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生の倦怠と気になるあの娘


今日は朝から三島由紀夫の動画を見てて、あー僕はまさしく生の倦怠状態だなぁと思いました。

僕は「死」というものをあまり意識しない生活を送っていて、覚悟とか大儀とかそういうものがない。

何となく生きていて、「死」を意識していないからこそ、「生」も感じれない。

だから安易な刺激とかで「生」を実感しようとする。

(経済的には)比較的恵まれているからか、ハングリー精神というか、そういうものがない。

まぁ、結局のところ、人間は自分のためだけっていうより、誰かのため、大儀のために生きたいと思うらしい。

これはすごく共感できる。

僕も誰かの役に立ちたいとか社会に貢献したいとかいう気持ちがあるのは確かだ。

ただ、それ自体が僕にとっては難しいから、なんかもう一生ニートしてたいとか思うのだ。

やはり全か無か思考みたいになってしまう。

まぁ、なんかよくわからない話になってしまいましたが、とりあえず、話を変えて気になるあの娘のことを書きます。(ぇ

なんか、もうこれ以上好きになっちゃダメだとか、気にしないようにしようとか、そういう風に思えば思うほど、その娘のことを考えてしまって、やばいです。

もう恋する変なおじさんになってしまってます。

上の話にも関わってきますが、童貞思考の僕は、「あの娘のために頑張るんだ!」とかいう自己本位的な考えに至ることも多々ありました。

が、しかし、おじさんはそれなりに歳も食っているので、それが如何に自己勝手な考えである意味危険な考えであることは解っているのです。

その子のために頑張るのは僕の勝手かもしれませんが、それはその子の好意を得るためという邪な下心も内在しているため、ダメな考えだと思います。

ゆえに、「その子のために頑張る」という大義は、その子に好意を持たれない限りは持つべきではないことになります。

こうグダグダ書いていると、本当に歪んでて拗らせてるなぁと思うのですが、まぁ、そんなこんなで、僕は「好きである」感情を封印することにしたいです。

好きな感情を押し込めて、何にも感じない人間になりたいです。

だからかな、どうせ手に入らないのならば、何にもしたくないとかいう意味不明な帰結に達してしまい、それもあって一生ニートしてたいって思ってしまいました。

今日もごちゃごちゃしているけど、そんな感じです。

障がい者でも、人を好きになっていいですか


どうも、お久しぶりです。

いきなりですが僕らしくないタイトルだなぁと思いますが、グダグダ書いていきます。

というか、ブログ更新2回しかしてないのに、引っ越しやら何やらで本当にきつくて放置してました。。


最近の近況はというと、

大学院が始まって、「これから何か新しい生活が始まる!」ってな時なのに、初日から「死にてー」って思ってました。

何故かわからないですけど、ぼっちだし、歳食ってるし(自分でおじさんって思ってるし)、とか考えるとしんどい思いが溢れてきました。

あとは疲れが溜まってたのもあるのでしょう。

とりあえず、初っ端から辛いきついしんどい状態でした。

でも、体調悪かったですが一応、出席すべきオリエンテーションなどには参加し、最低限ですがするべきこともできたのでよしとします。

 

で、今日は何を書きたいかというと、

同級生が何人かいるのですが、その1人の女の子のことが好きになりかけている自分がいて、やばいなと思ってます。

いや、別に好きになること自体は悪いことじゃないと思いますが、まさかなんか人生諦めてるような僕が異性を好きになるなんて夢にも思ってませんでした。

しかも、ほぼその女の子は僕のことなんて見向きもしないことは既に分かっているのです。

こんなこと書くと、なんだ?中学生の初恋か!?みたいに思われるかもしれませんが、こんな感情をアラサー元ヒキニートが抱いているのです。

どうしようもありません。

ほぼ恋愛経験ゼロの童貞拗らせおじさんは、やっぱりちょっとでも普通に話してくれる女の子がいると、勘違いをしてしまうのです。

童貞の勘違いは恐ろしい。

もう自分でもダメだと思っているのですが、どうすればいいのかわかりません。

誰かアドバイスください。

終わり。

健常者との違い


僕が目指しているのは、割と普通に働くことだ。

でも、それは普通のサラリーマンとして働くことではなくて、自営業形態だ。

自営業という意味では、普通とは言えないかもしれないが、ここでは健常者同様に働くという意味で使っている。

別に健常者、障害者と区分けする必要もそんなにないのかもしれない。

僕自身が思っているほど、両者の差はないことだってあるだろう。

でも、僕には歴然とその差が感じられる。

それは何故だろう。

 

「普通に近づけば近づくほど、健常者との差に苦しむ」ってツイートしたけど、これが主な原因である気がする。

要するに、目指しているものが疑似的な「普通」だから、その健常者とのホンモノの「普通」と比べて苦しいのだ。

 

これは何も働くこと限定ではない。

趣味やコミュニティや、結婚とかそういうものまで含めて考える。

僕は、障がい者コミュニティにも入れず、かといって健常者コミュニティにも入れない中途半端な存在だなぁとよく思う

でも、クローズで生きるのであれば、健常者の仮面をつけて生きていかなければならない。

 

そういう状況下で生きるために、僕は「自分は健常者とはもはや別の生命体だから、同じに考えてはダメだ。」と考えている。

「健常者と僕とでは、ライオンと虫ケラくらい違った生き物である」

こういう風に考える方がずっと楽だ。

だって、生き物の種類が違ってたら、比べる意味なんてないからね。

 

でも、他人と比較しないことは精神衛生上いいんだけど、それが自分が異質なものであるという考えに基づいているからあまり良い考えではないなとは思う。

これから先、健常者に混じって生きることになるかもしれないのだから、自分だけ違うと思っていると何処かで崩れてしまいそうな気がする。

「今までもこれから先も、誰とも分かり合うことなんてないんだ」ってね。

でも、それは健常者でも程度こそ違うが同じこと言えるかもだけど。

 

分かり合える人がきっと凄く少ない道に行こうとしているんだなというのは、確かだと思う。

もっと楽に生きられる考え方ができたらいいなと思う今日この頃です。

自己紹介とブログの方針

えっと、はじめまして。

HN:うる次郎と申します。

はい、自己紹介終わり!(ぇ

というのは流石に情報が少なすぎるので、多少は情報を付加すると

年齢は、20代後半。

統合失調感情障害という病気を患っています。

痩せるためにダイエットと就労をするために勉強を頑張ろう?としています。

ということで、次にブログの方針の話ですが、99%自己満で書いていきます。

何の目的で書くのかというと、前のブログでは主に自己分析のためだったのですが、今回はそれプラスほんの少しネット上の交流があったらいいなという目的があります。

そんな感じで思ったこと、感じたことをぐだぐだ書いていけたらいいなと思っております。