「社会的インフラとしての宅急便」。ヤマト運輸の会長に復帰した翌年の1994年、「宅急便の父」、故小倉昌男氏は経営理念の作成にあたり、わずか10文字あまりの言い回しに頭を悩ませていた。
自らの会社を社会的インフラと呼ぶのは「おこがましい」。一方で「インフラになるべきだ」という使命感。葛藤する小倉氏の姿をそばで見ていたのが、当時30代前半の人材開発本部係長として経営理念作成のプロジェクトに加わってい…
「社会的インフラとしての宅急便」。ヤマト運輸の会長に復帰した翌年の1994年、「宅急便の父」、故小倉昌男氏は経営理念の作成にあたり、わずか10文字あまりの言い回しに頭を悩ませていた。
自らの会社を社会的インフラと呼ぶのは「おこがましい」。一方で「インフラになるべきだ」という使命感。葛藤する小倉氏の姿をそばで見ていたのが、当時30代前半の人材開発本部係長として経営理念作成のプロジェクトに加わってい…
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