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映画喫茶 Bande à part バンドアパート

映画家になるまでの記録。映画、読書、喫茶店。

「なぜ日本人は~なのか」「日本人は~」という言葉に弱い日本人へ。

エッセイ-哲学のこと。

「日本人は~だ」という言説が嫌いだ。

具体的に言うと、その中でも論拠・説得力を欠いた一般化が不快だ。

 

同様に「大学生はみんな遊びほうけているだけ」「男はみんなバカだ」「なぜ女はみんなバカなのか」という安易な集団の特徴づけが嫌いだ。

もっと言えば、某掲示板などで頻繁に交わされる「韓国人は~だ」みたいな議論のための議論も大嫌いだ。

 

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ある集団の特徴を一般化して語ることは、学問上でもそういった帰納法的なプロセスを用いて証明することにおいていえば全くありふれたものだろう。

だからそれ自体を否定するものではないし、嫌いだというのはあくまでも僕個人の思いだ。考えというか、感情的な部分によるものが大きい。

 

しかしながら、やはり「日本人は~だから」という、さもなにもかも悟った様な言葉には違和感を抱いてしまうし、あまり心地いいものではない。

 

違和感の正体はおそらくその特徴づけの手順だったり、その言葉を使う人間の環境、経歴、人間性からの判断に起因する。それが間違っているか正しいかは問わない。

だから当然のことだけど「日本人は~だ」と言われて納得するものもある。

 

ただ一つ言えるとすれば、積極的に社会活動に関わってはいるものの、僕が学生という社会経験を欠く身分のため、そのような言説に納得ができないというところは大いにありそうだが。

 

冒頭で銘打ったようなすべての「日本人は~だ」という定型文が嫌いだということではないということを、再度断っておきたい。

相対化され論拠に富んだ主張により問題提起されたものはむしろ学ばなければならない。

 

よく指摘される日本人の特徴をみてみる。

1、(留学先で)日本人は日本人としかつるまない

2、日本の大学生は勉強をしない

3、日本人は他人の目線をよく気にする

4、日本人は礼儀正しい

5、日本人は少数派を許さない(同調圧力帰属意識が強い)

6、日本人は出る杭を徹底的に打つ

7、日本人は働きすぎだ

8、日本の企業はクソだ

 

この中では指摘されたらドキッとするものも多いに含まれている。

 

ただ現代の日本人が全員このような特徴を有するかといえば、当然そんなこともないだろう(そんなことはみんなわかっているはずだろうが)。

 

確かに、3,5,6などはほとんど言っていることは同じで、またそれを根拠付ける例を挙げることは可能だ。

例えば、島国であること、移民の数、村社会、等々言えばそれを説得力を持たせ語ることができる。

経験に基づいた話でもなるほど、そういうこともあるのか、と首を振ってしまうかもしれない。

だが今の時代、全部が全部そうだと言う事は決して簡単なことではない。

 

社会に出れば、上記にあるような同調意識にさいなまれ、そのような経験を嫌というほど味わうのかもしれない。

けれども、根本的な構造はまだまだ手が加えられていないにせよ、日本の企業も変わってきているのでは?

日本の会社じゃなくて、あなたの会社がそうなのではないでしょうか。

(申し訳ないが企業や社会構造についてはほとんど知識がないのと同然なのでご容赦頂きたい、むしろ色々教えてほしい。恐ろしいことにこれを書いているのは学生なのです。)

 

どうしても、あなたは日本民族を定義できるだけの経験を積んだのか、また世界を見てきたのか、という思いが先行してしまう。

世界を見た人が語る言葉

僕は権威主義者ではない。

だが、やっぱり世界を見た人はそれを相対化して語るだけの多角的な価値判断をすることができる。

 

例えば1の「日本人は留学先でも日本人としかつるまない」という言葉は、実際に僕が渡米して3年弱経つ友人に言われたものだ。

そして2の「日本の大学生は勉強をしない」という言葉は、海外出張など頻繁に行う大学教授から言われたものだ。

 

もちろん、それをそのまま鵜呑みにすることは危険である。

しかし、自分が受けた不快な経験を日本という民族への当てつけるような主張よりは、明らかに説得力に富む

正しいかどうかというより、実直に受け止めることができるし、これじゃあきまへんな、と思いますね。

 

だけど留学先でも頑張っている人はいるんだよ!!

だから「日本人の留学生は日本人としかつるまずに、全員親の金で遊びに行っている」なんて思わないでほしい、ってことなんだ。

 

まとめ

例えば映画『アメリカンビューティー』を観て、へぇ、アメリカ人てみんなこんなんなんだね、と言えばほとんどのアメリカ人は顔をしかめるのでは?

映画『ティファニーで朝食を』を観たアメリカ人に「日本人って、みんな眼鏡で出っ歯なの?」と言われたら、笑って否定するものの、そんなわけねえだろ!と心の中で唱えるのでは?

 

アメリカが、映画『BIG』に出てくる自由奔放なおもちゃ会社のような企業であふれているんだと思ったら、それはちょっと違うと思う。

 

一般化はとても危険なことである。

女子大に通う女の子に「やっぱりみんな慶應生に持ち帰られてるの?」「パパとかいるんでしょ?」なんて言ったらビンタの一つでもくらいそうだ。

同様にクラブ通いやダンスサークルの女の子に「誰とでも寝るんだろ?」なんて言ってはいけないし、もちろん実際問題そんなことは決してない。知らないけど。

 

確かに傾向や特徴というものは、経験や数字から掴むことはできる。

しかしそれが全てではない。

 

論拠を欠き押しつけがましくも、『すべての日本人』という、物入れの様な狭く暗い枠組みに身勝手に押し込まれるのには、正直腹が立つ。

それこそ同調意識の賜物なのではないか。

 

「おまえそれ、『俺は他の人間とは違うんだから一緒にすんな!』って言いたいだけだろ?」

 

とか言われたら、正直何も言えません。

終わり。

拙文ですがありがとうございました。