週刊ポストが藤沢数希の顔写真を掲載しないので、皆さんの「知る権利」に答えて、代わりに私が載せます。2012年8月に、私のところに電話をかけてきた、藤沢数希と思われる男性の写真です。「この人が藤沢数希」と言われると非常に説得力のある美男子です。声も深みがあって魅力的です。
もしあなたが藤沢数希だとしたら、言いたいことがあります。どうしても私を妻にしたいなら、他の女を全部切ってください。
私は2014年まで、あなたのことを待っていたのです。2013年2月に松山で自殺未遂をし、「福岡で人と会わなくては」と言ってグランドハイアット福岡を発った後、音信不通になったあなたのことをずっと心配していました。もしどこかで息絶えていたら、私が亡骸を探しに行き、責任を持ってご遺族に引き渡す覚悟でいました。
その年の夏のお彼岸、あなたは軽井沢から電話をくれましたね。その後も、私はあなたを待っていました。もしあなたと再会したら、政治家にするつもりでした。他に男も作らず、ずっと待っていました。
あなたは新著の『損する結婚 儲かる離婚』で一夫多妻なんて言っていますけど、よその国の結婚制度なんて、こちらの知ったことではないのです。ここは日本です。自分の身勝手な欲望を押し通すために、横車を押してはいけません。そういうことをやっていると、いざ政治家として出馬するときに、皆さんから不審な目で見られるのです。
森岡さんが『無痛文明論』でこんな良いことを書いています。ちょっと長いですが引用します。
大人同士のあいだでは、「条件付きではない愛」はなかなか成立しにくい。好きな人を選ぶときには、私はその人に対して何かの条件を付けているはずである。顔がかわいいから好きになったとか、態度がやさしいから好きになったとかである。(中略)
自分の枠組みだけは死守しながら、問題がおきたときにはつねに相手の方に折れてもらって、つじつまを合わせようとしてきた私というものが、崩壊するチャンスなのだ。
好きな人とのあいだで、このような正面からの衝突を繰り返し、自己の枠組みの解体を繰り返すうちにわれわれは長い迂回路を通りながら、少しずつ「条件付きではない愛」の世界へ接近していくのだ。ほかの誰とも経験できなかったような自己解体と自己変容の「歴史」を、二人の間で積み重ねていくことによって、二人の関係は、ほかの何ものによっても置き換えることのできない「かけがえのない」ものになってゆく。ここに、「条件」を脱する手がかりがある。
私はあなたに出会った。そして、一度きりの人生のなかでお互いにかかわりあい、同じ目線で相手のことを知ろうとし、味わおうとし、好きになり、憎み、相手に疑問をぶつけ、相手から疑問をぶつけられ、そうやってお互いを突き崩しあいながらもけっして一方的に逃げることをせず、そういうプロセスのなかであなたも以前の自己を解体させて変容し、私もまた以前の自己を解体させて変容してきた。そのような時空をかけがえのない一度きりの人生のなかで共有してきた、そのあなたが、いま私の目の前にいる。ほかの誰とも経験したことのない深さにまで下りていって自己と相手の存在を問いなおし、味わいつくし、舐めあったその時空と歴史は、もうほかの誰によってもとりかえることのできない、まさにかけがえのないものである。そのようなことを共有したあなたが、いま目の前にいる。そのあなたを前にして、私は、あなたのことを愛していると言う。このような関係性を貫き続けてきたすべてのプロセスの必然的な結果として、いまこの時空に、私とあなたがいる。
そのあなたが、今どのような人間であろうと、私は、私とあなたの歴史性の全プロセスの結果としてここにいるあなたの存在を承認し、肯定し、祝福する。「ある条件を満たしている者なら誰でもよかった」という初発の思いは、もはやどこにもない。このような時空と歴史性を共有してきたところの、あなたでなければならないのだ。私の生に決定的に食い込み、私の存在を突き崩し、そしてあなたもまた私によって崩されていった、そういうあなたでなくてはならないのだ。二度と繰り返すことのできないかかわりあいのなかで、自分たちが陥っているなにかの壁を突き抜けるために、自分と戦い、相手と戦い、ずたずたになり、ぼろぼろになり、もうこんなのはやめようと思い、でもしぶとくその戦いを潜り抜けるなかから、ある確信が満ちてくるということ。存在を掛けた戦いの中で、私があなたの核心部分にある軸と出逢い、新たな私自身に出会うということ。そのような戦いを共有しえたあなたという存在を、いま私は無条件で肯定する。
このようなかけがえのない歴史性を共有することによってはじめて、私は「条件付きではない愛」へと限りなく接近することができる。(P.69)
一夫一妻制の枠組みの中で、人格的陶冶を続けることには深い意味があるのです。私はあなたとそれをしたかった。
かつてブログ『金融日記』は、ヘッジファンドを営む藤沢さんが、プライベートで趣味でやっていたブログでした。しかしだんだん人気が出るにつれて、PV数が増え、メルマガも創刊されました。その絶頂期にあなたは私のところに電話をかけてきました。
外資系金融の終わり―年収5000万円トレーダーの悩ましき日々
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しかし、あの2013年の私の暴露ブログであなたの勢いが衰えたようでした。その後、あなたは恋愛工学を書いて、男性読者に女性を傷つけるよう扇動しました。そして千葉大集団強姦事件が起きてしまいました。私はこんな非道を許すまい、もうこれ以上傷つく女性がひとりでも出てはいけないと思い、自分なりに闘ってきました。
藤沢数希に告ぐ。あなたはネタギレです。今後、再び活躍するためには、私をお嫁さんにするしかないのです。政治家をやりたいなら、身の回りをきれいにして、裸一貫で出直す覚悟を決めなさい。そうでなければ女性票を集められないのです。この社会で人様に信用して頂くためには、ちゃんと筋というものを通さないといけないのです。あなたは長年の炎上商法によって社会的信用がありません。みそぎをしなさい。