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 「天才」という呼称で済ませてはいけない。そう思わせるほど、浅田真央は練習量の多い選手だった。

 佐藤信夫コーチは、浅田の指導で最も苦労したことを「練習をやめさせることだった」と話す。本拠の中京大のリンクでは、長いと午前9時に練習を始め、終わるのは午後6時半。その間、2、3回に分けて計4~5時間滑る。さらに氷上練習の合間、他の選手が一息入れるようなときも、筋力トレーニング、柔軟体操、縄跳び、ランニングを詰め込んでいた。

 佐藤コーチは、2014年ソチ五輪の数分間に最大限の力を出すため、練習量を少なくするよう助言した。浅田は「どうして、練習してはいけないんですか」と答えたという。

 なぜ、それほど努力できるのか、と聞いたことがある。浅田は、「『自分が口にした目標はやらなきゃだめ。スケートをやるからには、それを窮めないとだめ』と母が言っていました」と語り、「練習から逃げ出したいと思ったことはない」と付け加えた。

 ソチ五輪シーズンのショートプログラム(SP)は、その母と共に滑るプログラムだった。

 浅田の振り付けを長年担ったローリー・ニコル氏は、「真央が母を見上げ、一度それを振り払い、また見上げて母に届こうとする場面がある。真央のお母さんは、私たちといつも一緒なのです」と説明した。完全な演技を見せたフリー「ラフマニノフ」の陰に隠れてしまったが、ショパンのノクターンで演じたSPには、いつも浅田に寄り添い励まし続け、2011年12月に48歳で亡くなった母・匡子(きょうこ)さんへの思いが込められていた。

 浅田は、明るさと純粋さも併せ…

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