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行動で愛を証明しよう

藤沢数希「恋愛工学」問題特設ブログ。性暴力・デートDV反対!主に書物の中の性差別表現について考えています。

森岡正博さんの臓器移植の自己決定権の研究に関する疑惑

アカデミズム批判 ジャーナリズム 感じない男問題 森岡正博 自己決定権

『感じない男』を読んで私がいちばん問題視したのは、森岡さんが80~90年代にかけて取り組んだ脳死移植問題関係の仕事のことなんです。

脳死の人―生命学の視点から

脳死の人―生命学の視点から

 

森岡さんは脳死・臓器移植問題の仕事で知られますが、『感じない男』で「12歳ぐらいの少女の肉体を手に入れて、自分の脳をそこに移植したい」という異常な性的願望の告白をしています。

となると、臓器移植問題にはご自身の性的倒錯・アディクションから首をつっこんでいたのではないかという疑問が生じます。女児の死体を合法的に入手するために臓器移植問題に取り組んでいたかもしれない。マッドサイエンティストです。

もし当時「子どもの臓器提供は全面禁止」以外の結論を提出していたら、当時の研究はすべて曲学阿世ということになる。

実際に、森岡さんの当時の著作を確認してみると、子どもの臓器移植推進の立場である。

「子どもにもドナーカードによるイエス、ノーの意思表示の道を」in森岡正博『脳死の人』(生命倫理、臓器移植

法律的観点からすれば、臓器提供の意思表示は、民法の遺言と類比的にとらえられ得るからである。

なぜ日本で十五歳未満の子どもからの移植が認められなかったかと言えば、民法において遺言が可能な年齢が十五歳以上と定められており、法律的観点からすれば、臓器提供の意思表示は、民法の遺言と類比的にとらえられ得るからである。

臓器移植の場合は、民法で遺言が作れる年齢が15歳なので、15歳というのが一つの目安らしいんです。しかし森岡さんは、それ以下の年齢の子供にも、ドナーカードを持たせて、自己決定できるようにしろと言っている。

 しかしながら、私はあえて、これらの考え方に反対する。自分の生命をどうしたいのかを決めることができるのは、子ども本人のみであり、けっして親ではないし、親の気持ちでもない。自分の生命に関する子ども本人の意思表示というものを、われわれがどこまで尊重できるのかが問われているのである。これは、大人がどこまで本気で、子ども自身の声を聴くことができるのか、という挑戦でもあるのだ。(中略)

子どもにドナーカードをもたせると言っても、五歳の子どもにもたせるのはおかしい。しかし、たとえば十二歳の子どもにもたせることは、それほど不合理なことであろうか。民法で十五歳以上としているのは、遺言等に関する規定だからである。(中略)

 自分の脳死と臓器摘出という二点にしぼってしまえば、十二歳の子どもに、合理的な判断能力がないとはけっして言えない。したがって、民法との整合性をつけながらも、臓器移植法で十五歳よりも低い年齢設定を試みることは可能なはずである。
 ここで私が主張しているのは、十五歳未満の子どもであってもこの二点に関しては判断能力と意思表示能力があり得るはずだということ、そしてドナーカードによって彼らの声を聴いてそれを大人は尊重すべきだということ、そしてこのことを大人の場合と同じように移植の前提条件にすべきだということである。

私は恐怖で体が凍り付きました。自己決定権の議論では、必ず「交渉力の差」というものが指摘されます。口八丁手八丁の大人と子どもとが口で闘ったところで、うまく丸め込まれるのがおちです。このことを森岡さんは十二分に知っている。知った上でこんなことを書いているのです。

また森岡さんは12歳という年齢にこだわっている。一方、『感じない男』では、

私の心の底には、まだ自分に男性ホルモンも、筋肉も、体毛も、精液も満ちていなかった、あの少年の頃の体へと戻りたいという思いがある。そしてできることならば、あの思春期の分岐点を、男性ホルモンも、筋肉も、体毛も、精液も存在しない「女の体」のほうへと向かって、大きくカーブしてみたかったという思いが存在する。私はそれらの思いを、何度も意識の底で反芻する。そして、あの分岐点をいままさに「女の体」のほうへと曲がろうとしている十一歳から十二歳の少女の体へと吸い寄せられていくのだ。(P.149)

目の前の少女の脳内をもっとも完全に支配するには、どうすればいいのか。言い換えれば「洗脳」のもっとも完成された形とは、いったい何なのか。それは私自身の脳を外科手術によって取り出し、少女の脳を私の脳と取り替えてしまうことではないかと私は思うのである。(P.100)

悪魔だと思いました。異常な性的願望を隠し持ち、善意を装って、脳死臓器移植問題に首をつっこみ、法律まで変えさせようとしていたとは。

アディクションを患っていたとなれば、当然、有識者として中立性に疑義が生じます。なぜマッドサイエンティストが子どもの臓器移植問題に関与できたのでしょうか? 病識を得たのは後年とはいえ、本書出版後に当時の関係者の間から、彼の有識者としての中立性について疑義を指摘する声は上がっていないのでしょうか?

公共の利益が不当に侵された、国益が害されたのです。彼が当時所属していた国際日本文化研究センターは国の機関であり、国家公務員です。当時の上長や同僚たちは、著者の異常にまったく気が付かなかったのでしょうか?  病んでいる人は全力で問題行動をしますから、周囲はしっかりチェックしてください。研究内容を調査し、問題があれば実績から削除し、研究費を国庫に返納させ、再発防止策を検討するのが筋です。