感情の核心
ACカウンセラーmichikoでございます。
訪問くださり、大変ありがとうございます。
「娘が帰省するから、ご馳走作ってあげようと思って」
「母と電話してたら、ついつい長くなっちゃってね」
SNSや年賀状でよく見る、
仲良く微笑む母娘の写真。
街で時々遭遇する、
楽しそうに歩く母娘らしき二人連れ・・。
今では
さらりと流せるようになりましたが、
かつての私は
周囲のこんな些細な日常さえ、
どうしようもなく
辛い気持ちになったものでした
物理的にも精神的にも、
母との関係を絶った私
けれども私は
現実的な社会の中で生きています。
ですので、
「そんな話、私の前でしないでください」
「親子の仲良し写真なんて載せないで」
こんなことは言えません
当然、私の視界を
仲良さそうに歩く母娘連れだっていらっしゃる。
―必ずしもそうではないかも知れませんが、
私には皆、「仲良さそうに」見えました―
年配の女性の、
娘を心配する気持ちを聞くと
「我が身の不幸」を呪いました
同年代の女性の、
母親を気遣う気持ちに接しては、
「罪悪感」が鋭く痛みました。
表面的には
程よく相づちを打ちながら、
母娘連れを目で追いながら、
「可哀想な自分」や
「罪深い自分」を
強烈に自覚します。
その場は笑顔でやり過ごすものの、
心身は疲労し傷つき
一人になって涙しては
なんて心が狭く
小さい人間なのだろう
そう自分に絶望しました。
(ノ_<)
こんなこともございました。
自分と同じ「臭い」が感じられた方には、
私の母娘関係について、
少しだけ、
恐る恐る話をしてみました。
・・・(;゜0゜)
「もっと大変な人いますって」
「もう大人なんだから、
お母さん許してあげなさいよ」
(´・_・`)
一般的な反応なのだと思います。
彼らに悪気はないのです。
私を励ましてくださっているのです。
そもそも、私の覚悟ができていない。
つまらない話だと思われることや、
感じ方を批判されることが怖いので、
あちこち端折って話してしまう
そうした私の伝え方が、
「一般的な」反応を誘ってもいるのでしょう。
嫌われたくない
見捨てられたくない
(。Д゚; 三 ;゚Д゚)
自分の気持ちを正確に伝えることなど、
もはやどうでもよくなってしまう。
そして私は、
無意識のうちにこう返して身を守ります。
「確かにそうですよねー(笑)」
本当は、そう思ってなんていないのに。
敏感にまたは過剰に、
相手の
「否定」をキャッチした私のアンテナ
話はここで強制終了です。
以前の私には内省力がほとんどなく
(「内省」という言葉も知らず)、
自分を知ろうとしなかったのです。
本当はどうしたいのか
本当は何を感じているのか
特に
「嫌われること」や「見捨てられること」を
連想させる感情については、
「核心に触れる」という発想さえなかった。
そして多分
「核心」は痛いものだと
薄々知っていたからこそ、
覆い隠すことに必死だったのでしょう。
これは、私の中できちんと
「完結」する必要がある問題であり、
程度を他の方と「比べる」ことや、
「大人なんだから許せる」ことなどではないのです。
否定や拒絶のニュアンスを含むそれらの言葉は、
(繰り返しますが、「悪気はない」のですから)
一旦エレガントに頂戴したら
丈夫な麻袋にでも放り込んで、
袋ごと遠くに投げてしまえばいい
(」*´∇`)」
その上で本格的に「感情の核心」に
取り組む準備をなさったら良いと思うのです。
痛みを伴う感情の核心に触れるには、
丁寧な下準備が必要です。
急ぐことはないのだと思います
必要なことを見極めながら、
基礎体力を少しづつ付けて、
じっくり取り組んでゆけたらいいのだと思うのです。
私がそうしてこれたように、
いつかきっと、今より楽になれるはず
先日ある方に頂いたお菓子は、
彼女がお母様と日帰り旅行をしたお土産でした。
旅行の話を伺いながら、
純粋に美味しく頂きました
つらくなりすぎる前に一度、おいでください。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
少しでも参考にしていただけたら幸せです
ランキングに参加しています。
よろしかったら、こちらをクリックくださると大変嬉しいです。
重ねて恐縮ですが、
こちらもクリックくださると嬉しいです。
ありがとうございました
訪問くださり、大変ありがとうございます。
「娘が帰省するから、ご馳走作ってあげようと思って」
「母と電話してたら、ついつい長くなっちゃってね」
SNSや年賀状でよく見る、
仲良く微笑む母娘の写真。
街で時々遭遇する、
楽しそうに歩く母娘らしき二人連れ・・。
今では
さらりと流せるようになりましたが、
かつての私は
周囲のこんな些細な日常さえ、
どうしようもなく
辛い気持ちになったものでした
物理的にも精神的にも、
母との関係を絶った私
けれども私は
現実的な社会の中で生きています。
ですので、
「そんな話、私の前でしないでください」
「親子の仲良し写真なんて載せないで」
こんなことは言えません
当然、私の視界を
仲良さそうに歩く母娘連れだっていらっしゃる。
―必ずしもそうではないかも知れませんが、
私には皆、「仲良さそうに」見えました―
年配の女性の、
娘を心配する気持ちを聞くと
「我が身の不幸」を呪いました
同年代の女性の、
母親を気遣う気持ちに接しては、
「罪悪感」が鋭く痛みました。
表面的には
程よく相づちを打ちながら、
母娘連れを目で追いながら、
「可哀想な自分」や
「罪深い自分」を
強烈に自覚します。
その場は笑顔でやり過ごすものの、
心身は疲労し傷つき
一人になって涙しては
なんて心が狭く
小さい人間なのだろう
そう自分に絶望しました。
(ノ_<)
こんなこともございました。
自分と同じ「臭い」が感じられた方には、
私の母娘関係について、
少しだけ、
恐る恐る話をしてみました。
・・・(;゜0゜)
「もっと大変な人いますって」
「もう大人なんだから、
お母さん許してあげなさいよ」
(´・_・`)
一般的な反応なのだと思います。
彼らに悪気はないのです。
私を励ましてくださっているのです。
そもそも、私の覚悟ができていない。
つまらない話だと思われることや、
感じ方を批判されることが怖いので、
あちこち端折って話してしまう
そうした私の伝え方が、
「一般的な」反応を誘ってもいるのでしょう。
嫌われたくない
見捨てられたくない
(。Д゚; 三 ;゚Д゚)
自分の気持ちを正確に伝えることなど、
もはやどうでもよくなってしまう。
そして私は、
無意識のうちにこう返して身を守ります。
「確かにそうですよねー(笑)」
本当は、そう思ってなんていないのに。
敏感にまたは過剰に、
相手の
「否定」をキャッチした私のアンテナ
話はここで強制終了です。
以前の私には内省力がほとんどなく
(「内省」という言葉も知らず)、
自分を知ろうとしなかったのです。
本当はどうしたいのか
本当は何を感じているのか
特に
「嫌われること」や「見捨てられること」を
連想させる感情については、
「核心に触れる」という発想さえなかった。
そして多分
「核心」は痛いものだと
薄々知っていたからこそ、
覆い隠すことに必死だったのでしょう。
これは、私の中できちんと
「完結」する必要がある問題であり、
程度を他の方と「比べる」ことや、
「大人なんだから許せる」ことなどではないのです。
否定や拒絶のニュアンスを含むそれらの言葉は、
(繰り返しますが、「悪気はない」のですから)
一旦エレガントに頂戴したら
丈夫な麻袋にでも放り込んで、
袋ごと遠くに投げてしまえばいい
(」*´∇`)」
その上で本格的に「感情の核心」に
取り組む準備をなさったら良いと思うのです。
痛みを伴う感情の核心に触れるには、
丁寧な下準備が必要です。
急ぐことはないのだと思います
必要なことを見極めながら、
基礎体力を少しづつ付けて、
じっくり取り組んでゆけたらいいのだと思うのです。
私がそうしてこれたように、
いつかきっと、今より楽になれるはず
先日ある方に頂いたお菓子は、
彼女がお母様と日帰り旅行をしたお土産でした。
旅行の話を伺いながら、
純粋に美味しく頂きました
つらくなりすぎる前に一度、おいでください。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
少しでも参考にしていただけたら幸せです
ランキングに参加しています。
よろしかったら、こちらをクリックくださると大変嬉しいです。
重ねて恐縮ですが、
こちらもクリックくださると嬉しいです。
ありがとうございました
スポンサーサイト