――辛さんも学校がキライだったそうですね。
大キライでした。私は、学校に行ける子のほうが異常だと思っているんですね。あの環境のなかで、学校に行き続けられるほうがおかしい。単一色で、教師は決められた枠の中を通ってきた人ばかりだし、多様性がない。それでいて、わかったような顔で、ものを教えている。
第一、学校制度そのものが、おかしいですよ。決まった内容を、決まった時間、同じ席に座ってやる。先生は、それを管理している。まるで奴隷工場ですよね。
■朝鮮学校で
私は、小学校三年生から中一まで、朝鮮学校に行っていたのですが、一番学校に行かなかったのは、そのあいだです。当時、朝鮮学校では「反日本帝国主義・反アメリカ帝国主義」の教育が盛んだった。そうすると、日本の学校から来た子は敵国から来たようなもので、いじめの対象にもなるし、思想的に問題があるともされた。
まず、みんなは朝鮮語を話しているのに、私は話せない。「総括」の時間というのがあって、先生が「今日、日本語を話した人」と聞くんですね。すると、さっきまで一緒に遊んでいた子が、手のひらを返したように、私が日本語を話していたことを先生に言う。
私は自己批判をさせられて、「私の思想信条は、たいへん悪いものでした」と言わされる。それが毎日、続くんですね。反発をしたり、異議申し立てをしたりする者は「頭がおかしい」とされてしまう。
あるとき、暴力的なことがあって、私は「殺される」と思い、学校に行かなくなった。「殺される」という恐怖までいかないと、学校から出ることができなかった。時代も悪かったと思いますが、私は、それは朝鮮学校だからなんだと思っていたんですね。
■日本の学校も同じ
日本の中学校だったら、朝鮮学校とはちがうだろうと思って、中三のときに学校を移りました。だけど日本の学校も、まったく同じことでした。みんな、成績や先生のことばかり気にしている。先生も、私がちょっと自分の意見を言うと「あなたは頭がおかしいから精神科に行ってきたほうがいい」なんて言う。
あるときは、「文集をみせてください」と先生に言ったら、「朝鮮人は汚いからさわるな」と言われたんですね。そのとき、はじめて自分のことを「汚い」と言われた。
朝鮮学校に行っていたときは、朝鮮学校の子どもは、みんな同じ顔をすると思っていました。金日成や北朝鮮の考え方を賛美して丸暗記する子どもが優秀で、みんな同じ。だけど日本の学校も、みんな同じで、輪を大事にして、自分の意見を言わず、責任をとらない。それはつらかったですね。
――学校に行かないことで、親はどうでしたか?
幸いだったのは、私が女だったことですね。儒教では、女が学問を積む必要はないんですね。だから逆に、学校に行かなくても勉強しなくても、怒られたことがなかった。それは、よかったかもしれない。
■学校に行くほうが異常
ある子が自分が不登校だったことにすごい罪悪感をもって、「自分はおかしいんじゃないか」と言っているのを聞いたとき、私はとても驚いたんですね。あんなところに行けるヤツのほうが異常ですよ。それなのに、その異常さをみんなでガマンしている。
教育なんて、学校でできるわけじゃないでしょう。私は、「学校に行くほどバカじゃない」とよく言います。何かを勉強するとき、そこが便利だったら行けばいい。だけど、語学教育は惨憺たるものだし、自分の好きなことに集中することもできない。自分がわからなくなっても、ずっとそこにいなくちゃならない。
――もっと、いろんなあり方が認められていいですよね。
私は、不登校の人に奨学金が出るようになるといいと思います。そのお金で、国際社会に出たり、学校じゃないところで、いろんなことを学べるようになったらいい。たとえば「多文化探検奨学金」とかね。
この社会は、子どもに意見を聞かないですよね。子どもはマーケットでしかない。子どもに人格があると思っていないですよね。
不登校が一〇万人を超えたと言いますが、これだけ自己表現をしにくい状況なのに、これだけの子どもが声をあげているというのは、大変なことだと思います。
■会社も学校と同じ
――企業研修の活動を通して、辛さんが会社社会に感じることは?
企業に入る人は、そこで何がやりたいかではなく、ブランドで入っている人が多い。だから、いま大きな構造改革が求められているのに、それについていけなくなっている。会社も、学校とまったく一緒ですね。
――いまだに学歴主義は根強いですよね。
だけど優秀な企業は、学歴に関係なく、会社にとって必要な評価基準というものをつくりあげていますね。学歴、性別、国籍、年齢、障害といったことには関係なく、とにかく優秀であればいい、と考えている。そういう会社に研修に行くと、全然ちがいますね。一人ひとりが生きている。そういうところからは、何かが生まれたり、つくられたりしていますね。
あるスポーツメーカーでは、有名大学を卒業した人が、おおぜい解雇されたりもしている。
バブルがはじけて、企業は、今までのやり方ではダメだと肌で感じている。これからは、その人が何ができるのか、何がしたいのかが問われてくるし、そういう企業が生き残っていく時代ですよね。
それから、日本の子は、なんで会社に入りたがるのかと思いますね。働くというと、組織に入って働くことしか考えられない。
――自分たちのやりたいことは、自分たちでつくっていきたいですよね。
そうですね。私は、自分たちが幸せに生きることが大切だと思っているんですね。「がんばった女の後ろに女はついてこない」と言いますけれども、楽しくないと、人もついてこない。私自身も、楽しんで仕事をしています。
■不登校を商品にする!?
不登校は、もっとメディアに出て、商品にしたらいいと思います。不登校新聞をバンバン売りつけて、もう一つの価値観として成り立たせてしまう。
私は朝鮮人であることを商品化するのに成功した。朝鮮人の女だってちゃんと仕事ができる、朝鮮人の女だ、ということをブランドにした。いろいろ智恵をしぼって、敵に勝負を挑んでいく。私は、日本社会で一番きらわれる口の悪いババアになろうと思いましたね。要領よく他人や周囲に合わせて生きていたら、何も残らない。
そういう意味で、不登校は尊敬に値すると思います。意志を持つことが許されない社会で意志を持つということは、すごく大きな力ですよね。それがキラキラ輝いていることに、みんなに気づいてほしいですね。
――お忙しいところ、ありがとうございました。
(しん・すご) 1959年東京生まれ。85年、人材育成会社(株)香科舎を設立。人材コンサルタントとして活躍する一方、コメンテーターとしてテレビ、ラジオ、新聞などにも出演。2000年からは、石原やめろネットワーク共同代表や「多文化探検隊」を主宰している。
※1999年2月1日 不登校新聞掲載