ゲイである私(多くのゲイが多分そうであるように、私はカムアウト=ゲイであることを公表すること、をしない、
つまり「普通の人」を装って生きると決めた人であることを前以て伝えておく。)からすれば耳の痛い話であるし、同時に身に覚えのある話でもある。
なぜ死にたいのか?ゲイだから死にたいわけではない。ゲイというのは、生きていく上でものすごく大量の「嘘」をつかなければならない場合が多いために、それに耐えられず死ぬのだろうと私は考える。
例を挙げて説明しよう。
「ゲイである」という事を偽るためには、「私はゲイではないです」と言えば良いのか?
否。
「ゲイですか?」と聞かれることなどあろうはずもないし、多分皆さんにもそんな質問の心当たりはないだろう。
「クラスの○○ちゃん、かわいいよな」「昨日のガッキー見た?超可愛い」
このミクロな情報、そしてこれを見る男性諸賢がおそらくは簡単に応答できる日常の会話、この全てに我々は嘘をつかなければならない。
全てに、嘘をつかなければならない。
これが、ゲイの生きづらさ=死にたさの本質ではないかと私は感じている。
「ゲイである」ということに嘘をつくために、ゲイは幾重にも嘘をつかなければならない。
「ゲイである」ということを隠して生きてゆくと決めた昼間の星のような人々は、「ゲイではない自分」の構築というアイデンティティの否定でしかない行為を、しかも思春期に必ず経験しなければならない。
中学時代には初めてのエロ動画とかに興奮し、AKBにハマり、人並みの青春みたいな恋がしたかった。
「ゲイではない自分」に、憧れているゲイの自分。自己否定のルーティーンはここに完成する。
嘘の自分と実際の自分との乖離に死にたくなる。分かりやすくないですか?
こうして、ゲイであるということを自覚した日から(そして「他の人はどうやら女が好きらしい」と気付いた日から)、ゲイは生きているだけで嘘をつくようになる。
親を欺き友人を欺き、時には自分に好意を寄せてくれた女性(時として恋人の体裁を取る)さえ欺きながら年を重ねるとどうなるか?
平気で嘘をつく人間になる。そして嘘の作り込みが異常に細かく、顔色ひとつ変えずに平気で嘘をつく、人をだますプロみたいになるのだ。
就活とは即ち騙しあいである。第一志望でもない御社への熱意をまがりなりにでも作り込み、企業を騙しきったら内々定の運びだ。
何しろこちとら21年生きてきて、物心ついてからの大多数の時間を嘘だけで過ごしてきた男である。ものすごく喋れる。嘘が。真実のように。
親を騙せて面接官を騙せないわけがなく、ということなのだろうか。就活が始まって、面接まで進んだ企業に未だ落とされたことが、ない。
この時点で、内々定は8社。全て一部上場企業だ。だれでも名前を知っているような企業も多い。
まさか就活を始めてみて、こんなことが起こるとは思っていなかった。