4月になりました。入学式を終え、晴れ晴れしい気持ちで学校の門をくぐる学生もいれば、失意のどん底にいる学生も多いのではないでしょうか。
「目次」
わたしは、高校受験に失敗しました。それは、17年前の出来事ですが、いまでも、その悔しさを覚えていますし、人生を決定付けたものであったと思います。だけれども、不思議とその失敗を、とても大切なものだと感じている自分がいるのです。
今回の記事では、高校受験に失敗したわたしの経験を書いてみたいと思います。
憧れの男子校
わたしが住んでいた埼玉県は、有名な公立高校があります。それも、ほとんどが男子校です。他県の方は不思議な感覚かもしれませんが、勉強すればするほど、男子校に通う可能性が高くなりますし、わたしのような田舎に住んでいますと、勉強する=男子校への進学、というコースになるのです。
中学校では、先生から「おまえは、男子校に行く」といわれ、「あぁ高校三年間、女の子と会うこともないのかぁ」と悲しさと、ある種の優越感を感じ、自分の人生を考えたものでした。
わたしが、中学校時代から目指していたのは、県内有数の進学校でした。勉強だけでなく、部活にも力を入れており、わたしの憧れの高校でした。自分は、その高校に行く、いや、いかなくてはならない、そんな風に感じていました。
それは、兄が、その高校に通っていたからかもしれません。兄への競争心も、その高校を目指す要因となっていたのだと思います。
落ちる
わたしの成績は、ボーダーラインでした。偏差値も、受かるか受からないか、半々といったところでした。ですが、わたしにとって、その高校へ行くのは、絶対条件であるように考えておりましたので、他校への受験を勧める先生の意見など耳に入りませんでした。
結果は、不合格。この時の気持ちを思い出しますと、いまでも、口に苦いものがはいっているような感覚に襲われます。泣きました。15歳のわたしにとって、生まれて初めての大きな挫折であったのです。
失意の登校、そして
落ち込んでいたわたしに母が、「浪人するか」と聞いてきました。つまりは、高校浪人です。悩みましたが、わたしは、この「借り」は高校で返すべきだと思い、第二志望の私立高校に入学しました。
袖を通した制服は重く、自分の行く末の不安を感じていました。
高校に入ると、すぐに、剣道部に入部しました。強豪校であり、そのとき50名ほどの部員がいました。気を紛らわすように、竹刀を振る毎日でした。
部活動が終わったら、片道2時間かけて、自宅にもどり、1時間の自主練習(素振り、ランニング)、そして毎日30分は、勉強すると決め、365日間、ほぼ同じ生活をしていました。
毎日30分の勉強とは、なんだか少ないように思いますが、部活動をしていてヘトヘトなので、これが限界でした。この勉強法は、毎日1時間の勉強で京都大学医学部に合格した部活の先輩に影響されたものでした。毎日30分で、国立大学、毎日1時間で、国立医学部、といった感じでしょうか。
受験を失敗した経験から、わたしは、完全に、徹夜型の勉強から、長期にコツコツ勉強する方法にシフトすることに成功していました。
転機、必要とされること
高校では、剣道に集中したいと考えていたため、勉強については、ほどほどにしていれば、良いだろうと思っていたのですが、高校二年の時に、転機が訪れました。それは、特別進学コースに移って欲しいとの担任の先生からの提案でした。
私の高校では、普通コースと特別進学コースに分かれており、特別進学コースは、推薦入学を認めない、完全「受験」型の真っ向勝負をせまるコースでした。先生の提案を断ること、3度、4度目に電話があった時、いやいやながら、コースを移ることを承諾したのでした。
剣道部の顧問からは、「慶応と早稲田だったら、いけたのにもったいない。」と言われましたが、まぁなんとかなるさ、と自分に言い聞かせ、部活している生徒がほとんどいない特別進学コースに移ることになりました。
基本的に、わたしは、授業中は寝て、休み時間に勉強するという、非常に授業態度の悪い生徒だったのですが、なんとか、乗り切ることができました。
窮屈な学校生活でしたが、勉強にも、部活にもわたしなりに精一杯ぶつかれたのだと思います。
高校三年間の結果
高校三年生になると、50人ほどいた部活でも、レギュラーになり、大きな大会に出場する機会を得ました。自分でいうのも何ですが、そこそこ有名な選手になれたようで、電車に乗った時、全く知らない女子高生5人組から「〇〇高校の上段がいる!!」と、話しかけられるという珍事を経験することができました。(そのときは、女子と男子の大会は、別日に行われていたので、驚きました。)
落ちた高校は、わたしが目指していた頃は、強い高校でしたが、地区大会でさえも勝ち上がれないような状態となっており、「俺をとらないからだ!」と本気で思いました。
大学受験は、すんなりと決まりました。志望していた国立大学でした。この国立大学へ進学することを決めたの理由は、『剣道日本』という剣道雑誌でした。連載をもっている先生がその大学におり、わたしはその先生の連載に魅了されていたことから、志望大学を決定したのです。
この大学への進学も、高校受験を失敗し、ひょんなことから強豪校に進学し、剣道を専門的に学びたい、と考えたことからでした。
その大学で、将来の伴侶となる女性、文化を学ぶことの面白さを教えてくれた恩師、剣道を科学することを教えてくれた先生・先輩方、といった素晴らしい出会いがありました。
わかったことー分岐点にとらわれないようにー
こうした経験から、わかったことがあります。それは、「重要なのは分岐点ではない」ということです。
分岐点とは、高校受験や、就職活動での合否だけでなく、結婚相手の選択なども入るでしょう。そうした分岐点を、わたしたちは過度に重要視してしまいます。しかし、わたしは、重要なのは、分岐点ではなく、分岐点から次の分岐点へと目指す道のりであると思うようになりました。
振り返ったときに、自分が選んだ道や、この高校に進んでよかったと、思えるように努力をする、楽しむことが重要なのだと思うのです。
月並みな言葉かもしれませんが、そう思うのです。