スランプの脱出法

選手として監督として一流を極めた野村克也氏を支えたのは、みずから見出した野球理論を詳細に記したノートの存在でした。今日までこのノートを閲覧できたのは、息子・克則氏など一部の野球関係者のみ。長い歳月をかけて書き継がれた、その“門外不出の野球ノート”をついに完全初公開します。今回は「野球の本質論」第4回目(全4回)の公開です。
最初で最後の、究極の野球本『野村克也 野球論集成』を、発売に先駆け特別先行掲載いたします(4月21日発売)。

弱者の戦術

 6つの野球の要素をもとに、私は「弱者の戦術」を考えるようになった。具体的にはヤクルト監督だった1990年代、巨大な戦力を持つ巨人にどうやって勝つかを突き詰めたのだ。

 その後2002年から4年間、社会人のシダックスで監督を務めたとき、対戦相手に驚かされたことがあった。

 序盤にポンポンとシダックスが5点を奪った。相手の監督は三回、先頭打者が出ると、送りバントを命じた。プロ野球では、走者をためてドカンと点を返していこう……とばかり考えてしまい、なかなか犠打のサインは出せない。

 だが「負ければ終わり」のトーナメントを戦う社会人は違う。一歩ずつ走者を進め、1点ずつコツコツ返し、風向きを変えていこうとする。この試合でも、シダックスは次第に追い詰められて守勢に回り、たっぷり冷や汗をかかされた。

 これも「弱者の戦術だな」と思ったものだ。長期戦のプロと短期決戦のアマとでは、同じ1勝へのアプローチは確かに異なる面もある。だがプロでも、戦力の大小を考えれば、短期決戦的な発想の積み重ねで長いシーズンを戦う必要も出てくる。

 監督として、ヤクルトや阪神、楽天で訴えたのはこのようなものだ。

 ① 自分たちが弱者であることを認め、そこから強くなる

 ② 総合力で戦う発想をやめ、部分を重点的に攻めて勝つ

 ③ 相手の得意な形には絶対にしない

 ④ 強者にも必ず弱点はある。全体を見ずに、個別化して相手を見る

 ⑤ 戦力を集中させる

 ⑥ 技術以外の「何か」を活用する

 ⑦ 相手と同じことをやっても勝てない、相手と違うことをやる、という共通認識を持つ

 ⑧ 不安材料を取り除き、優位感、優越感を持てる材料を探す

 ⑨ 自分ができること、ではなく「チームに役立つこと」を探し、実戦的な訓練をする

 ⑩ 前日までの準備野球の段階で、必ず勝つ

 野球は、押しくらまんじゅうのような肉弾戦ではなく、一球、一投、一打という部分部分の集合体である。先制点をやらない、本塁打を避ける、ピンポイントの選手起用など、局地戦でいくつか優勢に立てれば、1-0だろうが8-7だろうが、勝利できる。前述した社会人チームは0-5の劣勢をはね返す方法を、コツコツと走者を進めることで打開しようとした。これも一種の「弱者の戦術」である。

 近年のプロ野球を見ていると、腑に落ちないことがある。どのチームも連勝、連敗が激しい。15年にセ・リーグを制したヤクルトは5月前半に9連敗を記録し、1位から6位までの全順位を経験した。

 投手の投球数を制限したり、中軸打者にも定期的に休みを与えたり、各監督は過保護なまでに選手の疲労に気を遣っている。その結果、戦力維持が目的になり、目の前の試合にどうしても勝つという命題が二の次になっていないか。不足した戦力を補う「戦術」が欠けているように思う。


相手の心理を揺さぶるデータの活用


 1961年、わが南海は巨人と日本シリーズを戦った。その直前、巨人が大阪球場で練習を行った後、ベンチに一冊のノートが置き忘れられていた。グラウンドキーパーが見つけたノートを、われわれが開いてみて、驚いた。南海の選手の長所短所がびっしり書き込まれていたのである。

「野村には外角のスライダーが有効」

「野村はヤジに弱い。すぐ気にする」

 はたしてシリーズが始まると、確かに巨人ベンチからのヤジが多かった。「パ・リーグはレベルが低いのう、それでもホームラン王か?」うんぬん。誰だか知らないような若手が、大声を上げている。これも事前のデータに基づく作戦か、と腹が立った。

 現代では12球団が、データを活用している。衛星放送やインターネットを通じて全試合の映像を見ることができ、タブレット端末で全選手が情報を共有しているそうだ。自ら知人に頼みこんで、16ミリフィルムで稲尾和久の投球映像を撮影してもらった、私の現役当時とは、隔世の感がある。

 ただ、データや映像は集めるだけでなく、具体的な対策に転化させなければ意味がない。①具体的で「それなら俺でもできる」と誰でも実践しやすいもの ②細かくて選手の心理を反映したもの(打者が追い込まれた後の対応など) ③単純でもいいから選手が感動するようなもの──にしていく必要がある。

 この年の巨人は、川上哲治監督の1年目。「ドジャースの戦法」をテキストにして、サインプレーなどを導入して、組織野球を実践していた。

 巨人が残していったノートを見つけたとき、われわれは当初「いいモノをもらった」と小躍りしたのだが、しばらくすると疑心暗鬼に陥った。「本当に大事なものなら、置き忘れるはずがない。このノート自体が相手の策略なのではないか」というのである。

 策略には、以下の3つの基本がある。

[挑発の策]意識過剰にさせる。相手を怒らせて狂わせる

[増長の策]ほめ殺し。いい気分にさせて油断させる

[敬遠の策]相手の力を素直に認めて避けて通る。また、逃げていると見せて油断を誘い、ズバッと切り込む

 このシリーズは巨人の4勝2敗。第4戦で南海がリードした九回、微妙なボール判定の直後に逆転打を浴びたスタンカが、円城寺満球審に体当たりを食らわせる事件もあった。「円城寺 あれがボールか 秋の空」──。読み人知らずの句も流行した。謎のノートは単にデータを記したものか、策略の一手だったのか。微妙な判定とあいまって、今もモヤモヤしている。


練習とは「一」の積み重ね


 先が見えない苦しい練習を、続けるために必要なもの。それは「一」の重要性、そして「長所を伸ばすには、短所を鍛えろ」というものだ。

「まず1日やってみろ。1日やって、どんな小さなことでも『やってみてよかった』と思えれば、3日続く。3日続けば、1週間続くものだ」

 一、と書いて「はじめ」と読むこともある。「一」は万物の始まりである。やらされるのではなく、自発的に、自主的に踏み出す一歩が、本物の練習であって、人を成長させる。

 ヤクルトには、自主練習の伝統がある。山田哲人はバリエーション豊富なティー打撃。川端慎吾は山なりのスローボールを1カゴ、2カゴと打つ。こうして毎日試合に臨んで、2人は2015年にタイトルを獲得し、チームを優勝に導いた。かつては真中満監督、宮本慎也、稲葉篤紀、土橋勝征らが神宮室内練習場で、午前中から試合後まで打っていた。

 なぜ反復練習が必要なのか。人間には習慣的要素があって、一度習慣づけてしまえば、体から染みついて離れなくなる。私にも経験がある。

 南海入団直後、2軍監督がときどき、野手を集め、一列に並ばせた。「手を出してみい!」と、手のひらにマメができているかをチェックした。夜遊びばかりしている選手の手には、マメができない。「なんだこの手は。女みたいな手をしやがって!」と怒鳴られていた。

 私は手を出す前から得意満面。遊ぶ金がないから「野村はくそまじめやのう」と先輩に笑われても、合宿所で素振りばかりしていた。「おう、野村。お前はすごい。みんなよう見ろ。これがプロの手だ」。プロで初めてほめられたのは、プレーではなく、マメ。それでも「プロの手か。だったらもっと頑張ってやろう」と思ったものだ。

 最近は「長所を伸ばす」指導や教育がもてはやされているが、私の考えは違う。一流の中でトップを目指すためには、「長所を伸ばすには、短所を鍛える」という強い意思が必要だ。

 球速には自信がある、もっとスピードを上げたい。そんな投手には「コントロールこそ、ピッチングの基本だ」と言って聞かせる。制球力を身につけ、どのゾーンにも腕を強く振って投げられるようになれば、下半身の力も強化されて、最終的に球速も増す。楽天時代の田中将大が好例だ。

 打撃でも同じ。バントや逆方向への打撃練習を徹底させると、ボールを長く見る習慣がつく。球を引きつけて強く打てるようになり、選球眼もよくなる。

 目的のない練習は、練習とは呼ばない。正しい努力をして、正しい技術を身につけてほしい。


スランプを脱出するためには


 楽天の監督として最終年だった2009年の9月末。試合のない本拠地での練習日に、私はベンチから、外野を黙々と走る山﨑武司を見ていた。

 山﨑は当時40歳、この年は39本塁打、107打点を記録して、不惑ながら堂々たる4番バッターだった。チームは球団創設5年目で初のクライマックスシリーズ進出を果たした。ところがAクラス確定を目前に控え、山﨑は20打席以上も安打が出なかった。

「今さら打撃練習なんて、お前ほどの選手がやることもないだろう。じっくり、汗を流してみたらどうだ?」

 西武ドームでの3連戦を終えて、仙台に戻った移動日。ベテランは本来休日だったが、私は山﨑にこう促して、練習を見守った。「スランプになると、自分がちっぽけな存在だと感じる。俺はすごい選手だ、と思っていたこととのギャップに気づいて、謙虚になる。それが大事なんだよ」とも話した。

 スランプとは「つまずきをこじらせた状態」のことだ。

 適当に仕事をする人にスランプはない、ともいう。欲張りであればあるほど生じやすいもののようだ。スランプは軽症のうちに治すのが一番だが、考え込むのは一番いけない。感覚の迷路に入った状態だから、脱出を図ろうとすればするほど、深みにはまる。

 ほんの小さな変化から始まるので、本人も周囲もなかなか気づきにくい。日頃から丁寧に自己点検を行っていなければならない。打撃でのスランプは、ほとんどの場合、下半身から始まる。ステップが広くなる、膝が開く、前足に体重がかかりすぎる──など。これらが上半身に悪い影響を及ぼし、フォームのバランス、タイミングを狂わせている。

 私は、スランプと感じたとき、以下の6点を心がけ、実践した。

① 気分転換を図り、自分なりの復元力を養う

② 自己点検して原因究明にあたる

③ 頭を空っぽにして、汗を流す。体をとことん疲れさせてみる

④ スランプと未熟の勘違いをしていないか。未熟であれば、基本練習に立ち返ってみる

⑤ 絶対にやけくそにならない。やけくそは努力放棄、ギブアップと同じで、意味がない

⑥ 開き直る。開き直りとは「やるべきことをやって、それでも駄目ならしかたない」という落ち着いた心境になること

 山﨑は翌日の試合で本塁打を放ち、最後までチームを引っ張った。プロ野球選手は練習で迷い、試合で悩み、不安は尽きない。私もそうだったから、後進のために、考えられるかぎりのものを残そうとしている。

長年にわたって書き継いだ”門外不出の野球ノート”を完全初公開。すべての野球人に捧げる究極のバイブル。

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野村克也 野球論集成

野村克也

選手として監督として一流を極めた野村克也氏。その根底にあったのは現役時代から、みずから見出した野球理論を詳細に書きとめたノートの存在――。今日までこのノートを閲覧できたのは、息子・克則氏をはじめとする野球関係者のごく一部だった。長い歳...もっと読む

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tamasaburou1982 ほほう😼 / 他1コメント https://t.co/UvwbDttlmx 約19時間前 replyretweetfavorite

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ga_kun8 ノムさんの言葉は人生訓 約22時間前 replyretweetfavorite