さて、源家庭で健全な父性・母性を得られなかった場合、代用品になるのはコンテンツです。
しかし草食系男子の男の子は、女性搾取的コンテンツに惹かれるんです。勧善懲悪的なコンテンツには惹かれない(耳が痛いんだと思います)。
森岡さんが『ナウシカ』『エヴァンゲリオン』などの女性搾取的コンテンツを好んで耽溺していたように、その草食系男子の元カレも『乙嫁語り』(森薫)や『うちの妻ってどうでしょう?』(福満しげゆき)が好きでした。超人的な折衝能力を持つお嫁さんがやってきて、自分の仕事の問題も家庭の問題も、セックスもぜんぶやってくれる、というご都合主義のストーリーです。
蔑称で「ハンコ絵」と呼ばれているのですが、似たような美少女キャラクターが大量に出てくるマンガを愛好しているんです。瞳の形が少し違うのと、髪型ぐらいでしか個体が判別できない。画力が低い。こういう粗製乱造の美少女コンテンツが青少年向けにマーケットを確立してしまっている。
おはようございます
— 時星リウス@トキボシ☆リウス ⌛ (@TokiBosi20) 2016年8月4日
本日8月5日は「ハンコの日」です#判子絵 pic.twitter.com/dDy4COSkE3
こうなるとあとは長い長い嗜癖地獄が待っています。DVのように、分かりやすい暴力だと問題として顕在化しやすいのですが、嗜癖だと静かなので、分かりやすい暴力性ではない。アル中やギャンブル中毒だと分かりやすいのですが、ソシャゲー中毒あたりだと分からない。遷延化(長期化)する。
さて、この増田は「なんでそこで女を介すのか?」と宮台・森岡の対談に指摘しています。
私は森岡さんの『無痛文明論』を読んで「奥さん大変だったろうな……」と気の毒でしかたないんです。自分は子育てはしない、女遊びはする、仕事と称してアニメやAVに耽溺する、仕事として周囲の人のことは書く、そして最高の医療で看取られたい等とほざいている。
この増田の言う通り、自立できない男の子が「恋愛したいから」と押し寄せてきても、私たち女にとってはただ迷惑なだけなんです。しかも、女女格差があるので、下層女性のところに負荷が寄る。左上の層(エリート男性)が右下(下層女性)に押し寄せてくる。
このことは活字にならない。マスコミ業界で働く女性は上層女性なので、実感として分からない。
とりわけ表現規制が絡んでいると、マスコミ業界にとってはコンテンツ産業も自社の売上の屋台骨を支える部署のひとつ。また女性は、その業界内では弱者(男性>女性)なので、立場が弱い。女性記者が書いても、デスクが男なので、企画が通らない。
もうネットでブログでやらざるを得ない。
AV強要問題が、なかなか活字にならないんです。今年になって、ようやく朝日・毎日のような、活字メディアの左寄りのほうから、ぼちぼち活字にしてくれるようになった。
ちなみに私は、前述の草食系男子の元カレと「先が見えないから別れたいな」と思っていたときに矢先に出逢ったのが、男らしい藤沢数希(らしき人)なんです。
tsunamiwaste2016.hatenablog.com
こちらが催促しなくても、自発的に会社に行って、ばりばり仕事してくれるので楽でした。PDCAサイクルを自分で回してくれる。あとで考えると、あれはあれで別の嗜癖(ワーカホリック)だったかもしれないと思うのですが。
アラフォーまで、どんな馬齢を重ねてきたかというと、そういう人生を送ってきました。
しかしマスコミは肝心の藤沢数希の顔を報道しないですなあ。昨年12月の週刊文春は、私は「よく書いてくれた」と有難く思いましたが、スクープではないんです。藤沢数希のコメントは載せましたが、本来であれば藤沢の顔写真が必要です。
レイプ事件の報道の場合、加害者の顔写真を報道してほしいんです。「性犯罪をしたら顔と名前が報道される」ということが社会的な犯罪抑止力になるのです。
千葉大集団強姦事件では、当初、加害者の実家が名門だったので、警察が氏名の公表を控えたんです。しかし報道機関が警察批判をして、フライデーが顔写真をスッパ抜きました。これは非常に有意義なことです。商業マスコミは社会正義を代行する必要があります。
その後追いとしての週刊文春は、千葉大集団強姦事件の加害者に影響を与えた「恋愛工学」匿名作家藤沢数希に焦点を当てた記事でした。そこまでやるなら、ぜひ藤沢の顔写真を載せてほしかった。読者としては、それに対して、1冊350円払いたかった。
ちなみに先日週刊ポストセブンが掲載したこの写真は、7gogoの編集S氏と同一人物ではないかと推測しています。
下層女性は自分が食っていくことで精いっぱいです。格差社会で、下層にいるとサバイブすること自体にかなりバイタリティ(というか運)が必要とされるんです。まず安定した雇用が得られないので、キャリア形成がなかなかできない。
マスコミも学者さんも、自発的に自浄してほしいんです。
私は「森岡さんは男フェミだから、自発的に恋愛工学をやっつけてくれないかな」と望みをかけていたのですが、やらない。頼んでやってもらうと「論文を書いたから昔のデートDVはチャラね」という受け取り方をされる。さらに森岡さんから森岡ママの愚痴を聞かされる。元祖草食系男子の自立という最後の「残業」が私の上に降りかかってきた。いえ、それは精神科を受診してください。もうキャパシティーオーバー。さらに『感じない男』で虚偽を書いていたことが判明する。これは森岡さんと筑摩書房の編集者の責任。
これだけ責任転嫁地獄。ああいう人に権威を与えないでほしいんです、早稲田大学は。
「この体たらくはなんだ。こうなったら日本の90~10年代のフェミの検証作業をしてやる」と思って、この数か月、過去の著作を読んで情報収集をしてきた。
一方、藤沢数希は昨日のBLOGOSにこんな記事を載せています。
いつもの炎上商法です。
彼は恋愛工学でデートレイプを推奨し、『損する結婚 得する離婚』で一夫多妻制を推奨し、とにかくDVを助長したいみたいです。こうなると子どもを安定的に育てられる環境がなくなってしまう。
しかしこういう筋道立てた「そこのところを聞きたかったんだよ」というズバリの話が、商業マスコミやフェミニズム学者の中から出てこないことに絶望を感じます。