兵庫県宍粟市内で耳を疑う話を聞いた。「あの山の上に、今も暮らしている家族がいるんだよ」。車では登れない長水山(585メートル、同市山崎町五十波)。山頂に95歳のおばあさんと息子夫婦の家があるという。徒歩でしか行けない山村集落は、高度成長期まで各地にあったが、現代でそんな場所があるとは…。山上の暮らしぶりを知りたくて一家を訪ねた。(古根川淳也)
市役所から車で5分ほどの五十波地区。国道29号から谷沿いの道に入ると、宍粟50名山の一つ、長水山の登山口に着いた。この先は山道を歩くしかない。登山靴に履き替え、うっそうとした杉林に分け入った。
つづら折りの坂を約40分登り、額に汗がにじみ始めたとき、先に石垣が見えた。その上部に日蓮宗信徳寺がある。庭先で声を掛けると、住職の男性(70)が笑顔で迎えてくれた。住職は母親(95)と妻(64)の3人で暮らしていた。
長水山は戦国時代に宍粟を治め、豊臣秀吉に滅ぼされた宇野氏の山城跡。寺は城の石垣上に立っていた。住職の祖母・渡邉わきさんが1934年に開いた。
住職によると、わきさんは宇野氏の家臣の子孫。同町を出て芦屋市に住んでいたある日、「長水山の合戦で亡くなった英霊を祭れ」とのお告げを受け、地元住民の協力を得て山頂に寺を建てたという。
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住職は小学6年まで芦屋にいたが58年、寺の後継者となった母親と一緒に入山。麓の伊水小学校へ山道を通学した。寺に電気が通ったのはその翌年だった。
実家を離れて進学し、日蓮宗の僧侶となった。同じ宗派の縁で長崎県出身の妻と結婚。「2人目の子どもができたら山に帰ろう」と決め、82年に戻ってきたという。
山暮らしに妻は「不便だからこそ生きている実感がある。ケーキもパンも手作り。草木の芽吹きだけで感動できる」と笑う。3人目の出産時は陣痛が始まってから山道を下りた。
子どもたちは山から通学し、長男(37)と次男(35)は横浜市内の寺院で僧侶に、長女(28)は広島市内に嫁いだ。長男らも「いつかは戻りたい」と話しているという。
住職の母親は2年前に転んで足を痛めて以来、山を下りていない。姫路市内の娘から同居の誘いがあるが、「空気もいいし、のんびりしていて、ここがいい」と離れるつもりはない。
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山の生活は苦労も多い。食料品やガスボンベなどは週に2~3回、山を下りて仕入れ、背負って戻る。水は屋根に降った雨を浄化して地下の貯水槽にため、風呂はまきで沸かす。便所はくみ取るしかない。今年1月の大雪では腰まで雪が積もり、4日間閉じ込められた。
檀家はなく、祈祷や他の寺の手伝いが収入源だが、最近は訪れる信者も減った。それでも、この場所で戦死した武士たちの供養をするのが、祖母から引き継いだ本分だという。
住職は「祖母が苦労して開き、ここまで整えた場所。慣れれば不便ではないし、離れようとも思わない」と笑顔を見せた。