もうひとつ。中核派の、怒りがあるから結集できる、という発想は間違っている。
人々はなんとなく生きづらいと思っているけれども、なんとなく生きづらいと思いながら、いろんな政党とかいろんな宗教とか、アイドルの追っかけとか、サブカルチャーとか、競馬とかパチンコとか、そんな多種多様なものに分散してまう。
怒りがあるから結集できる、という発想は間違っているねん。
人間の歴史を見ても、怒りがある、というよりも、楽しいから、あるいはラクだから結集するというのが高いと思う。
昔の集落とか、集まらないとそもそも生きてけないから集まっとった側面が高いしなあ。
けどそれだって、怒りではなくて、”楽しいから、あるいはラクだから結集する”やわなあ。
動労東京の吉野元久委員長について、私はめちゃくちゃに糾弾するけれども、この点については彼は一定の理解はしとった。
「職場は楽しいところじゃないとダメだ、職場は憩いの場と思って行かなければ」
この言葉は正しいと思った。
ただ、吉野元久自体がゼンゼン実行できてないわけやけれども、
だって実行できとったら、夜間作業ばかりの保線で、なんで動労東京の組合員を連れてこれんかったのか、そこに矛盾があるやないか。
楽しい仲間が集まって、いろんな話をする。
その中には、やっぱり自分の思想と違う人もいるわけやから、いろんな政党とかいろんな宗教とか、アイドルの追っかけとか、サブカルチャーとか、競馬とかパチンコとか、そんな多種多様なものをやっとる人の価値観を認める。
認めて、せめて一緒に握手会に行けとかは言わんけれども、ハナシくらいはわかるくらいまでは相手の興味を理解する。
そうすると相手だって、思想とか信条とかを超えて、この人ならば信頼できると思うやないか。
だから私は創価学会から勧誘される。
中核派のヤツらは考えが凝り固まっとるから、創価学会から勧誘されることなんてないやろ。
それで、思想とか信条とかは違うかもワカランけれども、相手の悩みを見つけたら、その悩みを掘り下げてく。
そうやって少しずつ強固な仲間を作ってくんやないか。
そんな強固な仲間ができたときに、有事になったらすぐ動ける。
逆に、強固な仲間ではなくて、上からの押し付けの教義やったら、有事の際にちりぢりになってまう。
動労東京で、私が中核派と違う意見を言い出したとき、吉野元久ら動労東京の組合員が、私のことを真剣に考えようとしたならば、そこで私が主張しとることにも耳を傾けたやろ。
けど実際は、押し付けの協議やから、私は出てもたし、放り出されてもた。
これからもそんなのばっかで、動労東京は絶対に大きくなれないと考える。
まだ辻川さんならば相手の悩みに体当たりで議論するやろけど、吉野元久は中核派の言い分を上から下に押し付けるだけやったもん。
そんな組織が拡大するはずがない。
中核派って、そもそも中核派以外の友達がいなさそうな人々ばっかやったし。
だからツイッターとかフェイスブックとかブログとか、そんなのをやめる方針に反対するヤツって出てこんねん。
けど、世の中にあまたいる、中核派以外に友達がいる人々を勧誘しようと思うたら、その人がツイッターとかフェイスブックとかブログとかをしとるのは当然のハナシなのであって、それをやめろと言うとっては、いつまで経っても仲間できんよなあ。
中核派も、自分らの内部にダブルスタンダードがいっぱいあって、それを内部から突かれるのは怖いと、実はわかっとるんやろ。
そっちのほうが、公安よりもよっぽど怖いんやろ。
中核派がもし、自分らの内部にダブルスタンダードがないと断言できるか、自分らの内部にダブルスタンダードが見つかった場合に真摯に取り除こうとするならば、インターネットなんて透明性を高める格好のツールなんやから、むしろ積極的にやれというハナシになるよなあ。
それで、たとえばフェイスブックのフォロワー1,000人の人を獲得できたらものすごく大きいし、やはりそんな連鎖も考慮せな、ビラ配りで過半数を獲得するというのは、どう考えても無理筋と思う。
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