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香港で生まれ育った佐々木のメンタリティは、同年代の日本人とは別物。自分を貫くタフネスを持っている。 (C)Picture Finders / AFLO
「母と姉2人とともに香港で暮らしていました。中学、高校のころは、父の事業が傾いたため、援助も少なく、かなり苦労しました。18歳のとき、それまで仲違いしていた父といい関係を築きたいと考え、日本の大学に入ることにしました。でも当時の日本語は小2レベル(笑)。父は、『男は自分で稼げ』という人だったので、日本に来て最初の1年間はセオリーの倉庫で時給900円のアルバイトをしていました」
資産家の息子だから、今のポジションがあるわけではない。彼は自分自身の手で自分の人生を切り拓いてきたのだ。その武器は、香港で身につけた同世代の日本の若者にはないスキルとスピリットだった。
「10年くらい前は、日本のネット環境は香港より遅れていました。そのアドバンテージはあったと思います。あとは、香港のハングリーな人たちの中で育ったおかげで、サバイバーのメンタリティはついた気がします。どんな時代や環境にでも適応して、世界を相手にビジネスをする。そういう人たちをたくさん見てきたので、自然と自分でビジネスをやることにも興味を持つようになっていました」
BIGBANGの大成功は、日本と韓国の関係にも影響を与えた。
「彼らが売れるとともに、日本と韓国を結ぶ航空便が増え、韓国語を話せる日本人がどんどん増えていきました。そういう現象から、音楽の力を信じるようになったんです」
しかし2011年、彼はBIGBANGのビジネスから手を引く。そこには、父の看病という事情と彼の揺るぎない哲学があった。
「あのままBIGBANGのビジネスを続けていれば、100億円でも稼げたでしょう。でも金銭的な成功がハッピーなわけではありません。僕はBIGBANGと一緒に夢を追いかけ、たくさんのファンとそれをシェアできた。また同じように夢を追いかけたくて、MAD MUSICを作ったんです。音楽には国境がないし、そもそも僕自身、国境をそれほど意識したこともありません。もちろん自分でやれば、リスクはありますよ。でもだからこそ楽しいし、ワクワクする。今僕は人生を思い切り楽しんでいます」
グローバルというより、コスモポリタンな雰囲気が漂う佐々木氏。「愛国心みたいなものはあまり感じたことがない」と言いながら、日本のことを気にかけている。
「世界では日本に対する関心がどんどん低くなってきています。でもだからこそ日本のアーティストで世界に出ていきたいんです」
発表前のMAD MUSICの第1弾PVを見せてもらった。映像も音楽も間違いなくトップクオリティ。世界で勝負するという言葉に偽りはない。
「海外でロケをしましたが、実はそれほど金をかけているわけではありません。衣装も全部自分たちで作っていますし、ネットワークと工夫次第で、こんな作品が作れるんですよ」
ヴィジョンがあり、経験とスキルがあり、そして何より情熱がある。佐々木現が世界の音楽シーンを驚かせる日は、そう遠くないのかもしれない。
Gen Sasaki
1985年、香港生まれ。高校時代まで香港で過ごし、上智大学に入学。YG ENTRETAINMENT JAPAN代表としてBIGBANGのブレイクをサポート。11年に退社、現在は、MAD MUSIC CEO。
言語 英語・日本語・ドイツ語・広東語(会話のみ)
愛車 BMW X5
尊敬する人物 リチャード・ブランソン、ウォルト・ディズニー、孫正義、柳井正
趣味 音楽、アート、デザイン、自動車、テクノロジー
今ハマっているもの TREX 14R(三輪車)
休暇 年に10〜14日程度。びっくりするぐらい爆睡します。