今日は朝から三島由紀夫の動画を見てて、あー僕はまさしく生の倦怠状態だなぁと思いました。
僕は「死」というものをあまり意識しない生活を送っていて、覚悟とか大儀とかそういうものがない。
何となく生きていて、「死」を意識していないからこそ、「生」も感じれない。
だから安易な刺激とかで「生」を実感しようとする。
(経済的には)比較的恵まれているからか、ハングリー精神というか、そういうものがない。
まぁ、結局のところ、人間は自分のためだけっていうより、誰かのため、大儀のために生きたいと思うらしい。
これはすごく共感できる。
僕も誰かの役に立ちたいとか社会に貢献したいとかいう気持ちがあるのは確かだ。
ただ、それ自体が僕にとっては難しいから、なんかもう一生ニートしてたいとか思うのだ。
やはり全か無か思考みたいになってしまう。
まぁ、なんかよくわからない話になってしまいましたが、とりあえず、話を変えて気になるあの娘のことを書きます。(ぇ
なんか、もうこれ以上好きになっちゃダメだとか、気にしないようにしようとか、そういう風に思えば思うほど、その娘のことを考えてしまって、やばいです。
もう恋する変なおじさんになってしまってます。
上の話にも関わってきますが、童貞思考の僕は、「あの娘のために頑張るんだ!」とかいう自己本位的な考えに至ることも多々ありました。
が、しかし、おじさんはそれなりに歳も食っているので、それが如何に自己勝手な考えである意味危険な考えであることは解っているのです。
その子のために頑張るのは僕の勝手かもしれませんが、それはその子の好意を得るためという邪な下心も内在しているため、ダメな考えだと思います。
ゆえに、「その子のために頑張る」という大義は、その子に好意を持たれない限りは持つべきではないことになります。
こうグダグダ書いていると、本当に歪んでて拗らせてるなぁと思うのですが、まぁ、そんなこんなで、僕は「好きである」感情を封印することにしたいです。
好きな感情を押し込めて、何にも感じない人間になりたいです。
だからかな、どうせ手に入らないのならば、何にもしたくないとかいう意味不明な帰結に達してしまい、それもあって一生ニートしてたいって思ってしまいました。
今日もごちゃごちゃしているけど、そんな感じです。