投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. ひらがなプロジェクト(217)
  2. アルベア論(975)
  3. 正義のあかし(46)
  4. 掲示板の注意事項(1)
  5. 虚構の大石寺疑惑(0)
  6. 2015年安保法制(977)
  7. アラシ行為記録(21)
スレッド一覧(全7)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


ググると

 投稿者:通りすがりの仮面ライダー  投稿日:2017年 4月19日(水)17時19分0秒
  「仏法の魂は行動」でググってみました。

http://www.3colorflags.net/sintyaku3/200410013.txt

---------------以下抜粋-------------

2004.9.29 各部代表者会議での名誉会長のスピーチ

■「頭(こうべ)は妙なり足は経なり」
 一、仏法の魂は「行動」である。いくら教学を学んでも、行動がなければ、
観念にすぎない。御書を「心肝に染めた」ことにはならない。
 「行動なくして、仏法なし!」である。
 御義口伝にいわく。
 「我等が頭(こうべ)は妙なり喉(のど)は法なり胸は蓮なり胎(はら)は
華なり足は経なり」(同716ページ)と。
 南無妙法蓮華経の「経」とは、「足」に当たる。
 私たちは、わが人生の「栄冠の道」を、さっそうと歩み抜いていきたい。す
がすがしい秋の風とともに、勇んで広宣流布に行動してまいりたい(大拍手)。
 一、仏法のため、人々のために動けば、周囲も輝き、自分自身も輝く。
 反対に、自分のことしか考えない利己主義の行動は、周りを苦しめ
るだけである。結局は、自分自身も損をする。
 信心は、「他者に尽くす」ことを教えている。それが、すべて「自分のため」
になる。広布の活動に一切、ムダはない。

■幹部率先の行動が組織を変える
 一、人にやらせてばかりで、「行動」がなくなれば、すぐに老けてし
まうものだ。
 大変なことであればあるほど、自分から、サーッ、サーッと動く。反応する。
若鮎(わかあゆ)のように!みずみずしい心で!
 人に会えば、自分から、声をかけていく。
 「お元気ですか! 」「お久しぶりですね!」と。そうすれば皆もうれしいし、
自分も気持ちがいい。
 組織の上にあぐらをかいて、イヤなことは人にやらせる。そういう幹部であ
ってはならない。
 「幹部率先の行動」によって、組織はいくらでも、生き生きと変わっていく
のである。
 一、人生は、最終章が大事だ。途中がどれだけ良くて
も、最後がどうかで、すべてが決まる。
 周りからどう思われるかではない。納得できる自分自身であることが大切で
ある。
 先輩幹部の皆さま方は、黄金の夕日が赫々と輝きわたるような、
荘厳な人生の総仕上げの日々を飾っていただきたい。

 

通りすがりのライダー様

 投稿者:愉快な仲間達  投稿日:2017年 4月19日(水)16時57分26秒
  感動的な話ありがとうございます
まさに「心の創価学会」です

本日の聖教新聞
寸鉄
「良い事をしないのは悪い事をするのと同じ
  ー牧口先生。仏法の魂は行動に」

これって、変ではないですか?
仏法の魂は「一念」「心」ではないですか?

なんだか
仏法の魂は「駒なること」と言っている気がする

21世紀は「心の時代」
心の時代に相応しい投稿、お願いします

会員は、もう充分に、手弁当で動いてきました
タダで動くのは、風と地震と創価学会といわれるほど動いてきました

一番、頑張るべき人間は、会員ではない!
議員、幹部、職員です!
しっかり、頑張ってください!


 

頑張れハム太郎!!

 投稿者:反板の反板  投稿日:2017年 4月19日(水)16時30分59秒
  「大宏池会」にハム太郎も加わればいいかも。
少しは左に振り子が触れるかも。
友人なくす、弁明だらけの支援活動をしなくてもいいし。

東京は小池・関西は維新・国会は自民
三色カラーのハム太郎も大変な立場だね。
 

執行部と公明党とその仲間達┐(´д`)┌へ

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年 4月19日(水)15時26分35秒
  栃木の久保田です。m(._.)mヽ(^○^)ノ

アメリカ>の子分安倍内閣>執行部原田ちゃん>

公明党!何でもいいなりになるなや(# ゜Д゜)

目には目をか?違う宗教だろ(# ゜Д゜)

 

四国の求道心

 投稿者:通りすがりの仮面ライダー  投稿日:2017年 4月19日(水)14時18分6秒
  「楽土建設の革命児たれ!」ブログ
http://d.hatena.ne.jp/sgi-kusunoki/searchdiary?word=%2a%5b%a1%d6%b9%c8%a4%ce%b2%ce%a1%d7%204%5d

― 求 道 ―
師を求めるにも、求めるすべてを奪われてしまったその悔しさと寂しさ。何もできない今の状況を何とかしたい。

何かをして「池田会長」との心の触れ合いをもちたい。四国の友は閉塞した状況の中で、師を求める道を探った。

そして、一筋の道を見つけ出したのだ。

「そうだ、待つのではなく先生のおられる所がわかっている。そこへ行けばいいんだ。たとえ、先生に来るな。と言われても求め抜くのが我々の信心だ」


K副会長談。

――昭和54年12月、神奈川文化でその年最後の中央会議がおこなわれました。

まだ、Y崎等が大きな顔をして出入りをしており、重苦しい雰囲気の中、会議は終了。

翌朝、先生に御挨拶にうかがいました。私が廊下を通り過ぎようとししていたところ、ある部屋から鋭い電気カミソリの音が聞こえました。

ふと部屋をのぞくと、先生が神奈川文化の7階の窓から横浜港を眺めながら一人、ひげを剃られていました。

周りに誰もおらず、「おはようございます」と元気に入っていったのです。

以下、K副会長と先生のやり取り。

「おはようございます。先生、お願いがあります。この港に四国の同志で船を乗り付けたいのですが、よろしいでしょうか」

先生は、髭剃りの音で船と港しか聞き取れなかったらしく

『何、ここに船を持ってくるので俺に乗って遊べと言うのか?』

「いいえ、そうではありません。ただ遊んでくれと申し上げているのではありません。1万トン級の船で、一千名の四国の同志を集めて先生のもとに来たいんです」

『なに、一万トン級の船で、一千人がこの神奈川へ、この横浜へ来るというのか』

「そうです」 『ほんとうか』

「ほんとうです」 『よし、来い!来い!来ーい!』

この時、廊下を秋谷会長(当時副会長)が通られ、その姿を見つけられた先生は

『秋谷、いいなー』

何も知らない会長は「はい」と。

「じゃぁ、早速帰って準備をします」 『ん、待ってる』

以下、その後のK副会長と秋谷会長とのやり取り。

『なに、船で来る。この寒空の中太平洋を船で来るとは、おまえ、何考えているんだ』

「でも、先生が来いとおしゃっています」

『来いといっても、もし万が一の事があったらどうするんだ』

「天候が悪いから海が荒れているから会長はやめろと言うんですか?」

『そうだ、危険だから言うんだ。何かあったら大変だから言うんだ』

「じゃぁ、お尋ねしますが、横浜港と田子の裏とどの位離れているんでしょうか?ここから田子の裏までが荒れているんでしょうか」

(当時、四国からは登山のため、毎月船が出ていたのです。)

『それもそうだな、田子の裏まできているんだな冬でも』

「そうです、あれは小さいですが今度のサンフラワーは大きいんです」

『わかった、わかったよ』

時に1979年(昭和54年)12月28日のことでした。――

こうして、四国・神奈川交流幹部会は四国の友の燃えるような求道心によって開催が決まったのです。


― 船上幹部会 ―
翌1980年(昭和55年)1月13日参加者は高松港F地区へ終結。

「先生のもとへ行こう」との呼びかけに、チャーターした「サンフラワー7」は、瞬時のうちに定員になったのです。

出港を前に、沖縄付近に優勢な低気圧が発生との予報。

学会本部からは「中止してはどうか」との連絡が---。

この電話に対して、K副会長は「先生にお伝えください。出港いたします。ただし、出港した後は、すべて船長の判断に任せます」とお答えしたものの、出港後、電話でも鳴って航行困難の知らせでも入れば、小豆島を回って帰ってこなければいけないのかと、不安で一杯だったそうです。

数分後に先生より伝言が

「船長の判断に任すの件、了解。待っている」この伝言を聞いて、K副会長は涙が止まらなかったそうです。

こうして、一万トンの「サンフラワー7」は千名の同志を乗せ、先生の待つ横浜港へ向かったのです。

海上は、風速36m。「大丈夫ですか」とのK副会長の問いに、船長は「大丈夫です。沿岸を回っていけば必ず定刻に着きます」と---。


― 神奈川・静岡合同協議会 ―
“船上幹部会”では、意気軒高に語り合われていた。

――本来ならば、池田先生に指揮を執っていただいて、本年の学会創立50周年を盛大に祝賀すべきである。

牧口先生、戸田先生、そして池田先生という三代の会長が築いてくださった創価学会ではないか。

しかし、今、先生に、自由に動いていただくことはできない。四国にお迎えすることもできない。

それならば、私たち四国が、全国に先駆けて、先生のもとへ馳せ参じて、創立50周年のお祝いを申し上げようではないか。

先生がおられるところが、広宣流布の最前線であるのだ――と。

のちに、手書きで書き留められた、その船内の克明な記録を、私は拝見し、心で泣いた。

船には、ドクター部や白樺(女性看護者のメンバー)の方々も、勇んで同行され、同志の健康を見守ってくださった。

創価班や白蓮グループをはじめ、志願の男女青年部の、はつらつたる献身も光っていた。

船内で皆が楽しく過ごせるようにと、“寅さん”の映画(「男はつらいよ」)の手配も、事前に、そっとお願いしておいた。

ありがたいことに、波涛会(海外航路に従事する壮年・男子部のグループ)の方々も、太平洋岸の要所要所の岬に待機して、変化の激しい波の様子を、逐次、報告する体制までとってくださっていた。

四国で留守を守ってくださる同志たちも、皆、たえまなく唱題を続け、無事故・大成功を祈っておられた。

そこには、どんなに嫉妬に狂った坊主らが壊そうとしても、絶対に壊せない「異体同心」の金剛の団結が輝いていたのである。

【神奈川・静岡合同協議会 2006-1-16付 聖教新聞】

― 歓喜の横浜港 ―
1980年(昭和55年)1月14日午後1時前、横浜港大桟橋に到着。

船が接岸するまで、皆は甲板上の桟橋側にあふれだし、あの大きな船が傾いたそうです。

先生は、船の入港をずっと執務室の窓から見守り続けられ、接岸の報が入るや否や、「さぁ出迎えにいこう」と即座に、周囲の方々が置いていかれそうな勢いでエレベーターの方へ向かわれました。

寒風の中コートを羽織り、花束を携え、岸壁まで出迎えられた先生は「よろしくね」と声をかけられ、白蓮グループの代表を通して、K副会長に花束を贈呈。

勇壮な音楽隊の演奏をバックに、神奈川の大勢の同志と共に歓迎されました。

先生は「よくきたね。本当によくきたね。これで21世紀はみえた。ありがとう」

と一気に語ると、ひと呼吸おいて「まさか海からくるとは!」と表情を和らげられました。

海は世界につながる道であり、未来に続く希望の象徴であったのです。

この場面は、翌日の聖教新聞一面トップのニュースに。しかし、掲載された写真には、先生の姿はなく、右腕のヒジから先しか写っていなかったそうです。

K副会長談

港では、神奈川の音楽隊の勇壮な演奏をバックに、先生がコートを着て、花束を持って桟橋まで迎えに来ていただいていました。先生とともに、写真をとっていただきました。

この光景は今も忘れません。

聖教新聞には、先生の手しか掲載されていませんでした。当時、新聞に先生のお姿は出てはいけなかった。その一枚の写真は今もって大事に持っております。

皆土産の一つでも持ってくればいいのに、何も持たずにきたものだから、先生は皆に御馳走してくださいました。歓待につぐ歓待でした。

そして、1時半から、四国・神奈川合同幹部会が劇的に開催されました。

先生は、「良く来たね、本当に来たね」と何回も言われ、“日本一の激励をしたい”と、自ら“大楠公”“熱原の三烈士”“さくらさくら”をピアノで演奏してくださったのです。


午後7時、日帰りのため、帰りの時間を告げると、先生は「もう帰るのか、もう帰るのか、そうか気をつけてな」と名残を惜しむかのように言われました。

帰りの事です。船に乗り神奈川文化の方を見ました。

神奈川文化の明かりが消え、真っ暗なんですね、そしたら、7階の窓の一角から懐中電灯が振られていました。

船に電話が入りました。

「先生が皆さんに、懐中電灯で手を振られております」

私は、見えて初めて気がついたのですが、それより先に気がついた人が何人かいました。

皆「先生!」と言って、手を振っていました。

船内マイクで放送すると、皆甲板に出て、その灯りが見えなくなるまで手を振って別れを惜しみました。


神奈川文化会館の電灯は消され、いつまでも、いつまでも、7階で小さな二つの光がゆれているのが船上から見えていたそうです。


― 随筆『新・人間革命』 ―
思えば、その前年(1980年=昭和55年)、香川、高知、愛媛、徳島の四県の千名の友が、私の待つ横浜の港へ、はるばると白亜の客船「サンフラワー7号」で駆けつけてくださった。当時、“学会丸”に襲いかかる荒波をものともせず、波頭を越えて――彼らは、意気軒昂であった。

 ああ、この尊き同志よ!

 私は、桟橋に出て、お一人おひとりに合掌し、抱きかかえる思いで迎えた。

 広宣流布に励みゆく方々をば、「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」とは、「御義口伝」に仰せの「最上第一の相伝」である。

皆が帰途についた時には、神奈川文化会館の窓辺で、私たち夫婦は、船がみえなくなるまで、懐中電灯を振って見送りもした……。

【庶民の和楽と栄光の四国 「正義の歌よ 世界に轟け!」 1999.3.5】

― 神奈川・静岡合同協議会 ―
当時の宗門に遠慮した聖教新聞の紙面では、「交流幹部会」自体は報じられているものの、四国の同志と私との出会いのことは、一行も記されていない。

しかし、誰人も冒すことのできない、いな永遠に冒すことのできない。荘厳な師弟の劇が厳然と刻まれていたのである。

その後、5月にも、徳島の約1000人の同志、そして愛媛の約1000人の同志が、それぞれ船で、神奈川までお越しくださった。

2回とも、私は心から歓迎させていただき、忘れ得ぬ歴史となった。

のちに、私はこの方々を、「三千太平洋グループ」と命名させていただいた。

学会が一番、大変なときに、私とともに、一番、深く、一番、尊い歴史をつくってくださったのは、四国の友であった。そしてまた、東海道の皆さまであった。

【神奈川・静岡合同協議会 2006-1-16付 聖教新聞】
 

日興上人

 投稿者:一途  投稿日:2017年 4月19日(水)13時42分1秒
  一人のSGI様、史人様、わかりやすい解説有難うございました。
私は日興上人書写本尊賛成の立場ですので波田地氏、保田の論師のご判断には
とても感心しています。日興上人書写本尊を海外のメンバーが先駆けて
御安置されていますので着実に世界広宣流布の土壌が整いつつあると感じます。
創価学会が謗法に走ってしまい、この先私達の手で広宣流布を成し遂げなければならないでしょう。
先生の総仕上げの大切な時に見守られての大きな一手が打てたものと思います。
 

御本尊のお文字の相違

 投稿者:史人  投稿日:2017年 4月19日(水)13時01分15秒
編集済
  佐渡市の指定文化財の中の有形文化財で見られますね。
最近はご真筆のものは各市のホームページで見れるようですが。
http://www.city.sado.niigata.jp/sadobunka/denbun/index.html

ただ、それとは別に真っ白な紙で3つ折りされたものも見当たります。
どこだか知らない住職が自ブログで公開されているものは、弘安元年八月と弘安四年二月のものを日興上人が79歳の頃にお写しになられているようで、弘安四年二月のものは、頭破七分・福過十号などの文字が無いです。
日蓮大聖人が出世のご本懐を遂げられた多くの弟子達があった難の後ではそういう文字は寧ろ不要になった感があるように自分の中では思っています。
御本尊が外にあるものではないからだという記述があるからです。
鏡とさせてくださいという思いで御本尊に向かいつつ、如何に真剣に視線を外すことなくお題目を唱えられるか実践しているところです。
こちらのページでちらりと見えた体感という意識でもないです。

自分の心として妙法を中心にそこから視線を外すことなくしっかり中央のお文字、縦に見れるだけしっかり見てと思うので、頭破七分福過十号のお文字に思いをきたすこともないから、それが弘安四年の御本尊になくとも違和感はないです。
戸田先生は罰についてその人の宿業だと書かれているわけですし、それはお題目を唱えていけば自然に表れるものかなと思います。
これから色々御本尊が新たに作られるようになっても、その点さえ見誤らなければいいように思います。
日興上人はご自分が晩年になるにつれて、日蓮大聖人の御本尊が痛んでいくことを想像されて、はっきりお文字が見れる内にと、形を残されたものと思います。
そのご精神を大切にして、この御本尊の違いをしっかり明記して、後の銘文にすればいいと感じています。
リンク先は控えさせていただきます。(アクセス解析が投入されていてややこしいので)
日興上人曼荼羅で出てきますのでご自由に。(何とか和尚ってなっています)
 

ひかり様へ

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年 4月19日(水)12時46分51秒
  栃木の久保田です。m(._.)mヽ(^○^)ノ

富重さんの戦争体験・・・孫達へ・・・

本当に絶対に戦争をしてはいけない。

安倍内閣がそのような危険にまっしぐらに向かっているなら何としても倒さなければならないと思うのですが、現状はどうだろうか?

少なくとも公明党が、平和の砦として機能しないのであれば庶民の敵だ(# ゜Д゜)潰してしまえ(# ゜Д゜)

向かう先が戦争に向かう可能性のある政策をやろうとしているのに賛成する馬鹿な公明党

『お前ら手弁当で散々お世話に成ってきたくせに』

裏切るのか?

裏切るのか?

裏切るのか?

裏で操る極悪執行部(# ゜Д゜)

もうやめろや(# ゜Д゜)

  
 

さんふらわー7号

 投稿者:賢くなりたい婦人部  投稿日:2017年 4月19日(水)11時12分25秒
  私が一番大好きな先生のお顔です。  

日興上人の書写御本尊

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 4月19日(水)11時08分56秒
編集済
  一人のSGI 様へ  投稿者:りん  投稿日:2017年 4月19日(水)06時26分46秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/67533

りん様
早速の御意見ありがとうございました。

宮田教授の大聖人の教義における見解には同意するものではありませんが、学者として検証している事実まで、耳を塞ぐものでもないことから、私は彼の情報も意義あるものとして、時々、論考の参考にもさせてもらっています。

そして、彼の論考<日興の教学思想の諸問題(2)-思想編>
http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/nikkodoctrine2.pdf
に、菅原関道という方の日蓮真蹟曼荼羅と日興書写の御本尊との比較研究を引用している箇所があります。

以下、引用開始

1-1-1-2 日蓮真蹟曼荼羅との比較

菅原関道の「日興上人本尊の拝考と『日興上人御本尊集』補足」(『興風』第 11 号)によれば、日興書写曼荼羅は、その大きさにより、小さい曼荼羅は十界の列衆が省略された略式本尊であるが、大きい曼荼羅は十界の列衆がほぼ完備している円具本尊であると分類されている。
さらに日興書写曼荼羅の相貌にはいくつかの変遷があるが、「相貌の特徴から推察できる日興上人が書写されたと思われる宗祖本尊」(同論文、p. 336)を、『日興上人御本尊集』と『日蓮聖人真蹟集成』第十巻「本尊集」とを比較して、次のように推定する。

現存する日興書写の最古の曼荼羅である日興書写本尊 No.1 は宗祖本尊を書写したと推定できる。その理由について菅原は「列衆が全同である上、日興上人の拝見を確かめられる上人の添書があり、授与者も『富士上野顕妙新五郎』と近隣であるため、同本尊を後年書写された可能性を
指摘できるからである」(同論文、p. 371)と述べている。

また日興書写本尊 No.5 は宗祖本尊を書写したと推定できる。その理由について菅原は「現存する宗祖本尊の中で『天台智者大師』と記すのはのみである。 7 『竜樹・天親・天台・章安・妙楽・伝教』の六人を記載するのも右の二幅のみで、その上、 『章安』はこの二幅にしか見られない。またこのは共に首題の左に『天台・章安・妙楽・伝教』の四師を記していて、
日興上人の当本尊 No.5 と同じである」(同)と述べている。 また日興書写本尊 No.6,7 は宗祖本尊を書写したと推定できる。

その理由について菅原は「現存する宗祖本尊の内は、宗祖の他の本尊には見られない『龍王女』が在座する唯一の例である。
日興上人の『龍王女』の在座もこの No.6 と次の No.7 のみであり、他の列衆もと No.6,7 は全同であるから、日興上人が宗祖のを書写された本尊が No.6,7 である可能性は濃厚と言えよう。その上、次の日興上人の本尊 No.7 に関わることであるが、『不動』と『愛染』が通例の逆に記される宗祖本尊の二幅の内の一幅がであるから、日興上人の No.7 がを書写された本尊である可能性は高い。

なお、No.6,7 が書写された正応四、五年(AN10,11)は、日興上人は在富士上野であったと考えられるから、同地の大石寺を法燈・血縁上から継がれる日目上人授与の宗祖本尊 を、日興上人が常々拝見されたであろうとの推測は容易である。」(同論文、p. 372) と述べている。
p 6-7

これは『日蓮正宗要義』では、法主は戒壇本尊を物理的に書写しているのではなく、精神的に書写しているという議論が展開されていることを示すが、日興の初期の書写曼荼羅が日蓮の真蹟曼荼羅を物理的に厳密に書写していることに比べると、書写の意味がなくなっていることを示している。
p 7

日蓮の曼荼羅をできる だけ忠実に書写、コピーすることによって、日蓮の曼荼羅と同等の宗教的功徳、罰が生じ ると日興が考えていたのだと理解している。

菅原は、初期の日興の曼荼羅がいくつかの日 蓮の曼荼羅を厳密に書写していることを論証しているが、日蓮の宗教的カリスマを、弟子 たちに伝えるためには、自分の宗教的世界像やカリスマを示す図顕様式ではなく、日蓮の 曼荼羅を忠実にコピーする書写様式が最も有効であると日興は信じていたのだろう。
p 11

以上、引用終わり

上記初段の文中で


>また日興書写本尊 No.5 は宗祖本尊を書写したと推定できる。その理由について菅原は「現存する宗祖本尊の中で『天台智者大師』と記すのはのみである。 7 『竜樹・天親・天台・章安・妙楽・伝教』の六人を記載するのも右の二幅のみで、その上、 『章安』はこの二幅にしか見られない。またこのは共に首題の左に『天台・章安・妙楽・伝教』の四師を記していて、日興上人の当本尊 No.5 と同じである」(同)と述べている。<

とありますが、これは、りん様の御質問

>日興上人が日目上人に授与された曼荼羅、元徳2年に認められた曼荼羅を拝見しましたが
天台、妙楽、章安、伝教が揃って左側に認められてます。
必ずしも相貌が「そっくりそのまま」同じとは思えません。<

。。の回答として

日興書写本尊 No.5 (首題の左に『天台・章安・妙楽・伝教』の四師を記している」)は宗祖本尊を書写したと推定できる。。との結論になるかと思われます。

私は、こういう事に関してエキスパートではありませんが、いずれにしても、御義口伝などを書かれた日興上人の大聖人への忠実な思いに心を馳せるとき、私なりの日興観が湧き上がるだけです。
間違っていることもあるかもしれません。(笑)

あともう一稿、
四種曼荼羅について 高橋俊隆 の論考があります。
http://www.myoukakuji.com/html/telling/benkyonoto/index155.htm

読んでみると、勉強になります。
 

おはようございます

 投稿者:自由の凡夫メール  投稿日:2017年 4月19日(水)09時59分15秒
編集済
  教学が難しい方へ ----- 気づきの「促し」です。

4月3日投稿分(言葉というのは体感しているそのものの二次的なものです)です。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/66946   ←(私の投稿です)


掲示板という性質上、伝達手段として言葉や文章化に頼る事になります。

(自分自身という)観測者の「眼差し」から「現象」を観察すれば、瞬間・瞬間にだだ「起きているだけ」「起こっているだけ」

の感知になります。その後すぐ反応的に「あれ・これ」「ああだ・こうだ」等の「思考」(自我機能)が介入してきます。

まず「思考」を止める・離れてみる事です。「身体感覚の世界の現象」(自己機能)⇒「生命現象」

(ちなみに、きちんとした思考ができない頭が回らなくなった時の「思考停止」ではありません)

自然体で、ありのままを受け入れてみる。「思考・概念」を介入させない体感をしてみるという事です。


私たちのいる世界は、「相対的現象・現実」の世界です。「相対的」というのがポイントです。多種多様でもあるということです。

相対的というのものは、「生命現象」から言えば現象・事象での出来事等で「自他」「主客」等の二者間で「作用反作用」の

働き作用による「正」「反」が常に同時多発的に現象化しています。(今現在も小さな事柄から、大きな事柄まであります)

「正」「反」(差異)=「合」


今の創価も同じく、「相対的現象・現実」の世界です。意識を外または、外界に向ける傾向が強くなっていると感じます。

「内面観察」「自己内観察」に目を向けにくい組織活動になっていると感じます。

聖教に掲載されている体験等の内容はあくまでも「物語」「ストーリー」です。体感した後、言語化しまたその上にアレンジを付け加えた

ものである事もお忘れなく。体感そのものではありません。


--------------------------------------------
It's my life  (Bon Jovi) 歌詞の一部

それが俺の人生だ
今こそそうなんだ
永遠には生きられないんだから
俺は生きてる間生きることを求める
俺のハートはまるで開通したハイウェイさ
フランキーのように言ったんだ
俺は俺のやり方でやったのさ
俺は生きてる間生きることを求めるんだ
それが俺の人生だからさ

----------------------------------------------
 

新・人間革命に学ぶ第11巻

 投稿者:賢くなりたい婦人部  投稿日:2017年 4月19日(水)09時45分54秒
編集済
  「いかに大義名分をつけようが、いかに「正義」を装っても、戦争は人間の魔性の心がもたらした最大の蛮行であり、最大の愚行以外の何ものでもない。
創価学会は、すべての戦争に反対する。
この世からいっさいの戦争をなくすために、
我々は戦い続ける」

…………『新・人間革命』第11巻常勝の章p319……………

「力の平和」だなんて、嘘だ。
広島も長崎もその「大義名分」で多くの多くの人間が
犠牲になったのに。

 

池田先生が語られる54年当時の様子(2)『荒海を越えて四国の友も来た』

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 4月19日(水)09時11分46秒
編集済
  「さんふらわあ7」号。
この言葉を聞いただけで涙する多宝会の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
池田先生と奥様の心に永遠に残り続ける、真実の弟子のエピソード。涙無くしては読めない内容です。
新・人間革命に正しく残すべき創価学会の歴史です。

~~~~~~~

◆荒海を越えて四国の友も来た
 一、今年は、聖教新聞の創刊55周年に当たっている。
 神奈川・静岡の同志も、また四国の同志も、いつも聖教新聞の拡大に健闘してくださっており、感謝に堪(た)えない。
 つい先日の聖教新聞の「声」の欄(10日付)に、あまりにも懐かしく、あまりにもうれしい思い出が綴られていた。
 それは、昭和55年(1980年)1月14日、四国の約1000人の同志が、あの「さんふらわあ7」号で、冬の荒海(あらうみ)を越え、ここ神奈川文化会館に来てくださった歴史である。
 あれから満26年。四国の友は、あの日あの時を原点として、人生の試練を乗り越え、師弟の誓いを原動力に、広宣流布の拡大を成し遂(と)げてこられた。そのことが、感動的に記されていた。
 この「声」を読まれた方々からも、早速、多くの反響が寄せられている。
 あの年は、私の会長辞任の翌年(よくねん)であった。1月13日の午後1時すぎ、神奈川文化会館で執務(しつむ)する私のもとに、第1報が入った。香川、高知、愛媛、徳島の四国全県から、勇んで集った約1000人の同志が、高松港を出航(しゅっこう)したとの知らせである。目指すは、ここ神奈川文化会館の眼前に広がる横浜港。船は、白亜(はくあ)の客船「さんふらわあ7」号である。
 私は、航海(こうかい)の無事安全を、妻とともに真剣に祈った。一人も船酔いすることなく、元気で到着されるようにと、題目を送り続けた。出発したその日、横浜は雪の舞う寒い日であった。東海上(ひがしかいじょう)には低気圧があり、海上は荒れることが予想された。学会本部からは「念のため中止にしてはどうか」という連絡も入ったという。 しかし、もう出航直前だった。合図のドラが鳴っていた。〝出航したあとは、すべて船長の判断に任す〟と決め、旅が始まったのである。

◆〝船上幹部会〟で
 一、〝船上幹部会〟では、意気軒高(いきけんこう)に語り合われていた。
  ──本来ならば、池田先生に指揮を執っていただいて、本年の学会創立50周年を盛大に祝賀すべきである。牧口先生、戸田先生、そして池田先生という三代の会長が築いてくださった創価学会ではないか。しかし、今、先生に、自由に動いていただくことはできない。四国にお迎えすることもできない。それならば、私たち四国が、全国に先駆(さきが)けて、先生のもとへ馳(は)せ参じて、創立50周年のお祝いを申し上げようではないか。先生がおられるところが、広宣流布の本陣(ほんじん)だ。最前線であるのだ──と。
 のちに、手書きで書き留められた、その船内の克明(こくめい)な記録を、私は拝見し、心で泣いた。
 船には、ドクター部や白樺(しらかば)(女性看護者のメンバー)の方々も、勇んで同行され、同志の健康を見守ってくださっていた。創価班や白蓮(びゃくれん)グループをはじめ、志願の男女青年部の、はつらつたる献身も光っていた。船内で皆が楽しく過ごせるようにと、私は、〝寅さん〟の映画(「男はつらいよ」)の手配も、事前に、そっとお願いしておいた。
 ありがたいことに、波涛会(はとうかい=海外航路に従事する壮年・男子部のグループ)の方々も、太平洋岸の要所要所の岬(みさき)に待機して、変化の激しい波の様子を、逐次(ちくじ)、報告する熊勢まで取ってくださっていた。四国で留守を守ってくださる同志たちも、皆、たえまなく唱題を続け、無事故・大成功を祈っておられた。そこには、どんなに嫉妬に狂った坊主らが壊そうとしても、絶対に壊せない「異体同心」の金剛(こんごう)の団結が輝いていたのである。

◆音楽隊と共に花束で歓迎
 一、波涛を越えて、四国の友が、横浜港の大桟橋(おおさんばし)に到着したのは、翌1月14日の午後1時前であった。
 前日とうってかわって、この日は穏やかな陽気となった。
 大聖人は、「当(まさ)に起(た)って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如(ごと)くすべし」という法華経(ほけきょう)の一文を「最上第一の相伝」とまで仰(おお)せであられる。私は大桟橋に立って、花束を抱えて、遠来(えんらい)の同志をお迎えした。
 この私と同じ心で、神奈川県中から集まり、真心の歓迎をしてくださった友の顔(かんばせ)も、私は今もって、忘れることができない。わが音楽隊も、勇壮(ゆうそう)な学会歌の演奏で盛大に出迎えてくれた。
 そのあと、午後1時半から、四国・神奈川交流幹部会が、神奈川文化会館で劇的に開かれた。
 はるばると勇み来(きた)った四国の同志も、誇り高く偉大であった。その同志を勇み迎えた神奈川の同志も、また誇り高く偉大であった。
 私は、ピアノで「大楠公(だいなんこう)」「熱原(あつはら)の三烈士(さんれつし)」など数曲を奏(かな)で、贈らせていただいた。
 心と心の交流が、幾重(いくえ)にも深く、また強く結ばれた。凝結(ぎょうけつ)した黄金の時が流れた。
 そして、その日の午後7時、四国の同志は、横浜港を出航して、帰途(きと)につかれたのである。
 私は、船が見えなくなるまで、神奈川文化会館の窓から、妻とともに懐中電灯を振り続けて、お見送りした。深夜11時半ころと翌朝の9時、私は、船に直接、電話を入れて様子をうかがった。来られなかった方々への伝言も託(たく)した。
 船がついてからも、高知県の方々など、自宅へ戻るまで、さらに長い道のりが続く。妻も、皆さまが全員、無事に帰宅されるまではと、祈り続けていた。
 なお、この時の船長が語ったというお話も、のちにうかがった。
 「初めて、創価学会の方を乗せました。なんというか、言葉では言い表せませんが、本当に爽(さわ)やかな気分です。
 この人たちを、一人も船酔いさせてはいけないと思い、慎重に舵(かじ)をとりました」
 当時の宗門に遠慮(えんりょ)した聖教新聞の紙面では、「交流幹部会」自体は報じられているものの、四国の同志と私との出会いのことは、一行も記(しる)されていない。
 しかし、だれ人も冒(おか)すことのできない、いな永遠に冒すことのできない、荘厳な師弟の劇が厳然と刻まれていたのである。
 その後、5月にも、徳島の約1000人の同志、そして愛媛の約1000人の同志が、それぞれ船で、神奈川までお越しくださった。
 2回とも、私は心から歓迎させていただき、忘れ得ぬ歴史となった。
 のちに、私はこの方々を、「三千(さんぜん)太平洋グループ」と命名させていただいた。
 学会が一番、大変なときに、私とともに、一番、深く、一番、尊い歴史をつくってくださったのは、四国の友であった。そしてまた、東海道の皆さまであった。


池田先生が語られる54年当時の様子(1)『関西が立った! 埼玉も立った!』
http://6027.teacup.com/situation/bbs/67537
 

池田先生が語られる54年当時の様子(1)『関西が立った! 埼玉も立った!』

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 4月19日(水)09時10分50秒
編集済
  公式に販売されている「普及版 池田大作全集 スピーチ2006年(1)」より抜粋します。
絶版になっておりませんので、文証として是非購入して頂きたい本です。
4・24を迎えるにあたり、再度「新・人間革命 大山の章」を再考して頂きたい。歴史に残すべきエピソードであるはずなのに、新・人間革命に掲載できない理由を。

※一部、原文の削除・修正箇所がありました。【 】内ですが、本筋は改ざんされていません。スピーチ原文に沿って掲載します。

~~~~~~~

2006年1月12日 神奈川・静岡合同会議会

◆関西が立った! 埼玉も立った!
 一、私が第3代会長を辞任したのは、この昭和54年の4月24日であった。
 その時、真剣に、「偉大な学会と、宗門を発展させてきた大指導者が、なぜ、会長を辞めなくてはいけないのか」と、馳(は)せ参じた友がいた。
 【藤原武君(現・関西長)をはじめとする関西の七勇士(ゆうし)であった。】
 その目は燗々(らんらん)と輝き、その態度は「必ず自分が師を護る」という強い強い魂が光っていた。
 今、彼らは、悠然(ゆうぜん)として関西で、【最大の】勝利【へ】の指揮を執りながら、戦っている。
 あの時、友は熱い熱い涙を見せた。その光景は一生涯、忘れることができない。
 私は言った。 「新しい時代を必ずつくる。君も一緒に頼む。あとになって、皆が、偉大な仕事をしたと驚嘆(きょうたん)するであろう」と。
 学会を弾圧(だんあつ)した、恩知らずの邪宗門の連中は皆、もう立ち上がれないだろうと思っていたに違いない。心堕(お)ちた学会の幹部もいた。しかし、あとになって、幾人(いくにん)か、「あの時は、本当に申しわけなかった」と懺悔(ざんげ)してきた者もいた。
 関西が立ち上がった。続いて埼玉の同志が立ち上がって、声をあげた。
 「これだけの大功労(こうろう)の会長を、なぜ宗門も、幹部も、辞めさせたのか。『勇退』と言いながら、引きずりおろした。学会の将来は、池田先生がいなくては、めちゃくちゃじゃないか。分裂してしまう」こう憂(うれ)えていたのである。
 「第3代会長を守れ! そうすれば、広宣流布は必ずできる」
 これが戸田先生の遺言(ゆいごん)であった。最高幹部ならば、皆、知っていることである。
 何よりも、日蓮大聖人が「難こそ誉(ほま)れ」「難こそ安楽」と教えられている。
 何があろうと、いかなる波浪(はろう)があろうとも、私は、戸田先生との誓いの道をゆく。平和の道、希望の道、広布の道を、朗らかに歩み抜く。
 一、大聖人の仏法の真髄(しんずい)は「進まざるは退転」である。広宣流布へ前進また前進──そのために、リーダーは心を砕くことだ。間断なく手を打ち続けていくことである。
 戸田先生も、牧口先生も、一面から言えば、本当に、口やかましかった。
 「こんなに細かいことまで」と皆が思うほど、神経をめぐらせた。
 基本に徹し、よき伝統を守ることだ。それをないがしろにすると、あとで困る。崩れていく。
 よき伝統というのは、皆が納得し、安心するものである。正しい指導をたもっていける。
 教育の世界でも、優れた学校には、素晴らしい伝統があるものだ。
 リーダーは、よき伝統を大事にしながら、「堅実な発展」を心していただきたい。
一、 きょう(12日)は神奈川と縁(えにし)の深い四国でも運営会議などが行われている。【これには、高橋四国長、松下四国婦人部長、また四国の方面幹事である西口総関西長と大内東海道副婦人部長らが出席している。】四国の同志とも心を通わせながら協議会を進めたい。


池田先生が語られる54年当時の様子(2)『荒海を越えて四国の友も来た』
http://6027.teacup.com/situation/bbs/67538

 

輝きの人間世紀へ

 投稿者:ダメよダメダメ~  投稿日:2017年 4月19日(水)09時01分56秒
編集済
  池田先生の『輝きの人間世紀へ   御書とその心   』2003年2月16日  聖教新聞刊より。

アメリカの副大統領が言う「力による平和」など絶対に有り得ないし、認めてはならない。
 

わが友に贈る 2017年4月19日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 4月19日(水)07時32分40秒
  一対一の励ましこそ
人材育成の王道だ。
明るく元気になるよう
リーダーは誠心誠意
友の話に耳を傾けよ!
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、対談集「未来に贈る人生哲学」発刊、おめでとうございま~す

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 4月19日(水)06時54分36秒
  おはようございます。原田怪鳥様、池田先生の対談集の発刊、誠におめでとうございま~す(笑)

しかしデスねぇ~、初会見が1987年で、対談の連載開始が2015年、なんと28年後の連載に、30年後の対談集発刊、

これって、いかがなものでしょうかぁ~、本日掲載の写真も1987年当時のもの、「今」の写真は載せないのデスかぁ~(笑)

相変わらず、佐藤優氏の宣伝ばかりの広告が目立ちマスねぇ~、なんで、そんなに佐藤氏の著作を宣伝するのでしょうか?


本部人事の発表も最近多くなったと思うのデスが、小生の思い過ごしでしょうか?

それとも、本部のやり方に嫌気がさして、役職返上や、役職拒否が増えたためでしょうか?

査問・処分しまくったため、新たな人事をせざるを得ない状況に陥ったのでしょうか?

創価大学学生寮の紹介もいいデスが、設備の素晴らしさよりも、過去の滝山寮からの伝統がどう生きているかを、記事にしてほしかったデスねぇ~(笑)

設備も大切でしょうが、「師匠」の想いがどのように残っているか? が「直弟子」の原田怪鳥様の務めではないデスかねぇ~(笑)


さてさて、本日の「新・人間革命」雌伏二十二となったこの章デスが、

ナニか、「雌伏」の意味(人に屈服して従うこと、また実力を養い活躍の機会をじっと待つこと)に反するような内容が続いている気がしま~す(笑)

伸一の行動に制限があったと認める記述はあるものの、それはほんの少しで、パッと見ではまるでわかりませ~ん(笑)

当時の首脳幹部の行動には一切触れず、ただただ、山本伸一と会員さんのことだけの記述(笑)

これで、54年当時の真実を明かしているなんて、とても言えたもんじゃないデスよぉ~(爆)

執筆チームの皆さ~ん、何回でも言いますが、アナタ方には使命があるのでぇ~す。背景をもっと描きましょう、首脳幹部の行動を描きましょう。

明日からも期待しないで待ってまぁ~す(爆)
 

:一人のSGI 様へ

 投稿者:りん  投稿日:2017年 4月19日(水)06時26分46秒
  >日興上人の書写は大聖人の御本尊の相貌をそっくりそのまま書き写していた様です。
そこには一切己義を構えない、大聖人直結の純粋な信心が感じられます。

日興上人が日目上人に授与された曼荼羅、元徳2年に認められた曼荼羅を拝見しましたが
天台、妙楽、章安、伝教が揃って左側に認められてます。
必ずしも相貌が「そっくりそのまま」同じとは思えません。更に深く掘り下げてご教授下さい。
 

「富士一跡門徒存知の事」

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 4月19日(水)00時49分12秒
  体長1.3mの巨大猫様

青年僧侶改革同盟 松岡幹夫氏の論文、ありがとうございました。
とても興味深く読ませていただきました。
民衆の本尊証得における法主の介在の不要化  投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 4月18日(火)21時32分43秒

以下、その件について、思うところを書かせていただきました。

法主書写の御本尊下附の起源は、日興上人が当時の五老僧などが、大聖人直筆御本尊を軽んじて扱っている事に心を痛めて始めたことの様です。
日興上人の、「富士一跡門徒存知の事」を読んで、この様に感じました。

大聖人亡き後、五老僧達が、直筆曼荼羅を死体を包んで葬るために使ったり、あるいは御本尊を売却したり等、大聖人の直筆御本尊を、軽んじ賎しんで扱ったので、たくさんの御本尊が失われてしまった。
そのうえ、五老僧のうち日向・日頂、さらに五老僧ではないが日春などが大聖人直筆の曼荼羅を、安易に又無責任に形木に彫って印刷し、不信の者たちにまで授与したりして粗末にしているといううわさがあった。

そうしたことから、「日興の弟子分に於ては、在家出家の中に 或は身命を捨て或は疵を被り若は又在所を追放せられ一分信心の有る輩に忝(かたじけな)くも書写し奉り之を授与する者なり。」と言われて、大聖人のお心を全生命で受け継がれ、大聖人の花押ではなく、ご自分の花押で
御本尊を書写し、責任を持って正法を継承していくとの気概から、形木に彫って印刷するのではなく、書写という形式を取り始められたと思われます。

ちなみに、現代の正宗の法主等が「内証」を書写すると称してそれぞれ相貌を変えるのと違って、日興上人の書写は大聖人の御本尊の相貌をそっくりそのまま書き写していた様です。
そこには一切己義を構えない、大聖人直結の純粋な信心が感じられます。

しかし、翻って今の正宗の状況を見てみますと、逆にこの法主書写の化義が間違った方向に行く恐れも垣間見えます。
日興上人と違って必ずしも法主が万代までも正しい信心で、正しい御本尊書写をするとは限らないと思えるからです。

安易な、又、無責任な御本尊下附をくい止め、信者が最高に御本尊を大切に扱う信心があるなら、もうこの時代からは、大聖人の十界具足の直筆御本尊を下附することが、この先万代に渡って、御本尊に関して間違いのない道を歩んでいけるのではないかと、私自身は思って居ます。


富士一跡門徒存知の事 p1606

一、御筆の本尊を以て形木に彫(きざ)み不信の輩に授与して軽賎する由・諸方に其の聞え有り所謂日向・日頂・日春等なり。
日興の弟子分に於ては在家出家の中に 或は身命を捨て或は疵(きず)を被り若は又在所を追放せられ一分信心の有る輩に忝(かたじけな)くも書写し奉り之を授与する者なり。
本尊人数等又追放人等、頚切られ、死を致す人等。
-----―
一、大聖人御自筆の本尊を形木に彫って、不信の者に授与し、御本尊を軽んじ賎していることが、方々から聞こえてくる。
いわゆる日向・日頂・日春らがそれである。
日興の弟子においては、在家・出家を問わず、あるいは命を捨てたり、あるいは傷を受けたり、もしくはいる場所を追放されたりした信心ある弟子門下に対して、恐れ多くも日興自身が御本尊を書写し奉りこれを授与するのである。
日興が本尊を授与した人数等を記した。また追放された人、首を切られ殉死した人等も記した。

講義
日興上人が御本尊を授与するに当たっていかに厳格であられたかがうかがわれる。これは、大聖人が阿仏房に対し、御本尊に関して「あまりに・ありがたく候へば宝塔をかきあらはし・まいらせ候ぞ、子にあらずんば・ゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり」(1304-13)と仰せられているのと符合している。
 最後に「本尊人数等」とある。日興上人の弟子分本尊目録には、日興上人が与えられた人が記されている。
同書には「又追放人等、頸切られ、死を致す人等」とあるように、熱原法難で死罪ならびに追放に処せられた弟子門下たちのことも記されている。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 4月18日(火)23時42分14秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
暖かく良い一日でした
おやすみなさい
 

同盟題目23時開始です。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 4月18日(火)22時52分2秒
  本日も23時からです。
よろしくお願い致します。参加は任意です。
 

立正安国論 26/35

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 4月18日(火)22時45分44秒
  四部之衆應當苦治又云佛言迦葉以
能護持正法因縁故得成就是金剛身
善男子護持正法者不受五戒不修威
儀應持刀劍弓箭鉾槊又云若有受
持五戒之者不得名爲大乘人也不受五戒
爲護正法乃名大乘護正法者應當執
持刀劍器仗雖持刀杖我説是等名曰
持戒又云善男子過去之世於此拘尸那城
有佛出世號歡喜増益如來佛涅槃後
正法住世無量億歳餘四十年佛法末
爾時有一持戒比丘名曰覺徳爾時多
有破戒比丘聞作是説皆生惡心執持
刀杖逼是法師是時國王名曰有徳聞
是事已爲護法故即便往至説法者
所與是破戒諸惡比丘極共戰鬪爾
時説法者得免厄害王於爾時身被刀




(正法を毀る者をば大臣)四部の衆当に苦治すべし」と。
又云く「仏の言く、迦葉能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり
善男子正法を護持せん者は五戒を受けず威儀を修せず応に刀剣・弓箭・鉾槊を持すべし」と、
又云く「若し五戒を受持せん者有らば名けて大乗の人と為す事を得ず、
五戒を受けざれども正法を護るを為て乃ち大乗と名く、
正法を護る者は当に刀剣器仗を執持すべし刀杖を持すと雖も
我是等を説きて名けて持戒と曰わん」と。
又云く「善男子・過去の世に此の拘尸那城に於て仏の世に出でたまうこと有りき
歓喜増益如来と号したてまつる、
仏涅槃の後正法世に住すること無量億歳なり余の四十年仏法の末、
爾の時に一の持戒の比丘有り名を覚徳と曰う、
爾の時に多く破戒の比丘有り是の説を作すを聞きて皆悪心を生じ刀杖を執持し是の法師を逼む、
是の時の国王名けて有徳と曰う是の事を聞き已つて
護法の為の故に即便ち説法者の所に往至して是の破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す、
爾の時に説法者厄害を免ることを得たり王・爾の時に於て身に刀(剣箭槊の瘡を)被り




もし正法を破るものがあるならば大臣・四部の衆はまさにきびしくこれを対冶していきなさい」
また涅槃経金剛身品にいわく。
「仏がいうには、迦葉よ自分はよく正法を護持した功徳・因縁をもって、
この仏身を成就することができたのである。
善男子よ、正法を護持する在家のものは五戒を持つこともなく、
威儀も修めないで刀剣・弓箭・鉾槊を手にとって謗法を責めるべきである」
また同じく涅槃経金剛身品にいわく。
「もし五戒を受持するものがあるなら、その人たちは大乗を行ずる人ということはできない。
たとえ五戒を受けなくても、正法を護る人を大乗の人と名づけるのである。
正法を護るものは、まさに武器を持つべきである。
たとえ武器を手にとっても自分はこれらの人を名づけて持戒と呼ぶのである」
また同じく涅槃経金剛身品にいわく。
「善男子、過去の世に拘尸那城において歓喜増益如来という仏が出現になった。
その仏が入滅したのち、如来の正法は無量億年という長い間続いた。
その最後、あと四十年間で仏法がまさに滅せんとしていたが、
そのとき法をかたく持った一人の受持即持戒の僧がいて、その名を覚徳といった。
其の時に多くの破戒の悪比丘があって、覚徳比丘が経を護持宣流し諸の悪比丘を制して、
蓄罪等の破戒を戒める正しい説法をするのを聞いて、皆悪心を起こし、
刀や杖を持って、この覚徳比丘を殺そうとして迫った。
その時の国王を有徳王といったが、王はこの覚徳比丘に危険が迫っていると聞き、
法を護るために武器をとってすぐさま覚徳のところへ行き、
これらの悪比丘と全力をあげて戦った。
その結果、覚徳比丘は殺される厄難を免れることができたが、
戦った有徳王は全身に刀剣や鉾槊の瘡をこうむり



(大きな画像はこちらから↓)
https://blogs.yahoo.co.jp/kyodaineko130/33090278.html
この御正筆は、中山法華経寺所蔵の国宝です。



 

学会本尊

 投稿者:一途  投稿日:2017年 4月18日(火)22時18分58秒
  おっしゃるように御本尊について解明されていないことが多々ございます。
学会本尊にも不備があるのではないかとの話もあります。
先生の総仕上げの時に御本尊について保田の論師、学派と大いに議論できることは
時にかなっていると感ずるのです。そういった観点から海外のメンバーが
先駆を切ったことは大きな一歩ではないでしょうか。
 

御本尊の件少しだけ気になったままなので

 投稿者:史人  投稿日:2017年 4月18日(火)21時45分55秒
  平成1・2年頃日顕の御本尊をいただいた時、打たれている点に違和感があって(点が少ないような?)身内に日達上人のご本尊と明らかに違うと言いました。
気のせいでしょの一言でした。
後数年間所持していました。
学会版の修学要集を見る機会を得たのは返却した後なので、相伝のことは分からずじまいですね。
それはいずれ誰かが解明してくれることでしょう!?


一般の人には知られていないことはたくさんあると思います。
たままた千葉で戸田先生への追悼で発刊された通釈法華経を買いましたが、法華経の訳以外の法主としての解釈も入っていますね。
内容に詳しい人以外、誰も知らないままのことも含まれていると思います。
 

新・人間革命に学ぶ第11巻

 投稿者:賢くなりたい婦人部  投稿日:2017年 4月18日(火)21時42分20秒
編集済
  ………………【公明党が初めて衆議院へ進出】……………………

これから先、党として、ある場合には  革新政党と手を結ぶこともあろうし、保守政党と協力することもあるかもしれない。野党の立場で与党を正すこともあれば、政権に加わって、改革を推進することがあるかもしれない。あるいは、政策を実現するためには、妥協が必要な場合もあるでしょう。
さまざまな選択はあるが、根本は国民の幸福のためであるということを絶対に忘れてはならない。

さらに、政権に参画したとしても、徹して権力の魔性とは戦い抜くことです。そうでなければ、公明党の存在意義はなくなってしまう。


…………………新・人間革命第11巻躍進の章p337……………

近年、幹部のご指導では今の公明の立場を説明するためにこの箇所がよく引かれます。
でも最後の3行は聞かなかったような・・・

 

民衆の本尊証得における法主の介在の不要化

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 4月18日(火)21時32分43秒
  青年僧侶改革同盟 松岡幹夫氏の論文

「現代の大石寺門流における唯授一人相承の信仰上の意義」

の第六章に「民衆の本尊証得における法主の介在の不要化」

という興味深い文章があります。

昨夕から御本尊のことが話題になっているようですので、

多少参考になるかと思い、引用します。



●● 引用はじめ ●●

久遠名字の妙法の直達正観という成仏義を立てる大石寺門流では、

法主や一部の高僧だけでなく、すべての信仰者に法体本尊の証得が可能であると説く。

日寛は「当体義抄文段」の中で

「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人」は

「本尊を証得するなり」と述べ、その証得の相を人法に分けて

「人の本尊を証得して、我が身全く蓮祖大聖人と顕るるなり」

「法の本尊を証得して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり」

と説き示している(文段集683)。



しかしながら半面、一般の門下僧俗が本尊を証得するには

法主の介在が必要であるとも考えられる。

日寛は「報恩抄文段」に

「縦い当流と雖も、無智の俗男俗女は三重の秘伝を知らず」

「無智の男女は唯本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉る」(文段集322)

などと述べ、

富士の相伝教学に暗い当時の一般的在家信徒の状況を問わず語りに語っている。

この場合、「三重の秘伝」を知らない「無智の俗男俗女」が

自らの判断で「唯本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉る」ことは不可能であるから、

三大秘法義を了解する法主や、その意を体した僧侶の信仰指導が必要となる。

当時の宗門信徒の中には、金沢の福原式治等のごとく、

折伏弘通に励みながら宗義研鑽にも極めて熱心な者が稀にいたが、

それでも日寛から法門の曲解を間接的に指摘されていたという。

いわんや信仰の対境となる曼荼羅本尊の書写やその是非の判定等に至っては、

ひたすら金口相承の法主に頼るしかなかったと言えよう。

すなわち大石寺門流では、すべての信仰者に本尊証得の道が開かれているとはいえ、

実際には血脈付法の法主の介在が大前提となっていたのである。



ところが現代のように、金口相承の三大秘法義の理論的公開がなされる段階に至ると、

事情はかなり違ってくる。

現代の在家の人々は、日寛の頃のような相承法門に暗い「無智の俗男俗女」ではない。

むしろ、日寛の六巻抄を座右に置いて日蓮の祖書を日夜朝暮に学習し、

三大秘法の本尊を世界に流布せんと主体的に励む人々なのである。

彼らは法主の教導がなくとも、

門流秘伝の三大秘法義に基づく本尊証得の修行のあり方を知り、自ら実践できる。



そして帰命依止の対境たる曼荼羅本尊に関しても、

法主の介在は実質的に不要化している。

金口相承の三大秘法義を把握したうえで、日蓮と同じ信仰に生きる現代の門下僧俗は、

文永・建治・弘安年間に顕示された、

すべての日蓮の本尊を戒壇本尊の意義に通ずる本尊として拝することができる。

また歴代法主の本尊はすべて戒壇本尊の書写であり、

戒壇本尊の「分身散体」としての意義を持つとされるが、現代の門下僧俗ならば、

歴代書写の本尊のうちで誤った本尊を見極めることすらできるだろう。

それを可能にしたのは、三大秘法義の理論的公開にともなう、本尊相承書の出版公開である。


(略)


さらにまた、われわれは、現代において法主による本尊書写の必要性が失われている、

という点を決して見落としてはならない。

大石寺門流の僧俗が寺院や家庭に安置している本尊は、

通常は、戒壇本尊を書写した歴代法主の直筆本尊(常住本尊と呼ばれる)か、

法主の直筆本尊を版木や写真印刷によって複写した本尊(形木本尊と呼ばれる)か、

のどちらかである。

このうち、複写の形木本尊は伝統的に仮本尊とみなされており、

信心決定の後には、法主直筆で授与書きのある常住本尊に取り換えるのが慣わしとなっていた。

しかしながら戦後、創価学会の大折伏により、

累計で数百万体にも達する本尊下付が行われるようになると、

すべての信心決定者に法主直筆の常住本尊を授与することは完全に不可能になった。

そこで、漸く印刷の形木本尊を正本尊とする信仰形式への移行が進み、

ついには六六世・日達の代に「特別御形木御本尊」の制定をみたのである。

特別形木本尊とは、写真印刷の形木本尊でありながら、

実際には法主直筆の常住本尊と同格に扱われる曼荼羅本尊のことを言い、

普通の写真印刷の形木本尊よりも一層荘厳さの増したものである。

江戸期から存在する版木の形木本尊は、版木を使ったことが一目でわかるほど質が劣り、

仮本尊とみなされても仕方ないところがあった。

しかるに現代の写真印刷の形木本尊は、印刷技術の飛躍的進歩によって

直筆かと見紛うばかりの鮮明度を持ち、表装の美観も格段に増している。

それゆえ現在では、通常の形木本尊でも充分に荘厳であり、

特別形木本尊になると直筆の常住本尊と何ら変わらぬ威厳を保っていると言ってもよい。

しかも現代における写真印刷の原本は半永久的に保存が可能であり、

今後、新たな特別形木本尊の原本を法主に依頼する必要もない。

すでに戦前、堀日亨は「化儀抄註解」で

「宗運漸次に開けて・異族に海外に妙法の唱へ盛なるに至らば・

曼荼羅授与の事豈法主御一人の手に成ることを得んや、

或は本条の如き事実を再現するに至らんか・或は形木を以て之を補はんか」(要1-113)

と予測したが、その予測は百年を待たずして基本的に的中したのである。

ここに、法主による本尊書写が不可欠とされた時代は終わりを告げたと言える。



それはまた、曼荼羅本尊の体相や筆法について教義的に理解できる法主の必要性が

完全に消失したことをも意味していよう。

もとより曼荼羅本尊の体相は、その教義解説の有無に関わらず、万人の眼に映じている。

あえて言えば、

本尊書写の際に宗開両祖や先師の本尊の体相を模写し、

門流僧俗はその摸写本尊を宗門独自の三大秘法観に基づきつつ信仰する、

というあり方でも信仰上は十分に事足りるのである。

そこに加えて、現代では本尊書写それ自体が実質的に不要化し、

唯授一人の本尊相承書とされてきた「御本尊七箇相承」等も出版公開されている。

ゆえに今日、曼荼羅本尊の体相や筆法に関する教義を唯授一人で相承することの

信仰上の意義は完全に消失した、と言わざるを得ないのである。



以上のごとく、現代の門下僧俗は法主の教導によらずとも、

自ら正境たる三大秘法の本尊を見定め、

久遠名字の妙法を唱えて直達正観の本尊証得を果たし、

直筆本尊と同等の形木本尊を授与し流布しゆくことができる。

換言すれば、民衆の本尊証得における法主の介在が不要化した段階が現代であり、

唯授一人相承がその役目を終えた時期として、後世の人々に認識されていくであろう。
 

(無題)

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 4月18日(火)21時17分35秒
  梅様
http://6027.teacup.com/situation/bbs/67523
ありがとうございます。先の部分は消しておきます。ありがとうございました。
 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2017年 4月18日(火)21時11分42秒
  たぶん多寶如來の多のことじゃないですか?
問題ありません。
大聖人様もあれと全く同じ字で書かれた御本尊様がありますよ。
 

梅様

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 4月18日(火)20時42分32秒
  梅様
http://6027.teacup.com/situation/bbs/67521
そうでしたか! ありがとうございます。では、あれは問題ないのですね。でも、確かもう一カ所、間違いがあると教わったような記憶が……もしご存知でしたらお教え下さい。少し梅さんのお答えを待って、前の投稿を修正します。ありがとうございました。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/67498
 

日顕本尊中の「タ」

 投稿者:  投稿日:2017年 4月18日(火)20時16分0秒
  日顕本尊の中の提婆達多の「多」がカタカナの「タ」となってる、
誤字だとの指摘がありましたが、あれはカタカナではなく、
「多」の異体字です。
 

一千万信徒だって?

 投稿者:無頼  投稿日:2017年 4月18日(火)20時15分46秒
  その時は、三十万人(世帯)も居ないんじゃないの?
谷川センセ率いる創価です。考えない葦の集まり、幸福の○○と変わらないカルトな世界になっていることでしょう。
 

立正安国!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 4月18日(火)20時13分10秒
   梅さん、巨大猫さん、ありがとうございます。

 まだまだ、知らないことばかり。本当に勉強になります。

 皆さん、研鑽されて見えますね。


 

安国論24枚目最後の二行

 投稿者:  投稿日:2017年 4月18日(火)19時56分19秒
  此一紙於身延山以御真筆之安国論奉寫之
慶長六辛丑壬霜月六日日通
 

北朝鮮大使「戦争になれば日本が最初に被害受ける」

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 4月18日(火)19時19分11秒
  http://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000098839.html

北朝鮮で日本との交渉を担当する宋日昊(ソン・イルホ)大使が「戦争になれば日本が最初に被害を被る」とアメリカを支持する日本を牽制(けんせい)しました。

 日朝国交正常化交渉担当・宋日昊大使:「戦争になれば真っ先に被害を受けるのは日本だ」
 宋大使は平壌にいる日本のメディアと会見し、「私たちに少しでも手をかけるなら全面戦争になりかねない」と述べ、「アメリカと戦争になれば日本も攻撃対象になり得る」と警告しました。また、北朝鮮が拉致問題などについて再調査を約束した「ストックホルム合意」は「破棄された」という認識を示しました。ただ、「残留日本人が住んでいるなら人道的な観点から対応する用意がある」と日本が制裁を解除するなど、対応次第では対話に応じる考えも示唆しました。
 

Re:真筆

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 4月18日(火)19時03分33秒
  螺髪様 こんにちは。

>ところで、前回「24」の最後の二行はどういうものなのでしょう。

千葉県のホームページに説明があります。
https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/p150-002.html

第二十四紙は紛失したため、慶長六年十一月六日、日通が身延本を書写して補足したものだそうです。
 

真筆!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 4月18日(火)18時35分55秒
   巨大猫さん、引用経典、すごいですね。台湾に、こんな資料があるのですね。
(投稿者:体長1.3mの巨大猫   投稿日:2017年 4月18日(火)18時05分13秒)

 立正安国論真筆も、あと十本となりました。
 ほんと、迫力のある筆書きですね。御書とはまた、違った感覚を呼び起こされます。
 ありがとうございます。


 ところで、前回「24」の最後の二行はどういうものなのでしょう。
  一行目下段に「……真筆立正安国論」
  二行目上段に「写し奉る……慶長六…」
 とあるであろうことは、なんとなくわかるのですが。

 単に「補注」でしょうか。


 

引用経典

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 4月18日(火)18時05分13秒
  立正安国論に引用されている経典です。

台湾の中華電子佛典協會(CBETA)が、
大正新脩大藏經・印度撰述部で公開しているデータをもとに、
縦書きのpdfに変換しました。

金光明經
https://app.box.com/s/zfbpuwn7q9xa1fmjk2zm6dweozcoe6e3

大集經
https://app.box.com/s/7vd2epqge55f552dlodjr32rukykb61y

仁王經
https://app.box.com/s/424aaeke0yx4yx6k7ee1icyx9t510a5k

藥師經
https://app.box.com/s/ea4pqwnf0ibxkqct7ka6ou7chwk6yznc

涅槃經
https://app.box.com/s/5b4hm89109i0bn6ql2bvthixnnj0n9mk

法華經
https://app.box.com/s/w4akiuq583yodcurpl8003omjnxkwx6d
 

人生の座標から~

 投稿者:うーこメール  投稿日:2017年 4月18日(火)17時39分17秒
  だれでも皆、必ず使命がある。自分にしかできない使命がある。君の力を必要とする人が必ず、どこかにいる。自分にしかできないこと、自分が本当にやりたいと思うことが、きっとある。それを見つけるためには、まず目の前の現実から逃げないことだ。逃げずに頑張るくせをつけることだ。そうやって、もがきながら、自分らしく、一ミリでも二ミリでもいいから、前へ進むことだ。  

立正安国論 25/35

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 4月18日(火)17時39分11秒
  又云如來昔爲國王行菩薩道時斷絶爾
所波羅門命又云殺有三謂下中上
下者蟻子乃至一切畜生唯除菩薩示
現生者以下殺因縁墮於地獄畜生餓
鬼具受下苦何以故是諸畜生有微
善根是故殺者具受罪報中殺者從
凡夫人至阿那含是名爲中以是業因
墮於地獄畜生餓鬼具受中苦上殺者
父母乃至阿羅漢辟支佛畢定菩薩
墮於阿鼻大地獄中善男子若有能
殺一闡提者則不墮此三種殺中善
男子彼諸波羅門等一切皆是一闡提
也已上仁王經云佛告波斯匿王是故付
屬諸國王不付屬比丘比丘尼何以故無
王威力已上涅槃經云今以無上正法付屬
諸王大臣宰相及四部衆毀正法者大臣




又云く「如来昔国王と為りて菩薩の道を行ぜし時爾所の婆羅門の命を断絶す」と、
又云く「殺に三有り謂く下中上なり、
下とは蟻子乃至一切の畜生なり唯だ菩薩の示現生の者を除く、
下殺の因縁を以て地獄・畜生・餓鬼に堕して具に下の苦を受く、
何を以ての故に是の諸の畜生に微善根有り是の故に殺す者は具に罪報を受く、
中殺とは凡夫の人より阿那含に至るまで是を名けて中と為す、
是の業因を以て地獄・畜生・餓鬼に堕して具に中の苦を受く・
上殺とは父母乃至阿羅漢・辟支仏・畢定の菩薩なり阿鼻大地獄の中に堕す、
善男子若し能く一闡提を殺すこと有らん者は則ち此の三種の殺の中に堕せず、
善男子彼の諸の婆羅門等は一切皆是一闡提なり」已上。
仁王経に云く「仏波斯匿王に告げたまわく・是の故に諸の国王に付属して比丘・比丘尼に付属せず
何を以ての故に王のごとき威力無ければなり」已上。
涅槃経に云く「今無上の正法を以て諸王・大臣・宰相・及び四部の衆に付属す、
正法を毀る者をば大臣(四部の衆当に苦治すべし」と。)




また、涅槃経梵行品にいわく。
「如来は昔、国王となって菩薩の道を行じたとき、若干の波羅門を殺害した」
また同じく梵行品にいわく。
「いわゆる殺生の罪は下・中・上の三つがある。
下とは蟻の子をはじめ一切の畜生を殺すことである。
ただし菩薩の示現生のものは除く。
下殺の罪によって地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ち、つぶさに下の苦を受ける。
なぜならば諸の畜生にもすべて、わずかではあるが善根がある。
その故に殺したならば、その罪報を受けるのである。
中殺とは凡夫の人より阿那含果の賢人にいたるまでを中といい、
これらのものを殺すと、その業因により、やはり三悪道に堕ちて中の苦をうけるであろう。
上殺とは父母をはじめ声聞界の最高位である阿羅漢、縁覚界の辟支仏、
不退に入った菩薩を殺す罪であり、これは大阿鼻地獄に堕ちるのである。
善男子よ、もし一闡提を殺すものはすなわちこの三種の殺の中に入らない。
善男子よ、かの正法を誹謗する波羅門等は、一切皆この一闡提である」とある。
また仁王経には次のようにある。
「釈尊が波斯匿王に告げていわく。
正法を護持するためにはどうしても武力・権力が必要であるから、
僧尼に付属しないで、諸の国王に付属するのである。
なぜかならば、謗法の悪人が武力で仏法を破ろうとする時に、
僧や尼には、王のような威力がないからである。」とある。
涅槃経にいわく。
「今、無上の諸王・大臣・宰相および僧尼・在家の人たちに付属する。
もし正法を破るものがあるならば大臣・四部の衆はまさにきびしくこれを対冶していきなさい」



(大きな画像はこちらから↓)
https://blogs.yahoo.co.jp/kyodaineko130/33090278.html
この御正筆は、中山法華経寺所蔵の国宝です。



 

一千万信徒の総意となる御本尊

 投稿者:のび太  投稿日:2017年 4月18日(火)16時54分12秒
  池田先生が書写された御本尊しか有り得ない。

先生の御揮毫で『正義』『共戦』『大山』『大桜』が作成されて時をおいて、時を感じて

披露されている。

恐らく、2030年には然るべき場所に奉掲安置されるでしょう。

日寛本尊は仮りの姿かな。(笑)

保田の大本尊やデジタル本尊じゃ一千万信徒の総意になれない。(笑)



 

御本尊集

 投稿者:反板の反板  投稿日:2017年 4月18日(火)16時40分3秒
  そういえば、正本堂建立記念で正宗の日逹監修で御本尊の写真集が発刊されていましたね。非売品でしたが。

 

「凡夫と御本尊」(1)

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 4月18日(火)15時30分33秒
編集済
  戸田城聖全集より、抜粋

我々が日々拝する大御本尊は、我々凡夫とは関係無い雲の上の存在であり、尊上無比(そんじょうむひ)の存在であると拝し、我々下賤
(げせん)の者の拙い(つたない)日常生活現象とは、およそかけ離れた存在であると拝することは誤りである。

尊上無比の大御本尊は、実に日蓮大聖人の御当体そのものであらせられるのである。ゆえに、御義口伝には「本尊とは法華経の行者の一身
の当体なり」(P760)と仰せられている。

さらに、大聖人は、我々のごとき迷える凡夫の主・師・親であらせられ、「しうし父母」(P237)であらせられる。かくて、日蓮大聖
人の大慈大悲によって御建立あそばされた大御本尊を拝することが、直ちに、我々凡夫にとっては、したしく久遠の御本仏を拝することで
あり、したしく己の主・師・親を拝することになるのである。

法華経の信解品では、四大声聞が窮子(ぐうじ)の例えを引いて了解している。
すなわち、父を捨てて他国を放浪した窮子が、50余年の後に、ようやく、その大長者の父にあった。しかし、父を忘れた窮子は、恐れて近
づかず、父と自分は関係の無い別の者と思っている。父は種々の方便を設けて窮子を教え導くが、なおも窮子は放浪の心を捨てきらず、下
劣の本処(ほんじょ)にあって、この父を父と悟ることができなかったが、ついに、窮子は、大長者が自分の真実の父であったことを悟り
て、大いに歓喜するという次第である。

すなわち、窮子は、せっかく自分の父である長者の家におりながら、「その時に窮子、この遇(ぐう)を欣ぶ(よろこぶ)といえども、な
お、自ら客作(かくさ)の賎人とおもえり」それゆえに、二十年の間、糞(くそ)はらいをしていたが、それでもなお、「然もその所止
(しょし)は猶本所(なおほんじょ)に在り」と言って、放浪の昔を忘れずに、父と自分は、未だに別の者と思っていた。

http://

 

「法華経の智慧」に学ぶ(18)

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 4月18日(火)14時38分42秒
  「無始の九界」「無始の仏界」があってこそ真の十界互具

名誉会長:これも一気に、「無始」の境地を言われている。

    「九界も無始の仏界に具し」 - 突然に現れた仏界ではない。本有の仏界です。

    「仏界も無始の九界に備りて」 - 突然に現れた九界でもなければ、いつか消えてなくなる九界でもない。

     仏界とともに永遠の九界である。

     こういう「十界(諸法)の真実の姿(実相)」を、如実知見(実の如く知見する)するのが寿量品です。

    「無始」でなければ「本有常住」ではない。「本無今有(本は無く、今は有る)」になってしまう。

     まさに根なし草です。

     この「無始の仏界」「無始の九界」が明かされてこそ、初めて九界と仏界が“即”することになるのです。

     因(九界)と果(仏界)が因果倶時になるからです。それでこそ真の十界互具です。

須田:  こういうことでしょうか。

     始成正覚では、仏界も歴劫修行の果てに初めて獲得されるものですから、「本無今有」です。

     因果でいえば、先に仏因(九界)があって後に仏果(仏界)があるという「因果異時」です。

     それでは、確かに、仏果を得るまでの生命には九界しかなく、九界“即”仏界ではない。

     仏果を得てからは仏界しかなく、仏界“即”九界ではない。

名誉会長:そう。それでは真の十界互具にならない。十界互具にならなければ一念三千にならない。

     迹門の十界互具・一念三千を「根なし草」「水中の月」と言われたゆえんです。

     大聖人は迹門の十界互具を「始覚の十界互具」、本門の十界互具を「本覚本有の十界互具」と呼ばれて、

     根本的に違うとされている。そのポイントは、無始無終の久遠の本仏を知るか否かにある。


     「創価正義」
     http://www.sgi-seigi.com/
     図解付き詳細版がオススメです。
 

いま、ふたたび(5)

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 4月18日(火)14時33分20秒
  今に五、六年すると、学会は世界的問題になってくるよ。世界の新聞が取り上げるのだ。

ただで働くのは地震と風だけだと思っているから分からないのだ。僕もただで働かないと思っているから、学会が権力や金力とどこかで結
んでいるか、調べてまわっている。しかし、権力・金力を離れて、何をするのか見当がつかんらしい。信者を集めてやるなら金もうけだ。
金もうけでないなら、その金はどこから来ているか。右翼か、左翼か、これが彼らの考え方だ。しかしそんなものは探したってないものは
ない。若い奴らは何をやっているのだろうと見当がつかないで困っているのだ。俺は出世の本懐を果たそうというだけだ。今の学校教育を
受けたものには分からない。何も俺は欲しくないんだよ。ただし、ビールと車だけはほしいがね。

◎ 政治

政治は、いつも最低生活者のことを考えてやらなければならぬ。
(政治は)常に、今やっていることと反対のことが内在していることを前提として考えるべきである。たとえば、支那の三国志時代は、仁
政を行なう主君が少ない時代であるから、玄徳のような人物が諸将の敬慕することとなるし、民衆は彼を慕ったのである。
このように、その時代の理想の底流にあるもの、はやっていなことが、民衆の要望にアピールするのである。

◎ 日本の自主独立(外交)

諸君は、これからアメリカにつくのか、ソ連につくのか。アメリカ、ソ連どちらにつくのもよそう。日本のことは日本人でやらなければな
らぬ。 これからは青年の力です。君たちの若さでやるんだね。君たちにまかせるよ。
われわれが今のことを考えた場合、米ソの二派に分かれたら、日本はないだろう。感情で判断するのはダメだ。日本が栄えて行けるように
やろう。

原水爆より日本を守るためには、日本の国を世界の宝庫とするのである。
そして、日本に原水爆を落としたならば、世界の国々が損をするというような考えにすれば、日本を原水爆より守ることができるのであ
る。

しからば、いかなる方法によって、日本を世界の宝庫とするかというのに、人的資源をもって、日本の財産にすることである。すなわち、
各国に奉仕できる、技術的、頭脳的資源を養成することである。

地球には、まだ百億人の人間がすめる。フランスのように人口が減少すれば、国力が衰える。サハラ砂漠なども、原水爆の平和利用でいく
らでも開発して、人間が住めるようになる。

◎ 死刑

ギロチンは嫌だ。死刑は良くない。死刑はなくして、終身刑にして働かせたほうが良いではないか。「立法の精神」が慈悲に立脚している
かどうか。あんなことをしたのだから殺してしまえというような政策上のものではないか。

仏法には死刑というものはない。裁くということは小乗経にはない。あくまでも慈悲であるが、法華経に於いては、裁ききっている。

・・恩師(戸田先生)如是我們集より・・
 

そもそも

 投稿者:フラフラ  投稿日:2017年 4月18日(火)14時21分8秒
  入会する時に、会則を守るように、、、とか、言われた方が
いらっしゃるのですか?そもそも、G会の会則を知ってる会員は
どれ程いらっしゃいますかね~?
憲法違反になるから特定の政党指示は言っちゃいけないと、、、
役職を持ったとたんO明党でなければなりません。という事ですか?
あるテレビ番組で、O明党は下駄の雪と揶揄されてました。
昔はそんな事あるか!!と、腹を立ててたけど、
今は言いえて妙だ。そのとうり!!と拍手をしてしまった。
政権に入った途端腐ってしまったのか、それとも、その前からか。
いずれにしても権力と戦えないO明党を応援する理由がない。

 

合併するべき

 投稿者:坂上忍魂  投稿日:2017年 4月18日(火)14時05分15秒
  一般的に公的資金を投入された企業は財務体制を改め全社員の給料・賞与なども見直される。
同業他社との合併や傘下にはいることも検討される。

外郭企業で本部頼りで自力では経営不能の会社は公的資金を投入されているのに等しいわけだから、上記の事を考えないといけないのでは。

シナノ建物はそういったことから時代に則して合併して出来た会社ですよね。
会館の整備や会館の建設、維持するために必要不可欠です。

第三文明、潮出版、鳳書院、東西哲学書院
合併でよろしいのでは?
どの会社も自力で経営してないですよね?
一つにまとめて発行する雑誌・書籍を淘汰したほうがよいと思います。
なぜなら、会員の負担だからです。
出版界自体が縮小傾向なのに何も手を打たないのは無策すぎます。
会館の出版コーナーがなくなり、より一層学会関連書籍を購入する機会がなくなりました。
聖教が出版コーナーを廃止したのは採算が取れないからですよね?
聖教だけ改革をしているのに出版関連の外郭が何も手を打たないのは不自然です。

世に残すべき本があるという使命があるなら、
出版社自体はあってもおかしくないですが、
こんなにあってもしょうがないですよね。


 

富重さんの戦争体験…孫たちへ…

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 4月18日(火)14時01分25秒
   孫たちへ


みんな元気ですか。

私は病気なので、いまのうちに、戦争と平和について話をしておきます。

私の戦争体験からも、世の中が平和であることほど、大事なことはないと、断言できます。



平和であれば、みんな家族と一緒に暮らすことができます。

友達とも楽しく遊ぶこともできます。学校へ行って勉強することもできます。

平和であれば、私たちは幸せになれる環境作りができます。


こんな、すばらしい環境をいっぺんに壊してしまうのが戦争です。

世の中で戦争ほどいやなものはありません。

戦争ほど憎いものはないのです。

戦争というのは、国と国の人たちが殺し合いの大げんかをすることです。

こんなむごいことはありません。

どんなことがあっても、戦争をしてはいけません。

戦争になると、勝っても負けても、たくさんの人が犠牲になります。



昭和20年3月10日の昼ごろ、空襲警報のサイレンが鳴りました。

東京大空襲のはじまりでした。

私は九州から、千葉の歩兵学校へ派遣されていて、ちょうど、その日は東京に来ていました。

空襲警報がやみ、夕方、千葉へ帰ろうとしたら、電車が動かなくなっていました。

寒い残雪の中を、高田馬場から飯田橋、神田を通り、両国付近まで歩きました。

両国駅へ行く道路は、北側の街が焼けていて、まだ電柱がさかんに燃えていました。

駅のプラットホームにあがると、隅田川を中心とする下町全体が、真っ黒い焼け野原になり、

ところどころに火が残り、白い煙もあちこちで昇っていました。

大きな飛行機がつぎつぎとやって来て、焼夷弾を落としたのです。

家が燃えただけではなく、多くの人が焼け死んだのです。



戦争はなぜ起こるのでしょうか。

いちばんいけなかったのは、「一般の国民が世の中の動きをよく見張る仕組み」

になっていなかったからです。

国民は税金をはらうのと同時に、私たちの代表の「議員を選ぶ有権者」でもあるわけですが。

日本には、陸軍と海軍がありました。

その軍のえらい人たちが、税金で大砲、戦車、戦闘機、軍艦など、たくさん戦争の道具をつくり

ました。

国民の代表である「議員たち」は、その計画をやめさせることができませんでした。

そういう計画に反対をとなえた人たちの中には、つかまったり、殺された人もいました。

新聞やラジオの仕事をしていた人たちはどうしていたのでしょう。

自由な意見をいうことを禁止するきまりがつくられ、このきまりに従わない人たちは弾圧されま

した。

自分の考えを発表する自由や、みんなが集まって意見を交換する自由が認められませんでした。

こうして、軍人たちは、勝手気ままに戦争の準備をしたり、実際に戦争をはじめたのです。



日本の軍隊は、アジアのいろいろな国に兵を進め、そこの人たちを、ときには殺傷し、土地を占

領したのです。

どんな理由があっても、これはゆるされることではありません。

これは強盗や殺人といった犯罪と同じことではないでしょうか。

私たちの国がそのようにされたら、どんな気持ちがするかを考えれば、すぐわかることです。


私は大学を半年繰り上げて卒業させられ、歩兵通信隊に入れられました。

ある晩、集合の号令で横一列にならぶと、上等兵たちからビンタをくらいました。

「きさまたちは動作に気合いがはいっとらん」ということでした。

本当は理由などなくて、ただ、殴ればよかったのでした。

ほかにも、いろいろないじめがありました。

少しの抗弁もゆるされませんでした。

こんなでたらめなことが軍隊の中にあると知り、とても驚きました。

「上官の命令は、天皇陛下の命令と思え」といって、上等兵たちは、いばりくさっていました。



昭和20年8月15日、ライフル射撃試合会場へ行く途中で、憲兵にあいました。

「戦争は本日正午をもって終了し、射撃大会は中止とする」と知らされ、

内心「これからは自分たちの世の中だ」とばんざいを叫びたくなり、

一同うれしそうにしていたことが忘れられません。


戦争から平和にもどる瞬間が、こんなにすばらしいものである、

ということが身にしみてわかりました。


私は、その後も取材の仕事で、よその国どうしの戦争の現場に行きましたが、

すべて悲惨なものでした。

戦争は、君たちのけんかと違って、簡単にやめたり、仲直りすることができません。

ふだんから、よく話し合いをして、戦争にならないようにしなくてはいけません。

最後に、君たちに、お願いをしておきます。

『戦争の体験などせずとも、平和の尊さがわかる、かしこい人間になってほしい』


   おじいさんより

 

画像

 投稿者:反板の反板  投稿日:2017年 4月18日(火)12時51分6秒
  デジタル御本尊・・・三輪明宏の画像をスマホ壁紙にすれば運気がアップする。の考えに似てますね。

画像御本尊流布で、化義の広宣流布になりますか?
ならないでしょう。

最近の法案とおなじかな、安易な手段・方法を取りたがる。
 

会員が公明党の政策を批判すると創価学会から迫害されます

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2017年 4月18日(火)12時49分6秒
編集済
  信濃町のネット対策チームの対策です。

私の友人であり共に活動した方が公明党の政策は問題があると声をあげました。

その方は創価学会職員から「査問」され「役職を剥奪」され「組織で村八分」にされました。

公明党の政策を批判すると信仰活動を停止させられるとは恐ろしい状態です。


政教一致より恐ろしいことです。
教=創価学会が政治信条の自由を圧迫しているのです。

会則変更をするならば、公明党を支援できない方は入会できません。
幹部にもなれません。
と明確に記すべきです。

原田会長を中心とする「鉄錆の団結」の総県長の皆様はどう思いますか?
それの方があなた達も楽になるじゃないですか?

またそこにぶら下がる職員もどう思いますか?
 

師弟不二アーカイブより【けじめ】

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2017年 4月18日(火)12時29分12秒
  【投稿者:ジョーカー 投稿日:2016年11月 9日(水)10時53分22秒】

~一部を抜粋~

54年を総括せずして、弟子の自立も巣立ちもない。創価学会の永遠性の確立をしたいのであれば、54年問題は避けては通れない。それは、生き証人のいる今しかできない。具体的には、2年以内に特集を組み、余すところなく全貌を明らかにし、弟子自らが自身を断罪し、懺悔する。そこから本当の弟子の時代がはじまる。

54年問題は、先生に気を遣わせて、口を閉ざさせてしまっている段階である。まだ、それだけの弟子でしかないということだ。言うならば、師を足蹴にした弟子であり、そこから脱却するには、師が断罪するのではなく、弟子たちによる自らの断罪が不可欠となる。54年を二度と繰り返さないようにあらゆる手を打ち、基盤をつくる。その先にしか、創価学会の永遠性の確立など存在しない。

本日の寸鉄より
「ごまかしの議論で誰を勇敢にできようか―哲人(セネカ)。幹部(リーダー)の師子吼に友は立つ」

創価学会仏を名乗り、自画自賛する前に、やることはたくさんあるはずである。
54年のけじめをつけられないで、どうして本門の弟子を名乗ることができようか。

現会長も理事長も、54年問題の当事者であり、生き証人。いまこそ、自らを断罪し、後生の戒めとして遺す。その勇敢なる姿こそが、会員の心を奮い立たせることになる。

54年のけじめをつけず、いくら勝利を叫んだところでごまかしである。

・・・・・(詳細は)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=12343
 

/1250