ご婚約前、軽井沢のテニスコートで友人を交えて語り合う陛下と美智子さま('58年8月)

「実はこの夏、両陛下が軽井沢で“運命の出会い”を果たされてから、ちょうど60年になります。両陛下とも、感慨深い気持ちをお持ちになるのではないでしょうか」

 この4月10日、ご成婚58年の記念日をお迎えになった天皇・皇后両陛下についてそう話すのは、ある皇室関係者。

 皇太子時代の天皇陛下と日清製粉を創業した正田家の令嬢・美智子さんが出会われたのは、'57年8月18日、長野県旧軽井沢のテニスコートだった。

「ABCDテニストーナメント」で美智子さまとカナダ人少年のペアが陛下のペアを破ったことで、陛下に鮮烈な印象を与えたことから始まった“テニスコートの恋”─。

「それから1年3か月後の'58年11月に皇室会議で婚約が決まり、翌年の4月10日に『結婚の儀』となり、“世紀のロマンス”として日本中が“ミッチーブーム”に沸きました」(宮内庁担当記者)

 しかし、皇太子妃は皇族や華族から……という長年の慣習を破ったことは、皇室内や保守派から反発も。

 美智子さまが、長らくその“勢力”に悩んでいらしたことは知られている。結婚直前には実際、国会でこんな質問も飛び出した。

皇太子殿下がテニスコートで見初めて、(お妃に)いいというようなことを言ったのなら、ここにおられる代議士さんの子どもと変わらない。これが、はたして民族の象徴と言いうるのか……」(自民党・平井義一衆議院議員)

 つまり、陛下と美智子さまは「恋愛結婚」なのかどうか。

 そうだとすれば、象徴としてふさわしくないのではないかという現在では考えられないやりとりがまじめに行われたのだ。

 一般でも「見合い結婚」が主流だった60年前、将来の天皇である皇太子が「恋愛」で結婚することには、かなりのインパクトがあったのだろう。