教団に存在するのですから、どうしようもないですね。
でも、他教団にせよ、またいずれかにせよ、弘安2年10月12日に出世の本懐で
ある大御本尊建立・・これは「御書の世界」の先生の言葉ですから、そのとおりに
受け止めます。
これは、沖浦氏の板で、森野さんとも話しましたが、「完成形」という表現を
一度は使い、軽々しく使うのは撤回しました。森野さんも私も同様です。
ただ、出世の本懐の大御本尊以前の、個人的な授与の御本尊が
どのようであれ、御本仏が厳然とおられ、御本仏自ら認めたのですから
何の問題もないですね。
しかし、それまでの個人的に授与されていた曼荼羅に対して
「一閻堤浮総与」という意味は重要だと思います。
一閻堤浮総与がポイントだと思います。
本当は、いわゆる「戒壇様」は人類全体のためのものですね
宗門が「独占」して、大聖人の精神とを違えてしまったのです。
その意味でも、宗門は「邪教」ですね。
「邪義」の定義は、大聖人の御精神に反する・・先生のスピーチより
宗門と一緒だった時は、「戒壇様」といわれる、大御本尊が出世の本懐・・
これは、そのとおりでいいと思います。真偽は別にして・・
御本尊に関しては、日蓮大聖人直結の、つまり、大聖人の御精神のとおりの
実践の団体が「授与の資格」があります。・・・先生のスピーチより
私は全く納得しています。授与とは、いつか梅さんが問題提起していた
「書写」のことも含まれます。
私はこの「仏意仏勅」の教団が、ポイントだと思います。
あまり、御本尊のことを自分で思索するのは、「無意味」とは言いませんが、
迷路に入ると思います。
一番大切なのは「広布への実践」だと思います。
創価学会に在籍しているということは、個人差がありますが、「一応」
組織総体を信頼しているわけです。
更に言えば、師匠を信頼しているわけです。
その「伝統的教義」という点では、ゆるやかな舵取りで、おそらく
大多数の方は、自然に納得しているのだと思います。
何よりも、唯一の仏意仏勅の教団で地涌の菩薩として活躍できることに
喜びと感謝の思いが、大きいと思います。
又書きます
- 253 :風凛 ◆IuSmpGjaC6:2008/12/04(木) 16:10:36
- http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1228183664/72
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1228183664/73
>>250
もくれんさん、こちらにも返信ありがとうございます。
上記のリンク先読んで頂ければ、多分何か伝わると思います。
- 254 :もくれん:2008/12/04(木) 16:17:15
- >>231 梅さん
>同感です。
>しかし、貴女がおっしゃる万人に可能な修行って何のことですか?
>実は、ここに「一大秘法」云々のカギがあると私は思います。
「曼荼羅御本尊」と「信」の「自行化他の題目」で「己心の妙法(本尊)」
を事実の上でひらいていける・・これに尽きますよね。
- 255 :もくれん:2008/12/04(木) 16:33:38
- 梅さん、これが沖浦さんのレスですね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
http://jbbs.li沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/12/02(火) 21:06:36 ID:AJ3hr85o0
あのね、もくれんさんや、他の方々、私が曼荼羅が迹、人が本と言うでしょう。
そうすると、判で押したように、ご本尊様軽視だ。って、浮かれ騒ぐんですよ。
馬鹿ですね〜〜、この手合い。
じゃ、自分たちは人間軽視じゃないですか。
この単純明快な道理を忘れ果てて浮かれてんです。
迹が軽視ならね、アンタ方、この世で最も大切な人の命軽視してるんじゃないですか。
私が19歳の時、近所で火事があったんです。
創価学会員のお宅で、生まれて一月ほどの赤ちゃんが焼死されました。
私と幹部が非難場所に激励にいきました。
すると幹部が、ご本尊様はどうしました?って、聞いたんです。
ご主人がキット顔を上げられて、子供も出せなかったんです。と、返事されました。
数日後、妙本寺という寺で友人が出家してたので聞きました。
この場合どっちが優先なんだ?
すると、人です。って、即答されたのです。
私は当時、人よりご本尊様が先だと教えらていたんです。
以来、31歳まで、ズ〜〜〜〜〜ット考え続けていました。
ご本尊様と人間、どっちかしか助けられない時、自分はどうするべきなんだろう?
現場を見て、悩んだ人間の深刻な葛藤でした。
31歳で耕治が3歳、と1歳、火事になって、子供見捨ててご本尊様助けて本当に正しいのか?
子供見ながらいつも考えていたんです。
その時、池田先生の観心の本尊抄のご指導を聞きました。
『観心とは信心です。
我が己心の仏界を信じる。
これが観心です。
私たち凡夫が信心するためには本尊が要る。
そのための本尊だよ、本尊のための人間じゃないよ。
その信心のための本尊を、五の五百歳に始めておいたよ。と、こう読むんです。
本尊のための人間じゃないよ、人間のための本尊だよ。
だから大聖人様はありがたいんです。』(趣意)
その時、長年の疑問がパット解決しました。
人を先ず助けよう。
それから、御書の読み方が変わりました。
人が迹、曼荼羅本。
絶対に邪儀ですよ。
人の命より大切なもの、この世にあるはずないじゃないですか。
それを、人が本で曼荼羅迹だとご本尊様軽視??
アンタ方ね、命軽視の大謗法です。
情けない!!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>迹が軽視ならね、アンタ方、この世で最も大切な人の命軽視してるんじゃないですか
人間が迹・・とは、誰も言っていないのに「カン違い」です。
>私は当時、人よりご本尊様が先だと教えらていたんです。
これは厳密には「カン違い」か「間違い」だと思います。
御本尊を大切にとの指導は当然あるでしょうが、今でもですね
人命と比較した指導は、聞いたこともありませんし、書籍でも見たことは
ありません。
> 私たち凡夫が信心するためには本尊が要る。
> そのための本尊だよ、本尊のための人間じゃないよ。
この記述は、精緻に検証します。
>人が迹、曼荼羅本。
これは、誰も主張してません。念のために。
- 256 :もくれん:2008/12/04(木) 16:40:18
- 沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/12/02(火) 16:09:46 ID:AJ3hr85o0
もくれんさん
邪儀ですね〜〜。
先生はね、
御法主上人猊下様に心服随従し。
何百回も言われてます。
貴方、サッサと如師に心服随従なさい。
本当に、機根読めない人ですね〜〜。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ただ、「御書の世界」は、破門後で、まして2003年頃・・・
このレスは、沖浦さんが、破門前であれば、場合によっては「妥協した表現」を
言わなくてはならなかったことと、「カン違い」ですね。
結局、他人のレスの内容を、ほとんど読んでいません。
- 257 :梅:2008/12/04(木) 16:53:01
- 龍破さん
はじめまして
>>236
について、お返事いたします。
龍破さんは、このスレッドのどこら辺からロムされていますか?
私は沖浦版から、もくれんさんのご招待を受けて訪問しました。
このスレでは、No147以下のもくれんさんの投稿を確認して
私の投稿はNo157から始まっています。
その開始部分をご承知でしたら、対話のきっかけは沖浦版にあることもご存知かと思います。
ちなみに、沖浦板「日々さんとphotochikaさん」スレです。
そこのHo77〜102までの間に、もくれんさんと私との計8回の投稿があります。
そちらの投稿をご覧になれば、私たちが対話を始めた理由もお分かりになられると思います。
さて、貴方は私に2点につてご質問されました。
ネットはいわば解放された空間ですから、「横レス」はむしろ当たり前だろうと思います。
私も好奇心旺盛なほうですから、他人の思索した内容や結論を知りたいと思うのはよく分かります。
しかし、今、私が貴方のご質問に答えしたとすると
もくれんさんと私との対話の流れが、乱流・暴流ごとく荒れてしまうかも知れません。
なぜなら、貴方の問いは、対話している現在の内容の先を行くものだからです。
それに、貴方は
>多くの同志が理解に苦しむところです。
とおっしゃっていますが、私はそのような実態を把握しておりません。
また、多くの同志の理解を得られる程の力量は私にはありません。
したがって、貴方のご質問は、私がどう考えているかよりも
まず、貴方自身が沖浦さんにぶつけてみるものではないでしょうか?
私はそこに居候しておりますので、そこでは貴方の投稿を見逃すことなくロムできると思います。
- 258 :もくれん:2008/12/04(木) 16:55:39
- >>235 梅さん
>さらに、その一念のあり方などから、自他を本迹で言う場合なども出てきます。
>そして、このような応用では、本迹は勝劣・優劣に拘るのではなく
>むしろ、「本」とされた対象を大切にするという視点が重要視されます。
>そして、そのための「迹」となりますから「手段」という表現もなされます。
以前、沖浦さんが、沖浦さん自身と友人の例で使っていた >>196 と
同様と理解していいですか?
私は伝統的教学に則るべきと、思いますので、
明確に「間違い」と申し上げます。
私の「本・迹」
友人の「本・迹」
これは、そのとおりですね。
しかし、私と友人を「本迹」関係で、表現しなくても、普通に素直に
「友の幸せを祈り、共に行動し・・・」でいいと思います。
- 259 :もくれん:2008/12/04(木) 17:13:50
- >>235 梅さん
>曼荼羅は手段
確かに「曼荼羅」は、衆生の仏界の生命涌現に、「使われます」「活用されます」
タンスにしまっておいたら、意味ないですね。
本来の目的を、果たしませんと・・
そういう意味では、「衆生自身の己心の本尊」を「ひらく」のが、人間にとって、
真の「目的」ですから、絶対に「間違い」とは、言い切れませんが。が、が、
そもそも「手段」という言葉は、曼荼羅御本尊に対しては
「きわどい」「あやうい」表現であることは、間違いありません。
★ 内実から言えば、完全に「間違い」です。
★ どこまでも「帰命の対境」ですから。
普通の学会員が「手段」という「表現」をしますか?
これは、驚きますよ。
やはり、日顕宗の「信徒支配のための御本尊利用」の、トラウマが
大いに影響があるのだと思います。
「利用」とは、自身の目的のために他者を「手段」とすることですからね、
「利用された」と、恨みをこめて、言うのを聞くことはありますね。
氏なりに、法華講のひとたちとの「たたかい」の結果ですが・・
それについては、興味深い記事がありますので、次のレスで
夜以降になりますが、紹介します。
- 260 :梅:2008/12/04(木) 17:21:37
- もくれんさん
>>252
>「真偽はいかに」
・・・・・・・・・・
>でも、他教団にせよ、またいずれかにせよ、弘安2年10月12日に出世の本懐で
>ある大御本尊建立・・これは「御書の世界」の先生の言葉ですから、そのとおりに
>受け止めます
もくれんさん、これは貴女の把握している金原本の「内容」が違うのです!
貴女はひできさんからの簡単な情報を受けただけですね。
金原本は「偽造」云々を通して論じるような、そのような視点で書かれていないのですよ。
私は大御本尊に関することを、軽々しくネットでは書かないと前に申し上げました。
ですから、これ以上は金原本にも触れません!
しかし、あなたの把握している内容は、全く間違っています。
こんなことよりも
本迹の「まとめ」についてレスを下さいな。
- 261 :梅:2008/12/04(木) 17:25:53
- もくれんさん
>>260は
>258、>259の書き込みを知る前に書いた投稿です。
- 262 :梅:2008/12/04(木) 17:57:05
- もくれんさん
>>235の冒頭部分を再掲します
分かり安くする為に??・・と行頭に数字を加えます
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
?>>そうですか。
?>>では、まとめてみましょう。
?>>釈迦の法華経を本門迹門に分け本迹相対で、明確に勝劣を判定しました。
?>>しかし、日蓮独一本門により釈迦の法華経は全て迹門になりました。
?>>これが、本迹の基本的な用法です。
?>>その応用例として、本迹の言葉が様々な場面で使われます。
?>>たとえば、本=本当の姿、迹=仮の姿という表現自体が応用になりますが
?>>そこから、現象として外的に認知できる場面だけでなく
?>>「一念」という内面に踏み込んだ使い方もなされました。
?>>さらに、その一念のあり方などから、自他を本迹で言う場合なども出てきます。
?>>そして、このような応用では、本迹は勝劣・優劣に拘るのではなく
?>>むしろ、「本」とされた対象を大切にするという視点が重要視されます。
?>>そして、そのための「迹」となりますから「手段」という表現もなされます。
?>>以上です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
貴女は?以降の文にレスされていますが
A:それ以前の?まではこの対話の了解事項でよろしいですか?
「曼荼羅は手段」は『まとめ』では触れていませんよ。
?は迹が手段という表現で使われる場合もあることを指摘しています。
それが「法華経の智慧」第5巻173頁にあることは指摘済みです。
B:?について了解事項になりますか?
以上A.Bについてのレスをお願いします。
- 263 :梅:2008/12/04(木) 18:06:44
- >>262
訂正
分かり安く→分かり易く
「安易」って書くのにねぇ〜
「容易」とは違う、考えるとちょっと面白い!
- 264 :もくれん:2008/12/05(金) 11:13:46
- >>262 梅さん
?までの、返答です
?>>釈迦の法華経を本門迹門に分け本迹相対で、明確に勝劣を判定しました。
はい、そうです。
?>>しかし、日蓮独一本門により釈迦の法華経は全て迹門になりました。
はい、そうです。
?>>これが、本迹の基本的な用法です。
はい、そうです、念のために、本地と垂迹も入れておきます。
?>>その応用例として、本迹の言葉が様々な場面で使われます。
はい、そうです。ただし、「応用例」というより、基本概念に則り
様々な事象への「適用」と、念のために付け加えておきます
?>>たとえば、本=本当の姿、迹=仮の姿という表現自体が応用になりますが
はい、ちなみに、仏教哲学大辞典では、「仮」は記述はありませんが、法華経の智慧では
使用しています、ので、返答は、イエスです。
「仮」は応用というより、「迹」「跡」だけが仏教哲学大辞典に記載されていますが、
先生たちが、「法華経の智慧」で、実際に使用しているので、
「迹」「跡」に準ずるもので、基本的概念に含んでいいと思います。
?>>そこから、現象として外的に認知できる場面だけでなく
?>>「一念」という内面に踏み込んだ使い方もなされました。
はい、ちなみに、先生は「臆病な心」を「迹」と表現されています。
というか「一念」の反映が「具体的行動・事象」に表出するので
ありますから、「一念・こころ」と「行動・ふるまい・現象・事象」は
根底で不二の関係ですので、「現象・行動・事象・ふるまい」等の表現だけでも
「一念・こころ」等の「内面的な」ものを含んでいると思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
簡単ですが、?まで、答えました。
- 265 :もくれん:2008/12/05(金) 11:26:37
- >>264の続き
>「曼荼羅は手段」は『まとめ』では触れていませんよ。
フライングであったかもしれません。
>?は迹が手段という表現で使われる場合もあることを指摘しています。
>それが「法華経の智慧」第5巻173頁にあることは指摘済みです。
>B:?について了解事項になりますか?
記述されている、通りに理解していますが、「手段」という言葉を
一人歩きさせては、いけないと思います。
法華経の智慧 第5巻173pの、ケースの場合は、その通りと理解しています。
- 266 :もくれん:2008/12/05(金) 12:05:45
- もくれん:2008/12/05(金) 12:03:55 ID:gO.Fk5NY0
>>202 沖浦さん
今、粛坊さんの掲示板で、梅さんと、沖浦さんご主張の論「衆生己心の妙法が本・曼荼羅が迹」
についての「意見交換対話」をしています。
そろそろ、終盤になります。
梅さんとの「対話」が終了すれば、掲示板への書き込みは一切終了します。
その後は、自分のブログを作る予定です。
本日の沖浦さん宛のレスは、事実上、最後のレスになります。
長くなりますので、2回くらいに分けます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>あのね、もくれんさんや、他の方々、私が曼荼羅が迹、人が本と言うでしょう。
>そうすると、判で押したように、ご本尊様軽視だ。って、浮かれ騒ぐんですよ。
> 馬鹿ですね〜〜、この手合い。
> じゃ、自分たちは人間軽視じゃないですか。
> この単純明快な道理を忘れ果てて浮かれてんです。
> 迹が軽視ならね、アンタ方、この世で最も大切な人の命軽視してるんじゃないですか
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最初に、日々朗らか(決意)さんのことを話します。
沖浦さん自身が、ご存知のように、大多数の会員から、「沖浦説、つまり
衆生己心の妙法は本・曼荼羅は迹」は「間違い」である「邪義」であるとの
指摘を受けています。
しかし、日々さんは頑として「沖浦さんは間違えていない」と主張しています。
例えていえば、日々さんが息子、沖浦さんが父親
息子が学校で「お前の父ちゃん、おかしなことを言っている、アホだ」
と、毎日のように、いじめにあい、いたぶられても、それでも
「俺の父ちゃんは何ひとつ間違えていない!!!」と、健気に反論をします。
そして、梅さんは
「伝統的教学上の表現では、間違えているが、それでも、沖浦さんの「真意」を
信じたい・・との思いで、私との対話を続けています。
★ 今回のレスの目的は、日々さんや、梅さんの「沖浦さんを信じたい」
との「思い」を踏みにじらないで、裏切らないで、との「お願い」の
レスです。
・・・・御本尊さまを軽視していないのであれば・・
常識的な表現方法で、充分、可能です。
以下、先生の講義から、引用します。
▼ 自分が幸福になるための御本尊です
▼ 万人を幸福にするための御本尊です
いずれも「御書の世界」から
まだ続きます
- 267 :もくれん:2008/12/05(金) 12:40:18
- :もくれん:2008/12/05(金) 12:38:23 ID:gO.Fk5NY0
>>208 の 続き
火事の際の、池田先生の指導を読んだ記憶があります。記憶ですが
内容的には正確に覚えています。
▼ 御本尊様は、又いただけるのであるから、御本尊様を持ち出そうとして
自分の命を落とすようなことがあっては、いけない・・
実際に、命を落とした方の例があっての、ご指導だったと記憶しています。
ただし、私は個人的には、我が家に、あっては、「絶対に火災は出さない」
との決意で日々祈っております。
現実問題として、同志の方の家屋が「スワ!、火事だ」ということで、駆けつけ
当然、その同志の方の救出を最優先しますが、その前に専門家である「消防隊」
が、その方を救出中であれば、防火服を着ている、専門家に依頼して
仏間の御本尊の「持ち出し」を依頼するかもしれないです。
素人が防火服なしで、火災のど真ん中へ飛び込むのは、危険です。
ただ、火災の例での比較は、現実面での「対応」の話です。
大多数の皆さんが、指摘しているのは、日蓮仏法の根幹の教義上のことです。
沖浦さんが、理解している「本迹」の使い方は、一旦、封印して、
先生の著書では、沖浦さんが「言いたいこと」を適切に表現していますので
それらの表現を使用すれば、何の問題も発生せず、
日々さんの「沖浦さんは、間違っていない!!」との「証明」になります。
以下、御書の世界より
▼ 全民衆を救済するためには、どうしても、人間自身の胸中にある本尊を
涌現させていく以外にない。
全人類が平等に胸中の本尊を涌現することができ、万人にその可能性が
与えられる。
「観心本尊」は、偉大なる本尊革命であり、人間の可能性を最大に尊重し
現実に変革を可能にする「人間のための宗教」の精髄です。
ここだけでも、かねてから、沖浦さんが主張している「人間のための宗教」
が、しっかり表現されています。
曼荼羅が迹、などの表現を使用しなくても「人間のための宗教」は
表現できます。
とりあえず、ここまでで・・
- 268 :梅:2008/12/05(金) 14:00:33
- もくれんさん
>>266
>そして、梅さんは
>「伝統的教学上の表現では、間違えているが、それでも、沖浦さんの「真意」を
>信じたい・・との思いで、私との対話を続けています。
私は沖浦さんの「真意」を信じたいから、貴女と対話してるわけではないですよ。
大変誤解を生む言葉です。
>>157
>>本迹の使い方が違うのではないかというご指摘は、確かに伝統的な教学では違うかもしれないですね。
>>このことは、沖浦板の「三大秘法について考えませんか?」No838での私の投稿の中で
>>投稿者の多くに見て取れる本迹の混乱について触れるコメントをしました。
>>しかし、原則的な本迹の理解ではなく使われてる用例もありはしませんか?
>>たとえば、「眠っている時は迹・起きている時は本」のような場合です。
>>私は、この用例があまりよく理解できないのです。
>>貴女は、どう思われますか?
>>もし、この用例が従来の本迹の用例として合理的説明ができるなら
>>そこで改めて沖浦さんの本迹の使い方を考察したいと思います。
私は、このように申し上げていて、「沖浦さんが間違っている」などとは一言も言っていないですよ。
本迹の検討が済んだら、沖浦さんの本迹を考察しましょう提案しています。
明白な誤りですから、沖浦版にもご訂正願います。
また
>今、粛坊さんの掲示板で、梅さんと、沖浦さんご主張の論「衆生己心の妙法が本・曼荼羅が迹」
>についての「意見交換対話」をしています。
>そろそろ、終盤になります。
まだ、本迹の確認段階ですね。つまり、序論までも終わっていません。
沖浦さんの主張については、本格的には手をつけていない段階です。
したがって、「終盤」はまだまだずっと先のように思いますよ。
- 269 :梅:2008/12/05(金) 18:16:47
- もくれんさん
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
?>>釈迦の法華経を本門迹門に分け本迹相対で、明確に勝劣を判定しました。
?>>しかし、日蓮独一本門により釈迦の法華経は全て迹門になりました。
?>>これが、本迹の基本的な用法です。
?>>その応用例として、本迹の言葉が様々な場面で使われます。
?>>たとえば、本=本当の姿、迹=仮の姿という表現自体が応用になりますが
?>>そこから、現象として外的に認知できる場面だけでなく
?>>「一念」という内面に踏み込んだ使い方もなされました。
?>>さらに、その一念のあり方などから、自他を本迹で言う場合なども出てきます。
?>>そして、このような応用では、本迹は勝劣・優劣に拘るのではなく
?>>むしろ、「本」とされた対象を大切にするという視点が重要視されます。
?>>そして、そのための「迹」となりますから「手段」という表現もなされます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の>>262に対する、貴女の>>258.>>264.>>265の投稿を整理すると
???以外は本迹の『基本概念の適用』(←貴女が言われたことです)
があり、貴女と私の「合意が見出せた」と了解してよろしいですね?
私はこれを『適用』といおう『応用』といおうと大差ないだろうと考えますますので
貴女の同意があれば次に進みたいと思いますがいかがでしょうか?
- 270 :梅:2008/12/05(金) 19:41:59
- もくれんさん
>>225
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★「体」は必ずしも「同一」とは限らないが、無関係な「体」どうしでは
★本迹は発生しない。
この2行については、納得していますよ、現時点では、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記のあなたの発言について確認します。
ここで、取り上げている「同一の体に限らない」は
「自他」を論じる前提でしたね。
この点について、貴女の>>258の投稿では、撤回しているようにも読めます。
明確にしたいと思いますので、レスをお願いします。
- 271 :沖浦克治 ◆tr.t4dJfuU:2008/12/05(金) 22:19:20
- もくれんさん
あいにくですが、私は貴方の我見から出る邪儀には興味が持てないのですよ。
私は徹底して池田先生から、仏法は人のための教えである。と、教わって育った人間です。
貴方のような底の浅い、人が迹、仏が本。なる邪儀を哀れむ以外にありません。
貴方は御書も読めない。
池田先生のご指導をも覚えもしない。
ただ、ネットで己義を書きなぐって満足している。
組織では、ブロックの副役職。
なのに長年信心している。
組織以外ではなんら社会に実証は示さない。
教学お宅で邪儀を振りまくだけの人ですよ。
少し真面目に祈ったらいかが??
- 272 :もくれん:2008/12/05(金) 22:55:19
- >>269 梅さん
>貴女の同意があれば次に進みたいと思いますがいかがでしょうか?
了解です。
- 273 :もくれん:2008/12/05(金) 23:42:24
- >>270 梅さん
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★「体」は必ずしも「同一」とは限らないが、無関係な「体」どうしでは
★本迹は発生しない。
この2行については、納得していますよ、現時点では
>この点について、貴女の>>258の投稿では、撤回しているようにも読めます。
>明確にしたいと思いますので、レスをお願いします。
「法華経の智慧」第5巻216ページに
>親から一千万円うけついだとして、一千万円それ自体を「本」その「証文書」を「迹」だとしています
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
実はね、法華経の智慧の引用でしたし、錯覚もあったかな・・
一千万円・・・本
証文書・・・・迹
と、これだけ見れば、「札束」と「書類」ですから、「関連性のある別の体」ですね。
だから、★印のように「そんな気がした」のは確かです。
しかし、後から、又考えました。
まずは、原点に戻り、・・・・万物に就いて本迹を分け、勝劣を弁ずべきなり・・
「まずは分ける」
一千万円と証文書は「分けた結果の別の体」です
それと、「あなた」と「私」のように、最初から「別の体」とは異なります。
あの時は、頭が混乱していました。
撤回というより、あの時は、正しく把握できなかったのです。
でも、結果として「撤回」ですね。
>「自他」を論じる前提でしたね。
そうだったのですが、梅さんが引用したのは「結果としての本迹」の例を
別の体として、提示しましたね。私も頭が混乱していて、正しい判断が
できなかったのは確かです。
そのまま「適用」すれば結果としての「自・他」別の体です
単純にあてはめれば
本 迹
一千万円 証文書
人間・A 人間・B
このように、なりますから、単なる「当てはめ」であればそうですが、
でも、AとBを、どのように、本迹に振り分けるのかも疑問ですし
あの時は、そこまで思考できませんでした。
ごめんなさい「錯覚」しました。「トリック」ですよ。
原点に戻り、「分けた結果」その差は「水火天地偉目」と、大変な勝劣が
あるのですから、人間同士が結果として「本迹」関係は理論的にも
ありえないし、「分ける」時点で、どのように「分けたのか」が
問題ですし、
そういうわけで、「撤回」です。ごめんなさい。
- 274 :やまいぬ。:2008/12/06(土) 00:00:09
-
沖浦さんね、
>あいにくですが、私は貴方の我見から出る邪儀には興味が持てないのですよ。
>私は徹底して池田先生から、仏法は人のための教えである。と、教わって育った人間です。
では先生は一体何処で、「自分が本、蓮祖は迹。」と書かれたのかな?
ああ、あなたの一つ覚えの「趣意」禁止め。(^o^)
当然蓮祖がそう仰せになったという文証もどーぞ。
え? 何週間経ってもまだ見つけられないの?(^o^)
消えろ消えろ。きみの邪義にはみな飽きている。(^o^)
もうネット世界の「沖浦」の2字の、少々長かった“賞味期限”も
遂に切れたねぇ。はい、ご愁傷様。消えて結構。(^^)v
- 275 :.:2008/12/06(土) 00:27:15
-
あから見て
あ=本
い=迹
いから見て
い=本
あ=迹
あ=沖浦さん
い=沖浦さん以外の人
あ=沖浦さん
い=仏
- 276 :副管理人Z:2008/12/06(土) 00:46:46
- >>275
どちら様のカキコミですか?
- 277 :やまいぬ。:2008/12/06(土) 01:47:34
-
>貴方は御書も読めない。
>池田先生のご指導をも覚えもしない。
>ただ、ネットで己義を書きなぐって満足している。
面白いよねぇ?(^^)
このひとはね、他者を攻撃する時に、まったく自分自身以外の何者でもないことを
相手に投げつける癖があるんですよ。
上記丸っきり彼自身の姿そのものだとみな解っている。
そして自分の姿を相手に描写するのを見て、みなに嘲われ続けている。
いやはや、ご愁傷様である。(^o^)
>組織では、ブロックの副役職。
>なのに長年信心している。
あれ? 沖浦さん、確か「無役」だよねぇ?(^o^)(^o^)(^o^)
>組織以外ではなんら社会に実証は示さない。
何を根拠に決めつけてんでしょうか、この嘘つきは?(^o^)
>教学お宅で邪儀を振りまくだけの人ですよ。
はい、あなたです。(^o^) しかも教学おたくですらない。(^o^)
「自分が本、蓮祖は迹。」と断定し、その教学的根拠を問われて数週間、ただの1行の
文証も出せないクズが、どのツラ下げて書くかね、こういうことを?(^o^)
>私が正しいのです。
>私を攻撃するものは、邪儀です。
邪義捏造の因果で完全発狂おめでとうございます。(^o^)
何度も書いてあげました。私の功徳には明確な因果があります。
あなたは書けませんでした。その違いですよ。(^^)
モノの道理が見える人間と全く見えない人間――格差歴然ですね。
ああ、ついでにきょうがくおたく以前の沖浦さんに教えて差し上げます。
「邪儀」とは云いません、「邪義」と書きます。お勉強になりましたね?(^^)
天才・耕治くんにも是非教えてあげてくださいな。(^o^)
- 278 :沖浦克治 ◆tr.t4dJfuU:2008/12/06(土) 07:10:58
- やまいぬさん
で??
- 279 :もくれん:2008/12/06(土) 10:39:40
- ★ 備前さん ★
備前:2008/12/05(金) 13:18:06 ID:uhsRGauY0
>>208
こんにちは、もくれんさん
>・・・・御本尊さまを軽視していないのであれば・・
う〜ん!まだ、こんな事を言われているのですか(^^;
これは、沖浦氏が「人が本・御本尊(曼荼羅)が迹」と言った事に対する
貴女の思い込み(イメ−ジ)ではないですか。
自身の思い込み(イメ−ジ)で、さも沖浦氏が御本尊(曼荼羅)を軽視した発言をしたように、
書き込むのはいかがなものでしょうか?
沖浦氏自身は、御本尊(曼荼羅)は必要と以前から書き込まれていますよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼ 自分が幸福になるための御本尊です
▼ 万人を幸福にするための御本尊です
いずれも「御書の世界」から
▼ 全民衆を救済するためには、どうしても、人間自身の胸中にある本尊を
▼ 涌現させていく以外にない。
▼ 全人類が平等に胸中の本尊を涌現することができ、万人にその可能性が
▼ 与えられる。
▼ 「観心本尊」は、偉大なる本尊革命であり、人間の可能性を最大に尊重し
▼ 現実に変革を可能にする「人間のための宗教」の精髄です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここだけでも、かねてから、沖浦さんが主張している「人間のための宗教」
が、しっかり表現されています。
曼荼羅が迹、などの表現を使用しなくても「人間のための宗教」は
表現できます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★ 備前さんは、▼印の先生の指導に「賛成」ですか?反対ですか?
- 280 :もくれん:2008/12/06(土) 10:54:08
- >>279の続き 備前さん
>>279の返答の前に、先に書いてしまいますね。
>沖浦氏自身は、御本尊(曼荼羅)は必要と以前から書き込まれていますよ
それは、知っています。ただし、必要であるからこそ、
>沖浦氏が「人が本・御本尊(曼荼羅)が迹」と言った事
これは「重大」なことです。
言った本人は、「そのつもり」は、無くても「御本尊」軽視は明白です。
そして、「人本蓮迹」を支持・賛成の方も、「謗法与同罪」です。
「人本蓮迹」は、「衆生己心の妙法が本・曼荼羅が迹」と同義です。
何故ならば、人法一箇ですから。法本尊と人本尊ですから。
何故、沖浦説を、賛成する方も「謗法与同罪」か、理解に苦しむようであれば
「説教オヤジ」さんも「やまいぬ」さんも、おられます。
遠慮なく、お聞きになることが、備前さんの将来にプラスになります。
不詳、私も今後、更に書いていきますが。
- 281 :もくれん:2008/12/06(土) 11:06:25
- もくれんさん
本尊は凡夫己心の妙法です。
お題目ですよ。
それをイコール曼荼羅だ。というのが邪義だと何度も申しています。
曼荼羅は高々750年足らず。
それまでこの世にありませんでした。
『爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり、』
(日女御前御返事)
ほらね、始めて大聖人様が顕された。
それまで無かった。
仰せですよ。
信じましょう。
曼荼羅は木か紙で出来ています。
主な元素は炭素です。
宇宙の始まりには存在していないんですよ。
炭素はね。
ですから、曼荼羅は存在できません。
然しながら、妙法たるお題目は宇宙と不二です。
どっちが一大事ですか?
http://jbbs.livedoor.jp/study/7888/storage/1214133728.html
- 282 :もくれん:2008/12/06(土) 11:08:21
- 日連大聖人が胸中に所持されている、「久遠元初の妙法」たる
南無妙法蓮華経が「本門の本尊」
とりあえず曼荼羅は触れません。
まさに無始無終の大宇宙と共に「久遠元初の妙法」は
厳然とあります。
全く矛盾してません。
そして、「曼荼羅」を約750年前に、日蓮大聖人が
この地球で文明が始まって以来、初めて、「御図顕」
なされた。整合性はとれています。
くどいようですが、「本門の本尊」の「本尊」の意味は
「久遠元初の妙法イコール南無妙法蓮華経」です。そのメインの意味は。
そして(アンド)曼荼羅本尊も含まれますと。
物質としての「曼荼羅」そのものが「全部」ではないです。
大聖人御出現以前は、例えば天台にしても、大宇宙に対して
「南無妙法蓮華経」と自分だけは唱えていたと、先生の著書でも
読んでおります。
曼荼羅本尊は沖浦さん自身も、大切にされていて、
日達上人御書写の御本尊様に真剣に題目を唱え、
境智冥合されて仏界の生命を湧現されて、功徳をいただいているご様子。
信心の実践で、「あなたの胸中の御本尊を全開するんですよ」
そのとおりですね。胸中の御本尊(久遠元初の妙法すなわち、
南無妙法蓮華経)を成きますね。
あとで、先生の御書講義等で、きっちり、又書きます。
今はこの辺で失礼いたします。
- 283 :もくれん:2008/12/06(土) 11:10:57
- 沖浦克治:2008/10/04(土) 21:19:40
もくれんさん
本門の本尊とは、お題目ですね。
同じものの呼び方が変わるだけです。
それを、本尊イコール曼荼羅。としたものが邪儀です。
曼荼羅は本尊の仮の姿で方便。
これがわからないと大聖人様の仏法はわかりません。
ですから、曼荼羅は迹、それが表現している衆生己心の妙法が本。
ですから、経の上からも、凡夫が本です。
簡単な事ですが、何故皆様方わからないのでしょうね?
ややこしくややこしくしていますよ。
大聖人様と私共は全く差別無く仏の当体。
御書に何度も出てきます。
でも、信じたくない。
何故なんでしょうね?
- 284 :もくれん:2008/12/06(土) 11:12:29
- :もくれん:2008/10/04(土) 22:13:13
然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ
全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈
とは云うなり・・・(御書 1337P)
大聖人さまと、同じ命は内在はしていますよ。
ただ、迷うを凡夫、悟るを仏
元品の無明か、元品の法性か、
少しでも油断をすれば、たちまち堕落するのも凡夫、
だからこそ、「大聖人のお命」に帰命していく実践が
日夜不可欠ですね。
本当に大聖人と、何もしなくて差別無いのであれば、
この現実社会は苦悩うずまく地獄はないはずです。
自殺も戦争も飢饉もないでしょう。仏だらけの世界を
作っていくのが、広宣流布のたたかいですが。
又、転落・堕落・忘恩の輩も出なかったはずです。
ほとんどのことは、鋭く本質を突き、見抜く沖浦さんが
この一点だけは、何故か不可思議です。
>>528 の最下段から2行目の
>でも、信じたくない。
となるのか不可思議です。
からかわれているのでしょうか。
ともかく、先生の御書講義等引用しようと思いましたが、
書き込むだけで、大変ですし、
この件はこれで終了いたします。
- 285 :もくれん:2008/12/06(土) 11:15:04
- もくれん:2008/10/04(土) 22:32:29
>>526
>宇宙の始まりには、存在してないんですよ、炭素はね。
>ですから、曼荼羅は存在できません。
あ〜〜〜ここ、ここですね。
「勘違い」の原因は
宇宙は、始まりも無ければ、終わりも無い、つまり、無始無終
当然、私たちの「いのち」「生命の我」も無始無終です。
三世の生命と言いますし、永遠の生命とも言います。
始まりも無ければ、終わりも無い、
これって、仏法者の常識と思い込んでいました。
これは、私たちの共通の認識と思い込んでいました。
★★★ 宇宙には始まりはないんです。
勿論、天文学者などでは、「宇宙の始まり」を唱える人もいるでしょう。
でも、先生の著書等では、宇宙の無始無終は、当たり前のこととして
記述されています。
ですから、この「地球」という惑星では、今から約750年前が
「曼荼羅本尊」の出現の初めでしょう。
でも、広大な大宇宙のどこかの惑星では、「曼荼羅本尊」の
出現は、あるはずです。通信伝達の関係で確かめようは
ありませんが、理論上はそうです。
- 286 :もくれん:2008/12/06(土) 11:17:51
- もくれん:2008/10/04(土) 23:31:46
>>532
ついに、池田先生の著書を引っ張り出しました
池田大作全集 7 対談集 対談者 アナトリーナ・A・ログノフ
P470
池田・・仏法では、宇宙そのものの「無始無終」を説いております。
宇宙には「始まり」もなければ、「終わり」もない。
過去・現在・未来にわたって「常住不滅」であると
説かれています。
池田大作全集 103 対談集 対談者 チャンドラ・ウィックラマシンゲ
P92
池田・・仏教の宇宙論では、宇宙は無始無終であると考えて
おります。
ある日、突然、何かの出来事によりつくられたわけではない。
又、星や宇宙間物質の生成・消滅は当然のことですが、
宇宙そのものは、ある日、消え去るというものでもなく、
永遠・無限なる存在であるとされています。
その他の書籍・「仏法と宇宙を語る」等 でも同様に語られております。
確かに、天文学者等では「宇宙の始まり・ビッグバン」の仮説に
執着する方もいますが、上記の対談者のお二方は、
宇宙が無始無終でなくては、矛盾が生ずると、仏法の宇宙観に
ほとんど同じ考えです。
>始まりは全てにありますよ。
とのことですが、限定された条件ではそうでしょうが、
例えば、地球も始まりは、ありますよね、終わりもあります。
太陽もあと50億年くらいで、燃え尽きるそうですね。終わります。
人間についていえば、オギャーと誕生して始めがあります。
死亡で、今世は終わりです。
でも、永遠の生命 という観点からは、無始無終です。
宇宙の無始無終は、
先生の言葉で 充分ではないでしょうか。
- 287 :もくれん:2008/12/06(土) 11:19:45
- 540 :沖浦克治:2008/10/05(日) 07:32:36
>大聖人さまと、同じ命は内在はしていますよ。
これが、根本的な間違いなんですよ。
内在も何も、最初から全く差別はありません。
全く同じ命なんです。
貴方の心臓も私のそれも、全く同じものです。
役目も機能も同じです。
でも、私は鍛えてます、ですから少し貴方より強いかもです。
貴方も同じトレーニングをすればこうなります。
元々同じだからです。
長者窮子なんですよ。
あの息子始めから大金持ちです。
知らないだけですよ。
私も貴方も、誕生した時、父親が服の内側に縫い付けた100億円の何時でも換金で来る小切手知らない。
で、1万円に困った生活してます。
大聖人様が、お前何やってるんだ、本当は大金持ちなんだよ。
って、言われる。
フ〜〜ンそうなんだ??
思ってるんです。
ある時、この服そろそろ仕立て直そうか。って、ばらばらにしたら何か出てきた。
アレレ、これなんだろう?
100億円持ってた事に気づきます。
この気づく作業が、仏道修行です。
ナ〜〜〜〜〜〜〜ンダ〜〜!
自分って、最初から大金持ちだったジャン!!
最初から大聖人様と同じ命なんですよ。
大聖人様は仏様だから自分達とは元が違う。
これが、一番ダメな考えです。
541 :沖浦克治:2008/10/05(日) 07:43:28
始まりについては私はその先生のご指導とは違う意見です。
私の個性ですね。
宇宙の始まりがあるにせよ、無いにせよ。
私共はそこで悩む必要はありませんね。
- 288 :もくれん:2008/12/06(土) 11:21:48
- 541 :沖浦克治:2008/10/05(日) 07:43:28
始まりについては私はその先生のご指導とは違う意見です。
私の個性ですね。
宇宙の始まりがあるにせよ、無いにせよ。
私共はそこで悩む必要はありませんね。
その部分は学者にお任せいたしましょう。
今、地球が私共の娑婆世界です。
これは間違いないでしょう。
その地球は50憶年といわれます。
命は2億年ほどですか?
あるいは5億年か?
そして人類は100万年とも20万年とも言われます。
言語はもっと新しいですね。
文字は更に更に近年です。
釈迦の時代、インドには文字がありませんでした。
曼荼羅、顕せませんね、文字ありません。
でも、お題目はあります。
釈迦も唱えました。
題目が最初ですよ。
そして、題目はもくれんさんの説では、無始無終です。
宇宙に遍満していますし、宇宙そのものです。
曼荼羅は700年。
で、すぐになくなっちゃう。
お題目は永遠。
無始無終。
どっちが一大秘法ですか?
寛師に毒されてますよ。
- 289 :もくれん:2008/12/06(土) 11:27:02
- 542 :もくれん:2008/10/05(日) 09:44:39
>>541
>曼荼羅は700年
>で、すぐになくなっちゃう。
>お題目は永遠、無始無終
ですから、「本門の本尊」の「本尊」の意味するところは
「久遠元初の妙法」ですよ。南無妙法蓮華経ですよ。
本尊=曼荼羅のみ と執着してませんか???
★観心本尊抄講義 より抜粋
池田大作全集 24 237P
すなわち、本門の本尊とは、久遠元初自受用報身としての生命
それ自体であり、本門の題目は、この無作三身の生命の宝号たる
南無妙法蓮華経であります。
すでに挙げた「法華経の題目を以って本尊とすべし」御書365P
との「本尊問答抄」の御文に照らしても明白であります。
この三大秘法も、究極するところは「観心の本尊」の一大秘法に
収まることを知らなければなりません。
又、同書 236P
ゆえに「観心の本尊」とは、人々の生命の外にあるものではなく、
本来、平等に、生命の内にある妙法という尊極の当体に
つながっていくのであります。
そこでは、あらゆる人にとって、本尊と自分との間に、全く距離が
ないと説くのであります。
ゆえに、何ものも入り込むすきまはない。
衆生は、ただ朝な夕な、唱題して、自分が妙法の当体であることを
覚ればよいのであります。
だが、これを覚るのには、それだけの「智」が必要です。
その「智」を得る方法を法華経は「信」と教えたのであります。
「以信代慧」「以信得入」というのは、それであります。
★★
ざっくり言ってしまえば、
「南無妙法蓮華経」これだけ・・・
宇宙も物質も生命も・・・
その通りだと私も思いますよ。「本尊」の言葉の定義を
どう、扱うのか、解釈するのか、だけの違いなんですよね。
同じく全集から、生死一大事血脈抄から 142P〜
したがって、この「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との
三つと言う表現は、一応、・・・・途中略・・・
再応、元意の辺は、
久遠元初の自受用報身如来 即 日蓮大聖人 と
文底独一本門の大御本尊と
そして、私どもの生命がともに 南無妙法蓮華経であり、
この三つは「まったく差別はないと、解りて、と拝すべきであります。
★これを、差別があると思っていくのは、真実の仏法ではありません。
仏は、素晴らしい特別な存在であるとし、我々衆生は、卑しく
醜い存在であって、とうてい仏になどなれるはずがないと考えるのは
大なる誤りであります。
★ しかしながら、「この三つ全く差別無しと解りて」といっても、
それを、事実のうえで、「解る」・・理解するというところまで
達していないのが、凡夫であります。
★ その場合「解りて」とはどういうことかといえば、
「以信得入」「以信代慧」と示されるごとく「深く信心をとって」
ということになるのであります。
★ともかく、御本仏日蓮大聖人の御生命も南無妙法蓮華経であり、
その大聖人の御生命をそのまま、「すみにそめながして、かきて候」
と仰せられている御本尊も、南無妙法蓮華経である。
★ そして、もったいないことでありますが、
私ども、一人一人の生命もまた、同じ南無妙法蓮華経であると
「こう信じて」、南無妙法蓮華経と唱える時、私どもの生命に
生死一大事の血脈、すなわち、南無妙法蓮華経の大生命が
脈々と湧現してくるのであります。
- 290 :もくれん:2008/12/06(土) 11:29:44
- >>289の続き
>>540 で 沖浦さんが言われていることは、上記の先生の
御書講義で、その通りだと思いますよ。
ただ、現実には「無明」のままの衆生がまだまだ多いです。
戦争、おぞましい事件、愛別離苦等の悩み、
だからこそ、妙法を流布するたたかいを私たちは実践している
わけです。
何もしないで、「全く差別無し」は無理ですよ。
ほとんど、全くといっていいほど、考えに差は無いのに、
「本尊」の言葉の解釈で、平行線なんですよ。
ですから、「本尊」=「南無妙法蓮華経」
一大秘法ですよ。
それを、一大秘法は「本門の題目」と表現してしまうと、
大いなる「誤解」を広げてしまっているのですよ。
このへんで、妥協しておきます。
543 :沖浦克治:2008/10/05(日) 14:00:52
曼荼羅がイコール本尊だ。
一度も言ってませんよ。
もくれんさん、何度も同じ事を言わさないでください。
本尊は、衆生己心の妙法で宇宙にも同じものがある。
曼荼羅はそれを仮に顕したもの。
何十回と無く言ってますよ。
- 291 :もくれん:2008/12/06(土) 11:32:00
- 544 :もくれん:2008/10/06(月) 13:09:43
>>543
大白蓮華 2008年10月号 池田名誉会長講義 「報恩抄」より
大聖人の弘教の帰結は、広宣流布の法体である、
三大秘法の南無妙法蓮華経です。
万人の生命に本来、具わる尊極の生命を一人一人に自覚させるために
大聖人己証の尊極の生命をあらわされた「本門の本尊」
南無妙法蓮華経という尊極の生命の名を自行化他にわたって、
唱えていく「本門の題目」
南無妙法蓮華経への不信を互いに戒め、大法の弘通と立正安国の
実現を誓い合う和合僧を築きゆく「本門の戒壇」
>>543
>本尊は衆生己心の妙法で宇宙にも同じものがある。
>曼荼羅はそれを仮に顕したもの。
大白蓮華 2006年4月号 池田名誉会長講義「一生成仏抄」
戸田先生は草創の女子部にこう指導された。
「もったいなくも、御本仏と同じ生命を持っている自分自身に
誇りをもちなさい。」
日蓮大聖人の仏法は、自分の中に偉大なる仏の生命があると
自覚することから出発する。
★ ある程度の体験のある方でしたら(創価学会員で)
「己心の外に法を求める姿勢であれば、外道に堕してしまう危険性が
あると、大聖人が本抄で戒められていることです。
皆さん、このくらいのことは認識しています。
「あなたの胸中の御本尊を開くのですよ」
「あなたこそが宝塔ですよ」 等々
ただ、教義上での
「本門の本尊」となれば、上記の池田先生の御書講義の抜粋で
書いたとおりです。又、以前にも「教学の基礎」からの抜粋で
書いたとおりです。
一大秘法は「本門の本尊」です。
>>522
>一大秘法はお題目です。
>妙法ですね。
以前は「一大秘法は本門の題目」と主張されていた記憶があります。
ざっくりいってしまえば、
「南無妙法蓮華経」これだけ・・・それは、そうだと思いますよ。
信心の実践論としては、「あなたの中に御本尊があるのですよ」
となりましょうが、
当初、小野さんの板では、「三大秘法論」の中の「一大秘法」
でスタートしたことですよね。
で、今、又、一大秘法はお題目です、と
「一番、大事な肝心・要は、南無妙法蓮華経、これだけ」
との表現であれば、その通りでしょう。
>曼荼羅はそれを仮に顕したもの。
いうまでもなく、御本尊は、それ自体偉大です。
「仮使発心真実ならざる者も、正境に、縁すれば功徳猶多し」六巻抄81P
たとえ信心がまだ本物でなくても、正しい対境に縁すればその功徳は
絶大であると説かれているのです。
この御本尊の無量無辺の力をさらに大きく広げるのが、学会の正統の
信心です。
学会の信心には、己心の妙法を表す戦いがあり、功徳の実証があります。
この学会に連なれば、大聖人の仰せ通りの正しい信心が、必ず身について
いきます。
>仮に顕したもの
きわどい表現ですね。確かに御本尊を「明鏡」として、
己心の妙法を涌現させるのですが、仏界を涌現する本体は自分ですが、
大聖人御出現以前は、天台なども、自分だけ題目を唱えていたと・・
言わんとすることは、「解りますが」、教学論にしてしまうと
肯定はできません。
どこまでも、御本仏の御生命があってのことですから。
教義については、私はどこまでも、先生の講義、スピーチを
基本でいきますので、
今度こそ、終わりにいたします。
- 292 :もくれん:2008/12/06(土) 11:34:03
- 545 :もくれん:2008/10/06(月) 13:19:18
信心の実践論と 正式な教義論を
きちんと、立て分ければ、あれほどの誤解の渦を巻き起こさなかった
のですよ。
ですから、沖浦さんの主張が、信心の実践論として、特別
「革命的」なことではないのです。
教義論は、先生の著書が読みきれないほど、多々ありますので
各自、しっかり、まずは師匠の著書を、身読するのが大切です。
546 :沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/06(月) 22:48:19
誤解の渦ですね。
何故誤解するのか?
間違った教学を学ぶからです。
でしょう?
もくれんさん。
547 :もくれん:2008/10/08(水) 10:15:18
>>546
>間違った教学を学ぶからです。
2002年発行 「教学の基礎」 創価学会教学部編
三大秘法の根本は一大秘法です。
一大秘法とは「本門の本尊」です。
「本門の本尊」とは、
日蓮大聖人が胸中に所持されている、「久遠元初の妙法」たる
「南無妙法蓮華経」であり、又、それを図顕された「曼荼羅本尊」
以上の教義が「間違っている」のであれば、
学会本部、なかんずく教学部へ「抗議」に是非、行っていただきたいです。
「教義」が間違っていると言いながら、その「教団」に在籍し続けるのは
とても、不思議です。
正式に抗議されて、はっきりさせるべきではないでしょうか。
どうしても、「間違っていると」主張するのであれば、潔く
「学会」と袂を分かつべきです。
抗議した結果、「学会の教義」が変更になることは、ありえません。
ほかのことで、「ののしり」等は、人間の品性の問題として、論外です。
しかし、教義の根幹のことは、明確にしておかなくてはなりません。
以上で、全て終わります。
何か、主張・反論があれば、学会本部に直接、「抗議」してください。
- 293 :沖浦克治 ◆tr.t4dJfuU:2008/12/06(土) 11:34:43
- もくれんさん
貴方ね、仏法の理解は現状不可能です。
先ず組織活動と同苦の祈り。
ココからスタートなさい。
貴方の一凶が、間違い切った教学解釈です。
やめるべきですね。
真面目に座談会から始めなさい。
- 294 :もくれん:2008/12/06(土) 11:36:48
- 548 :沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/08(水) 17:14:35
もくれんさん
以前、創価学会の教義は明確に間違っておりました。
私は何度も幹部に正面から指摘し、改めるべきだと言いました。
多くの人の面前です。
最終的に、私に会合に出ない様にとお話があって、連絡も来なくなりました。
今で言う、活動停止処分ですよ。
当時はそのようなものがなかったのでしょう。
昭和54年から58年まで、私は、
法主に血脈はなく、日蓮正宗では広宣流布は不可能で、創価学会にだけその資格がある。
宗門などはサッサと切り捨てるべきだ。
でなければ将来必ず牙をむくだろう。
言い続けたんですよ。
教義が間違っていたんです。
でも、取り上げないのですね。
今ネットで言えます。
私はこれで満足です。
貴方は完全に間違っていますね。
虚空会が迹なら、それを映した曼荼羅が本なわけないでしょう。
どうして、この単純明快な事実を認めませんか?
物凄くおかしいですね。
貴方のような考えを、ダブルスタンダードと申します。
少しシャキっとなさいませ。
- 295 :もくれん:2008/12/06(土) 11:38:41
- 549 :もくれん:2008/10/08(水) 22:50:20
>>548 沖浦さん、懇談的に話します
昭和52年から53年頃、私は入会したてで、何かが起きているらしいと、でも
さっぱりわかりませんでした。
当時、青年部の幹部が騒いでいました。
「寺へ行くな、坊主の話を聞くな、宗門は間違っている」と
ほどなくして、壮年部幹部から注意され、おとなしくなりました。
彼のその時の胸中は知る由もありません。
何もわからないまでも、池田先生が真剣に僧俗和合に努力されて
いることは、先輩から聞いていました。
その渦中、身近からも、宗門へ行く方もいました。
そして、昭和54年4月24日、凍りつくような思いでした。
宗門と一緒の頃は「御法主日顕上人猊下の御指南を仰いで・・」
とか、「法水写瓶」なんて言葉もありましたね。
そうに言わざるを得ない、と承知してました。
でも、信仰の根本は「御本尊対自分」「その間に何も挟まない」
と指導されていて、今も基本的にはそうですね。
昭和57年頃、ある幹部が座談会で、「21世紀まで、学会員でいることが
大事なことです。「在籍」していることが肝心です。
極端なことをいえば「名簿上だけであっても」というくらい、
「学会に在籍」していることの重要性を熱く語っていました。
それこそが、来るべき「破門」のことだったのでしょう。
でも牧口先生、戸田先生の頃から、宗門総体には「信心はない」と
言われていたのでは?
何人かはご立派な方もおられたのでしょうが。
でも、第一次宗門問題の頃、沖浦さんと同様に感じていた方は
結構いたのではないでしょうか?
でも、先生の僧俗和合の思いを理解し、耐えるべきは耐える。
このようにしていた方も多かったのではないでしょうか。
>宗門などサッサと切り捨てるべきだ・・
こちら(創価学会)から離れたら、大変なことになっていたと思いますし、
先生は絶対にそれは、なさらなかったと思います。
あちらから、破門の形を取ってくれたからこそ、良かったと思います。
魂の独立は、なされたのですから、過去のことをもう言わないことが
大事ではないでしょうか。
その当時のご自分の行動が「正しい」と確信しているのであれば、
もう過去は振り返るべきではないと思います。
今から、先をどうするか、が 最も大切ではないでしょうか。
- 296 :もくれん:2008/12/06(土) 11:40:16
- 550 :沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/08(水) 23:00:30
もくれんさん
あの時、創価学会員の多くは踏み絵をふんだんですよ。
私は演出家のお手伝いをしたおかげで、かろうじて踏まなかったのです。
あの時先生を活動停止処分にして、そそくさと机を片付けた連中が本当の敵です。
何故、こんな簡単な所がわからない?
そうして、風化していくんですよ。
あの時はあれでよかったんだ。
過去を振り返るより、今から先だ。
言い訳と、自己の正当化が行われてそれで忘れておしまい。
なんと無節操な恩知らずでしょう。
私は命ある限り言い続けますよ。
語り部になります。
これからの戦い?
やってますよ。
だからネットで火達磨になってるんです。
嬉しいですね〜〜。
- 297 :もくれん:2008/12/06(土) 11:46:35
- http://jbbs.livedoor.jp/study/7888/storage/1215745197.html
385 :もくれん:2008/10/11(土) 09:52:53
顔の見える現場でも、「アバウトな教学論」を、振りかざしている方は
たまに見受けられる。
しかし、タイミングを見計らって「それ、こうですよ」と穏やかに
ご指摘申し上げれば、「あ〜そうだったのですか}とすぐ素直に
誤りを認める。
何故素直に認められるのか、ざっくり言えば「生命が浄化」されて
いるからだ。
学会の通称「打ち出し」といわれる、その時、その時の「たたかい」に
真正面から挑むから、誤りを認められる。
更に言えば、「広宣流布の師匠」の必要性を身にしみて実感しているからだ。
全ての狂いの根っこは、「師匠」に対するスタンスの問題である。
究極的には、これに尽きる。
日蓮大聖人の御真筆の御本尊があっても、「広宣流布」の「和合僧団」で
師弟不二の「行動」でなければ、「仏界」は涌現しない。
大聖人直結の仏意仏勅の教団での師弟不二の実践、これこそが今回の
問題の根っこである。
御本尊様は大切だ。
しかし、御本尊様論だけで、決着のつくことではない。
異体同心の「広宣流布の和合僧団」での師弟不二の実践の中にのみ
「仏界の生命の涌現がある」
これこそが、池田先生の「生死一大事血脈抄」講義での、結論だ。
ただ、自分勝手に御本尊を拝しても、絶対に仏界の生命の涌現はない。
十八番の「己心の妙法が本・曼荼羅が迹」がトンチンカンなのは
言うまでもないが、トンチンカンなことを、言う方はまれにいる。
しかし、和合僧団の中での、師弟の実践を貫いている方は、迷路へは
入らない。
それでは、「友好・拡大」へ出かけてきます。
- 298 :沖浦克治 ◆tr.t4dJfuU:2008/12/06(土) 11:47:57
- もくれんさんが、私の単純な意見を複雑怪奇にしたので整理しておきます。
一大秘法とは、衆生己心の妙法でお題目です。
これを、一大事の秘法ともいいます。
それはそのまま本尊です。
衆生己心の妙法が大聖人様の仏法の本尊です。
これを形として顕したものが、虚空会の儀式です。
この場合、衆生己心の妙法が、本。
虚空会は写し取ったもので、迹。
この点は池田先生のご指導にあります。
曼荼羅は、虚空会の儀式を紙に書き顕したものです。
『抑此の御本尊は在世五十年の中には八年八年の間にも涌出品より属累品まで八品に顕れ給うなり、さて滅後には正法像法末法の中には正像二千年にはいまだ本門の本尊と申す名だにもなし、何に況や顕れ給はんをや又顕すべき人なし、天台妙楽伝教等は内には鑒み給へども故こそあるらめ言には出だし給はず、彼の顔淵が聞きし事意にはさとるといへども言に顕していはざるが如し、然るに仏滅後二千年過ぎて末法の始の五百年に出現せさせ給ふべき由経文赫赫たり明明たり天台妙楽等の解釈分明なり。
爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり、されば首題の五字は中央にかかり四大天王は宝塔の四方に坐し釈迦多宝本化の四菩薩肩を並べ普賢文殊等舎利弗目連等坐を屈し日天月天第六天の魔王竜王阿修羅其の外不動愛染は南北の二方に陣を取り悪逆の達多愚癡の竜女一座をはり三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神十羅刹女等加之日本国の守護神たる天照太神八幡大菩薩天神七代地神五代の神神総じて大小の神祇等体の神つらなる其の余の用の神豈もるべきや、宝塔品に云く「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云云、此等の仏菩薩大聖等総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり。』
(日女御前御返事)
虚空会が迹ですから、それを書き顕した曼荼羅は、迹。
衆生己心の妙法が、本。
これね、当たり前中の当たり前。
当然中の当然です。
ココまでがご不満なら違う宗派おやりなさいね。
衆生己心の妙法が本尊で、そのままお題目ですね。
そして、それを保つ私共の身体。
戒壇です。
三大秘法とは私共凡夫の姿その物ですよ。
- 299 :もくれん:2008/12/06(土) 11:49:14
- 386 :沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/11(土) 10:02:50
ふとっさん、おはようございます。
私は勿体ないと本気で思います。
仏法は人のための教えです。
これが大原則ですね。
御書も先生も同じ事を仰せです。
人のためですから、人が目的、仏法が手段です。
これは、文法上もそうなります。
目的である人の幸福が本。
そのための手段である仏法全体が迹になるのです。
曼荼羅は仏法の範疇ですね。
当然迹です。
本尊は私共衆生の己心の妙法ですから、当然本です。
本尊と曼荼羅はイコールではありません。
ご理解できますでしょうか?
388 :もくれん:2008/10/11(土) 14:24:59
沖浦さん、最後の最後です
親切にやさしく書きますね
人間のために仏法はある・・賛成です
★日蓮仏法を世界に「わかりやすい言葉で広めたい」
このような意味のことを、以前言っていましたね。
膨大なレスから探すのは、パスさせてください。{忙しいので}
★マークにだけ、絞って書きます。
ご存知のように、池田先生は「世界の識者」とおそらく1500人以上でしょうか
対談をされています。対談集として出版されたものだけでも、50点以上でしょうか。
私も一生懸命読みつつあります。でも、全部なんてまだまだです。
キリスト教の方、イスラム教の方、ユダヤ教というより、ユダヤ人の方、
社会主義国の方、儒教の方・・・
「普遍的な言葉」で自在に、仏法を語っています。
いわゆる、SGIメンバーにしか通じない「仏法用語」ではなく、
あらゆる宗教、思想、の 方にも通用する「普遍的な言葉」です。
とりわけ「九識論」をある、旧ソ連の大学総長と語り合った時の
「言語」の用い方・・・師匠に対して不遜な言葉ですが「うなりました」
九識論といえば、現役創価学会員でも「知らないよ」という方もいます。
100年、200年後の人類のために、これらの対談を活字に残しているのだ。
と仰っています。レールは既に敷いて下さっているのです。
後は「自覚」した弟子がどう行動するかです
まさに、沖浦さんが、求めてやまない
「人間のための仏法」を「人類普遍の言葉で伝える」
その実践は、師匠の行動に全てあります。
対話を拒絶するのでなく、「本当に忙しい」ので
これにて、今度こそ最後にいたします。
創価のほとんどの皆が、忙しく「拡大」の行動をしている間に
是非、先生の著書をお読み下さい。
答えは「そこにあります」
- 300 :沖浦克治 ◆tr.t4dJfuU:2008/12/06(土) 11:49:46
- もくれんさん
どこかに物凄い曼荼羅が必要なタイプなら、宗門がいいんじゃないですかね?
- 301 :もくれん:2008/12/06(土) 11:51:47
- 433 :もくれん:2008/10/13(月) 22:30:00
三大秘法の根本は一大秘法
一大秘法は本門の本尊
本門の本尊とは
日蓮大聖人が胸中に所持されている久遠元初の妙法たる
南無妙法蓮華経であり、また、それを図顕された曼荼羅本尊
何度書いたことだろう。
恐ろしい考えの創価学会員がいることを知った。O氏以外にも。
ビックリした。この衝撃をどう表現したらよいのか。
生命の濁りとしか言えない、
知能指数の問題ではない。
言語理解能力の問題ではない。
生命の濁りは、創価学会員として、「師弟」の精神が無い故だ。
題目だけでは、いかんともし難い。
でも、こんなことくらいで、驚いていてはいけない。
まだまだ、序の口なのだろう。
無知なら、無知のままのほうが余程マシというものだ。
謙虚に「わかりません」と、いえれば良いことだ。
トンチンカンに解釈している人の傾向性は、
話を「すりかえる」癖がある。また、すぐ感情的になり、怒り出す。
一大秘法が「お題目」・・(以前は、一大秘法は本門の題目)
と言っていた人物がいた。
それに、何の疑問を抱かない創価学会員は、詐欺師に騙されると
いう傾向性があるということだろうか。
- 302 :もくれん:2008/12/06(土) 11:55:05
- 452 :もくれん:2008/10/15(水) 12:40:28
>>451の続き
さてと、どこまで書いたのかな、
「内部の邪義」といえば、旧・人間革命 第6巻に書かれている
「笠原慈行」がいます。「神本仏迹論」の邪義で、牧口先生を
獄死させた「因」の坊主です。
当時、創価学会は、
宗門の外護団体ですから、ある意味「内部の邪義」ですね。
最後は牧口先生の墓前で、笠原に謝罪させましたね、青年部が。
「内部の邪義」であるからこそ、「糾明」しないと、たぶらかされる会員が
でるわけです。
今、「普通」の学会員で、日顕宗に「たぶらかされる」会員は、ほとんど
いませんね。むしろ、騙されている状態の法華講員を救済するのが
大事ですね。そのための、脱講活動ですから。
昔、こんな譬え話の指導がありました。
偽札も「見分けがつかないくらい、精巧に作られていると、罪も重い」
偽札つくりは「大犯罪」ですが、とりわけ、見分けがつかないくらい
に作られていれば、社会は大混乱です。
その罪は「大」です。
今回も、動機はともあれ「偽教学作り」です。
確信犯であれ、無知であれ、結果として「にせものつくり」です。
「にせもの」に対して、更にはその「にせもの」の
見分けがつかず、迷路に入る同志を「放置」するのか
「救済」するのかの、次元の問題です。
はぐれ雲さんは、「邪義」とわかっているのであれば、
見分けのつかない同志を、見捨てるのかどうか、という問題です。
続きます
- 303 :もくれん:2008/12/06(土) 11:56:46
- 453 :もくれん:2008/10/15(水) 13:03:31
>>452の続き
一度、例の邪義教学を、ご自分の旧板から、降ろしましたね。
さすがに、納得して、降ろしたのと、解釈していました。
が、又、主張を始めたのです。え〜〜〜まさか、本気だったのだと
ビックリしました。
それからは、まっしぐらに、主張しまくりでした。
本・迹 の 仏法用語の使い方の 決定的な 間違い
その結果、内容的にも、決定的な間違い
その解明は、小野さん板で「恋さん」が、ていねいに、わかりやすく
解説して下さっています。
この板でも、ヒューレボさんも、丁寧に書いて下さっています。
勿論、氏は一切無視です。
同志だからこそ、ここまで、ていねいに、親切にしたのではないですか?
最大限に同志として、尊重し、大切にし、善導しようとしたのです。
私も宇宙の無始無終論まで、ていねいに先生の著書から、説明も
しましたよ。同志だからこそ、「あきらめず」に対応したのです。
最後の最後まで、同志として、良き方向へと、対応したのです。
裏切られたなんて、恨みの気持ちはありませんが、
かくなる上は、「邪義」の「見分け」がつかない同志を「置き去り」に
できないということです。
置き去りにすることこそ、「謗法」への「与同罪」です。
又、小野さん板を見て頂ければ、わかりますが、
小野さんが、「熱原公演の同志利用」の話題を出した途端に
あの板から、撤退しました。
「正義」であるとの確信があるのであれば、ここで反論せよ・・・
との小野さんの言葉を無視してです。
とりあえず、このくらいにしておきます。
- 304 :もくれん:2008/12/06(土) 11:58:38
- 454 :もくれん:2008/10/15(水) 14:36:54
はぐれ雲さんへの総括・まとめとして
1 一切衆生が本来・偉大な仏・・「内在する仏界の生命」
2 仏法は人間のためにある・・
3 日顕宗は、御本尊を「信徒支配」に利用している・・・
この3点は、「普通」の創価学会員と、沖浦氏との「共通認識」です。
なんだ、同じじゃないか、やっぱり同志じゃないか・・
上の3点だけでしたら、そうですね。
その後が違ってくるのですが、「これほどの違い」を生み出して
しまった、「原因」は、普通の創価学会員と同じように、
当たり前の「学会組織活動」が不可欠だったのですが「逃げ出した」。
逃げ出したことを「正義を貫いた」と錯覚しているのです。
組織活動で自分の「わがまま」との「対決」が必要だったのです。
勿論、会社や地域組織で、「人格を磨く」たたかいは、皆さん
しているわけです。
自分を磨くのは、学会内組織だけではないですから。
ほとんど、会合に出られないくらいの生活の方でも、「生活現場」で
人格陶冶のたたかいは、するわけです。その気さえあれば。
功徳とは六根清浄といいますね。
功徳の「意味」を、はきちがえていたことも一因でしょう。
いずれにしても、上記3点の「共通認識」があるからこそ
最後の最後まで、同志として、誠心誠意、対応してきたのです。
誠心誠意対応した人間との「やり取り」で「墓穴」は掘るものです。
自分の「邪義」の正当化のために、池田先生を「利用」しました。
若鷹掲示板での、一件です。
こんなことを、あの掲示板の常連さんが「信じる」と思う
「錯覚」「迷妄」、おぞましい言葉は使いたくないですが、
きわめて簡単な道理がわからないことを「狂」であるとは
創価三代の師匠の教えであります。
一番、見落とせないのは、例の「邪義」・・ですが
肝心・要の日蓮大聖人の存在が削られています。
曼荼羅という言葉を使いながら、日蓮大聖人不在・・
百歩譲ってですよ、宗門の戒壇様本懐論・破伏のため・とはいえ、
凡夫の己心の仏界を強調するあまり・・・とはいえ・・
「訂正」は大勢の方が、進言しましたね。私もしましたよ
やんわりとでしたが。
しかしですね、日顕宗との「対決」のホシがずれているんですよね。
日顕宗は、「広宣流布への信心」が「皆無」なのが根本的問題ですよね。
先生のスピーチに、繰り返し書かれています。
大石寺の「大御本尊様」云々が、問題のホシでないですよね。
それが、わからないのは、師弟がないからです。
あとは、「判断できない」「同志」を「護る」
これだけです。
沖浦氏を「どうとか、こうとか」の次元では、ないです。
それはね、氏も「心底・反省」して、再出発するのが望ましいですよ。
それよりも今は、「同志を護る」これが、緊急項目です。
「捏造教義」は裁判でいえば、動かぬ「物的証拠」です。
この「物的証拠」無くして、ここまでは書けません。
行動面は、判定に難しい「アバウト」さも、伴いますからね。
- 305 :もくれん:2008/12/06(土) 12:00:14
- 462 :沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/16(木) 21:11:54
もくれんさん
>本門の本尊とは
日蓮大聖人が胸中に所持されている久遠元初の妙法たる
南無妙法蓮華経であり、また、それを図顕された曼荼羅本尊
邪義ですね。
情けないですよ。
- 306 :もくれん:2008/12/06(土) 12:02:51
- 468 :沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/16(木) 22:13:29
私が邪儀を唱えるとの書き込みです。
しかも、もくれんさんと同様で、全く具体論がありません。
469 :はぐれ雲 ◆HHaU7zEjNg:2008/10/16(木) 22:30:15
具体論とは自己解釈のことでしょうか?
もくれん様が引用している本は学会が発刊しているものですよ!私も持っておりますから問題ないと思いますよ!
470 :もくれん:2008/10/16(木) 22:46:36
>>462 沖浦さん
具体論を書くまでもなく、創価学会の公式出版物からの引用です
全く問題ありません。具体論は不要です。
本部へ行くまでもなく、(私、本部まで遠いですから)
長野県の県本部へ、ご連絡しておきます。
長野県の県幹部の方に、ご説明願うように、連絡いたします。
おって、長野県幹部から「ご説明」があると思います。
ただし、「不要」でしたら、その旨、当スレッドにお書き下さい。
471 :もくれん:2008/10/16(木) 22:56:10
>>470 沖浦さん
「脅迫」じゃないか! と、反論したい気持ちはわかります。
しかし、もはや、どのような高度な教学力の方と、対論しても
沖浦さんにとって、納得のいく結論は出ません。
もはや、ご自分の立場を「はっきり」するしか「選択」はありません。
そういう「意味」です。
- 307 :もくれん:2008/12/06(土) 12:04:41
- 475 :耕治:2008/10/17(金) 09:29:57
もくれんさん
いままで、長野の除名工作を目的としてずいぶんと電話があったそうです。
それは、きいておりました。
ただs、誰がしてるのかは予想はしてましたがわからなかたのです。
名乗られたのはあなたが初めてです。
いっそ、信濃町に直訴されてはどうだろうか?
476 :もくれん:2008/10/17(金) 10:09:50
2002年 聖教新聞社発行
書籍「教学の基礎」 創価学会教学部編
★ 三大秘法の根本は「一大秘法」です
★ 一大秘法とは「本門の本尊」です
★ 「本門の本尊」とは、
★ 日蓮大聖人が胸中に所持されている「久遠元初の妙法」たる
★ 南無妙法蓮華経であり、またそれを図顕した「曼荼羅本尊」です
これを、明確に「邪義」というのであれば、学会本部へ「正式抗議」
して下さい。前にも言いましたよ。それだけのことです。
今更私が連絡しなくても、そんなに連絡があったのなら、同じことでしょう。
それに「誰」が連絡したか、が、「本質的問題」ではありません。
日蓮仏法の教義の根幹についての、「連絡」です。
個人の「私生活の言動」の「チクリ」では、ありません。
「密告」でもありません。「言いつける云々」でもありません。
これ以上、ネット上で「不毛な論議」を回避するには、学会本部の
ご判断を仰ぐしかないということです。
即、除名という話では、ありません。
誤った、自己流教義を反省できれば、いいことです。
「連絡があった」から「除名」では、短絡的すぎます。
かの、山友にしても、原島にしても、どれほど先生を始め、周囲の皆さんが
善導したことでしょうか。その結果です。
いきなり「除名」など、ありえないはずです。
ましてや、一会員です。
地域組織の幹部の方が、とことんまで、対話を重ねるべきです。
そういう意味です。
ですから、教義の「根本的事項」は、もう他の方もそうですが
ネット上で、「論議」するのは、絶対に避けるべきです。
そういう意味です。
地域組織の幹部の方に「お任せしましょう」という意味です。
それに、耕冶さんも、上記★印に「納得できない」のであれば
いまこそ、謙虚に信頼できる地元幹部に、聞いてみてください。
簡単なことです、それだけすればいいことですから、
地域の組織で、幹部に指導をお受け下さい。
それだけのことです。
以上で、「一大秘法論・劇」の幕引きを宣言いたします。
以後は、沖浦父子のレスには、一切応答いたしません。
- 308 :もくれん:2008/12/06(土) 12:09:10
- 573 :祈平癒:2008/10/31(金) 23:23:12 ID:1IYk69vk0
もくれんさん、こんばんは。「祈平癒」です。
●さて話題の「2002年発行 書籍「教学の基礎」創価学会教学部編 聖教新聞社発行」ですが、先日、取り寄せで手元に届きました。
★★★いやぁ、偽一大秘法も、真っ赤な大嘘六大秘法も載っていますね。
全くの「事実誤認」でした。面目ない。
私は「随分と遠い未来の教学書」で確認してしまっていたようですねぇ♪
・・・・で、この「2002年発行 書籍「教学の基礎」創価学会教学部編 聖教新聞社発行」ですが、
これは実に危険な「教学書」です。「猛毒」が入っております。
もちろん私の判定は「仏法」の「物差し」に拠ります。「御書根本」ということです。
●その「猛毒」の名前は「天台沙門」です。ご注意ありますように。
では!
585 :祈平癒:2008/11/02(日) 12:13:41 ID:1IYk69vk0
>ちなみに私は「猛毒・天台沙門」とは認識しておりません。
おそらくは「天台流」ということが「何一つ判っていらっしゃらない」と思いますが・・・・
●少しだけ「天台沙門」の「猛毒性」について「だけ」書いておきます。
まず、「阿仏房尼御前御返事」)P.1309という、この所、盛んな「信仰者同士の折伏(相互覚醒運動)の要諦」について説かれた「御書」がございます。
その中で日蓮大聖人様は「天台沙門」については「厳しく呵責すべし」とされております。「深く重い謗法」と分類されているわけです。
■【但し謗法に至って浅深あるべし、偽り愚かにしてせめざる時もあるべし、【真言】【天台宗】等は法華誹謗の者【いたう呵責すべし】、【然れども大智慧
の者ならでは日蓮が弘通の法門分別しがたし】(阿仏房尼御前御返事)P.1309
●例えば、子供が手書きで作った「偽札」では、叱る気も起こりません。軽く、浅い「謗法」です。「絵がじょうずだねぇ!」なんて褒めれば「偽札」なんか
じゃなく「花の絵」でも描くようになる。それでいいんです。
随分と以前ですが、初心の初老の男性が、頬を紅潮させて「我が家に凄い神様(御本尊様)が来ました!うれしくて・・・」とおしゃった。当然、私は「そう
です!凄い神様なんですよ!」って答えました。こういうのは「謗法」ではない。
しかし、「頭でっかち」の大学生みたいのが、パソコンなんかで作った「偽札」は実にたちが悪いんです。よって【いたう呵責すべし】となるわけです。
「はぁ〜?? 何、訳の判らないことを吹聴してんだ。この大馬鹿二乗者がぁ!!」となる。
【いたう呵責すべし】とはこういうことです。
- 309 :もくれん:2008/12/06(土) 12:11:05
- 590 :もくれん:2008/11/02(日) 14:33:12 ID:4uMDKl0o0
祈平癒さま
祈平癒さまなりに、何かを「杞憂」されてのこととお察しします。
が、書籍「教学の基礎」は文字通り、新入会者をはじめ、普通に組織活動を
している創価学会員が日常的に「信じて」活用している書物です。
このオアシスの日常的なロム数は、数百単位とのこと・・・
祈平癒さんの書き込みで「悪影響」を受ける会員が皆無の保障は
ありませんが、極めて低いことを願います。
いずれにしても普通の創価学会員と、軸足の異なる「書き込み」は
管理人さまのご判断にお任せいたしますが、ここまででストップされる
ことがよろしいかと思います。言論統制の次元の話ではありません。
自説を述べるのであれば、「ブログ」形式をお勧めいたします。
それでも、ていねいなご説明の労に対しては感謝申し上げます。
591 :はぐれ雲 ◆HHaU7zEjNg:2008/11/02(日) 15:17:17 ID:95Ekw81c0
もくれん様
この件についてはこれで終わりという事でよろしいのですね。
もくれんさんの>>590のレスを持ちまして、過去ログ行きとします。
592 :もくれん:2008/11/02(日) 15:50:34 ID:4uMDKl0o0
>>591 はぐれ雲さま
了解いたしました。
- 310 :沖浦克治 ◆tr.t4dJfuU:2008/12/06(土) 12:12:04
- もくれんさん
もうお止めなさいね。
惨めで見苦しいだけですよ。
仏前で祈りなさい。
- 311 :もくれん:2008/12/06(土) 12:28:36
- http://www2.ezbbs.net/33/amagian/
天城氏論文より
後加文の多い「百六箇抄」にも、「本迹を分けて勝劣を弁える事」と言明されているのみならず、同様に「本因妙抄」に至っては、「本迹勝劣を知らないものは師子身中の虫」とまで言われている。
ここで両書の真偽を論ずる意志はなく、須らく大聖人の御精神として受け止めていきたい。
仏の生命にも「染法」があり、「無明」があることは間違いない。同様に「浄法」もあれば「法性」もある。「本迹」などではなく「一体不二」が実相である
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天城氏論文は、長文である。
エッセンスを今後少しずつ、活用させていただく。
- 312 :もくれん:2008/12/06(土) 13:47:31
- http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/9645/1224812006/12
>日蓮正宗に功徳が出ないのはね、曼荼羅が人間より上だと思ってるからです
日顕宗に功徳が無いのは、大聖人直結の広宣流布への信心実践が無いから。
いまだに、日蓮正宗と言っているのは、日顕宗の「極悪」が理解できていないから。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/9645/1224812006/39
お題目だと仰せでしょう。
どう読んだら曼荼羅と読めますか?
生半可な勉強するから仏本人迹論の日蓮正宗に惑わされるのです。
真面目に祈らないからですよ。
一大秘法はお題目。
よく覚えておきましょうね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>どう読んだら曼荼羅と読めますか?
先生の報恩抄講義より・・全集28 496P
妙法五字とは本門の本尊である。一大秘法とは本門の本尊である。
★ 氏の根源的誤謬・・曼荼羅が妙法五字を図顕したものと理解できていない。
この故、「日付が符合しないとかの理由で、大聖人の出世の本懐は大御本尊建立
であることを否定し、大聖人の出世の本懐が「題目」であるとの「カン違い」が発生。
本門の題目といっても、「本門の本尊」を信じてという、条件があるのに・・
ただ「題目」だけであれば、他の日蓮系や新興宗教でも、南無妙法蓮華経と唱えて
いる教団はあるのだろう。
★ 大聖人の出世の御本懐は大御本尊建立・・・
これが理解できない、肯定できないと「本門の本尊」が成立しないので
全てが狂ってくる。
- 313 :梅:2008/12/06(土) 14:00:43
- もくれんさん
どうしました?
対話の環境を自ら破壊してしまって、どうするおつもりですか!?
- 314 :もくれん:2008/12/06(土) 14:35:53
- http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7888/1164545168/51
沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/10(金) 07:50:55 ID:6wWhcHTM
本迹もそうなんです。
ヒロGOさん。
例えば大聖人様と私共。
身体は仮のものですから迹ですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・★仮諦のことでは・・・・
恐れ多いので私で説明いたします。
大聖人様もおなじですよ。
沖浦克治と言う人間。
これはこの世での仮の姿です。・・・・・・・・・★仮諦・・・
ですが命は妙法なんですね。
この身体は迹。・・・・・・・・・・・・・・★仮諦・・
次に生まれる時は違う身体です。
命は同じです。
妙法の当体です。
本です。
これは大聖人様も同じです。
そして、自分と他人は自分が本、他人は迹。・・・★後に他人が本・自分が迹と言った・・
・・★ここは、意味不明、肉体(色法)を迹と、定義して、それを自他にすぐ適用とは
・・・・大混乱の極み・・
ですからご本仏と言えども、この世の関係では私が本、大聖人様が迹。
命は双方と差別なく妙法の当体ですから、本です。
ここは差別が無いのです。
『然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、』
(生死一大事血脈抄)
・・・・★差別は無いが、「信」が必要条件・・・・・・
★印は「もくれん」が、付け加えた
空・仮・中・の 三諦の仮諦を、「迹」にも「仮」の意義もあることから
混同しているのが、原因・・しかし、メチャクチャ・・
- 315 :もくれん:2008/12/06(土) 15:05:48
- http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7888/1164545168/57
>大聖人様も曼荼羅なしでのお悟りです。
★・・御本仏とはいかなる存在かの、認識ゼロ・・
>この前提を歪め、曼荼羅崇拝を広め信徒支配を企んで来たのが、日蓮正宗と言う名の邪教です。
> 曼荼羅が本。
> これね、邪義ですよ。
★ 大御本尊を信徒支配の道具として「利用」しているのは事実だか・・・
>なくても功徳が出て、戸田先生や大聖人様がお悟りになられた。
> 迹じゃないですか。
★ 「本門の本尊」の意味が理解できていない故の迷妄・・
ただの「掛け軸」くらいにしか認識できていない・・
久遠の「妙法」そのものであるのに・・・
その「妙法」を、そっくりそのまま図顕したのが「曼荼羅本尊」・・
2008年10月号 大白蓮華 「報恩抄」講義
万人の生命に本来、具わる尊極の生命を一人一人に自覚させるために
大聖人己証の尊極の生命をあらわされた「本門の本尊」・・・
この夏以来のネット上の「本門の本尊」論争を先生は、ご存知なのであろう。
それを見透かすかのようだ。
▼一生成仏抄講義より
▼南無妙法蓮華経といっても、日蓮大聖人の御本仏としての御生命を離れて
▼存在するものではありません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「あ」さんとか「エステラ」さんが、以前、書き込みをした
自分の胸中の本尊を、言いたいのは、わかっていたが、
▼印に、ついて、全く、「ピントはずれ」であった。
己心の妙法、つまり、自分の仏界の生命を涌現することの重要性を
言いたくても、御本仏の御生命と関係なくありえない・・・
- 316 :梅:2008/12/06(土) 15:41:00
- もくれんさん
貴女は対話の環境を整えて、私をここに誘ったのではなかったのですか?
そのようなことを、どなたかにもおっしゃってましたね。
何のための連続投稿なのか、理解に苦しみます。
- 317 :もくれん:2008/12/06(土) 15:47:48
- >>313 梅さん
>もくれんさん
>どうしました?
>対話の環境を自ら破壊してしまって、どうするおつもりですか!?
レスが増えて、混雑してますが、思うところがあり、「オアシス」から
必要なレスを移動しました。
その「思うところ」とは、言葉では表現できませんが、先日の沖浦さん板への
「最後の投稿」>>266・>>267で、相当「心境の変化」は大きく転回しました。
心境の変化を今は、言葉では表現しずらいのですが、
一つの「賭け」をしたみたいですね。
日々朗らかさんの「沖浦さんを信じたい」との思いを、果たしてどう受け止めるのか
0・0000001パーセントくらいは、可能性を持っていました。
人間の善性というものをですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
梅さんとは、今までどおり、前回の続きから「対話」を続行しますので
お願いします。
ただ、今回の移動したレスは、心血注いで、取り組んできたものです。
他人のものも、若干ありますが。
梅さんが、言っていた、沖浦さんが、「何を言いたいのか」・・それも含めて
私の対話の記録です。
- 318 :沖浦克治 ◆tr.t4dJfuU:2008/12/06(土) 16:00:05
- もくれんさん
相当見苦しいですね、対話は貴方の境涯では不可能です。
仏法が人の救済のために説かれるしえである。
これはね、大前提なんですよ。
国の憲法と同様です。
この大前提にそむく主張は全て邪儀です。
貴方は邪儀に侵され切って正常な思考が不可能です。
これを仏法では悩乱と言います。
祈って頑張るべきです。
貴方にとって今の教学は一凶です。
やめて、座談会からお始めなさい。
始めて御書を紐解いた新鮮な感動を思い出すのですよ。
頑張るんですよ。
- 319 :もくれん:2008/12/06(土) 16:11:07
- http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/9645/1217511921/210
沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/12/05(金) 12:38:51 ID:AJ3hr85o0
もくれんさん
私が正しいのです。
私を攻撃するものは、邪儀です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
梅さん、沖浦さんの、上記の発言は、私の心境に更なる変化を起こしました。
残念ながら、沖浦さんは、100パーセント「悪」の状態であると、判断せざるを
えません。
教義以前の問題です。
もはや、沖浦氏を「理解してあげよう」は、私には断固、不要になりました。
でも、梅さんの「思い」は尊重したいと思います。
- 320 :もくれん:2008/12/06(土) 16:16:34
- 沖浦さん
このスレッドは、管理人さんから、私がお借りしています。
申し訳ないですが、書き込みはご遠慮ください。
もっと、はっきり言いますと、絶対に「書き込み」はお断りいたします。
梅さんとの対話に支障があります。
梅さんが、沖浦さんの「間違い」に気付いてくれるのが目的ですから。
- 321 :沖浦克治 ◆tr.t4dJfuU:2008/12/06(土) 17:10:16
- もくれんさん
そう言うことなら、私に関する話題を慎みなさい。
私の話題を出しながら、本人を締め出すことは出来ませんよ。
これは常識です。
その常識すら忘れ果てる。
この貴方の状態を、仏法で、悩乱。と、言います。
先ず仏前にすわり、ご本尊様に自らの今回の邪義を撒き散らした謗法の罪をお詫びなさい。、
今の貴方の悩乱が、罰の現証です。
そう言う基本的なことをよく理解しておきましょう。
- 322 :管理人:2008/12/06(土) 17:21:59
- >>321
沖浦さんへ。
ここはスレッド主である、もくれんさんの意見を尊重いたします。
ですのでどうか書き込みはご遠慮ください。他スレでお願いします。
- 323 :梅:2008/12/06(土) 18:21:41
- もくれんさん
【閑話休題】
沖浦さんの火事についての話は、現実の話を踏まえた教義についての問いかけです。
>>267
>現実問題として、同志の方の家屋が「スワ!、火事だ」ということで、駆けつけ
>当然、その同志の方の救出を最優先しますが、その前に専門家である「消防隊」
>が、その方を救出中であれば、防火服を着ている、専門家に依頼して
>仏間の御本尊の「持ち出し」を依頼するかもしれないです。
貴女は『現実問題として』と言われながら、非現実的な話をしておられますよ。
もし、消防士にかような依頼をしたら、『火を消すのが先でしょう!!』と言われるのがオチです。
場合によっては、『なんと非常識なのか』と思われかねませんね。
ふつうに人の心があれば、幼子を亡くした親に同苦するでしょう。
そのときに、真っ先に御本尊云々するならば、「教義」に毒されているのではないか?
沖浦さんが火事の例で言いたかったことは、そういうことだと思いますよ。
人間主義の仏法ですから、教義もそのように解釈されるべきです。
>大多数の皆さんが、指摘しているのは、日蓮仏法の根幹の教義上のことです。
『大多数の皆さん』を言うべきではありませんよ。
そもそも、『大多数』を検証できないのですから。
ネットでは批判者が多いことを言っているなら論外ですね。
そんなことで、正邪を判定できるものではありません。
- 324 :梅:2008/12/06(土) 18:58:46
- もくれんさん
>>317
>梅さんとは、今までどおり、前回の続きから「対話」を続行しますので
>お願いします。
感情的な沖浦批判を慎まれることが前提です。
それをやったら、他の批判者と何ら変わりませんし、私が対話する意味を失います。
>ただ、今回の移動したレスは、心血注いで、取り組んできたものです。
>他人のものも、若干ありますが。
そうでしょうね。
しかし、こんなフウにされると、対話の過去レスを探すのが大変になります。
私は、どこでどのように書いたかを点検しながら投稿を書いています。
>梅さんが、言っていた、沖浦さんが、「何を言いたいのか」・・それも含めて
>私の対話の記録です。
貴女のPCに保存しておけば済むことかと・・
貴女のしておられることが理解できません。
仮に私の知りたいことが書かれていたとしても
こんな膨大な量を読む気にはなれませんです^^;
- 326 :もくれん:2008/12/06(土) 22:47:49
- 梅さん、一日で状況が一変しました。
まさに、私が最後の「望みを託して」沖浦さんの板に書き込みしたことでです。
そして、梅さん、 >>321
>そう言うことなら、私に関する話題を慎みなさい。
> 私の話題を出しながら、本人を締め出すことは出来ませんよ。
> これは常識です。
これは、一般論として誰でも、そうですね。
現場でもそうですし、自分のいない場所で、「ネガティブ」な話題を
出されて嬉しい人はいません。
ですから、一般論としての「人本仏迹」論の「正邪」の検討・・
でしたら、可能ですね。
ただ、検討する以前に「一目」で邪であるのは、普通の水準の学会員で
あれば、常識の範疇です。
むしろ、ある程度、沖浦さんと親しくしてきた経緯があると、純粋な
教学的な判断の目が、曇ると思います。
一度は親しく、ネット上とはいえ、会話をした梅さんです。
謗法与同罪から梅さんを、フリーにして差し上げたかったというのが
本心で、それ以外の気持ちはありません。
この己義の「謗法」の程度は甚大と私は思います。
あとは、沖浦さんの「己義」を、日連仏法の根幹から、どのように
評価するのかは、梅さん自身の判断にお任せしたいと思います。
その上で、私に何か手伝えることがあれば、喜んでお手伝いさせて
いただきます。
- 327 :梅:2008/12/06(土) 23:21:58
- もくれんさん
仏の出世(出現)の目的は何だとお考えですか?
(「出世の本懐」のことではありませんよ、念のため)
それがお分かりになれば、「人本仏迹」論は間違いではないのです。
ただ、「本迹」でいうから、伝統的な基本的使い方しか分からない人には理解し難いだけですね。
ですから、私は貴女との対話で、本迹論から入ったのです。
そして、貴女は本迹の使い方への理解をだいぶ深められました。
そうではありませんか?
>ただ、検討する以前に「一目」で邪であるのは、普通の水準の学会員で
>あれば、常識の範疇です。
最初からこのような目線でいては、検証する姿勢に欠けるのです。
『普通の水準』とは何ですか?
『常識』とは何ですか?
これがいかにいい加減な表現であるかは、「仏教大辞典」の記述で指摘したではありませんか。
「折伏経典」ではもっとすごいですよ。
解釈は時代背景とか、各国地域の歴史風土その他の事情いう要素でも変わるのです。
今日の沖浦説の邪が明日は正になるかもしれないのです。
謙虚に考察・検討する姿勢が必要とされるのはそのためです。
- 328 :もくれん:2008/12/07(日) 00:04:44
- >>327 梅さん
>仏の出世(出現)の目的は何だとお考えですか?
>(「出世の本懐」のことではありませんよ、念のため)
>それがお分かりになれば、「人本仏迹」論は間違いではないのです
沖浦さんが、かねてから、「人間のための宗教」と主張しているのは
知っています。
それもあるから、以下のレスをしたのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/9645/1217511921/209
以下、御書の世界より
▼ 全民衆を救済するためには、どうしても、人間自身の胸中にある本尊を
涌現させていく以外にない。
全人類が平等に胸中の本尊を涌現することができ、万人にその可能性が
与えられる。
「観心本尊」は、偉大なる本尊革命であり、人間の可能性を最大に尊重し
現実に変革を可能にする「人間のための宗教」の精髄です。
ここだけでも、かねてから、沖浦さんが主張している「人間のための宗教」
が、しっかり表現されています。
曼荼羅が迹、などの表現を使用しなくても「人間のための宗教」は
表現できます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ですから、「人間のための宗教」を、表現するのは、上記の、池田先生の
表現で充分ですね。
>今日の沖浦説の邪が明日は正になるかもしれないのです。
これについては、その「根拠」を、まず、梅さんが示して下さらないと
対応できません。
- 329 :やまいぬ。:2008/12/07(日) 00:59:07
-
横レス失礼。
梅さん。
>仏の出世(出現)の目的は何だとお考えですか?
>それがお分かりになれば、「人本仏迹」論は間違いではないのです。
間違いです。
まず前提として1点。
「人本仏迹」論とお書きですが、ではそもそも沖浦さんの書いた「本迹」とは何ですか?
沖浦さん自身が返答不能のまま数週間が経過していますが、あなたにはそれが答えられますか?
次に2点目。
「人の幸福が蓮祖仏法の目的だ」を根拠として「人本仏迹論」と名付けるのなら、
「自分が本、蓮祖は迹。」など既に何の根拠もない出鱈目です。(^o^)
「自分の幸福が目的であって、蓮祖も、蓮祖仰せの広宣流布も結局二の次、どーでもいい」ならば
蓮祖仏法を信仰する必要がありません。捨てればいいんです。
――完全にパラドックスに陥ります。(^o^)
そして沖浦さんは、「自分が本、蓮祖は迹。」と主張して、その薄っぺらい根拠として
池田先生の対談『法華経の智慧』第5巻を引用されました。
しかしここで述べられているのは、「凡夫こそ仏」であり、過去の迹仏のような絶対的で
凡夫の手の届かない存在を「仏」というのではないということです。
凡夫=仏(凡夫即極)の前提に従えば、「人本仏迹」自体が成立しません。(^o^)
つまりここでいう「仏」は迹仏でないと対立概念として成立しないのです。
しかし引用したのは、池田先生が凡夫=仏と主張された『法華経の智慧』第5巻。
――つまりどういうことか?
沖浦さんはその都度、錯乱し混乱したその脳内で、「凡夫=仏」と「迹仏」をゴッチャに
使っているということです。だから問い詰められれば何一つ返答不能になる。(^o^)
この意識的な混用は、最初の段階で見抜いていましたが。(^o^)
>今日の沖浦説の邪が明日は正になるかもしれないのです。
なりません。
「凡夫・衆生こそが尊極=仏」は、もう700年前から蓮祖が仰せです。
いまさら新しい画期的な解釈を沖浦さんが始めた訳ではありません。
沖浦「新教義」は、まさしく
「自分が本、蓮祖は迹。」
であり、
「私が正しいのです。私を攻撃するものは、邪儀です。」
、これですよ。(^o^)
無論最初から、1行の文証もありませんがね。(^o^)
因って
>謙虚に考察・検討する姿勢が必要とされるのはそのためです。
全く無用です。(^o^)
実はこれ、沖浦さんが必死で主張する、「沖浦流・仏界湧現」の邪義と関わってくるのですが、
長くなるのでまたそのうちに。(^o^)
- 330 :もくれん:2008/12/07(日) 10:29:28
- 梅さん、一応、下記に、目を通して見てください
そして、ご感想をお願いします。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1226090096/298
- 331 :もくれん:2008/12/07(日) 10:41:34
- 「あ」さん
エステラさん
備前さん
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1226090096/298
一応、目を通してみてください。
そして、ご感想をお願いします。
- 332 :梅:2008/12/07(日) 13:21:47
- もくれんさん・やまいぬさん
>>今日の沖浦説の邪が明日は正になるかもしれないのです。
沖浦批判が正等な評価かどうかを問うて言うために
今日・明日の対比で表現しています。
この程度の比喩は読み取れるお方と思いましたが・・
沖浦さんの解釈が、人間主義で貫かれているということについて
お二人はご了解しておられると思います。
でしたら、次に出てくるのは、その表現が適当であるか否かだけではありませんか?
私はそのためにもくれんさんとの対話を本迹論から始めたのです。
批判者がよくする悪口暴言は、その後でもやれることでしょう。
私はそんな悪口等はネットでする必要ないと思いますが・・
お二人がするのはご自由です。
なお、やまいぬさんへのレスは、ココではこれが最後です。
貴方だけではなく、龍破さんにも同じ対応をさせていただいてます。
- 333 :梅:2008/12/07(日) 13:44:56
- もくれんさん
>>326
>この己義の「謗法」の程度は甚大と私は思います。
そうですか?
それは貴女御自身の評価ですから私には分かりません。
何が「己義」でそうでないかは難しいものがありますね。
たとえば、貴女は
>>163で
>曼荼羅御本尊の「本・迹」は、ありますよ。
とおっしゃってます。
そして、次のレス>>165では
>これは、誤解されやすいので、いの一番に「正確」に書いておかないと・・・
と「御書の世界」を引かれていますが、何ら説明になっていません。
それで、これはどういうことなのかと、私はその書物で該当箇所を直接あたってみましたが
曼荼羅御本尊に「本・迹」があるという記述は見つかりませんでした。
これは本迹論でも最重要な論点でしょうね(私は考えもしていなかったことです)
しかし、もくれんさんのおっしゃることですから、私が見逃しているのかも知れません。
それが書かれている箇所をご指摘願います。
また、万が一それが貴女の「解釈」であったとしても、もう一度わかりやすくご説明願います。
- 334 :梅:2008/12/07(日) 14:11:06
- もくれんさん
>>330
>梅さん、一応、下記に、目を通して見てください
>そして、ご感想をお願いします
今までの沖浦さんのご主張を簡潔にまとめられたものと思います。
- 335 :もくれん:2008/12/07(日) 15:00:34
- >>333 梅さん
私は単行本は持っていないので、大白蓮華 2003年1月号 御書の世界 第13回
22P〜23P です。
▼「本・迹」に立て分ければ、根源の法である南無妙法蓮華経が「本」で
▼ 虚空会は「迹」です。
▼ 「迹」をもって、「本」を顕すのです。
>曼荼羅御本尊に「本・迹」があるという記述は見つかりませんでした。
本迹に立て分ければ・・に訂正します
▼印では、不十分ですか。これ以上は私自身には説明できません。
書いてあるとおりにしか、わかりません。
当然、その前から読んでいただいての、本迹の▼印ですが、
- 336 :もくれん:2008/12/07(日) 15:18:10
- >>334 梅さん
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1226090096/298
>三大秘法とは私共凡夫の姿その物ですよ
これについては、いかがですか?
ちなみに、学会出版物としては、最新といってもいいですね、
2008年10月号 大白蓮華 58P 「報恩抄」講義で、先生が
三大秘法について、書いて下さっていますので、ご参照ください。
- 337 :梅:2008/12/07(日) 15:23:22
- もくれんさん
>>335
>本迹に立て分ければ・・に訂正します
『曼荼羅御本尊の「本・迹」は、ありますよ。』→『曼荼羅御本尊を「本迹に立て分けれ」』
にしても、意味は変わらないと思いますが・・
私が質問しているのは、次のA・Bです。
A:ここでは、曼荼羅御本尊が本とか迹とかに触れているのですか?
B:曼荼羅御本尊を本迹で貴女がおっしゃってるのですか?
>▼印では、不十分ですか。これ以上は私自身には説明できません。
貴女はご理解されているからこそ、『誤解されやすいので』と書かれたのではありませんか?
ただ文章を引かれるのではなく、貴女御自身の理解されていることをご説明下さい。
- 338 :もくれん:2008/12/07(日) 16:03:11
- >>337 梅さん
>A:ここでは、曼荼羅御本尊が本とか迹とかに触れているのですか?
曼荼羅御本尊を「本」と「迹」に立て分けているのです。
>貴女はご理解されているからこそ、『誤解されやすいので』と書かれたのではありませんか?
この箇所を読んだ時は、「ハッ」としましたよ。
大白蓮華が発行された直後に読んだ時は、気付かなかったです。
今回の「本迹」論議で、更にしっかり読んで、気付いたのが実情です。
私にとっても、新鮮な驚きでしたから、慎重に扱ったということです。
この件は「やまいぬ」さんなどは
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1225415423/357
スラスラ、理解できていて、スラスラ、書いていますが、
私にとっても、「慎重」に扱わざるを得ないほど、「新鮮な驚き」でした。
それが、「誤解されやすいので」となりました、ことは、御本尊様のことですから。
「本迹」関連が頭にあって、先生の著書を読んでいて昨日こんな表現がありました。
国家総体では、国民が「本」国家が「迹」・・・必要なら、きちんと書きますし
出典も明らかにして・・
万物に就いて「本迹を立て分ける」注意深く読んでいると、結構、先生の著書に
ありますね。
>B:曼荼羅御本尊を本迹で貴女がおっしゃってるのですか?
先生の言葉です、▼印は
でも、更によく読んで、自分の言葉で正確さは失わずに書けるように
準備します。しばし、お待ち下さい。
- 339 :梅:2008/12/07(日) 16:34:39
- もくれんさん
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>>337
A:ここでは、曼荼羅御本尊が本とか迹とかに触れているのですか?
B:曼荼羅御本尊を本迹で貴女がおっしゃってるのですか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>>338
>曼荼羅御本尊を「本」と「迹」に立て分けているのです。
貴女はAだといってるわけですね。
では
曼荼羅御本尊の「本」とはなんですか?
曼荼羅御本尊の「迹」とはなんですか?
Aをとられているのですから、貴女御自身の言葉でなくてけっこうです。
- 340 :ume:2008/12/07(日) 16:54:48
- 「本迹」関連が頭にあって、先生の著書を読んでいて昨日こんな表現がありました。
国家総体では、国民が「本」国家が「迹」・・・必要なら、きちんと書きますし
出典も明らかにして・・
>>214 のタンポポさんの「本・迹」観は「メチャクチャ」であるのは
言うまでもありません。
- 341 :梅:2008/12/07(日) 17:09:40
- >>340は投稿原稿未整理のうちに投稿されてしまいました。
- 342 :ヒロGO:2008/12/07(日) 17:27:22
- タンポポさんが本迹?あんた嘘つきやね。
- 343 :梅:2008/12/07(日) 17:44:28
- もくれんさん
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>>214 のタンポポさんの「本・迹」観は「メチャクチャ」であるのは
言うまでもありません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記は、沖浦版「本迹に関して対話する」のNO273で貴女が投稿されたものです。
しかし
>>338
>「本迹」関連が頭にあって、先生の著書を読んでいて昨日こんな表現がありました。
>国家総体では、国民が「本」国家が「迹」・・・必要なら、きちんと書きますし
>出典も明らかにして・・
を理解されているなら、タンポポさんような本迹の使い方・表現もお分かりになるはずです。
沖浦さんの使われてる本迹も、そのような理解の姿勢が必要なのではないかと思います。
「理解即正しい」と申しているのではありません。
そのような思考がなされないと
単なる非難になってしまうのではないか、そういうことを恐れて言うのです。
- 344 :ヒロGO:2008/12/07(日) 17:58:12
- 横レスですみませんがどこでタンポポさんが本迹を使ってるのですか?僕が知る限り沖浦氏とホセ氏ならわかりますがね。タンポポさんはまだ入会したての人で破戒な掲示板からお世話になった方です。成り済ましならわかりますがね。彼女は争い事が嫌いな人ですよ。
- 345 :梅:2008/12/07(日) 18:03:05
- ヒロGO さん
しばらくですね。
私はウソツキじゃありませんよ。
ワビてくれたら、ちゃんと教えます(笑)
- 346 :ヒロGO:2008/12/07(日) 18:12:46
- 梅さんすみません。ですが信じられないんですよ。タンポポさんが本迹を使うなんて?少しカアッとしましたです。後佐藤氏ホセ氏タンポポさんが同人物だと疑ってる人がいますが僕が知る限り彼女は別人ですね。破戒な掲示板で大阪の話しもしてるし彼女が創価学会に入会の経過も知ってるしなんでまあ佐藤氏ホセ氏から聞きかじってならの話しならわかりますがね。
- 347 :梅:2008/12/07(日) 18:27:02
- ヒロGO さん
タンポポさんのお人柄は、喫茶サロンをロムしていればよくわかります。
貴方が好きな人なら、間違いなく良い人ですよ!
私はサロンに入ったことはありませんが、ステキな方だと思っています。
彼女の投稿は、沖浦版「本迹に関して・・」の「214」です。
とても率直な表現で書かれています。
これを非難するのは的外れですね。
- 348 :日々朗らか(決意):2008/12/07(日) 18:36:01
- 読んできました。
敢えてコピペは致しませんが、
タンポポしゃんらしい【分かりやすい表現】でしたねo(^-^)o!。
共感もてますね。
- 349 :ヒロGO:2008/12/07(日) 19:54:45
- 梅さんありがとう(*^_^*)そしてすみませんでした。彼女の事となるとむきになるくせがありましてすみません。けっして変な感情ではありませんよ。まあよかったです。彼女を教条的にみてほしくないのが僕の心情です。最近あちらでアク禁になった人にも腹が立ってます。僕は卑怯もんですから教学法論はさけてます。情と理でどう言えばよいのかわからないんですね。ネットは他の人もロムしてますからね。僕の心情は粛坊さんに近いですね。梅さんとは別な話しをしたいですね。
- 350 :やまいぬ。:2008/12/07(日) 21:49:50
-
>今日の沖浦説の邪が明日は正になるかもしれないのです。
>沖浦批判が正等な評価かどうかを問うて言うために
>今日・明日の対比で表現しています。
>この程度の比喩は読み取れるお方と思いましたが・・
読み取った上で申しております。
>沖浦さんの解釈が、人間主義で貫かれているということについて
>お二人はご了解しておられると思います。
ニセ、のね。(^^)
何度でも書きます。
「人本仏迹論」なるものの「仏」は迹仏でなければ対立概念にはなりません。
しかし沖浦さんは「自分は凡夫であり、凡夫こそ仏である」と書きながら
「自分が本、蓮祖は迹。」と断定しました。
「凡夫=仏」としての蓮祖を迹と規定すれば、そのまま同時に、実は自分自身を迹と
規定することです。
だから書きました。
沖浦さんはその混濁した頭で、平気で「凡夫即極」と「迹仏」を並行し混同したまま
使っています。
つまり「人本仏迹論」とは、凡夫の絶対的尊厳を平気で否定する邪説であり、見せかけの
人間主義です。
>でしたら、次に出てくるのは、その表現が適当であるか否かだけではありませんか?
上記しました、違います。
>批判者がよくする悪口暴言は、その後でもやれることでしょう。
>私はそんな悪口等はネットでする必要ないと思いますが・・
ネットで捏造した邪義、ネットで斬ります。(^^)
>なお、やまいぬさんへのレスは、ココではこれが最後です。
結構です。気が向けば私は書かせて頂きます。(^^)
- 351 :もくれん:2008/12/07(日) 23:43:44
- http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/4595/1227502248/26
>沖浦さんの解釈が、人間主義で貫かれているということについて
>お二人はご了解しておられると思います。
ニセ、のね。(^^)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ニセに賛成です。
- 352 :もくれん:2008/12/08(月) 11:14:49
- >>343 梅さん
>>338
>「本迹」関連が頭にあって、先生の著書を読んでいて昨日こんな表現がありました。
>国家総体では、国民が「本」国家が「迹」・・・必要なら、きちんと書きますし
>出典も明らかにして・・
を理解されているなら、タンポポさんような本迹の使い方・表現もお分かりになるはずです
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
国民が「本」国家が「迹」について、正確に書きます。
タンポポさんのことも、順次書きます。
出典・・平成7年8月8日 日本・ブラジル合同研修会 創価のルネサンス 88、と、池田大作全集 86
長野県出身の言論人、竹内・好氏の話から始まり・・
先生の「日中国交回復提言」・・竹内氏が先生の「提言」を読んだことを
ふまえて、氏の著書からのスピーチです。
▼印が先生のスピーチです。
▼「国家が目的、人間は手段」の転倒から戦争が
▼さて、きようは、ここからが本題である。竹内氏は、その一文「光はあったのだ」の
▼中で同義の問題に続いて、こう論じておられる。
▼「感銘した第2点は、国交回復の問題を、国家レベルでなしに、民族レベルで、または
▼民衆レベルで考えている点である。
▼あくまで人が基本である。人と人、民衆と民衆とが手を握るのが、講和なり国交回復なりの
▼内容でなくてはならない。この点でも日本の歴代政府の考え方は、池田氏の指摘される
▼とおり、まちがっている。
▼人、そして人の集合体としての民族、これが本体であって、国家はその生存のための
▼手段にすぎない。国家を本位にして、国家を目的化すると、方針を誤る。
▼過去の侵略戦争がそのよい教訓だった。いま、侵略戦争の非を非とするためには
▼国家本位からの脱却がどうしても必要である。民族を本位とすること、
▼この基本姿勢は中国問題を解決するに当たって欠くことができない。
▼要するに、民衆の幸福が目的である。国家は手段である。
▼民衆が「本(本体)」である。国家は「迹(影)」である。
▼民衆が主人である。権力は使用人である。
いったん送信します。
- 353 :もくれん:2008/12/08(月) 12:04:53
- >>352の続き 梅さん
先生のスピーチには「国家主義」に関するものは、たくさんあります。
あの戦争も「国家主義」により、牧口先生・戸田先生の入獄も「国家主義」により・・
このへんは、説明は不要ですね。法華経の智慧にも、詳しく書かれている箇所も
ありましたね。
民衆が「本」国家は「迹」・・このとおりですね。
次に権力者に関して、スピーチから見つけました。
平成7年10月8日 滋賀県最高協議会 創価のルネサンス89.池田大作全集・86
▼群雄が割拠した中国の戦国時代(前453年から前221年)
▼そのなかにあって、栄えゆく国、勝ちゆく時代には、やはり指導者に、
▼それなりの哲学があり、人格があった。
▼当時、戦国七雄として栄えていた国の一つに趙の国がある。
▼この国では、国王の母の太后の存在が大きかった。
▼彼女のもとに、新しく王位に就いた隣国の斉の国の国王(王建)が、あいさつの
▼使者を送った。使いの手紙を開く前に、太后は使者にたずねた。
▼まず、「天候や作物の実りに変わりはありませんか」ついで
▼「人民にも変わりはありませんか」そして最後に「王様にも変わりはありませんか」と
▼使者は、この質問の仕方は無礼だと思った。
▼「なぜ、王のことよりも先に、天候や作物の実りや、人民のことをたずねるのですか」
▼太后は切り返した。
▼「天候が不順で作物の実りが悪ければ、人民は安穏ではありません。そして、
▼人民が安穏でなければ、国王も安泰ではない。「本」である民衆のことを
▼さしおいて「末」である王のことを問うのは、間違ってはいませんか」(戦国策・斉藤第4から)
▼民衆が「本」、権力者が「末」である。
▼その「末」である権力者が「本」である民衆をいじめる。困らせる。
▼それこそ「本末転倒」の社会である。そこには、もはや衰亡しかない。
▼大聖人は、「王は民を親とし」御書1554P・・王は民を親のように大切にし・・
▼と仰せである。このお言葉を、よくよく拝さなくてはならない。
・・少し飛ばして・・・・・・・
▼偉い指導者とは、どういう人か。それは、真摯に生きゆく民衆を、心から尊敬できる人
▼民衆に敬虔に礼を尽くし、仕えていく人である。本物の指導者かどうかの基準は
▼ここにある。
▼民衆が「権力者は偉い」と盲目的に従い、卑屈に頭をさげているようでは
▼進歩の未来はない。民衆が、いかなる権威にも、堂々と胸を張り、毅然と
▼頭をあげていく・・そうした真の民主の国土を築いてまいりたい。
続く
- 354 :もくれん:2008/12/08(月) 12:31:31
-
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/9645/1226278322/214
214 :タンポポ:2008/11/25(火) 23:43:25 ID:WwDrUF2wO
今日帰りしな国会議事堂を見ていてちょっぴりわかった事。国会議事堂へ選挙で上がれた国会議員は迹。市町村議員や市町村長も迹。国民が本。国民のために働ける国会議員や市町村長や市町村議員は本。国会のためや市町村長利益のために動く国会議員や市町村長や官僚らは迹。国民のために働けている国会議事堂議会が本。市町村民のために働けてる市町村議会が本。と悟り理解できました。国会議事堂議会議員や市町村長や市町村議会議員は本として国民の幸せのために一生懸命本分を尽くして欲しいと願います。チョイ悟りまで。宗教の中でも同じですね。民衆のため人間のための宗教であることが本だね。宗教のために人間では迹だね。
一旦送信します 書き込み画面では見づらいので、
- 355 :もくれん:2008/12/08(月) 13:39:39
- >>354の続き 梅さん
タンポポさんの文章を確認します。
>国会議員は迹。市町村議員や市町村長も迹。国民が本
国民が本は、そのとおりです。
しかし、議員・首長は、「権力者」です。勿論、権力を民のために良き方向に
行使する方もいますが、やはり、先ほどの先生のスピーチに
あるとおり、
民衆が「本」、権力者が「末」・・
>国民のために働ける国会議員や市町村長や市町村議員は本。
議員・首長・それぞれが、民のために本来の働きをすれば、その議員・首長本人の
「本・迹」では、「本」になりましょう。
>国会議事堂議会議員や市町村長や市町村議会議員は本として国民の幸せのために一生懸命本分を尽くして欲しいと願います。
国会での決定は「国家の意思」として自国民や、他国民に良き結果、悪しき結果及ぼします。
その意味でいえば、まぎらわしいのですが、原点に戻り
「民衆が本」「国家は迹」・・ですから・・
国家といっても、良き国家もあります。
過去の阿育王(アショーカ王)の治世での「国家」、中米コスタリカは軍備を放棄して、教育立国とか・・
考えをまとめるために、一度送信しておきます。
- 356 :もくれん:2008/12/08(月) 14:06:40
- >>355の続き 梅さん
>国会議事堂議会議員や市町村長や市町村議会議員は本として国民の幸せのために一生懸命本分を尽くして欲しいと願います
ここから、切り取ります
>>国民の幸せのために一生懸命本分を尽くして・・その結果、これは良き国家の見本ですね。
その捉え方から、言えば
どこまでも「国家」対「国民」の関係ですね。
政治総体の結果という点と、議員の資質・働きとは、ちょっと微妙ですね。
>宗教の中でも同じですね。民衆のため人間のための宗教であることが本だね。宗教のために人間では迹だね
>民衆のため人間のための宗教であることが・・・人間の幸福のためと言い換えます
民衆の幸福が目的である、国家は手段である・・>>352 「本迹」成立
民衆の幸福が目的である、宗教教団組織は手段である・・・ 「本迹」成立
>>民衆のため人間のための宗教であることが・・・人間の幸福のためと言い換えます
宗教の中身・高低・浅深が大切だと思います。
▼ 自分が幸福になるための御本尊です
▼ 万人を幸福にするための御本尊です
いずれも「御書の世界」から
▼ 全民衆を救済するためには、どうしても、人間自身の胸中にある本尊を
▼ 涌現させていく以外にない。
▼ 全人類が平等に胸中の本尊を涌現することができ、万人にその可能性が
▼ 与えられる。
▼ 「観心本尊」は、偉大なる本尊革命であり、人間の可能性を最大に尊重し
▼ 現実に変革を可能にする「人間のための宗教」の精髄です。
・・・・・ここに全て言い表されていると思います・・・・
宗教団体・つまり組織と人間は、「本迹」関係は成立すると思います。
先ほどの「国家」と人間の「本迹」関係のように、
とりあえず送信します。
- 357 :もくれん:2008/12/08(月) 14:28:41
- >>356の続き 梅さん
タンポポさんの「言いたい」ことは、勿論、理解していますよ。
理解しているということと、「本迹」の使用の仕方を正しいと認めることは
別問題です。
ただかなり、本質的に「言いたいことの」方向性としては、間違いでないと
いう意味で「メチャクチャ」の評価は撤回します。が、使用法として「正しい」と認めて
わけではありません。
思いますに、「本迹」の概念は難しいです。
勿論、掲示板とかブログとか、私見として書くのは自由だと思います。
書いた結果、さまざまな評価を受けるのも、いた仕方ないことです。
評価に対しての反論も、当然、自由ですし、
私個人の価値観としては、あいまいなことは、書かない、これに尽きます。
タンポポさんの「本迹」観の「正誤」は「保留」にしておいて、あとは
タンポポさんが、沖浦氏の「人本仏迹」論に対しての、彼女の「価値観」の
ほうが重要だと思います。
むしろ、タンポポさんに関しては、「人本仏迹」論に対する「考え」の方が
私としては、関心があります。
何故ならば、今回、例に出した「本迹」観は、宗教の根幹とは無関係な命題です。
「人本仏迹」論は、日蓮仏法の根幹に関わるものです。
主張している方、支持している方が、「そんなつもりではない」といっても
結果として「そのように」なります。
誤った宗教の例を出せば、故意に悪気があって、間違えた宗教を信ずる人は
いないはずです。宗教の内容に「無知」であるが故です。
しかし、「狐」を、拝めば、「畜生」の、いのちに、感応します。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1226090096/298
> 一大秘法とは、衆生己心の妙法でお題目です。
> これを、一大事の秘法ともいいます。
> それはそのまま本尊です。
> 衆生己心の妙法が大聖人様の仏法の本尊です。
> ココまでがご不満なら違う宗派おやりなさいね。
> 衆生己心の妙法が本尊で、そのままお題目ですね。
> そして、それを保つ私共の身体。
> 戒壇です。
> 三大秘法とは私共凡夫の姿その物ですよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
梅さん、この文章の内容のどこに、日蓮大聖人がおりますか?
大聖人の「たましい」がありますか?
大聖人の「御生命」がありますか?
どうか、2008年10月号 大白蓮華「報恩抄」講義、ご参照ください。
「御本尊を軽視」する「つもりはない」・・が・・結果的には「御本尊軽視」
「御本仏不在」です。
- 358 :蓮:2008/12/08(月) 14:51:14
- 大聖人の弘教の帰結は、広宣流布の法体である三大秘法の南無妙法蓮華経です。
万人の生命に本来具わる尊極の生命を一人一人に自覚させるために、大聖人己証の尊極の生命をあらわされた「本門の本尊」。
南無妙法蓮華経という尊極の生命の名を自行化他にわたって唱えていく「本門の題目」
そして、南無妙法蓮華経への不信を互いに戒め、大法の弘通と立正安国の実現を誓い合う和合僧を築きゆく「本門の戒壇」。
この三つによって、万人の生命と国土に尊極なる妙法の輝きを顕現させ、広宣流布を
成し遂げていくのです。
(大白蓮華10月号 御書に学ぶ 報恩抄P58)
- 359 :もくれん:2008/12/08(月) 15:14:27
- >>351 梅さん
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/4595/1227502248/26
>>沖浦さんの解釈が、人間主義で貫かれているということについて
>>お二人はご了解しておられると思います。
>ニセ、のね。(^^)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>ニセに賛成です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宗教は人間のためだ、宗教のために人間があるのではない・・
これは、正しいです。しかし、宗教=曼荼羅御本尊としてしまった故の
言葉の「誤謬」だと思います。
宗教全般概念と「根本尊敬」の「対象」を、混乱させてしまいました。
宗教は人間のためだ・・・「聖職者などが介在したり、信徒利用があったり、
それらは、宗教(聖職者・教団)のための人間に、させられていますね。
>宗教は人間のためだ、宗教のために人間があるのではない・・
ここで、宗教と曼荼羅本尊をそっくり、入れ替えてしまったのですね。
曼荼羅本尊は人間のためだ、曼荼羅本尊のために人間があるのではない・・
宗教は人間のためにある・・・
この氏の言い分は「うそ」ではないと思います、が、せっかく、私が
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼ 自分が幸福になるための御本尊です
▼ 万人を幸福にするための御本尊です
いずれも「御書の世界」から
▼ 全民衆を救済するためには、どうしても、人間自身の胸中にある本尊を
▼ 涌現させていく以外にない。
▼ 全人類が平等に胸中の本尊を涌現することができ、万人にその可能性が
▼ 与えられる。
▼ 「観心本尊」は、偉大なる本尊革命であり、人間の可能性を最大に尊重し
▼ 現実に変革を可能にする「人間のための宗教」の精髄です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
氏の掲示板での「火事」の件に関連して、投稿しましたが、師の指導のエッセンスでも
あるのに、まったく顧みることもありませんでした。
曼荼羅御本尊と人命の比較は「個人差」があると思います。
その「個人差」と「曼荼羅御本尊」の「絶対的価値」を比較するのは
次元の違う話ではないかと、私は思います。
曼荼羅御本尊を「粗末」にする人はいます、人命に関係ない場面でもです。
当人の「信仰姿勢」の問題で、曼荼羅御本尊そのものを、そのような「尺度」
で測るのは、間違いだと思います。
つまり、人命と曼荼羅御本尊は、どちらが大切かと・・
どとらも大切だからこそ「帰命の対境」ではないでしょうか。
理論的にも、御書にもあるとおり、
然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ
全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈
とは云うなり・・・(御書 1337P)
と、あるように、差別はないのですから(現実には信が必要)
日常的な意識として、両方大切にしていこう、祈っていこう、というのが
本来だと思いますし、いざという時の「もしも」は、「断じてそうしない」
の「決意」が大切だと思います。
自分、自分の家族、同志一同、その他友人・近隣、皆の安全・無事故を
日々祈っていくことが、まずは肝心なことと思います。
蛇足ですが、曼荼羅は物質としての側面から「成住壊空」は、当然ですが、
そこに顕された「法」は、絶対ですので。
- 360 :もくれん:2008/12/08(月) 15:51:36
- >>339 梅さん
>曼荼羅御本尊の「本」とはなんですか?
根源の法である南無妙法蓮華経
>曼荼羅御本尊の「迹」とはなんですか?
虚空会
>Aをとられているのですから、貴女御自身の言葉でなくてけっこうです
▼「本・迹」に立て分ければ、根源の法である南無妙法蓮華経が「本」で
▼ 虚空会は「迹」です。
▼ 「迹」をもって、「本」を顕すのです。
御本尊は、「本」は「本」なのですが、「虚空会」という「迹」も「詳細説明」
として、用いて、相貌を顕したわけです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
御書の世界から、ピックアップします。
御本尊の相貌として「寿量品が説かれた時の虚空会の儀式」を用いた。
仏も衆生も国土も、永遠の妙法の当体であることを「象徴」しているのが
虚空会です。
宇宙全体が永遠の妙法で貫かれている、その永遠の妙法を大聖人は
南無妙法蓮華経として顕された。
しかし、永遠の法といっても、目には見えない。
それで、法華経では「虚空会」という、時空を超えて普遍的な価値をもつ
「永遠の法」即「永遠の仏」を「象徴的」に表現した。
虚空会は十界の衆生をすべて、相貌の中に納めます。
御本尊の相貌は、万人の平等の尊厳性を示しています。
御本尊には、いかなる分断や対立をも調和し、融合する力がある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、御書の世界・第13回「御本尊・下」から、ピックアップして
書き出したのですが、梅さん自身で、熟読するほうが、正確ですし
価値的だと思います。
- 361 :ヒロGO:2008/12/08(月) 15:59:58
- もくれんさん すみませんがタンポポさんはまた入会したてですので教条的な話しには巻込まないでください。それに彼女のコメントは宗教的な話しではありませんよ。あくまで政治にたいする感想です。そこを察してください。お願いします。
- 362 :もくれん:2008/12/08(月) 16:12:19
- >>361 ヒロGOさん
タンポポさん本人と、何か「やり取り」する、つもりはありません。
梅さんが、タンポポさんのレスの内容を、話題に出したので、それだけの
ことです。
タンポポさん本人は、全く関係ありませんから。
巻き込んでいないですよ。
ヒロGOさんは、心の優しい、いい人ですから、「キツイ」コメントは
したくないのですが、私のレスの内容を、ほとんど読んでなく「タンポポ」
だけで、早とちりで、レスされたのは、心外です。少し怒っています。
あくまで、梅さんとの「本迹」議論の例題です。
まして、梅さんからの「問題提起」です。
- 363 :梅:2008/12/08(月) 16:12:23
- もくれんさん
>>357
>ただかなり、本質的に「言いたいことの」方向性としては、間違いでないと
>いう意味で「メチャクチャ」の評価は撤回します。が、使用法として「正しい」と認めて
>わけではありません。
私は本迹は様々な使用法があると認識しています。
それは、貴女との対話では中心的な論点でしたね。
「五重の相対」でいう本迹相対でしか本迹を言ってはならないとしたら
貴女が挙げた先生の使い方でさえ、貴女の尺度では正しくなくなるでしょうね。
そうでないことは、私との対話でお分かりになったはずです。
>>264.>>265で、貴女は同意してますよ。
ともあれ、貴女の「評価」であったとしても、「メチャクチャ」発言を撤回なされたわけです。
余計なおせっかいですが、タンポポさんに貴女の謝意を表されたらどうでしょうか。
私たちの対話では、これ以上、取り上げて論じる必要性は全くありません。
タンポポさんに関してはここまでにしたいと思います。
『曼荼羅御本尊の本迹』の対話を続けましょう。
貴女は私の質問に答えておられません。
>>339を再掲します。
梅:2008/12/07(日) 16:34:39
もくれんさん
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>>337
A:ここでは、曼荼羅御本尊が本とか迹とかに触れているのですか?
B:曼荼羅御本尊を本迹で貴女がおっしゃってるのですか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>>338
>曼荼羅御本尊を「本」と「迹」に立て分けているのです。
貴女はAだといってるわけですね。
では
曼荼羅御本尊の「本」とはなんですか?
曼荼羅御本尊の「迹」とはなんですか?
Aをとられているのですから、貴女御自身の言葉でなくてけっこうです。
- 364 :梅:2008/12/08(月) 16:17:38
- もくれんさん
>>363の投稿は>>360を読む前に投稿準備したものです。
行き違いがありました。
- 365 :もくれん:2008/12/08(月) 16:19:58
- >>363 梅さん
>余計なおせっかいですが、タンポポさんに貴女の謝意を表されたらどうでしょうか。
これは、沖浦氏の「人本仏迹」論を彼女が間違いであると認識できた暁には
そうさせていただきます。関係ないことではありませんから。
- 366 :梅:2008/12/08(月) 16:27:56
- もくれんさん
誤解されていませんか。
先生は南妙法蓮華経が「本」で、虚空会を「迹」とされたので
曼荼羅御本尊に本迹の「立て分け」があるとは言っておられないと思います。
再考願います。
- 367 :ヒロGO:2008/12/08(月) 17:31:29
- もくれんさんどう言えばわかってもらえますかね。なんか悲しくなりますね。入会したての人がたんに感想をコメントしたばかりにそれも政治への感想をですよ。教条的にこれが創価学会の悪い体質ですね。僕は理と情でひいてますがまだ右と左がわからない人に攻めの感情しか無い人は僕は怒りを感じます。なぜなら創価官僚意識だからです。そんな人間には池田先生の気持はわかってないですね。やまいぬさんや説教おやじさんをみならなってください
- 368 :もくれん:2008/12/08(月) 22:47:48
- >>366 梅さん
もくれんさん
>誤解されていませんか。
>先生は南妙法蓮華経が「本」で、虚空会を「迹」とされたので
>曼荼羅御本尊に本迹の「立て分け」があるとは言っておられないと思います。
>再考願います。
▼「本・迹」に立て分ければ、根源の法である南無妙法蓮華経が「本」で
▼ 虚空会は「迹」です。
▼ 「迹」をもって、「本」を顕すのです。
▼印は全て先生の発言です。何度か、そう、書いたはずです。
梅さん自身が「御書の世界」で、確認されるのが一番確実と思います。
- 369 :もくれん:2008/12/08(月) 23:04:28
- >>367 ヒロGOさん
ヒロさんは、沖浦さんの「人本仏迹」説を「正しい」と思いますか?
間違いですか、2つに一つです。中間はありません。
正か邪か、お答えください。
本来でしたら、ヒロさんにこのことで、追求するつもりは予想だに
してませんでした、が、思いがけず、飛び込まれた以上、
明白にせざるをえません。
飛び込んだ以上、返答の責任がありますので、必ず「正」か「邪」か
ご返答お願いします。
ヒロさんの「言いたい」ことは、その後に対処します。
- 370 :もくれん:2008/12/08(月) 23:37:48
- 梅さん
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/9645/1226278322/297
>粛坊さんの掲示板で梅さんが、「寝ている間もウトウトしている間は本迹どちらになるのか」
>(趣意です。もくれんさんのスレッドにあります。今ログ出せないので。梅さんすみません)という事おっしゃっていましたが
風凛さんのあげられた箇所は私ではありません。もくれんさんの発言です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>寝ている間もウトウトしている間は本迹どちらになるのか」
上記の如く、書いた記憶は、ないのですが、一応探してみました。
該当する記述はないのですが、提示していただけますか。
- 371 :梅:2008/12/08(月) 23:57:52
- もくれんさん
>>359
>曼荼羅御本尊と人命の比較は「個人差」があると思います。
>その「個人差」と「曼荼羅御本尊」の「絶対的価値」を比較するのは
>次元の違う話ではないかと、私は思います。
「個人差」と言われてる意味が分かりません。ご説明願います。
また、「曼荼羅御本尊の絶対的価値」とはどういう意味ですか?
>曼荼羅御本尊を「粗末」にする人はいます、人命に関係ない場面でもです。
>当人の「信仰姿勢」の問題で、曼荼羅御本尊そのものを、そのような「尺度」
>で測るのは、間違いだと思います。
そのような「尺度」の意味がわかりません。
したがって、「間違いだ」も理解できません。ご説明願います。
>つまり、人命と曼荼羅御本尊は、どちらが大切かと・・
>どとらも大切だからこそ「帰命の対境」ではないでしょうか。
>理論的にも、御書にもあるとおり
「人命が大切」とふだん私たちは言います。
しかし、いとも簡単に人命が軽視されるのも現実ですね。
それは、なぜですか?
沖浦さんは、火事の例で、その問いかけをなされたのだと思いますよ。
火事で幼子を亡くした親に「御本尊様は?」と聞いた者がいました。
その親は「わが子さえ、助けることは出来なかったのですよ」と答えるしかなかった。
ふつうの感覚なら、こんな無神経なことは尋ねませんよ。
それとも、貴女は「御本尊様の絶対的価値」とかで
こんな無神経発言を許す学会員なのですか?
仮にそれが教義からくるものなら、どこか間違っていると思わないのですか?
もくれんさんは、沖浦さんの人間主義はウソだと断言しました。
それは、貴女とは教義解釈が違うからですね。
しかし、沖浦さんは、御本尊様を軽視した発言はしてないですよ。
「本迹」をいえば「勝劣」のみと思い、それで判断しようとするから
貴女の解釈の結果として、御本尊様を軽視してると決めつけてるのではないですか?
それに、「人本仏迹」論が万一間違いだとしても、それだからニセ人間主義とはいえないはずです。
そんな論がまかり通るなら、他宗を信仰する人々は全てニセ人間主義者になってしまうじゃないですか!
私には、「ニセ人間主義者」は暴言としか思えません。
- 372 :風凛 ◆WZ6GWnJ9nY:2008/12/09(火) 00:14:33
- >>370
もくれんさん、向こうの板で触れたのは私ですので、私が返答します。
ログやURLをすぐに出せない状態だったので、明示しませんでしたが、
もくれんさんがログ引用の明示徹底しないといけない方だというのは理解しているので、投稿後に、
改めてリンク先とログ明示するつもりでした、すみません。
梅さんがおっしゃったのは、ここの事だと思います。
ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1226090096/168
向こうにはきちんとすぐに、上記のリンク先を載せます。
失礼しました。
- 373 :ヒロGO:2008/12/09(火) 00:45:12
- もくれんさん 今度は僕を巻込むのですか?再度申し上げますが何故僕が理と情の間の為ひいてると言ってるのか貴女にはわからない人なんですね。情けない人です。ここで僕が言葉足らずで言えば貴女はたぶんそこを攻めるでしょうね。まあいいか 理で言えば宇宙の真理に日蓮大聖人は南無妙法蓮経となずけ曼荼羅で表した。この曼荼羅に表した法はけっして迹と言えるのでしょうか?曼荼羅は物理的には物ですが曼荼羅に表した日蓮大聖人の御心は迹でしょうか情の話しをします。僕は創価学会の組織活動を積極的に頑張るようになったのは沖浦氏の一言でした。去年破戒な掲示板でした。「創価学会に期待するのではなく創価学会の為になにをやれるのか」この言葉で奮起してきたのです。リアルでの組織では馬鹿にされましたけどね。王城会任務(壮年部の牙城会)本流1本部幹部会放送の任務など自分なりに頑張ってます。ですから沖浦氏には義と恩を感じてます。ここが僕の辛いとこです。今でも本迹で表現するのではなく別な表現にしてもらいたいと願ってます。タンポポさんは貴女ように教学を深く理解してるわけではありません。彼女なりの感想を沖浦板で書き込みしただけです。それも政治への感想ですよ。僕も入会して初めてお山に行った時大ご本尊がもし腐ってしまったらどうなるやろうか?感じ幹部に質問した事がありました。貴女だったら僕を攻めるでしょうね。彼女は入会したばっかりの人です。暖かく見守ってください。
- 374 :梅:2008/12/09(火) 14:36:28
- もくれんさん
>>368で貴女が引かれている先生の発言部分は
「虚空会の儀式と南無妙法蓮華経」という小タイトルの最後のところにありますね。
『大聖人が御本尊の相貌として用いられたのは、「寿量品がとかれた時の虚空会の儀式」です』
として、説明されているところです。
そこで書かれていることは、『曼荼羅御本尊の本迹の立て分け』ではありません。
貴女の言うようなカテゴリーも文言も確認できませんでした。
とすれば、このようなカテゴリーの『曼荼羅御本尊の本迹の立て分け』をするのは
貴女御自身の解釈ということになりませんか?
そして、貴女は
「曼荼羅御本尊」の「本」=南無妙法蓮華経
「曼荼羅御本尊」の「迹」=虚空会
としましたね。
先生は、御本尊の「相貌」は「虚空会」の儀式を用いたとされています。
すなわち、宇宙の根源の法である南無妙法蓮華経を「本」とすれば虚空会は「迹」だと言われてますが
「曼荼羅御本尊の本迹」ではありませんね。
貴女はご自身の解釈で「曼荼羅御本尊」の「本迹の立て分け」に踏み込まれたと言うことになります。
私はその解釈が正しいとか誤っているとかを、今直ちに検証するものではありません。
しかし、こんなことを言えば、しっかりした検証もせず
やれ「己義」だ「邪義」だとはやし立てるものは、必ずいるでしょうね。
まさに、沖浦さんへの批判をするときがそうじゃありませんか。
そこで、再度質問します。
「曼荼羅御本尊の本迹の立て分けは」どこに書かれていますか?
- 375 :★ホセ・ラサール★ ◆4cVqan2W..:2008/12/09(火) 18:33:37
- このスレお借りしまーす。(^―^)/
ヒロGOさん、はじめまして、今晩は〜♪よろしければ庶民の王者掲示板へいらしてくださいね。
お待ちしておりまーす\^o^/
- 376 :はぐれ雲 ◆HHaU7zEjNg:2008/12/09(火) 18:41:55
- ゲッ、人さらいが来たぞ!
- 377 :もくれん:2008/12/09(火) 19:27:39
- http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1226090096/298
★ 三大秘法とは私共凡夫の姿その物ですよ。
これは、沖浦氏の「三大秘法」の定義です。
以前も言いましたが、2008年10月号 大白蓮華 「報恩抄」講義
このスレッドの >>358で蓮さんが、書いて下さっていますが、
ご自分で、直接「報恩抄」講義を確認されたほうがいいです。
その中で池田先生が「三大秘法」について、教えてくださっています。
それを読んでも、なお、沖浦氏の「三大秘法」の定義が、正しいと信ずるので
あれば、もうあきらめます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このレスは、梅さん、ヒロさん、その他沖浦氏の「人本仏迹」論を
信じている全ての方へです。
特に梅さんは、わざわざ、私がこの掲示板に招待しましたので、
申し訳ないと思いますが、梅さんについても、先生の「報恩抄」を
読んだ後でも、
★ 先生の言葉より、沖浦氏の言葉が、正しいと思うのであれば、
★ 完全に、あきらめます。
- 378 :梅:2008/12/09(火) 20:57:06
- もくれんさん
>>371 と >>374 の私の質問はどうするのですか?
371では、貴女の「ニセ人間主義者」の発言は暴言だと指摘しています。
これを貴女は認めるのですか?
374は沖浦さんの主張を検証する大事な前提です。
なぜなら、貴女は「曼荼羅御本尊」に「本迹の立て分け」をなさいました。
沖浦さんは「曼荼羅は迹」だと発言されています。
そして、貴女は沖浦発言は誤りだという。
となれば、このところは重要な論点であって、軽くスルーするわけにはいきません。
>>377
>このレスは、梅さん、ヒロさん、その他沖浦氏の「人本仏迹」論を
信じている全ての方へです。
沖浦さんの「三大秘法」云々は、先の本迹を解決した後の論点だと認識しています。
それから、ヒロさんを入れてますが、私が彼の投稿を読んで理解する限りでは
彼は「人本仏迹」論を信じる立場ではありません。
それがお分かりになったら、訂正をされることをお勧めします。
- 379 :梅:2008/12/09(火) 21:37:37
- 【閑話休題】
反論・批判を封ずる方法
? 「文証を出せ」
? もし出したら・・・「切り文である」
? 「先生の指導にない」
? 「その発言は広布を妨げる」
? 「謗法与同罪だ」
これを言ってやれば、大抵の素直な学会員は怖気づいてしまうだろう。
ネットで誠実に対話しようと思うなら、上記の発言をしてはいけないと思う。
私は悪口を言いたいときも、出来るだけガマンします。
ネットの投稿では、言葉だけが人格を現すからです。
リアルでは、学会員同士で、悪口雑言目くじら立ててこんなことやってないでしょう?
えっ、アナタはやってるんですか?
では、アナタはご自由にどうぞ〜
- 380 :やまいぬ。:2008/12/09(火) 22:15:17
-
梅さん、今晩は。
>反論・批判を封ずる方法
>? 「文証を出せ」
当たり前すぎますね。
蓮祖曰く、
「文証無きは悉く是れ邪の謂い」
教義を論ずるに文証ひとつなくんば、即座に邪義決定ですよ。(^o^)
>? もし出したら・・・「切り文である」
間違いでなければそうは云わないでしょう。
切り文を用いて蓮祖の文意を変えるから嘲われます。(^^)
>? 「先生の指導にない」
これも当たり前すぎます。先生のこれまでの膨大な指導、特に宗門分離後の、まさしく
何の遠慮もなく先生が十全に述べられている指導に基づく気がないなら簡単です、
さも「我こそが学会員!」「我こそが先生の弟子!」などというポーズ、堂々と捨てて
「自分は池田先生の弟子でも何でもない! それで悪いか!」と書けばいいのですよ。(^o^)
>? 「その発言は広布を妨げる」
先生の弟子として学会の王道を往きながら、その発言の内容は当然のことながら、
そのタイミングや周囲の状況等、鋭敏に判断して発言する心遣いは当然でしょうね。
>? 「謗法与同罪だ」
文証に照らしてそうならば、それは駄目でしょう。(^^)
これも当たり前すぎますね。
>これを言ってやれば、大抵の素直な学会員は怖気づいてしまうだろう。
怖気づくのは「素直な学会員」ではありません。自己顕示欲と自意識に駆られ、
平気で師匠利用・学会利用・邪義捏造をやらかすような、気が狂った修羅の邪師と、
教学もない、道理もない、毒気深入した臆病な「コバンザメ」です。(^o^)
>ニセ人間主義者云々。
ニセですよ。(^o^) 沖浦さんが「ニセ人間主義者」、こんなにはっきりしていることも
そうそうありませんね。(^o^)
あの方の書き込み見てください。
「祈って功徳」「祈って功徳」、こればっかりです。(^o^)
あの方の生命の最上レベルはどうやら「天界」でオシマイなんだそうです。(^^)
確かバラモン教ってそうじゃなかったでしょうか。
「有頂天」が最上級。
なーるほど、道理で何問われても一言も返答不能で、蓮祖御自身に「唖法を受けたる婆羅門」と
ブッた斬られる訳ですよ。
「凡夫即極」の中に、「凡夫たる蓮祖」を含めないで、つまりわざわざ沖浦さん自身が挙げた
『法華経の智慧 第5巻』の文意を真逆にして、「自分は凡夫だから本、蓮祖は仏だから迹。」と
「沖本蓮迹論」を捏造した沖浦さんは、その瞬間、「誰もが蓮祖と同じ仏界の生命、南無――を
有する尊極の存在である」ことを全否定した。
これのどこが「人間主義者」ですか?(^o^)(^o^)(^o^)
沖浦さんはね、「人間主義者」などではありません。「自分中心主義者」ですよ。
証拠を挙げましょうか?(^o^)
「私が正しいのです。
私を攻撃するものは、邪儀です。」
肥大した自己顕示欲と自意識の、醜悪な化け物ですよ。(^o^)
- 381 :ヒロGO:2008/12/09(火) 22:27:39
- 梅さんもうええよう。本迹論での表現はおかしいと言ってももくれんさんはそっちの方へもっていく人ですからね。最初のころはもくれんさんは凄い人と思ってましたけど僕の勘違いでした。
- 382 :梅:2008/12/09(火) 22:34:10
- やまいぬさん
こんばんは
あの【閑話休題】は、私が言われたことをアレンジしたものです。
しかも、ほとんどが言いっ放しでしたね。
ネット初心者・教学初心者が相手とお心得下さいな。
言われた方は、ネットの投稿は金輪際したくないと思いますよ、きっと。
沖浦さんなら、あんなこと言われても、まぁ、平気でしょうね(^_^;)
- 383 :やまいぬ。:2008/12/09(火) 22:50:57
-
何事も勉強することが必要ですね。
剣豪の修行のように教学を真剣に学ぶ――云うまでもない、学会の伝統であり大基本です。
>沖浦さんなら、あんなこと言われても、まぁ、平気でしょうね(^_^;)
邪師の邪師たる所以です。(^o^)
が、あの方滅茶苦茶臆病です。
臆病だからこそ公開の場で、自分が勝手にい出したのに返答不能で何も云えずに平気で
黙り込んでしまいます。(^o^)
「なるべしおごれる者は必ず強敵に値ておそるる心出来するなり例せば修羅のおごり帝釈にせめられて
無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し」
700年前に蓮祖は、まぁここまではっきりお見通しです。(^^)v
- 384 :もくれん:2008/12/09(火) 23:07:01
- >>373 ヒロCOさん
>今でも本迹で表現するのではなく別な表現にしてもらいたいと願ってます。
それを、はっきりと、ヒロさんが直接、沖浦氏に「間違いですから、
正しく、表現してください」と、言うべきです。
それで、はじめて、ヒロさんが「人本仏迹」論が「邪」であると
わかっている証明になります。
「正・邪」に、中間はありません。
- 385 :梅:2008/12/09(火) 23:55:04
- もくれんさん
横レスします
貴女は、「人本仏迹」論者に、ヒロさんを名指しで加えました。
ですから、貴女にはヒロさんが「人本仏迹論者」であるとする証明責任があるのですよ。
しかし、彼の投稿からそうでないことが明らかなんですから、貴女には謝罪の責任があります。
それが道理というものでしょう?
ヒロさんが、沖浦さんとどのように教義上での距離をとるかは、彼の全くの自由意志です。
貴女が沖浦さんの邪義を判定したからといって、どうこうすべきだと彼に要求することなど出来ないはずです。
貴女は彼の指導的立場でもないのですから、なおさらですね。
- 386 :風凛 ◆WZ6GWnJ9nY:2008/12/10(水) 00:47:34
- >>384
もくれんさん、こんばんは。
>「正・邪」に、中間はありません。
● その通りです。信心には中間無いですね。
>>今でも本迹で表現するのではなく別な表現にしてもらいたいと願ってます。
>それを、はっきりと、ヒロさんが直接、沖浦氏に「間違いですから、
正しく、表現してください」と、言うべきです。
>それで、はじめて、ヒロさんが「人本仏迹」論が「邪」であると
わかっている証明になります。
● 誰かに意見を書かないと、ヒロさんはヒロさんの考えの表明にならないのでしょうか。
まして今、名誉云云という書き込みがあった後です。
もくれんさんの言葉を受けてヒロさんが意見を向こうに書き、何かあった場合、もくれんさん責任取れますか。
ヒロさんは確かに、沖浦さんへの個人的なお気持ちある方だと思います。
ただ、以前私にはっきりおっしゃった事がありました。
「御本尊は人法一箇」だと。
「法に依って人に依らざれ」を常に持ち、すぐに切り替え出来る方はいいですが、
「情」の部分で悩む方いるでしょうね。
ヒロさんも相当迷われたようですし。
でも「ご本尊は人法一箇」だとおっしゃいました。
(ヒロさんが気にされていたタンポポさんのログは、こちらです。
レスとも感じるログ含まれてありますので、一応載せておきます。
ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1228183664/126)
私の言葉が証明になるかどうか、もくれんさんのお考えがどうなのかまでは、
私には分かりませんが、
以前「人法一箇で信心をずっとやってきた」というヒロさんの言葉をお伝えしようと思いました。
そして、「ご本尊に関してまでの本迹論で」「法に依って人に依らざれ」という事に目を向ける方が、今後もいる可能性あると思います。
「信心には正邪しか無い」と最初から思っている者からは、「甘い」と感じる事もあると思います。
気が付いた後は「ブレずにそれを保ち続ける」事、大事ですから。
もくれんさんにとって「ヒロさんの本迹の使い方がおかしい」と感じる事がもしもあるのでしたら、
それは「ヒロさんが望むのであれば」、もくれんさんとヒロさんでやりとり可能だと思います。
そこでもくれんさんの想いをお伝えになる事も可能でしょう。
以前、ヒロさんから伺っていた以上、伝えない訳に行きませんので、書き込みさせて頂きました。
失礼致します。
- 387 :ヒロGO:2008/12/10(水) 03:32:30
- 目が覚めたとこで もくれんさんにお願いレスをしました。その時にもくれんさんから質問され僕なりの意見を答えれば。人本仏迹の人と言われそれが嫌なら沖浦氏を責めよですか?もくれんさんのやり方は中世紀の魔女狩り裁判を思い出します。創価学会の嫌な一面の人達と同類の人ですね。リアルで申しますと東京中野区に共産党系の病院があります。そこに通院なり入院すれば仏敵と同罪扱いするこんな感じですね?
- 388 :粛坊:2008/12/10(水) 08:37:12
- 横レス失礼。
ヒロGOさん。おはようございます。
その例えですが、メンバーがその病院の「目的」を知っていて、後に様々利用されることまで
わかっていながら「利用」すれば「損」をします。「損」つまり「罰」です。
そこで思いとどまれば良いのですが、更に人脈を使い加担するようなことになれば「仏罰」となります。
もし、知らないで利用しても、信心があればそこへは通わなくなるでしょう。
それを「仏智」といいます。
- 389 :ヒロGO:2008/12/10(水) 09:16:25
- おはようございます。今日は指定公休日です粛坊さんが言われるように今は僕は行ってません。そこの病院は便利地なので過去やむえず使いざるえない事もありましたがね。知り合いの話しではそこを使ってるメンバーがいるみたいですね。探し立てて責める気にはなりませんがね。個人の問題だと思ってますから。
- 390 :説教オヤジ:2008/12/10(水) 09:28:27
- おはようさん。
>>388
それ、良い例えじゃ。
しかも深いしな。
ね、粛坊殿
- 391 :粛坊:2008/12/10(水) 10:06:22
- >>389
では、実際例をあげますね。
わが地域であるご婦人が会合の帰り、後ろから来た自転車に撥ねられました。
救急車で運ばれる際、真っ先に勧められた病院が同系の病院でした。
そこでいいか、婦人に同意を求められたそうです。
その婦人は以前からその病院の「最終目的」を知っていたので朦朧としている意識の中、断固拒否。
後日、拒否した事だけは覚えているが他は覚えてなかったと言ってました。
日頃の信心はそのような形で「仏智」として顕れるのです。
その「病院」は確かに親切で、優しく愚痴も聞いてくれる。場合によっては診察費だって色々と、面倒看てくれるかもしれませんよね。
しかしその本心は「患者利用」です。メンバーも場合によっては「病院」ですから当然利用しているでしょう。その事
自体は問題でもなんでもありません。そこから試されるのですよ。「信心」が。
良い例えを引いてくれました。ヒロGOさん、ありがとうございます。
>>390
オヤジさん、おはようございます。
現今、病んでる人が多い世の中です。善意も悪意になり、加害者が被害者づらをする。
「病院」も日頃から選んでおかないと危ないですね。おっとワシも精神疾患患ってる身。
近寄ると危険ですぞ(笑)。
- 392 :もくれん:2008/12/10(水) 10:36:47
- >>373 ヒロGOさん
>今でも本迹で表現するのではなく別な表現にしてもらいたいと願ってます。
>ですから沖浦氏には義と恩を感じてます。ここが僕の辛いとこです。
恩ある方だからこそ、間違った教義を妄信している方を、正しい道に導くのが
真の「報恩」では、ないでしょうか。
日蓮大聖人も師である道善坊に、正法への帰依を勧めました。
その結果が問題ではなく、恩ある人への「真の報恩」とは、何かが、大切です。
>>387
>人本仏迹の人と言われそれが嫌なら沖浦氏を責めよですか?
確かに「責め」一本で、邁進しているグループもあります。
憎くて責めている方も、いるでしょう。
責めることが「慈悲」と、ふまえて「責めて」いる方もいます。
個人差は、あります。
しかし「人本仏迹」論を、ヒロさんが、間違いであると確信しているので
あれば、「報恩」として、沖浦さんに「進言」することは、道理にかなって
います。日蓮大聖人の例にもあります。
続く
- 393 :もくれん:2008/12/10(水) 11:06:34
- >>392の続き ヒロGOさん
>>373
>今度は僕を巻込むのですか?
傍観者でいたければ、とことん、傍観者に徹すればいいことです。
書き込みをした時点で、「単なる傍観者」では、ないと、ご自分で宣言したのです。
>タンポポさんは貴女ように教学を深く理解してるわけではありません。
何も判断できない方だからこそ、判断できるヒロさんが「間違い」を教えて
あげるのが、先輩としての、あるべき姿ではないでしょうか。
無知であっても「間違えた宗教」を、信ずれば「間違った結果」になります。
タンポポさんが、どうなろうと構わないのであれば、傍観者のままで
いれば済むことです。
タンポポさんを本当に幸福にしたいのであれば、邪義から開放させて
あげるのが、真の慈悲です。
>彼女なりの感想を沖浦板で書き込みしただけです。それも政治への感想ですよ。
しかし、沖浦氏の「本迹」の使い方を、そのまま真似て使っていました。
レスの流れから判断するに・・・
政治への適用であろうが、「本迹」は、日蓮仏法の根幹の法門です。
>>311
http://www2.ezbbs.net/33/amagian/
天城氏論文より
後加文の多い「百六箇抄」にも、「本迹を分けて勝劣を弁える事」と言明されているのみならず、同様に「本因妙抄」に至っては、「本迹勝劣を知らないものは師子身中の虫」とまで言われている。
ここで両書の真偽を論ずる意志はなく、須らく大聖人の御精神として受け止めていきたい。
仏の生命にも「染法」があり、「無明」があることは間違いない。同様に「浄法」もあれば「法性」もある。「本迹」などではなく「一体不二」が実相である
★ 本迹勝劣を知らないものは師子身中の虫
軽々しく、我見で使うのは仏法の破壊行為です。
タンポポさんが、何も知らないからこそ、「我見で邪義」を唱える人を
盲目的に信ずる怖さがあるのです。
ヒロさんこそ、タンポポさんを、正しい道に、連れ戻すことの、できる方で
ありましょう。
続く
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 394 :もくれん:2008/12/10(水) 11:35:14
- >>393の続き
>>386 これは風凛さんの意見ですが・・・・
>もくれんさんの言葉を受けてヒロさんが意見を向こうに書き、何かあった場合、もくれんさん責任取れますか
意思表明の、最終決定権は「ご本人」です。
どのような場面でも、本人が、「決定」することです。
一般論ですが・・あくまで一般論ですからね
「沖浦氏に個人情報を握られているから・・・」という方がいたとします。
ただ、個人情報を先方に渡した時点では、本人が納得して、相手を信頼して
教えたはずです。その後、人間関係に変化が生じて、個人情報を教えたことは
失敗であったと、思うのは、世間的なことでもありそうな話です。
しかし、情報を相手に教えた時点では、自分で納得して教えたはずです。
そこは、きちんと、整理しておかなくてはいけないです。
具体的には、ヒロさんに「強制」はしていません。
>>384
>それを、はっきりと、ヒロさんが直接、沖浦氏に「間違いですから、
>正しく、表現してください」と、言うべきです。
>>言うべきです・・・これは、私の意見です。
そもそも、私の方から、ヒロさんを「とっ捕まえて」何かの話が始まった
のではありません。ヒロさんが、私に、ヒロさんの意見を、言いにきました。
そのことは、何の問題もありません。
その証拠に、私は、ヒロさんが意見を言ったことに、何も「クレーム」は
つけていません。
意見に対して、意見で応じただけです。
★ ヒロさんが、どのような行動を取るかの「決定権」は、ヒロさん自身です。
続く
- 395 :ヒロGO:2008/12/10(水) 11:38:48
- もくれんさん 貴女はわかってないですね。情けない人ですよ。物事を上から言うまるで創価官僚ですね。もしくはどこかの宗派の偉いさんかな?リアルでも一大秘法を題目だと思ってる人もいます。また日蓮正宗教学から抜け切れない人もいます。これに対して貴女はなにをしてきましたか?まずはリアルの問題と闘う事と思いますがね。僕はもう一度きちんとした教学勉強会と体験発表をもってもらいたいと区の最高幹部に言い続けてますが嫌な顔をされてますね。池田先生と言いながら何もしない連中と貴女は同じですよ。タンポポさんもこれからの人です。理解が深まっていけば考え方も変わります。僕もそうでしたからね。貴女が僕をどう思ってくださってもかまいません。これににてここのスレッドにはきません。追伸僕なりに沖浦氏には言ってますがネットの限界を感じてるのでやめました。リアルでも大変な事をネットでやるにはそれ以上の凄いエネルギを使うんですよ。
- 396 :もくれん:2008/12/10(水) 11:48:11
- >>394 続き
確かに、今までの全ての例では、沖浦氏に「間違い」を指摘すれば、必ず
ネット上ですから、言葉の攻撃はありました。
しかし、あちらの掲示板でなくても、こちらの掲示板でも、一般論として
意見表明は可能です。
どのような方法を取るにしても、決定権はヒロさん自身です。
「臆病な心」か「獅子王の心」か、どちらを選ぶのかも、ヒロさん自身です。
「獅子王の心」を選ぶヒロさんであれば、真に「人本仏迹」論・反対者であると
私は認めたいと思います。
理の一念三千か、事の一念三千か、のことでありましょう。
「折伏するのは、いいことだと解っているけど、折伏すると、攻撃・中傷・悪口
を言われるから、いいことだとは解っているけど、しない・・理
その逆が、事ですね」・・これ以上、解説は不要でしょう。
「獅子王の心」を、選ぶことによって、さまざまな心の「モヤモヤ」も
同時に、解決するのは、言うまでもありません。
★ 自分の行動を決定するのは、自分自身です。 ♪♪♪
これで、ヒロさんへの、レスは、すべて終了します。
- 397 :もくれん:2008/12/10(水) 12:03:17
- >>395 ヒロさん
>リアルでも一大秘法を題目だと思ってる人もいます。また日蓮正宗教学から抜け切れない人もいます。これに対して貴女はなにをしてきましたか?
当然、現場で、そのような方と縁すれば、タイミングを見計らって、正しいことを
教えます。今までは、お会いしたことがありませんが。
>また日蓮正宗教学から抜け切れない人もいます
これは、具体的に何をさすのか、説明がありませんので、わかりませんが
大聖人の三大秘法は、700年前から、「不変」です。
宇宙を貫く「法」ですから、変わりようがありません。
「法」そのものは、大聖人ご出現以前から、無始無終の宇宙と一体です。
大聖人が、万人に「三大秘法」として「法体」を確立してくださったのです。
三大秘法は「変化」するわけがないです。
宗門は、日蓮大聖人直結の広宣流布への信心が無い、それだけのことです。
創価学会と一緒だった頃は、かろうじて「正宗」たりえたのです。
創価学会を破門したことによって、完全な「邪教・日顕宗」になったのです。
>僕はもう一度きちんとした教学勉強会と体験発表をもってもらいたいと区の最高幹部に言い続けてますが嫌な顔をされてますね。池田先生と言いながら何もしない連中と貴女は同じですよ。
ヒロさんに「罵られても」私は、ヒロさんを「罵って」いません。
>>嫌な顔をされてますね
ヒロさんが信ずる、理想的な創価学会の組織を、ヒロさん自身が主体者に
なって、建設していくことが、師匠の願うことだと思います。
これに対して貴女はなにをしてきましたか?まずはリアルの問題と闘う事と思いますがね
- 398 :もくれん:2008/12/10(水) 12:25:06
- >>244 龍破さん
まだ、ロムしていただいていますか?
>スレ主のもくれん様
>議論中、横レスなどして誠に申し訳ありませんでした。
>いまこちらで議論されてることにも関連していることですので
>とりあえず上記(№236の)二点だけ、こちらのスレをお借りして
>梅様にご質問しても宜しいでしょうか?
>>257・・・梅さんのレスです。
>しかし、今、私が貴方のご質問に答えしたとすると
>もくれんさんと私との対話の流れが、乱流・暴流ごとく荒れてしまうかも知れません。
>なぜなら、貴方の問いは、対話している現在の内容の先を行くものだからです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あの時点では、梅さんの「意思尊重」が最優先でした。
私が「ご招待」したという、事情もありました。
現時点では、>>377 で、梅さんが、どのような「意思表示」されるのか
待機中です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1226090096/298
★ 三大秘法とは私共凡夫の姿その物ですよ。
これは、沖浦氏の「三大秘法」の定義です。
以前も言いましたが、2008年10月号 大白蓮華 「報恩抄」講義
このスレッドの >>358で蓮さんが、書いて下さっていますが、
ご自分で、直接「報恩抄」講義を確認されたほうがいいです。
その中で池田先生が「三大秘法」について、教えてくださっています。
それを読んでも、なお、沖浦氏の「三大秘法」の定義が、正しいと信ずるので
あれば、もうあきらめます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ですから、龍破さんが、今でも何か「ご意見」がありましたら、書いていただくのは
大歓迎です。
その結果、梅さんがこの掲示板を「去る」ことに、なっても、もはや、
いた仕方ないものと、承知しております。
ご検討の程、よろしくお願いします。
- 399 :梅:2008/12/10(水) 14:33:19
- もくれんさん
>>398
>あの時点では、梅さんの「意思尊重」が最優先でした。
>私が「ご招待」したという、事情もありました。
>現時点では、>>377 で、梅さんが、どのような「意思表示」されるのか
>待機中です。
もくれんさん、貴女は私との対話を逃げ始められたのですか?
このところ、少しややこしいスレの流れになっていますが
私の、>>371 >>374で投稿した貴女への質問は
とくに、>>374は >>339 >>363 と継続して、しかも同じ質問内容です。
ところが、貴女が待機中だという>>377はその後に出てきています。
お分かりでしょう?
対話相手にこんなこと言いたくはありませんが
貴女は質問に答えられるだけの内容をお持ちでないのかと・・
少し前までは、貴女は私との対話の中でも「撤回」を言う勇気がおありでしたよ。
>>371については、特に一つあげましょう。
貴女は『曼荼羅御本尊の絶対的価値』という言葉を使いました。
私はそれを見て、貴女が真理と価値を混同しているのではないかと疑いました。
それをはっきりさせる為に質問しています。
しかし、スルーしたままですね。
また>>374で繰り返し質問し、また貴女の>>377には、直ぐに>>378でレスを入れてます。
つまり、沖浦さんの三大秘法云々の前に
私たちの対話では片付けなくてはならない問題提起がなされているのです。
あなたが言う『曼荼羅御本尊の本迹と立て分け』は、貴女ご自身の「己義」の疑いがあります。
ですから、それが間違いかどうかを問う以前に、そのような文言があるかどうかをお尋ねしています。
貴女は沖浦さんを「己義」で「邪義」と批判しているのですから
私の質問に答えてこそ、貴女の正義とかが言えるのではないでしょうか。
>ですから、龍破さんが、今でも何か「ご意見」がありましたら、書いていただくのは
>大歓迎です。
>その結果、梅さんがこの掲示板を「去る」ことに、なっても、もはや、
>いた仕方ないものと、承知しております。
全く理解に苦しむご発言ですね。
龍破さんと貴女が対話するのですか?
龍破さんは私に質問されていました。
このスレが貴女のモノだとしても、対話しているのは貴女と私なのですから
第三者を加えてはややこしくなるだけですよ!
ですから、私はやまいぬさんにも教義解釈や見解ついてのレスは一切していないのです。
以上です。
このままでは、貴女の不誠実さとなることを恐れて書き込みました。
- 400 :梅:2008/12/10(水) 15:09:59
- もくれんさん
ヒロさんへのレスは巧妙に書かれています。
あなたの見解を、押し付けていなそうにみえて、押し付けてる。
これがあなたのやり方ですか?
学会員といってもいろいろなんですから、もっと度量を広くもたれたらどうでしょう。
何やかやと決め付けてしまうのは、大変危険だと思います。
それと、下記もおかしいですよ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一般論ですが・・あくまで一般論ですからね
「沖浦氏に個人情報を握られているから・・・」という方がいたとします。
ただ、個人情報を先方に渡した時点では、本人が納得して、相手を信頼して
教えたはずです。その後、人間関係に変化が生じて、個人情報を教えたことは
失敗であったと、思うのは、世間的なことでもありそうな話です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「一般論」を言いたいのなら、「沖浦氏」などと固有名詞を出してはいけないですね!
こういうやり方を、プロパガンダというのですよ。
この部分は、撤回されることをお勧めします。
- 401 :風凛 ◆WZ6GWnJ9nY:2008/12/10(水) 15:38:01
- >>394
もくれんさん、レスありがとうございます。
ヒロさんについて私がもくれんさんに伝えたいと思う事は既に、
>>386で書き込み致しました。
確かに信心において、「間違っていると思われる内容へは、黙っているだけでは無く意見を言うべき」というのはありますね。
ネットという空間では切が無い面ありますので、
時間・エネルギー等考えた場合、「どこまで自分で書き込み出来るか」という判断は出て来ますが。
ただ今後は、ヒロさんのように、「これはどうなのか?」という意見に対して「言える部分で意見を言っても『これは言っても伝わるのが難しい』」と判断し、
意見を言い続ける事はストップしても、「違うと思う場所に『意見を言えない以上』参加しない」という形での意思表示をなさる方が出てくる事もあると思ったので、
こちらに>>386で書き込みさせてもらいました。
なお、「どこに書き込みするにしても、書き込み主の判断であり自己責任」ですが、
「押し付けでない形に見えるかもしれないが・相手が断りにくい状態に持って行く/そうなってしまう流れの形」も時にはある・・・というのは、
全く無いとは言えないでしょうね。
それを「強制と感じるかどうかも」受け手の感情で変化するとも言えるでしょう。
>>394には以上です。
****************************
>394 :もくれん:2008/12/10(水) 11:35:14
>>393の続き
>>386 これは風凛さんの意見ですが・・・・
>もくれんさんの言葉を受けてヒロさんが意見を向こうに書き、何かあった場合、もくれんさん責任取れますか
意思表明の、最終決定権は「ご本人」です。
どのような場面でも、本人が、「決定」することです。
一般論ですが・・あくまで一般論ですからね
「沖浦氏に個人情報を握られているから・・・」という方がいたとします。
ただ、個人情報を先方に渡した時点では、本人が納得して、相手を信頼して
教えたはずです。その後、人間関係に変化が生じて、個人情報を教えたことは
失敗であったと、思うのは、世間的なことでもありそうな話です。
しかし、情報を相手に教えた時点では、自分で納得して教えたはずです。
そこは、きちんと、整理しておかなくてはいけないです。
具体的には、ヒロさんに「強制」はしていません。
- 402 :梅:2008/12/10(水) 15:42:45
- もくれんさん
>>397
>宗門は、日蓮大聖人直結の広宣流布への信心が無い、それだけのことです。
>創価学会と一緒だった頃は、かろうじて「正宗」たりえたのです。
>創価学会を破門したことによって、完全な「邪教・日顕宗」になったのです。
このような発言はよく聞きますね。
では、創価学会と一緒でない前の宗門はどうなのですか?
あなたの言う「かろうじて正宗」でないとすれば、邪宗だったということですか?
あなたは、信心に「正」か「邪」しかなく、中間はないと明言されておられます。
したがって、あなたの見解では「邪宗」だったということになりますね!
もちろん、大聖人様より下の歴史ということになりますから
宗門が、邪宗になったのはいつからなんですか?
もし、「邪」だということになれば、あなたの見解は沖浦さんと同一の可能性がありますね。
もっとも、沖浦さんは日寛師の「戒壇本尊論」を否定しているだけですので
あなたの見解の方が、より否定的であることになるでしょうね。
しかし、そうだとしたら不思議ですね。
牧口先生・戸田先生はそういう「邪」の宗門に入信されたのですからね。
この辺は大変興味深いところですので、より詳しくご見解を書き込んでください。
- 403 :梅:2008/12/11(木) 15:32:00
- もくれんさん
貴女は沖浦批判の投稿のどこかで、「法」は変わらない、変わるのは「律」だとおっしゃっていましたね。
このような言葉の使い方が果たしてあるのか、私は知りませんのでロムしていただけでしたが・・
貴女の使う「法」は宗教用語としての法ですね。
もしかしたら、世の中の一般法でいう「法律」の使い方と混同されているのかも知れません。
一般法で言えば、法の法たる憲法でさえ不変法でないのはご存知かと思います。
それでは、宗教用語としての「法」は不変であるか?
貴女は「700年変わらなかった」とも、「無始無終」とも書かれましたね。
つまり、教義は変わらないとおっしゃっているわけです。
私も、教義がくるくる変わるとは思えません。
しかし、教義の「解釈」や「見解」・「表現」は変わると思います。
それは、貴女が>>377で私や他の皆さんに見解表明を要求されている「三大秘法」についても同様です。
以下、証拠(文証)をあげます。
昭和61年第2版「新版・仏教哲学大辞典」で「三大秘法」を引くと、非常に詳しく解説されています。
しかし、5頁にもわたるものを引用して書き込めませんから
そのエッセンスともいうべき、【三大秘法の総在の本尊】の項目を全文引用します。
『三大秘法(本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目)が包含された一大秘法の本門の本尊のこと。
本門戒壇の大御本尊をいう。本門戒壇の大御本尊とは、日蓮大聖人が、弘安二年(一二七九年)
十月十二日、出世の本懐として建立された一閻浮提総与の大御本尊のこと。
現在、日蓮正宗総本山大石寺の正本堂に御安置されている。第二十六世日寛上人の
依義判文抄には、「三大秘法を合する則は但一大秘法の本門の本尊と成るなり、故に
本門戒壇の本尊を亦三大秘法総在の本尊と名づくるなり」(六巻抄一一八ページ)とある。』
ちなみに、【三大秘法】の項目には、『本門戒壇の大御本尊』の小項目があり
その最初の書き出し部分は次のようにあります。
『人即法・法則人の人法一箇の御本尊こそ弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊である。
現在は日蓮正宗総本山大石寺の正本堂に厳護されている。この本門戒壇の大御本尊は、
一機一縁の御本尊とはその意義が異なり、末法万年のほか未来永遠の一切衆生がことごとく
帰依して即身成仏の大功徳が得られる大御本尊であり、一閻浮提の一切衆生に与えられた
大御本尊である。』
そして、この項の最後は、日寛師の観心本尊抄文段を引いて
『また、「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐中の本懐なり、
既にこれ三大秘法の随一なり、況や一閻浮提総体の本尊なる故なり」(文段集四五二ページ)と
示されている』
と締めくくっています。
さらに、【本門戒壇の大御本尊】の項目では
『本門戒壇について』の小項目に
『・・・事の戒壇とは、本門戒壇の大御本尊が御安置されるところである。
・・・第六十六世日達上人は戒壇に御安置される根源の法体こそ真の事の戒壇であり、
本門戒壇の大御本尊の当体及び所在が事の戒壇であると御相伝の上から示されている・・・』
また、同項目の『本門の本尊について』の小項目では
『本門の本尊とは、弘安二年(一二七九年)十月十二日に御図顕された未曾有の大御本尊のことであり、
本門戒壇の大ご本尊のことである・・・日蓮大聖人の仏法の根本は本門戒壇の大御本尊である』
さぁ、もくれんさんどのように読まれましたか?
これらは、貴女が読むようにと言われた御書講義の「三大秘法」の部分と合わせたら
微妙なところもありますが、従来とは明確に「解釈」が異なってきていますよね。
現在もなお日寛師の「戒壇本尊論」に拘ったら、大変おかしなものになることは
貴女にもご理解いただけると思いますが、いかがですか?
これが、今からほんの22、3年前には、創価学会教学部の解釈であり
宗門でいえば700年来の伝統的教義だったのですよ!
ですからね、沖浦批判についても、邪義だ邪義だとかみつくのではなく
「もしかして、そのような発想がありうるだろうか」という検証姿勢が必要だと思うのです。
そのための対話がなされることが必要とこそすれ、悪口雑言・非難に向かってしまうのは
私たちがネット社会の対話に未成熟だからではありませんか?
私が貴女と対話しようと思ったのは、貴女にはそれを乗り越える知性がおありに違いないと信じたからです。
- 404 :沖浦克治 ◆tr.t4dJfuU:2008/12/11(木) 16:23:27
- もくれんさん、風凛さん
無意味な小理屈はいらないんですよ。
既に創価思想は成立しています。
仏は迹、人が本。
これが真実です。
ですから貴方方お二人のなすべき事は、創価学会に逆らう邪義では無くて、何故人が本で仏が迹になるのか?
これを真面目に学ぶ事ですね。
貴方方のネットは、百害あって一利なしですね。
- 405 :風凛 ◆WZ6GWnJ9nY:2008/12/11(木) 17:23:56
- >>404
社長さん、こんにちは。
下記にも書きましたが、まず「パターン形式と思われる書き込みを社長さんご自身が解除」なさって下さいませ。
その後なら「会話」が成り立つ可能性、無きにしもあらずです。
話を出来るかどうかはそれからの話になります。
ご努力下さい。
ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1225518437/93
- 406 :沖浦克治 ◆tr.t4dJfuU:2008/12/11(木) 17:44:03
- 風凛さん
頑張って祈って現実社会で勝利なさい。
先ず、祈りですよ。
貴方に最も欠けているものです。
- 407 :風凛 ◆WZ6GWnJ9nY:2008/12/11(木) 17:51:00
- >>406
「社長氏宛・一定形式乃返信乃解除尾申請中。
当方・社長氏雅解除済二於手会話可能。
解除済斗関知後二於手返信可能也。
解除済迄当方模一定形式乃返信続行酢。」
>社長さん、こんにちは。
>下記にも書きましたが、まず「パターン形式と思われる書き込みを社長さんご自身が解除」なさって下さいませ。
>その後なら「会話」が成り立つ可能性、無きにしもあらずです。
>話を出来るかどうかはそれからの話になります。
>ご努力下さい。
>ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1225518437/93
- 408 :もくれん:2008/12/13(土) 00:37:06
- 梅さん
沖浦氏の「人本仏迹」説の「誤り」を、認識していただきたいというのが
唯一、梅さんを、この掲示板にご招待した理由です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1226090096/298
★ 三大秘法とは私共凡夫の姿その物ですよ。
これは、沖浦氏の「三大秘法」の定義です。
以前も言いましたが、2008年10月号 大白蓮華 「報恩抄」講義
このスレッドの >>358で蓮さんが、書いて下さっていますが、
ご自分で、直接「報恩抄」講義を確認されたほうがいいです。
その中で池田先生が「三大秘法」について、教えてくださっています。
それを読んでも、なお、沖浦氏の「三大秘法」の定義が、正しいと信ずるので
あれば、もうあきらめます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の「力不足」で、「目的」を成就できなく、私を「敗残者」として
見ていただいても結構です。
せめて、「学会公式出版物」なかんずく池田先生の「最新」の「指導」
くらいは、真摯に向き合っていただきたかったです。
★ あとは、是非、梅さんに「人本仏迹」説を「ダイレクト」に
証明していただきたいです。
「法」・・物理法則とか、つまり、自然界の、宇宙の・・E=MCの2乗とか・・
万有引力の法則とか・・久遠元初の妙法・・
「律」・・人間がさだめた決め事・・国法・条例、その他・・
西洋から、lawの言葉が入った時に「法律」と訳したのが、不適切であった旨の
先生の著書は読んだことはあります。
「法」とは「久遠元初の妙法」とも言いますし、まぎれもなく、宇宙の根源の
法そのものです。
「人本仏迹」説の正しいことの、証明、お願いします。
- 409 :もくれん:2008/12/13(土) 01:05:46
- >>403 梅さん
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『本門の本尊とは、弘安二年(一二七九年)十月十二日に御図顕された未曾有の大御本尊のことであり、
本門戒壇の大ご本尊のことである・・・日蓮大聖人の仏法の根本は本門戒壇の大御本尊である』
さぁ、もくれんさんどのように読まれましたか?
これらは、貴女が読むようにと言われた御書講義の「三大秘法」の部分と合わせたら
微妙なところもありますが、従来とは明確に「解釈」が異なってきていますよね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>『本門の本尊とは、弘安二年(一二七九年)十月十二日に御図顕された未曾有の大御本尊のことであり、
>本門戒壇の大ご本尊のことである・・・日蓮大聖人の仏法の根本は本門戒壇の大御本尊である』
勿論、私が読むようにお願いした、2008年10月号の「報恩抄」講義とは
文字上は、表現は違います。
以前にも言いましたが、日蓮大聖人の「たましひ」ですね・・
その「内実」は、同じことを表現しています。
「日蓮がたましひをすみにそめながして書きて候・・」の「たましひ」が
「本門の本尊」ですから、
★日蓮大聖人直結の、唯一の、仏意仏勅の、広宣流布の教団である創価学会・・
★これには、梅さんは「納得」されていますか?
上記2行に、納得しているかどうかが「分岐点」だと思います。
とりあえず、質問は★印だけにします。
前レスの「人本仏迹」論の「証明お願いします」は撤回します。
発明製造本舗の本人ですら、証明できないのですから。
証明は不可能であるのは、わかりきっていますから。
★印が、本質的な「ホシ」だと思います。
- 410 :もくれん:2008/12/13(土) 09:00:12
- >>402 梅さん
あなたは、信心に「正」か「邪」しかなく、中間はないと明言されておられます。
したがって、あなたの見解では「邪宗」だったということになりますね!
もちろん、大聖人様より下の歴史ということになりますから
宗門が、邪宗になったのはいつからなんですか?
もし、「邪」だということになれば、あなたの見解は沖浦さんと同一の可能性がありますね。
もっとも、沖浦さんは日寛師の「戒壇本尊論」を否定しているだけですので
あなたの見解の方が、より否定的であることになるでしょうね。
しかし、そうだとしたら不思議ですね。
牧口先生・戸田先生はそういう「邪」の宗門に入信されたのですからね。
この辺は大変興味深いところですので、より詳しくご見解を書き込んでください
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>より詳しくご見解を書き込んでください
私の「見解」は、一切ありません。すべて、先生のスピーチからです。
以前も一度書きましたが、
小冊子・創価のルネサンス 1〜100 一冊 100円
その他、池田大作全集 82・83・84・85・86 等々・・
破門後の平成5年頃、先生はスピーチで、「日顕宗」に関して、懇切丁寧に
教えてくださっています。
できれば、梅さんが、そのスピーチを、直接読むのがベストです。
しかし、手元に無ければ、随時、少しずつ書きますが、
例えば、牧口先生・戸田先生は「神札を受けろ!!」と、強制され拒否・・
信徒除名になったはずです・・その時の「法主日恭」はその後火災で焼死・・
又、17世「日精」の「法主絶対論」とか、今は資料無しで書いてますので
アバウトですが、先生のスピーチで、正確にかっきり書きます。
「邪義」の定義も、先生は書いています。
例えば「葬儀を僧侶にしてもらわなくては成仏できない」・・これは「邪義」であると・・
「総本山に来なければ成仏できない」・・これは邪義であると・・
「法主絶対論」これは言語道断の「大邪義」であると・・
また、かっきり書きます・・
- 411 :もくれん:2008/12/13(土) 09:31:57
- >>408 梅さん
「法」・・物理法則とか、つまり、自然界の、宇宙の・・E=MCの2乗とか・・
万有引力の法則とか・・久遠元初の妙法・・
「律」・・人間がさだめた決め事・・国法・条例、その他・・
西洋から、lawの言葉が入った時に「法律」と訳したのが、不適切であった旨の
先生の著書は読んだことはあります。
「法」とは「久遠元初の妙法」とも言いますし、まぎれもなく、宇宙の根源の
法そのものです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>先生の著書は読んだことはあります。
「法」と「律」の読んだ記憶の「本」を探しました。
先生は「宗教」の「翻訳」に関して、ご意見を書いてあったとの「記憶違い」です。
書籍名・・「仏教とキリスト教」
著者・・・堀 堅士
出版社・・第三文明社・レグルス文庫 1974年発行
著者紹介・・当時、関西大学法学部教授・つまり、法律の専門家・・
・・あとがきより抜粋・・・・・
法律学者である私が、宗教について「ユダヤ教」や「キリスト教」や「仏教」について
研究していることを、それがまるで専門外の横道にそれた無駄な研究であるかの如く
非難するい人々があります。
しかし「法律」とは、いったい何でありましょうか。あなた方は「仏法」といい、
「ローマ法王」と言うのに、どうして「法」が宗教と無関係であるのでしょうか。
又、あなたがたは、「モーゼの十戒律」といい「律宗」と言うのに、どうして「律」が
宗教と無関係であると言うのでありましょうか。
私は「法」と「律」の区別さえも知らない人たち、かの「木」を見て「山」を見ない人たち、
殊に「法・ダルマ・dharma・人間を超越した宇宙の真理」
「律・ヴィナヤ・vinaya・人間の考え出した規律」
との区別も知らないで、法律学者であると自称している人々に対して・・・(抜粋終わり)
ちなみに、この本は著者が聖書とか、仏典等、膨大な書物から、「仮定」を
立てた本です。
つまり、キリストなる人物が、あの時代「シルクロード」を往復25年位かけて
漢の国で、仏教とりわけ「法華経」を学んで、故郷に帰り、弘教したのではないか???
との、著者の「仮説」の本です。
第三文明社も出版をしたのは、読者の考察の一助になるとの判断でしょうし
私は、「なるほど」と、思いましたよ。でも、あくまで思索の参考程度で
その本の「正・誤」を追求する必要は無いと思っています。
「仮説」ですから。仮説ですので・・・・・
★いずれにしても、南無妙法蓮華経こそ、「宇宙の根源の法」であり、
人間が作った「決め事」それを「律」と呼ぶとすれば
「律」と「法・ダルマ」は、おのずと違うわけです。
- 412 :もくれん:2008/12/13(土) 10:09:20
- 梅さん とりあえず下記の文章をごらん下さい
http://ranhou.hp.infoseek.co.jp/jyuyo.htm
この学会による御本尊授与は、
日蓮大聖人の「信心の血脈(けちみゃく)」を受け継(つ)ぐ唯一(ゆいいつ)
の和合僧団(わごうそうだん)としての使命と資格に基づくものであり、大聖人
の仏法における御本尊の本義、また大聖人の御本尊御建立(ごこんりゅう)の
元意(がんい)のうえからも、最もその意義に適(かな)った決定であります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは以前も紹介しましたが、梅さんが、上記の文言に「納得」できていないと
これから、先生のスピーチを、私が労力を費やして書いても、「徒労」に
終わる危険性があります。
>>409の
★日蓮大聖人直結の、唯一の、仏意仏勅の、広宣流布の教団である創価学会・・
★これには、梅さんは「納得」されていますか?
これと、重複しますが、梅さん自身が、大聖人の御遺命である「広宣流布」への
地涌の菩薩としての「誓願」が、真実であるかどうかに、かかっています。
「授与の資格」と「書写の権能」に、ついて、以前、梅さんと話したのは記憶
しています。
その時は、明言しませんでしたが、「書写の権能」は「授与の資格」の中に
含まれると、個人的には信じています。個人的にはですので、誤解のないように。
平成5年の時点では、日寛上人御書写を「教団決定」したことで納得しています。
- 413 :もくれん:2008/12/13(土) 10:45:57
- 梅さん
これから「邪義」に関する先生のスピーチを書いていきます。
「大謗法」「大聖人に違背」等も、同義です。
以下は全集 81 です・・これは平成4年で破門前です・・
★ 大聖人は、妙法を行ずる一人一人が仏であり、最も大切な存在であることを
説かれています。
そのまったく反対に、今の宗門では、いちばん偉いのが僧侶で、信徒は僧侶に
仕える存在としている。これほどの人間尊厳の否定はないし、大聖人への「大違背」
「大謗法」はない。すべては明瞭です。
★81P・・・・・
「僧侶に拝んでもらわなければ成仏できない」などという教えは「御書」にも
「六巻抄」にも一切ない。
大聖人・日興上人等の教えに反した葬式仏教の「邪義」である。
★138P・・・
日淳上人は、先ほどふれたように、ここ長野県の伊那のご出身であられた。
また日達上人も、若き日、同じく伊那の信盛寺に在勤しておられた。
お二人は、正法の「広宣流布」を願い、学会に理解を寄せてくださっていた。
ここで、歴代の正師の遺徳をしのびつつ、日有上人の「化義抄」等と、
それを注解された日亭上人の言葉を、少々、紹介したい。
日有上人の教えに従うべきことは、日蓮正宗の「宗綱」に明記されている。
ひとつでも、背くならば、もはや「正宗」ではない。
大聖人の仰せに基づいて、日有上人は指南されている。
「仏法は平等なり、法は何事も平等なるべし、仏の御跡を継ぎ申したる出家は
何事にも一切の人に偏頗之有るべからず、若し偏頗有るならば必ず餓鬼道に
堕つべきなり」
仏法は平等であり、「偏頗」すなわち人を差別する僧侶は餓鬼道へ堕ちるとの
教えである。
今は「偏頗」ばかりである。僧侶の間の差別・僧の中での差別・
すべて「平等の大法」である妙法と正反対であり、「邪法」の証拠である。
いわんや、「如来の使い」である広布の戦士を見下し、差別するとは
その一点だけでも、「仏敵」である。
御書にも、日有上人の教えにも背き、もはや宗内は完全に「正宗」ではないのである。
- 414 :もくれん:2008/12/13(土) 11:11:54
- 同じく全集81から(破門前です)
P154・・・・
★ 文永5年、蒙古からの国書到着。十一通の書状を、良観・道隆・その他の高僧に送る
「今こそ、仏法の邪正を決すべき」と「公場対決」を迫る。
大聖人は、いかなる権威にも、権力にも、一歩も退かれなかった。
戦って戦って、戦い抜かれた。戸田先生は、その大聖人の御心を拝しながら
こう言われている。
「日蓮大聖人は、権勢に恐れず、富貴にこびず、万衆(一切衆生)をあわれみ
末法一大利益の南無妙法蓮華経を授けられた大聖哲であります」
そして、結論として「創価学会の魂とは、この大聖人の魂を魂と」するところに
あると宣言されたのである。
これこそ、万年に変わらぬ大聖人直結の「学会精神」である。
死身弘法なされた戸田先生の遺言なのである。
一方、現宗門は「大聖人の魂」をまったく失ってしまった。
日興上人にも違背し、反逆してしまった。
「日蓮正宗」の名に値しない「邪教」に堕してしまった。
もはや、本当の「日蓮正宗」の心は、わが学会にしかない。
きょうは、あえて、この真実を申し上げ、後世に残しておきたい。
日蓮大聖人の魂を継ぐのは、「仏勅」どおり「広布」に進む創価学会である。
戸田先生は、その根本を明確に示し、残されたのである。
大聖人直結こそ、初代牧口先生・第二代戸田先生以来、寸分も変わらぬ、
そして永遠に変わらぬ、わが学会の誇りなのである。
- 415 :鳳:2008/12/13(土) 11:23:39
- >>413
>以下は全集 81 です・・これは平成4年で破門前です・・
横から失礼します。
平成4年は破門後ですよ。
- 416 :もくれん:2008/12/13(土) 11:36:03
- >>413 訂正
>以下は全集 81 です・・これは平成4年で破門前です・・
「破門通告書」・・平成3年11月28日・・・
以下は全集 81 です・・これは平成4年で破門後です・・に訂正
- 417 :もくれん:2008/12/13(土) 12:00:27
- 平成4年10月24日 関西最高会議
「日興遺誡置文」の実践者は学会
二十六箇条の一箇条でも犯せば門下ではない。
★ 「師敵対」が「五老僧」の本質であり、日顕宗は五老僧の末流である。
しかも、五老僧は、日興上人の正義を、かえって、法門の異類を立てるもので
道を失っていると非難した。
みずから、謗法に堕しながら、学会の正義を誹謗している点も、五老僧そっくり
である。
★★★★ 最重要 ・・・・303P
戦前、戦中、宗門に「神本仏迹論」という「邪義」を唱える僧侶が出た。
戦後もこの邪僧を強く責めるどころか、邪僧の罪をただした学会を処分したのである。
今も、日顕が本で、大聖人が迹などという転倒の「顕本仏迹論」に従っている
僧俗が多数いる。
五老僧と、その末流は、「本迹の本義」を知らず、日蓮大聖人を御本仏と仰ぐことが
できなかった。
日興上人の法統を継ぎながら、大聖人よりも日顕を「本」とする日顕宗は
「獅子身中の虫」の最も悪質なものであろう。
★ 日々さん、五老僧のこと、詳しく書きましたよ・・・
- 418 :もくれん:2008/12/13(土) 12:55:47
- >>417の続き 全集 81より
謗法払いも、学会が僧侶に教えたのである。学会が存在しなければ、大聖人、日興上人
の正統は、守り伝えられなかったのである。・・・・・・・・305P
★・・ここは、梅さんが、最大に関心のあることです・・・・
316Pから317P
また戸田先生は、第二代会長に就任した直後、こう述べられた。
「立宗七百年に際し、日蓮正宗教団が、全国わずかに、一、二万軒を数えるに
すぎない現状は、われわれが宗開祖に対したてまつり、申し訳ない次第である。
もし、いま宗開両祖がご出現あらば、いかばかりか、お嘆きあり、かつおしかり
あるかを思う時、おそれ多く、もったいなく、かつは申しわけなく、身も心もいたむ
ものである。」
「かかる時、教団の一部に、意味なき嫉妬による折伏行進の邪魔をなすものが
いるのは、まことに残念な次第である。」
戸田先生は、広宣流布への責任を一身に感じられていた。
そして、ただ一人立ち上がって、折伏の陣頭指揮をとられた。
しかし、当時の宗門は、学会に協力するどころか、まったく無理解だった。
そのうえ、一部の僧は「意味なき嫉妬」にかられて、折伏の妨害までしたのである。
牧口初代会長も、宗門の無理解や妨害につねに苦しめられた。
最後も宗門の裏切りによって、獄死されたのである。
戸田先生は、また、「この教団の七百年の古い伝統は、一面には尊く、かつ清く
ありがたく、かつ一面には、猫もねずみも出るであろう。
かかる猫やねずみの類は、必ず一掃されるから、心配することはない」(昭和26年6月)
悲しいことに、日顕宗は「猫やねずみばかり」になってしまった。
大聖人の仏法を食い物にし、供養を貪り、うごめいている、ノラ猫や飢えたネズミのごとき
醜侶は、広布へ進む信心の世界から、一掃せねばならない。
また現実に、清らかな「広布の世界」には、いられなくなって、みずから
去っていったのである。
- 419 :もくれん:2008/12/13(土) 13:12:33
- 同じく全集 81
大正十一年十月、日蓮宗(身延派)、顕本法華宗など日蓮宗各派の管長らと
同座したうえ、身延の管長の導師で寿量品の読経・唱題した法主がいた。(日正法主)
しかも、それは他宗派とともに、大聖人に「大師号」を宣下するよう政府に
請願し、「立正大師」号を受けたことに記念行事であった。
宗祖と正反対の「権力迎合」の姿である。
その後、身延に大聖人の廟所(墓所)があるとしたためた「念書」を、政府に
提出した高僧さえいた。(日開法主・日顕の父)
日興上人の「身延離山」の崇高な御精神を踏みにじり、身延と「謗法同座」したの
である。身延と「与同罪」であり、大謗法である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おなじく321P
謗法者の供養を受けることは、謗法を容認するに等しい。与同罪にあたる。
宗門は戦後、疲弊した本山の収入増加をねらい、他の謗法の諸寺と同じような
「観光地化」を計画したことがあった。
それを、やめさせたのが戸田先生であった。謗法の供養を受けるところを
学会が救ったのである。
- 420 :もくれん:2008/12/13(土) 13:37:17
- 入力に手が疲れた・・ちょっと、迷・発見
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7888/1164545168/51
2008/10/10(金)
本迹もそうなんです。
****さん。
例えば大聖人様と私共。
身体は仮のものですから迹ですね。
恐れ多いので私で説明いたします。
大聖人様もおなじですよ。
○○○○と言う人間。
これはこの世での仮の姿です。
ですが命は妙法なんですね。
この身体は迹。
次に生まれる時は違う身体です。
>>身体は仮のものですから迹ですね。
>>この身体は迹。
>>これはこの世での仮の姿です。
・・空・仮・中 の 三諦の「仮和合」の「仮」を「迹」に使っている・・
最初から、論理的整合性のある「使い方」をしてないのだ。
「行き当たりバッタリ」の使い方である。
- 421 :梅:2008/12/13(土) 13:51:57
- もくれんさん
レスが途絶えたので、どうしたかなと案じておりました。
私の投稿の>>399をもう一度お読み下さい。
この投稿では、特に最後の部分を最重要と意識して書き込みました。
今回の貴女のレスは、プリントアウトすると10枚近くになります。
しかし、>>399には全く触れておられないようです。
どうしてですか?
貴女の>>408でのご質問は>>409で撤回されていますので、ここでは触れません。
>>408
>私の「力不足」で、「目的」を成就できなく、私を「敗残者」として
>見ていただいても結構です。
貴女の対話者がかような見方をする者と思って、この対話を始められたのですか?
>せめて、「学会公式出版物」なかんずく池田先生の「最新」の「指導」
>くらいは、真摯に向き合っていただきたかったです。
そのよう努めております。
貴女が読めといわれた講義も、何回も確認しました。
その上での投稿が>>403です。
この投稿は、『教義の解釈や見解・表現は変わる』ということに私の論点があります。
私が「法」及び「本尊」を否定などしてないことは、お分かりでしょう?
もう一度お読みになって確認してください。
貴女の投稿>>409についてのレス
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★日蓮大聖人直結の、唯一の、仏意仏勅の、広宣流布の教団である創価学会・・
★これには、梅さんは「納得」されていますか?
上記2行に、納得しているかどうかが「分岐点」だと思います。
とりあえず、質問は★印だけにします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
全くその通りであると納得し信仰を続けてきました。
もっとも私は6歳からですから、教学的な意識に目覚めたのは中学・高校時代からです。
そのときの最初の参考書が「折伏教典」でした。
その時の一番古い版のものが行方不明ですが
今手元にあるのでも、現在の学会教義とは全く違うところがあります。
そういう事では、古い学会員はおそらく必死で学会についてきたのだと思いますよ。
貴女投稿>>410について
>また、かっきり書きます・・
私の投稿>>402が、現在の日蓮正宗について
正邪を論じていただこうとは思っていないことはお分かりのはずですよね。
貴女の投稿>>411について
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このようなキリストについての仮説については興味の対象外です。
★いずれにしても、南無妙法蓮華経こそ、「宇宙の根源の法」であり、
人間が作った「決め事」それを「律」と呼ぶとすれば
「律」と「法・ダルマ」は、おのずと違うわけです
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そりゃそうですよね。
ですが、「法」と言おうが「ダルマ」と言おうが、人間がそのように名づけて呼んだだけですよ。
貴女の投稿>>412について
>その時は、明言しませんでしたが、「書写の権能」は「授与の資格」の中に
>含まれると、個人的には信じています。個人的にはですので、誤解のないように。
これは個人的見解なんですね。
「信じる」というのはけっこうだと思います。
でも、「人本仏迹」を「信じる」というと
すぐに反応して、「邪義」を「信じる」のか、となるのはどうしてでしょうね。
貴女の投稿>>413,>>414について
先生の引用のみで、貴女の思索された上でのコメントがありませんね。
現在の日蓮正宗がその通りであることは、私も認識しています。
むしろ、ここまで引用なされるなら
「戒壇御本尊本懐論」と学会の現在の教義について、差異があるのかないのか
学会員としての貴女の見解を伺いたくなりました。
2007年の金原本から以後、ネットで見ていると、意識変更された方も多いように見えます。
- 422 :梅:2008/12/13(土) 14:27:28
- もくれんさん
>>417
>二十六箇条の一箇条でも犯せば門下ではない。
これは、直接は私宛のレスではないようですが
私の『教義の解釈や見解・表現は変わる』という論点に関係しますので。
現代において、そのまんまで、二十六箇条を適用できないことはご存知ですよね?
また
>謗法者の供養を受けることは、謗法を容認するに等しい。与同罪にあたる。
これなんか、江戸時代に宗門がやっていたことですね。
これを厳格に守れば、「不受不施」派のように考えねば筋が通りませんね。
- 423 :梅:2008/12/13(土) 15:26:08
- 訂正
貴女の投稿>>411について
「・・・・・・・・・・」は
★の上に入ります
興味の対象外なのは、私です。
- 424 :梅:2008/12/13(土) 16:35:38
- もくれんさん
>>420
>・・空・仮・中 の 三諦の「仮和合」の「仮」を「迹」に使っている・・
>最初から、論理的整合性のある「使い方」をしてないのだ。
>「行き当たりバッタリ」の使い方である。
これは、ご本人に確かめられたほうがよさそうです。
貴女は、彼が三諦で使われてると断言してますが
「仮諦」ではなく、むしろ「仮の姿」=「仮体」で使われているかも知れませんよ。
それを確かめられた上で、『行き当たりバッタリ』の発言が説得力をもつはずですね。
そうでなければ、たんなる難癖です。
- 425 :もくれん:2008/12/13(土) 23:44:31
- >>421 梅さん
深夜なので、レスしやすいことから、書きます。
>先生の引用のみで、貴女の思索された上でのコメントがありませんね。
先生のスピーチは、まずは「その通り」と受け止めます。
>現在の日蓮正宗がその通りであることは、私も認識しています。
>むしろ、ここまで引用なされるなら
>「戒壇御本尊本懐論」と学会の現在の教義について、差異があるのかないのか
>学会員としての貴女の見解を伺いたくなりました。
梅さん、これからは、単刀直入に書きます。
まず、創価学会の実践に「大いなる意義」があると大確信しております。
ですから、創価学会の方針に全く納得しています。
例の「御本尊の授与の資格」云々でもそうです。
私は、平成5年から、授与開始された日寛上人御書写の御形木御本尊様です。
日顕書写のからの「交換」ですが。
事実の上で、確実に他者を幸福にしていく実践こそ肝要と思います。
そういう意味では、「戒壇様本懐論」がどうのこうの、私は全く、関心も興味も
現時点では、ありません。
前にも書きましたが、正本堂へは何度か行きました。
御開扉を受けました。あの中央の大御本尊様が、弘安2年10月12日の御建立の
出世の御本懐の大御本尊様と、当然、信じていました。
が、今は、他教団にあります。真偽はともかくとしても。
大聖人の出世の本懐そのものは、「御書の世界」に書かれていることで
その通りだと思います。
その「出世の本懐の《実物》の大御本尊様」に対して「執着」は、持っても
現実として、致し方なくもあり、すでに、創価学会は、未来向けて
新たなスタートをしているわけです。
日蓮大聖人直結の「意味」を、よくよく思うべきと思います。
御本尊は「法華弘通の旗印」といいます。
その意味では、先生は、明確に、最近のスピーチで「旗印」を語っています。
このスレッドでも紹介しましたが。
一大秘法でもあり、本門の本尊の定義である、
日蓮大聖人が胸中に所持されている、久遠元初の妙法たる南無妙法蓮華経と
またそれを図顕された曼荼羅本尊・・
書籍「教学の基礎」
仏教哲学大辞典
これは、いわゆる「戒壇様」の内実そのものです。
「戒壇様」は、日蓮大聖人の胸中の南無妙法蓮華経を図顕された「曼荼羅」
そのものですね。
「教義」は、変わりようがありません。誰にも変えられません。
今後未来永劫に変わりようがありません。一大秘法・本門の本尊・変わりません
一大秘法にすべて合するのですから。
「本門の本尊」は、御本仏の「たましい」ですから、
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候・・」ですから、
くどいようですが、「法」「宇宙根源の法」ですから、人為的に変えられるもの
ではありません。
ただ、ただ、宗門が「広宣流布への正しい信仰実践が皆無」が実体です。
それから、日蓮正宗との名称は、「宗教法人」としての正式名称ですが
創価学会員の立場からすれば、破門し、正本堂を破壊し、日顕宗と呼ぶのが
創価学会員としては、ノーマルであると思います。
最終的には、本人の自由ですが、宗門の悪を認識できている学会員は
必ず、「日顕宗」と言います。
- 426 :もくれん:2008/12/13(土) 23:51:48
- >>424 梅さん
このレスは、むしろ「やまいぬ」さんに読んでいただくのが目的でした。
勿論、「やまいぬ」さんが、気がついて読んで下さる程度でいいのですが。
- 427 :もくれん:2008/12/14(日) 00:15:59
- >>399 梅さん
>もくれんさん、貴女は私との対話を逃げ始められたのですか?
そうですね、そう言われても仕方ありません。
梅さんに「罵られても」逃げたいと思い始めました。
私は、創価学会の公式出版物の記述を「その通り」と受け止めています。
自分の思索とは、又、次元の違う話であると思います。
確認しますが「人本仏迹」論を、梅さんに「間違い」であると、気付き
認識していただければ、この掲示板にお誘いした目的が達せられるのです。
が、梅さんは、「絶対に間違いと認めたくない」とのスタンスですね。
前にも言いましたが、「曼荼羅本尊」と「衆生」の関係は「本迹」を
使った時点で、つまり「入り口でアウト」です。
しかし、そこは譲歩して梅さんとの対話にお付き合いしてきました。
御招待したという、こちらの立場の弱みもありました。
その分、私も新たに研鑽できたプラス面はあります。
しかし、梅さんに対して、限界を感じたのは事実です。
現時点で、梅さんは「人本仏迹」論を「間違い」であると「認識」できない
あるいは「認識したくない」あるいは「いや正しい」・・
いずれのスタンスであっても、今は、無理に「結論」を出さなくても
いいのではないかと思います。
創価学会の組織での実践を続けるプロセスで、自然に結論は導き出される
はずです。
ですから、私は「白旗」を、掲げるつもりでいます。
梅さんに、「人本仏迹論」の誤りを認識させてあげることが、できなかったと。
そして、私自身は「敗北」のつもりはありません、矛盾するようですが。
創価学会の現場組織での、「打ち出し」といわれる「たたかい」こそが
最重要であると確信しているからです。
実践の中からしか「自得」は、不可能であるとも確信しています。
梅さんから、出されている「質問」は必ず答えますよ。
答えるタイミングは大事ですからね。
- 428 :もくれん:2008/12/14(日) 00:29:20
- >>421 梅さん
>でも、「人本仏迹」を「信じる」というと
>すぐに反応して、「邪義」を「信じる」のか、となるのはどうしてでしょうね。
随分と、はっきり書いてますね。
>>でも、「人本仏迹」を「信じる」というと
梅さんは「信じて」いるのですか?
人本仏迹論を、梅さんが、本当に信じているのであれば、
信じているのであれば、信ずる根拠があるはずですね。
是非、根拠をお聞きしたいですが。
- 429 :ひでき:2008/12/14(日) 00:53:13
- >>427
もくれんさん、こんばんは。お久し振りです。
まずは、お疲れ様でした。
ある一定の言葉で反論される方についていえばループが起きている中、ここまで対話を続けてこられたことには頭があがりません。
私自身、手元にある資料が少ないことと私の勉強不足からこのことについては、言及は姿勢を示すのみで、すみませんと思いつつ。
以前どこかでブログを立ち上げるとおっしゃっていたと思います。
立ち上げましたら、書かれた日は、じっくりと読みたいと思います。
他板にはなりますが、Tommyさんが良いことをおっしゃっていますね。真摯な研鑚には信頼できますね。
私自身、改めて真摯に研鑚したいと思います。
>創価学会の公式出版物の記述を「その通り」と受け止めています。
そうですね。この一点があるかないかで信心純粋かどうか判別がついてしまった感がありますね。
他にもコメントを考えましたが、荒れるのを防ぐため、これでひとまずコメントを終えます。
- 430 :もくれん:2008/12/14(日) 09:28:42
- >>429 ひできさん
お久しぶりです、今見てきました、あの板ですね。
鬼さんという方が、百六箇抄を書いて下さっていますね。
今後、目が離せないですね。
毎日、チェックします。
鬼さんとは、どのような人物なんでしょうね、すごいですね。
>>創価学会の公式出版物の記述を「その通り」と受け止めています。
>そうですね。この一点があるかないかで信心純粋かどうか判別がついてしまった感がありますね。
少なくとも、教義の根幹である、三大秘法等の記述は「その通り」と
受け止めることができないのは「生命の濁り」以外のなにものでも
ありません。今後、不軽菩薩の実践で、生命を浄化するしかありません。
★日蓮大聖人が胸中に所持されている久遠元初の妙法たる南無妙法蓮華経と
またそれを図顕された曼荼羅本尊・・「本門の本尊」
★この記述を「邪義」と断定する自称・創価学会員とは妖怪でありましょう。
そして、この実情が判断できない、不幸な学会員の存在も、哀れではありますが、
一朝一夕にはどうすることもできないのも確かです。
とりあえず、それらの人たちの心の中に、石を投げ入れた・・
現段階では、ここまで、でしょうね。
ある程度、長い目で見なくてはいけないのでしょうね。
- 431 :ゴンちゃん ◆JktPtoesQ2:2008/12/14(日) 09:34:30
- もくれんさん
良ければ、うちの板に来られて、直接トミーさんとお話されては
どうですか?歓迎します。。。トミーさんも喜ぶと思いますが。
- 432 :ゴンちゃん ◆JktPtoesQ2:2008/12/14(日) 09:35:23
- 失礼しました。。。
下げていました。。。
- 433 :ゴンちゃん ◆JktPtoesQ2:2008/12/14(日) 09:55:13
- 鬼さんが
自分から来ています!もくれんさん(^^)
- 434 :梅:2008/12/14(日) 15:20:03
- ひできさん
こんにちは、ひさしぶりですね。横レスします。
>>429
>ある一定の言葉で反論される方についていえばループが起きている中
『一定の言葉で反論される方』とは私のことですか?
まぁ、ふつうにこのスレの流れをみると、私のことを指しておられるようです。
ですが、私にはそのような認識が全くありません。
どのような『一定の言葉』で『反論』し『ループ』が起きているのか、明確にご指摘ください。
それから、まだ対話は終わっていません。
「人本仏迹論」なぞ、その中身の検討にも入っていないのです。
本迹論とて、まだ検討途中で合意点の確認さえ終わっていないのです。
ですから、
>まずは、お疲れ様でした。
も、『お疲れ様です』が正しい用語法ではないですか?
もくれんさんは、言葉のやり取りに少しお疲れのようですから
貴方のレスを確認したりしてから、もくれんさんの>>425〜>>428にお返事するつもりです。
- 435 :ひでき:2008/12/14(日) 16:09:51
- >>434
梅さん、お久しぶりです。
>お疲れ様でした。
これについて言えば、どちらで伝えるべきか、悩みました。
ここまでで、事実上の平行線に終わるように、私には見えました。
続くにしても、続かないにしても、一つの区切り目と考えたため、言葉の語尾を過去形にしました。
>『一定の言葉で反論される方』とは私のことですか?
正確にいえば、某の発言を肯定的に考え、異を唱えた方に反論された方々というニュアンスで使いました。
ですので、梅さんだけではございません、他にも具体的な名前は避けますが、数名ほど、です。
そうした方々の発言の傾向性としては、以下のリンクが適切と考えました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3764/1224318968/l50/797-799
の798-799にほぼ該当していると、判断をしております。特に、
1:事実に対して仮定を持ち出す
2:ごくまれな反例をとりあげる
4:主観で決め付ける
5:資料を示さず自論が支持されていると思わせる
6:一見関係ありそうで関係ない話を始める
7:陰謀であると力説する
9:自分の見解を述べずに人格批判をする
10:ありえない解決策を図る
11:レッテル貼りをする
12:決着した話を経緯を無視して蒸し返す
15:新しい概念が全て正しいのだとミスリードする
ラベリング型:発言内容を問うのではなく相手の姿勢そのものをレッテル貼り(ラベリング)することで、議論を一方的に誘導しようとする。
攻撃型:反論が目的であるかの如く、とにかく反論する。多くは言葉尻にのみ反応する。
宗教型:常識・人権・学会などの権威に依存していて、ある程度話を詰めると思考停止状態になる。
侮蔑型:様々な理由をつけてひたすら相手を蔑む。根拠不明の優越感を持っている。
一般化型:特殊な意見や個人的な価値観を敵性派閥全員が主張しているかのように一般化する。
電波型:見当違いの会話や理論を押し付けてくる。突然逆ギレすることも。
分裂型:自ら上記のような手法を使うがそれは顧みず、他人が使ったときだけ鬼の首を取ったように責める。
今抜き書きした点について言えば、なにかしらで、該当する方が多いと感じたことです。
私が考えるに、某に指摘をされた方々は、文証に裏付けがあるかを真摯に質問された方々だと考えます。
なぜなら、どんなにまっとうなように聞こえても、文証・理証がなければそれが正しいかどうか確認のしようもありません。
必然的に邪義と判断せざるを得なくなります。
よって>>380のいまいぬ。さんのレスに激しく賛同するものです。
これで、レスを終えます。
- 436 :もくれん:2008/12/14(日) 17:01:12
- >>433 ゴンちゃんさん
鬼さんの発言には、いい意味で注目しています。
毎日、そちらを拝見します。
- 437 :ゴンちゃん ◆JktPtoesQ2:2008/12/14(日) 17:11:18
- ありがとうございます。。。もくれんさん!
- 438 :梅:2008/12/14(日) 19:15:23
- ひできさん
>>435
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>『一定の言葉で反論される方』とは私のことですか?
正確にいえば、某の発言を肯定的に考え、異を唱えた方に反論された方々というニュアンスで使いました。
ですので、梅さんだけではございません、他にも具体的な名前は避けますが、数名ほど、です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このように貴方はおっしゃり
かなり詳しい分析を書かれました。
しかし、私の聞いているのは、そんな一般論ではなく、私自身についての貴方の分析ですよ。
>>私のどこが、どのような『一定の言葉』で『反論』し『ループ』が起きているのか
です。
貴方もロムしていてご存知と思いますが、対話の「本迹論」の当初、私がもくれんさんに提案したのは
お互いに「全知全霊」を傾けましょうでした(全知全能じゃありませんよ)
ですから、投稿には相手に言葉の上での誤解のないように神経を使っています。
またロムしている人にも、いろいろな方がいるわけですから
信仰の何たるかについて出来るだけ誤解を避けられるよう
御本尊様に真剣に唱題して書き込んでいます。
(私はこのようなことからも、「全知全霊」で力の限りの対話です)
また、この対話は、私が正しいとした上で、相手を説得しようと書いているのではありません。
何度も書いていますが、「彼の主張の理解」です。
誤解なきようにいえば、彼の論の正邪以前の「彼は何故そのように言うのか」という
「考察」を私はもっとも重視して、自分の対話姿勢としています。
互いに結論を押し付けあっては、対話ではなく法論とか問答ですよね。
ですから、私はこの対話では、もくれんさんに一度たりとも自分の結論を押し付けていません。
この点は、対話といえど、もくれんさんのスタンスとは違っています。
しかし、それは私も了解して対話しているのです。
したがって、私が貫こうとした対話法は、貴方があげてる前例分析にあるような
結局のところ悪口雑言に陥るような対話を避けることでした。
そうでなければ、私にとって対話する意味がないのです。
(もっとも、貴方のあげている分析は、批判者双方に当てはまるところもあるようですよ)
いずれにせよ、私の気付いていないところもあるかもしれませんね。
それに、この対話を貴方の「一般論」で片付けられては、ここまで続けてきた私としては堪りません。
したがって、再度、貴方に問います。
私の対話について、もう一度>>434をお読みになった上で
(私が)どのような『一定の言葉』で『反論』し『ループ』が起きているのか、明確にご指摘ください。
- 439 :もくれん:2008/12/14(日) 22:55:55
- 梅さん
梅さんを、この掲示板にお誘いしたのは、結果的に「私の間違い」でした。
その、私の間違いについて、深くお詫び申し上げます。
結果的に、梅さんの貴重な時間を使わせてしまったことも、お詫び申し上げます。
「人本仏迹」論の対話そのものは、私の方は終了させていただきたく思います。
梅さんが、「追求」したいことは、書いていただいて結構だと思いますし、
応じる必要のあることは、私も書きますが、最初から申し上げているように
「人本仏迹」論は、100パーセント間違いです。邪義の言葉がお嫌でしたら
「間違い」の言葉を使いますが、「100パーセント間違い」です。
しかし、ひとつだけ、サービスで書かせていただきたく思うことが
あります。
サービスというのは、梅さんが、読もうが読むまいが、これだけは
梅さんのために、書いてあげたいという意味です。
ですから、梅さんが、「読もうが、読むまいが」読んだ結果、「何、意味の無い
ことを書いて」と、がっかりしようが、私としては、何も「期待しない」で
書きますということです。
結果はともあれ、先生のスピーチに、私自身が「ピーン」とくるものが
ありますので。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1226090096/403
このレス内容は、梅さんにとって、最も切実なことですね。
続く
- 440 :もくれん:2008/12/15(月) 00:55:22
- 梅さん
>さぁ、もくれんさんどのように読まれましたか?
>これらは、貴女が読むようにと言われた御書講義の「三大秘法」の部分と合わせたら
>微妙なところもありますが、従来とは明確に「解釈」が異なってきていますよね。
>現在もなお日寛師の「戒壇本尊論」に拘ったら、大変おかしなものになることは
>貴女にもご理解いただけると思いますが、いかがですか?
>これが、今からほんの22、3年前には、創価学会教学部の解釈であり
>宗門でいえば700年来の伝統的教義だったのですよ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
破門後、宗門とは完全に分かれて、いわゆる「戒壇様」は、創価学会には
存在しないのであるから、「本門戒壇」の文字は無くなって当たり前。
創価学会が仏意仏勅の唯一の団体であるということを、確信できるかどうかが
分岐点。
しかし、破門後数年間は、いろいろな思いの会員の心情を配慮して、先生の
以下のスピーチがある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://jbbs.livedoor.jp/study/7888/storage/1215745197.html 116・124
大聖人の出世の本懐である一閻浮堤総与の大御本尊が信心の根本で
あることは、これからも少しも変わらない。
日達上人は述べられている。
「大聖人はもう亡くなられております。その魂、その大聖人の御魂が、
この戒壇の大御本尊様である。(中略)あなた方の各仏壇に安置する
ところの御本尊様が、大聖人の御精魂である。
大聖人様即、法身報身応身の三身相即したところの御本尊様でございます。」
(1962年 昭和37年 9月7日 小田原教会での説法 日達上人全集)
各家庭の仏壇に御安置した御本尊は、「大聖人の御魂であり、御本仏の当体である」
と拝すべきなのである。そう信じて唱題するとき、そのまま、その場所で
大御本尊を拝していることになる。
日達上人は「御本尊安置の場所がどこであれ、いちおう義の戒壇と申して
その御本尊に向かって一心に余念無く唱うるところのお題目は即座に
本門戒壇の大御本尊に納まり、南無妙法蓮華経と唱えるその場所即霊山浄土
であり、即身成仏のところであります。1977年11月23日 同前)
と述べられている。
世界のいずこの場所であれ、御本尊を信じて、純真な「信心」の一念で
唱えた題目は、即座に大御本尊に通じていく。
「登山しなければ功徳なない」などというのは、先師の指南に背いた
大邪義である。
第一回 アメリカSGI最高会議 平成5年9月16日
続く
- 441 :もくれん:2008/12/15(月) 01:10:51
- 梅さん
>>宗門でいえば700年来の伝統的教義だったのですよ!
これは、随分と宗門も乱れた時代があったらしいですね。
17世日精の「法主絶対論」とか、
日寛上人は、それまでの邪義をすべて破折して、大石寺つまり日興門流を
「御本尊根本」の正義に整えたと
http://jbbs.livedoor.jp/study/7888/storage/1215745197.html 121
日寛上人は広宣流布の実現を、強く願われていた。
「六巻抄」や「文段」の著述も、すべて広布のためであられた。
当時、世間に流布していた一切の邪儀を鋭く破折され、大聖人の
正義を宣揚されたのも、広宣流布を願われたからである
第一回 アメリカSGI最高会議 平成5年9月16日
★ 御本尊根本の正義を教えられた日寛上人
日寛上人は「中興の祖」と仰がれたように、信・行・学にわたって、
「最も優れた法主であられた。
日亨上人は
「六巻抄を中心にして大聖人の御正義を完ぺきに打ち立てられた」と
(大白蓮華 昭和31年11月号)
日寛上人は、大聖人の「御本尊根本」の正義を強く主張なされた。
このことは、「六巻抄」や「観心本尊抄文段」等で明らかである。
「観心本尊抄文段」には、
「十方三世の恒沙の諸仏の功徳、十方三世の微塵の経々の功徳、
皆咸くこの文底下種の本尊に帰せざるなし。譬えば百千枝葉同じく
一根に趣くが如し。故にこの本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の
妙用あり。(中略)これ即ち蓮祖(日蓮大聖人)出世の本懐、
本門三大秘法の随一、末法下種の正体、行人所修の明鏡なり」
(文段集 443P)と、述べられている。
一切の諸仏の一切の功徳が、すべて、この御本尊に具わっているのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
700年間一貫して必ずしも、御本尊根本の正しい教義で、きたわけでは
ないらしいですよ。
それに、戦前など「神札」の強要ですよ。
- 442 :もくれん:2008/12/15(月) 01:47:55
- 梅さん
>ですからね、沖浦批判についても、邪義だ邪義だとかみつくのではなく
>「もしかして、そのような発想がありうるだろうか」という検証姿勢が必要だと思うのです。
>そのための対話がなされることが必要とこそすれ、悪口雑言・非難に向かってしまうのは
>私たちがネット社会の対話に未成熟だからではありませんか?
>私が貴女と対話しようと思ったのは、貴女にはそれを乗り越える知性がおありに違いないと信じたからです。
梅さん、前にも言いましたが、私は沖浦氏と、とことん対話をしてきました。
梅さんこそ、今度こそ、梅さん自身が、沖浦氏と対話をされたらいいと思います。
沖浦氏に単刀直入に「人本仏迹」論の「根拠」を、お尋ねになればいいと思います。
> そのような発想がありうるだろうか」という検証姿勢が
これは、私程度の教学力でも、簡単に「間違い」であると判断できます。
氏の「何が故に人本仏迹論を主張するのかの、心情的背景は、すでに
解りきっています、それも、複数の方たちがです。
これは、日顕宗との、氏なりの「たたかい」の産物です。
http://jbbs.livedoor.jp/study/3764/
前にも紹介しましたが、ここの彼らは誠実に、氏に向き合ってきたのです。
最後の最後まで。
>乗り越える知性
「知性」の次元の話ではなく「信心」それも、何度も言いますが
創価学会とは、何ぞやの次元の話です。
日蓮と同意ならば・・この誓願の姿勢がなければ、無理な話です。
知性で解決できるようなレベルではありません。
- 443 :もくれん:2008/12/15(月) 01:51:29
- 梅さん
>現在もなお日寛師の「戒壇本尊論」に拘ったら、大変おかしなものになることは
>貴女にもご理解いただけると思いますが、いかがですか?
こだわっているのは、一体誰なのか?
理解に苦しむ文章です。「戒壇本尊論」とは、何でしょうか?
- 444 :もくれん:2008/12/15(月) 02:02:33
- 梅さん
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>そして、この項の最後は、日寛師の観心本尊抄文段を引いて
>『また、「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐中の本懐なり、
>」既にこれ三大秘法の随一なり、況や一閻浮提総体の本尊なる故なり」(文段集四五二ページ)と
>」示されている』
>と締めくくっています。
>さらに、【本門戒壇の大御本尊】の項目では
>『本門戒壇について』の小項目に
>『・・・事の戒壇とは、本門戒壇の大御本尊が御安置されるところである。
>・・・第六十六世日達上人は戒壇に御安置される根源の法体こそ真の事の戒壇であり、
>本門戒壇の大御本尊の当体及び所在が事の戒壇であると御相伝の上から示されている・・・』
>また、同項目の『本門の本尊について』の小項目では
>『本門の本尊とは、弘安二年(一二七九年)十月十二日に御図顕された未曾有の大御本尊のことであり、
>本門戒壇の大ご本尊のことである・・・日蓮大聖人の仏法の根本は本門戒壇の大御本尊である』
>さぁ、もくれんさんどのように読まれましたか?
>これらは、貴女が読むようにと言われた御書講義の「三大秘法」の部分と合わせたら
>微妙なところもありますが、従来とは明確に「解釈」が異なってきていますよね。
>現在もなお日寛師の「戒壇本尊論」に拘ったら、大変おかしなものになることは
>貴女にもご理解いただけると思いますが、いかがですか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こだわっているのは、誰なのかは、ともかくとして、日寛上人は正しいですね。
別に、今でも、正しいですね。
ただ、破門されて「戒壇様」は、我が教団には「存在しない」という事実ですね。
「存在」しなくても、日蓮大聖人の御精神・直結ということが最も大事ですね。
何も、矛盾はないし、「解釈」が変わったのでなく、しいていえば
「戒壇様」は、もう無いよ・・ですよね。
「無くても」何も、学会は「困らない」
日蓮大聖人の「御魂」は、創価学会にこそ「ある」・・
それが「確信」できるかどうか、一切は「信心」です。知性ではありません。
- 445 :梅:2008/12/15(月) 13:18:23
- もくれんさん
>>425
>事実の上で、確実に他者を幸福にしていく実践こそ肝要と思います。
>そういう意味では、「戒壇様本懐論」がどうのこうの、私は全く、関心も興味も
>現時点では、ありません。
この1行目は当然ですので異論ありませんが、次の2行はかなり問題だと思います。
この「戒壇様本懐論」は沖浦さんの姿勢を理解するためには、必要不可欠の通過点なんですよ。
関心も興味もなく、貴方は沖浦さんと対話したのですか?
そうであるならば、かみ合った対話ができるわけありませんね。
>その「出世の本懐の《実物》の大御本尊様」に対して「執着」は、持っても
>現実として、致し方なくもあり、すでに、創価学会は、未来向けて
>新たなスタートをしているわけです。
「執着」を持つ必要もなく「致し方なく」と言う必要もない教義解釈が新時代の要求だと思いませんか?
現実に、大白10月号の報恩抄講義では三大秘法の「本門の戒壇」について従来とは方向転換されています。
そういうことを踏まえて、私は『教義の解釈や見解・表現は変わりうる』と申し上げているのです。
昭和61年版仏教哲学大辞典をあげたのは、そういうことを証明する文証としてあげました。
さらに、私が中学時代に教学任用試験で出題範囲であり、懸命に勉強した「折伏教典」は、現在」には時代遅れの
教義解釈があります。これで学んだ学会員もまだたくさん生きているのです。
私の>>423で投稿した内容と意味を、ご理解いただけてましたか?
>「戒壇様」は、日蓮大聖人の胸中の南無妙法蓮華経を図顕された「曼荼羅」
>そのものですね。
>「教義」は、変わりようがありません。誰にも変えられません。
>今後未来永劫に変わりようがありません。一大秘法・本門の本尊・変わりません
「法」という意味で、貴方の言う「内実」という点では変わらないでしょうね。
しかし、その「法」の解釈や見解・表現という点では変わりうるのです。
学会でも破門前、「戒壇様」は人法一箇の究竟中の究竟である大御本尊とされ
三大秘法の「本門の戒壇」である「事の戒壇」に御安置されるものとされてきたのですよ。
現在、もしこの通りの解釈を維持するなら、学会には三大秘法の一部がかけてしまうのです。
そんなことありませんよね!
ですから、大白10月号報恩抄講義では、「本門の戒壇」を「和合僧としての戒壇」としていると思いませんか?
>創価学会員の立場からすれば、破門し、正本堂を破壊し、日顕宗と呼ぶのが
>創価学会員としては、ノーマルであると思います。
>最終的には、本人の自由ですが、宗門の悪を認識できている学会員は
>必ず、「日顕宗」と言います。
貴方はご自分の使われている言葉の論理がおわかりですか?
貴方は、「本人の自由」だと前提を置きながら、「必ず」日顕宗と呼ぶのが「ノーマル」な学会員だとしてます。
しかし、このように「ノーマル」である学会員なら、「必ず」日顕宗と呼ぶと断定されたら、学会員に「本人の自由」はなくなるのですよ。
おわかりですか?
貴方のこの発言は、ひできさんの分析>>435の4,11、15(ラベリング形)に該当しそうです。
以上、>>425についてです。
- 446 :梅:2008/12/15(月) 14:02:26
- もくれんさん
>>427へのレスです。
>梅さんに「罵られても」逃げたいと思い始めました。
正直さに好感を持てますが、後段にある次の
>ですから、私は「白旗」を、掲げるつもりでいます。
>梅さんに、「人本仏迹論」の誤りを認識させてあげることが、できなかったと。
>そして、私自身は「敗北」のつもりはありません、矛盾するようですが
上記はかなり良心的に受け止めないとイヤミですね。
対話を途中で放棄したら、な〜んだ、で終わりなんですよ。
貴方が言う『実践の中で自然と結論が導き出せるなら』ネットでの対話なんぞ必要性がないのですよ。
もちろん、沖浦見解を批判する必要も、貴方にとっては「ない」のではありませんか?
>私は、創価学会の公式出版物の記述を「その通り」と受け止めています。
>自分の思索とは、又、次元の違う話であると思います。
1行目、貴方の姿勢ですからご自由です。
2行目、思索をし、ただの引用ではなく自分の言葉で語ることが、対話では血の通ったものになるのではないですか?
ただの引用ならロボットにすぎません。
>前にも言いましたが、「曼荼羅本尊」と「衆生」の関係は「本迹」を
>使った時点で、つまり「入り口でアウト」です。
ですから、本迹論から対話に入ったのでしょう?
また、最初の入り口で「アウト」だと言うのは、古典的な本迹論から一歩も前進できなかったのですね?
そうだとすると、撤回を重ねることになりますね。
貴方には本迹論がダメなら、他にも「切り口」はあったのです。
その一つをあげれば「他力本願・自力本願」の民族的もしくは民俗的考察です。
この切り口は、「御書の世界」に糸口がありましたが、対話を途中でもお終いに
したいようですから
これ以上は申しません。貴方の思索に任せましょう。
>現時点で、梅さんは「人本仏迹」論を「間違い」であると「認識」できない
>あるいは「認識したくない」あるいは「いや正しい」・・
>いずれのスタンスであっても、今は、無理に「結論」を出さなくても
>いいのではないかと思います。
貴方のご意見として受け止めます。
- 447 :梅:2008/12/15(月) 14:05:41
- >>446訂正
貴方が言う『実践の中で自然と結論が導き出せるなら』
↓
貴方が言う『実践の中で自然と結論が導き出せる』なら
- 448 :梅:2008/12/15(月) 14:31:41
- もくれんさん
>>428へのレスです。
>人本仏迹論を、梅さんが、本当に信じているのであれば、
>信じているのであれば、信ずる根拠があるはずですね。
>是非、根拠をお聞きしたいですが。
貴方は>>427で結論を出さずともよいと、私にアドバイスなされていますよ。
それに、沖浦見解である「人本仏迹」は本迹論の定義がキチンと前提になければ
いかにそれを論じても、貴方の言う『入り口』で『アウト』なのです。
これまでの批判合戦はそこを明確にせずに終始していますね。
また、私の対話の目的は自説の展開ではなく、本迹を明らかにした上での沖浦見解の検証する姿勢でした。
それに、今日(15日)の貴方の投稿をざっと読んだ限りでは
貴方は、私との対話の真摯な継続態度に欠けてしまったようです。
したがって、私も貴方の質問に誠実にお答えする対話相手としての義務もなくなってしまいました。
- 449 :梅:2008/12/15(月) 14:48:29
- もくれんさん
>>439へのレスです。
>梅さんを、この掲示板にお誘いしたのは、結果的に「私の間違い」でした。
>その、私の間違いについて、深くお詫び申し上げます。
>結果的に、梅さんの貴重な時間を使わせてしまったことも、お詫び申し上げます
まぁ、これ以上の謝罪には及びません。
了解いたしました。
私としても、改めて勉強しました。ムダにはなっていません。
>「人本仏迹」論は、100パーセント間違いです。邪義の言葉がお嫌でしたら
>「間違い」の言葉を使いますが、「100パーセント間違い」です。
言い切ってしまいましたねぇ(*^_^*)
この後の貴方のレスは、私への『サービス』なんですね。
『読もうが読むまいが』とおっしゃいますが、読んでしまったので(笑)
読んでて、なんだか分からないところを、私もサービスで指摘しますね。
投稿を次に送りますから、読まなくてもけっこうですよ〜
- 450 :梅:2008/12/15(月) 15:08:55
- もくれんさん
>>440
>破門後、宗門とは完全に分かれて、いわゆる「戒壇様」は、創価学会には
>存在しないのであるから、「本門戒壇」の文字は無くなって当たり前。
すごく飛躍した論理ですねぇ。
貴方の思索として受け止めます。
>大聖人の出世の本懐である一閻浮堤総与の大御本尊が信心の根本で
>あることは、これからも少しも変わらない。
そうです。これは「法華経の智慧」でも「御書の世界」でも書かれています。
そして、その出世の本懐が弘安12年10月12日の一閻浮堤総与の大御本尊であることも
両書は明確に書かれています。(ただし、その書き方は以前と違い控えめに触れた程度ですね)
「本門戒壇」を外すとかの問題ではないですよ。
>日達上人は述べられている。
三大秘法の「本門の戒壇」を「義」と「事」に立て分けられているのですよ。
当然、日達師の時代では「事の戒壇」に御安置するのは、いわゆる「戒壇様」ですね。
しかし、報恩抄講義ではこのような立て分けは書いてありませんね。
戒壇=和合僧(仏教教団)と捉えているようです。お分かりですよね。
- 451 :梅:2008/12/15(月) 15:27:33
- もくれんさん
>>441
>700年間一貫して必ずしも、御本尊根本の正しい教義で、きたわけでは
>ないらしいですよ。
その通りですね。
しかし、700年変わらぬ「富士の清流」と教えられたことも事実です。
私の初登山は小学生の頃ですが、そんな話を聞いていても良く分かりませんので
総本山の境内を流れる清流を見て、なるほどこのことかと理解しましたね(笑)
今は知りませんが、昔は水量が豊富でまさに清流でした。
ただ、日寛師について言えることは、彼の教学の全ては、いわゆる「戒壇様」という「大御本尊」の
「法」の証明だったわけですね。
これは、現代で考えるとのとは少し違うのです。
江戸時代の徳川封建制度の中で、富士門流が生き延びていくという時代背景があるようです。
現代では、私たちの大御本尊は「戒壇様」である必要はないですね。
私自身の人生からは戒壇の大御本尊様ははずせないですが、教学的には私はそういう理解です。
- 452 :梅:2008/12/15(月) 16:03:21
- もくれんさん
>>442
>これは、私程度の教学力でも、簡単に「間違い」であると判断できます。
確か「入り口」で「アウト」でしたね。
本迹を伝統的・古典的・定型的に言えば、そうなります。
ですが、何度も言っているように、他の見方も出来るのではないか、これが私の考え方です。
それで>>170は「仮説」を提示し、対話の中で考察しましょうと提案しました。
その上で、人本仏迹論も検証しようとしたはずです。
>梅さんこそ、今度こそ、梅さん自身が、沖浦氏と対話をされたらいいと思います。
>沖浦氏に単刀直入に「人本仏迹」論の「根拠」を、お尋ねになればいいと思います。
私は沖浦さんが言わんとしていることは、貴方より深く理解しています。
彼は、本迹を「立場」論で捉えていますね。貴方はお分かりでしたか?
誤解を恐れずにいえば、仏の出世の目的を考えれば、「人本仏迹」も間違いとはいえなくなるのです。
これは私の見解です。
また、「人本仏迹」について他に適当な言葉があれば、沖浦さんも使わなかったかも知れません。
「本迹」の言葉に引っかかると、直ぐに邪義といいたくなる気持ちは理解します。
しかし、対話は終わったわけですから、これ以上は申しません。
- 453 :梅:2008/12/15(月) 16:21:57
- もくれんさん
>>443
>>現在もなお日寛師の「戒壇本尊論」に拘ったら、大変おかしなものになることは
>>貴女にもご理解いただけると思いますが、いかがですか?
>こだわっているのは、一体誰なのか?
もちろん、拘ったのは私で、それを私なりに乗り越えた上での発言ですよ。
>理解に苦しむ文章です。「戒壇本尊論」とは、何でしょうか?
ええ! 驚いて返す言葉がありません。
『日蓮大聖人の出世の本懐とされる弘安2年10月12日建立の日蓮正宗総本山大石寺にある本門戒壇の板曼荼羅大御本尊を
通称「戒壇様」とお呼びして一閻浮提総与の「本門の本尊」たる大御本尊とし、これをめぐる様々な論争を指す』
そういうことですが。
- 454 :梅:2008/12/15(月) 16:44:12
- もくれんさん
>>444
>こだわっているのは、誰なのかは、ともかくとして、日寛上人は正しいですね。
>別に、今でも、正しいですね。
そうですか。
貴方の見解ですから、ご自由です。
しかし、創価学会には日寛師を越える学匠がいづれ現れると思います。
仏法には「時」というのもあるようですから、何十年もずっと先のことではないでしょうね。
それは単数の人間ではなく複数の人間でなされるのかも知れません(教学部のようにね)
牧口先生の価値論、戸田先生の生命論があって、日蓮仏法は現代に蘇ったといいます。
宗門と分かれた現代において、当然、これらの視点に立った教学の見直しがあると思います。
もちろん、これは私の個人的見解です。
- 455 :梅:2008/12/15(月) 17:08:00
- もくれんさん
貴方のレスにすべてお返事しました。
1ヶ月未満で対話が終わるとは思ってもみないことでした。
内心では3月位かなと考えていたからです。
しかし、対話は相手があって成り立ちますから
一方に無理強いをしてもせんないことですね。
特にここはネットですから、スルーされればそれきりです。
リアルでも、一時交流が途絶えていた友人でも
ふとした機会に思い出したように対話することがありますね。
そういうことでもあったら、沖浦板においで下さいませ。
ネットをやめない限り、そこに常駐しています。
ひできさんには、きちんとしたレスを頂きたいところでしたが、この板を去ればロムもしませんので
再度私が要求したご指摘はもうけっこうです。
また、沖浦板で会いましょう。
教学解釈が違うくらいで、いがみ合うのはソンですよ。
お若いのですから、沖浦さんの人生に学ぶというくらいの
大きな気持ちで眺めてみるのも大切かと思います。
粛坊さんはじめここの皆さん、スレを占領しご迷惑をおかけしました。
静かに見守ってくださり、お礼申し上げます。
- 456 :もくれん:2008/12/15(月) 17:49:32
- ロムの方へのレス
>>449>「人本仏迹」論は、100パーセント間違いです。邪義の言葉がお嫌でしたら
>「間違い」の言葉を使いますが、「100パーセント間違い」です。
言い切ってしまいましたねぇ(*^_^*)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1226090096/289
したがって、この「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との
三つと言う表現は、一応、・・・・途中略・・・
再応、元意の辺は、
久遠元初の自受用報身如来 即 日蓮大聖人 と
文底独一本門の大御本尊と
そして、私どもの生命がともに 南無妙法蓮華経であり、
この三つは「まったく差別はないと、解りて、と拝すべきであります。
★これを、差別があると思っていくのは、真実の仏法ではありません。
仏は、素晴らしい特別な存在であるとし、我々衆生は、卑しく
醜い存在であって、とうてい仏になどなれるはずがないと考えるのは
大なる誤りであります。
★ しかしながら、「この三つ全く差別無しと解りて」といっても、
それを、事実のうえで、「解る」・・理解するというところまで
達していないのが、凡夫であります。
★ その場合「解りて」とはどういうことかといえば、
「以信得入」「以信代慧」と示されるごとく「深く信心をとって」
ということになるのであります。
★ともかく、御本仏日蓮大聖人の御生命も南無妙法蓮華経であり、
その大聖人の御生命をそのまま、「すみにそめながして、かきて候」
と仰せられている御本尊も、南無妙法蓮華経である。
★ そして、もったいないことでありますが、
私ども、一人一人の生命もまた、同じ南無妙法蓮華経であると
「こう信じて」、南無妙法蓮華経と唱える時、私どもの生命に
生死一大事の血脈、すなわち、南無妙法蓮華経の大生命が
脈々と湧現してくるのであります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
差別がないのが正しいのです。勿論「信」が必要条件ですが。
本迹を使用した時点で、間違いです。
- 457 :もくれん:2008/12/15(月) 17:55:48
- ロムの方へのレス
>>450
>日達上人は述べられている。
三大秘法の「本門の戒壇」を「義」と「事」に立て分けられているのですよ。
当然、日達師の時代では「事の戒壇」に御安置するのは、いわゆる「戒壇様」ですね。
しかし、報恩抄講義ではこのような立て分けは書いてありませんね。
戒壇=和合僧(仏教教団)と捉えているようです。お分かりですよね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
梅さんとの対話の必要上、引用した先生の過去のスピーチです。
2008年10月号大白蓮華「報恩抄」講義で、先生が三大秘法について
講義されています。
創価学会員として、先生の講義内容を真摯に受け止めるのはいうまでも
ありません。
- 458 :もくれん:2008/12/15(月) 18:36:57
- ロムの方へ
>>453
『日蓮大聖人の出世の本懐とされる弘安2年10月12日建立の日蓮正宗総本山大石寺にある本門戒壇の板曼荼羅大御本尊を
通称「戒壇様」とお呼びして一閻浮提総与の「本門の本尊」たる大御本尊とし、これをめぐる様々な論争を指す』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本門の本尊の定義
2002年発行「教学の基礎」ならびに、200年発行「仏教哲学大辞典」
★日蓮大聖人が胸中に所持されている久遠元初の妙法たる南無妙法蓮華経であり
★またそれを図顕された曼荼羅本尊
2008年10月号 大白蓮華 「報恩抄」講義より
★万人の生命に本来、具わる尊極の生命を一人一人に自覚させるために
★大聖人己証の尊極の生命をあらわされた本門の本尊
いずれにしても、「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候・・」
の大聖人の御本仏としての「御魂」です。
通称「戒壇様」も、というより「戒壇様」こそ、大聖人の「御魂」そのものです。
破門後、17年経過して、他の学会員は知りませんが、少なくとも私は
当たり前のように、★印で認識して納得していますし
>『日蓮大聖人の出世の本懐とされる弘安2年10月12日建立の日蓮正宗総本山大石寺にある本門戒壇の板曼荼羅大御本尊を
>通称「戒壇様」とお呼びして一閻浮提総与の「本門の本尊」たる大御本尊とし、これをめぐる様々な論争を指す』
様々な論争のことは、現実感がありませんでした。
論争そのものの是非は、わかりませんが、創価学会員として、
★印の、本門の本尊の定義は、真摯に受け止めるのが、正常な姿だと思います。
- 459 :もくれん:2008/12/15(月) 19:09:00
- ロムの方へ
>>452
私は沖浦さんが言わんとしていることは、貴方より深く理解しています。
彼は、本迹を「立場」論で捉えていますね。貴方はお分かりでしたか?
誤解を恐れずにいえば、仏の出世の目的を考えれば、「人本仏迹」も間違いとはいえなくなるのです
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://www2.ezbbs.net/33/amagian/
天城氏論文より
すなわち、「本迹の相違は水火天地の違目なり」と明言されておられる。
後加文の多い「百六箇抄」にも、「本迹を分けて勝劣を弁える事」と言明されているのみならず、同様に「本因妙抄」に至っては、「本迹勝劣を知らないものは師子身中の虫」とまで言われている。
ここで両書の真偽を論ずる意志はなく、須らく大聖人の御精神として受け止めていきたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本迹の使用に関しては「我見」は、排していきたい。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1226090096/420
本迹もそうなんです。
****さん。
例えば大聖人様と私共。
身体は仮のものですから迹ですね。
恐れ多いので私で説明いたします。
大聖人様もおなじですよ。
○○○○と言う人間。
これはこの世での仮の姿です。
ですが命は妙法なんですね。
この身体は迹。
次に生まれる時は違う身体です。
★・・空・仮・中 の 三諦の「仮和合」の「仮」を「迹」に使っている・・
これは、空・仮・中 の知識のある人がみれば、わかること。
某氏の「人本仏迹」論の「本迹」そのものが、最初から迷走しているわけだ。
- 460 :もくれん:2008/12/15(月) 19:23:36
- ロムの方へ
>>455
この「戒壇様本懐論」は沖浦さんの姿勢を理解するためには、必要不可欠の通過点なんですよ。
関心も興味もなく、貴方は沖浦さんと対話したのですか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ロムの方も、
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/9645/1217511921/1
これは、読んでいると思います。
もし戒壇様がご本懐というなら具体的な文証が必要でしょう。
先日質問会でもでましたが、聖人御難事は文証にはなりえません。
あの御書は2年10月1日。
戒壇様は12日。
時系列で文証にはなりません。
その12日間で色々蓮祖がご準備をされた。との説は、単なる推測です。
ご本仏さまのご本懐を推測で決めることは誤りだと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★この日付のことは、近年の「御書の世界」で、はっきりしています。
いえいえ、近年でなくても、はっきりしていたのですが、更に
先生自身の講義で、明白ですね。
普通の学会員は「脱講活動」はします。
しかし、法華講員と「法論」になると、御本尊様のことを、「突っ込まれる」
らしいですね。
例えば、日寛上人御書写の御本尊様を「ニセ本尊」とか・・
しかし、宗門は、御本尊を信徒支配の道具として「利用」したのであって
御本尊様そのものに、何か問題があるわけではありませんね。
この関連は先生のスピーチに、たくさんあります。
某氏の「人本仏迹」論が、この「戒壇様本懐論否定論」から派生しているのは
推測されますが、破門前後の先生のスピーチを熟知していれば、迷路に入ることは
なかったでありましょう。
- 461 :もくれん:2008/12/15(月) 19:30:25
- >>455 梅さん
遅くなりましたが、こちらの勝手な申し出に、応じていただき
ありがとうございます。
>リアルでも、一時交流が途絶えていた友人でも
>ふとした機会に思い出したように対話することがありますね。
>そういうことでもあったら、沖浦板においで下さいませ。
>ネットをやめない限り、そこに常駐しています。
>>沖浦板においで下さいませ。
沖浦さんが、「人本仏迹」論を、撤回した時は、お言葉に甘えさせていただく
こともあるかもしれません。
短い間でしたが、ありがとうございました。
梅さんも、お元気で。
- 462 :説教オヤジ:2008/12/15(月) 19:39:44
- もくれん殿
云わんとしている事がはっきり伝わらないのじゃが。
弘安二年のご本尊は、「本門戒壇の本尊」なのか?
そうではないのか?
- 463 :もくれん:2008/12/15(月) 23:21:56
- >>462 説教オヤジさま
>云わんとしている事がはっきり伝わらないのじゃが。
>弘安二年のご本尊は、「本門戒壇の本尊」なのか?
>そうではないのか?
まさしく、話題の金原氏の本が、そのようなことを書いていたらしい?
のでしょうか?
私は、その件は、関心はありません。
全て、先生のスピーチで納得しています。
破門後、学会公式の記述からは「戒壇」の文字は消えて、
>大聖人の出世の本懐である一閻浮堤総与の大御本尊が信心の根本で
>あることは、これからも少しも変わらない。
http://jbbs.livedoor.jp/study/7888/storage/1215745197.html 124
先生の平成5年頃のスピーチですが、
更に、出世の本懐については
http://jbbs.livedoor.jp/study/7888/storage/1215745197.html 136
斉藤・・また、この時、併せて日興上人に送られた御手紙(伯耆殿等御返事)で
大聖人は裁判における具体的な注意を与えれています。
この御手紙の日付は 10月12日 となっています。
大聖人が大御本尊を御図顕された日と同じです。
名誉会長・・大聖人が「聖人御難事」を認められ、出世の本懐を遂げられる
ことを宣言されたのが、10月1日 です。
法戦の全魂の指揮を執られながら、一方で大御本尊御建立の準備を
していかれたと拝せられる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
梅さんとの対話でも書きましたが、私も正本堂へ何度か行き、御開扉を
受けました。ど真ん中のあの大きな大御本尊様が、「弘安2年10月12日御建立の出世の御本懐の
大御本尊様と信じていましたし、金原本で、「その真偽」が、書かれているのでしょうが
私は、興味も関心もありません。
弘安2年10月12日御建立の大御本尊は「なんらかの事故」がないかぎり
どこかには、あるのでしょうが、もし、大石寺の戒壇様が「偽」である場合、ですが
いずれにしても、邪宗の寺にある以上、もはや、関知しても仕方ないと先生の
スピーチで学んでいます。
ただし、大聖人さまが、全人類のために、出世の本懐として「大御本尊建立」の
事実は事実として、厳粛に受け止めています。
- 464 :粛坊:2008/12/15(月) 23:24:00
- >>455
梅さん、お疲れ様でした。
- 465 :もくれん:2008/12/15(月) 23:48:46
- >>463 説教オヤジさま 追加です
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1226090096/114
2008年9月29日付けの聖教新聞「秋季彼岸勤行法要での名誉会長のスピーチ」
師弟会館の 「創価学会常住御本尊」
関西の池田記念講堂の「関西常住御本尊」
「法華弘通のはたじるし」1243P
との指導を引かれて、詳しく語られている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは、ネット上のある方の意見でヒントを得たのですが、
先生が「法華弘通のはたじるし」との発言は、深いと私は思います。
- 466 :プリン:2008/12/16(火) 01:39:41
-
横レス失礼。
「戒壇本尊」の意味は、「(広宣流布の暁に)戒壇堂に御安置すべき御本尊」の意味でしょうから、「戒壇堂」たるべき存在として学会が寄進した「正本堂」が破壊された今日では、“学会の”公式文書から「戒壇」の文字を削除したというのは当然なのだと思いますよ。
ちなみに、「弘安2年10月12日」御建立の大御本尊を大聖人の出世の本懐とする学会の捉え方は未だ不変です。
http://www.sokanet.jp/sg/FWIM/sn/member-support/studying/data_library_01_10.html
また、「本尊」の意義についての学会の公式見解は、創価学会会則変更に際しての斉藤教学部長(当時)の見解を参考にして下さい。
キーワードは、『分身散体』です。
http://page.freett.com/sokagakkai_komei/shukyou/dpj_sokagakkai.html
(ネット上での引用先は、不適切ながらこれしか見つかりませんでした。)
- 467 :説教オヤジ:2008/12/16(火) 02:05:31
- もくれん殿
ごちゃごちゃ理屈はいらぬ。
どっちなんじゃ。
弘安2年のご本尊は
「本門戒壇の本尊」なのか?
「出世の本懐」なのか?
- 468 :風凛 ◆WZ6GWnJ9nY:2008/12/16(火) 06:49:43
- もくれんさんへ。
大御本尊に関して貴女がおっしゃるように、興味・関心が無いのなら、以前市丸さんのブログとその記事について勝手に邪義と認定し・削除した方がよいとの言葉は間違いですよ。まずは貴女が主張した言葉「市丸さんが邪義を書いた」という事をもくれんさんが証明しないといけない事でした。
私がやりとりしていた内容は、「市丸さんの記事に対してではなく・ネットマナーに関してだった」のでそこまで突っ込みませんでしたけど。
もくれんさん自身が大御本尊に関心無いなら、他人のブログ記事を勝手にもくれんさんの考えだけで曲げて解釈し邪義と認定し・他所でそれを引用するなんて事はすべきでは無かったんですよ。
私のスレッドで流れに沿って触れるつもりでしたが、先にこの事だけ書いておきます。
関心無いなら、最初から他人の書き込みには口を出さない事です。
- 469 :もくれん:2008/12/16(火) 07:58:22
- >>466 プリンさん
情報ありがとうございます。
- 470 :もくれん:2008/12/16(火) 08:23:19
- >>467 説教オヤジさま
弘安2年のご本尊は
「本門戒壇の本尊」なのか?
これは、私も正本堂へ行った時はそう信じていました。が、今は
http://ranhou.hp.infoseek.co.jp/jyuyo.htm
、「観心の本尊」という日蓮大聖人の御本尊の本義から言えば、御本尊の
護持、弘通(ぐずう)の資格は、「信心の血脈」を受け継ぐところにのみある。
ゆえに、現代においては、「信心の血脈」を受け継ぐ創価学会にこそ「御本尊
授与」の資格がある。
・・この創価学会の方針を素直に受け止めていますので、・・・
>金原本で、「その真偽」が、書かれているのでしょうが
>私は、興味も関心もありません。
つまり、御本尊については、仏意仏勅の創価学会の指導どおり、素直に
受け止めていけばいいことで、日常において、そのことで考える必要は
ないと思っています。それよりも、化他行の実践こそが最第一のことと
認識しているという意味です。
>「出世の本懐」なのか?
これは、先生の「御書の世界」の講義どおりです。
弘安2年10月12日に、大聖人が出世の御本懐を遂げられた。
出世の本懐としての大御本尊建立・・その通りに受け止めています。
- 471 :プリン:2008/12/16(火) 08:29:48
- >>468
横レスにて失礼します。
風凛さん、おはようございます。
先日は、ご丁寧にもご挨拶を戴きながら返礼もできず、大変に失礼致しました。
*****
最近、風凛さん(&市丸さん)のご主張を一読する機会がありましたが、その御主張にはちょっとムリがあると感じました……。
少なくとも私には、何故にもくれんさんをそこまで責めるのか理解に苦しみます。
ちなみに私は、市丸説は沖浦説に非常に近いとの印象を受けています。
市丸さんはブログのなかで、
まず、大聖人の出世の本懐につき「法華講は」と対比の語句を使って「戒壇本尊本懐論」を紹介し、あわせ「十月十二日」に絡む不都合性を指摘し批判しています。
続けて、「では、何をもって大聖人様は」云々として自説である「信徒本懐論」を展開していますよね。
とすれば、両者が相反する関係にあるのは明らかで、市丸さんは「戒壇本尊否定説」に立つのだなと読者に理解されると思いますよ。
少なくとも私はそう認識しました。
でなければ、「十月十二日」の不都合性を指摘した意味もなくなりますしね。
ちなみに、沖浦説の柱は「戒壇本尊否定説」ですね。
市丸さんのこのブログ記事のテーマは「出世の本懐」です。
また、市丸さんは本文で大聖人の出世の本懐が「題目&曼陀羅本尊」であることを御書を引用しつつ紹介し、その上でコメント欄では大聖人の「最も重要な」教義を「題目」と主張されていますから、曼陀羅本尊の優位性をここから導き出すのは困難と考えます。
勿論、出世の本懐論と三大秘法論とは一応は次元の違う話ではありますが、
「一大秘法=本門の本尊」論の最大の根拠が「出世の本懐=戒壇本尊」論であることは明らかなのですから、これと対立する市丸説は「一大秘法=本門の題目」論に親和度が極めて近いことになりませんか?
もし仮に、「出世の本懐≠戒壇本尊」とされながら「一大秘法=本門の本尊」とされるなら、その根拠は何でしょうか?
市丸説が「「考えよう板」が参考になっている」とされるのもちょっと気になりますよね……。
少なくとも私は、「考えよう板」は戒壇本尊否定説が席巻していた印象を受けています。
以上から、少なくとも私の読解力では(笑)、市丸説は沖浦説に非常に近いとの印象を受けています。
もっとも、市丸さんと沖浦氏との最大にして決定的な違いは、寧ろ御自説への態度にあるのではないでしょうか。
沖浦氏は、「戒壇本尊本懐論」&「一大秘法=本門の本尊論」を『邪義』であると“断定”しています。
一方で、市丸さんはあくまで「私見」であることを付記して論を展開されていますから、教学探求の姿勢としては市丸さんが正しいのはハッキリしているのです。
市丸説に批判が生じなかった大きな要因の一つもその為ではないかと考えます。
- 472 :風凛 ◆WZ6GWnJ9nY:2008/12/16(火) 09:32:49
- >>471
プリンさん、おはようございます。
プリンさんのレスを拝見してですが、もくれんさんの市丸さんの記事に対する「読み間違い」とプリンさんのご主張は、異なる意味を持っていると思いました。
誰かの人生を考えた場合、その方の人生を時系列追わずに一部のみ取り出して論じてしまうと、「何か一部分のみ突出」してしまいかねません。
プリンさんはもう一度、「日蓮大聖人様の闘いの生涯を 『時系列を追って』縦に並べて」学び直されて下さい。
そうしたら、私が言おうとした事と、「もくれんさんを責める事目的では無い」事・私がもくれんさんを責めているようにプリンさんが受け取った事が果たして本当にそうなのか?・・・という事分かってくると思います。
まず、「時系列追って」大聖人様のご生涯に触れ直して下さい。
それでも私が伝えたい事が分からない場合ですが。
いずれ近々ブログ主が自分から説明する事あるでしょう。
生意気な発言については申し訳ありません。
これにてプリンさんへのこの件は、失礼致します。
- 473 :風凛 ◆WZ6GWnJ9nY:2008/12/16(火) 09:57:56
- >>472
追記。
私が市丸さんの記事について、「初めて記事を拝見し 当時感じた事と私の受け取り方」は、以前書いたように、市丸さんご本人が何か書かれる機会が出た時に書きたいと思っております。
論じる事ありきか?と感じる場所では無く、落ち着いた場所で気持ち込めて触れたい事ですから。
私のブログでその事触れる機会出来たとしても、熱原について触れる事にもなると思うので、それを題材にされてる方々いますから、時期過ぎてから・・・というのもありました。
では。
- 474 :雨煽り:2008/12/16(火) 10:13:32
- 戒壇はなくなってません。
表に出なくなっただけ
事の戒壇は広宣流布を意味します。
広宣流布はなくならないでしょ。
事です。
- 475 :影:2008/12/16(火) 19:17:25
- 横レス、亀レス、失礼します m(__)m
社長の説の出所がわかりました。
魚拓取っておきました!
http://s04.megalodon.jp/2008-1216-1903-08/www.geocities.jp/yamasan40web/breaksokaism/0102.htm
- 476 :説教オヤジ:2008/12/16(火) 19:46:46
- >>470 もくれん殿
弘安二年の大御本尊は、
出世の本懐ではあるが、本門戒壇の本尊ではない。
という事なのかな?
- 477 :粛坊:2008/12/16(火) 21:45:32
- >>475
影殿、なるほど(笑)。
出処はそんな処か。哀れなりけりじゃのう。
- 478 :もくれん:2008/12/17(水) 11:32:30
- >>476 説教オヤジさま
>弘安二年の大御本尊は、
>出世の本懐ではあるが、本門戒壇の本尊ではない。
>という事なのかな?
そのような質問の仕方をされると、NOとは言えないわけです。
例えば、先生の「観心本尊抄」講義・・当然破門前ですが・・
この三大秘法総在の御本尊こそ、弘安2年10月12日御図顕の本門戒壇の
大御本尊であることは、言うまでもありません。
「聖人御難事」に明らかなように、日蓮大聖人の出世の御本懐はここに
尽きるのであり、末法万年の人類救済のために、完璧に法体は確立せられたので
あります。
こういうことを知っています。
しかし、近年の学会公式出版物からは、「本門戒壇の御本尊」の
表現は、当然ですが、ありません。
一閻堤浮総与の大御本尊・・この表現ですね。
問題は、弘安2年の御本尊がいわゆる「戒壇様」かどうか・・ですね
ですから、私はそう信じていましたよ。多分そうだと思いますね。
「鑑定」ということも、あながち「笑い話」にはできず、
今は「DNA鑑定」の時代です。生物体の場合ですが。
ただ、あえて、創価学会の「現在の表現方法を素直に受け止めたい」ですね。
続く
- 479 :もくれん:2008/12/17(水) 11:46:19
- >>478の続き 説教オヤジさま
話は飛躍しますが、末法万年といいますが、例えば、1万年後、10万年後
100万年後、一億年後、「成住壊空」を、免れる物はありません。
その意味でいえば、「戒壇様」とて、例外ではありません。
その時の「日蓮直系教団」の教義表現としては、
弘安2年10月12日、御本仏日蓮大聖人は出世の御本懐であられる
一閻浮堤総与の大御本尊建立・・としか記すせないはずです。
恐れ多い言い方ですが、「実物」が、いつかは「成住壊空」に則るのは
宇宙の法則であります。
ここまで、書いて疲れました。
いったん送信します。
- 480 :もくれん:2008/12/17(水) 12:02:59
- >>479の続き 説教オヤジさま
成住壊空・・・に関連して・・・
先生の「御書の世界」では、「仏の真意を顕す文字曼荼羅」ということを
詳しく講義してくださっています。
この「文字曼荼羅」ということが、大変重要なことだと思います。
「御本尊様」については、個人的には「こう思う」は、ありますが
「自由な議論」は、大変すばらしいのですが、「完全オープン」な掲示板では
非常に危険だと思いますので、このくらいで・・・
いずれにしても、私は創価学会の公式見解に「素直に謙虚」に
ありたいと思っています。
創価学会公式出版物の「表現方法」に、納得しています。
★ 自宅のパソコンが使えず他の場所から送信しています。
★ 数日間、ネットができないので、その旨よろしくお願いいたします。
- 481 :もくれん:2008/12/17(水) 12:13:32
-
>>474
戒壇はなくなってません。
表に出なくなっただけ
事の戒壇は広宣流布を意味します。
広宣流布はなくならないでしょ。
事です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>>358
そして、南無妙法蓮華経への不信を互いに戒め、大法の弘通と立正安国の実現を誓い合う和合僧を築きゆく「本門の戒壇」。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「戒壇様」のことが梅さんとの、話題でしたので「戒壇」が話題ではありません。
一応、お間違えにならないでください。
- 482 :備前:2008/12/17(水) 13:09:34
- こんにちは、もくれんさん
>>478・>>479・>>480
拝見して思うこと、書籍に頼りすぎでありオヤジ殿への回答はなし
>そのような質問の仕方をされると、NOとは言えないわけです。
言えばよろしいのでは、ないですか。
オヤジ殿の聞いているのは、もくれんさんの一念(?)の置き所だと思います
一般的には「弘安二年御図顕の出世の本懐御本尊=戒壇御本尊」ですよね
それが、素直に出てこず書籍に頼り答えを、はぐらかそうとする(そのように感じるもので)
揺らいでないですか?(^^;
「戒壇御本尊出世の本懐」説・「戒壇御本尊非出世の本懐」説であろうがもう少しシャッキとして下さい。
>話は飛躍しますが、末法万年といいますが、例えば、1万年後、10万年後
>100万年後、一億年後、「成住壊空」を、免れる物はありません。
>その意味でいえば、「戒壇様」とて、例外ではありません。
>その時の「日蓮直系教団」の教義表現としては、
>弘安2年10月12日、御本仏日蓮大聖人は出世の御本懐であられる
>一閻浮堤総与の大御本尊建立・・としか記すせないはずです。
上記、もくれんさんが生きていられるの別ですが、その時代の人間が考えるべきの問題で
もくれんさんが考えられても仕方の無いことです、蛇足だと思います
第一、そこまで人類が存続しているかどうかも不明ですよ。
>「御本尊様」については、個人的には「こう思う」は、ありますが
>「自由な議論」は、大変すばらしいのですが、「完全オープン」な掲示板では
>非常に危険だと思いますので、このくらいで・・・
ですから、オヤジ殿は「御本尊様」については質問されておりませんよ(^^;
「自由な議論」は、よろしいのではないでしょうか危険因子ってありますかね?
ただ教導的姿勢・決めつけ・悪口雑言・罵倒等の行為がなければ良いのではないかと思いますが
それと「あ〜この人間はこう言う考えなんだ」と理解する姿勢があればOKでしょう
結構、蛇足交じりでキツイ事を書き殴ってると思いますが、御検討のほどお願いいたします
- 483 :説教オヤジ:2008/12/17(水) 13:21:08
- もくれん殿
気持ちは解らないでもない。
そう解釈をしたいと思う事も、もちろん解らないでもないが、
それでは自分の立ち位置が明確ではなく、自分の足元が固まらないままに
‘本尊’を論ずる事になる。
‘本尊’を尋ねるならば、それでも構わないが、
仮にも‘論ずる’のならば、まずその前提に‘本尊’に対する自身のスタンスを明確にする必用があるはずじゃ。
それでは相手には伝わらず、ある程度から先は平行線のまま、議論が交わる事は決してない。
それはそのままロムする者に対しても同じ事が言える。
結局何が言いたいのか、伝わって来ないのじゃよ。
>しかし、近年の学会公式出版物からは、「本門戒壇の御本尊」の
>表現は、当然ですが、ありません。
>一閻堤浮総与の大御本尊・・この表現ですね。
確かにそうじゃろ、じゃからと言って、
>この三大秘法総在の御本尊こそ、弘安2年10月12日御図顕の本門戒壇の
>大御本尊であることは、言うまでもありません。
>「聖人御難事」に明らかなように、日蓮大聖人の出世の御本懐はここに
>尽きるのであり、末法万年の人類救済のために、完璧に法体は確立せられたので
>あります。
この部分が、訂正されたわけでもなく、ましてや変更された訳でもない。
で、あれば、現時点では紛れも無く先生のこの指導がすべてなのじゃよ。
それ以上の事は考える必要も無く、それ以下として捉える必要も全く無い。
邪教日顕宗が旗を揚げた事と、我が創価学会が創立以来、大聖人の精神を引継ぎ実践する事とは
次元の違う事。
三大秘法の本尊が変わる事はない。
- 484 :説教オヤジ:2008/12/17(水) 13:24:44
- もくれん殿
もう一つ聞いておきたいのじゃが。
今回の「梅」氏とのやり取りで、何か得るところがあったのだろうか?
- 485 :粛坊:2008/12/17(水) 18:25:30
- ワシも梅氏とは未公認板で何度か対話したがどうしても噛み合わない。
その原因をある対話の中で見つけた次第。
寺信心という言葉がある。学会は良い意味では使わない。
見守っていたつもりであったが、何度口を挟みたかったか(笑)。
結局、彼は沖板に住むしかないのだよ。
- 486 :雨煽り:2008/12/17(水) 21:00:49
- あんまりよけいな事かきこむと…
怒られるのか・・・・・・・・・・・・・しゅん…
理屈がそんなに大事なのかなぁ…
大事なのは信心、題目上げることじゃない?
わからないことがあれば、わかるようになるまで
題目を上げきる…
それが一番大事なことじゃないのかなぁ
理屈や理論がわかっても、それは信心なのかなどうなのかな
法華講や顕正会は理屈や理論それはそれはよくしってるよ
また怒られるかなぁ〜
- 487 :ひでき:2008/12/17(水) 21:10:54
- >>485
「意見に対して是々非々」ができない方々の傾向については、他板でも度々出てきましたが。
>寺信心という言葉がある。
具体的には?
言わんとしていることは、私が受けた宿題の答えにつながることかも知れません。
- 488 :備前:2008/12/17(水) 23:08:15
- >>486
こんばんは、そしてお初です、雨煽りさん
何を意気消沈されてます?
自分が感じた事を書き、相手もそれに感じたことを書く
掲示板と言うところは、そんなところですよ。
愛のスル−をかまされるよりは宜しいのではないですか(笑
悪口・めり(漢字がでない(^^;)・罵倒がなければOKと言うことで
脳天気に行きましょう(笑
- 489 :粛坊:2008/12/17(水) 23:21:22
- >>488
そうですよ(笑)。私なんかどれだけ叩かれたか…。
意見交換の場だと思えばどうってことない。協議会でさえ喧々囂々ではありませんか。
- 490 :雨煽り:2008/12/17(水) 23:39:18
- >>488>>489
はははっ…
心しておきます…(笑
創価系のスレで、私がレスるんは此処だけでして
理由は、他所は自己紹介なんて面倒臭いことが必要みたいで
此処なら自由かなぁ〜
って思った次第です。なにぶんPC初心者なものでして…(泣)
よろしくお願いします。
- 491 :粛坊:2008/12/17(水) 23:49:24
- >>490
ワシは自慢じゃないが掲示板の世界はたかが5か月!
ネチケは知らんわ、ダブハンなんてそんなに悪いことなの?ってとこから始まりました(笑)。
それで随分叩かれましたが、すべて肥やしになったと思ってます。
なにかあったら、当板には「お仕置きコーナー」がありますから(笑)。安心して下さい。
- 492 :雨煽り:2008/12/18(木) 00:03:41
- >>491
なぁ〜んだ5ヵ月かぁ〜
ならネットでは私のほうが先輩だ…なぁ〜んて
5年くらいケイタイで…
最近ケイタイを変えたらネットが使い難くて、
で、PCにした訳です。
でも、書き込みに時間がかかりすぎて…(泣)
- 493 :雨煽り:2008/12/18(木) 00:59:41
- >>491の続き
粛坊さん5ヵ月でそんなに普通に使えるようになるものなのですか?
それとも粛坊さんだから5ヵ月でよかったのですか?
何かいい方法とかコツとかあったら教えてください。
- 494 :粛坊:2008/12/18(木) 01:18:35
- >>493
雨煽りさん。
私はPC歴もたかが10年未満ですよ(笑)。
昔、オフコンってのがあって会社で使いましたけど。
青年部時代、パソコンを使って、きれいな名簿や、資料作成をしたいと思ったからです。
ですからネットは二の次でしてもっぱらワード・エクセルでした。ローマ字入力もその時からです。
それからアルバイトで名簿・文字入力しました。それが一番の近道ですね。趣味と実益が絡むと早い(笑)。
- 495 :粛坊:2008/12/18(木) 01:43:01
- >>487
ひできさん。
U氏とは、以前御本尊の開眼で対話しました。しかし平行線をたどり、最後は
幹部臭(笑)のする書き込みであると言われ、そこでこちらから中断しました。
で学会歌の話題をしたのですが、その際に、以前お寺の敷地内に住んでいてその題目が
自宅(借家)に聞こえてきて悩んだそうです。で「日顕宗の寺院ですか?」と聞いたら
そうではないとのことでした。そこの敷地から出なきゃならん時に悩んで題目をあげたと
伺っております。
またU氏は幹部不信があり、組織にもぬぐい難い不信感が感じられた次第です。
寺信心(笑)については別枠で述べます。
- 496 :雨煽り:2008/12/18(木) 02:20:46
- >>494
会社にオフコン…うらやましぃ
私はもっぱらワープロばかりでした
出たばかりのカラーワープロ、オプション含めて50万円…(泣(泣(泣)
次もカラーワープロネット付き20万円…(泣(泣)
その次…
もうワープロ製造していない…(泣)
で、PCになった訳です。
入場券作るためだけでカラーワープロにしていました。
『一枚なんぼやねん!!』
って話でした…(笑)
ワープロは簡単だったのにPCは手強い・・・
- 497 :粛坊:2008/12/18(木) 02:47:36
- >>496
ワープロ(笑)。懐かしい響きですね。
実は私もパソコン買うかワープロで悩み、結局カラーワープロ(モデム別売り)
カシオの買った記憶があります。サクラ電器で。
カラーのリボンがまた高かったですね(笑)。
- 498 :雨煽り:2008/12/18(木) 03:29:47
- >>497
はははっ…
粛坊さん、もしかして世代、同じくらいかも…ねっ
- 499 :はぐれ雲 ◆HHaU7zEjNg:2008/12/18(木) 06:37:01
- >>492>>493雨煽りさん。
キーを早く打てるようになるには、やはり練習しかないですね。
両手で打つと早くなります。
これで練習してはいかがでしょうか・・・。
インターネットでタイピング練習。
http://www.e-typing.ne.jp/index.asp
私はPC歴2年半ですが、現在Cランクです。
基本はこのe-typingで練習し、文章は掲示板でなれるように練習しました。
お陰で、誤字だらけ、変換ミス連発、間違えながらも上達してますよ!
- 500 :ゴンちゃん ◆JktPtoesQ2:2008/12/18(木) 06:44:40
- お早うございます!この500、戴きます。。。朝からハッピーな私です。。。
イエ〜ィ〜(^^)
- 501 :はぐれ雲 ◆HHaU7zEjNg:2008/12/18(木) 07:45:30
- しっかしゴンちゃんさんは勇気あるな〜、私は遠慮してしまいました・・・。
- 502 :雨煽り:2008/12/18(木) 20:43:24
- >>499
はぐれ雲さんありがとうございます。
お気に入り登録して練習しますね。
- 503 :説教オヤジ:2008/12/18(木) 20:53:10
- >>502
ここにも居たのか?
ここじゃないじゃろ。
仕置きコーナーか、やまいぬ氏歓迎スレじゃ。
皆、待つちょるぞ。
- 504 :ひでき:2008/12/18(木) 23:36:20
- >>495
亀レス、失礼致します。
あの時は、たしかにそうでした。
悪と闘う時には怒りを持ってという点で、粛坊さんとやまいぬ。さんは共通したものでした。
私も、そう考えることに、同意するものであります。
ですので違和感をおぼえたことは言うまでもありませんが、あの当時は、そういう人もいますよねですませておりましたが。
あの時の反駁は、テーラワーダに対する怒りのとらえ方と相似しているように、私には思えました。
それが、私が感じた違和感なのだと思います。
宿題については、今ここで起きていることで頭が痛くて課題にまで手が届いていないのが現状です...
>寺信心(笑)については別枠で述べます。
わかりました。
- 505 :粛坊:2008/12/18(木) 23:40:44
- >>499
はぐれ雲さん、私はeタイピング、一応上級者レベルですぞ(ニヤリ。
- 506 :はぐれ雲 ◆HHaU7zEjNg:2008/12/19(金) 04:21:38
- 粛坊さん
そうですか、私は五十音順だけがBランクです・・・、トホホ。
でもタッチタイピングは早く打とうと思えば思うほど間違えますね!
昨日久しぶりに文章練習しましたが、なんとーDランクでした(笑)地道な努力が必要ですね〜(しませんが・・・)。
- 507 :粛坊:2008/12/19(金) 16:22:58
- >>506
で、試験受けたら落ちました(笑)。
もっとランク下げればよかったと思います(反省)
- 508 :梅:2008/12/19(金) 22:12:59
- 粛坊さん
こんばんは
私への批判はご自由ですが、正確さを欠けば単なる非難になりますよ。
経緯を知らない人は誤解されたままになる恐れがありますので、投稿をお許し下さいね。
>>495
>U氏とは、以前御本尊の開眼で対話しました。しかし平行線をたどり、最後は
>幹部臭(笑)のする書き込みであると言われ、そこでこちらから中断しました。
沖浦板「粛坊さんと語るスレッド」より
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
梅:2008/09/30(火) 20:22:22 ID:c9X/3p/A0
粛坊さん
>どうも「机上の空論」の体を成してきたようです。
そうですか。
では、この対話を終了しましょう。
>梅さんも自分が「難」を呼ぶ信心をおこす事・切に願います。
貴方に言わせると、「難」といえるかどうかわかりませんが
今から30年ほど前になります。私はそれまでの人生で最大の選択を決断した経験があります。
(このようなネットでは、具体的書く気はありません)
当時の生活状況は、経済的にも精神的にも泥沼の状態に追い詰められていました。
特に精神においては、少し変調もきたしていたと思います。
その時の一番の問題は、「信心をとるかどうかどちらか一つ」という選択を突きつけられたことでした。
その結論を出すから3ヶ月待ってくれと頼んで、きっちり百万遍の唱題をしました。
初めてというくらい必死な気持ちでしたね。
(もっとも、結論は最初から決まっていましたが、私自身が納得することが必要だったのです)
唱題しながら、どうしても心に沸き起ってくる、消しようのない憎しみや嫉妬や怒りや不安や
その他もろもろの何やかやと戦うように、御本尊様に向かっていました。
「なんでや〜」って悔しいときもあり、ご近所中に聞こえる大声だったのは
やはり、少し変でした。それを思い出すとちょいと恥ずかしいですね。
でも、そればかりではないでしょうが、直ぐ奥のお寺の住職さんの勤行の声が聞こえるようになり
心の中で密かにですが、面白く思っていましたよ。
(その当時は、寺の土地を借地していたのです)
そんな経験があるので、「憎しみ」や「恨み」とか負(マイナス)の感情を
あたかも当然のごとく平気で言うのには、今でも抵抗があるのです。
それが、どんなに酷いものか、心底から知っているからです。
「それをいっちゃあ、おしましさ」と思ってずっとやってきました。
貴方の邪悪との戦いで言う「憎しみ」とは、たぶん違うのでしょう。
しかし、言葉として言えば同じです。
今でも、その時の唱題の実践は、私の精神的な支えになっています。
題目をあげて、問題を解決する、口で言うのは簡単ですね。
ときには、解決しないじゃんなんてグチだってでます(誰にも言いません)
しかし、このときの経験があるから、信心をやめるわけにはいかないのです。
最後に一言、貴方の私へのレスには、私の嫌いな幹部臭があります。
たぶん、それは貴方の本来の人間性ではないと信じたいです。
貴方の経歴とか法華講とのネットでの書き込みで、知らず知らずのうちに
培われて来たものかもしれません。
しかし、それを感じてるのは私だけかもしれません・・失礼しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私たちの対話は、「憎しみ」論でした。
貴方は肯定、私は否定でしたね。
しかし、貴方は他スレで「疲れた」とか、私が「心にトゲが刺さった」人なる発言をしていました。
それで、私は対話を止めましょうと申し上げました。
貴方の病気のことも気がかりでしたからね。
次の投稿に続けます。
- 509 :梅:2008/12/19(金) 22:25:11
- 粛坊さん
>>508の続きです
>で学会歌の話題をしたのですが、その際に、以前お寺の敷地内に住んでいてその題目が
>自宅(借家)に聞こえてきて悩んだそうです。で「日顕宗の寺院ですか?」と聞いたら
>そうではないとのことでした。そこの敷地から出なきゃならん時に悩んで題目をあげたと
>伺っております。
>またU氏は幹部不信があり、組織にもぬぐい難い不信感が感じられた次第です。
かなり、いい加減な内容ですね。
以下、貴方と私のやり取りです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
粛坊:2008/10/01(水) 00:06:15 ID:VUuZ458.0
梅さん。
貴方の経歴が良く判らなかったので
どのスタンスで意見を書いたらよいのか
判り兼ねていました。
で結局わかりませんでした。
梅さんは「紅の歌」好きですか。
私は一時期「大嫌い」でした。
女々しい「歌詩だな」と思ったくらいですよ。
丁度私が成人した頃、できた「歌」です。
宗門に対する「邪悪」との歌と勘違いしていました。
具体的には当時の「正信会」ですね。
後にこの歌に秘められた当時の背景が
先生から語られる時代に成り、私も青年部の部員
から幹部になり部員さんのお世話をするようになってから
わかるようになりました。
私も最後に一言書きこんでこの
テーマ「憎しみ」についてはやめます。
私は自分自身の病気から臨床心理学も
ある程度学び、カウンセリングも受け
幹部にも勿論、指導を受けました。
勤行・唱題約一年できませんでした。
しなくて良いとの指導を受けていましたから
全然平気でしたよ。しかし聖教新聞だけ
は読めました。特に創価新報の日顕関連の記事
は痛烈で怒りの矛先が学会とリンク
したのです。そしてそれは自身に対する
憎しみ、怒りだった事も。うつ病は自己否定から
始まりますので。それで私は息を吹きかえしたと
今でも思ってます。また明確な敵が自分にも学会にも
顕れた事に感謝すらしています。
幹部臭があるといいますが(笑)
確かに青年部時代から役職を全うして現在
に至ってますから匂うかも知れませんね。
梅さん、学会の役職は「責任職」です。
それで成仏するわけでもなんでもありません。
どちらにしろ梅さんは理由は定かでは
ありませんが組織・幹部嫌いなんですね。
別なテーマで論じる機会がありましたら。
ありがとうございます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
投稿がエラーになりますので、次の投稿へ区切ります。
- 510 :梅:2008/12/19(金) 22:27:17
- 粛坊さん
>>509の続きです
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
144 :粛坊:2008/10/01(水) 00:11:13 ID:VUuZ458.0
梅さん。
すみません。あと気になった事は
お寺の借地にお住まいであったと。
日蓮正宗のお寺ですかね。勤行の
声が聞こえる距離とは。
さぞかし辛かったろうと察します。
145 :梅:2008/10/01(水) 17:05:09 ID:c9X/3p/A0
粛坊さん
>貴方の経歴が良く判らなかったので
>どのスタンスで意見を書いたらよいのか
>判り兼ねていました。
>で結局わかりませんでした。
そうですか。
「疲れた」と、他スレに書かれていましたね。
私は、言霊を信じ、言葉や文章からその人を見抜く努力をしています。
ダメだと思えば、お相手しません。
>梅さんは「紅の歌」好きですか。
好きなほうですよ。
でも、口ずさむほどではありません。
「日本男児の歌」がありますね。
これを、先生の前で口パクパクでやったことがあります。
バレマシタ。
自分の弱さを知ったときでしたね。
「原野に挑む」をご存知だと思います。
3番では「誓い忘るな」のフレーズが繰り返されます。
私は人生の岐路のとき、テープでこればかし聞いていたことがあります。
思い出して、勇気が必要だった時があるんです。
>どちらにしろ梅さんは理由は定かでは
>ありませんが組織・幹部嫌いなんですね。
このような断定はいただけませんね。
嫌いだけだったら、代配や地区の拠点をやりません。
>お寺の借地にお住まいであったと。
>日蓮正宗のお寺ですかね。勤行の
>声が聞こえる距離とは。
>さぞかし辛かったろうと察します。
いいえ、他宗の寺です。
住職は大学の教授をされている温厚な方でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
御住職さんの寺は、禅宗系ですからお題目を唱えるわけがありませんね。
借地ですが、借家ではありません。私のものです。
立ち退き等も迫られたことはありません。
どうやら、思い込みが強いと、正確性に欠けるようですね。
もう一回投稿を次に続けます。
- 511 :粛坊:2008/12/19(金) 22:36:51
- 梅さん。どうもお久しぶりです。もくれんさんとの対話お疲れ様でしたね。
まずはご挨拶まで。
- 512 :梅:2008/12/19(金) 22:43:47
- 粛坊さん
>>510の続きです。
私たちの対話は、貴方の下記のレスで終わりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
粛坊:2008/10/01(水) 17:48:44 ID:VUuZ458.0
梅さん
今晩は。
昨晩はちょっと書きこむ時間が深夜だったものですから
ちょっと疲れただけです。言霊ですか。それは否定しませんよ。
以前は信じませんでした。病気を患ってからから言霊としか
言いようのない「不思議な体験」をしたからです。オカルト
と勘違いされると嫌なので詳しくは書きません。
幹部ぎらいなのは良くわかりました。私も末端幹部ですが
嫌いな幹部・良く判らない幹部おります。会員すべてそう
ではないですか。うちの婦人部は好き嫌いが特に顕著ですよ。
でもいざ団結となるとまとまるのがまた婦人部であります。
(婦人部でROMされてる方すみませんね。)
「原野に挑む」懐かしい歌です。私は3番のそのフレーズ
で思い出しました。未来部時代に座談会で男子部の先輩が歌って
くれて、子供心にも「誓い忘れてはいかん」と思いました。
「断定した」文は、間違いでしたか。謝ります。
代配・地区拠点提供御苦労さまです。私も以前書きこんだ通り
両方経験しております。
寺院の借地といえば私の住んでる所も寺町です。
四方八方周りはお寺だらけ。彼岸・お盆の時期は
車が渋滞して我々も会館での会合が重なると渋滞に
巻き込まれ遅刻してしまいます。そしてお線香の
においとカラスの襲来が去った後、静けさを取り戻します。
そんな地域に住んで私は43年目です。昔よく言われた事は
活動で成果が出ないのはそんな処に住んでるからだ。
で、頑張って成果をあげると「あのゼロ戦部が!」と揶揄
されたり。でも逃げないで踏ん張ってきました。いまや
総合最優秀地区6年目です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここでも、貴方は私が「幹部嫌い」であると言ってますが
そのように「断定した」ことについて謝罪されています。
対話としては、まま友好的な終わり方をして貴方の良識を示されたといえますね。
しかし、貴方の思い込みは今でも少しも変わらすに
私を
>またU氏は幹部不信があり、組織にもぬぐい難い不信感が感じられた次第です。
としています。
これはたいへん迷惑なことです。
私が沖浦板にいることで、偏見を持っておられる人もいます。
つまらぬ邪推を呼ぶことは、お互いに避けてまいりましょう。
- 513 :梅:2008/12/19(金) 22:55:14
- 粛坊さん
ご挨拶頂きありがとうございます。
『久しぶり』とおっしゃりますが、昨日ですか沖浦板で会話してますよ(笑)
最初の投稿で書いたように、貴方の沖浦版での書き込みが気になってロムしたのです。
ちょっと皮肉ポイ表現の投稿でしたからね。
以前とは、何かが変わられたのですか?
これからも、お互い学会員らしく行きましょうね。
もくれんさんとの対話で、他板では私を「法華講員」だと非難していますよ(笑)
- 514 :粛坊:2008/12/19(金) 23:05:41
- >>513
そうでしたか(笑)。
実は以前とは大きく変わったのですよ。境涯が。
>私を「法華講員」だと非難していますよ
それは言い過ぎですね。どなたがそのように断定していますか?
私がその板に抗議にいってもいいですよ。
まずはお手柔らかに(笑)。
- 515 :梅:2008/12/19(金) 23:19:50
- 粛坊さん
>実は以前とは大きく変わったのですよ。境涯が。
そうですか! 良いことがあったのですね。
その内容に興味あります。是非、教えて下さい。
沖浦版にも、その内容を書き込んで下さい。お待ちしています。
>それは言い過ぎですね。どなたがそのように断定していますか?
>私がその板に抗議にいってもいいですよ。
斧板です。宜しくお願いします(笑)
- 516 :鯖:2008/12/19(金) 23:33:39
- >>515
斧板住人の鯖です。
えっと、検索をかけてみたのですが、梅さんを法華講だと断定した表現は見当たらなかったのですが…
>私を「法華講員」だと非難しています
との該当スレはどこにあるのでしょう?
似たものであれば、2008/12/12(金) 07:32:02の、
斧氏の発言「難癖ぶりが、法華講員そっくりだよ。」というのが見つかりましたが。
これは、違いますよね(笑)
- 517 :粛坊:2008/12/20(土) 01:27:18
- >>515
梅さん、すみません。斧板はホスト規制がかかったままです。抗議の仕様がありません。
幸い、鯖さんがお見えですので聞いてみたらと思ったら一次回答があったようですね。
では角度をかえて梅さん所属の沖板の主がこんな事を仰せです。
>小野さん、もくれんさん、風凛さん、天城さん、やまいぬさん、愚壮さん、河内さん、粛坊さん、京都乃鬼さん、ういろうさん、月の砂漠さん、紋さん、那由多楽人さん、秀樹さん、鯖さん、恋さん、夜桜河童さん。
これらの方々は法華講員による脱会運動を積極的に支援する大謗法を犯しています。
どうしてそのような断定が出来るのか、ただ相手憎しだけでこのような書き込みをする
沖氏をどう思いますか。
- 518 :鯖:2008/12/20(土) 02:00:49
- >>517
社長のお言葉を持ち出したらキリないですが(笑)
こんなのもあります。
24 名前:**** ◆sFO4WcF4K2[] 投稿日:2008/11/16(日) 22:38:30 ID:AJ3hr85o0
天城さん、河内さん、江戸門さん、たちが日蓮正宗の動かぬ証拠があります。
私と絶対に対面しません。
(後、つまんないので省略)
- 519 :梅:2008/12/20(土) 14:55:07
- 鯖さん
はじめまして
対話の前後関係を確かめもせず、したがって、その話がどういういきさつで出たかも分からずに
わずか一回分の投稿の貼り付けの、しかも、貼り付け者のコメント付きを読んだだけで
断定的評価を下すのは短絡すぎますね(これは斧氏への私個人の評価です)
また、そんな書き込みを探し出して、ここに貼る意図はなんでしょうね?
この貴方の投稿がなければ、上記の評価を言う気はさらさらありませんでしたよ(笑)
私が粛坊さんに「斧板です」と言ったのは、文末に(笑)を入れてるのでお分かりだと思いますが
彼がアク禁(?)になってるのを承知の上での、茶目っ気でした。
それから、私は「法華講員」と「断定された」とは申しておりません。
また、粛坊さんが学会員であることは疑いないと認識しています。
その上で、お互いに学会員として恥ずかしくない投稿をしよう(悪口雑言をしない)ということで
「法華講員」と「非難された」ことを取り上げただけですよ。
また、沖浦版にお遊びにおいでなさいな(笑)
- 520 :梅:2008/12/20(土) 15:13:17
- 粛坊さん
>>517
>どうしてそのような断定が出来るのか、ただ相手憎しだけでこのような書き込みをする
>沖氏をどう思いますか。
やたらとお名前があげられていますね(笑)
この中で、私が話した相手はほんの数名で、他の方がどのような方は存じません。
しかし
沖浦さんが、『ただ相手憎しだけでこのような書き込みをする』とは、思えません。
それが私の回答です。
この回答にご不満の方がいらっしゃいましたら、そうぞ沖浦板へいらっしゃいませ。
- 521 :鯖:2008/12/20(土) 15:28:39
- >>519
梅さん、どうもです。
まぁ、斧氏への梅さんの評価はご自由ですので、存分にどうぞ(笑)
それより、貴方相当おかしいですよ(笑)
あなたは、「私を『法華講員』だと非難していますよ」と明確におっしゃった。誰が読んでも、「梅=ホッケコー」と誰かが言った、に聞こえますよ。
しかも、わざわざ管理人さんが「それは言い過ぎですね。どなたがそのように断定していますか?」
と確認された後でさえ、「斧板です」と。
「(笑)」なんかで茶目っ気だしても、言い訳になりませんよ。
あなたは、「それは言い過ぎですね。どなたがそのように断定していますか?」と問われた時点で、「いや、断定ではありませんよ」と言うべきだった。
スポーツ紙の見出しじゃないんだから、わざと誤解を招くような表現はやめて下さい。
あと、「そんな書き込みを探し出して、ここに貼る意図はなんでしょうね?」とのご質問なんで答えときますが、
それは、二つあります。
一つは、もし斧板で問題発言があったとすれば、その問題度を吟味し、管理人さんと一緒にどう対処しようか考えようと思ったこと。彼はアク禁ですから、削除要求などは鯖が行うほうがいいですからね。
もう一つは、今述べたように、あなたが事実をすりかえてわざと誤解を与えるような表現をしたのであれば、指摘をしなければ、と思ったことです。
結果は後者の方だったようで、残念です。
私自身、正直いえばあなたの発言は斧板に転載されたものも、読んでいませんし、あなたを批判するつもりもありませんでした。
しかし、上記の誤解を与える表現は、一住人としても、「斧板に嫌疑をかけてスマン」と一言侘びを入れてもらわないと、気がすみませんね。
あ、多分あなたは「斧がホッケコーっぽいと言ったことが原因だから斧が悪い」みたいなスリカエの言い訳をするでしょうから釘さしておきますけど、
それは御自分で「斧の迷妄を破す」スレでも立ててガンガンやればいい話で、これとは別ですからね。
もう一つ、別板への招請はマナーが悪いですよ。
- 522 :梅:2008/12/20(土) 17:25:37
- 鯖さん
>「(笑)」なんかで茶目っ気だしても、言い訳になりませんよ。
言い訳ではありません。
粛坊さんが「抗議に行ってもいい」という私へのお心遣いと
斧板というギャップがなんとも可笑しかったのです。
それが、その投稿を書いたときの正直な気持ちです。
>あなたは、「それは言い過ぎですね。どなたがそのように断定していますか?」と問われた時点で、「いや、断定ではありませんよ」と言うべきだった。
「法華講員」といわれるのは心外でしたね。
その気分を抱いての投稿ですから、その際は「断定」の文字はそれほど気になりませんでした。
>もう一つは、今述べたように、あなたが事実をすりかえてわざと誤解を与えるような表現をしたのであれば、指摘をしなければ、と思ったことです。
>結果は後者の方だったようで、残念です。
事実は投稿の通りです。一つも曲げていません。
ですから、すり替える意図なんてありませんよ。
『わざと誤解をあたえて』もありません。
私がそんなことして、なんの得になるのですか? ないもないですよ。
しかし、貴方が貼り付けた意味は了解しました。
>私自身、正直いえばあなたの発言は斧板に転載されたものも、読んでいませんし、あなたを批判するつもりもありませんでした。
>しかし、上記の誤解を与える表現は、一住人としても、「斧板に嫌疑をかけてスマン」と一言侘びを入れてもらわないと、気がすみませんね。
『難癖ぶりが、法華講員そっくり』は評価の問題かもしれませんね。
しかし、私はもくれんさんに難癖をつけたわけではないですよ。
対話の前後関係を承知していれば、このような発言はなかったものと認識しています。
ですから、私自身は「法華講員」と非難されたと受けとめています。
>あ、多分あなたは「斧がホッケコーっぽいと言ったことが原因だから斧が悪い」みたいなスリカエの言い訳をするでしょうから釘さしておきますけど、
>それは御自分で」スレでも立ててガンガンやればいい話で、これとは別ですからね。
わざわざすり替えしての言い訳なんぞはいたしません。
理由は上記の通りです。
したがって、「斧の迷妄を破す」なんてスレはご免こうむります。
>もう一つ、別板への招請はマナーが悪いですよ。
そうですか?
もくれんさんとの対話も、この板への彼女のご招待を受けて始まりました。
その程度の、認識しかありませんでしたよ。
ましてや、貴方へは「遊びに」ですからね。
しかし、「招請」と誤解されたようですから、撤回いたします。
- 523 :もくれん:2008/12/20(土) 18:07:13
- >>483 説教オヤジさま
>この三大秘法総在の御本尊こそ、弘安2年10月12日御図顕の本門戒壇の
>大御本尊であることは、言うまでもありません。
>「聖人御難事」に明らかなように、日蓮大聖人の出世の御本懐はここに
>尽きるのであり、末法万年の人類救済のために、完璧に法体は確立せられたので
>あります。
この部分が、訂正されたわけでもなく、ましてや変更された訳でもない。
で、あれば、現時点では紛れも無く先生のこの指導がすべてなのじゃよ。
それ以上の事は考える必要も無く、それ以下として捉える必要も全く無い。
邪教日顕宗が旗を揚げた事と、我が創価学会が創立以来、大聖人の精神を引継ぎ実践する事とは
次元の違う事。
三大秘法の本尊が変わる事はない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一応近年の創価学会公式出版物の三大秘法、なかんずく一大秘法についての「表現」は
ご参考までに、掲載します。
本門の本尊の定義 >>458
2002年発行「教学の基礎」ならびに、2000年発行「仏教哲学大辞典」
★日蓮大聖人が胸中に所持されている久遠元初の妙法たる南無妙法蓮華経であり
★またそれを図顕された曼荼羅本尊
2008年10月号 大白蓮華 「報恩抄」講義より
★万人の生命に本来、具わる尊極の生命を一人一人に自覚させるために
★大聖人己証の尊極の生命をあらわされた本門の本尊
もちろん、いわゆる「戒壇様」が、破門前は、「本門の本尊」の定義そのものであった
ことは、知っています。
梅さんのレスにもあるとおりです。
>『本門の本尊とは、弘安二年(一二七九年)十月十二日に御図顕された未曾有の大御本尊のことであり、
>本門戒壇の大ご本尊のことである・・・日蓮大聖人の仏法の根本は本門戒壇の大御本尊である』
続く
- 524 :粛坊:2008/12/20(土) 18:22:02
- >>523
もくれんさん、お久しぶり!(笑)
PCの調子、どうです?
- 525 :もくれん:2008/12/20(土) 18:26:05
- >>523の続き 説教オヤジさま
私は、いわゆる「戒壇様」が「本門の本尊」であることを否定したことは
ありません。
しかし、近年の創価学会公式出版物の「表現」を大切にしたいと思います。
その理由のひとつとして、破門後に入会した方に対する配慮もあります。
破門後の新入会者は、前レスの書籍「教学の基礎」などを研鑽しますね。
「なるほど」と、納得します。
そして、御書の学習会で「聖人御難事」を研鑽します。
弘安2年10月12日、大聖人は出世の本懐である大御本尊建立・・
そこで、求道心から、質問が出ます。
「その、弘安2年の大御本尊さまは、どこにありますか?」
「せっかくですから、拝したいです」
その時に、話してあげればいいと思います。
「大石寺にあるが、すでに、(これこれの理由で)邪教団になってしまたので
その寺に参詣することそのものが、謗法なので、行ってはいけません。
自宅や会館の御本尊さまも同じ功徳があります。」
近年の学会公式出版物の「三大秘法」の「表現記述」を大切にしたいと
思います。
続く
- 526 :もくれん:2008/12/20(土) 18:39:32
- http://jbbs.livedoor.jp/study/7888/storage/1215745197.html
このパソコン使いづらくて、いったん送ります
- 527 :もくれん:2008/12/20(土) 18:43:36
- 説教オヤジさま
>>526の
久遠元初の法
『異文化への理解と寛容を』を賞賛
きょうは、寄せられた識者の声を紹介しておきたい。
私どもの行動に対する「客観的評価」を知っていただきたいからである。
その一人、日本を代表する宗教社会学者の方は、過日、山崎尚見副会長
らとの懇談の折、次のように語られていたという。
同副会長からの報告を、そのまま紹介させていただく。
▼ 池田名誉会長の北・南米の旅(本年1月〜3月)のご成功を、心より、
お祝い申し上げます。本当におめでとうございました。
聖教新聞の名誉会長の記事を、毎日毎日、感動をもって拝見させて
いただいておりました。
▼ 今回、名誉会長が訪問された南米諸国のほとんんどが、カトリックの
国です。その国々で、大統領や大学などから、数多くの顕彰を受けられたことは
それ自体、名誉会長が、異文化への理解と寛容性をもたれた偉大な指導者である
証明です。本当に素晴らしいことです。
カトリックの国で日本の仏教者が、これほど評価されことは並大抵の
ことではないと言われている。
普通なら全部、相手にされないか、批判だけである。
それでは広宣流布できない。
その国のために、その国を理解し、その国に尽くしていく。
私は常にその決心できた。
私がこの方と、初めてお会いしたのは、もう20数年前のことになる。
その時の思い出も回想されたという。
▼ 名誉会長と、初めてお会いした時のことは、いまだに忘れることは
できません。その時、名誉会長は言われました。
・・カトリックの人々は、苦難の歴史、苦闘の道を歩まれた。
そうした行動の次元においてカトリックは、私たちの「兄」といっても
過言ではありません。・・
私はまず、その謙虚な言葉に驚きました。
キリスト教は、弾圧に次ぐ弾圧、殉教に次ぐ殉教を経て、世界へと
広がった。近年の日蓮正宗の僧侶のだれが、そうした努力をしたのか。
だれもいない。大聖人の仏法を初めて世界へ流布したのは学会である。
教えの浅深は別として、世界への「行動」のという観点から、私は
「兄」と申し上げたのである。
▼ その折、私は「究極に求められるものはなんでしょうか」と
質問しました。
恐らく「板曼荼羅の御本尊」と答えられると思っておりましたが、
しかし、名誉会長は「久遠元初の法です」と答えられたのです。
▼ このことから、名誉会長が、永遠の根源を求めておられ、
板曼荼羅に、偏狭にこだわっておられないことに、非常に感動し、
創価学会の普遍性と、発展の因を見たおもいでした。
以来、学会への協力を決意し、今日にいたっております。
・・もとより、御本尊が、私どもの「根本尊敬」の対象であられることは
言うまでもない。そのうえで、曼荼羅それ自体は、物体という側面から
いえば永遠不滅ではありえない。当然、そこに計りしれない御仏意が
あられると拝されるが、曼荼羅としてあらわされた「法」は永遠である。
いずれにしても、大聖人の仏法の真髄である、「久遠元初の法」を根本と
してこそ、永遠の妙法流布の道が開ける。この方は、そこに普遍的なものを
かんじたられたのであろう。
出典・・・・池田大作全集 82
小冊子 創価のルネサンス 52
平成5年5月3日 「5.3記念 勤行会」より抜粋
いったん送ります
- 528 :鯖:2008/12/20(土) 18:51:56
- >>522
梅さん、詳細にお返事を頂きありがとうございます。
> 「法華講員」といわれるのは心外でしたね。
> その気分を抱いての投稿
なるほど、私もある板でかなりショックを受けたことがありますので、そのお気持ちは察します。
了解いたしましたので、この件はこれで終了としましょう。
先のレスでは厳しい口調にてお気に触る点がありましたらご容赦願います。
「別板への招請はマナーが悪い」の件に関しては、認識が違うようですね。
私自身は、相当な根拠もなく「文句があったらこっちへ来い」風に誘導する行為は、板主に対して失礼であると認識します。
やるのであれば、ここでできない相当な理由を述べ、板主が「ああ、そうだな。ウチではその話はできないな」と了解させる事が礼儀だと思います。
ちょっと前であればホセ氏が同様の行為をしました。別件とあわせてですが、「悪質なる誘導行為」でホスト規制処分となりました。
相当な処分であると思います。
ついでにいいますと、私は沖板はじめ、多くの板でセキュリティに引っかかり、書き込みできないことが多いです。
したらばでは下記のような規制のON/OFFが設定できますので、全て「許可」にしていただけると書き込みできると思います。
しかしながら、これを許可すると、無用なSPAM投稿が増える可能性もあり、あまりセキュリティを下げることはおすすめできません。
1.Refererを送らないホストからの投稿
2.Proxy経由の投稿
3.Proxy用PORTが開いているホストからの投稿
4.逆引きできないホストからの投稿
5.DNSの正引き⇔逆引きが矛盾したホストからの投稿
6.公開プロキシ規制(BBQ)
7.主要海外ホストからの投稿
- 529 :もくれん:2008/12/20(土) 18:52:00
- 説教オヤジさま
>>527の池田先生の「久遠元初の法」のスピーチは、ご記憶にあると思います。
これは、某氏と対話をするにあたり、その時は、「何が言いたいのか」の探求の
プロセスでしたので、このスピーチはそれなりに意味がありましたが・・・
三大秘法関連の、
近年の創価学会出版物の表現は「法」そのものになっています。
「戒壇様」も、「法」そのものでありますが、やはり、具体的な特定の
対象ではあります。
ご参考までにと、掲載してみました。
使いづらいパソコンなので、いったん送ります
- 530 :もくれん:2008/12/20(土) 19:03:41
- >>484 説教オヤジさま
>もう一つ聞いておきたいのじゃが。
>今回の「梅」氏とのやり取りで、何か得るところがあったのだろうか?
今回の梅さんとの対話の目的は、某氏の「人本仏迹」論の「間違い」に
気づいて欲しいとの目的で、某氏の掲示板からわざわざ梅さんをお誘いしての
対話でした。
現時点では、梅さんとしては、某氏の説を「否定したくない」に
とどまっています。
私としては、悔いはありません。
行為そのものは、正しいことでしたから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
梅さんとの対話が完全終了した時点で、この掲示板を遠慮しますとの
風凛さんとの約束がありました。
梅さんとは終了しましたが、ほかならぬ説教オヤジさまからの
ご質問でしたので、きりをつけてからと思っていました。
パソコンの不具合はともかくとして、「契約履行」との観点から
これで、この掲示板からは、撤退いたします。
説教オヤジさま、お世話になりました。
管理人さんには、別途挨拶はいたします。
- 531 :粛坊:2008/12/20(土) 19:26:41
- >>530
もくれんさん、了解しました。
また、気が向いたら何時でも書き込み下さい。
こちらこそお世話様になりました。
「さよならは別れの言葉じゃなくて、再び逢うまでの遠い約束」
夢の途中(セーラー服と機関銃)の一節でした。
- 532 :風凛 ◆WZ6GWnJ9nY:2008/12/20(土) 19:48:23
- >>530
もくれんさんへ。
私のスレッドの後にこちらを見ました。
最後までこういったやり方いい加減にして下さい。
貴女の行動自由ですが、自由ですよと伝えたとしても、もくれんさんだけの頭の中での解釈押し付けるのはやめて下さい。
- 533 :副管理人Z:2008/12/20(土) 20:14:10
- もくれん様、お世話になりました。また何時でもおこしください。
- 534 :説教オヤジ:2008/12/20(土) 22:59:49
- もくれん殿
最後に大変ご丁寧な説明をありがとう御座いました。
少し、貴女であるが故に言いたい事があったのじゃが、
撤退とあれば、これ以上はいいでしょう。
御疲れ様、また、色々ありがとう。
そして、健やかに。
縁があれば、どちらかで。
- 535 :風凛 ◆WZ6GWnJ9nY:2009/01/10(土) 11:45:56
- もくれんさんへ。
市丸さんが「楠掲示板か市丸さんのブログのどちらでもよいから来て下さい。」とおっしゃって来ました。
市丸さんの「ある記事」の事についてです。
現在、もくれんさんが問題視し「沖浦さんと同じ。邪義・削除した方が良い(趣意ですが、ログは私のスレッドの過去ログにあります)」とおっしゃった「記事主」がネット上にいます。
市丸さんご本人がいつでももくれんさんと対話可能だという事を、もくれんさんにお伝えしておきます。
「市丸さん本人ではない」私では納得出来なかった事は「ご本人の」市丸さんに自分から意見して下さい。
今からでも遅くはないと思いますよ。
お互いに話せる部分を確認しながらの対話を、穏やかに対話出来るスタンスの方同志なら可能と思います。
誤解があればそれも確認出来るでしょうし。
なお、私は市丸さんの信条で学会から逸脱したものを感じませんので市丸さんに意見すべきものは、現時点では持ち合わせておりません。
もくれんさんご自身が他人に依らずに自分で確認すべきものと思い書きました。
下記は私の事について。
>「仏法の真髄・御書」スレッドの118
で書きましたが、もくれんさんがネットで書き込みする・しないはもくれんさんの自由です。
ネットでも場合によってはスルーも有りですが、「根拠を明示する」スタンスのもくれんさんが約束の件を以前書き込みなさった以上「風凛と約束したから粛坊さんの掲示板を失礼した」と、私が約束していない事を「した」とおっしゃった件だけは説明求めます。
私にも見落としや抜けがあれば説明やお詫びも可能です。
「何を言われてもびくともしません」だの、「掲示板やネットやめる」だの、もくれんさんがしがちなそういった返答はしないように。
次元が違う返答です。
約束の件だけは説明求めます。必ずするようにお願い致します。
以上です。
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