2010.01.14 , 17:52

ゾルゲ事件関与者・宮城与徳さん 祖国戦争勲章を受賞

 第2次大戦中に日本で活動したソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲの一味として逮捕された宮城与徳さんへの勲章「第2等祖国戦争勲章」が遺族の元に渡った。

 在京ロシア大使館のミハイル・ベールィ大使によると、宮城さんへの勲章授与を決定した「ソ連最高会議幹部会令」は、すでに1965年1月19日に公布されていた。ゾルゲの諜報グループの活動とその功績が明らかになったのは、1960年代に入ってからで、リヒャルト・ゾルゲ、並びにそのメンバーに対し、勲章が授与された。しかしながら、宮城さんについては、宮城さんの親族の居所がつかめず、勲章を贈ることができないでいた。
 ゾルゲの諜報グループの活動は、まず、日本とソ連間の軍事紛争を回避すること、そして、ヒトラー率いるドイツのソ連に対する軍事攻撃の計画、並びに、この計画に対する日本政府の立場を明らかにすることが目的だった。
 宮城与徳さんは、1903年、沖縄県名護市に生まれた。中学卒業後、アメリカに渡り、そこで絵画を学び、アメリカ共産党に入党。その後、ソ連軍諜報機関に応募した。1930年代初め、宮城さんは、日本に帰国し、その時、リヒャルト・ゾルゲ率いる諜報グループの活動に加わった。画家としての才能に恵まれていた宮城さんは、ソ連軍諜報機関から多くの仕事を依頼された。宮城さんは、重要な諜報データや極秘情報の全てを、自身が肖像画を手がけた士官・将軍らとの会話を通して入手した。
 宮城さんは、1943年8月2日、巣鴨拘置所(東京)で、未決拘置中に40歳で獄死した。持病の結核に苦しみ、拘置所での拷問とその厳しい環境の中で、体力が奪われていった。公開されているゾルゲ事件の調書には、逮捕後の宮城さんの言葉が引用されているー
「スパイ活動が、世界史的観点からみると、重要な意義があること、そして、スパイ活動の課題が、日本とソ連の戦争回避にあることを認識して、私は、一兵卒として組織に入ることを決めました。戦時中、死刑になることを自覚して、組織に参加したのです」
 宮城与徳さんの他にも、スパイグループの中核メンバーとして活動した、ジャーナリストで評論家の尾崎秀実さんがいる。尾崎さんは、リヒャルト・ゾルゲと同じ日、1944年11月7日に死刑に処された。尾崎秀美さんにも、彼の死後、祖国戦争勲章の授与が決定した。
 宮城さんの親族に勲章を授与したベールィ大使は、「大祖国戦争での勝利から65周年を迎えた今年、ファシズムとの戦いに貢献し、世界を軍国主義から救った一人である宮城さんを偲び、感謝の意を表する」と述べた。
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