お元気ですか? かんどーです。
今日は、人が他者との関係性ひとつで簡単に尊厳を失ってしまう話をします。
そもそもわたしたちは、周りからの評価によって簡単に態度の変わる愚かな生き物です。「その場にそぐう」態度と言えば聞こえが良いですが、要は周りやその場の雰囲気に合わせて自分をねじ曲げているんです。
先日、会社の集まりに着物で参加しました。
その日は一日、機嫌よくしていなければいけないと自分に言い聞かせていたのでしょう。身体がこわばっていましたが、よい一日が過ごせました。
別の日。
ある場所へ行こうと思い立ち、ある人に電話をしたのですが、ものすごく素っ気ない。この世の終わりかと思いました。結局一人で行きました。
出先で時間があまったので、なつかしい場所へ行こうと思い、そこへ連絡をしましたが、相手はわたしを覚えていませんでした。初めてのようにその場所へ行く気にはとてもなれず、相手がまだ耳に受話器をつけている状態でわたしは電話を切りました。
どこへ電話をしても相手が自分を覚えていない日でした。
もしかしたら自分なんて初めからいなかったんじゃないか……
そんな気持ちが湧きおこり、気が付けば路面を走る電車に飛び込んでしまいそうでした。もう何もかもやめてしまいたいと思いました。
わたしは自分勝手な人間です。好きなものを何年も長く好きでいたり、一生の趣味としたり、生涯の友を持つことができません。別のことに夢中になるとそちらに気を取られて、ひとつ前にいた世界のことが頭から消えてしまうのです。
そういう生き方をしていると、人に覚えてもらえません。久しぶりの場所をおとずれても、懐かしいと思うのはこちらだけなのです。
もう誰の記憶にも残りたくないと思いました。
誰かの記憶に残るようなことをしたら、きっとその「瞬間的な感情の揺らぎ」はわたしの方が強い。でも相手は適度な強さの感情の揺らぎでもって、それを一定期間覚えている。一定期間が過ぎると忘れるようにできている。
わたしは瞬間的な感情の揺らぎを何か月も、場合によっては何年も封印したように生きていて、ふとした時に思い出す。
「お久しぶりです!」
わたしが強く覚えている相手であっても、相手はわたしを覚えていない。自然に風化されていく過去の一つとなって、乾いた空気が砂のように地面に落ちていく。
「あ……人違いだったかな……えっと、小林さん……ではなかったですよね(照)」
「あ……場所を間違えたかな……えっと、スタジオM……ではなかったですよね」
「あ……記憶違いかな……えっと、パブつばめ……ではなかったですよね」
そんな言葉を何度口にしただろう。誰もわたしを覚えていなかった。
もしかしたらわたしの記憶違いなのかと思い、空を見上げようとしたが、やっぱり違う。その場所は確かにわたしがひとときを過ごした場所であり、さっき目の前で他人のような顔をした人は確かに、一緒に時を過ごした人であった。
去り方が良くないから、人に覚えてもらえないのだろうか。
わたしは短期記憶が全然だめで、今日接客したお客さんの顔をすぐには思い出せないのだけれど、深い時間を過ごした人のことをぎゅっと濃縮して覚えるところがある。
そういう人と、こちらが気の向いたときにまた会っても、相手がこちらを思い出してくれない。相手には相手の日常がきっとあって、わたしは押し流されてしまったのだと思う。
いつからか、わたしは手ひどく人を傷つけて、嫌われることが楽だと思うようになった。そうしたら「また会いたい」なんて思わないし、逆に相手にはいつまでも自分のことをうらめしく覚えていてもらえるじゃないか。
わたしは、鋭く人を傷つける。優しい人には、プライベートでわたしなんかに関わらないでほしい。手ひどく手痛く別れを叩きつけて勝手に去るようなこんな嫌な女にどうか、関わらないでほしい。
いつの日か、わたしにも死以外の安息の日が訪れるのだろうか?
どうしても、わたしの安息は死であるような気がして、今夜も動悸がとまらない。