【半島脱出①】日本人なら知っておくべき朝鮮人の暴虐の過去~先人の財産~


 

 

日本人なら知っておくべき、戦後動乱時の状況です。
朝鮮半島からの引上げにおいて、どのような悲劇を日本人は受けたのか。
有事勃発のリスクが高まる昨今、紙媒体で綴られた当時の情勢を振り返りたい。

これは平成の世の私たちに託された、
先人たちの、戦中戦後世代からの贈り物です。

 

お恥ずかしながら、web上の拾い物から、、、となります。
当方において全ての書籍を購入し、それぞれ確認したわけではありません。
引用時における誤字脱字等、チェックしきれておりませんので、その点はご容赦を。

代わりに、検索できる限りの書籍情報を調査し、
存在が確認できるものはamazonのリンクを付すと共に、ISBN等の書籍情報を掲示しております。
実際にソースを確認したい方は、ISBNを元に図書館を利用するか、購入のちご自身でご確認をお願いいたします。

 

重要
せめて一度は、この「音」を聴いておいてください。

・ミサイル攻撃時の、J-ALERTの音源
・【マニュアル】武力攻撃やテロなどから身を守るために(内閣官房)

 

 

 

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(OGP画像)

 

 

 

 

朝鮮戦争の真実―元人民軍工兵将校の手記

朱 栄福著

そもそも朝鮮は、朝鮮側からの要望もあり日本統治され、
発展し、朝鮮人の寿命が伸びた事実があります。

戦時中は、共に戦いましたが、
日本が負けた事を知るとソ連の戦争参入に便乗して日本人を虐/殺したり、
日本人女性が強/姦されたりした事は、紛れもない史実です

台湾 にいた日本人は、台湾 人と涙ながらに別れて引き揚げて来ました。
しかし、朝鮮半島からは、「命からがら」逃げて来たのです。

終戦1週間前の1945年8月8日、
ソ連が日ソ中立条約 を破って対日宣戦を布告して満州と朝鮮に侵攻して来ました。

窓も門も開け放しのまま去った
日本人の空き住宅、商店、倉庫等にアリのように人間が群がった。

家財、衣類、食器、装飾物、楽器、娯楽品、靴、傘、書籍、自転車、
あらゆるものをかっさらい運び出すのに忙しかった。

町全体が怒鳴り合い、奪い合い、誰もが目を皿のようにして走っていた。
ある人はトランクを担いで逃げる。

皆走る、ぶつかる、ののしる、宝物を求めて、より大きい高級住宅に入る。

引揚げの惨事は北朝鮮 だけに起こったのではない。
南朝鮮(韓国 )においても、日本人に対し朝鮮人はあらゆる悪事を働いた。

北と南に民族性の違いはないのである。同じ朝鮮人、当然でしょう。

(書籍情報)
朝鮮戦争の真実―元人民軍工兵将校の手記
朱 栄福著

単行本: 454ページ
出版社: 悠思社 (1992/10)
言語: 日本語
ISBN-10: 4946424350
ISBN-13: 978-4946424359
発売日: 1992/10

 

 

正論 2005 年 11 月号

引揚民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐

北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、
辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。

そこで見たものは、日本人の娘が次々にまずソ連兵に犯され、
ついで、韓国の保安部隊に引き渡されて、更に散散にいじめられたうえ、
虐殺される光景であった。

朝鮮保安部隊の略奪と暴行は、残虐を極めた。

夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、
17 になる娘を父親からひったくるように連行。

娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。

皆、ソ連兵を韓国人が案内したのだった。

部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、
金や着物や米などが取り上げられた。

一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。

城津での惨状は言語に絶した。韓国 人の男女が数十名の団体で押しかけ、
干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、
あげくは婦人の「提供」を要求した。

(書籍情報)
正論 2005 年 11 月号
ASIN: B008X42I4Q
発売日: 2005
寸法: 21.4 x 14.6 x 1.8 cm

 

 

生きて祖国へ〈5(朝鮮篇)〉死の三十八度線

引揚体験集編集委員会編

日本敗戦後一年が過ぎても北朝鮮 内の日本人の移動は禁じられていた。
筆者のグループは賄賂を使ってトラックを雇い南朝鮮への脱出を決行する事になった。

昭和21年9月中旬、朝鮮警察のトラックを使用する。
料金は一人千円ということで、赤ん坊も含めて、私は六千円を支払った。

市辺里で全員トラックから下ろされ、後は徒歩になったのだが、
牛車が2台待っていて使用を強制され、荷物を載せて身軽で歩いた。

牛車代は多額が要求され、次の部落では次の牛車に載せ替えられて
また金を巻き上げられる。山の中腹に煙が見えた。

そこはチゲ部隊の交替地であった。

もうこの頃には、醵出する金は無くなっていたが、物でもいいと言われ、せっかく、
わざわざここまで運んできた物を大部分取上げられてしまう。

稜線まできたチゲ部隊に、
「こんな少しばかりで、お前ら、日本へ帰れると思うのか。もっと出せ出せ!!」
と威かくされ、残りの物まで投げ出し、疲労困憊の老幼男女は、狂気のように
この38度線の山稜を駆け下る。

(書籍情報)
生きて祖国へ〈5(朝鮮篇)〉死の三十八度線
出版社: 国書刊行会 (1981/06)
ASIN: B000J7X8U8
発売日: 1981/06
寸法: 20.4 x 14.2 x 3.6 cm

 

 

私の三十八度線突破記録 

梶山緑

文坪の町も日に日に治安が悪くなっていた。
しばらく鳴りを潜めていた朝鮮過激分子の跳梁が始まってきた。

元山でも朝鮮人が暴徒と化して、日本人経営の店や住宅にまで押しかけて
暴行、略奪を始めたという噂が入ってきた。

ソ連兵は保安隊員の先導で日本人の住宅地区にやってきて、
家中を物色しありとあらゆる家財道具を略奪し始めた。

その内のめぼしい物がなくなってくると今度は、
「女!女!」と言って若い女性を連れ出すようになってきた。

私達若い女性は、頭髪をぷっつり切り落とし丸坊主になり、
貧しい男の子のように薄汚れた服を着るようにした。

ソ連兵や保安隊員が来ると、いち早く床下に隠れたり、
前もって準備して掘った穴に身を潜めた。

・・・私の三十八度線突破記録  梶山緑

(書籍情報)
こちらは書籍としては刊行されているかは不明。
平和記念展示資料館(総務省委託)において、以下のようにpdfで公開されていた。

http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/12hikiage/H_12_356_1.pdf

 

 

韓国・朝鮮と日本人

―韓国・朝鮮人の嫌いな日本人 日本人の嫌いな韓国・朝鮮人

北鮮に入って来たソ連軍は、満州におけると同様、
略奪、放火、殺人、暴行、強/姦をほしいままにし、

在留日本人は一瞬にして奈落の底に投じられる事になった。

白昼、妻は夫の前で犯され、
泣き叫ぶセーラー服の女学生はソ連軍のトラックで集団的にら致された。
反抗したもの、暴行を阻止しようとした者は容赦なく射殺された。

ソ連兵に触発された朝鮮人の暴行も多かった。
富坪の避難民3000名中、その半数が死/亡した。

一日も早く引揚げさせてくれという要望はソ連軍当局によって無視され、
日本人はただただ餓死を待つよりほかない状況に追い込まれた。

在留日本人社会では「38度線さえ越えれば」というのが唯一の悲願となった。

やせこけた身体に乞食のようなボロ をまとい、
山を越え谷を歩き強盗にささやかな所持品を奪われ、歩哨の銃弾に倒れ、
人々は南に辿り着いた。

(書籍情報)
韓国・朝鮮と日本人
―韓国・朝鮮人の嫌いな日本人 日本人の嫌いな韓国・朝鮮人
若槻泰雄(著)

単行本: 347ページ
出版社: 原書房 (1989/10)
言語: 日本語
ISBN-10: 4562020733
ISBN-13: 978-4562020737
発売日: 1989/10
商品パッケージの寸法: 19.2 x 13.2 x 3.2 cm

 

 

「大東亜戦史 8 朝鮮編」

池田佑編 富士書苑

悪夢のような数日の怒りがこみ上げてくるのであろう、
「畜生、ロ*ケのやつ」「山賊朝鮮人め!」髪を振るわして、
朝鮮人の顔役がズラリ顔をそろえてやって来て、打つ、蹴る、殴るの「見せしめ」が始まる。

この日も悪い奴がやって来た! と思ったが、炊事当番の人々が知らぬ顔をしていると、
「負けたくせに生意気だ」と食って掛かって来た。

あまりの雑言にきっと目をすえると、「これでも食え!」と言いざま、
足もとの土砂をすくって、パッと味噌汁の鍋にたたきこんで逃げていった。

久しぶりのご馳走というので、窓、窓には笑顔が並んでいたが、
この光景に、窓の表情はたちまち青ざめた憤りに変わった。
今日もまた「命令」と称して朝鮮人のトラックが乗りつけて来た。

カーキー色のものは服といわず靴といわず、一物も余さずかっさらって行く。
これらは軍需品だから没収するというのである。

これから寒さに向かうというのにシャツ1枚でも無駄にはできない、
その貴重品をトラックに山積みにして今日も引揚げていく。

避難の人々は、最後の1枚を没収されないためにチエを絞り出した。
明日もまた現れるであろう没収団の為、有り合わせの染料で他の色に染め変えてしまった。

その翌日、朝鮮側の命令は例のとおりやってきた。

一同は一夜で変わった黒や青色の服で列を作ったが、
予想に反して今度は服装には目もくれず、意外な命令が言い渡された。

「今度は一切の所持金を提出しなければならない。
もし、この命に違反し、一銭といえども所持していることが後で分った場合は銃殺される。

では、本日ただちに提出するように」有無を言わせない強制処置である。
今後何か月かかるか分らない長い苦難を前に、金こそは命の綱である。

その命の綱を一銭残らず供出したら
――今までに子供がおなかをすかせれば芋の一つも買ってやれたのに、
無一文は死の宣告も同然である。

しかし、銃殺で脅かされた一同は、泣く泣く最後の一銭までも提出してしまった。
その夜、カユをすすった避難民一同は絶望の中に寝られぬ夜明けを迎えた。

その朝も、恐怖の的である命令が来た。

1日1日この命令で心臓を締め付けられてきた一同は、
伝令の姿が現れると、もうそれだけで体が震え出した。

「命令」冷厳な、その命令は疎開本部代表に針のような鋭さで伝達された。

「17歳以上、50歳までの男子は、ひとり残らず軽装で集合せよ」
十分の猶予が与えられて男子は校庭に集合した。

この部隊はそのまま朝鮮保安署に連行された。

残された婦人たちは「いつもの使役だとよいが…」と冷たい雨の中を去っていく
男子部隊をいつまでもいつまでも見送っていた。

この雨中の別れが、長い長い別れとなった。
この男子部隊はその夜、移駐を命じられ、遠くシベリア送りとなったのである。

(書籍情報)
大東亜戦史〈第8〉朝鮮編 (1969年)
池田佑編 富士書苑
417ページ
出版社: 富士書苑 (1969)
ASIN: B000J9E2V0
発売日: 1969
商品パッケージの寸法: 19.6 x 16 x 3.4 cm

 

 

 

<紙の力>
ネット全盛の現代でありますが、紙には紙の力がある。
書籍として刊行されれば国会図書館に収蔵され、かつISBNを始め付番が振られます。

いまでは入手困難になった物も多数あるかと思いますが、
それでも、困難であったとしても、それでも。
どこかの屋根裏、倉庫に眠っているのです。
少なくとも国会図書館には、一冊は存在する。

一度、発刊された書籍。
「紙」を全てなかったことにすることは、極めて難しい。

かつて独裁者ら、また近代においては共産主義者らが「焚書」を行いました。
それほどに紙には紙の力があるのです。

 

<紙の優位性>
スマホと異なり、電池がなくとも機能を満たせます。
パソコンより軽く、携帯性に優れ
パソコンより衝撃に強く、頑強な情報メディアであり
発火しない限りは熱への耐性も強く、「機能」を満たす。

冗談で言っているのではありません。
これは本気で言っております。
理系の、元技術屋として、事実として本心から述べております。

特に、ソースとする場合は優位である。
ブログ等の電子媒体と異なり、「誤字修正」すら受け付けぬ。
出版社・著者ともに法的責任を負う。

出所が確かで、追跡可能であり、
かつ、確認の手段は(ネットメディアに比較し)煩雑とは言え、誰しも確認が可能。

紙には紙の、優位性がある。

 

 

<先人からの贈り物>
日本人なら知っておくべき、
戦後動乱時の状況です。

書籍情報をご覧ください、どれほど古い本をソースとしているかを。
カテゴリが古書となっているものもある。
これは平成の世の私たちに託された、
先人たちの、戦中戦後世代からの、贈り物です。

我が国には、祖先がおります。
誇るべき祖先がおります。

いまの世を生きる者として、
多くは鬼籍に入ったやも知れませんが
先人らの思いを、託された物としてしっかりと受け取りたく思う。

 

 

<孤独な戦いであったと思います。>
左派メディアが全盛、ネットの援護もない時代。
見向きもされずとも、記した先人たちがいる、著者の意地。
多くは採算を度外視して刊行されたのであろう、出版社の意地。

戦場に倒れた戦友を思ってだろうか。
戦火に焼かれた家族を思ってか。

孤独な戦いであったと思う。
それら出版社の意地、執筆陣の意地。
報いるため、いま私たちができることやろう。

それぞれの立場で為すべきことを為そう。
為すべきことを必死に行った先人らが、私たちにはいるのだから。

時代を超えて、一人じゃない、と。
孤独じゃないと、ありがとうと、思いを込めて。

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カテゴリー: 国政報告 パーマリンク

【半島脱出①】日本人なら知っておくべき朝鮮人の暴虐の過去~先人の財産~ への17件のフィードバック

  1. medakanoon のコメント:

    【半島脱出①】日本人なら知っておくべき朝鮮人の暴虐の過去~先人の財産~ 日本人なら知っておくべき、戦後動乱時の状況です。 朝鮮半島からの引上げにおいて、どのような悲劇を日本人は受けたのか。 有事勃発のリス

  2. かみやま のコメント:

    所謂韓国人も含め、朝鮮人共は本当に許せない!

  3. こうま のコメント:

    お仕事の合間の更新、どうもありがとうございます。
    しかしながら、せっかくご紹介頂きました書籍の一部は後半は読む事なくこのようなものがやはり存在したのだという認識で留めております。

    K国も露国も敗戦直後どのような事を行ってきたのか、というのは多少ネットにて目にしてきましたので、全て読んでしまうと又怒りが溜まってしょうがないので前半だけにしておきました。

    有名な事実として「和夫一家○人事件」でしょうか

    確かその場に居合わせた一人の方が告白した話だったと思います。
    この一件だけでも、この民族となど仲良くだとか友好だとか一切してはならない、したくもない、ほんとうにおぞましい人種なのだ思いました。

  4. 櫻盛居士 のコメント:

    **********************************************************************
    暫く、小生のコメントには下記のフレーズを、継続的にTOPに書き込ませて頂きます。

    皆様に於かれましても、下記のフレーズを拡散されては如何でしょうか。
    何分、実績であり事実ですから、異存は無いでしょう。

     ・『テロを利用する共産党』
     ・『テロリストの味方である共産党』
     ・『テロに屈する共産党』

    **********************************************************************
     
     
    今は亡き小生の祖父は支那事変従軍記章簿冊に記名後、退役となり当時の朝鮮は慶尚南道馬山府(現慶尚南道昌原市・釜山の約50km西に位置する)で商売を営んでおりました。

    停戦間近の昭和20年に小生の祖父が受けた、慶尚南道が慶尚南道知事・信原聖の名前で発行された「右者小賣業企業整備ノ結果殘存業者タルコトヲ證ス」と記された証書の日付は昭和20年7月5日で、かなりギリギリまで朝鮮に残留していた事が分かります。

    (※小賣業企業整備とは昭和16年12月に交付された企業整備令に基づく処置であり、国家総動員法に基づく義務を遵守する事を条件に、一定の税率減免や補償等の保護を受けられる制度。事変、戦争に伴う経済活動の損耗に伴い、これらを保護及び維持する為に制定された法令)

    小生の祖父は幸いな事に38度線以南で半島最南端に位置し、しかも釜山に比較的近い地域で商売を営んでいた事もあり無事内地に引揚げて来られましたが、それでも朝鮮人に命を狙われたとの事です。
    更に小生の祖父が恵まれていた事は、経営していた店舗で雇っていた従業員の朝鮮人が気骨在る者だった様で、命を掛けて小生の祖父を匿ってくれた結果、ギリギリセーフで内地に引揚げる事が出来た様です。

    この時に小生の祖父が朝鮮人の手にかかって殺されていたら、小生は小坪慎也と言う代議士を知る事もありませんでしたし、呑気にココにこんなコメントを投稿する事も無かった事でしょう。

    半島最南端に位置し釜山に比較的近い馬山からの撤退ですら命懸けの逃避行を余儀無くされたと言うのですから、その他の地域から引揚げられた方々の悲惨さは想像を絶するものだった事は想像に容易い事です。

    本日のエントリーで紹介されている一次資料は多分にオブラートで何重にも包まれているでしょうし、かなり勇気を出して証言されたものである事は、敢えて言う必要も無いでしょう。
    そもそも本当に苦難に直面し経験した者は、当時現地で尽く命を落としているでしょうから、この世に記録を残す事すら出来無かった筈です。

    これらの史実を鑑み、今現在朝鮮半島に業務命令で社員を駐在、或いは出張させている経営者はこの実績を重視して頂きたい。
    因みに、朝鮮半島に業務命令で社員を駐在、或いは出張させ犠牲者を生じた場合には、その経営者をあらゆる手段を講じて糾弾し、その責任を果たさせるミッション策定を既に進めています。

    現代ならネットを通じて実況中継で惨めな最期を曝す事も可能かも知れませんが、そう言う社会貢献を望む者も居ないでしょう。

    ならば、現在朝鮮半島に滞在する在韓邦人の方が選ぶ選択肢は、早期の帰国の一択しかありません。

    半島最南端に位置し釜山に比較的近い馬山からの撤退ですら、命懸けの逃避行を余儀無くされたと言う実績は、決して無駄にはして欲しく無いものです。

    それでも尚、いまだに韓国旅行に出向く様なお花畑は、申し訳無いですが死んだり一生の傷を負う事によって、現在の日本人の肥料になるべくして生まれ単なる肥料としか評価出来ません。
    そう言う方は、もう切捨てて単なる肥料と割切るしかないでしょう。

    • 読点 のコメント:

      >経営していた店舗で雇っていた従業員の朝鮮人が気骨在る者だった様で、命を掛けて小生の祖父を匿ってくれた結果、ギリギリセーフで内地に引揚げる事が出来た様です。

      その後、韓国の反日政策によりどうなられたか、心配です。

      >無事内地に引揚げて来られましたが

      北海道旅行に行ったとき「内地から来たの?」と軽く聞かれ、ショックだったのを思い出しました。

      「内地」って……ロシアァァァ許すまじ!!!(今は中国かもしれない)

  5. 草莽の団塊 のコメント:

    小坪先生、日本人なら知っておくべき朝鮮人の暴虐の過去についての文献情報ありがとうございます。

    >朝鮮戦争の真実(元人民軍工兵将校の手記:朱栄福著:悠思社)
    >正論2005年11月号(引揚民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐)
    >生きて祖国へ<5(朝鮮篇)>死の三十八度線(1981年):国書刊行会
    >私の三十八度線突破記録(梶山緑:平和祈念館展示資料館にて公開:pdf)
    >韓国・朝鮮と日本人(韓国・朝鮮人の嫌いな日本人 日本人の嫌いな韓国・朝鮮人
    >若槻泰雄:原書房
    >大東亜戦史<第8>朝鮮編(1969年):富士書苑

    上記書籍の紹介、ありがとうございます。初めて眼にする書籍ばかりでございました。ここでおねがいです。私の手元に、竹林はるか遠く(日本人少女ヨーコの戦争体験記:ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ著:都竹恵子訳:ハート出版)がございます。先生のブログにおいて、先人の財産のひとつとして追加していただければとおもいご提案させていただきます。

    閑話休題・・・・

    最近、入手した書籍では、通州事件(目撃者の証言:藤岡信勝編著、自由社ブックレット5)がございます。こちらは、1937年7月29日、居留区の日本人二百余人がシナ人に惨殺された通州事件、その蛮行の一部始終を目撃した日本人女性の記録であります。

    つくづく、特亜(シナ、北朝鮮、南朝鮮)の人々と日本人とでは、なにか、根本的なものがちがう!という思いをつくづく感じるばかりです。特亜の人との友好!とか、はぁ!そんなもん、ありえんだろ!という気持ちがますます強くなりました。

    特亜(シナ人、朝鮮韓国人)を差別するつもりはありませんが、一人の日本人としては、金輪際、お付き合いはごめんこうむりたい!という気持ちであります。

  6. じゅげむ のコメント:

    小坪先生、紙による媒体のご紹介をありがとうございます。
    この中には、私も知らなかった事実がいくつか書かれてありました。
    私自身は、10数年前に近・現代史の勉強を少しずつ始めた時に、一連の事件を知ることができました。
    私が知り得た、日本人が被害にあった事件としては「通州事件」「尼港事件」「済南事件」「二日市保養所問題」「我ら降伏せず」という本には米軍によるサイパン大虐殺ともいうべき、驚愕の真実が書かれてありました。
    また、GHQ占領下において、米軍や三国人によるレイプ事件。
    或いは、戦時だけではなく「関東大震災」では、そのパニック時にも悲惨な事件が多発しております。
    これらの事件に共通するのは、軍隊に護られていなかったという一言に尽きるのではないか、ということですね。
    軍隊に護られない非戦闘員、中でも婦女子がどれほどつらい憂き目にあうのかという実例が示されています。

    小坪先生は注意喚起をしておられます。
    「お前ら、サッサとそこから逃げろ!」「そこには行くな!」
    では、政府はそのような措置を取れないのか?
    かの民族のパニックを誘発することを恐れて、それができないのだと思います。
    でも、安倍総理やガースーはきっとこう思っています。
    「お前ら、空気読めや!」

    どうぞ韓国に在住しておられる方に、できる限りのツテを頼って極力早めに彼の国からの脱出を決心していただきたいです。

  7. 波那 のコメント:

    外務省が渡航注意喚起をなかなか出さなかったり、邦人の退避勧告に悠長に構えているようだった時、真っ先に頭に浮かんだのは敗戦で半島を引き揚げる日本人に襲いかかった朝鮮人の蛮行でした。ベトナムで韓国軍がベトナム人にした事を知ってしまったら混乱に乗じ無防備で抵抗できない者に対する彼らの人間性が時を経て変わったなんて私は思っていません。まして、あの人達は日本が併合時に施した恩恵には全く触れずに、ひたすら反日教育をされている人達ですよ。前に半島引き揚げ時に日本人が受けた残虐な仕打ちについては国会議事録にも残っている、政府に知らない人が居れば知るべきと書きました。麻生大臣が邦人が人質にされたらどうするんだと外務省に言われたとか、有事が起きる前に混乱が起きる前に政府関係者は走り回ってでも一刻でも早く邦人を戻さないといけないんです。

    一方で日本人がやってることと言えば前の朝鮮戦争中に逃げ出して不法入国で入り込んだ何十万の人達を帰国もさせずに何世代にも渡って生活保護で面倒見てやり、その上、彼らに言いたい放題、やりたい放題の反日活動までさせてやってるんですからね。呆れ果てます。

  8. 月光仮面 のコメント:

    詳しく読ませて下さいね 大体 想像はしています そして
    拉致 竹島 などなど 日本にはもう今までのようには行かないと思うのです
    そして 国民がすることは 親中 親韓 議員を落選させることでは
    ないでしょうか 特に自民党の議員だと思います そして その方たちの
    選挙区が問題になると思います 今後の日本の いいえ 日本人の課題だと
    思います

    アメリカは北を攻撃しないまま 帰ると思います できれば拉致された
    アメリカ人を帰せ と 日本人を帰せと言ってほしいですね 帰さなければ
    攻撃すると そして 北は 明らかにおびえていると思います
    ミサイル打てないんだかね 

    • 月光仮面 のコメント:

      いまだに 日本攻撃は終わっていません 拉致 慰安婦 竹島
      そして 見える事件は グリコ森永事件 まだまだ 終わっていません
      沖縄でのデモテロ これだって同じこと 何かあれば 日本人は
      攻撃されますよ それを日本人は知っておくべきだと思います

      • 月光仮面 のコメント:

        政治に燃えた若者が居たとします 自分の支持政党に
        入党して 支持者や支持団体が できたとします
        そして 立候補して当選する その後 支持団体や
        個人が親中 親韓の団体であったと気づくことも
        有るかも知れません こうして 日本の政治家は
        侵されていったのかも知れません これは
        今から 阻止できる可能性があると思います
        日本人を殺戮した人たちが この国内に入り込んで
        いるという事だと思います 小坪先生の今回の
        記事 じっくり勉強させてもらいます
        保守の政治家および志望者は 何か ネットワークを
        作って話し合いや相談などできる環境をつくると
        良いかもですね  

  9. 助さん、拡散 のコメント:

    小坪先生、ありがとうございます。”紙”は本当に強いですね。もう一度、書きます。日本国内での暴動発生の危機。心に”武心”、手には”木刀”。もう過去にあった修羅場を絶対に再現させてはなりません。

  10. ss のコメント:

    渡部教授が亡くなられました。
    残念です。

  11. 読点 のコメント:

    比較のために、台湾から帰国した一家のケース

    敗戦が決まり、妻子を先に帰国させることになった。懇意にしていた台湾人が船まで送ってくれた。残務処理を終え、夫は無事帰国。
    どんな大金持ちであろうと”日本人”が持ち帰るのを許されたのは「身に着けられるだけの衣服と3,000円までの現金」だった。敗戦により財産をなくしたが、一般の台湾人に奪われたわけではない。
    当時付き合いのあった台湾人とは贈り物をし合うなど、戦後もお付き合いが続いた。日本側の当事者が亡くなり疎遠になったが、子世代曰く「あんないいからすみ、二度と食べられない」。返礼に、台湾では高級品だったという海苔を送っていた。

    朝鮮とはだいぶ状況が違いますね。

    • 読点 のコメント:

      なお、当時台湾の置かれていた状況は、「併合」であった朝鮮より 格下の「植民地」

  12. 路傍の薬師 のコメント:

    朝鮮人が日本人にした蛮行の数々を許してはいけません。
    彼らは謝罪だ賠償だと騒ぎますが、本当の被害者は日本人なのです。
    朝鮮半島からの引き揚げについての本でしたら、「竹林はるか遠く」もお勧めですね。

  13. idenizi のコメント:

    拡散希望

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