« 2017年4月10日 | トップページ | 2017年4月12日 »

2017年4月11日

2017年4月11日 (火)

田野に私信。ブログで芸能人に対して私信を書くのも私くらいしかおらんやろ。反省点なんてあってアタリマエや。

なんかこの投稿かわいらしいなあ。(・・・いやべつに他の投稿がかわいらしくないわけじゃないけど)


https://twitter.com/tanoyuka_0307/status/851787914300096512

今日反省点たくさん!いっぱい!
今観にきてくださってる人のこと考えたら一瞬すごいへこんだけどすぐ切り替えなきゃいけないのも大事。明日からまたベストをつくす。

てか脚にこんな疲れきてるのはじめてです、、

休む!おやすみ!
ねむい!



観てもないのに考察すると、どうも、田野の性格やと、いざ舞台が始まって、実際から、ああしよう、こうしようと思ってもっと練習して、それで疲れがたまったんちゃうか。

だから、結果は出せてないかもやけど、それだけ舞台女優として実績だけでなく、いろんな経験を積んどるのちゃうか?


田野ってこういう試行錯誤のダメなところを、ヒョイと書いてまうところがええというか、それでさらに上にいける気がする。

比較で出して悪いけれども、伊達娘はけっこう”サイメビロス”とか書いとるやろ。


けど、仲良しなだけじゃなくて、ダメと思ったところをどう直すか、そこが大事やねん。

その感性は田野のほうが、5年前から既に上手いと思うとったけれども、いまも上手いと思うよなあ。


昔話をしてアレやけど、田野が出てきたときに、田野も将来舞台女優になると私は言うとったけれども、田野はダンスにしか興味なくて、だから宮本亜門のオーディションも、ヤル気なしで出てもたやろ。
ドキュメンタリー映像にも残っとる。

そんでいま、私が想像した通りになっとる。


そんで、ひらりーがワンマンライブしたけど、田野もワンマンライブしろよ。

そこで、なんで女性アーティストで”ワンウーマンライブ”と言わんのかなあ・・・と思って検索したら、”ワンウーマンライブ”というのもけっこうヒットする。

ならば訂正して、ひらりーがワンウーマンライブしたけど、田野もワンウーマンライブしろよ。

やっぱそのためにはAKBから卒業せなアカンやろなあ。

けど、ひらりーはいい手本を示してくれたんちゃうか?


てか私のことを書くのを忘れたけれども、週末に行くのは、仕事が入って無理になった。

田野だけでなくて、なっつんとあーや、うめたと萌、とかいろいろ観るためには、カネも必要やからなあ。


それで、来週末の22,23に行くと思う。

19日はこじはる卒業公演でロビー行けんから観たろと思うたら、その日貸し切りとか、そんなのばっかや。

いや1回くらいロビ観休んでもええんやろけど。


『きみはいい人、チャーリー・ブラウン』

って、そのタイトルを見て、私は日本政府から見たら

『きみは悪い人、ジミー・ブラック』

とかになってまうんかなあ?


けど、日本政府の工作員はそう言うけど、それ以外は違うよなあ。


それで思い出したけど、私は創価学会の友人から、機械のカラダを求めて宇宙をさまよう、銀河鉄道999の星野鉄郎みたいと言われた。

私はそれを言われてあんまピンとこんかったけれども、こうして日本政府に対抗するはずの中核派に対してもめちゃくちゃ非難していることからも、星野鉄郎っぽいのかなあと思うてもた。


というのも、私は日本政府はダメだから、ドイツ政府ならばなんとか正しい判断をしてくれるかと思って亡命したやろ。

それでもダメやったから、どうしたらええのかなあと思うとったところに、中核派に出会った。

フツー、中核派で終わりにしたいやん。

その中核派も、内部は日本政府以上に腐っとるというのを理解して、また別のところに飛んでいこうとしとる・・・・・・・・・・・それは確かに、銀河鉄道999の星野鉄郎に見えるかなあと思った。


けど、銀河鉄道999の星野鉄郎よりも、私は、母をたずねて三千里のマルコ・ロッシやと思うなあ。

母をたずねて三千里は、ガチで私が観たとすると、0歳~1歳になるから、再放送かなあと思うとったけど、その本放送を覚えとった可能性もある。

なんたって、私は9か月の2000gで生まれてきて、医者から内臓が丈夫だから保育器は要らんと言われた。
前も書いたけど、もう大丈夫だから自分から生まれてきたと思うとる。

だから、1歳くらいで物語を理解できたっておかしくはない。

まあ再放送かもやけど。


検索したら、私のGoogle+の5年前の投稿が出てきた。

https://plus.google.com/103299321834603136878/posts/95uT7V3hWFa


まだドイツで亡命申請して、窮屈な難民収容所にいるときに書き込んだものやなあ。

てかディープなネタは、、なぜかいつも十夢に向かって書いとったっぽいなあ。

チャンスとは芋堀りみたいなものだとか、私は観客の顔が見えない中を、一人で舞台で演じている気持ちだとか、そんなことは全部十夢に向かって書いた記憶がある。

私が【マルクス主義粉砕闘争】って、思い立って書いたから、”マルクス主義粉砕闘争”で検索したら、こんなブログに当たった。

マルクス主義の土俵を粉砕する
http://www.h4.dion.ne.jp/~kosmos9/99_blank031.html

歴史学者、岡田英弘の著作集が出版されているが、その中の『歴史とは何か』 (藤原書店、 2013年)の中に朝日新聞などの問題が論じられてある。それに続いて、マルクス主義に対する姿勢が問題にされてある。私が以前から感じていたことと全く一致する文章なのでここでそれを引用してみたい。

・・・しかし、そういう仕事は、たしかに目の前の緊急の用には役立つが、根本的な解決にはならない。要するに、人の土俵で相撲を取っていてはだめなのである。マルクス主義の唯物史観あるいは史的唯物論というものは、明らかに階級闘争のための武器で、真実というレベルでの判断は問題になっていない。共産党の独裁を実現するのに役に立つものが、真実に代わって重要なのである。つまり、彼らの言う真実とは階級的真実であり、歴史を論ずるというのは血みどろの戦いの土俵にあがるということなのである。

このような相手の設定した土俵に上がって論争し、史的唯物論の階級闘争史観と四つに組んで戦うというのは、私にはむだな努力だと思われる。そんなことをせず、相手の土俵をそっくりそのまま粉砕し、放り出してしまえばいいのである。四つに組んで押し合うようなことをするよりも、むしろ歴史の原点に立ち帰って、ちゃんとした歴史を組み立てる作業をするほうが意味がある、というのが私の考えだ。(『歴史とは何か』25頁)



私は目のつけどころがええよなあ。

”階級闘争”の概念自体が、マルクス主義者が想定している”革命”とは相容れないところを検証せなアカン。

私はそれを試みとる。


ついでに、中核派でそれなりに学んだけれども、ロシア革命だとか、その前にドイツで、カール・リープクネヒト

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%97%E3%82%AF%E3%83%8D%E3%83%92%E3%83%88



だとかが革命を企てたとか、いろいろあるみたいなんやけど、それはマルクスが言う”階級闘争”ではなくて、リープクネヒトなりレーニンなりが、時機を読み、宣伝・扇動に長けた人間やったんやろなあ、と、私なんか思うてまう。

てか中核派って、時機を読むという発想がほとんどないねん。


女の子がなにか困っているときに、困っていることをズバリと当てて、そこで助けたら、その女の子とは仲良くなれるやろ。

けど、それを聞きつけた中核派の人間が、女の子に対して、困っているとかいうのを全く伺うことなく、同じことをしたら、「なにやってるの!」って怒られるやろ。

そんなアホなことを、大勢で駅前で平然とやっとる。

中核派って、動労総連合で、機械化をめちゃくちゃ否定する闘争をしていながら、自分らの中では闘争はマニュアル化され、ほぼストライキ一本になっとって、

”ストライキを叫んで街宣したり、街を練り歩くロボット”を日立製作所とかに発注したら、手間が省けるんちゃうん?と思うてまう。


中核派って、機械化のなにがマズいのかわからず、自分らの闘争手順こそ機械化するに最適なまでに貶めてもとる。

【マルクス主義粉砕闘争】 やっぱ中核派だけじゃなくて、革マルとか日本共産党を巻き込むためには、マルクス主義そのものを批判せなアカンなあ。やっぱマルクスが前提に置いた”階級闘争”という発想自体が誤りやと思う。

・・・いや、そんなことを書きながら、マクロ的に見ると”階級闘争”が存在するとは思うよ。

けれども、”階級闘争”というものがリアルに起きたことがあるかというと、ないはずやねん。

だって左翼はよく「安倍倒せ!」とか言うやろ。コレだって、王制時代になぞらえて、絶対君主を倒したらそれでいい、という発想やねん。

それって大塩平八郎の乱とか、ようは一揆と一緒やわなあ。

だから、中核派がやろうと盛んに街頭で叫んどるのは、単なる一揆の扇動でしかないねん。


しかも、一揆って、歴史を見ても、現実に餓死者がいっぱい出てもう生きてけない状態になって初めて起こせるもんやねん。

いっくら生きてけなくて人口が減ってっても、餓死者が出ない状態では、一揆は起こらんねん。


だから、そこで、マルクス主義だのなんだのを持ち出して、自分らがさも正当かのように主張しとるけれども、人々はガチで死人が出るまで、怒りを権力者に対して向けられんねん。


けれども、森友学園問題を見てもわかるとおり、・・・・いやその前にナチスを見てもわかるとおり、人々は、宣伝・扇動に弱い。

まあだから中核派も”宣伝・扇動の飛躍”とか、万年変わらんテーマを掲げとるわけやけれども、宣伝・扇動ってようは、人々が関心があることをどんどん積み上げて、追求していくことやねん。


中核派はそこでカンチガイしとるのは、動労東京の吉野とか、昨日あたりも誰かの書き込みを挙げたけど、「それはすべて資本主義の崩壊だ!」と言ったら、人々の怒りに触れると思うとるねん。

けどそれは違う。

森友学園問題で、誰かが追及してくれることを望んどる人々は、「それはすべて資本主義の崩壊だ!」と言われても、「いや自分はなにもする気ないし」って逃げてまう。


革命を目指す者は、人々との温度差をちゃんと認識して、人々から知らんぷりされても、人々が望むモノをとことん追及しきって、人々が、「ああこの政府じゃダメやなあ」と思い至るところまで説明し切らなアカンねん。

そうすると、「前進」の論調もだいぶ変わってくるはずや。


けど、それを中核派に対して言ったら、中核派は「君がそんなことを言っていてどうするんだ、君が新しいヒトを獲得する気を起さなければいけないんじゃないか」って論理をすり替えてくるねん。

それがもう、中核派は”マルクス真理教”になってもとると、私は言うとるところやねん。


それで、今日なんでそんなことを書こうと思ったかというと、さっきAKB劇場からの帰りに、オッサンらが2人で話をしとるねん。

どうも聞いたら、36歳の会社員が、37歳で今年転職で入ってきた社員についてイロイロ聞いとるねん。

その聞き方がハラタツねん。

なんでもその、37歳で今年転職で入ってきたヒトは、個人事業とかを試みたけれども破れて、それで改めて企業勤めするようになったらしいねん。

その、会社ではめっちゃ下かもワカランけれども、人生では先輩に当たる人に対して、36歳が、

「どうしてまたサラリーマンに戻ろうと思ったの?」
「いまの会社でやってけそうなの?」
「住宅とかちゃんとやってるの?」
「休日はなにしてるの?」

とか、根掘り葉掘り聞いとるねん。

しかも、たとえば赤毛のアンのマリラみたいに、聞くことによってそのヒトのためになろうとしとるのならばええよ。

けど、そいつの発言からは、「オマエのほうが年上だけれども、会社で上なのはオレだからな!」っていう態度しか読み取れんかった。

上司の特権を用いて、そのヒトの弱みをなんとか掴もうとしとるとしか思えんかった。


だって、その会社が倒産したら、それでも生きてけるのはどっちかというと、私は37歳のほうやと思う。

36歳はたぶん、大卒でその会社でストレートで昇進したんやろ。

そんなヤツが社会のナニを知っとるというねん!!!


けど、官僚だって中核派だって、中枢に近いところにおるのは、その組織でストレートで昇進したヤツばっかやねん。

だから、シミタケとか、”中核派官僚”と言っていい人間が何人もいる、と私は思っている。


”階級闘争”以前に、そういう発想と闘わずしてどないすんねんなあ?


それで、改めて”階級闘争”を捉え直したら、マクロじゃなくてミクロに見て、2人になったときに、

① 上の会社員の会話みたいに、自分の権威を持ち出して、自分が上だと威圧する人間か

② 赤毛のアンのマリラみたいに、自分はこの人のためになにができるだろうと考える人間か

人間は基本的に、この①と②のどちらかしかないと思う。


そして、中核派も共産党も、言っちゃ悪いけれども①のタイプが多い。

②のタイプの人間にとっては、創価学会のほうが魅力的で、創価学会に入っとると思う。



私は、②のタイプの人間を増やしながら、同時に、率先して権力の悪をとことん追及して、それを多くの人に伝える、そこまでもってけたら、革命に持ってけると考えとる。

やっぱ、②のタイプの人間を増やす、そんな社会が、そんな国(過渡的にせよ)ができたらどんなにいいだろう、と思う人は確実にいる。

そう言って、人々に対して理解を求めていく、そんな地道な活動が必要と思う。

中核派内部で、内的革命の必要性について文書を書いたんやけど、コレも誰からも相手にされんかったなあ。そんだけ中核派、東部ユニオン、動労東京は全部腐っとるねん。

パソコンの中を調べたらあった。

コレは東部ユニオンの白井、小泉か、動労東京の吉野か、どっちに向けて書いたかは忘れた。

けれども、こんな思いが無視されて、「ウンドーガ!ウンドーガ!」と唱えてさえいればよい、とするのが、中核派やねん。


-------------

ここ数日さまざまな方と討論して、まだまだ内的革命が必要と感じたこと 2016/7/30 G


選挙戦を通じても、一般の方々と繋がれたとの総括が為されているようであるが、これからさらに一般の方々と繋がり、団結するには、まだまだ掘り起こして議論すべき問題が無数に多いと私は考える。



たとえば、私の立場を、”労働組合”の問題から考えると、我々はどのように整理するのか?

A.Hを解雇されるように自分から仕向けた私が悪く、労働問題的には全く的外れな活動をしてきたと捉える
B.会社の枠を超えて、大きな意味での労働問題に積極的に挑戦してきたと捉える

私は、B.の考えであるが、どうも内部的には、”路線”から外れているために、A.であると解釈している方々ばかりであるように感じる。



また、私の現在の立場として、内部的に、JR-Eの新規システムについての糾弾を期待されているのは理解するが、それは必ずしも、私の現在の職場の闘争とは相容れない。

私は説明を”職場のおばちゃんにも分かるように”せねばならないのはもちろんではあるが、現実的に職場のおばちゃんがそれを欲しているかというと否であるし、仮に職場のおばちゃんと共闘してくれるとしても、私がJR-Eの新規システムを説明する以前に、我々、いやおばちゃん自身がリアルに直面している被曝問題を取り上げて訴えたほうが、理解してもらえると考える。



やはり、相手の抱えるであろう悩みを想定し、それに沿う訴えはあるはずで、局面局面においてそんな闘いができるはずであると私は考える。

(だからこそ私は、7・12集会の報告を、原爆死没者慰霊碑の碑文の内容を引用して、8・6ヒロシマの闘いに繋げるべく、とりわけヒロシマの人々に向けて書いた。
私の報告は、鮮烈にヒロシマの人々の胸を打つと考えているが、ヒロシマの人々の胸を打たない結果に至ったのであれば、私も自分の人に訴えるスタイルを考え直さねばならぬと考えている。)



O同志より、さきの選挙戦で、上段で人々に対して訴えるよりも、人々の言い分を聞いたほうが受けが良かった、と聞いた。
それは当然である。

私はその考えに達したうえで、その考えがまだまだ内部に浸透していなく、(こういうと反発を食らうことは容易に想像できるが、)自分の経歴自慢になったり、その結果としての派閥闘争の主張に終始することが往々にしてある現状を直視し、そこを打破せねば革命なんてない、と言い切って欲しい。



私の闘いに対して、Hのことについては忘れろ、と、いろんな方面から言われてきた。

それを正とするならば、たとえば、カクマルとの闘いについて、我々は忘れて、それに関して敢えていろいろ議論しないと整理するか?

私がそう突くとすると(実際はそこまで至っていないが)、いやそうじゃない、という声が聞こえる気がする。



いや、カクマルとの闘いの総括は大事だ、と言われるならば、じゃあ私とHの総括も大事だ、と言いたい。
なにせ、H-日本政府に関わる攻撃を、私はいまも日々受けているのだから。

私が現在どんな攻撃を受けているかについては、同志から、私について知りたいと言っていただけるまで、記載しないし言わない。

同志が興味を示してくれない闘いなのであるから、同志に対してでさえも、主張する必要はない。
それを内部で主張しろと、同志が言うのであれば、別に警察組織ではないし応じる考えはあるが、それとともに、もう少し私の闘いについてリアルに感じて欲しいと考える。



同志に対して内的革命の必要性を真に理解していただくために、敢えていまここでは、私の持っている考えの全ては出さない。(全てを出しても読んでもらえないとも考えるが・・・)

ただ、その考えの本質は、私は既にブログ等々に散々出してきたし、中核派に遇う前からと変わってはいない。
中核派の根底的な考えは、私の理解するところと違わないはず、と思うだけである。



たとえば、”オルグ”など、あるべき本質と、細胞大勢の解釈に関して乖離があると考える。

細胞大勢は”オルグ”を、あたかも新興宗教よろしく、自分たちの考えに染め上げることと考えているように感じる。
けれどもそれは違う。

今次選挙決戦の総括でも確認されたことであるが、”オルグ”とはつまるところ、相手の思いに自分が寄り添うことにほかならないのである。

というのも、中曽根-安倍-日本政府が延々と繰り広げてきた攻撃は、労働者の根本的な思い(・・・子孫繁栄に繋がる思い)に反する攻撃なのだから、彼/彼女らの心の叫びを真摯に聞き、解決策を真摯に検討するだけで、”オルグ”はできてしまうのである。



だからこそ日本政府は、私の”オルグ”に関する解釈を理解し、さらに私が中核派と繋がったことを理解したからこそ、私に対してDTのなかでもとりわけ強い攻撃を加えてきたのだと、・・・・・・・同志たちは認識してくれていないようであるが、私は考えている。

あと私は、重要な報告を記載いただいたDMの○同志に、あの文書をどういう思いで書かれたのか、一度ガチンコでお話ししてみたいと、切に願う。



とにかく、我々は路線としてはいいけれども、同志はどうしても大なり小なり、恐らく無意識のうちに、自分の築いた”地平”を、”利権”に変換してしまっており(それが”老い”の宿命であるとも想像するが)、それがいまの革命情勢において、実は革命を阻むひとつの大きな壁になってしまっているのではないかと、私は主張する。

それは、志を持ったはずの政治家のすべてが、権力を認識したときに利権にまみれてしまうのとさして違いはないのであると私は考える。

やはり、日本共産党やカクマルなどが、それぞれに志を持ったはずにもかかわらず転向してしまったことについて、転向してしまったこと自体を非難するのではなく、どうして転向せざるを得なくなったか?について考え、権力に迎合するに至った考え方をも吸収せねばならないと、革命情勢に真摯に対応するためにも必要と考える。

中核派のヤツらが、雑誌「国際労働運動」においてイギリスのEU離脱についてちゃんと考察していないと、昨年書いた私の論文。けどコレも中核派は理解できなかった。この論文を中核派が理解できなかったことは、公安も参考にできるやろ。

コレは私が中核派にいるときに、白井と小泉に対して書いたと思う。

アイツらバカやからなんも理解できんかったけど。

いまとなっては、中核派と公安と、どっちが勝つか高みの見物や。

それを見に集まるギャラリーが増えるのを私は待っとるねん。

てか”G”とは、私のペンネームが”剛力”だったから”G”やねん。

ふつうペンネームは自分で考えるらしいけれども、私が考えたら岩田とかしか思いつかんから、テキトーなのをつけてと片野に言ったら、”剛力”になった。

あと”F”って”前進”の略語な。

そんなの暗号になってないし。
そもそも暗号にする必要ないし。

----------------

イギリスEU離脱は日本がどうして国鉄改革をしたかに繋がる 2016/8/8 G

イギリスEU離脱については、大きな問題であるし、ひとつの観点からではなくいろんな観点からの議論が必要と考える。
そして、我々にはこの観点からの議論が抜け落ちている、と考え、ここに記す。
イギリスEU離脱について、イギリスの労働者達は、自分たちの法律を自分たちが決められない仕組みになってしまっている、と書いた。
(イギリス労働組合からの声明文の最後に、そんな内容の記載があったと記憶している)
これはどういうことか解釈を試みる。
EUにおいては、現実的に”EU官僚[1]”が政策を決定し、その内容を欧州理事会が承認することとなっている。
さらに調べると、現在の欧州理事会議長(EU大統領)[2]は、ポーランド元首相のドナルド・トゥスクであり、ドナルド・トゥスクをEU大統領に推進したのはメルケルとのことである[3]。
欧州理事会議長について、[2]をさらに調べると、”欧州議会議員や各国議会の議員に対する説明責任が規定されていないことが、主要な議題については各国の首脳らが欧州理事会議長を隠れ蓑にするのではないかという疑念につながっている[17]。また欧州理事会議長に負託を与えることになると、欧州連合の運営が議会重視ではなく大統領制の性格が強まることになる[21]。”
などとの記載があり、EUという”経済圏”において、説明責任を負わない独裁政治が可能となっていること、さらにその裏でEUを主導しているのは、ドイツであろうことが裏付けられる。
この独裁政治の結果として、イギリスをはじめとして、加盟各国で、自国の国民として投票して決めたことが、政治に反映されない、EUからの決定ばかりを一方的に受け入れざるを得ない、という不満として出てくるだろう。
そこで、じゃあ国の枠を超えて、EUに対して直接意見を言える者を直接選挙で選ぶ手段がないのか?と思い、調べたら、あった。
EUにも、欧州議会なるものがあり[4]、これは直接選挙で選ばれる。
けれども、比例代表制のみであることからも(なお定数は751である)、党としての最低限の得票に満たない少数意見は、どうしても圧殺されてしまう。
欧州議会と欧州理事会、この2つの関係について気になり、調べたところ、そもそも欧州理事会と欧州連合理事会というものが存在する。
EU加盟国首脳らによる会合が「欧州理事会」であり、EU加盟国の閣僚らによる会合が「欧州連合理事会」とのことである。
そうすると、欧州連合理事会のほうが、より現場レベルになり、”EU官僚”のテリトリーであるのは自明である。
そして、欧州議会と欧州連合理事会を比較すると、欧州連合理事会の権限のほうが上位に来るとのことである。[5]
EU全体の諸問題について議論する欧州議会に対して、EU加盟国首脳らが出る「欧州理事会」が概念論として対応するならばまだわかるが、個々の役人である「欧州連合理事会」が現場レベルで対応していれば、EU官僚の意向が通ってしまうのは自明である。
これまでの歴史から見ても、大勢の労働者よりも少数の為政者、学者のほうが良い考えを出せる、という考え方を、為政者の側が主張し、為政者側が意思決定において採用しているとも考えられる。
これでは、欧州連合理事会、さらには欧州理事会の意に背く決定を、欧州議会ができるはずがなく、結果的に欧州議会はEU官僚の意を汲んでしまうのは自明である。
そして、このようにして選ばれた欧州連合理事会(実態はEU官僚達といっていいだろう)が決定するのが、”EU指令”[6]である。
「国際労働運動」2016.7vol.10 P20において、”EU指針”との記載があるが、どうもこの文章の執筆者も、あまりEUの仕組みについては理解していないように感じられる。(或いは、国際連帯をした相手方が検討し記載した文章をそのまま和訳した可能性も考えられる)
というのも、たとえば総務省のページほか([7]。[6]も同じ)を見ても、いずれも、”Directive”を”指令”と訳し、解説しているからである。
「国際労働運動」同頁において、
”「EU指針」として発表しても、肝心のその執行においては、各国の政府に一任されざるを得ない、という壁にぶち当たっている。”
とあるが、これは一面なのであって、EU加盟国すべてにおいていえることではない。
というのも、EU指令が強制力を持たないという建前のもとで、日本における警察権力のように、裁量で与えられたものは、政府に対して都合悪い組織に対してとりわけ、強力に行使してくるのが権力の常だからである。
だからこそ、同頁において、
”フランスのオランド政権による労働法制改悪攻撃の強行も、EUのもとにおける争闘戦による強制という問題がある。”
と記載があるとおり、各国政府は為政者の常で、(その国の労働者の味方などする気などさらさらなく、)労働者を圧殺してきたのである。
そうすると、同一頁において一見矛盾する主張が為されており、我々はここを埋めるべく掘り下げて解釈をせねばならない。
やはり、EUを率先する国々は、自国の国益のみならずEU全体の利益を考えねばならぬという、EU官僚側の意向によって、ある意味全体主義的な主張がまかり通ると想定される。
とりわけイギリスなどの主要国では、EUから執行を一任されるというよりも、EU指令を率先垂範して実行せねばならない立場にあるといえる。
(逆に、ギリシャはギリシャで別の論理で、EU指令を強制される立場にあるといえるかも知れない。)
現に、[6]を読めば、”EU指令”を各国が未施行であり、それにより不利益を被った者がいると欧州司法裁判所が判断した場合は、各国の法律に優先して、欧州司法裁判所は指令の直接的な法的効力を有するとし、国(イタリア)を敗訴された事実がある。
すなわち”EU指令”はEU加盟各国にとっては、EU加盟各国議会が承認していない場合も、法律として適用されてしまう事実がある。
そうすると、イギリス労働者、それどころか、EUの利益を考える必要がない、イギリス内部に閉じた”小ブルジョワ”からしてみれば、「欧州連合理事会がいくら決定したとしても、我々が選んだイギリス議会、首相らの判断=我々の判断を仰ぐことなしに、欧州連合理事会の決定を一方的に押し付けられるのはどう考えてもおかしい」
という結論に達するのは当然である。
イギリス議会や首相が、民主主義的に政策を決定できるかどうかは(違うが、それは)措くとしても、欧州連合理事会の決定を一方的に押し付けられることに、イギリス国民は反
発したのである。
それにイギリス労働者のみならず、イギリスの資本家も含めたイギリスの人々が反対しているから、我々の階級闘争としてはねじれ現象として見えるのであるが、イギリスに閉じない大資本家という、大局的な観点から見ると、ねじれ現象ではなく、イギリスで闘っているブルジョワは、EUの大資本家に潰される運命にあり、労働者以上にその危機を感じて
いる小ブルジョワとして位置づけられるはずである。
けれども、欧州連合理事会や、その上位の欧州理事会だって実のところ、[1]を読み直せば、官僚支配そのものに虐げられているともいえる。欧州議会もそうである。
イギリスも日本も、数年で当選/落選してしまう政治家自身に、さまざまな分野に関するたくさんの知識があるわけではなくて、それぞれの分野毎にノウハウや人脈を蓄え、権力
を保つために(ある意味では)”労働”をしているのは官僚なのである。

ここではっきりさせないといけないことがある。

司法府である政治家にとって、行政府を預かる官僚は、自分たちを凌駕する、有能過ぎる労働者である。
そして官僚が労働者として、政治家に対してストライキ権をちらつかせるからこそ、政治家よりも官僚に権限が集中し、独裁体制が完成するのである。
我々の論法を官僚に置き換え、「政治家ではなく、官僚が主人公だ!」と言わせると、間違いなくそうなる。
官僚が労働者として、政治家に対してストライキをしたから、民主党政権では実務が動かない、ということになり、政権が崩壊しただけでなく、民主党自体の信用が崩壊したと、
私は考えている。
ストライキだって、一般的労働者のように明示的なものではなく、民主党の閣僚に対して事務次官が「それについては、適宜検討しております」と説明しつつ、実のところなにも行動しなければ、人々は事務次官以下の官僚を非難することなく「民主党政権が悪いからだ」と言うだろう。
そして、民主党は引きずり下ろされ、「やはり政治は自民党でなければ機能しない」と、人々に思わせたのだとも思う。
改めて書くと、日本も、イギリスがEUによって支配され、議会が機能停止してしまったとイギリス国民が考えたのと同様に、日本も官僚によって支配され、議会が機能停止している側面が大いにあるのである。
ところが日本は、イギリスのようにEUという、自国の外に見える敵があるわけではないので、政治家ではなく官僚機構=日本政府全体の構造に対する批判に繋がらないのだと考える。
(右翼は中韓を外敵と見做し、知識人はアメリカを外敵と見做していることも、論点をずらされた結果と考える)
そして、日本政府がアメリカほかと結ぼうとしているTPP、これはイギリスにとってのEUと同じ仕組みを、環太平洋経済圏において日本を含めて実現しようというものである。
イギリス国民が、自国の預かり知らぬところで決定される内容に反対し、EU崩壊情勢のいま、TPPの推進などナンセンスとしかいいようがない。
アメリカ内部からも、TPPの批准に反対する者が出てくるのはそこに原因があると考える。
EU崩壊情勢を捉え返し、表に見える議会の裏で官僚たち(当然のように官僚は、日本会議にも在籍するだろう。)が勝手に草案を考え、主導権を握っている、そのこと自体をもっ
ともっと問題視し、糾弾していいと考える。
なお、何号か前のFに、国鉄改革を推進した御用学者として、濱口桂一郎の名前があったが、彼がEU労働者派遣指令と日本の労働者派遣法について比較し纏めた論文を見つけたの
で、参考として示す。

EU労働者派遣指令と日本の労働者派遣法 濱口桂一郎
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/604/604-03.pdf

この資料を読むと、”EUで派遣労働に関する指令案が初めて提案されたのは1982年にさかのぼる。”とある。
これは国鉄改革以前である。
そうすると、国鉄改革も、EU労働者派遣指令でEU官僚が企んでいることを、EUに先んじて日本が率先して示し、EUに対して優位を示そう、という意図があったのではないか?とさえも考えられる。
国鉄改革の成功(と彼らは言う)を元にして、ヨーロッパの鉄道が民営化されたのは、皆さんもご存じの通りであるし、やはり1982年にEU労働者派遣指令が提案されたときに遡っ
て、どんな意図があったかを調べることは、これからを考える上で必要と考える。
なお私も知らなかったが、国鉄のないアメリカで、Amtrakは民営企業ではなく、公共企業体とのことである。
こと労働法制改悪に関して、日本がEUの先駆者になったことがどういう意味を持つのか、明らかにせねばならぬ問題は多い。


参考

[1] 個人ブログ 欧州懐疑主義の根っ子はEU官僚と金融機関
https://argusakita.wordpress.com/2016/06/27/%E6%AC%A7%E5%B7%9E%E6%87%90%E7%96%91%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%AE%E6%A0%B9%E3%81%A3%E5%AD%90%E3%81%AFeu%E5%AE%98%E5%83%9A%E3%81%A8%E9%87%91%E8%9E%8D%E6%A9%9F%E9%96%A2/

[2] Wikipedia 欧州理事会議長
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%A7%E5%B7%9E%E7%90%86%E4%BA%8B%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E9%95%B7

[3] Wikipedia ドナルド・トゥスク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%B9%E3%82%AF

[4] Wikipedia 欧州議会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%A7%E5%B7%9E%E8%AD%B0%E4%BC%9A

[5] Wikipedia 欧州連合理事会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%A7%E5%B7%9E%E9%80%A3%E5%90%88%E7%90%86%E4%BA%8B%E4%BC%9A

[6] Wikipedia 指令 (EU)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%87%E4%BB%A4_(EU)

[7] 総務省 世界情報通信事情
http://www.soumu.go.jp/g-ict/country/eu/

中核派がよく使う”路線の一致”とか”時代認識”とか、そんなんで革命なんて起きん。

インターネットがあるし、いろんな情報がすぐ拡散してしまうし、人類の職種も好みもてんでバラバラになっている現在、人々の思いをひとつにする、なんてのは容易ではない。

そんなときに、いくら”路線の一致”とか”時代認識”とか言ったところで、”路線の一致”とか”時代認識”とかが必要と思う人間なんておらんねんから、過半数を取るのは無理や。


中核派ではよくクソツマラン会議とか勉強会とかで、社会情勢を勉強しとったけれども、それではゼンゼンダメと思った。

そもそも国際標準をやっていた私から見て、イギリスがEUから離脱するとはどういうことなのか、中核派の考察はめちゃくちゃ浅いと思うたんやけど、中核派は理解できんかった。


そうそう、コレ私が中核派の、たぶん東部ユニオンの白井とか小泉に渡した文書やけど、中核派の中でもゼンゼン出回ってないやろ。

せっかくやから次の記事で披露するわ。


まあどうでもいいけど、とにかく、

① ものごとの核心をとことん追求して射ること

は重要なんやけど、それだけではダメで、

② そこにいる人々とどうやって繋がるか・・・、そのために、人々に対して理解し信頼を得られること

が必要や。


中核派は①も②も両方できてなかった。

私もあんまワカランけれども、中核派は革マルのことを学問に走ったとかなんとか言うとったと思うけれども、比較的 ① に近いんちゃう?想像やけど。

② は創価学会は素晴らしいと思うし、正直公安の刑事のほうがまだ中核派よりも上手い。
いや公安の刑事に丸め込まれたワケちゃうぞ。


①と②の両方ができるところがないかなあとずっと思っていて、中核派は「自分らは①と②ができる!」と言うとるから、その気があるのかと思うたけれども、①も②もなくサンテレビ・・・・やったから(ココ愛想だけでも笑うとこな)、私も腹が立つねん。

おはよう。今日はまた日経平均だいぶ下げそうやなあ

これまでどうも、海外の要因があっても、日本株は"クジラ"のおかげで上げて、それが連鎖株安を食い止めとるカンジがした。

それが、昨日なんかでも100円以上株高になったにもかかわらず、ヨーロッパの株は下がっとるし、それにつられて円がまた110円台になっとる。

それに、ユーロが117円前半になって、116円を狙うとる。

今日は、上がる要因ないし、だいぶ下げると見るなあ。

« 2017年4月10日 | トップページ | 2017年4月12日 »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

最近のコメント

カテゴリー

最近のトラックバック