早稲田大学サークル講演B
[2012年07月23日(Mon)]
早稲田大学サークル講演B
学校づくりの基盤は「愛(熱愛)と義(秩序)」、そのうえでダ
イナミックな教育活動を展開することである。これなしにいい学校
は生まれない

学校の実力は欠席数に現れる。楽しい学校は休まない。仲の良い
学校は休まない。いい先生がいる学校は休み名少ない。体力・気力
・意欲のある学校は休みが少ない。
欠席ゼロは教育の勝利のあかしである。1ケ月間欠席ゼロ達成が、
2クラス生まれた。みんなで喜び合った。全校欠席ゼロの日も生ま
れた。優れた学校は欠席が少ない。
川口市は欠席が多い。不登校が多い。1校30名もいる。増減を
繰り返しながら一向に下降することがない。友人のA校長は不登校
37名から21名まで減らした。駅伝大会でも27校中24位から3位
まで伸ばした。進学も好調であった。浦高に2人も受かった。しか
もたった2年間の在任期間であった。校長の理念・人柄・校内を動
くその動線が醸すその影響は大きい。
学校と言う社会は不思議な所である。校長の優れた実践に学ばな
い。伝統とならない。A校でも例にもれない。次の校長は引き継い
だ。しかし、次の次の校長になったら本の黙阿弥になってしまった
。私の学校でも同じであった。
校長の目は子どもに向かない。地域に向かない。上に向く。教育
委員会にむく。利害得失・私利私欲、事が起これば自己防衛に走る
。校長に与えられている強大な権限・責任を発揮しない。
残念!無念!良くなるはずがない。
2005年第一回「心の教育」研究発表会をやった。脳科学の知見
を生かした教育研究実践であった。県教育委員の高橋史郎先生も応援
に来た。記念講演は日大の森教授「脳科学と教育」であった。

2006年第二回「心の教育」研究発表会をやった。岡村市長も駆
けつけ、激励のあいさつをした。

私にとって総力戦であった。2カ月後には退職、教職の総決算であ
った。参考資料は可能な限り、スペースの許す限り公開した。和洋を
問わず、哲学から歴史、教育に至るまで展示した。
脳科学関係では基本文献以外にも「サイエンス」「ネーチャー」
「ニュートン」まで紹介した。
教育のメモ帳も20冊以上並べた。2年間の日記もならべた。「ごま
かし・作り話、作文」が一つも入らない研究報告にしたかった。多く
の参観者があった。予想を超えていた。驚いた。社会の要請を思った
。脳科学の時代がきたのだ。わたしはこれに賭けようと思った。

研究の片腕であった森教頭は、3年後「Brain Science And Ed
ucasion」を出版した。本校の実践を世界に知ってもらいたいという。
本ブログの出発は森教頭のメモである。森教頭は優れた書記であった
。

大津の事件は余りにもひどい。私の実践と対極にある。
@ アンケートで「自殺の練習」を当初公表せず
A 二度目のアンケート実施自体を当初公表せず
B 遺族にアンケート結果を口外しないように求める。
C 自殺当日、あるクラス担任が「記者に何も話すな」といった。
D 校長が校内放送で「自殺の練習はなかった」といった。
私の実践は
@ 全て公開である。校長室は何時でも・誰でも受け入れる。
A 校長に何を言っても「ペナルテーなし。不利益なし。」を年度
当初学校経営案に書き込み約束する。
B 職員のコソコソ・ヒソヒソ話はダメ、伝聞もダメ、やった事実
だけ話す。誰に話しても、何を話してもOK、人権だけは侵すな!
C 記者には「どの先生に聞いてもOK、どの子どもに聞いてもOK」
、地域の誰に聞いてもOK、必ず3人以上複数から取材する。」
ようにたのんだ。本校にきた記者は20名以上になった。
マスコミ報道は63回に及んだ。
学校づくりの基盤は「愛(熱愛)と義(秩序)」、そのうえでダ
イナミックな教育活動を展開することである。これなしにいい学校
は生まれない
学校の実力は欠席数に現れる。楽しい学校は休まない。仲の良い
学校は休まない。いい先生がいる学校は休み名少ない。体力・気力
・意欲のある学校は休みが少ない。
欠席ゼロは教育の勝利のあかしである。1ケ月間欠席ゼロ達成が、
2クラス生まれた。みんなで喜び合った。全校欠席ゼロの日も生ま
れた。優れた学校は欠席が少ない。
川口市は欠席が多い。不登校が多い。1校30名もいる。増減を
繰り返しながら一向に下降することがない。友人のA校長は不登校
37名から21名まで減らした。駅伝大会でも27校中24位から3位
まで伸ばした。進学も好調であった。浦高に2人も受かった。しか
もたった2年間の在任期間であった。校長の理念・人柄・校内を動
くその動線が醸すその影響は大きい。
学校と言う社会は不思議な所である。校長の優れた実践に学ばな
い。伝統とならない。A校でも例にもれない。次の校長は引き継い
だ。しかし、次の次の校長になったら本の黙阿弥になってしまった
。私の学校でも同じであった。
校長の目は子どもに向かない。地域に向かない。上に向く。教育
委員会にむく。利害得失・私利私欲、事が起これば自己防衛に走る
。校長に与えられている強大な権限・責任を発揮しない。
残念!無念!良くなるはずがない。
2005年第一回「心の教育」研究発表会をやった。脳科学の知見
を生かした教育研究実践であった。県教育委員の高橋史郎先生も応援
に来た。記念講演は日大の森教授「脳科学と教育」であった。
2006年第二回「心の教育」研究発表会をやった。岡村市長も駆
けつけ、激励のあいさつをした。
私にとって総力戦であった。2カ月後には退職、教職の総決算であ
った。参考資料は可能な限り、スペースの許す限り公開した。和洋を
問わず、哲学から歴史、教育に至るまで展示した。
脳科学関係では基本文献以外にも「サイエンス」「ネーチャー」
「ニュートン」まで紹介した。
教育のメモ帳も20冊以上並べた。2年間の日記もならべた。「ごま
かし・作り話、作文」が一つも入らない研究報告にしたかった。多く
の参観者があった。予想を超えていた。驚いた。社会の要請を思った
。脳科学の時代がきたのだ。わたしはこれに賭けようと思った。
研究の片腕であった森教頭は、3年後「Brain Science And Ed
ucasion」を出版した。本校の実践を世界に知ってもらいたいという。
本ブログの出発は森教頭のメモである。森教頭は優れた書記であった
。
大津の事件は余りにもひどい。私の実践と対極にある。
@ アンケートで「自殺の練習」を当初公表せず
A 二度目のアンケート実施自体を当初公表せず
B 遺族にアンケート結果を口外しないように求める。
C 自殺当日、あるクラス担任が「記者に何も話すな」といった。
D 校長が校内放送で「自殺の練習はなかった」といった。
私の実践は
@ 全て公開である。校長室は何時でも・誰でも受け入れる。
A 校長に何を言っても「ペナルテーなし。不利益なし。」を年度
当初学校経営案に書き込み約束する。
B 職員のコソコソ・ヒソヒソ話はダメ、伝聞もダメ、やった事実
だけ話す。誰に話しても、何を話してもOK、人権だけは侵すな!
C 記者には「どの先生に聞いてもOK、どの子どもに聞いてもOK」
、地域の誰に聞いてもOK、必ず3人以上複数から取材する。」
ようにたのんだ。本校にきた記者は20名以上になった。
マスコミ報道は63回に及んだ。
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