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■■ Japan On the Globe(387)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■ The Globe Now: 金正日の血まみれの手 韓国との首脳会談を目前に金日成は急死し、 食糧援助が始まってから餓死者が急増した。 ■■■■ H17.03.20 ■■ 32,875 Copies ■■ 1,522,724 Views■ ■1.金正日のあせり■ 1994年7月6日、金正日のあせりは頂点に達していた。前日 から開かれていた韓国との経済協議会での父親・金日成の行っ た演説の録音テープを聞いたのである。 この演説の中で金日成は、重油発電所を建設して電力問題を 解決し、化学肥料の生産正常化を通じて食料増産に結びつける、 と述べ、さらに「わたしは今後どの国であれ、わが国と経済合 作のようなものをしようというならば行いたい」と発言した。 「どの国であれ」とは、当然、会議の相手国、韓国を意識した 表現である。7月25日から開かれる事になっている金永三 ・韓国大統領との首脳会談で、韓国側は10億ドルもの経済援 助という手みやげを持ってくるだろう。それをテコにして経済 再建を図ろうというのが、金日成の描いたシナリオだった。 そんな事になったら、自分の立場がなくなる、と金正日は思っ た。せっかくアメリカとの核戦争の危機を作り出して、国内の 食糧危機の不平不満を押さえつけ、同時に朝鮮人民軍最高司令 官としての自分の立場を強化してきたのである。 前年末には、金日成は弟・金英柱を18年ぶりに復活させて 国家副主席の地位につけていた。1970年初期に金正日と熾烈な 後継者争いを繰り広げて、一度は失脚した人物である。今度は 金日成は自分を追い落として、金英柱を後継者にするつもりで はないか、と金正日は疑い始めていた。このままでは自分の身 が危ない。 ■2.金日成の激怒■ 金正日が、父親から後継者として指名されたのは1973年。共 産主義体制下での権力世襲という異様な決定が下され、秘密裡 にその準備が進められた。公表されたのが1980年。それから金 日成は徐々に息子に仕事を移し、80年代末には「外交分野の若 干の仕事以外には、みな金正日に任せてある」という状況であっ た。 息子がなにもかもうまくやっている、と思っていた金日成が 愕然としたのが、1990年の秋だった。金正日の放漫な政治で、 農業生産は年々収穫を減らしており、10万人もの餓死者まで 出ていた。国連世界食料計画(WFP)から食料援助を受け入 れるという外交部(外務省)の提議を金正日が許可した。 WFPの職員がやってきて、餓死者に関する統計資料を求め た。その資料を出して良いか、と聞かれた金日成は、はじめて 実態を知って激怒した。 いったい餓死とはどういうことだ。食料をもらい食いす るというのか。しかも国家機密である統計資料を君たちは 外国人に渡すというのか![1,p82] それまでは、金日成が農村に行くときは、事前に農家の米び つにコメをぎっしりつめ、冷蔵庫には肉や卵などであふれさせ て、「農民たちが偉大な金日成首領様のおかげでいかに豊かな 生活を享受しているか」演出されていたのである。 金日成は自分が騙されていた事を知り、金正日に対して強い 失望と怒りを覚えた。そして、もう一度、わしがやらねば、と 79歳の老体を奮い立たせた。 ■3.「チャウシェスクもああなった」■ この少し前、金正日を震い上がらせた事件が起こっていた。 前年の12月25日、友好国ルーマニアの独裁者チェウシェス クが民衆蜂起の中で処刑されたのである。 経済崩壊の危機を迎えていた北朝鮮でも同様に民衆蜂起が起 こり、自分たちも家族もろとも虐殺されるかもしれない。金親 子は恐れおののいた。金正日はチャウシェスク処刑のビデオを 幹部達にも繰り返し見せて、こう指示した。 よく見ろ。チャウシェスクもああなった。東欧社会主義 国家も滅びた姿を見たではないか。この体制が崩壊すれば、 おまえたち幹部からまっ先にペクソン(庶民)たちによっ て絞首刑にされるのだ。だから気合いを入れろ。いまこそ 気合いを入れて人民の統制と管理に本腰を入れろ。[1,p24] 「人民の統制と管理」には軍隊を握らなければならない。半年 前に起きた中国の天安門事件でも、民主化を要求する学生たち を中国共産党は戦車で踏みつぶしたではないか。生き延びるた めにも、軍をしっかりと握らなければならない。 ■4.起死回生の妙案■ 金日成は1年後の91年12月に、朝鮮人民軍最高司令官の ポストを金正日に譲った。しかし金正日には軍事面の経験が皆 無だった。「軍隊経験もないものが、なんで最高司令官だ」と いう声が漏れ聞こえてきた。 92年4月25日、朝鮮人民軍創建60周年パレードは、金 正日の軍最高司令官としてのお披露目の舞台だった。一部の若 手将校達が行進する戦車から、金日成、金正日ら壇上の首脳を 砲撃し、一挙に葬り去るというクーデター計画を立てたが、秘 密が漏れて一網打尽に処刑された。 金正日を最高司令官に据えただけでは、軍は掌握できない。 エネルギー危機、食糧危機で人心の動揺は広がる一方である。 そこに起死回生の妙案が、金日成の脳裏に閃いた。 朝鮮半島に「核危機」を作り出し、あわや第2次朝鮮戦争と いう状況を作り出す。アメリカが攻めてくると言えば、朝鮮戦 争の悲惨さを体験している北朝鮮人民は無条件で団結する。人 民軍兵士は兵営に閉じこめて、実家で親たちが餓死に直面して いる実態を知らせない。飢えた人民には「前線で戦う軍隊に軍 用米の手当ができず腹が減って戦えないようでは、おまえたち はまた奴隷にされるのだ」と一喝する。 ■5.罠にはまったクリントン大統領■ 92年5月から行われたIAEA(国際原子力機関)の査察 で、核廃棄物貯蔵所との疑いをもたれていた建物を、北朝鮮は 通常の軍事施設だと言い張って、立ち入りを拒否した。 93年1月に大統領になったばかりのクリントンは、前ブッ シュ大統領が控えていた米韓合同軍事演習を再開するとの決断 を下した。軍事的圧力で北朝鮮に査察を受け入れさせ、「外交 は素人」という前評判を覆そうとしたのである。 飛んで火にいる夏の虫とは、この事である。金日成は待って ましたとばかり、3月8日に準戦時態勢を発令し、さらに4日 後の12日にはNPT(核拡散防止条約)脱退を宣言した。 米国では核疑惑施設を狙ったピンポイント爆撃論も浮上した が、いざ第2次朝鮮戦争になれば、米国兵士も5万人は犠牲に なり、戦争費用は1000億ドルを超える、との予測にクリン トンは震え上がった。 戦争の危機は、金正日の立場を強化するためにも活用された。 人民軍の最高幹部たちを集めて、金日成はこう聞いた。「いま にも戦争が勃発しそうだが、どうだ、諸君は自信があるか。敵 どもが狂気のように核兵器を撃ち込み、わが国を不毛の地にし ようとするならばどうするか」 静まりかえった室内で金正日が一歩、前に進んでこう言った。 朝鮮のない地球はありえない。朝鮮がなくなるなら地球 をめちゃめちゃにぶち壊してやる。[1,p67] 「さすがは最高司令官らしい発言だ」と金日成は持ち上げた。 小国・北朝鮮が瀬戸際外交によって大国アメリカを思うがま まに振り回し、金正日は官製マスコミによって「無比の胆力」 などと持ち上げられ、軍部の中でも株をあげていった。 93年7月、ジュネーブでの米朝高官協議第2ラウンドにお いて、金正日は腹心の姜錫柱・外務次官に「核開発を中断する 代償として、軽水炉型の原子力発電所を2基くれ」と要求した。 戦争の瀬戸際まで緊張を高め、そこから譲歩の見返りを要求す る、という父親譲りの外交戦術である。 ■6.親子の対立■ ここまでは金日成・正日親子は一体となって動いていた。両 者の食い違いが一気に表面化するのが、94年6月17日、カ ーター元大統領が平壌を訪れた時である。カーターの調停に応 じて、金日成はアメリカとの平和的な話し合いに移ることを約 束した。同時にカーターが提案した金永三・韓国大統領との首 脳会談をただちに受け入れた。 金日成としては、そろそろ矛の納め時だと考えたのだろう。 90年秋に餓死まで発生している事態に驚き、それ以来、農業 の立て直しに自ら陣頭指揮をとってきた。今後は、韓国から援 助を受けつつ貿易を盛んにし、アメリカからは火力発電所をゆ すり取って肥料増産に向かう、という筋書きである。 金正日は父親に韓国との会談をやめてくれ、と何度も懇願し た。経済運営に失敗し、瀬戸際外交でようやく地位を保ってき た。ここで平和外交に転じて父親の手で経済再建に成功したら、 自分は用済みとなり、後継者の地位は金日成が18年ぶりに復 活させた金英柱にさらわれてしまうかもしれない。 やめてくれ、やめない、との押し問答の挙げ句に、金日成は 「わたしは朝鮮労働党総書記の権限を行使してでも会議を行う」 と最後通牒めいた言葉を吐いた。そして7月5日、6日の韓国 との経済協議会で、南北の経済合作と重油発電所の計画を表明 したのである。 ジュネーブでの米朝高官協議第3ラウンドは、2日後の8日 に開かれることになっていた。すでに北朝鮮側外交代表団はジュ ネーブ入りしている。ここで金日成が、今まで要求させていた 軽水炉を重油発電所に変えるよう指示したら、アメリカ側も即 座に合意してしまうだろう。一日の猶予もならない状況に、金 正日は追いつめられていた。 ■7.金日成の急死■ 金日成が急死したのは翌7日の夜であった。平壌のテレビは 喪服姿のアナウンサーが沈痛な声で「偉大なる指導者・金日成 同志の逝去を最大の悲しみをもって全人民、全党員に告げる」 と発表した。 死因は「心筋梗塞と心臓ショックの併発」と発表されたが、 「前日までに元気に活動しておられたのに、なぜこれほど急に 亡くなられたのか」と人民の間でも囁かれた。この時、金日成 は妙香山の別荘にいたが、通常8人いる医師が2人しかおらず、 しかも心臓担当の医師がいなかった。また金日成が倒れた後に、 医師団が平壌から車で駆けつけようとしたが、猛スピードでス リップし、谷底に落ちて全員死亡した。 その後、北朝鮮を脱出した人々の間では、金正日が殺したか、 あるいは何らかのショックを与えて死ぬように仕向けたという 噂が流れた。 これが事実かどうか分からないが、いずれにしろ、北朝鮮は その後もアメリカに対して軽水炉建設の要求を続け、この年の 10月に合意に達した。米国は23億ドルもの軽水炉2基を1 0年かけて建設してやり、完成までは年間50万トンの重油を 提供する。一方、北朝鮮側は現在の原子炉の稼働凍結のみ、と いう条件だった。これなら、いつでも北朝鮮側は瀬戸際外交を 再開できる。金正日の完勝である。「傲慢だった米国は降伏文 書に判を押した」と北朝鮮の官製新聞は論評した。[a] ■8.食糧援助とともに急増した餓死者数■ 瀬戸際外交で米国を押し切り、国内でも父親がいなくなって、 フリーハンドを得た金正日は、食糧危機を逆用して、自らの地 位をさらに盤石なものにしようと、新たな政策を始める。 まず94年9月の雹(ひょう)害で120万トンの穀物生産 が打撃を得た、という発表に始まり、翌年8月には大洪水で3 百万トンの穀物生産が失われた、と続いた。この発表に95年 には日本からの50万トンを筆頭に、各国から合計73万トン の食料援助が届けられた。 北朝鮮国民を一年間食べさせるには、最低380万トンあれ ば足りる。95年には国内生産と海外援助とで440万トンに 達した。その後も援助を含めれば380万トンを割り込んだ年 はない。[1,p220] しかし、不思議なことに餓死者の数は食糧援助が本格化した 95年から急増していき、それから3年間で国民の17%近く、 約370万人もの人々が餓死したと推定されている。[b,c] ■9.金正日の血まみれの手■ その原因は、チャウシェスク処刑に怯えた金正日の国内敵対 階級抹殺政策にあるというのが、[1]の著者・萩原遼氏の見解 である。北朝鮮の被災地を訪れ、国連の世界食料計画(WFP)か ら提供された食料の配給状況をチェックしていたスー・ローツェ さんは、その論文にこう書いている。 朝鮮民主主義人民共和国は、苦しんでいる人びとを犠牲 にして全軍隊を維持すること、(JOG注、党員幹部が多く 住む)平壌と他の重要地域の住民に食糧を供給することに 断固として固執している。[1,p162] 特に、東北の山間部の咸鏡北道・南道には国連職員やNGO (民間支援組織)の人びとが近づく事すら禁じられていた。こ の地域は戦前は抗日パルチザンが多く、その実績で、戦後ソ連 の傀儡として登場した金日成を脅かす力を持っていた[d]。 95年にも咸鏡北道の清津市で、朝鮮人民軍第6軍団による大 規模なクーデター未遂事件が摘発されている。 またこの地方には炭坑や鉱山が多く、北朝鮮の10カ所の強 制収容所のうち、6カ所がこの地方に集中的に配置されて、反 革命分子を強制労働に従事させている。さらに60年代に大挙 して帰国した在日朝鮮人も、多くはこの地方に移住させられた。 [e] 多くの脱北者はこの地域から出ており、彼らの証言によれば 金正日はこの地方への穀物供給を1994年には完全に停止した。 他地域に比べ、北東部の死亡率がはるかに高いのはそのためで ある。金正日はわが身の保身のための先制攻撃として、国内の 敵対階級の住む東北地域への食糧供給を絶って、集中的に飢餓 を発生させた。 ヒトラーのユダヤ人虐殺にも匹敵するジェノサイド(大量虐 殺)が、わが国のすぐ隣で行われていたのである。 (文責:伊勢雅臣) ■リンク■ a. JOG(137) 金正日の共犯者 核武装に突っ走る北朝鮮・金正日政権を育てた責任はアメリ カと日本にある b. JOG(055) 北朝鮮、管理された飢餓地獄 数十万人規模の餓死がここ数年続いている c. JOG(072) 温室の隣の飢餓地獄 人口2300万人の北朝鮮で、すでに3百万人の国民が餓死、 病死したと推定されている。 d. JOG(281) 金日成 〜 スターリンのあやつり人形 スターリンは、朝鮮人のソ連軍大尉を伝説の英雄・ 金日成に 仕立て上げ、朝鮮戦争を仕掛けた。 e. JOG(271) 「地上の楽園」北朝鮮への帰還 「地上の楽園」とのプロパガンダに騙されて、9万3千余の人 々が北朝鮮に帰国していった。 ■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け) →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。 1. 萩原遼「金正日 隠された戦争」★★★★、文藝春秋 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ■「金正日の血まみれの手」について メールマガジン「国際派時事コラム」 編集者 泉幸男さんより きょうのコラムを読ませていただくと、それなりに成立して いた民族・国家が ある一人間の嫉妬と野望によっていかに崩 壊させられうるかという図式を見せられたような気がします。 金正日のあとは、中国の傀儡政権が平壌に成立するだろうと いうのが私の読みなのですが。たぶん、本格的な中国からの てこ入れの見返りに朝鮮国の鉱山は中国の所有物となるでしょ う。 もともと朝鮮半島の北半分は漢の時代に中国の植民地(楽浪 郡など)でしたから、その時代に戻るということだと思います。 ■ 編集長・伊勢雅臣より なるほど、これは日本にとっても良いシナリオかもしれませ ん。傀儡政権とはいえ、中国内の朝鮮族と連携の可能性もあっ て、チベットやウイグル同様、中国も決して目が離せないよう になるでしょう。そして、韓国も中国の圧力を直接感じて、も う少し現実に目が覚めるでしょう。© 平成16年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.