>>> 「世界ふしぎ発見」が発見した「本能寺の変の真実」本
** 『本能寺の変 431年目の真実』(明智憲三郎著、文芸社文庫) 40万部突破!! **
>>> 「織田信長」の虚像を暴く!『信長脳を歴史捜査せよ!』
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【2013年12月24日追記】
『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)がベストセラーになっています。しかし、残念なことに「是非に及ばず」は誤訳されています。2009年3月出版の拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』で正しい現代語訳を示したのですが、なかなか研究者のご理解が進まないようです。次版での改訂を期待しています。
【2010年3月17日記事】
織田信長が本能寺で光秀の謀反と知ったときに言った言葉として「是非に及ばず!」という言葉は余りにも有名です。
しかし、この言葉にも問題があります。
と私が書くと、これも光秀の「敵は本能寺にあり」と同じで本当は「信長は言わなかったのか!?」と思われるかもしれません。
★ 「敵は本能寺にあり」を斬る!
大丈夫です!
信長のこの言葉の裏付けはかなり確かなものです。
この言葉は信長の家臣・太田牛一が『信長公記(しんちょうこうき)』に書きました。牛一が本能寺から逃げ出した女性から取材して書いたことを牛一自身が書き残しています。信長が「女どもは苦しからず。急ぎ罷(まかり)り出でよ」と言って女性たちを逃したことも書かれています。信長は通説となっているような残虐な性格ではなく、やさしさのある人であったことはこの史実からもわかります。残虐な人間と脚色したのは羽柴秀吉であったことは拙著『本能寺の変 四二七目の真実』に書いたとおりです。
信長が逃した女性たちはおそらく信長一行様の身の回りの世話をする女性です。信長はニ・三十人の供回りと上洛したと『信長公記』に書かれていますが、馬の世話係や武器などの運搬係といった人達も加えると百人ぐらいとみられます。そういった人達の炊事・洗濯・掃除などのためにそれなりの人数の女性が必要だったのでしょう。
そういった女性はもちろん身元のしっかりした人達です。だから、牛一が本能寺の変の後に見つけ出して取材することができたわけです。
★ Wikipedia「信長公記」記事
★ Wikipedia「太田牛一」記事
では問題はなんでしょうか?
それは「是非に及ばず」という言葉の意味の解釈です。
従来、この言葉は「仕方がない」という諦めの言葉と解釈されてきました。確かに広辞苑を引いても「是非に及ばず」は「仕方がない」という意味だと書かれています。そこで、「光秀のような周到な人間の企てたことなので逃げることができない、仕方ない、あきらめた」と解釈されてきたわけです。
ところが、『信長公記』に書かれている文脈からは、どうしてもそういう意味とはならないのです。『信長公記』の文脈は次の通りです。
「是れは謀叛か、如何なる者の企てぞと、御諚(おおせ)のところに、森乱(森乱丸)申す様に、明智が者と見え申し候と、言上候へば、是非に及ばずと、上意候。透(すき)をあらせず、御殿へ乗り入れ、・・・」
この文章には大事なことが2つあります。
一つ目は「是非に及ばず」と「上意(命令)」したということです。この言葉は命令として発せられたものなのです。「あきらめた!」という命令はありえません。
二つ目は「直ちに御殿へ移って戦闘態勢をとった」ということです。あきらめた人間のすることではありません。
「命令して戦闘態勢をとった」という文脈からすると「是非に及ばず!」は全く別の意味であることがはっきりわかります。
そこで原点に戻って「是非」の意味を確認する必要が出てきます。広辞苑で引くと次の解釈が書かれています。
①是と非。道理にかなうこととかなわないこと。よしあし。正邪。
②よしあしの判断・批評。品評。
つまり、信長は「なに、光秀の謀叛らしいと?! それが是か非か、本当かどうか、論ずる必要はない!それよりも即刻戦え!」という意味で森乱丸に命じたのです。これが本稿の結論です。
さて、ここまで読んでお気付きの方がいらっしゃると思いますが、森「乱」丸?森「蘭」丸ではないの?!
正解は森乱丸なのです!
これも羽柴秀吉が森蘭丸に作り変えたことは拙著に書いた通りです。
ところで、本能寺での信長の最期の言葉として、「是非に及ばず」ではなく全く別の言葉を言ったと書き残した人達がいます。次回はこれについて書いてみましょう。かなり信憑性が高いのです。(以下のページに書きました。ご覧ください)
★ 信長最期の言葉の証人捜査(前編)
★ 信長最期の言葉の証人捜査(後編)
★ 信長最期の言葉の証人捜査(完結編)
★ 織田信長:苛烈・冷酷説を斬る!
★ 本能寺の変:定説の根拠を斬る!
【このブログのご説明】
『本能寺の変 四二七年目の真実』著者のブログです。通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。
プレジデント社から2009年3月に拙著出版して以来、幅広いご支持をいただいて、ようやく2万部を越えました。皆様のご支援に感謝しております。拙著出版後も「歴史捜査」を深めており、その情報をブログで発信しております。いずれ、第2作につなげるつもりでおりますが・・・・
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『本能寺の変 四二七年目の真実』出版のお知らせ
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『本能寺の変 四二七年目の真実』あらすじ
『本能寺の変 四二七年目の真実』読者書評
【2014年4月10日追記】
第2作につながりました!2013年12月発売『本能寺の変 431年目の真実』(文芸社文庫)。皆様に好評価をいただき10万部突破&啓文堂大賞受賞です。
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>>> 『本能寺の変 431年目の真実』プロローグ
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【2013年12月24日追記】
『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)がベストセラーになっています。しかし、残念なことに「是非に及ばず」は誤訳されています。2009年3月出版の拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』で正しい現代語訳を示したのですが、なかなか研究者のご理解が進まないようです。次版での改訂を期待しています。
【2010年3月17日記事】
織田信長が本能寺で光秀の謀反と知ったときに言った言葉として「是非に及ばず!」という言葉は余りにも有名です。
しかし、この言葉にも問題があります。
と私が書くと、これも光秀の「敵は本能寺にあり」と同じで本当は「信長は言わなかったのか!?」と思われるかもしれません。
★ 「敵は本能寺にあり」を斬る!
大丈夫です!
信長のこの言葉の裏付けはかなり確かなものです。
この言葉は信長の家臣・太田牛一が『信長公記(しんちょうこうき)』に書きました。牛一が本能寺から逃げ出した女性から取材して書いたことを牛一自身が書き残しています。信長が「女どもは苦しからず。急ぎ罷(まかり)り出でよ」と言って女性たちを逃したことも書かれています。信長は通説となっているような残虐な性格ではなく、やさしさのある人であったことはこの史実からもわかります。残虐な人間と脚色したのは羽柴秀吉であったことは拙著『本能寺の変 四二七目の真実』に書いたとおりです。
信長が逃した女性たちはおそらく信長一行様の身の回りの世話をする女性です。信長はニ・三十人の供回りと上洛したと『信長公記』に書かれていますが、馬の世話係や武器などの運搬係といった人達も加えると百人ぐらいとみられます。そういった人達の炊事・洗濯・掃除などのためにそれなりの人数の女性が必要だったのでしょう。
そういった女性はもちろん身元のしっかりした人達です。だから、牛一が本能寺の変の後に見つけ出して取材することができたわけです。
★ Wikipedia「信長公記」記事
★ Wikipedia「太田牛一」記事
では問題はなんでしょうか?
それは「是非に及ばず」という言葉の意味の解釈です。
従来、この言葉は「仕方がない」という諦めの言葉と解釈されてきました。確かに広辞苑を引いても「是非に及ばず」は「仕方がない」という意味だと書かれています。そこで、「光秀のような周到な人間の企てたことなので逃げることができない、仕方ない、あきらめた」と解釈されてきたわけです。
ところが、『信長公記』に書かれている文脈からは、どうしてもそういう意味とはならないのです。『信長公記』の文脈は次の通りです。
「是れは謀叛か、如何なる者の企てぞと、御諚(おおせ)のところに、森乱(森乱丸)申す様に、明智が者と見え申し候と、言上候へば、是非に及ばずと、上意候。透(すき)をあらせず、御殿へ乗り入れ、・・・」
この文章には大事なことが2つあります。
一つ目は「是非に及ばず」と「上意(命令)」したということです。この言葉は命令として発せられたものなのです。「あきらめた!」という命令はありえません。
二つ目は「直ちに御殿へ移って戦闘態勢をとった」ということです。あきらめた人間のすることではありません。
「命令して戦闘態勢をとった」という文脈からすると「是非に及ばず!」は全く別の意味であることがはっきりわかります。
そこで原点に戻って「是非」の意味を確認する必要が出てきます。広辞苑で引くと次の解釈が書かれています。
①是と非。道理にかなうこととかなわないこと。よしあし。正邪。
②よしあしの判断・批評。品評。
つまり、信長は「なに、光秀の謀叛らしいと?! それが是か非か、本当かどうか、論ずる必要はない!それよりも即刻戦え!」という意味で森乱丸に命じたのです。これが本稿の結論です。
さて、ここまで読んでお気付きの方がいらっしゃると思いますが、森「乱」丸?森「蘭」丸ではないの?!
正解は森乱丸なのです!
これも羽柴秀吉が森蘭丸に作り変えたことは拙著に書いた通りです。
ところで、本能寺での信長の最期の言葉として、「是非に及ばず」ではなく全く別の言葉を言ったと書き残した人達がいます。次回はこれについて書いてみましょう。かなり信憑性が高いのです。(以下のページに書きました。ご覧ください)
★ 信長最期の言葉の証人捜査(前編)
★ 信長最期の言葉の証人捜査(後編)
★ 信長最期の言葉の証人捜査(完結編)
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プレジデント社から2009年3月に拙著出版して以来、幅広いご支持をいただいて、ようやく2万部を越えました。皆様のご支援に感謝しております。拙著出版後も「歴史捜査」を深めており、その情報をブログで発信しております。いずれ、第2作につなげるつもりでおりますが・・・・
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明智憲三郎のプロフィール
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『本能寺の変 四二七年目の真実』読者書評
【2014年4月10日追記】
第2作につながりました!2013年12月発売『本能寺の変 431年目の真実』(文芸社文庫)。皆様に好評価をいただき10万部突破&啓文堂大賞受賞です。
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私の説明の核はわずか7行ですが、28頁かけて様々な視点から裏付けていただいたことに感謝しております。