「伊丹十三賞」とはさまざまな分野で才能を発揮した伊丹十三の遺業を記念して創設された賞。あらゆる文化活動に興味を持ち続け、新しい才能にも敏感であった伊丹が「これはネ、たいしたもんだと唸りましたね」とつぶやきながら膝を叩いたであろう人物に贈られる。過去には糸井重里、タモリ、リリー・フランキー、是枝裕和といった面々が受賞。今回星野は音楽家、文筆家、俳優として、多彩な活躍をしたことが認められこの賞を受賞する運びとなった。
式辞は審査員の1人である南伸坊が担当。星野の書籍を熟読した様子の南は、星野が憧れてやまない植木等の話を中心としたユーモアあふれる式辞で星野を大いに笑わせた。「伊丹十三賞」受賞の証であるモノリスは、同じく審査員の1人である映画監督の周防正行から星野へと手渡される。周防がモノリスを授与する際に星野へ言葉をかけようとすると、星野は微笑みながらマイクの向きを周防へと向けた。また副賞である賞金100万円は伊丹の妻であり、伊丹十三記念館の館長である宮本信子から星野へ贈られた。
緊張のためか星野は「喉がカラカラでございます」と記者陣に報告し、水を飲んでからスピーチを始めた。その中で彼は幼少期にテレビで伊丹の作品に出会い「なんてくだらないんだ!」と思ったこと、ことあるごとに頭の中に「マルサの女」のテーマ曲が流れ、そのたびに伊丹が監督した映画を観たくなったことなどを明かす。そして20代半ば頃に伊丹作品のDVDボックスを購入し、映画「タンポポ」にひどく感銘を受けたことから、映画以外の伊丹の作品にも触れ、映画監督だけではなくいろいろな活動をしていることを知ったと話した。
星野は中学1年生の頃に演劇と音楽を始め、高校3年生の頃から文章を書くようになり、大人になってそのすべてを仕事にすることができたものの、どの現場に行っても自分の居場所がないと感じていたと語る。さまざまな現場で「(職業を)1つに絞らないの?」と言われることもあったが、植木や伊丹がさまざまな分野で活躍していたことを知り、自分自身もそうなりたいと憧れていたと話した。今回の受賞については「伊丹さんは自分にとって灯台のような人。伊丹さんを追いかけようとしたこともあったが、僕の島と伊丹さんの島には大きな海があってたどり着けなかった。でも伊丹さんの活躍を知っていくうちに『お前は自分の場所を作れ』と言われているような感覚を持ちました。20代中頃からとにかく自分の好きなことをやって一人前になろうとしていたら、このような素敵な賞をいただいて。まるで伊丹さんに『これが君の居場所だよ』と言われているような気がして本当にうれしかったです」と笑顔を見せた。
あふれる思いを押さえきれない星野は「長くてすみません」と断りを入れながら、「伊丹さんにも植木さんにもお会いできませんでしたが、自分が彼らから受け取ったものはなんらかの形でつながっていくと思います。人は死んでしまっても、みんなが人に話したり表現することで遺伝子はつながっていくもの。僕は伊丹さんからもらった遺伝子を、自分のフィルターを通した形でつないでいけたらと思います」とコメント。それを受けて宮本は「若い人はあまり伊丹十三のことを知らないので、星野さんを介して伊丹十三の仕事などが若い人にも知ってもらえたらうれしい」と星野の活躍に期待を込めていた。