“練習の鬼”糸井 近大時代はサボリ魔だった
【赤坂英一 赤ペン!!】阪神・糸井、移籍1年目の出足からいきなり大爆発である。そら見ろ、だから言っただろう、と大いに自慢したい。糸井が右ヒザ痛でキャンプ初日から別メニュー調整が決まった直後、2月1日付小欄で「練習を休んだぶん本番で暴れるだろう」と書き、見事にその通りになってくれたからだ。
そもそも、糸井は1月のグアム自主トレから、例年以上に“動き過ぎ”だったと思う。中学時代から右ヒザに古傷を抱えている35歳、昨季は注射を繰り返していた身で、ソフトバンクの柳田と猛練習をしていたら、キャンプで“代休”が必要になるのも当然である。
以前、糸井本人にインタビューした際、「本当は練習が好きなのか嫌いなのか」と聞くと、こんな答えが変えてきた。
「嫌いでしょうね。学生時代はホント、サボってばっかりいましたもん。最悪な人間でしたよ」
近畿大学では3年からエースになり、完封勝利2度を含む5連勝でMVP、最優秀投手、ベストナインを獲得。そのころから、「治療に行く」とウソをついては姿をくらましていた。当時、バッテリーを組んでいた田中雅彦(のちロッテ、ヤクルト、現BCリーグ福井コーチ)が、苦笑いしながらこう言っていた。
「糸井が治療と言ったら大抵パチンコ屋にいるんですよ。行く店もわかってるから、よくぼくが首根っこをつかまえて引きずってきたもんです」
それほどサボっていても、試合では「真っすぐさえ投げていればいつも抑えられた」というからやはり超人だったのだ。
では、野球人生で一番練習をしたのはいつか? そう聞くと、糸井は即座にプロ3年目、日本ハムに所属していた2006年に投手から野手に転向したときだと答えた。
「あのときは一日中練習してました。朝早くから一軍のナイターをテレビで見たあとまで、ずーっと。手のマメが潰れて、車のステアリングが握れなくなったほどです」
ちなみに、そんな糸井は小学生時代、サッカーが好きで、当時は中学でも野球ではなくサッカーをやるつもりだったそうだ。そうしたら、元トライアスロン選手の父親に「野球をやれ!」と一喝されて泣く泣く断念。「中学では、泣きながら野球部に入って、泣きながら練習をしてました」
しかし、その怖かった父のおかげで今日があるのだ。今後もケガに気をつけて頑張ってほしい。
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