大昔のことを理解しようとしたら、
当時の事情、環境を考慮して考えないとダメだよね。
例えば、聖書にでてくる律法の世界では、
1日の始まりは、夕方だからね。
夕方から、翌日の夕方までが1日。
だからイエスが死んで、取り合えず布切れに巻いて
投げ込むように埋葬したのは、そのため。
「その日のうちに」埋葬しなければならなかった。
でないと、翌日(その日の夕方)から
安息日(何もしてはいけない日)に入ってしまう。
なんとしても「その日のうちに」!
だからそうとう慌てていたんだよ。
で、『目には目を、歯には歯を』ね。
人はやられたらやり返したくなるのが「ふつう」?
それが「自然」?
それはそうなんだけど…
「ふつう」は【倍返し】したくなるの。
やられた以上の仕返しをしたくなるのが「自然の感情」なの。
部族の仲間一人が痛めつけられたら、
やった側の部族を全滅させるくらいの憎しみが湧くの。
でも、それをやってたら社会が成り立たないわけよ。
今のイスラム圏見てたら判るでしょう?
永遠の応酬…怨念と復讐に覆われちゃうわけよ。
だからっていきなり
「それではダメです。
敵味方、理解し、許しあいましょう(*^o^*)」
なんて言ってもさー、
言ってる本人が殺されちゃうよね(※イエスみたいに)。
で、せめて、
「やられたことを、そっくりやり返すことは許す」
って法を作ったんだよね。
だからあれは、「同じ目に遭わせてやれ!」じゃないの。
『やられたこと以上のことをするな!』
なんだよ。
それでも画期的だった。
そういう時代だったの。
それをさ、イエスはさらにもう一歩、前進させたんだよね
『汝の敵を愛せ』
で、またこの「敵」を、
自分の外にいる誰かだと思っている人が多いけど、
そりゃ確かにそれもあるけど、
(あ、こういう言い方って大国主命みたい…♪)
究極的には敵は自分の中にいるからね。
悪魔が憑依しているとか、そういうことじゃない。
まず憑依って言い方もね(笑)
悪魔は嘘をつけないから、
本人の過去の傷をつっついて
わざと誤解させるように誘導するわけだけど…
ま、それはまた後で。
そう、敵。
自分の魂に刻まれた「善なる想い」
案外それが敵。
それが具体的に何なのかは人それぞれだけど
「善なる想い」だからさ、捨てようとしないのね。
それどころか、
神からの贈り物だと思って大事に大事にしているうちに…
熟し過ぎて腐ってたりね。
自分で加工して武器になっちゃっている人もいるよね。