2017-04-19 モノは安く・ヒトは高く
安倍総理は「デフレを脱却した!」みたいに言うけど、ユニクロもイオンもセブンイレブンも値下げを発表するなど、企業経営者の中には「デフレが終わったなんて幻想」とまで言い切る人もいます。
いったいデフレは終わったのか、終わってないのか。
今でもよく聞く議論ですが、実はいまやこの議論自体が時代遅れです。
そもそも「デフレとはなにか」・・・基本は「財・サービスの値段が安くなることがデフレ、反対に、財・サービスの値段が高くなることがインフレ」と言われます。
通貨側から見ると「貨幣価値が上がるのがデフレ、貨幣価値が下がるのがインフレ」です。
しかし伝統的なこの定義のままだと、今起こっていることは理解も把握もできません。
というのも、今後は「モノの値段はどんどん安く」「ヒトの値段はどんどん高く」なっていくからです。
経済学者の野口悠紀雄先生は下記の本の中でこの傾向について指摘し、「急な雨に降られたら、タクシーに乗るよりコンビニで傘を買うほうが安い」と書かれています。
なぜなら、ヒトが運転するタクシーは高く、工場で作られたコンビニ傘はそれよりずっと安いから。
そしてこのままでは、今後も傘はどんどん安く、タクシーはどんどん高くなるでしょう。
つまり「モノは安く、ヒトは高く」が、今起こっていることなのです。
伝統的なデフレ・インフレ概念では、モノもヒトも「商品とサービス」「財とサービス」として一括りに論じられます。
しかし今は、「財」と「サービス」は分けて考える必要があります。
というか、別の基準、すなわち「工場で作れるモノ」か、それとも「人間が提供する必要のあるサービスか」で分けて考える必要があるんです。
加速する技術革新、より人件費の安い国への工場移転、グローバル化によるさらなる規模の利益の実現など、モノの価格については、今後も下がり続けるであろう理由がいくつも見つけられます。
一方、先進国でも途上国でも、基本、ヒトはどんどん豊かになります。
豊かになり給料が上がる、つまり、人件費が上がります。だから人手を要するサービスは、どんどん高くなります。
これに日本の場合、少子化、高齢化による生産年齢人口の急減が拍車をかけます。
最近は人手不足のためバイトの時給が高騰しています。典型的な「ヒト」サービスであるヤマト運輸は値上げを発表しました。
昨年来、保育士が足りないから給与を上げるべきという話も、ずっと続いています。
新卒採用はもちろん、中途採用についても、あらゆる業界で人手不足感が高まっています。
こうして、ヒトを要する仕事は今後ますます値段(コスト)が高くなります。
このように「モノが安く・ヒトが高く」なると次に起こるのが、「ヒト産業のモノ産業化」という流れです。
「人間が運転するタクシー」が「人間を必要としない自動運転車」に変わるのがその典型例です。
これによりタクシー業界は、「どんどん高くなるヒト産業」というカテゴリーから、「どんどん安くなるモノ産業」というカテゴリーに移行できます。
ファミレスでは今、ヒトが注文を取りに来ますが、各席のタッチパネルで客がみずから注文するようになれば、「注文を取る」という仕事はヒトからモノの仕事になります。
回転寿司屋みたいに(ファミレスでも牛丼屋でも)レールに乗せて料理を運ぶようにすれば、「料理を運ぶという仕事」も、ヒトからモノの仕事に変わります。
加えて、食べ終わった後に皿やコップを全て回収レーンに乗せ、テーブルを備え付けのウェットティッシュで拭き、タブレットについてる小型カメラに「片付け完了!」と判断してもらえば、食事代金からいくらか割引きされる!
というような制度を作れば、自分で皿を片付けていく客もたくさんいるんじゃないでしょうか。
最後に注文用タブレットにスマホやクレジットカードを読み込ませ、席でお勘定まで済ませられたら? ファミレスのフロアにはヒトがほとんど要らなくなります。
そうすればレストランも「サービス業」から「モノ業」に変換され、それによって「どんどん高くなる産業」ではなく「どんどん安くなる産業」に変わっていけるというわけです。
ヒト産業をモノ産業に変換する切り札は、AI を含むプログラムやロボットです。
もし AI やプログラムやロボットを作るのにヒトが必要であれば、それらを作るのがヒト産業、それらによって自動化されるのがモノ産業ということになります。
飲食店の無人化なんて、そんなに難しいわけではありません。
単に今までは「ヒトが安かった」から、「高い機械=高いモノ」を開発・導入するだけの合理性がなかっただけです。
そういえば、HISは無人ホテル(実際にはヒトもいますが、極めて少ない)を増やしています。
ホテルのような典型的な接客業さえ、ヒト産業からモノ産業に変わっていく。これが、私が近著で指摘した「社会の高生産シフト」の話です。
私たち人間は当面の間、「いかに、ヒト産業をモノ産業に変換するか」という仕事を担当することになるでしょう。
「生産性を上げるために、今の仕事のやり方を変えていくこと」がヒトとしての仕事になるのです。
それ以外の「決められた手順通りに進める」という作業的な仕事は、今後の「モノ産業化」の進展とともに値段がどんどん下がっていきます。
そんな仕事をしていては、給与も上がらなくなるでしょう。
「すべての財とサービスの値段が一律で下がる or 上がる」という典型的なデフレやインフレについて心配したり議論するのは、今の時代に合っていません。
「デフレ脱却!」的なスローガンは、それ自体がすでに時代遅れなんです。
今起こっているのは、「モノの値段が下がり、ヒトの値段が上がる」というふたつの相反した動きです。
そして、「ヒト産業をモノ産業化することにより生産性を大幅に上げる」のが、ヒトに残された仕事であり、社会として取り組むべき課題です。
前に「最近は貧困家庭ほど家にモノが多い」と呟きました。
テレビで取材される貧困家庭を見ると、どこの家でも大量のモノが溢れています。
今はモノは高くありません。大半の生活必需品は 100均で買えます。だから貧困家庭でもモノは増えるのです。
けれど、家の中を掃除してもらうサービスを、貧困家庭が使うことはできないでしょう。
子ども全員を大学まで通わせたり、年老いた親を高級で快適な施設に入居させることもできません。
貧困だと「モノは買えても、ヒトサービスは買えない」のです。
本当はタクシー同様、保育や介護や教育や医療だって、その一部を切り出せば、モノ化できる部分はたくさんあります。
空港の検疫所ゲートを歩いて通る入国客の体温を測っているのは、自動・体温測定装置という機会=モノです。
一方、保育園や介護施設で毎日なんども、たくさんの子どもや高齢者の体温を測っているのは保育士や介護士などのヒトです。
モノ化できる作業をヒトがやっている限り、コストは下がりません。コストを下げるには「モノ化」が必要なんです。
貧困家庭の子どもが大学進学ができなかったり、借金せざるを得ないのも、教育のモノ化が遅れているため、その値段が高いままだからです。
ちゃんと考えれば、教育もその多くがモノ化できます。
無料動画や、格安な月会費でいくらでも勉強できるネットプログラムはその一例です。
ヒトサービスをモノ化することで値段を劇的に下げ、貧困家庭でも利用できるようにする。
これが、これから求められる貧困対策の基本です。
今の貧困対策は、貧困家庭でもヒトサービスが受けられるよう、福祉資金を増額したり、借金制度(奨学金制度)を整えたりしようとしてますが、そんな方法で問題を解決するのは不可能です。
なぜならそのお金を将来払って行くことになる未来の世代が、ますますヒドい貧困に陥れられてしまうから。
そうではなく、必要なのは「ヒト産業のモノ産業化」による、劇的な生産性の向上です。
より高い質の教育が圧倒的に安い値段で手に入れば、貧困家庭の子どもでも高等教育を受けられます。
教育の生産性が低すぎること=質の悪い教育がやたらと高い値段で売られていること=卒業しても、大して稼ぎもできない、そんな大学が多すぎること・・・これが今の問題なのです。
働いているヒトは、どうやったらヒト産業をモノ産業化できるか、どうすれば今の仕事を、もっとヒトの時間をかけずにできるか、真剣に考えましょう。
当面は、それこそが人間が担当する仕事となります。
いま起こりつつある「社会の高生産性シフト」の本質を、ぜひしっかり理解しておいてほしいです。
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