年を重ねるごとに、兄貴にも親父にも似てきたって。
阿川 立ち入った話で恐縮ですが、松方さんのパートナーだったと報じられている山本万里子さんも密葬にはお出になったんですか?
目黒 はい。そうです。これも本人の意向だと思いますが。とにかく迅速に密葬を済ませました。
阿川 そうですよね。ぜんぜん漏れることなく、見事に隠されたなという印象がありました。
目黒 うん、遺体をみると、体はけっこう痩せていましてね。あまり人に見せたくなかったのかなと想像してます。でも弟の僕が言うのもナンですが、顔はきれいでした。穏やかに、眠っているようで……。このまま仕事場に行けそうなくらい。不思議と顔は痩せてないんですよ。亡くなったという知らせを受けて駆け付けて触ったときにはまだかすかに体温が残っていて……。
阿川 (涙目になりながら)うんうん。
目黒 また戻ってくるんじゃないかと思いましたよね。
阿川 私も父を一昨年亡くしましたけど、まだ温かい身体に触ると、大声で呼びかけたりしたら戻ってくるんじゃないかと思っちゃいましたもん。
目黒 よくわかります。お父さまとは歳が離れているでしょうけど、僕の場合は兄弟で歳も5歳しか違わないから、いつ僕の番が来てもおかしくないなと。
阿川 やめてくださいよ! でも目黒さんとは今日初めてお目にかかりましたけど、松方さんによく似てらして。
目黒 よく言われます。年を重ねるごとに兄貴にも似てるし、親父にも似てきたって。私の個性はゼロかい? って(笑)。
阿川 いえいえ、そういう意味ではないけど。5歳違いって、大人になるとそこまで感じないでしょうけど、子供のころは大きな違いでしたか?
目黒 小学校6年生と1年生ですから、取っ組みあいでよく押さえ込まれてました。
阿川 じゃあ、泣かされてばっかり?
目黒 泣かされるのはしゃくだから、台所へ行って、なにか尖っているものを持って追いかけるんです(笑)。
阿川 武器を持って(笑)。
目黒 兄貴としてはからかってるだけなんでしょうけど、僕はムキになってやり返してました(笑)。でも、学校では兄貴がガキ大将だったので、その弟ということで大事にされましたよ。しかも兄と日々戦っていたから、僕自身も同年代の子と相撲なり、喧嘩で戦っても当然のごとく勝っちゃいますよね。
阿川 そっか、体重の違うお兄さまに日々、鍛えられてるから。ご兄弟で性格は違ったりするんですか?
目黒 子供の頃は僕が社交家で兄がシャイだったんですけど、大人になったら逆転しました。小さいときは父(俳優の近衛十四郎さん)の関係で映画関係のお客様がたくさん家にいらしたんですが、兄はスッといなくなって部屋に隠れちゃうんですけど、僕はみんなに愛想よく挨拶して。
阿川 愛想のいい次男坊。そういえば役者デビューは目黒さんが圧倒的に早いんですよね。
目黒 兄は17歳でデビューしたんですが、僕は6歳で初めて映画に出ました。兄は引っ込み思案でしたけど、僕は撮影所を遊び場代わりにしてるから、そこそこ可愛がられるわけです。すると、「近衛さんのところの小さい子は面白いから、映画に出てみないか?」と誘われて。親父にも「こういう話があるけど、おまえ出る気があるか」と聞かれて、「うん」って迷いなく。
阿川 最初から興味があったんですか。
目黒 映画に近い環境が自然にありましたからね。それで6歳から12歳くらいの間に二十数本の映画に出演するんです。でもそうなると「なんかあいつ違うぞ」って学校の友達との間に距離が出来ちゃう。今の子役はもっとプロフェッショナルでしょうけど、僕は遊びで行ってるようなもんだったので、1度子役を辞めちゃうんです。
阿川 ははあ。資料によると目黒さんはその4年後、16歳でアメリカに留学されてますよね。これはどうして?
目黒 当時、留学ブームじゃないですけど、学校の仲間たちの間で留学している人の本を読んで「留学っていいなあ」という話でけっこう盛り上がってたんですよ。それでたまたま親父と兄貴が所属していた東映の……。
阿川 そうか、もうお兄さまもデビューされてて。
目黒 ええ。東映の映画館がハワイにあって、年に1回ほど日本から役者を呼んで、映画と映画の間に実演でチャンバラを見せてたんですね。それで親父と兄が呼ばれたときに、僕も行きたいと言って、おふくろと自分も一緒に連れて行ってもらったんです。そしたらたまたま、戦後まもなく親父が映画に出られなくて、実演役者として巡業していたときのお弟子さんがハワイに住んでいて、挨拶にいらしたんですよ。
阿川 へえー。
目黒 僕は16歳だったので、留学するにも当然保証人が必要。この人に頼むしかないと思って、親父を説得してハワイに留学できることになりました。
阿川 16歳とは思えない手際のよさ(笑)。
目黒 ちょっと作戦を立ててね(笑)。
阿川 行動的だなあ。で、留学生活は楽しかったんですか?
目黒 それが、自分で決めたことなのに着いて1カ月くらいでホームシックになっちゃって。しばらく我慢してたんですけど、おふくろに「ちょっと帰りたいな」みたいなことを手紙に書いて送っちゃったんですよ。すると、それを親父が読んだらしくて、親父から便せん1枚の手紙が来るんです。
阿川 何が書かれてたんですか?
目黒 「君を信ず」と4文字だけ。これはまいったなあと思いました。怒られたというよりもドーン! とぶん殴られたような。「こんな女々しいことを言ってちゃいかん」という思いにさせられた4文字でした。結局、ハワイには2年数カ月、アメリカ本土・ボストン大学にも約2年いました。
阿川 日本に戻られた理由というのは?
目黒 ボストン大学ではあまり勉強もせず、卒業できそうもないなと思ったのが大きいんですけど、当時ボストンあたりの映画館でも日本映画ウィークというのがあって、そこでかけられている日本映画を欠かさずに観ていたんですね。子役をちょっとやったあと、この世界から離れようと思って日本を飛び出したはずなのに、いつのまにか日本映画を観ている。これはやはり映画の世界が好きなのかなって気づかされたんです。
阿川 それで帰国されて、すぐに俳優の道に進まれたんですか?
目黒 それが、帰国して、「留学記を書いてみないか?」と声をかけていただいたんです。
阿川 あ、本を書かれたんですか!?
目黒 全然売れなかったですけどね(笑)。そうこうしてるうちに「近衛さんとこの下のお子さんが戻ってきたらしいね」って、レコード会社と映画会社ほぼ同時にお話をいただくんです。
(後編に続く)
めぐろゆうき 1947年、俳優の近衛十四郎、水川八重子の次男として生まれる。同志社高校を中退し、アメリカへ留学。帰国後、俳優としてデビューし、数々の時代劇、現代劇の映画やテレビドラマ、ミュージカルに出演。80年、ハリウッド映画『将軍 SHOGUN』ではエミー賞最優秀助演男優賞にノミネートされる。娘の近衛はなも女優、脚本家として活躍。