いい評価をされた時に、「そんな事言わないでくれ」「そんな事言われたってなんて返していいのか分からない」「私はそんなにできた人間では無い」と思ってしまうのは自己肯定感が低いからなのだろうか。
小さい時から、「ほっぺに何入れてるの?出していいよ〜(笑)」「リスみたい!」「小動物みたいだね!」と言われ続けた。可愛いという意味を込めて言っていたのだろうけど、そんな事を言われ続けて育った私は自分の顔に酷いコンプレックスを持っている。顔の輪郭を隠すことに必死で、小学生の頃から顔の周りの毛を耳にかけることが出来ない。ずっとショートヘアなのも、髪の毛の量が多い事がコンプレックスだからだ。どれだけ髪を短くしても、顔の周りだけ髪を伸ばすのは輪郭を少しでも隠したいからだし、皆に、邪魔そうだよ切っちゃいなよと言われても、ここだけは命だから!と言って私は頑なに切らない。
「〇〇は可愛くて良いよね」「〇〇はコンプレックスなんて無いでしょ」「〇〇の太ったは太ったうちに入らないからね」
コンプレックスなんて、人にベラベラ話せるもんかよ。自分の中で醜いと思ってるから人に言えないんだろ。隠し通してんだろうがよ。
褒められたことより、傷ついた言葉の方が心に残るのは何故だろうか。
話が逸れたが、褒められることにいつまで経っても耐性ができない。
「可愛いね」「話が面白いね」「優しいね」「文章が面白いね」「色々考えてて凄いね」
?????????????マ?
そんな事ないよ、と言うことはこちらがどれだけ本当に「そんな事ない」と思っていても、相手は「良いね。それ。」と思って言ってくれてる事だから、相手に対してあまりいい印象を受けないんじゃないかと気が付いてきてから、「ありがとう」と笑って答えるか、ふざけておちゃらけた態度をとる様にしてきた。だが、私が鈍いからなのか、その「言われたこと」に対して、それが「本心」からなのか「皮肉」なのか分からない時がある。自分の鈍さが原因で、友達を間接的に泣かせたことがあるが、「お前のせいだよ」と言われるまで気づかなかった。びっくりしたなーあの時は。
人が言ってくれたことに対して、全てまず否定的に捉えていたから「人から言われたこと、やられた事、他人の行動に私は敏感である。」と感じていただけで、結局はその本質も見抜けず考えようともしない、ただの鈍感な奴だったのか?
それもこれも自己肯定感の低さからか?
あれ、また話が逸れてる。とにかく、褒められたことに対して素直に喜べないこと、「私はそんなできた人間じゃない。辞めてくれ。」と、思ってしまうと言うことは、自己肯定感が低いからなのだろうか。自己肯定感が低いことと、謙遜する事はイコールにはならないのだろうか。謙遜する事は悪いことなのだろうか。自己肯定感が低いことは、自分以外の人間とはうまくやっていきやすい様に感じるのだが、自分自身を生きづらくしてしまうから良くないということなのだろうか。
難しく考えすぎなのか?
一応ググってみたら、謙遜って自分の評価を低く見積もる的な意味だった。自分の中での自分の評価を低く見積もると言うことは、自己肯定感が低いこととはイコールにはならないか。
ちな自己肯定感でググったら超自由ネコ師匠パイセン出てきた
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