会社を退職して10日が経ちました。
この間に、生活においても気持ちにおいても、いろいろな変化が出てきたことを実感しています。
このような退職して今現在、感じていることや思うことを率直に記します。
退職して目に見える変化
人と話さなくなる
退職してまず一番強く感じている変化は、人と話す時間が極端に減った、ということです。
当たり前と言えば当たり前ですが、会社に通っているときは、社内では同じ顔ぶれと言いつつも、なんだかんだで話をする時間がたくさんありました。
しかし、退職すると、家に居る時間が長くなり、人と接する機会がほとんどありませんし、接するにしてもメールやラインで事足りるといった状況。
なので、話をする相手はせいぜい家族くらいになっています。
生活サイクルが乱れている
これまで休日前は、本を読んだりネットを見たりで朝方まで過ごし、昼ごろまで寝るという生活をしていました。
そして今は、寝たいときに寝て、起きたいときに起きるという生活になっています。
夜中から明け方まで目いっぱい起きていて、もう限界となったら寝る。
目覚めても眠り足りなければ二度寝する。
こうした毎日を送っていると、起きる時間と寝る時間が日々、後ろ倒しとなり、間もなく一周して、夜寝て朝起きる時間帯に戻りそうです。
行動力が落ちる
これも強く感じていることです。
「今、やらなくてもよい」、「時間はいくらでもある」って思うと、何事もどんどん、後送りしてしまうんですよね。
生活周りの事務的な手続きなど、「やるべきこと」はいくつもあるけれど、「絶対に今、やらなければならない」ことではないので、億劫がって手をつけなくなっています。
あわせて、身体を動かさなくなっています。
仕事をしていると通勤はもちろん、社内で動くことは多々ありますし、社用で出かけることあったので、それなりに身体を動かしていましたが、家にいると特に必要もないので、動かなくなっています。
このままだと、肥満一直線は間違いなしと思うのですが、動いていない分、食欲も減っていて、あまり食べなくなっているんですよね。
時間が経つのがはやい
「ジャネーの法則」というやつなのでしょうが、とにかく時間が経つのがはやいのです。
毎日、寝る前に「もう今日が終わった」と思いますが、それ以上に、日中のちょっとした時間でも時計の針がたくさん進んでいるのです。
何かをやっていて、「そろそろ30分くらい経ったかな?」と思って時計を見たら、1時間以上経ってたということが、毎日のように起きています。
退職しての気持ちの変化
会社に依存していた
最も強く感じるのが、生活の保障を会社に依存していたということです。
給料はもちろんですが、健康保険や厚生年金といった法定福利に関することは、全て会社が対応してくれていましたし、費用の負担もありました。
また、企業年金や生命保険、財形、持ち株会なども、会社経由で行っておりました。
これらを自分で切り替えるのは、とにかくややこしいし、手間がかかります。
有利な条件で事務的な処理まで会社がやってくれていたわけで、それにすっかり依存していたなぁと思っています。
もちろん、依存していたのは、福利厚生に関することだけではありません。
人間関係やさまざまな機会などなど、仕事や職場を通じて得られていたものは、実にたくさんあり、それらを日々、享受していたので。
こう考えると、依存というよりは活用していたわけですが、やはり会社は自分にとって大きな存在であったのは間違いないですね。
会社や仕事のことが気にならなくなる
これは自分でもかなりびっくりしているのですが、会社のことや仕事のことが本当に気にならなくなりました。
今も現役で会社で働いている元同僚のことは、毎日、思い出しますし、元気でやっているかなぁ、とは思います。
でも、自分が関係していた仕事そのものが、その後どうなっているかは、正直、全然気にならないんですよね。
会社勤めをしているときは、「良くないなぁ」と思いつつも、往復の通勤電車の中や、お風呂に入っているときは、ほとんど仕事のことを考えていましたし、最悪なのは、夜、寝床に入ってから考え始め、眠れなくなることもしばしばだったのに、そのようなことが、今は全くありません。
気持ちが割り切れているのでしょうけど、ここまでスパッと気にならなくなるとは、想像もしていませんでした。
後悔していることが思い出される
直前までやっていた仕事については気にならないものの、それ以前の自分自身の行動については思い出すことが多く、そのほとんどが「後悔」なのです。
私自身は、とても良い会社人生を過ごすことができたと思っていますが、それでも、たくさん後悔していることがあります。
「あのとき、ああしていれば良かった」というやらなかった後悔もあれば、「なんで、あんなことをしてしまったんだろう」というやってしまった後悔。
そして、「もしあのとき、違うことをやっていたらどうなっていただろうか?」という思い。
今の考え方を持っていれば、絶対にやっていただろうことや、やらなかっただろうことが分かるだけに、気持ちの上で尾を引いているのでしょう。
今さら悔やんでも仕方ないことではあるのですが・・・。
勤労観が揺れ動いている
家庭の事情があって学生時代後半は、学費は自分で働いてまかなっていました。
また、入社後は31年間勤めを続けていましたので、どっぷりとした会社人間であり、働いていない現在に、少なからぬ抵抗感を感じています。
第一義的には自分と自分の家族の生活を守るため、次いで、自分の存在意義を自覚するため、働くことは「なすべきこと」という意識を持っており、早晩、何らかの形で「働く」ことを再開しなければならないという気持ちはあるのですね。
でも、上に書いた自分の勤労観が揺れ動いているのです。
ひとつは、当面、働かなくても生活をしていけること。
もうひとつは、新しい場所で新しいことを始めるのに「今さら、なぁ・・・」という思いがあること。
歳も歳なので、やりたいことはあるけど、それを勤め人としてやろうにも雇ってもらえそうにないので・・・。
とても贅沢な話ですが、こういうことが相まって、どういう形で働くのが自分にとってスッキリするのか、なかなか見出せずにいます。
もっとも、何かをやっていれば、その中でやりたいことは見つかるものですので、今、やりたいことにこだわらずに、とっとと身の処しどころを探せば良いのでしょうけど・・・。
おわりに
以上、退職して今現在、感じていることや思うことをつらつらと書きました。
これらはただの私的な戯言に過ぎず、また、時間が経てば思うことも変わってくるはずですが、とりあえず今は、身の処し方を持て余しているといった状態です。
「離職票」が手元に届いたら、諸事、億劫がらずにやっていくつもりです。
それまでは、今の宙ぶらりん状態を楽しむことにします。
では、また。