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発達障害就労日誌

色々あるけどまぁ生きていこうじゃないかというブログです。

何もしてないのに人間関係が壊れた、見えない通貨の話。

何もしてないのに人間関係が壊れた

そういうことはよくありますね。このブログは発達障害者が上手いこと立ち回って、なんとか定型発達者社会の中で生き延びていく術を模索するブログなのですが、その前提として非常に難しい概念があると思います。「自分の何が原因でネガティブなことが発生するのか」という点ですね。これがわかれば対策は打てる、でも「おまえのそういうところが悪い」と直截的に教えてくれる人間というのはあまりいないのが現実的なところで。

「どんな人間関係に入り込んでも中長期的には必ず破綻する」という人生を歩んでいる方は多いと思います。まぁ、永続する人間関係なんてものはそれほどはないので、これは誰でもある程度はあることだと思うんですが、それにしても破綻が発生する頻度が高すぎる。そういう問題を抱えている方は少なくないですよね。

僕自身もわりとそういう人でした。同一の人間関係に長期間居座ることはかなり難しく、人間関係をホップしていくことでなんとか凌いで来たわけです。しかしですね、人生には「固定された人間関係の中で一定期間成果を出し続けなければならない」という状況がわりと訪れる。そうなった時にどうするかですね。

 

共同体のルールと忖度

こないだツイッターでちょっと触り程度に話した話題なのですが、人間が集まった集団というのはもうその時点で部族なので、ある種の部族ルールが発生します。何を良しとし、何を悪しとするかの価値観というのは結構共同体ごとに違うわけです。「自分なりに正しいと思える行動を取っているのにいつの間にか共同体から排除されていく」という現象が発生した場合は、共同体のルールが飲み込めておらず気づかない間にルール違反を犯している場合が多いでしょう。

特に、公務員系の職場の皆さんはわりとハードなルールが存在する場合が多いと思います。なにせ、仕事の成果が「利益」というモノサシで計れない場合が多いですからね。「結果を出す」ということの定義がわりと不透明になります。この辺、バリバリの営業部族なんかだと話はまったく別で、「とにかく数字上げる奴が偉い」みたいな世界観だったりもするんですが、明確な評価の尺度が存在しない部族ほど、部族ルールは難解さを増します。

仕事の根回し、事前確認、終わった後のお礼回り、この辺を外すと大変危ないですね。また、明文化されていない職場の序列なども存在し、「誰から話を通すか」などの順番をミスった時点で全てが終わっているなどの現象も割と発生します。大学のサークルなんかも利益を目指す集団ではないのでわりと部族化しやすく、明文化されていない謎の風習が発生しやすいですね。あなたがサークルに溶け込めない理由はこれです。

これは、「忖度」という概念にもかなり近いと思います。価値観の近い者同士でお互いを忖度しあって共同関係を築いていく。人間というのはどうしてもそういう営為を行いたくなる生き物のようです。しかし、こういうことがまるで苦手な人間もいる。我々発達障害者のことです。これ、純粋なるADHDの方はそういう苦労はもしかしたら無いのかもしれないですが、僕はかなりASDを併発している向きもありますし、ASD併発を感じさせない純粋なるADHDの方って僕はまだ見たことがないですね。

 

金という価値基盤

僕は商売を自分でやるようになって、「世界がわかりやすくなった!」ととても強く感じました。我々商売人の価値基盤となるモノサシはとてもわかりやすく、要するにカネです。もちろん、ゼニカネではない部分が無いわけではないのですが、それでも商行為を行う以上その目的は常に「儲けること」ですし、全員が「利益を出すことが優先度一位である」ということを強く認識しています。要するに、利益をもたらす人間であれば多少トチ狂っていても許されるわけですよ。

商人もひとつの部族であることは間違いないのですが、我々の間に流通する価値基盤は非常に明快です。発達障害を持つ人間でも金の概念が理解できない人というのはほとんどいないと思います。与えれば喜ばれ、損をさせれば嫌われる。商人の基本は「一緒に儲けましょう」です。全員がルールの明確なゲームに興じているので、ゲームプレイヤーとして価値を持っていれば排除されることはまずありません。(逆に、ゲームプレイヤーとして価値がなければどんどん排除されますが、それはそういうゲーム性なのでそういうものでしかないですね)

もちろん、商売人に義理人情や忖度がないかといえばそんなことは決してなくて、そういう概念ももちろんあるんですけど。でも、大抵の行動は「最終的に利益を上げること」に向かっています。商人の世界でも「空気が読めない」はマイナス評価になりますが、それはそれとして「登場人物の間にどのような利害関係があるか」を読めればわりとなんとかなります。

当然ですよね、それがゲームの本質ですから。そして、この場合の利害関係というのは要するに金の話ですから、空気を読むのが苦手な我々でも背後関係さえ把握できれば理解できるわけです。そして、多少奇矯な人間であっても、最終的に登場人物に利益を出すことが出来る人間はチヤホヤされます。ある意味、むき出しのビジネスの世界は発達障害者に優しいと言えると思います。(まぁ、これはこれで限定された情報から金の流れを読むという能力は必要になるんですが)

でも、お金という共通の価値基盤を持たない部族の間ではそういうのはあまり通じません。そこでは、お金が流通しないので「一緒に儲けましょう」とか「あなたに(金銭的な)得をさせます」みたいなアプローチでは人間関係を構築出来ないのです。「人間関係のルールがわからない」というあれは、要するにこういうことだと思います。あなたや僕にはよくわからない価値の体系が存在し、我々はそのゲームの中でルールもわからないままに負けている。

 

見えない通貨

この、人間の間で流通する金ではない何かを僕は「見えない通貨」と呼んでいます。まぁ、呼び方はなんでもいいんですけれど。僕は、お金の流れのアナロジーから人間関係というものの理解を試みていますので、どうしてもこういう表現になってしまいますね。例えば、卑近な例で言えば「お礼」とかです。あなたは誰かにちょっとした親切をしてもらった。あなたは親切をしてくれた人を訪れて「本当にありがとうございました、助かりました」とお礼をした。これはお金を介してはいませんが、ある種の取引が完了しているわけです。あなたは「お礼」という行動で、「親切」という商品に対して対価を支払ったことになります。

もちろん、「親切にしてもらったからといってお礼をしなければならない」という決まりはありません。頼んだわけでもないことに何で礼を言わなければならないんだ、という考え方はもちろん一理あります。しかし、問題はあなたの属する、あるいは属したいと考えている共同体が、「お礼を言わない」という行為をどのように捉えるかだと思います。これは場所によっては、「商品購入の対価を支払わなかった」みたいな罪科として捉えられている場合も多いですね。

「見えない通貨」による決済は、実際のところ便利です。「ありがとうございます!」という通貨で出来る買い物はそれなりに多いですよね。「他人の親切に礼は言わない」というポリシーを実装して社会を生きていくということは、小額決済手段がひとつ封じられたも同然ということです。皆がPASMOでスイスイ抜けていく改札に毎回ガツンガツン引っかかるような人生を送ることになるでしょう。

これは発展例ですが、先輩があなたに仕事を教えてくれたとします。この場合、「業務だから自分に仕事を教えるのは当たり前だ、給料貰ってんだろ」という価値観と「お仕事を教えてくださってありがとうございます」という価値観のどちらかを採用することが出来ます。先輩が「後輩に仕事を教えるのは当たり前、礼を言われるようなことではない」という価値観を有していた場合は「当たり前」の考え方でも大丈夫でしょうが、先輩が「あいつは仕事を教えてやっても礼のひとつも言わない」と認識している場合はかなりマズいことになります。取引の対価を支払わなかった、ということに「先輩」の中ではなってしまうのです。

 

取引を認識して対価を払おう

これは僕の持論なのですが、人間は他者に与えたものに対して対価を得られなかった時に怒りを感じるものだと思います。「仕事を教えてやったのに感謝がねえな」と感じる先輩は理不尽な相手に思えるかもしれませんが、要するに対価を与えておけば怒られないわけですよ。そして、「ご教授ありがとうございます」と述べることに対したコストはかからない。やって損はないわけです。

問題は、人生のどのようなタイミングで「取引」が発生しているのかを認知するのがとても難しいことです。これは公務員なんかの職場ルールではあるあるだと聞きますが、有給明けで出勤した場合は「お休みありがとうございました」と言ってまわるのが当たり前、ルールが強いところだと昼休みが終わって自席に戻るときに「お昼休憩ありがとうございました」と言うなどのルールがあったりしますよね。飲み会の翌日には、参加者全員に「昨日はありがとうございました」と言ってまわるなどのルールが僕のかつて勤めていた職場にもありました。

これを実行しないと「商品を渡したのに対価が支払われなかった」のような怒りを感じる人間が存在するというのはとても不思議なことですが、部族の皆様はかなり怒りを感じるようです。お怒りアタックが直撃した僕が言うんだから間違いない。この、「親切」⇒「お礼」みたいなルールは比較的わかりやすいですが、「面子」や「顔」などと近似した概念としての「見えない通貨」も存在します。

 

面子という通貨

「あなたの顔を立てます」という概念があります。例えば、あなたは仕事をするために自分の部署の関係者全員に話を通して協力を依頼することにした。その時、誰から順番に話を通していくかという概念はとても重要です。その場のパワーバランスに応じて振舞わなければならないですよね。これもまた、「見えない通貨」の一例です。

あなたは、他者に対して「私はあなたを敬意を払い、顔を立てるべき相手と認識しています」という対価を支払い協力を依頼したわけです。いますよね、ちょっと顔を立て損ねると不機嫌になる上司。あれは「自分に支払われるべき対価が支払われなかった」という怒りなのです。「敬意」や「尊重」はかなり強力な決済手段です。新卒など、組織の下っ端としてやっていく場合に支払いに使えるのはほとんどこれしか無いと言っていい。そして、「どのように振舞うことが敬意や尊重を示すことになるか」は、割と部族ごとにまったく違います。

このルールを把握できないと、そりゃボッコボコにされますよね。されました。あなたの面子を立てます、というのはヤクザから公務員まで幅広く流通している通貨だと思います。この決済のやり方を知らないと、集団の中ではかなり厳しいことになります。特に、公務員みたいな金銭的な褒章を得にくい職種の場合は、この「面子」という通貨を得ることに人間は本気を出し始めます。サル山のボス猿争いと根本的には同じです。でも、それはそれとしてボス猿に「あなたがボスだと認めます」という態度を示さなかったサルはボッコボコにされるわけですよ。

そういえば、サルみたいな社会性生物にも発達障害ってあるんですかね・・・。まぁ、発達障害のサルが生き残るのはかなり難しそうなので遺伝的に淘汰されてそんなにいない気もしますけど・・・。なんかすごい辛い話になってきたのでこの辺にしましょう。

 

人の顔を立てましょう、お礼のメールを送りましょう

そういうわけで本日の結論はこういうことになります。新しい組織や人間関係に入り込んだ場合は、そこでどのような通貨が流通しているか、どのような決済手段が文化として根付いているか、どのようなことが「対価を支払うべき取引」と認識されているかを把握することに努めましょう。そして、それがまだわからないうちは、「これは取引のような気がする」と感じたときはとりあえず対価を支払うクセをつけましょう。

お礼のメールを送りましょう。お歳暮、お中元、年賀状、くっだらねえという気持ちはわかりますが、とりあえずやってみましょう。「対価の払い過ぎ」でマイナス評価を受ける心配はそれほどありません。新卒の皆さん、お休みをもらって実家に帰った時は必ずお土産を買って帰りましょう。職場の皆さんに「お休みありがとうございました!」と大きな声で言いましょう。仕事を教わった時は深々と頭を下げて「ありがとうございます!」と言いましょう。それだけで致死率はかなり下がる筈です。

ゲームに勝つということはルールを把握して最適な行動をするということです。そして、人間社会におけるルールは組織ごと、部族ごとにまったく違います。定型発達者はこの辺をあまり意識しなくても、それなりに場に合わせて振舞うことが出来るらしいといううわさは聞きますが、我々発達障害組は意識的に必死こいてやっとギリです。今日ここに書いたことですら、長年発達障害マンとして生きてきた人がいきなり完璧にこなすのはほとんど不可能だと思います。僕だって30歳を超えてやっと「ナンボか出来てきたかな・・・」というレベルですし。

しかしまぁ、諦めたらそこで試合終了です。少しずつでいいし、「あいつは不器用だけど努力はしてるのが見える」という評価でも相当マシになるはずです。なんとかやっていきましょう。