kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2017年04月18日

英テリーザ・メイ首相がこれまでの発言を翻し、解散総選挙実施へ。6月8日投票。

労働党は、本気で勝ちに行くだろうか。「この選挙で負けた責任を取る」というきれいな形でジェレミー・コービンを退陣させることができる好機として利用するのではないか。

もちろん、「勝ちに行く」だけの力があるかどうかは別問題だ。だが、労働党は、信じがたいほど内向きになっている。2015年総選挙の結果を受けてエド・ミリバンドが退陣し、その後9月の党大会で、多くは「一般党員」たちの支持によってジェレミー・コービンが党首に選ばれてからこの方、労働党(ニュー・レイバー)の上層部やPR部門はずーっと一貫して、「保守党を相手にどう戦うか」ではなく「コービン党首をいかに引きずりおろすか」に注力してきた。「コービンでは選挙に勝てない」という言説はよく流されているし、実際に労働党の議員たちが「コービンおろし」を画策して失敗したことも一度ではない。「だれそれがシャドウ・キャビネットから辞任」というニュースは、少なくとも二度、政治面の大ニュースになった。そのたびに「激震」を引き起こすはずだったのだろうが、実際にはコービンの周辺から「変なのがいなくなってより磐石になった」ような状態だ。現在のシャドウ・キャビネットの陣容には、私でも目を背けたくなる。

そして「コービンでは選挙に勝てない」と大手新聞(ガーディアンのような)に発言の場を持っている特権的な立場の人が発言するたびに、特権などカケラも持っていない一般人がTwitterで「このクソ・ブレアライトが!」と叫ぶ。それが何度も繰り返され、そのうちにどんどん過熱して、労働党支持者が労働党支持者に対して「ブレアライトめ!」というレッテルを貼って回るのが常態化し、実に非生産的で醜悪な光景が展開されるようになったのは、軽く1年以上前のことだ。2016年6月のEUレファレンダムは、そういう空気の中で、イングランドの夏を祝う季節の始まりを告げるグラストンベリー・フェスの初日(木曜日)に行なわれた。

元々、投票前の報道などで「離脱という結論になることはまずない」と言われ続け、投票するために必要な登録をするまでもないかということで棄権した人も多かったと思われるが、コービン率いる労働党は、「EU残留」を看板に掲げながらも、気の抜けたようなキャンペーンをするに留まった。

元々EUレファレンダムは、「EU離脱」派は「変化」だの「取り戻せ」だの、ポジティヴな響きのする言葉を並べて明るいヴィジョンを提供することができた一方で(もちろん「移民制限」というどす黒い思想もあったが、それすら、2016年の英国では以前ほどどす黒くは聞こえないものになっていたようだ)、「EU残留」派は現状維持を訴えるだけで、分が悪かった。ほっといても維持されるであろう現状のために、だれが尽力しようと思うだろう。

そういう事情ももちろんあるのだが、コービンの場合、そういうのとはちょっと違っているとみるべきだろう。「EU離脱」でキャンペーンを展開したのは、ニュースになるのはUKIPのような右翼陣営の離脱派がほとんどだったが、左翼陣営にも離脱派はいた。というか元々「反グローバリズム」は(UKIPやドナルド・トランプのような人たちとはまったくかけ離れた)左翼陣営で盛んに主張されてきたことで、EUについても「反グローバリズム、反キャピタリズム」(「反キャピタリズム」は「富を独占し、悪いことをしてもお咎めなしで銀行家だけがおいしい思いをするのはおかしい」というような考え。必ずしも共産主義ではない)の考えから「よくないもの」、「打破すべきもの」とする主張がある。コービンの立場は元々その立場で、あの人は労働党党首になってなどいなかったら、2016年6月のEUレファレンダムでは左翼の側の「離脱」陣営に立っていたことは確実だ。

そういえば3月2日の北アイルランド自治議会選挙で、昨年の5月の選挙で得たばかりの議席を失ったデリーのエイモン・マッカン(People Before Profitという政党の所属)は、落選が確定しないまでも当選はできなさそうだという観測が固まったときに「EU離脱の側に立ってるせいだろう」と言っていた。マッカンは、彼が左翼でなければ誰が左翼かというレベルで左翼だが、EU離脱を主張していた(今、彼がそのことをどう思っているかは、私はチェックしていない)。そういう人は、マッカンだけではもちろんない。

こんなことを書いていたら、いつまでたっても書き終わらない。

ともあれ、2016年6月の投票を前に、右翼の側(キャメロンら)でも左翼の側でも「EU離脱を断固阻止すべし」という内容の熱の入ったキャンペーンは行なわれなかった。そしてどうなったかは、あえてここで書くまでもないほど広く知られている通りだ。

投票結果を受けてデイヴィッド・キャメロンが退陣した後、保守党内で新たな党首になったのがテリーザ・メイだ。2010年にキャメロンが首相になって以降ずっと内務大臣を務めてきた(&「移民」を減らそう減らそうと尽力してきた)彼女は、EUレファレンダムに際しては「残留」の立場だったが、それは(ジェレミー・コービンが「離脱」陣営でキャンペーンをしなかったのと同じような)政治的な判断だったかもしれない(がなぜか、「メイ首相は残留派だったので穏健」みたいな雑な理解が一般化している)。首相退陣というイレギュラーな出来事で、後継の与党党首として自動的に首相を引きついだメイだが、保守党党首としてすらまともに投票で選ばれたとは言えず(党首選の最後の段階で、対抗候補が出馬を取り下げたため、無投票で党首となった)、労働党があの状態で保守党政権を止めるどころかプレッシャーをかけることすらろくにできそうにもないという状況下で彼女の足元を揺るがすものがあるとすれば、「投票で選ばれた首相とはいえない」という事実だけだろうなとは思っていた。それまで無視されてきたがEUレファレンダム以降「マジョリティ」を堂々と自認するようになった人々による「マジョリティの意思を直接政治に反映させろ」という要求に応じている(ように見える)限りは安泰だろうが、ひとたび、「マジョリティ」の意にそわない判断をくだしたら、その瞬間にひっくり返されるような不安定な立場にあるわけで、ほんとのところでは、その不安定な立場を固めるために選挙をしたくてたまらないだろうということは、誰もが思っていたに違いない。

しかし、イースター休暇明け(先週金曜日がグッドフライデーで、昨日の月曜日までが休みだった)にこんなニュースが来るとは、思っていなかった。























そして、個人的には、3月2日の自治議会選挙以降、まったく完全に空転状態が続いている北アイルランドで変なフラグが立ちまくっているのが不安でならないのだが、「総選挙」とかいうことになると、DUPが議席を保持しうるものかどうかっていうことになるようにも思う。自治議会選とは違って英国の下院議員の選挙は原始的な単純小選挙区制だから、自治議会選のような波乱は予想されえないかもしれないが、それでも、自治議会選挙でネルソン・マコースランドが落選するなんてことは誰も予想してなかったわけで。

「変なフラグ」の最新のもの:




北アイルランド、ほんとどうなるか、全然わかんないっすね。そしてこの局面で、マーティン・マクギネスがもういないという事実。マクギネスがいないから、ユニオニスト側は「過去」について強気になれてるっていうのは絶対にあるんで(自分たちがマクギネスと権限を分譲して自治政府の閣僚ポストについている以上、「大人の事情」が生じていた。その「事情」を持たないTUVのような過激派の声は、その間に多かれ少なかれ増幅されていた)。

そして、すべてのカオスの元凶の、前回の総選挙(2015年)に際してのこの言葉。「エド・ミリバンドが勝ったら英国はカオスになる」と、(反ユダヤ主義すれすれのデイリー・メイルの情宣を味方につけて)正体不明の脅威論をばら撒いてた奴が、英国をとんでもないカオスに叩き落したんだから、これが現実でなければ最高のコメディだ。



twittertrendsuk18april2017.png現時点でのTwitterのTrendsはこんな感じ(2017年4月18日22時50分ごろ、日本時間)。「イースター休暇終わっちゃった」というBack to workのハッシュタグを除く9件すべてが、突然告知された解散総選挙に関するワード・フレーズである。各種ニュースフィードなどは、#GeneralElectionのところに集まっている。


あ、共闘って話、出てるんすか。





今年は1997年に「ブレアの労働党(ニュー・レイバー)」が地すべり的勝利をおさめてからぴったり20年で、Twitterではノッティンガム大学の研究者たちが運営する「1997年をリアルタイムで再現するアカウント」(マンチェスターにある人民史博物館 People's History Museumでの展示と連動)が当時の報道や資料を毎日ツイートしている。今日は、選挙戦もいよいよ佳境に入ってきたころのムードがよく伝わってくるものが多くツイートされている。





この↑ビデオは、下記のビデオである。政策不在で恐ろしいほどの「個人崇拝」っぷりだが、当時は(このビデオに一瞬だけ出てくる)保守党ジョン・メイジャーの「とことん灰色」なイメージを塗り替えるさわやかな若い希望の光としてプロモートされていたし、それを多くの人々がまじめに受け取っていた(日本では、いまだにそのイメージを引きずっている人も少なくないかもしれない)。音楽は、当時ヒットしていたD:REAMというポップバンドの曲で、このバンドのライヴ用ラインナップでキーボードを弾いていたのが、現在BBCなどの科学番組でも大活躍している物理学者のブライアン・コックスである。


(冒頭10秒と末尾のほうのはアップ主の付け足しなので、無視してよい)

@newdawn1997 からもう少し。






英国の人々は1997年のこの「希望の光」を信じた挙句、イラク戦争へ導かれた。「IRAのテロ」の時代は終わったけれど、「ホーム・グロウン・テロリストの予期できない "テロ" 活動」がある。

そういう時代に「声なき者たち」が声を得て、「マジョリティ」として雄たけびや金切り声を上げ始めたのが、「EUレファレンダム」だった。その後に続発した「移民」に対する襲撃もまた、「マジョリティ」を自認する者たちによる行為だ。

Things can only get betterと臆面もなく言えていた時代は、確かにキラキラと輝いて見える。

(あの曲の作詞作曲をしたシンガーが北アイルランドのデリーの人というのも、ね)

※この記事は

2017年04月18日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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