「ごめんなさい。ごめんなさい。小さな不公平が狂気を招く」(無理心中を図った直後、ロマンが残していたメモ)
ジャン=クロード・ロマンはWHO(世界保健機関)に勤務するエリート医師だった。
WHOは地球規模で人類の健康を管理する国連の専門機関。本部ビルはスイスのジュネーブにある。ロマンは毎朝車でフランスの国境を越え、スイスへ通っていた。
ここで働く医師たちは、新しいワクチンの研究などに、日々情熱を注いでいた。ロマンもそこの研究医師。
本部の一階には銀行、旅行代理店、そして図書館がある。ロマンは、暇さえあればこの図書館で時間の許す限り、医学の勉強に没頭していた。
そんな勤勉で真面目な彼の姿を数多くの人が見かけていた。

そして、家庭では家族をとても大切にする優しいパパ。しかし彼は、何故か家族に仕事関係の人間との接触をさせなかった。
妻フロランスには「医者は緊急な手術がある」「出張が多い」など言って、WHOへ連絡を入れることを固く禁じていたのだ。
そう。彼がWHOに勤務する医師などとは、
真っ赤なウソだったのだ。
発端:火事から助け出された男1993年1月9日。フランスの首都パリから南へおよそ400キロ、スイス国境に近いのアン県プレヴサン市。静かな住宅地で、悲劇的な事件は起きた。
明朝4時ごろ、炎に包まれたのは近所の人々からの信頼も厚く「ドクター」と呼ばれ親しまれていたWHOの勤務医であるジャン=クロード・ロマンの家だった。
夫のジャン=クロード、そして妻のフロランス、7歳の娘キャロリーヌ、5歳の息子アントワーヌが家の中にいた。
幸い通報が早かったおかげで約1時間後に火は納まったが、そこには最悪な事態が待っていた。
焼け跡から発見されたのは2人の子供たちと、そして妻フロランスの遺体だった。夫のジャン=クロード・ロマンだけが奇跡的に助かった。ロマンは当初「覆面をかぶった強盗に襲われた」と証言した。
しかし、その後の警察の調べにより、子供たちを撃った銃はロマン本人のライフルであることが判明。
さらにロマンの両親も射殺死体で発見され、そしてこちらも凶器に使われた銃がロマンのライフルなことも分かった。
警察の厳しい追及により、ロマンはついに自供を始めた。事件は人々の想像を絶する展開を見せていく。
過去:思わぬつまづき1954年2月11日。
ジャン=クロード・ロマンは公務員の父と、理想を押し付ける厳格な母の間に産まれた。一人っ子だった彼は、両親に溺愛されて育てられていった。
そしてジャン=クロードも、幼い頃から両親の期待に応えようと、何でもうまくこなす賢い子を演じるようになった。
やがてフランスで、パリ大学につぐ名門リヨン大学の医学部へ進んだ。すべてが順調だった彼の人生。
しかし転機が訪れた。ジャン=クロードは当時フロランスという女性と交際してたが、フロランスは勉強を理由にジャン=クロードと連絡を取らなくなる。
これを「フロランスに振られてしまった」と思い込んだことから、彼の歯車は狂い始めた。
ショックで勉強が身に入らず、マンションに引き篭もる日々。とうとう大学の進級試験も受けられず、留年してしまったのだ。
息子の進級が気になっていた母が試験の結果を聞いてきたが、ジャン=クロードはこれに
「無事進級出来たよ」と答えてしまう。
両親に心配をかけまいと思っての嘘。しかしこの嘘が、彼ののちの人生を大きく狂わせていく。
それからというもの、ジャン=クロードは講義にだけ顔を出し、順調に進級をしているフリをし続けた。
そして卒業の季節がやってきた。進級していないジャン=クロードが就職できるはずがない。
ここで彼は、さらに人生を狂わす大嘘をついてしまうのだ。彼が周囲に答えた就職先は、なんと
WHO(世界保健機関)。
周囲から見れば文字通り「絵に描いたようなエリートコース」で、この嘘で彼はフロランスを心を再び射止め、卒業を待たずに2人は結婚する。
しかし、嘘をつき続けるために用意した嘘のために、ジャン=クロードはその後、ずっと嘘をつき通さなくてはならなくなった。
工作:偽りの日々「出勤」してから家に帰るまで時間をつぶすのに、本は欠かせなかった。そして目立たぬよう、カフェを転々とし読書をして時間をつぶした。
また、大型スーパーマーケットや高速道路の駐車場は人目につかぬ恰好の場所。車の中で一日中読書にいそしむこともあった。
森林を散歩して一日を過ごすこともあったという。
ジャン=クロードはよく家に電話をした。家族を愛する男。しかし、実は自分の嘘がばれていないかを確かめるものだったのだ。
WHOに行くと、必ずここの銀行で金を引き出していた。それは出入記録に残り、いかにもここで働いているかのようだった。
そして図書館に行って、医者を装うための医学知識を身につける。帰りには、置かれている無料パンフレットを必ず持ち帰る。
家族にWHOに勤務している医師という嘘をつくための小道具として。彼の嘘は完璧だった。
(筆者注:WHOの1階は一般人もある程度は自由に出入りできる)
フランス人のバカンスは家族そろって過ごすことが多い。その為にバカンスの予約もチケットの手配も、必ずWHOの中にある代理店で行った。
さらにWHOの医師は国際会議のための海外出張が多い。それは世界各国で行われた。
その度に彼は、出張を装っていた日本で会議が行われた時、ここで便名や出発時間を確認した。
出張を偽るたびに身を寄せたのは、空港近くのビジネスホテルだった。ここに何日も泊まり決して外出はしなかった。
出張先の国の話を家族にするために、ガイドブックを買って覚えこむ。空港で「お土産」を買うのも忘れなかった。そして、家族への電話。
こうして20年近くも嘘に嘘を重ね、家族をだまし続けた。搾取:資金源ロマンは逮捕されるまで、仕事についた事はない。無職の彼は、家族を養う多額の金をどこから調達していたのか?
それはWHOに就職が決まったと嘘をついた時から始まった。
まず彼は学生時代に両親に買ってもらったマンションを勝手に売却。30万フランを手に入れ当面をしのいだ。次に資金源となったのは、自分と妻の両親だった。
エリート医師という信用を武器に「スイスの銀行に預けると年利16%で資産運用出来る」と金を騙し取った。
その中から、適当な金額を給料として生活費にあてていたのだ。
フロランスの父が亡くなった時は、すぐにその家を売却し約130万フランの金を手に入れた。
こうして手に入れた総額360万フラン(当時のレートで約8,280万円)で愛する家族をだましていたのだ。

ある日、ロマンは知人からコリンヌという女性を紹介された。彼女はとても魅力的だった。彼にとって妻以外で心ときめく初めての女性だった。
そして彼女もエリート医師という肩書きに惹かれた。やがて2人は深い関係になった。愛人との時間が安らかで、そして何より都合のいい時間つぶしとなった。
ただ、彼は分かっていた。彼女は「WHO勤務の医師」としての自分を愛していることを。
ロマンは彼女の気持ちを必死につなぎとめるため、高級ホテルに泊まり、高価なプレゼントを贈り続けた。
親や親戚から集めた「生活費」はどんどん無くなっていった。
そしてロマンはコリンヌにも投資の話を持ちかけて金を騙しとったが、そんな金は一時しのぎに過ぎなかった。
さらに両親からの「例の運用の話はどうなってるんだ? 私達のお金はいつ戻ってくるんだ? 絶対に儲かるんじゃなかったのか?」という催促。
しかしすでに、そんな金はなくなっている。
やがて銀行から1通の手紙が届いた。それは「預金残高がほとんどない」という通知だった。ロマンはいよいよ追い込まれた。
苛立ち、焦りを隠せないロマンに妻フロランスは心配する。何か重大なことを隠しているような夫の態度。こんな夫の姿を見るのは初めてだった。
「夫の苛立ち、焦りの原因はなんだろう?WHOの人間なら何か知っているかも…」さらに新しく出来た友人の夫が偶然にもWHOに勤務しており「クリスマスパーティーには勤務医の家族も参加できる」と教えられた。
しかしそんなパーティーは夫から一度も聞かされた事はない……。
ついにフロランスは固く禁じられていたWHOへの電話をした。そして真実を知ってしまう。
ジャン=クロード・ロマンという人間は、現在、いや過去もWHOに勤務していない、と。殺人:全ての破綻一方でロマンは絶望感に襲われていた。銀行にはもう金がない。かといって両親や親戚からこれ以上、引き出せる金もない。嘘で作り上げたすべてが終わってしまう。
さらにコリンヌからも「預けた金を返せ」と迫られていた
その夜、打ちひしがれた状態のロマンは家に帰った。しかし、いつも笑顔で迎えてくれるはずの妻の姿がない。
フロランスは明かりもつけずキッチンの隅に座り込んていた。手には酒瓶。そう、今まで全く飲んだことのなかった酒を飲んでいる。
彼女はロマンを見るなり泣き叫んだ。
「あなたを心配して禁止されてたWHOへの電話をしたわ! そうしたら『ジャン=クロード・ロマンなんて人間はWHOに勤務していない』って!!
あなたは一体誰なのよ!?」ロマンはさらなる絶望に襲われた。嘘をつき続けていたことが、ついにバレた…
愛する妻に、子供に、そして両親にも最低・最悪の男と思われてしまう。彼は無意識のうちにこん棒を掴み、妻を撲殺した。
偽エリート医師ジャン=クロード・ロマン。彼が嘘で塗り固めた世界は、音を立てて崩れ去った。
しかしそれでも、嘘で人生を固めた男の目は覚めなかった。

母親の死も、いや、父の正体も全く知らない2人の子供たち。この子たちに母親の死と、自分の本当の姿をみせることができるだろうか?
無邪気に笑う子供たちに「これまでの幸せの日々は全部偽りだった」とはとてもいえない…わが子があまりにも可哀想すぎる。この歪んだ思いやりがロマンを支配した。
そして彼は、さらに最悪な行動に出た。長女キャロリーヌをライフルで殺害。続いて長男、アントワーヌを殺害したのだ。
ロマンはその足で両親の家に向かい、両親と飼い犬も射殺した。自分が愛した者全ての命を奪った。
自宅へ戻ってくると、ロマンはある決断をする。子供たちの遺体を夫婦の寝室に運んだ。用意したのは睡眠薬だった。家に火を放ち、睡眠薬を飲んだ。
仮面がはがれた男は、全てを焼き尽くし、
嘘で塗り固められた自分の人生を消し去ることを選んだ。だが、火事の通報は早くロマンは生き伸びた。彼は遂に警察に対し、狂気の殺害理由と重ね続けた嘘の数々を自供したのである。
1996年から始まった裁判に出廷したロマンには、WHOの医師として振舞っていた頃の自信に満ち溢れた表情は、欠片も残っていなかった。
ロマンは法廷で「失望される恐怖に襲われた」と供述した。家族の命を奪った後、遺書代わりとも思えるメモを残していた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。小さな不公平が狂気を招く」と書かれていたメモは、警察の捜査でダッシュボードから発見された。
ロマンは最低収容期間22年の無期懲役刑を言い渡された。これは死刑のないフランスでは最大量刑となる。
参考文献嘘をついた男 (河出書房新社)参考サイトザ!世界仰天ニュース エリート医師 衝撃の正体
テーマ:衝撃 - ジャンル:サブカル