The Piano Teacher
これねえ・・・・いろんな解釈が出来てしまうだけに、感想が全くまとまりません。
15年以上前の映画で、いろんな解釈も出揃っているのに、それでも自分なりの落としどころを考えあぐねて、頭を抱えてしまうのは何なのじゃろ~か。
この映画に限らず、ハネケ映画を見てしまうと、少なくとも3日はあとをひくのが常なのですが、よろめきつつでもそれなりの着地ができればまだいいほうで、アタイごときの理解力では、更に3日モンモンとするハメになり、もう、本当にもどかしい。
ということで、今回は、この映画を未見の方にとって、なんじゃこりゃー!みたいな支離滅裂な感想になると思います。
一方、とっくに鑑賞済みの人にとっては、「こいつアホか?」ってなると思うので、「そうなんですよ、アホを助けて!」とあらかじめお願いいたします。
まぁ、正直なところ、解釈作業はもう投げていて、ただ美女とイケメン描かずにはいられなかったので、人助けと思って見てってもらえたら嬉しいな・・・・、って感じです。
あらすじ
エリカは、母親の強烈な支配のもと、ピアノひとすじに生きてきて、ピアノ教師として中年にさしかかっている女性です。
母親の支配をくぐりぬけ、「ポルノショップに立ち寄って、前客の残したティッシュをスーハー」とか、「カップルが、車でいたしておる現場を覗きつつ、たまらず放尿」ってぐらいの息抜きを行い、母親とのがんじがらめの共依存状態に、酸素を補給している毎日でした。
そんなある日。
日常の閉塞感、精神を病みかけた神経質な気配を濃厚に漂わせつつ、そうなりに安定した生活を送っていたエリカに、突如人生を狂わせる出会いが訪れます。
とある演奏会で、出合った若く美しい青年からの、まっすぐで情熱的な求愛。
ぶっちゃけ、これは、そこからはじまる、ラブストーリーを、覗き見るお話なんだと思います。
ただし、ハネケ作品なので、当然「えええええ?」という展開が、これでもかとばかり、たたみかけてくるのです。
■続き
感想
もしもエリカを、イザベル・ユペール以外が演じていたら、アタイとしても、こんなに困らなかったと思います。
ワルターとの、出会いのシーンからもうアカン。
キラキラおメメのワルターは、演奏会の余興的に、シェーンベルグを弾くつもりだったのが、エリカとの会話によって予定を変更、シューベルトのピアノソナタ、イ長調を弾くことで、ぐいぐいと攻めてきます。
演奏は見事で、エリカの気持ちを逆撫でしつつ、ぐっと惹きつけてしまいます。
そんなこんなで、2人のラブストーリーが始まるのですが、なんというか、エリカの奇行が痛ましいのです。
アタイは、この人はなぜ、そう行動するのか?という疑問が解決しそうでしない映画がけっこう好きなので、もし、エリカがイザベル・ユペールじゃなかったら、エリカの性癖に対しても、「まあそんなこともあるわなぁ」と済ませることができたはず。
だけど、エリカはイザベル・ユペールなんですよね。
だからして、かなりこじらせた性癖の人、っていうより、ピアノに対してしたように、男女の関わりをポルノから「学習」したのかもしれない、と思いました。
その学習で得た知識を、実践に移そうとしたのが、あの手紙だったとすれば、その後ワルターに、文面どおりにそうされて、思わず抵抗してしまう理由が見出せる気がします。
ワルターに対する関心が、恋愛なのか、発情なのか、学習なのか、またどのように心境が変化したのか、エリカ自身、自覚なく、ただ翻弄されたのかもしれない。
今、アタイに言えるのは、この映画のブノワ・マジメルがあまりにも色っぽく、ワルターとしては残酷だったな、ということぐらい。
最後のシーンで、ワルターはエリカを突き放し、エリカは己の心臓に当たる場所を切りつけて、おそらく現実と向き合って、なにはともあれ一歩を踏み出したのかな。
う~ん、やっぱしよくわかんないなぁ・・・。
ハネケ監督、深いからなあ・・・。
みどころ
トイレのラブ(?)シーンがとんでもなかった。
美しいというか、醜いというか、なにこれ?というか!!
ぶっちゃけ、男性が見たら、耐えられんシーンちゃうやろか!
どうでもいいけど、「キラー・コンドーム」の ウド・ザメル出とるよ。
「ピアニスト」データ
- La Pianiste
- The Piano Teacher
- 2001年フランス
監督
- ミヒャエル・ハネケ
キャスト
- イザベル・ユペール(エリカ)
- ブノワ・マジメル(ワルター)
- アニー・ジラルド(エリカの母親)
- ウド・ザメル(ブロンスキ)